愛を知らずに生きられない

朝顔

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(18)二つの涙

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 ヴァレリーの前で泣いてから、いつも数日おきしか来なかった男が、三日連続顔を出した。
 しかも三日間とも、よく分からない差し入れをしてきて、ノエルは困惑していた。無言でぽいっと渡されて、ありがとうと言う暇もなく、さっさと帰ってしまう。

 一日目は木彫りの人形、二日目はハンカチ、三日目は空の小瓶を置いていった。
 人形をくるくると手の上ので回しながら、遊んでいると、アリーナのぷっと噴き出す声が聞こえた。

「こんなもの渡されて、俺は子供扱いなのかな……」

 笑われるのは構わないが、こちらも意味が分からないのだとアリーナに主張すると、アリーナは兄は言葉足らずなのでごめんなさいと謝ってきた。

「それ、ノエルの国の民芸品よ。布もビンもベイクルートから流れてきた品物を扱うお店で買ったみたいね」

「え?うちの国…の?……なぜ?」

「……さぁ?私もよく分からないわ。兄はあまり話してくれないから……。ただ、ノエルが探している…とかなんとか言っていたわね…」

 ノエルは木彫りの人形を落としそうになった。まさか、そんなところに気を使われるなどと思わなかったので、驚きを通り越して、おかしくなってきて笑ってしまった。

 突然ケラケラと笑いだしたノエルをアリーナが不思議そうに見ていた。
 ノエルに残された時間はあとわずかなのに、こんな状況でも人は笑えるのだとしみじみ思う。確かに自国の物であれば、少なからずカインを感じることができる。不器用なヴァレリーの優しさが素直に嬉しくておかしかった。


 そして、今日もまたヴァレリーが来たので、ちゃんとお礼を言おうとすると、ヴァレリーの様子がいつもと違った。

「明日、カイン王子がエジリンに到着する予定なのだが、今になって急にレティシアがノエルを消した方がいいと言い出した。どうやら、まだ正式に返答をもらっていないことが気になっているらしく、憂いの種は摘んでおきたいから証拠を残さないようにやれと言われてきた」

「……そういうことを俺に話しちゃっていいの?」

 まさか今から殺すためにちゃんと律儀に説明をするような男なのかと驚いた。

「俺はお前を殺すつもりはない。父の代から腕を買われてエジリンに留まって来たがもともと流浪の一族で、そろそろ王女様のご機嫌をとるのも潮時だと思い始めていたんだ。いつでもアリーナと出れる準備はしてある」

「ヴァレリー……」

「……ノエル、行くところがなければ俺達と一緒に来ないか?アリーナも喜ぶ……」

 ヴァレリーの優しさは嬉しかったが、どちらにしても、ノエルには時間がない。そのことを伝えようと口を開いたとき、部屋にアリーナが飛び込んできた。

「お兄様!大変です!兵が……、こちらに兵が向かって来ています」

「チッ、動きを読まれていたか……」

 ヴァレリーは外を覗いて、兵の数えて剣を取り出した。

「ざっと30だな……アリーナやれるか?」

「ええ、もちろん」

 アリーナもどこに隠していたのか、いつの間にか小型の剣を両手に持っていた。

「あ……俺は?何かした方が……」

「戦力として期待していない。施錠していくから、ベッドの下にでも隠れていろ」

 ノエルも戦えるつもりはなかったが、あっさり断られたので言われた通りベッドの下に隠れた。

 レティシア王女が本当に無傷で解放してくれるとは考えられなかった。
 ノエルはどこかのタイミングで、何かされるだろうと思っていたが、ヴァレリーとアリーナも巻き込んでしまったようで申し訳なかった。

 窓の外から人が争う声と金属がぶつかり合う音が聞こえる。ついに始まったらしく、こんなことなら剣術の授業は見学組だったので、しっかりやっておけば良かったと今更ながらに後悔をしていた。

 祈るような気持ちで静かにしていたら、突然ガタガタと扉が揺れだした。
 ヴァレリー達であれば、こじ開けようとするはずがない。
 鍵が叩き割られるような音がして、扉がいつものように鈍い音を立てて開いた。
 コツコツと一人分の靴音が聞こえた。

 手近にある武器になりそうなものは、木彫りの人形しかなかった。
 こんなもので兵士相手にどうにかするなんて考えられないが、投げれば一瞬だけ目眩ましにはなるかもしれない。

「……エル」

 ベッドの陰から木彫りの人形を今にも投げようとしていたノエル手が止まった。
 そこにいるはずのない人の声が聞こえたからだ。

「ノエル……どこだ……」

 幻聴が聞こえたのかと思った。なぜならその人は、今頃豪華な馬車に乗り、レティシアが住むエジリンの王城を目指しているはずだからだ。

 ノエルの手から木彫りの人形がこぼれ落ちて、床に転がった。
 とたんに足音がこちらに迫ってきて、ついにノエルが隠れていたベッドの陰にその人の姿が現れた。

「……見つけた。ノエル」

 旅人のような軽装で薄汚れた服をまとっているが、間違えることのない、黒髪と黄金色の瞳がそこには輝いていた。

「うっ……嘘、だっ……だってあなたは、こんなところに……なんで……」

「遅くなって悪かったよ。エジリン国内に入ってから予想以上に手間取ってしまったんだ。でも君を見つけるために、絶対諦めたくなくて……」

「……カイン」

 嘘みたいな光景だった。いつも王子然として微笑んでいる顔や、余裕のある顔、ムッとした顔、怒りに燃えている顔は見たことがあったが、カインの目からは涙が線になって頬をつたっていた。

 ノエルのすぐそばに腰を下ろしたカインは、ノエルの両頬を包むように手で触れてきた。

「見つけた、ノエル…俺のノエル」

 カインの温かさと声を間近で聞いたらノエルももう我慢出来なかった。目頭が熱くなり、大量の涙がこぼれ落ちていく。

「うう…か…カイン、会いたかったよ…」

 そのまま強い力でカインはノエルを包んで抱きしめてきた。

「俺も会いたかった。もう離さない」

 カインの手は震えていた。お互い求めていたのだと分かるとノエルの気持ちは一気に浮上してきた。自らもカインにしがみついてその存在を確めた。

「もっと強く抱きしめて…壊れるくらいに」

 嘘ではないというものがひとつでも多く欲しかった。カインに与えられる痛みならばきっと喜びに変わると思った。

「だめだ、君を壊したくない。大切だから」

 いつもノエルを壊したいと言っていたカインの中で何かが変わったようだった。
 本当に優しくしっかりと抱きしめて離さなかった。

 どちらともなく離れていた時間をうめるように唇を重ねた。それは記憶の通り柔らかくて温かかったが涙の味がした。

 ガタンと扉が開け放たれ、エジリンの兵が雪崩れ込んできた。

 カインは庇うようにノエルを背中にして、剣を手に取ったが、さすがにこの人数相手では結果は分かりきっていた。

「大人しく来てもらうぞ」

 兵士の一人が冷たく言い放った言葉が、狭い室内に響き渡った。



 □□


「それでは、カイン様お一人でノエルの救出に向かわれたのですか?」

 狭くて暗くてじめじめするこのひどい環境の中で、アリーナの妙に明るい声が異質なものに聞こえた。

「そうだよ。手がかりが掴めなかったからね。弟には止められたけれど、一人で商人に混じってエジリンに入った。しばらくは情報を集めていたけど、エジリンの兵が怪しい動きを見せたから、付いてきたらここまでこれた」

「ベイクルートの王子はずいぶんと無茶をされる」

 ヴァレリーも呆れたような声を出した。

「おかげでこうしてノエルに会うことができた。まぁ捕まってしまったけどね」

 本当に仲がよろしいんですわねとアリーナがクスクスと笑って、ヴァレリーが気まずそうに目をそらした。

 ノエルとカインは塔で兵士に捕まり運ばれて、今度は牢屋に入れられた。
 牢屋にはすでに、ヴァレリーとアリーナもいて狭い牢屋の中は満員状態になってしまった。

 ヴァレリーが目をそらすのは、カインがノエルを後ろから抱くように座っていて、時折髪を撫でては頭に口を寄せるからである。

「カイン…ちょっと、こんな狭いところで…」

 ノエルが離れようとしても、よけいに強く引き寄せられるので、もっとくっついてしまうことになる。

「いいですよ。こちらのことは気にせずに。久しぶりに会えたのですからね」

 アリーナはなんだか楽しそうに微笑んでいる。ヴァレリーの口数が少ないのはいつも通りだが、目の前でイチャイチャされたらたまらないだろう。

「…ノエル、君の誕生日は明日だったな…」

「え…あ…そうですけど」

 カインが突然、小声で確かめるように聞いてきた。なぜそんなことを考えて、レイチェルが思い当たった。

「もしかして……レイチェルに……」

「ああ、全て聞いた。呪いのことも。ただ体を繋げるだけでなく、両者想い合っていないといけないのだろう」

「ええ……そうです……けど」

「条件は揃ってる。だが、時間がない…」

 ノエルは驚きで目を見開いた。揃ってるというのは、どういう意味なのか、期待と不安で胸が締め付けられるように苦しくなった。

「…それは…もしかして……カインは俺のことを……」

 ノエルはカインに向き直り、間近で顔を見つめた。その言葉を聞いてカインは、優しい目をして微笑んだ。それが、全ての答えを表していた。

「嘘……、本当に……」

 信じられない思いと喜びが全身から溢れてきて涙となりノエルの瞳からこぼれ落ちた。
 吸い寄せられるように、カインの唇に触れてそのまま自分の口を重ねようとした時、ゴホンと咳払いの音がした。

 慌ててカインから離れたノエルは、アリーナとヴァレリーが横にいることをすっかり忘れていて、恥ずかしさで真っ赤になった。

「頼むからそれは勘弁してくれ」

 ヴァレリーが視線をそらしながら、気まずそうにこぼすので、ノエルは慌てて謝った。

「いや、ノエル。時間がないと言っただろう。このまま夜を越すのなら、ここでするしかない」

「え……嘘……、ここで……」

 ノエルは事態の深刻さに今更ながらに気がついた。
 ぽかんとした顔のアリーナと、ヴァレリーを見渡して今度は青い顔になる。
 アリーナは何をですかと、無邪気な顔で聞いてくるので、全身から汗が吹き出してきた。

「むむむ……無理!こんなところとかよりも……、二人の前でなんて……絶対無理!!」

「命がかかっているんだよ!恥ずかしがっている場合じゃない!」

 イチャイチャしていたのに、突然揉めだした二人に、ヴァレリーがなんだと聞いてきて、どう説明したらいいのか気が遠くなりそうになったとき、牢屋の外が騒がしくなってきた。

「いよいよ、決まったか……。カイン王子は良いとしても、俺達は縛り首か……」

 ヴァレリーが苦笑しながら呟いたのを聞いて、カインはニヤリと笑った。

「そのつもりはないのだろう」

「ああ、そう簡単に死ぬつもりはない」

 外は騒がしさを増して、争いが起こっているようだった。
 ヴァレリーが機を待っていたかのように、すくっと立ち上がった。

 これから何が起こるのか、ノエルには見当もつかず、ただその大きな背中を期待を込めて見つめたのだった。



 □□□
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