愛を知らずに生きられない

朝顔

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(1)雨降る前世

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「最低!アンタなんか死んじゃえ!!」

 パシンと渇いた音をたてて平手打ちされた。
 非力な細腕だと思っていたが、思いのほか鋭い一発が飛んできて、痛みで何も言えなくなってしまった。

 行き交う人のクスクスという笑い声が聞こえる。見て修羅場だよとあからさまな声も聞こえた。

 頬を押さえたまま、しばらく痛みに耐えていたが、気づいたときには彼女は消えていて、一人だけ路上に残されていた。

 目線の先の路上に転がっている自分のスマホが見えた。頬を打たれた衝撃で手にしていたスマホが飛んでいってしまった。
 しかも運悪く、午前中に降った雨の残りが水溜まりになっていて、ご丁寧にそこにしっかり浸かっている。

「……最悪」

 しゃがんで恐る恐る手でつまんで持ち上げると、含んでいた水がボタボタと落ちていく。確か防水機能つきだと願いを込めて側面のボタンを押してみたが、黒い画面はバカみたいに口を開けた自分の顔しか映してくれない。

 画面の真ん中には真っ二つに亀裂が入っている。せっかく選んだ防水機能つきも本体が破損していたら何も意味がない。
 彼女と自分の関係みたいに真っ二つだと、こんなときに上手い台詞が思い付いて、タケルはよけいに悲しくなった。

「ねぇ、お兄さん。スマホ壊れちゃったの?可哀想…、飲みに行かない?奢ってあげる」

 きゃー声かけちゃったと二人組の綺麗なお姉さん達が明るく声をかけてきた。いつもなら顔に染み付いた人当たりの良い笑顔を作って、喜んで二人ともいただくのだが、今日に限ってはそんな気分になれない。

 大丈夫ですと言ってよろよろと立ち上がった。

 なんでこんなことになったのだろう。
 いや、考えるまでもない。自分がしてきたことの結果だ。
 タケルは女にモテるために生まれてきた男だ。物心ついたときから、三人の姉に女とはなにかを徹底的に叩き込まれた。

 モデルをやっていた両親の遺伝子を良いとこ取りして存分に受け継ぎ、幼稚園時代から女の子に不自由したことはない。
 スカウトされて、学生をやりながら両親と同じモデルとなって華やかな世界に身を置き、常に女の子に囲まれて生きてきた。

 あまりにモテすぎるがゆえに、タケルをめぐって女の子の争いが絶えなくなった。
 このままでは、私生活に支障をきたすので、いっそのこと一人に絞らないことにした。

 もちろん女の子も承知の上でのお付き合いだったが、曜日ごとの彼女がいた時代もある。
 やっぱり嫌とフラれることもあったし、やっぱりタケルがいいと戻ってくることもあった。
 来るもの拒まず去るもの追わずの出入り自由な恋愛。

 いや、それを恋愛というのだろうか。

 このところの自分はどこかおかしかった。
 大好きなはずの女の子とのデートもどこか上の空で、告白されて何も考えず頷いて、避けていたはずのタイプの女の子と付き合ってしまった。
 いわゆる、独占欲の強いタイプの子だ。

 はじめは他に女がいてもいいわなんて言って目が笑ってなくて、付き合いが深くなるにつれて束縛が始まった。
 耐えきれなくなって、俺はそういうの無理だからと切り出したらこれだ。

 そもそも、こういう修羅場が嫌で遊びにも気をつけていたはずなのに、長年築いてきたものが、全く機能しなくなってしまった。

 酩酊しているみたいに、ビルの壁に片方の肩を預けて歩いていたら、お天気のお姉さんは雨は午前中だけと言っていたのに、空が暗くなった今になって再びポツポツと雨が降りだした。

 ゆっくりしたリズムで落ちてきた雨は、あっという間にシャワーを全開にひねったみたいに、大量に落ちてきた。
 タケルは雨宿りできるところを探して、閉店した店の軒先に入らせてもらった。

 頭から足の先までびしょ濡れで、髪の毛からは滴がボタボタと落ちてきた。
 胸元に手をやって煙草を取り出すと、案の定まだ一本しか吸っていないのに、残りは全部水浸しになっている。

 お気に入り煙草の濡れたパッケージを見て、もうため息しか出なかった。

「ここは禁煙だよ」

 しゃがれた不機嫌そうな女性の声がした。
 目を向けると、派手な花柄のワンピースに紫のフードをかぶった、小柄な老婆が椅子に座っていた。
 よく分からないが、ここは彼女の縄張りらしい。

「はあ…、そうですか…」

 どうせダメになっしまったし、言い争う気にもなれないので、濡れた煙草ケースをまた胸ポケットにねじ込んだ。

 雨は強くなるばかり。
 軒下でタケルは老婆と二人、止まない雨を眺めていた。

「アンタ、女難の相が出ているね」

 老婆がこぼした声が聞き間違いか、独り言だと思ったタケルは、呆けた顔で老婆の方に目を向けた。

 だが、老婆はどう見ても自分の方を見ていて、これは明らかに自分に向けられているのだとやっと気がついた。

「え?何ですか?」

 何を言い出すのかと見ると老婆の足元に、ナンとかの母という看板を見つけて、そういう事かと合点がいった。

「……ああ、占い師さんですか。女難ですか…、一足遅かったですよ。先ほど盛大に頬を張られてきたんです」

 早く会えたところで、結果は同じだっただろうと思いタケルは苦笑した。

「いや、これからだ」

「え?」

 老婆の縁起でもない、恐ろしすぎる台詞にタケルの体は固まった。
 冗談にしてはキツすぎると思いながら、勘弁してくださいと言った。

「アンタ、女を泣かせてきたねぇ。それが全部返ってくるよ」

「や…やめてください。悪趣味な冗談は……」

「諦めな。もう始まってしまった」

 鳥肌が立ってきて逃げたいと思うのだが、雨は最高潮に強くなっていて、飛び込む決心がつかない。

「……でも、少し可哀想だね。苦労せずに女が寄ってきたもんだから、アンタ、誰かを好きになるってことも知らずに生きてたみたいだねぇ」

 タケルの心臓がドキリと鳴った。なぜだか老婆の言葉が耳について離れていかない。

「……誰かを……好きに……?」

「そうだ。それを知らずに死ぬのは悲しいだろう。ちゃんと人を好きになってみたいかい?」

 死ぬというワードに体がビクついたが、ここ最近のおかしな自分から、幼い頃の女の子に両側から腕を引っ張られて泣いている自分まで、頭の中で人生が走馬灯のように流れていった。

「………はい」

 気がついたら、口がそう動いていた。

「そうだね、次の世界ではちゃんと恋をして人を好きになるんだ。ただし、相手が女だとアンタはまたいつもの調子で適当になって遊び歩いてしまう、それじゃだめだ。今度は男を好きになるんだ」

「…………へ?……お、おっ…男?」

 また何を言い出すのかと、頭の中がからまってきた。やはり、ふざけているだけかもしれない。

 老婆がこれじゃと、懐から取り出したのは、男性同士の恋愛を扱った、そういう類いの小説らしい。派手な薔薇の表紙が見えた。

「この世界に転生してやろう」

「は?いや?なっ……いったい何を仰っているのか……、それは……あなたのご趣味の本では?」

「余計なことはいい!とにかく、今と同じ18の歳を迎える前までに、男と恋をして相手と結ばれること!私の力が及ぶのはそこまでじゃ。それが出来なきゃアンタの人生はまたそこで終わる」

「おい!ちょっといい加減に……!!」

 頭痛がして一瞬頭に手を当ててから、再び老婆の方へ目を向けると、驚いたことに今まで話をしていたはずの老婆の姿は跡形もなく消えていて、強い雨の音だけが残されていた。

「……なんだったんだ……今までのはいったい……」

 なんて、リアルな幻を見たのかと、寒気を覚えて両肩を抱いたタケルの頭に、また老婆の声が響いた。

 ¨体だけ繋げてもダメじゃ……ちゃんと好きになるんだ¨

 驚いて目を見開いたタケルの目に、もっと驚きのものが、雨の音を凌ぐ轟音となって飛び込んでくる。

 雨の中で光る二つのヘッドライトと、闇から生まれた白くて巨大な車体。
 雨でスリップしてコントロールを失った大型のトラックが、突然タケルの前に現れた。

 一瞬だった。

 世界の色も音も、一瞬で全てが奪われてしまった。

 それが現実世界でタケルが覚えている最後。

 タケルの人生の終わりだった。



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