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(5)壊したもの
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「おはよう……」
ノエルの放った言葉が独り言になって虚しく教室に響いた。
いつも女の子とつるんでいたやつが、突然女の子と距離をとって、男子に向けて話しかけてきたものだから、最初のうちは戸惑ってなんとなく返事をしてくれたやつらも、気味が悪かったのかついに無視することに決めたようだ。
諦めずに挨拶だけはするようにしているが、こう空気のように無視され続けるのはさすがに精神的に参ってくる。
レイチェルはもうクラスのやつらはいいよと言ってくれるが、なんとなくそれでは自分は変われないとノエルは感じていて、せめて挨拶だけは出来るようになりたいと思っていた。
それは男との恋愛に繋がるとかではなくて、自分の人生の先を考えるようになって必要なことに思えてきたのだ。
終わることばかり考えて生きてきたけれど、自分はちゃんと生きていくために、前を向かなくてはいけない。そのためには、男女関係なくまともな人間関係を築くことが大切だとやっと気がついたのだ。
だが、努力は空回りして今のところ逆効果にしかなっていない。
とりあえず、授業もまともに受けていなかったので、こちらもやっとノートだけでも書くようなった。今まで怠惰に生きてきたノエルとしては大きな進歩だった。
先週末に行われた夜会のことは、ノエルの記憶の中に濃く残っている。授業中でもあのカインの声や微笑みを思い出してしまい背中が痒いような感覚になる。まさか国の王太子だとは思わなかった。知っていたら恐れ多くて話などできなかっただろう。
学園の先輩にあたるらしいが、それすら今まで知らなかった。意図的にそうしているのか知らないが、各学年の校舎は離れていて他の学年とはほとんど交流がない。
もし会えたなら、助けてくれたお礼を言いたかったが、今まで会うこともなかったのだから、それは無理そうだと思っている。
そういえば、酔いがまわって椅子に連れていってもらったとき、カインに耳元でなにか言われた気がするが全く思い出せない。
大丈夫かとかそんなところだろうと、それ以上考えるのをノエルはやめた。
放課後、教科書を鞄にしまっていると、ノエルの机の前に人の気配がした。
顔を上げると、クラスのリーダー的存在の公爵家の子息でミルトンとかいうやつが立っていた。
ダークブラウンの髪とグリーンの瞳の気の強そうなタイプの男で、彼とは一度も話したことがなかった。
「お前さ、最近おかしいよな。今までは男の事なんて眼中にもなくて、見下しているような態度だったくせに。急に媚売り出して、話しかけて来やがって、キモいんだよ」
周囲の男子からクスクスと笑う声が上がった。なるほどクラスのリーダーくんがこういう考えであるから、以下同文はそれに従ってノエルを無視しているのかとよく分かった。
「……分かった。今まで目に余るような態度をとっていたのならそれは謝る。俺なりに挨拶くらいは交わせる関係になりたいと思っていたけど、そこまでみんなが嫌だと思うなら、もう話しかけないよ。悪かったな」
あっさりとノエルが引き下がったので、ミルトンはポカンとしていた。
ノエルとしても、限られた時間ではあるので、先々を考えたとしても、わざわざ、気持ち悪いと言われながら続けるのは限界に来ていたのだ。
「まっ…待てよ。お前、俺らと友達になりたかったんじゃねーの?」
さっと支度を終えて席を立ったノエルの腕をミルトンが掴んだ。
ミルトンはノエルよりも体格がいいので、その力強さにノエルは顔をしかめた。
「……痛い。離してくれよ」
間近にあったミルトンの顔を睨み付けた。
すると、今までバカにしたようなニヤけた顔でノエルを見ていたミルトンは、急に目を見開いて驚いたような顔になって、掴んでいた手をぱっと離した。
よく分からないが早々に解放されたので、ノエルは鞄を持ってミルトンの横をすり抜けて教室から出た。
教室の中からは、周囲の男子からミルトンに抗議するような声が上がっていた。最後にちらりと教室に目をやると、立ち尽くしたままのミルトンの背中が見えた。
「待ってー!ノエル!」
昇降口を出たところで、レイチェルが後ろから追いかけてきた。教室での男子との関係はレイチェルは関わらないように言っているので、先ほど絡まれていたところをレイチェルもどこかで見ていたのだろう。
「見てた?さっきの」
「ええ、教室の後ろで。良い傾向ね」
どこが良いのかよく分からなかった。そんな顔をしていたら、レイチェルはクスリと微笑んだ。
「まず、ノエルが他人とちゃんと関わろうとしていること。他人との間に壁を作って一切拒否していたからまずそれを壊せたことは第一歩。次はこの間の夜会でついに殻が剥けたのね。良い感じなのが出てきたわ。分かるやつには強烈に効くみたいね」
「あー……、前半言っていることは分かったけど。後半が意味不明なんだけど……出る?効く?」
「あら、女の子限定で撒き散らしてたやつよ。つまり、フェロモンね。さっきのミルトン見た?あれ、心臓射ぬかれたみたいになってたわよ。これであいつノエルに夢中ね」
「はあ!?どっ…どこをどう見たら…。俺、あいつに絡まれてたんだぞ!」
レイチェルの思考がおかしくなったとノエルは慌てたが、レイチェルはいたって冷静に分析していた。
「いい?ノエルが壁を壊したことで、様々な影響が出てきているのよ。教室の雰囲気がおかしいでしょう。それは、ノエルのことが気になり始めた男が出てきたのよ。それを認めたくないとか、受け入れられないやつらは、無視して考えるのも拒否している。でもこれで群れのリーダーも落ちたから、さて、どうでるかな……」
レイチェルの分析がどこか別の国の出来事を話しているみたいで、ノエルには現実感がないのだが、とりあえずそうなんだと同意しておいた。
「結局、俺が無視され続けるのは変わらないだろ。良い影響なのかさっぱり分からないけど」
「良いに決まってるわ。ノエルがちゃんと教えてくれなかったから、暴走しちゃったけど。呪いを解くには、お互い気持ちがあった上で結ばれないと意味がないんでしょう?相手がノエルに対して魅力を感じてくれないと話にならないじゃない」
「うっ……、まぁそうなんだけど……」
レイチェルが言っていることはその通りなのだが、ノエルは男から意識される自分というのに、まだ慣れなくて頭が追いついていかないのだ。
「それと!次の戦場が決まったわ!マレー伯爵のガーデンパーティーよ!週末は気合いを入れておいてね」
「……戦場って。なぜ戦いに……」
「そこ!いちいち突っ込まない!マレー伯爵は貿易でかなり成功された方で、今注目されている人物よ。このガーデンパーティーはただのお茶会ではなくて、各国からもゲストが来て商談のチャンスがあるから、男性が多く出席する予定よ。なんとかねじ込んでもらって招待状ゲットしたから、上手くやってね!」
レイチェルのおかげで今まで知り合うことのなかった人達と、話せるチャンスを作ってもらえている。後はどう自分が頑張ることが出来るかだ。戦場という言葉は強いがある意味正しいのだと、ノエルは思ってきた。
ふと、あの人は参加するだろうかという、考えが浮かんできた。
貴族のパーティーは、様々なところで毎日のように開かれる。前回は自分の弟が主催した集まりだったので顔を出したのかもしれない。
王太子ともあろう人が、頻繁に参加されないだろうと思った。
なぜだか、胸に寂しさみたいなものが、こみ上げてきて、ごまかすようにノエルは頭を振ってそれをはらった。
翌日、昇降口で靴を履き替えていると、同じく下駄箱に靴を入れようとしているミルトンと鉢合わせた。
「うっ……うわ!!」
ミルトンは顔を真っ赤にして、靴を落として慌ててそれを拾って押し込んで、逃げるようにかけていった。
ちなみに、彼が靴を押し込んだのは同じように開いていたノエルの下駄箱である。
おいおいと思いながら、戻してあげた。
その小学生みたいな反応に、鈍いノエルでも、さすがに意識されていると気づいてしまった。
これであいつはノエルに夢中、と言ったレイチェルの言葉が頭に蘇ってきた。
「すごいな、レイチェル先生……」
改めて彼女のすごさを見せつけられたようで、ノエルの口から思わず称賛の言葉が漏れたのだった。
□□□
ノエルの放った言葉が独り言になって虚しく教室に響いた。
いつも女の子とつるんでいたやつが、突然女の子と距離をとって、男子に向けて話しかけてきたものだから、最初のうちは戸惑ってなんとなく返事をしてくれたやつらも、気味が悪かったのかついに無視することに決めたようだ。
諦めずに挨拶だけはするようにしているが、こう空気のように無視され続けるのはさすがに精神的に参ってくる。
レイチェルはもうクラスのやつらはいいよと言ってくれるが、なんとなくそれでは自分は変われないとノエルは感じていて、せめて挨拶だけは出来るようになりたいと思っていた。
それは男との恋愛に繋がるとかではなくて、自分の人生の先を考えるようになって必要なことに思えてきたのだ。
終わることばかり考えて生きてきたけれど、自分はちゃんと生きていくために、前を向かなくてはいけない。そのためには、男女関係なくまともな人間関係を築くことが大切だとやっと気がついたのだ。
だが、努力は空回りして今のところ逆効果にしかなっていない。
とりあえず、授業もまともに受けていなかったので、こちらもやっとノートだけでも書くようなった。今まで怠惰に生きてきたノエルとしては大きな進歩だった。
先週末に行われた夜会のことは、ノエルの記憶の中に濃く残っている。授業中でもあのカインの声や微笑みを思い出してしまい背中が痒いような感覚になる。まさか国の王太子だとは思わなかった。知っていたら恐れ多くて話などできなかっただろう。
学園の先輩にあたるらしいが、それすら今まで知らなかった。意図的にそうしているのか知らないが、各学年の校舎は離れていて他の学年とはほとんど交流がない。
もし会えたなら、助けてくれたお礼を言いたかったが、今まで会うこともなかったのだから、それは無理そうだと思っている。
そういえば、酔いがまわって椅子に連れていってもらったとき、カインに耳元でなにか言われた気がするが全く思い出せない。
大丈夫かとかそんなところだろうと、それ以上考えるのをノエルはやめた。
放課後、教科書を鞄にしまっていると、ノエルの机の前に人の気配がした。
顔を上げると、クラスのリーダー的存在の公爵家の子息でミルトンとかいうやつが立っていた。
ダークブラウンの髪とグリーンの瞳の気の強そうなタイプの男で、彼とは一度も話したことがなかった。
「お前さ、最近おかしいよな。今までは男の事なんて眼中にもなくて、見下しているような態度だったくせに。急に媚売り出して、話しかけて来やがって、キモいんだよ」
周囲の男子からクスクスと笑う声が上がった。なるほどクラスのリーダーくんがこういう考えであるから、以下同文はそれに従ってノエルを無視しているのかとよく分かった。
「……分かった。今まで目に余るような態度をとっていたのならそれは謝る。俺なりに挨拶くらいは交わせる関係になりたいと思っていたけど、そこまでみんなが嫌だと思うなら、もう話しかけないよ。悪かったな」
あっさりとノエルが引き下がったので、ミルトンはポカンとしていた。
ノエルとしても、限られた時間ではあるので、先々を考えたとしても、わざわざ、気持ち悪いと言われながら続けるのは限界に来ていたのだ。
「まっ…待てよ。お前、俺らと友達になりたかったんじゃねーの?」
さっと支度を終えて席を立ったノエルの腕をミルトンが掴んだ。
ミルトンはノエルよりも体格がいいので、その力強さにノエルは顔をしかめた。
「……痛い。離してくれよ」
間近にあったミルトンの顔を睨み付けた。
すると、今までバカにしたようなニヤけた顔でノエルを見ていたミルトンは、急に目を見開いて驚いたような顔になって、掴んでいた手をぱっと離した。
よく分からないが早々に解放されたので、ノエルは鞄を持ってミルトンの横をすり抜けて教室から出た。
教室の中からは、周囲の男子からミルトンに抗議するような声が上がっていた。最後にちらりと教室に目をやると、立ち尽くしたままのミルトンの背中が見えた。
「待ってー!ノエル!」
昇降口を出たところで、レイチェルが後ろから追いかけてきた。教室での男子との関係はレイチェルは関わらないように言っているので、先ほど絡まれていたところをレイチェルもどこかで見ていたのだろう。
「見てた?さっきの」
「ええ、教室の後ろで。良い傾向ね」
どこが良いのかよく分からなかった。そんな顔をしていたら、レイチェルはクスリと微笑んだ。
「まず、ノエルが他人とちゃんと関わろうとしていること。他人との間に壁を作って一切拒否していたからまずそれを壊せたことは第一歩。次はこの間の夜会でついに殻が剥けたのね。良い感じなのが出てきたわ。分かるやつには強烈に効くみたいね」
「あー……、前半言っていることは分かったけど。後半が意味不明なんだけど……出る?効く?」
「あら、女の子限定で撒き散らしてたやつよ。つまり、フェロモンね。さっきのミルトン見た?あれ、心臓射ぬかれたみたいになってたわよ。これであいつノエルに夢中ね」
「はあ!?どっ…どこをどう見たら…。俺、あいつに絡まれてたんだぞ!」
レイチェルの思考がおかしくなったとノエルは慌てたが、レイチェルはいたって冷静に分析していた。
「いい?ノエルが壁を壊したことで、様々な影響が出てきているのよ。教室の雰囲気がおかしいでしょう。それは、ノエルのことが気になり始めた男が出てきたのよ。それを認めたくないとか、受け入れられないやつらは、無視して考えるのも拒否している。でもこれで群れのリーダーも落ちたから、さて、どうでるかな……」
レイチェルの分析がどこか別の国の出来事を話しているみたいで、ノエルには現実感がないのだが、とりあえずそうなんだと同意しておいた。
「結局、俺が無視され続けるのは変わらないだろ。良い影響なのかさっぱり分からないけど」
「良いに決まってるわ。ノエルがちゃんと教えてくれなかったから、暴走しちゃったけど。呪いを解くには、お互い気持ちがあった上で結ばれないと意味がないんでしょう?相手がノエルに対して魅力を感じてくれないと話にならないじゃない」
「うっ……、まぁそうなんだけど……」
レイチェルが言っていることはその通りなのだが、ノエルは男から意識される自分というのに、まだ慣れなくて頭が追いついていかないのだ。
「それと!次の戦場が決まったわ!マレー伯爵のガーデンパーティーよ!週末は気合いを入れておいてね」
「……戦場って。なぜ戦いに……」
「そこ!いちいち突っ込まない!マレー伯爵は貿易でかなり成功された方で、今注目されている人物よ。このガーデンパーティーはただのお茶会ではなくて、各国からもゲストが来て商談のチャンスがあるから、男性が多く出席する予定よ。なんとかねじ込んでもらって招待状ゲットしたから、上手くやってね!」
レイチェルのおかげで今まで知り合うことのなかった人達と、話せるチャンスを作ってもらえている。後はどう自分が頑張ることが出来るかだ。戦場という言葉は強いがある意味正しいのだと、ノエルは思ってきた。
ふと、あの人は参加するだろうかという、考えが浮かんできた。
貴族のパーティーは、様々なところで毎日のように開かれる。前回は自分の弟が主催した集まりだったので顔を出したのかもしれない。
王太子ともあろう人が、頻繁に参加されないだろうと思った。
なぜだか、胸に寂しさみたいなものが、こみ上げてきて、ごまかすようにノエルは頭を振ってそれをはらった。
翌日、昇降口で靴を履き替えていると、同じく下駄箱に靴を入れようとしているミルトンと鉢合わせた。
「うっ……うわ!!」
ミルトンは顔を真っ赤にして、靴を落として慌ててそれを拾って押し込んで、逃げるようにかけていった。
ちなみに、彼が靴を押し込んだのは同じように開いていたノエルの下駄箱である。
おいおいと思いながら、戻してあげた。
その小学生みたいな反応に、鈍いノエルでも、さすがに意識されていると気づいてしまった。
これであいつはノエルに夢中、と言ったレイチェルの言葉が頭に蘇ってきた。
「すごいな、レイチェル先生……」
改めて彼女のすごさを見せつけられたようで、ノエルの口から思わず称賛の言葉が漏れたのだった。
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