1 / 28
本編
1、異世界での目覚め
しおりを挟む
「ねぇ見て見て、このゲーム面白いんだよ」
クラスメイトの若菜がそう言ってスマホを見せてきたとき、瑠也は眉間にシワを寄せた。
「……いや、女子がこういうの好きなのは知ってるけどさ……。俺に見せなくてもよくない?」
若菜が見せてきたのは、スマホゲームの、愛と薔薇と欲望という、どぎついタイトルのBLゲームで、瑠也には完全に未知の世界で、視界に入っても見なかったことにするようなやつだ。
「いやぁ、だってー。瑠也って、ゲーマーでしょう。こっちもイケるかなって」
「どんな雑食だよ。いたって普通の健全な精神を持つ男子だ、俺は!知らねーよ、こんなの!」
確かにゲーム好きと公言していたが、面白いからと何でも手を出すタイプではない。いくらなんでも、やめてくれという顔をした。
しかも、若菜はクラスでも可愛い方で、結構人気がある。瑠也もそう思っていた一人で、人懐っこく話し掛けてきたので、つい顔が綻んでしまった自分が情けなくなった。
しかしここは、修学旅行中のバスの中。
ぼっちで窓側に座っていたので、隣に座ってきた若菜をどかして逃げるわけにもいかず、視線だけ窓の外へ逃がした。
「いーじゃん!いーじゃん!ホテル着くまで時間あるしぃ!リカ達寝ちゃって暇なんだよね。ちょっと話だけでも聞いてよー。攻略できなくてさ困ってんの」
「つーか、その手のゲームは、課金ゲームだろ。金積めばクリア出来るだろ。攻略も何もねーだろ」
瑠也には妹がいて、妹も同じくスマホのゲームに熱中している。彼女の場合は乙女ゲームというやつだが、誰を落とすとか、イベントスチルをゲットするとか、ドレスのガチャだとかで、稼いだバイト代を搾り取られているのを知っていた。
「そーなんだけどさ!ちょっと聞いてよ」
若菜が大きな茶色い目をキラキラさせながら、近づいて来たので、瑠也はドキッとして後ろに引いた。
二人の間に何かが始まる予感を感じながら、目をしばたたかせた瞬間、けたたましいクラクションの音してから、すぐに急ブレーキで体は浮き上がって自由はきかなくなった。
何が起きたのか分からなかった。
ほんの一瞬の短い出来事だった。まるで映画の世界を眺めているみたいで、自分の身に何が起こったのか理解できなかった。
ただ、なんの痛みも感じなかったから、本当に一瞬だったのだろう。
最後に覚えているのは、バスの残骸とともにアスファルトに縫いつけられたように、転がっている自分と、同じように倒れている若菜らしき姿。
そして、二人の間に転がっている画面が割れたスマホ。
あの、最後に見ていたゲームの画面が、チカチカと映っては消えていた。
静かで、何も音は聞こえなかった。
そう。覚えているのは、それだけ………。
□□□
「キース様。そんなところにいらしたのですか?ほら、お風邪をひきますよ」
帰りたい、そう思っていたのに、誰かに呼び止められて、暖かくてふわふわしたものをかけられた。
「……帰りたい」
「ええ、帰りましょう。寝間着に裸足でお庭に出たりして、旦那様が知ったら大変ですよ」
「……いやだ、帰る」
「大丈夫ですよ。ちゃんと帰れますから。エイダが付いております。坊っちゃんは怖い夢でも見たのですね」
「……夢?」
そう、怖い夢だった。
何もかも知らない世界で、何がどうなったのか分からないが、自分はなんだか死んでしまったみたいだった。
「ボク……ん?オレ?……俺は……」
「まぁ、キース様急にそんな、俺、なんて……、お兄様達の真似をしていらっしゃるんですか?」
何かとてつもない違和感を感じて、キースは手を繋いで歩いている女性を見上げた。
目尻にシワのある優しい顔をした女性だ。質素な黒いワンピースに、白いエプロンをつけている。
どこの誰だろうとぼんやり見上げた。
というか、さっきから見上げてばかりいる自分は、こんなに背が低かったかと、疑問が湧いてきた。
ここはヨーロッパの映画に出てくるような、きれいに造られた庭園だ。植木は計算されたように、カットされていて、そのフォルムは美しい。
辺りが暗くて全体がよく分からないが、大きな洋館が建っていて、そこに向かって歩いている。
まるで、映画の中に迷いこんだみたいに、キースは大口を開けてきょろきょろと辺りを見回した。
女性に汚れた足を拭いてもらった。白くて小さい足が目に入った。
そして女性に抱き上げられて、洋館の中を歩いて、自分の部屋に連れてこられて、ベッドに下ろされた。
「さぁ、夜の冒険はおしまいですよ。ちゃんと目を閉じて、今度は良い夢を見れますように」
そう言われて、おでこを撫でられた。
これではまるで、子供だ。
女性が出ていってから、一人ベッドに残されたが、あまりの子供扱いにどうしていいのか戸惑ってしまう。
なぜなら。
なぜなら、俺は……
「……俺は、瑠也だから」
キースは自分の口から出た言葉が理解出来なかった。
だが、見慣れたはずの天井が白くて安っぽいやつじゃなくて、豪華な獅子みたいな絵が描かれていて、その明らかな違いにだんだん、自分がなんなのか、はっきりと体に染み込んできた。
「そうだよ、俺は……、俺は瑠也だ!」
そのことに気がついて、キースは叫びながら飛び起きた。
それが、キース・ハルミングが、前世の記憶、瑠也であったことをはっきりと思い出した瞬間のことだった。
その時キースは、7歳。
まだ、可愛いお坊っちゃまで、両親に甘々で育てられていたころの話だ。
それから3年後、10歳のときにキースの人生はガラリと変わる。
子爵家の三男として、なに不自由なく暮らしていたが、突然父が馬車の事故に遭い亡くなってしまう。当時、15歳になったばかりの長兄が家督を継ぐが、父のようにまともに事業をできるわけもなく、わらわらと輩が集まって来て、むしり取られるように多くを人手に渡した。
母はと言えば、生粋のお嬢様で贅沢な暮らししか知らなかったので、次々と勝手に借金をしてしまい、いよいよ子爵家は財産をなくして火の車になってしまった。
その頃になって、やっとハルミング家の惨状を伝え聞いた父方の遠縁にあたるラムジール伯爵が兄の後見を申し出てくれた。
もともと人付き合いが悪くて、親戚も頼れないと思い込んでいたので、母も全く連絡すらしていなかったらしい。
伯爵の手配で、長兄は残された事業をいったん伯爵の元で継続してやっていくこととなり、毎日顔も見ることもなく、忙しくしている。
騎士を目指していた次兄は、夢を諦めて貿易の仕事に就き、外国へ行っている。
母もやっと、心を入れ換えて、貴族の家庭教師として編み物だとか刺繍だとかを教えに行っている。
父の死から落ちるしかなかった生活が、やっと安定の兆しをみせはじめた。
そして、キースは17歳の誕生日を迎えたのだった。
□□
炎天下の中、泥だらけになりながら、今日の分の野菜の収穫が終わった。
自作の肥料をまいて、水をたっぷりあげたら、午前中の作業は終了だ。
あとは取れたての野菜を料理して、昼食を作るのだが、今日は何にしようかと考えるときが一番楽しい時間だ。
泥だらけの作業着に首にタオルを引っかけて、汗を拭きながら庭を歩いていると、坊っちゃん、精がでますねと声をかけられた。
「フリン!今日も来てくれたのか?今週はもういいって言ってるのに…」
「年を取ると暇なんでございますよ。なに、町への買い出しなどたいした苦労ではありません。むしろ、運動になって良いのです」
そう言ってフリンは、頬にシワを寄せて、快活に笑った。日焼けして健康的な肌は年を感じさせない。
父の頃からずっといてくれる使用人で、今もほぼ無償で、町への買い出しなどをやってくれている。
町への往復は若い男でも疲れる距離なので、頻繁には必要ないと断っているが、いつも暇だからとか、大丈夫だと言われて、世話を焼いてくれる。
「それにしても、坊っちゃん。その格好も見慣れると違和感がなくなりましたなぁ」
「え?あー…、だって俺…貴族ってガラじゃないし、こうやって体を動かしてる方が良いんだよね。見た目も地味だし、汚れてても変わらないだろ?」
「そんなことはないですよ。坊っちゃんはご兄弟の中でも一番奥様に似ていらして、可愛らしいですし、汚れた格好でも洗練されていると驚いています」
フリンはまだ自分を子供のように思っているらしく、どうもいまだに可愛い可愛いと褒めるので、さすがに遠慮したいのだが、とても良い人なので、キースは強く言えないで困っている。
「あの…さ、フリン、俺もう17になるんだから―――」
キースが言いかけた言葉は、坊っちゃまと呼ぶ大声と、ドタバタという大きな足音でかき消された。
顔を真っ赤にしながら、こちらに向かって走ってくるのは、執事のセルジュだ。
彼も父の頃から長年勤めてくれていて、今は兄の補佐もやっていていつも忙しい。
実のところ、ハルミング家の使用人は、もうセルジュしかいない。十分な給金が支払えなくなり、ほとんどが辞めてしまい、残ったのがセルジュだけだった。
「キース坊っちゃま!キース様!急なお客様で、ラムジール伯爵がいらしています」
全速力で走ってきたからか、セルジュは肩で息をしながら、やっと用件を話してくれた。
「え?だって、ジェイ兄さんは職場だろ?」
「いえ、それが、今日はキース様にご用があるそうで、ご子息のレナール様も一緒です」
「はぁ?俺に?」
ハルミング家のお家騒動では、幼かったキースは完全に蚊帳の外だった。
今まで、ラムジール伯爵に会ったこともないし、息子などいたことさえ知らなかった。
しかし、17歳を迎えたので、仕事を与えられるのかもしれないと思い至った。
あのお嬢様だった母親でさえ、働きに出たのだ。次は自分の番なのだろう。
そこまで考えてキースは自分の格好を思い出した。
「やべっ…、さすがにこれじゃ酷いな」
家族で世話になっている相手に会うのに、泥だらけで行ったらさすがに失礼だと、キースは急いで屋敷の裏口に向かって走り出した。
「湯は用意できませんでしたが、泥が落とせるように水をくんであります。お着替えは、ジェイ様のもので申し訳ないのですが…」
セルジュが追いかけながら、必死に教えてくれた。
「サンキュー助かる!さすがセルジュだ!とりあえず先に行くよ」
走り疲れたセルジュを置いて、キースは走った。自分の用意もしないといけないが、お客様に何も出さないわけにはいかない。
厨房に寄ってお湯を用意して、茶葉はあれで、お菓子はあれでと、頭で考えながら走った。
何しろ一人で何役もこなさなければやっていけないのだ。
走り出したキースは、この二人の訪問が、自分の人生を大きく変えるものになるということに、まだ気づくことはなかった。
ただ、泥にまみれていても隠しきれない、キースのまだ開かぬ蕾のような愛らしさを、柔らかな日差しがきらきらと照らしていた。
□□□
クラスメイトの若菜がそう言ってスマホを見せてきたとき、瑠也は眉間にシワを寄せた。
「……いや、女子がこういうの好きなのは知ってるけどさ……。俺に見せなくてもよくない?」
若菜が見せてきたのは、スマホゲームの、愛と薔薇と欲望という、どぎついタイトルのBLゲームで、瑠也には完全に未知の世界で、視界に入っても見なかったことにするようなやつだ。
「いやぁ、だってー。瑠也って、ゲーマーでしょう。こっちもイケるかなって」
「どんな雑食だよ。いたって普通の健全な精神を持つ男子だ、俺は!知らねーよ、こんなの!」
確かにゲーム好きと公言していたが、面白いからと何でも手を出すタイプではない。いくらなんでも、やめてくれという顔をした。
しかも、若菜はクラスでも可愛い方で、結構人気がある。瑠也もそう思っていた一人で、人懐っこく話し掛けてきたので、つい顔が綻んでしまった自分が情けなくなった。
しかしここは、修学旅行中のバスの中。
ぼっちで窓側に座っていたので、隣に座ってきた若菜をどかして逃げるわけにもいかず、視線だけ窓の外へ逃がした。
「いーじゃん!いーじゃん!ホテル着くまで時間あるしぃ!リカ達寝ちゃって暇なんだよね。ちょっと話だけでも聞いてよー。攻略できなくてさ困ってんの」
「つーか、その手のゲームは、課金ゲームだろ。金積めばクリア出来るだろ。攻略も何もねーだろ」
瑠也には妹がいて、妹も同じくスマホのゲームに熱中している。彼女の場合は乙女ゲームというやつだが、誰を落とすとか、イベントスチルをゲットするとか、ドレスのガチャだとかで、稼いだバイト代を搾り取られているのを知っていた。
「そーなんだけどさ!ちょっと聞いてよ」
若菜が大きな茶色い目をキラキラさせながら、近づいて来たので、瑠也はドキッとして後ろに引いた。
二人の間に何かが始まる予感を感じながら、目をしばたたかせた瞬間、けたたましいクラクションの音してから、すぐに急ブレーキで体は浮き上がって自由はきかなくなった。
何が起きたのか分からなかった。
ほんの一瞬の短い出来事だった。まるで映画の世界を眺めているみたいで、自分の身に何が起こったのか理解できなかった。
ただ、なんの痛みも感じなかったから、本当に一瞬だったのだろう。
最後に覚えているのは、バスの残骸とともにアスファルトに縫いつけられたように、転がっている自分と、同じように倒れている若菜らしき姿。
そして、二人の間に転がっている画面が割れたスマホ。
あの、最後に見ていたゲームの画面が、チカチカと映っては消えていた。
静かで、何も音は聞こえなかった。
そう。覚えているのは、それだけ………。
□□□
「キース様。そんなところにいらしたのですか?ほら、お風邪をひきますよ」
帰りたい、そう思っていたのに、誰かに呼び止められて、暖かくてふわふわしたものをかけられた。
「……帰りたい」
「ええ、帰りましょう。寝間着に裸足でお庭に出たりして、旦那様が知ったら大変ですよ」
「……いやだ、帰る」
「大丈夫ですよ。ちゃんと帰れますから。エイダが付いております。坊っちゃんは怖い夢でも見たのですね」
「……夢?」
そう、怖い夢だった。
何もかも知らない世界で、何がどうなったのか分からないが、自分はなんだか死んでしまったみたいだった。
「ボク……ん?オレ?……俺は……」
「まぁ、キース様急にそんな、俺、なんて……、お兄様達の真似をしていらっしゃるんですか?」
何かとてつもない違和感を感じて、キースは手を繋いで歩いている女性を見上げた。
目尻にシワのある優しい顔をした女性だ。質素な黒いワンピースに、白いエプロンをつけている。
どこの誰だろうとぼんやり見上げた。
というか、さっきから見上げてばかりいる自分は、こんなに背が低かったかと、疑問が湧いてきた。
ここはヨーロッパの映画に出てくるような、きれいに造られた庭園だ。植木は計算されたように、カットされていて、そのフォルムは美しい。
辺りが暗くて全体がよく分からないが、大きな洋館が建っていて、そこに向かって歩いている。
まるで、映画の中に迷いこんだみたいに、キースは大口を開けてきょろきょろと辺りを見回した。
女性に汚れた足を拭いてもらった。白くて小さい足が目に入った。
そして女性に抱き上げられて、洋館の中を歩いて、自分の部屋に連れてこられて、ベッドに下ろされた。
「さぁ、夜の冒険はおしまいですよ。ちゃんと目を閉じて、今度は良い夢を見れますように」
そう言われて、おでこを撫でられた。
これではまるで、子供だ。
女性が出ていってから、一人ベッドに残されたが、あまりの子供扱いにどうしていいのか戸惑ってしまう。
なぜなら。
なぜなら、俺は……
「……俺は、瑠也だから」
キースは自分の口から出た言葉が理解出来なかった。
だが、見慣れたはずの天井が白くて安っぽいやつじゃなくて、豪華な獅子みたいな絵が描かれていて、その明らかな違いにだんだん、自分がなんなのか、はっきりと体に染み込んできた。
「そうだよ、俺は……、俺は瑠也だ!」
そのことに気がついて、キースは叫びながら飛び起きた。
それが、キース・ハルミングが、前世の記憶、瑠也であったことをはっきりと思い出した瞬間のことだった。
その時キースは、7歳。
まだ、可愛いお坊っちゃまで、両親に甘々で育てられていたころの話だ。
それから3年後、10歳のときにキースの人生はガラリと変わる。
子爵家の三男として、なに不自由なく暮らしていたが、突然父が馬車の事故に遭い亡くなってしまう。当時、15歳になったばかりの長兄が家督を継ぐが、父のようにまともに事業をできるわけもなく、わらわらと輩が集まって来て、むしり取られるように多くを人手に渡した。
母はと言えば、生粋のお嬢様で贅沢な暮らししか知らなかったので、次々と勝手に借金をしてしまい、いよいよ子爵家は財産をなくして火の車になってしまった。
その頃になって、やっとハルミング家の惨状を伝え聞いた父方の遠縁にあたるラムジール伯爵が兄の後見を申し出てくれた。
もともと人付き合いが悪くて、親戚も頼れないと思い込んでいたので、母も全く連絡すらしていなかったらしい。
伯爵の手配で、長兄は残された事業をいったん伯爵の元で継続してやっていくこととなり、毎日顔も見ることもなく、忙しくしている。
騎士を目指していた次兄は、夢を諦めて貿易の仕事に就き、外国へ行っている。
母もやっと、心を入れ換えて、貴族の家庭教師として編み物だとか刺繍だとかを教えに行っている。
父の死から落ちるしかなかった生活が、やっと安定の兆しをみせはじめた。
そして、キースは17歳の誕生日を迎えたのだった。
□□
炎天下の中、泥だらけになりながら、今日の分の野菜の収穫が終わった。
自作の肥料をまいて、水をたっぷりあげたら、午前中の作業は終了だ。
あとは取れたての野菜を料理して、昼食を作るのだが、今日は何にしようかと考えるときが一番楽しい時間だ。
泥だらけの作業着に首にタオルを引っかけて、汗を拭きながら庭を歩いていると、坊っちゃん、精がでますねと声をかけられた。
「フリン!今日も来てくれたのか?今週はもういいって言ってるのに…」
「年を取ると暇なんでございますよ。なに、町への買い出しなどたいした苦労ではありません。むしろ、運動になって良いのです」
そう言ってフリンは、頬にシワを寄せて、快活に笑った。日焼けして健康的な肌は年を感じさせない。
父の頃からずっといてくれる使用人で、今もほぼ無償で、町への買い出しなどをやってくれている。
町への往復は若い男でも疲れる距離なので、頻繁には必要ないと断っているが、いつも暇だからとか、大丈夫だと言われて、世話を焼いてくれる。
「それにしても、坊っちゃん。その格好も見慣れると違和感がなくなりましたなぁ」
「え?あー…、だって俺…貴族ってガラじゃないし、こうやって体を動かしてる方が良いんだよね。見た目も地味だし、汚れてても変わらないだろ?」
「そんなことはないですよ。坊っちゃんはご兄弟の中でも一番奥様に似ていらして、可愛らしいですし、汚れた格好でも洗練されていると驚いています」
フリンはまだ自分を子供のように思っているらしく、どうもいまだに可愛い可愛いと褒めるので、さすがに遠慮したいのだが、とても良い人なので、キースは強く言えないで困っている。
「あの…さ、フリン、俺もう17になるんだから―――」
キースが言いかけた言葉は、坊っちゃまと呼ぶ大声と、ドタバタという大きな足音でかき消された。
顔を真っ赤にしながら、こちらに向かって走ってくるのは、執事のセルジュだ。
彼も父の頃から長年勤めてくれていて、今は兄の補佐もやっていていつも忙しい。
実のところ、ハルミング家の使用人は、もうセルジュしかいない。十分な給金が支払えなくなり、ほとんどが辞めてしまい、残ったのがセルジュだけだった。
「キース坊っちゃま!キース様!急なお客様で、ラムジール伯爵がいらしています」
全速力で走ってきたからか、セルジュは肩で息をしながら、やっと用件を話してくれた。
「え?だって、ジェイ兄さんは職場だろ?」
「いえ、それが、今日はキース様にご用があるそうで、ご子息のレナール様も一緒です」
「はぁ?俺に?」
ハルミング家のお家騒動では、幼かったキースは完全に蚊帳の外だった。
今まで、ラムジール伯爵に会ったこともないし、息子などいたことさえ知らなかった。
しかし、17歳を迎えたので、仕事を与えられるのかもしれないと思い至った。
あのお嬢様だった母親でさえ、働きに出たのだ。次は自分の番なのだろう。
そこまで考えてキースは自分の格好を思い出した。
「やべっ…、さすがにこれじゃ酷いな」
家族で世話になっている相手に会うのに、泥だらけで行ったらさすがに失礼だと、キースは急いで屋敷の裏口に向かって走り出した。
「湯は用意できませんでしたが、泥が落とせるように水をくんであります。お着替えは、ジェイ様のもので申し訳ないのですが…」
セルジュが追いかけながら、必死に教えてくれた。
「サンキュー助かる!さすがセルジュだ!とりあえず先に行くよ」
走り疲れたセルジュを置いて、キースは走った。自分の用意もしないといけないが、お客様に何も出さないわけにはいかない。
厨房に寄ってお湯を用意して、茶葉はあれで、お菓子はあれでと、頭で考えながら走った。
何しろ一人で何役もこなさなければやっていけないのだ。
走り出したキースは、この二人の訪問が、自分の人生を大きく変えるものになるということに、まだ気づくことはなかった。
ただ、泥にまみれていても隠しきれない、キースのまだ開かぬ蕾のような愛らしさを、柔らかな日差しがきらきらと照らしていた。
□□□
37
お気に入りに追加
893
あなたにおすすめの小説
【完結/R18】俺が不幸なのは陛下の溺愛が過ぎるせいです?
柚鷹けせら
BL
気付いた時には皆から嫌われて独りぼっちになっていた。
弟に突き飛ばされて死んだ、――と思った次の瞬間、俺は何故か陛下と呼ばれる男に抱き締められていた。
「ようやく戻って来たな」と満足そうな陛下。
いや、でも待って欲しい。……俺は誰だ??
受けを溺愛するストーカー気質な攻めと、記憶が繋がっていない受けの、えっちが世界を救う短編です(全四回)。
※特に内容は無いので頭を空っぽにして読んで頂ければ幸いです。
※連載中作品のえちぃシーンを書く練習でした。その供養です。完結済み。
婚約破棄してくれてありがとう、王子様
霧乃ふー 短編
BL
「ジュエル・ノルデンソン!貴様とは婚約破棄させてもらう!!」
そう、僕の婚約者の第一王子のアンジェ様はパーティー最中に宣言した。
勝ち誇った顔の男爵令嬢を隣につれて。
僕は喜んでいることを隠しつつ婚約破棄を受け入れ平民になり、ギルドで受付係をしながら毎日を楽しく過ごしてた。
ある日、アンジェ様が僕の元に来て……
君が好き過ぎてレイプした
眠りん
BL
ぼくは大柄で力は強いけれど、かなりの小心者です。好きな人に告白なんて絶対出来ません。
放課後の教室で……ぼくの好きな湊也君が一人、席に座って眠っていました。
これはチャンスです。
目隠しをして、体を押え付ければ小柄な湊也君は抵抗出来ません。
どうせ恋人同士になんてなれません。
この先の長い人生、君の隣にいられないのなら、たった一度少しの時間でいい。君とセックスがしたいのです。
それで君への恋心は忘れます。
でも、翌日湊也君がぼくを呼び出しました。犯人がぼくだとバレてしまったのでしょうか?
不安に思いましたが、そんな事はありませんでした。
「犯人が誰か分からないんだ。ねぇ、柚月。しばらく俺と一緒にいて。俺の事守ってよ」
ぼくはガタイが良いだけで弱い人間です。小心者だし、人を守るなんて出来ません。
その時、湊也君が衝撃発言をしました。
「柚月の事……本当はずっと好きだったから」
なんと告白されたのです。
ぼくと湊也君は両思いだったのです。
このままレイプ事件の事はなかった事にしたいと思います。
※誤字脱字があったらすみません
王道学園のモブ
四季織
BL
王道学園に転生した俺が出会ったのは、寡黙書記の先輩だった。
私立白鳳学園。山の上のこの学園は、政財界、文化界を担う子息達が通う超名門校で、特に、有名なのは生徒会だった。
そう、俺、小坂威(おさかたける)は王道学園BLゲームの世界に転生してしまったんだ。もちろんゲームに登場しない、名前も見た目も平凡なモブとして。
ハーレムルートと王子ルートが初めから閉じていて「まーじーかー!」と言っている神子は私と王子を見てハアハアしている
ネコフク
BL
ルカソール王子と私は太陽神と月の女神の加護を受け婚約しており将来伴侶となる事が産まれた時から決められている。学園に通っている今、新しく『花の神子』となったユーリカ様が転入してきたのだがルカソール王子が私を溺愛するのを見て早口で「ハーレムルートとルカソールルートが閉じられてる⁉まーじーかー!」と言っている。ハーレムルート・・・シュジンコウ・・・フジョシ・・・何の事でしょう?おやユーリカ様、鼻息が荒いですが大丈夫ですか?☆3話で完結します。花の神子は女性ですが萌えを堪能しているだけです。
悪役令息アナ゠ルゥに転生したので、婚約者を奴隷にします
三谷玲
BL
ドスケベBLゲーム『たまたま』という男がたまごを産む世界の悪役令息アナ゠ルゥ(もちろん産める男だ!)に転生した俺。主人公ひいては国を害したと断罪されたあげく没落男娼白目アヘ顔ボテ腹エンドを回避すべく、婚約者であるサンラーン王国王太子ペニ゠スゥを襲うことにした。なんでって?食べ放題の生チンがそこにあるから!ただ襲うだけのはずが、ペニ゠スゥが足コキに反応したことで、俺の中でなにかが目覚める…っ!
前世アナニー狂いの性欲旺盛主人公が転生した世界で婚約者の王太子を奴隷にして、なぜか世界が救われる話。
たまごが産める男と産めない男しかいない世界です。
このBLゲームは難易度ハードの糞ゲーです。
ムーンライトノベルズ他でも公開しています。
転生したら乙女ゲームの攻略対象者!?攻略されるのが嫌なので女装をしたら、ヒロインそっちのけで口説かれてるんですけど…
リンゴリラ
BL
病弱だった男子高校生。
乙女ゲームあと一歩でクリアというところで寿命が尽きた。
(あぁ、死ぬんだ、自分。……せめて…ハッピーエンドを迎えたかった…)
次に目を開けたとき、そこにあるのは自分のではない体があり…
前世やっていた乙女ゲームの攻略対象者、『ジュン・テイジャー』に転生していた…
そうして…攻略対象者=女の子口説く側という、前世入院ばかりしていた自分があの甘い言葉を吐けるわけもなく。
それならば、ただのモブになるために!!この顔面を隠すために女装をしちゃいましょう。
じゃあ、ヒロインは王子や暗殺者やらまぁ他の攻略対象者にお任せしちゃいましょう。
ん…?いや待って!!ヒロインは自分じゃないからね!?
※ただいま修正につき、全てを非公開にしてから1話ずつ投稿をしております
隣国王子に快楽堕ちさせれた悪役令息はこの俺です
栄円ろく
BL
日本人として生を受けたが、とある事故で某乙女ゲームの悪役令息に転生した俺は、全く身に覚えのない罪で、この国の王子であるルイズ様に学園追放を言い渡された。
原作通りなら俺はこの後辺境の地で幽閉されるのだが、なぜかそこに親交留学していた隣国の王子、リアが現れて!?
イケメン王子から与えられる溺愛と快楽に今日も俺は抗えない。
※後編がエロです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる