愛を知らずに生きられない

朝顔

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(16)女神の手段

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 ダンスのための軽快な音楽が鳴り出した。
 遠くで、人々の楽しげな笑い声が聞こえる。

 しばらく温もりを感じていたような気がしたが、気がつくとノエルは一人ベッドに寝ていた。体は綺麗にされて、服も乱れがないように整えられていた。

 ふと、あの場をエドワードはどう誤魔化したのかと思った。
 多分彼のことだ、パーティーの余興などと言って、上手く周囲を丸め込んだだろう。

 ベッドに残る愛しい人の温もりを探して、ノエルは寝返りをうったが、冷たいシーツが虚しくそれに応えただけだった。

 パーティーの盛り上がりにダンスは欠かせない。北の国から来た美女の最初のダンスの相手はカインだろう。
 すでに終わってしまっているかも分からないが、二人が踊るところを見たくはなかった。

 ノエルは、賑やかな会場を避けて2階に上がってバルコニーに出た。
 人々は会場に集まっているので、こちらも人気はなく静かだった。

 エドワードが絡んできたところを見て、怒りに燃えていたようだったカインは、無理矢理とも言える行為をノエルにぶつけた。
 受け入れることでカインの気持ちが楽になればいいとノエルは思った。体の奥にカインの残りを感じると、そこに彼はいたという証のように思えて切なくなった。

 ギギッっとバルコニーの扉が開く音がした。
 誰かが来たのだと振り向くと、そこには月の光を浴びて、キラキラと輝く女神のような女性が立っていた。

「あなたが、ノエル・キャンベールね…」

 姿に劣らず美しい声がバルコニーに響いた。自分のことを言われたのだと遅れて気がついて、ノエルは慌ててそうですがと返事をした。

「調べはついているわ。あなたが、カイン様のお遊びの相手ね」

 女神のような微笑みを浮かべていたが、レティシアは汚らわしいものを見るような目でノエルを見た。

「あ…おっ、俺は……」

「あなたも少なからず気持ちがあるのでしょう?あなたのようなただの貴族の令息と、一国の王女である私と、カイン様にとってどちらが利益のある相手かしら…。まぁ分かるわよね」

「そ…れは……」

 ノエルが何も言い返せずに口ごもると、レティシアは畳み掛けるように詰め寄ってきた。

「私はずっとあの方をお慕いしてきましたのよ!なのに、どこからわいて出てきた分からない蛆虫のような男にあの方を盗られるなんて堪えられない!」

 レティシアは髪を振り乱しながら、ノエルに迫ってきた。追い詰められるようにノエルはバルコニーの手すりまで追いやられた。

「ただの遊び相手なら良かったわ……。多少のお遊びは目をつぶるけど……。先ほどのカイン様の態度、あんなに取り乱した姿は初めて見たわ…。私達、もうすぐ婚約するのよ!」

 レティシアが何やら手を上げて合図を送った。すると、二人きりだったバルコニーに、大きな影がさして、フードを被った黒衣の者が現れた。

「本当は始末したいけど、後々面倒だから、婚約を発表する前の一ヶ月間、あなたには消えてもらうわ」

「なっ……なにを……」

 黒衣の者が外套の中から長剣を取り出したのが見えて、ノエルは恐怖で動けなくなってしまった。

 容赦なく振り下ろされた剣はノエルを強く打った。その衝撃でバルコニーの手すりに体を打ち付けた。

 意識がぼんやりと沈んでいき、痛みは感じなかった。消えていく視界に手首にある愛の印が見えて、ノエルはそのまま暗闇の中へ落ちていった。


 □□


 人々の楽しげな声と賑やかな音楽がどこか遠くで聞こえる。意識はずっと会場の中を見渡しているのに、彼の姿がいっこうに現れないことに、カインは胸に嫌なものを感じていた。

 賓客であるレティシア王女の最初のダンスの相手は自分が務めないといけなかった。
 後ろ髪引かれる思いで、眠っているノエルを部屋に残してきたが、あれからしばらく経つのに、まだノエルの姿が見えなかった。

「どうされましたか…カイン様。心ここにあらず、ですわね」

 レティシア王女がカインの横顔に話しかけてきた。二人は壇上に用意された席に並んで座っていた。

「失礼、考えごとを……。何かお話がありましたか?」

「そろそろ良いお返事をいただきたいのですが」

「申し訳ございません。何度お話をいただいても同じです」

 エジリン王国からはすでに何度も婚約の打診があったが、その度に断りの返事をしていた。
 にもかかわらず、諦めることのないレティシア王女には感心するが、カインはどうしても受けることはできなかった。

 父からもいい話だと言われている。確かに国の利益を考えればいい話なのだろう。
 そもそも結婚など、国益のためにするものだとずっと思ってきた。
 自分の気持ちというものは国とともにあるのだと。
 しかし、いざその境界線に立ったとき、なぜだか足が進まなかった。

「残念です。でも、私はここに一月おりますので、必ずや良いお返事を聞かせていただけるのをお待ちしておりますわ。一月後、二人の婚約パーティーが開けることを願っております」

「レティシア王女……」

 レティシアは口元に揺るぎない笑みを浮かべてこちらを見ていた。執念のようなものを感じて、カインは腹の辺りが冷えていくのが分かった。

「カイン殿下、私とダンスを踊ってくださいませんか」

 ちょうどいいタイミングで声がかかり、顔を上げると、そこにはレイチェルが立っていた。

 さっと不機嫌そうな顔になったレティシアを残して、カインはレイチェルとフロアに出てきた。

「助かったよ、レイチェル。レティシアのしつこさに困っていたところだったんだ」

 ワルツが流れ始めて、レイチェルと躍りの輪の中に入った。

「殿下、私この機会を待っておりました。無礼を承知で単刀直入に言わせていただきます」

 レイチェルが自分のことをあまりよく思っていないのは知っていた。
 カインもまた、何か探るような目をしてくるレイチェルを苦手としていた。
 だか、ノエルと抱き合う関係になってからは、レイチェルのことはすっかり忘れていた。

「カイン殿下はノエルのことをどう思っておいでなのですか?」

「……どう……とは……?」

 レイチェルの澄んだ青い瞳からは、答えを聞くまで逃がさないというように強い意思を感じた。

「…私はずっと、ノエルのことが好きでした。事情があって諦めるしかなかったですけど…。今でも気持ちは残っています」

「……………」

「先ほど、エドワード様と言い争う場面がありましたよね。なぜあの時、カイン様はお怒りになっていたのですか?」

「それは……」

 エドワードとはお互い干渉しない関係で、喧嘩らしい喧嘩もしたことがなかった。それが、あの時は頭に血が上って、エドワードの存在を壊したいとも思ってしまった。それは、なぜが……。

「あいつが……ノエルに……、俺の……」

 軽快な音楽とともに、軽やかなステップでレイチェルがくるりと回り、それをカインが支えた。

「エドワード様がノエルにからでしょう。お尻をなで回して、首筋に噛みついていたわ」

 レイチェルが耳元でそう囁いて、瞬間、カッと頭に血が上ったカインは、その時の様子を思い出して瞳に怒りの色を滾らせた。

「そう……その目、染まっていますわね。今まで誰も教えてくださらなかったのかしら?それは、嫉妬と言うのですよ」

「……嫉妬?……俺が……?」

「そうです。嫉妬したのですよ。ドロドロした怒りを感じませんでしたか?」

 曲が終わって盛大な拍手が聞こえた。レイチェルは一歩離れて、ドレスをつまみ上げて礼をした。

「というか、ここまで背中を押したんだから、後はいい加減自分で考えて答えを出してください!」

 今まで慎ましい公爵令嬢を崩さなかったレイチェルが、最後に高らかにそう言い放って、ドレスを翻してドシドシ歩きながら人の波に消えていった。

 カインの頭の中に、ノエルの声が響いていた。

 それは、先ほど行為の後に意識を失う寸前、ノエルの口から小さくこぼれてきた言葉。

 ダンスはとっくに終わっているのに、その場から動けない。次々とノエルの顔が浮かんできた。

 酔っぱらって、いたいのいたいの飛んでけと言っていたノエルの顔。

 家族の話をするときの、ちょっと照れているが嬉しそうな顔。

 壊したいというカインの欲求に、壊してくれと受け止めてくれたノエル。
 とんでもなく広い心でカインを包んでくれた。

 そのくせ、カインが中で達した後、すぐに抜かないでくれとお願いしてきた。
 少しでも繋がっていたいと、しがみついて甘えてきた。

 その声も、顔も、しぐさも、その存在が全て……。

「……愛しい」

 思わず口から出てしまった言葉を確かめるように、カインは口元を手で押さえた。
 大きく見開いた目はノエルが寝ているであろう方向を指していた。

「カイン様?次はまた私と踊っていただけますか?」

 いつの間にか隣に来ていたレティシア王女が、カインの腕に触れようとしたが、それは叶わなかった。
 なぜなら、その前にカインが走り出していたからだった。


 だが、休憩室の中に寝ているはずのノエルはいなかった。
 すでにシーツは冷たくなっていて、出ていってから時間が経っていると思われた。
 会場の中を全て見てまわっても、ノエルの姿はどこにもなかった。


 □□


「女性用の更衣室にもいませんでしたわ!エドワード様、そちらは?」

「遊戯室に、厨房や使用人の部屋も全部見たよ。どこにもいない……」

 ノエルの捜索はエドワードとレイチェルも加わって行われたが、手がかりすら掴めなかった。

「先ほど使いが戻ってきたが、家にも戻っていないみたいだ。どこにもいないということは、考えられることは、ひとつだね……」

「……本人には聞けないのですか?早く見つけないと、ノエルに何かあったら……」

 レイチェルが今にも動き出そうとするのを、エドワードが腕を掴んで止めた。

「落ち着いて、レイチェル。今、本人を問い詰めても上手くかわされるだけだ。証拠は何もないしね。それどころか、疑われたと騒ぎ出されたら面倒なことになる」

「…でも!それじゃ……!カイン様!先ほどから、ずっと黙っておられますけど、心配ではないのですか?」

 カインは青い顔をしたまま、ずっと壁に背をもたれたまま立ち尽くしていた。いつもの冷静さはかけらも残っていない。

「……俺は、何も……、何も伝えてない……。ノエル……、俺のせいで……もし何かあったら……」

 口を押さえて床に崩れ落ちてしまったカインを見て、エドワードがため息をついた。

「カイン兄さんもしっかりして!他国に来て、その国の貴族を殺めるようなことは、向こうにもリスクがあるから避けるはず。となれば、どこかに捕らえられていると考えられる。まずは国内のエジリンに関連のある施設を捜索しよう」

 ひとり冷静なエドワードがまともな提案をして、レイチェルはそれに同意したが、カインは反応を示さなかった。

「……私達だけでも、行きましょう」

 頼りないカインに苛立ったレイチェルが、エドワードと外に出ようとした。

「……いや、待て」

 床に座り込んでいたカインがやっと立ち上がった。先ほどまでの生気のない顔が消えて、元のカインの表情を取り戻してきた。

「向こうも考えているはずだ。すぐに足がつくような、国内の施設に閉じ込めておくとは思えない。エジリンとの国境近くに潜伏するか、エジリンまで向かっている可能性の方が高い」

「なるほど…、ならば俺と兄さんで国境に向かおう」

「レイチェルはここで待機だ。国内の施設には、調査の名目で兵を送るから、レティシアの動きをよく見ておいてくれ」

「……分かりました。どうか…よろしくお願いします」

 王子兄弟は手練れの兵を数人連れて、颯爽と馬に乗って国境へ向かって行った。

 レティシア王女の歓迎パーティーはすでに招待客も帰り始めていた。
 帰宅する招待客達を笑顔で送り出しているレティシアを見て、レイチェルはこの騒動はすぐには解決しないのではないかと感じていた。

 三人で深刻な面持ちで話しているところを、確実に見ているはずだが、余裕の顔をしている。

 睨み付けるように見つめていたら、レイチェルと目が合ったレティシアは、愉快そうな顔で笑った。そのどす黒い微笑み見て、レイチェルは怒りで震えるとともに、ノエルの無事を祈って自分からは目を離さず、レティシアを見つめ続けたのであった。



 □□□
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