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本編

1、異世界での目覚め

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「ねぇ見て見て、このゲーム面白いんだよ」

 クラスメイトの若菜わかながそう言ってスマホを見せてきたとき、瑠也りゅうやは眉間にシワを寄せた。

「……いや、女子がこういうの好きなのは知ってるけどさ……。俺に見せなくてもよくない?」

 若菜が見せてきたのは、スマホゲームの、愛と薔薇と欲望という、どぎついタイトルのBLゲームで、瑠也には完全に未知の世界で、視界に入っても見なかったことにするようなやつだ。

「いやぁ、だってー。瑠也って、ゲーマーでしょう。こっちもイケるかなって」

「どんな雑食だよ。いたって普通の健全な精神を持つ男子だ、俺は!知らねーよ、こんなの!」

 確かにゲーム好きと公言していたが、面白いからと何でも手を出すタイプではない。いくらなんでも、やめてくれという顔をした。

 しかも、若菜はクラスでも可愛い方で、結構人気がある。瑠也もそう思っていた一人で、人懐っこく話し掛けてきたので、つい顔が綻んでしまった自分が情けなくなった。

 しかしここは、修学旅行中のバスの中。
 ぼっちで窓側に座っていたので、隣に座ってきた若菜をどかして逃げるわけにもいかず、視線だけ窓の外へ逃がした。

「いーじゃん!いーじゃん!ホテル着くまで時間あるしぃ!リカ達寝ちゃって暇なんだよね。ちょっと話だけでも聞いてよー。攻略できなくてさ困ってんの」

「つーか、その手のゲームは、課金ゲームだろ。金積めばクリア出来るだろ。攻略も何もねーだろ」

 瑠也には妹がいて、妹も同じくスマホのゲームに熱中している。彼女の場合は乙女ゲームというやつだが、誰を落とすとか、イベントスチルをゲットするとか、ドレスのガチャだとかで、稼いだバイト代を搾り取られているのを知っていた。

「そーなんだけどさ!ちょっと聞いてよ」

 若菜が大きな茶色い目をキラキラさせながら、近づいて来たので、瑠也はドキッとして後ろに引いた。
 二人の間に何かが始まる予感を感じながら、目をしばたたかせた瞬間、けたたましいクラクションの音してから、すぐに急ブレーキで体は浮き上がって自由はきかなくなった。

 何が起きたのか分からなかった。

 ほんの一瞬の短い出来事だった。まるで映画の世界を眺めているみたいで、自分の身に何が起こったのか理解できなかった。
 ただ、なんの痛みも感じなかったから、本当に一瞬だったのだろう。

 最後に覚えているのは、バスの残骸とともにアスファルトに縫いつけられたように、転がっている自分と、同じように倒れている若菜らしき姿。
 そして、二人の間に転がっている画面が割れたスマホ。
 あの、最後に見ていたゲームの画面が、チカチカと映っては消えていた。

 静かで、何も音は聞こえなかった。

 そう。覚えているのは、それだけ………。




 □□□


「キース様。そんなところにいらしたのですか?ほら、お風邪をひきますよ」

 帰りたい、そう思っていたのに、誰かに呼び止められて、暖かくてふわふわしたものをかけられた。

「……帰りたい」

「ええ、帰りましょう。寝間着に裸足でお庭に出たりして、旦那様が知ったら大変ですよ」

「……いやだ、帰る」

「大丈夫ですよ。ちゃんと帰れますから。エイダが付いております。坊っちゃんは怖い夢でも見たのですね」

「……夢?」

 そう、怖い夢だった。
 何もかも知らない世界で、何がどうなったのか分からないが、自分はなんだか死んでしまったみたいだった。

「ボク……ん?オレ?……俺は……」

「まぁ、キース様急にそんな、俺、なんて……、お兄様達の真似をしていらっしゃるんですか?」

 何かとてつもない違和感を感じて、キースは手を繋いで歩いている女性を見上げた。
 目尻にシワのある優しい顔をした女性だ。質素な黒いワンピースに、白いエプロンをつけている。
 どこの誰だろうとぼんやり見上げた。

 というか、さっきから見上げてばかりいる自分は、こんなに背が低かったかと、疑問が湧いてきた。

 ここはヨーロッパの映画に出てくるような、きれいに造られた庭園だ。植木は計算されたように、カットされていて、そのフォルムは美しい。

 辺りが暗くて全体がよく分からないが、大きな洋館が建っていて、そこに向かって歩いている。
 まるで、映画の中に迷いこんだみたいに、キースは大口を開けてきょろきょろと辺りを見回した。

 女性に汚れた足を拭いてもらった。白くて小さい足が目に入った。

 そして女性に抱き上げられて、洋館の中を歩いて、自分の部屋に連れてこられて、ベッドに下ろされた。

「さぁ、夜の冒険はおしまいですよ。ちゃんと目を閉じて、今度は良い夢を見れますように」

 そう言われて、おでこを撫でられた。
 これではまるで、子供だ。

 女性が出ていってから、一人ベッドに残されたが、あまりの子供扱いにどうしていいのか戸惑ってしまう。

 なぜなら。

 なぜなら、俺は……

「……俺は、瑠也だから」

 キースは自分の口から出た言葉が理解出来なかった。
 だが、見慣れたはずの天井が白くて安っぽいやつじゃなくて、豪華な獅子みたいな絵が描かれていて、その明らかな違いにだんだん、自分がなんなのか、はっきりと体に染み込んできた。

「そうだよ、俺は……、俺は瑠也だ!」

 そのことに気がついて、キースは叫びながら飛び起きた。

 それが、キース・ハルミングが、前世の記憶、瑠也であったことをはっきりと思い出した瞬間のことだった。

 その時キースは、7歳。
 まだ、可愛いお坊っちゃまで、両親に甘々で育てられていたころの話だ。

 それから3年後、10歳のときにキースの人生はガラリと変わる。

 子爵家の三男として、なに不自由なく暮らしていたが、突然父が馬車の事故に遭い亡くなってしまう。当時、15歳になったばかりの長兄が家督を継ぐが、父のようにまともに事業をできるわけもなく、わらわらと輩が集まって来て、むしり取られるように多くを人手に渡した。
 母はと言えば、生粋のお嬢様で贅沢な暮らししか知らなかったので、次々と勝手に借金をしてしまい、いよいよ子爵家は財産をなくして火の車になってしまった。

 その頃になって、やっとハルミング家の惨状を伝え聞いた父方の遠縁にあたるラムジール伯爵が兄の後見を申し出てくれた。

 もともと人付き合いが悪くて、親戚も頼れないと思い込んでいたので、母も全く連絡すらしていなかったらしい。

 伯爵の手配で、長兄は残された事業をいったん伯爵の元で継続してやっていくこととなり、毎日顔も見ることもなく、忙しくしている。
 騎士を目指していた次兄は、夢を諦めて貿易の仕事に就き、外国へ行っている。
 母もやっと、心を入れ換えて、貴族の家庭教師として編み物だとか刺繍だとかを教えに行っている。

 父の死から落ちるしかなかった生活が、やっと安定の兆しをみせはじめた。
 そして、キースは17歳の誕生日を迎えたのだった。



 □□


 炎天下の中、泥だらけになりながら、今日の分の野菜の収穫が終わった。
 自作の肥料をまいて、水をたっぷりあげたら、午前中の作業は終了だ。
 あとは取れたての野菜を料理して、昼食を作るのだが、今日は何にしようかと考えるときが一番楽しい時間だ。

 泥だらけの作業着に首にタオルを引っかけて、汗を拭きながら庭を歩いていると、坊っちゃん、精がでますねと声をかけられた。

「フリン!今日も来てくれたのか?今週はもういいって言ってるのに…」

「年を取ると暇なんでございますよ。なに、町への買い出しなどたいした苦労ではありません。むしろ、運動になって良いのです」

 そう言ってフリンは、頬にシワを寄せて、快活に笑った。日焼けして健康的な肌は年を感じさせない。
 父の頃からずっといてくれる使用人で、今もほぼ無償で、町への買い出しなどをやってくれている。
 町への往復は若い男でも疲れる距離なので、頻繁には必要ないと断っているが、いつも暇だからとか、大丈夫だと言われて、世話を焼いてくれる。

「それにしても、坊っちゃん。その格好も見慣れると違和感がなくなりましたなぁ」

「え?あー…、だって俺…貴族ってガラじゃないし、こうやって体を動かしてる方が良いんだよね。見た目も地味だし、汚れてても変わらないだろ?」

「そんなことはないですよ。坊っちゃんはご兄弟の中でも一番奥様に似ていらして、可愛らしいですし、汚れた格好でも洗練されていると驚いています」

 フリンはまだ自分を子供のように思っているらしく、どうもいまだに可愛い可愛いと褒めるので、さすがに遠慮したいのだが、とても良い人なので、キースは強く言えないで困っている。

「あの…さ、フリン、俺もう17になるんだから―――」

 キースが言いかけた言葉は、坊っちゃまと呼ぶ大声と、ドタバタという大きな足音でかき消された。

 顔を真っ赤にしながら、こちらに向かって走ってくるのは、執事のセルジュだ。
 彼も父の頃から長年勤めてくれていて、今は兄の補佐もやっていていつも忙しい。

 実のところ、ハルミング家の使用人は、もうセルジュしかいない。十分な給金が支払えなくなり、ほとんどが辞めてしまい、残ったのがセルジュだけだった。

「キース坊っちゃま!キース様!急なお客様で、ラムジール伯爵がいらしています」

 全速力で走ってきたからか、セルジュは肩で息をしながら、やっと用件を話してくれた。

「え?だって、ジェイ兄さんは職場だろ?」

「いえ、それが、今日はキース様にご用があるそうで、ご子息のレナール様も一緒です」

「はぁ?俺に?」

 ハルミング家のお家騒動では、幼かったキースは完全に蚊帳の外だった。
 今まで、ラムジール伯爵に会ったこともないし、息子などいたことさえ知らなかった。

 しかし、17歳を迎えたので、仕事を与えられるのかもしれないと思い至った。
 あのお嬢様だった母親でさえ、働きに出たのだ。次は自分の番なのだろう。

 そこまで考えてキースは自分の格好を思い出した。

「やべっ…、さすがにこれじゃ酷いな」

 家族で世話になっている相手に会うのに、泥だらけで行ったらさすがに失礼だと、キースは急いで屋敷の裏口に向かって走り出した。

「湯は用意できませんでしたが、泥が落とせるように水をくんであります。お着替えは、ジェイ様のもので申し訳ないのですが…」

 セルジュが追いかけながら、必死に教えてくれた。

「サンキュー助かる!さすがセルジュだ!とりあえず先に行くよ」

 走り疲れたセルジュを置いて、キースは走った。自分の用意もしないといけないが、お客様に何も出さないわけにはいかない。
 厨房に寄ってお湯を用意して、茶葉はあれで、お菓子はあれでと、頭で考えながら走った。
 何しろ一人で何役もこなさなければやっていけないのだ。

 走り出したキースは、この二人の訪問が、自分の人生を大きく変えるものになるということに、まだ気づくことはなかった。

 ただ、泥にまみれていても隠しきれない、キースのまだ開かぬ蕾のような愛らしさを、柔らかな日差しがきらきらと照らしていた。





 □□□
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