炎よ永遠に

朝顔

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XXIX

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 何もなかった、そう思い込む事ができたら少しは楽になったのかもしれない。
 重ねた体の分だけ、俺の思いはもう体の深くに根付いていて、無かったことになどとてもできなかった。

 ミスリルに雑誌を見せられて、混乱していた頭がスッと冷えて状況が客観的に見られるようになった。
 自分の部屋に帰り熱いシャワー浴びながら、アルメンティスと女性が仲睦まじく歩く姿の写真を思い出していた。

 世界の金持ちや王族の息子達が集うこの学校にある神と天使の制度。
 階級制度を色濃く学ぶために設けられたとされているが、俺から見れば、それはある意味暴走しがちな若さを発散させるためだけのふざけた関係にしか思えなかった。

 ここで育った男達は卒業後はそれぞれの世界で活躍している。
 仕事上で付き合う事はあるかもしれないが、ここでやっていた神様制度なんてものは、外の世界に出れば通用しない。上下関係は変わりがないかもしれないが、それぞれが結婚し、次の一族を残していく。
 この制度が脈々と受け継がれているのだからそれを物語っている。

 もしくはアルメンティスの父親のように、天使との関係をその後の人生にも持ち込むやつもいる。結婚し子供を残して、義務は果たしたとばかりに妻子を追いやり、残りの人生を天使と暮らすことを選んだ。

 アルメンティスの知っている愛とは、そういう関係なのだろう。
 もしかしたら自分との未来を想像してくれて、父親のようにはできないと思い、距離を置こうとしているのかもしれないと思った。

 そこまで考えて頭を振った。
 俺が人に愛されるなんて、そんな前提で考えてはだめだ。

 俺はオジサンを殺した。
 その事実は変わらない。
 アルメンティスは本能的に危険な男だと察知して離れて行ったのかもしれない。
 それなら、俺は受け入れるべきだ。
 この御伽話のような楽園で少しだけ夢を見られたのだから……。

 ふと体に残った唇の痕が消えていることに気がついた。
 こうやって、一つ一つ消えていくんだ。
 いつかアルメンティスへの想いも………。

「……そうだよ。俺の願いは……あの人に愛されたかった……」

 シャワーの栓を止める力もなく俺は浴室に崩れ落ちた。
 熱いシャワーが身体中に雨のように降り注ぎ、その音しか聞こえない。
 聞こえないはずなのに、アルメンティスが自分の名前を呼んでいる声が聞こえてくる。

 レイ、レイ……

 綺麗な響きだと言ってくれた。
 君にぴったりだと言ってくれた。
 もう二度と名前を呼んでくれないかもしれない。

 愛されたかった……だって……。

「好きに……なってしまったから」

 こんな俺が誰かを好きになることなど許されないと思っていた。
 だけど、神の意に背いても、好きになることを止められなかった。
 だからこれはきっと罰だ。
 人を好きになってしまった、俺の罰なんだ。

 あの人の燃えるような赤い瞳に惹かれて、一緒に過ごすうちに、これでもかと優しくされた。嫌がった素振りを見せつつも、俺は嬉しくて…幸せでたまらなかった。
 誰かにこんなに求められることなど今までなかった。

 こんな状態で部屋に一人でいても眠ることなどできなかった。
 シャワーから出て衣服を身につけて一階へ下りた。もしかしたら、会えるかもしれない。そんな気がしたからだ。

 キッチンで喉を潤してから、しばらく立って飲み終わったグラスを見つめていたら、人が入ってくる気配がした。顔を上げると入り口にアルメンティスが立っていた。久しぶりにちゃんと見る顔は、少し見ない間にやつれたようで、目の下には隈があった。忙しすぎて寝れていないのかもしれない。

 俺の姿を確認するとアルメンティスは踵を返して出て行こうとした。

「ま…待て…、ここに用があるんだろ。俺が出ていくから……」

 声をかけるなと言われていたが、思わずかけてしまった。
 アルメンティスは無視することなく立ち止まってくれたが、俺の方を見てはくれなかった。
 そんな姿を見て胸が痛んだが、気づかないフリをして俺は横を通り過ぎた。
 しかし、どうしてもそのまま部屋に帰ることができず足が止まってしまった。

「ひとり…独り言ならいいだろう」

 俺がボソリとつぶやいた声にアルメンティスが僅かに動いたような気配がした。少しは気にしてくれていたら嬉しいと思った。

「食事は?ちゃんと食べてるか?忙しいみたいだな。目の下に隈もできているし…、休める時には休んだ方がいいぞ…それで…それで……」

 言いたい事はたくさんあったはずなのに、いざ話しかけたら言葉が上手く出てこなかった。

「……突き放したのに……。レイは俺のことを心配してくれるんだね」

 俺はその言葉を聞いて体がピクリと跳ねるように揺れた。
 アルメンティスに名前を呼ばれた。
 もう二度と呼んでくれないと思っていたのに……。
 だめだと頭ではブレーキをかけていたのに、想いが込み上げてきて止まらなかった。

「アルティ……俺……好きなんだ。前みたいに抱いてくれなくてもいい。普通に話せるだけで…十分だから側に……」

「だめだよ」

 俺が最後まで言葉を紡ぐことを拒否するように、アルメンティスの声が響いた。

「その気持ちには…応えられない」

 ドクドクと心臓の音が胸を揺らすほど鳴っていたのに、それが一瞬で消えてしまった。
 心臓の音だけじゃない。何の音も聞こえない。
 真っ暗な世界に落ちていくようだった。







「レイ…レイ、本当に大丈夫?」

 授業中もうわの空で全く集中できず、一日ずっと席に座ったままの俺を、心配したルザラザが声をかけてきてくれた。

「ああ、大丈夫だ」

 明らかに大丈夫じゃない枯れた声しか出せないし、笑って見せようとしても顔が引き攣って動かなかった。
 まともに、取り繕うこともできない。俺は本当にダメになってしまった。

「顔が真っ青じゃないか!もう見ていられない!俺、直接火の神に話に行くよ!レイをこんな風にして……許せない!」

「ルザラザ…いいんだ。もう話はついている。このまま、天使としては残してくれるみたいだから…それで……」

「レイ、今日の放課後さ、ボクと一緒に来て」

 ルザラザの後ろから話を聞いていたのか、ミスリルが現れて話に入ってきた。

「嫌だって言っても連れていくから。あと、お宅のもう一人の使えない天使にも伝えておくから気にしないで」

「えっ……なっ何を……」

 どこに連れて行かれるのか、ミスリルは答えてくれることなく教室から出て行ってしまった。
 有無も言わさない強い調子に、ルザラザと一緒に驚いて顔を見合わせた。

 よく分からなかったが、どうせ帰っても、天使としての仕事は全て取り上げられたのでやることもない。
 気分は最高に落ち込んでいて、ふらふら出歩きたくはなかったのだが、ミスリルの誘いに付いて行くことにした。







「……なんだよ。これ」

「こら!じっとしていて!この留め具だけでもゼロが何個付くかの価値が……」

「…いやいや…やめてくれ。そんなの付けるな、心臓に悪い」

 放課後、ミスリルに土の神の住居である土の棟へ連れて行かれた。
 ミスリルの部屋はワンフロア全部が自分の部屋らしく、そのほとんどが衣装部屋だった。洋服の自慢でも始まるのかと思えば、いきなり下着一枚にされて、次々と服を渡されて着替えさせられた。

「次はこれー!アラビアンなお姫様にしよう!この金細工ぜったいレイに似合うよ」

 俺はもう抵抗する気力もなく、されるがままに着せ替え人形になっていたが、ふと鏡に目をやるとギラギラした服を着せられてピエロみたいなメイクをされた自分が映っているのが見えた。

「ふっ……ふっはっ…ははははははっっ、何だよこの格好…、ひどいなぁ。これじゃお化けじゃないか」

「お化けって…!一応ボクのセンスが光った作品のつもりなのに!メイクは濃いめだけど可愛いのにぃ!!」

 俺の笑いは止まらなくなって腹を抱えて笑い続けていたら、ミスリルもつられて一緒になって笑った。
 笑いすぎて苦しかったけど、なんだか久しぶりに、ちゃんと呼吸をしたような気がした。



「少しは気持ちが晴れた?ボクはいつもむしゃくしゃした時、ひとりで着替えまくるんだ。そうすると気がまぎれるから」

 ミスリルと二人で沢山の服が床に散乱した部屋で、ヘンテコな格好で寝転んだら、ぐちゃぐちゃだった気持ちがどうでもよくなったように軽くなった。
 こんな風に心の切り替えをする方法は知らなかった。
 ミスリルは俺が落ち込んでいるから慰めてくれようとしたのだと気がついた。
 胸がほんのり温かくなった。

「……ありがとう」

 お礼を言った後、笑いを止めて真面目な顔で天井を見つめている俺を、ミスリルは様子を伺うようにじっと見てきた。

「レイ、ウチにおいで。ジェロームは火の神の言いなりで使えないし、天使のことをこんなに傷つける神なんて失格だよ」

「……アルメンティスは俺のことを考えてくれて……」

「違う!自分のことしか考えてない!ああいう本気になったことがないタイプは、いざ自分がそっちに傾いてしまうと怖くなって逃げ出す臆病者だよ。思い知ればいいんだ。大事なものを本当に失うことを!」

 ミスリルの声には感情がこもっていた。過去の残骸を舐めるように遠くを見つめる横顔は少し震えていた。

「ミスリル…。お前の気持ちは嬉しいが…、俺に選択権なんてない。嫌だから他の神にしますなんて都合がいいことは……」

「できるぞ。捨てる神がいれば拾う神もいる」

 変なことわざみたいなものが聞こえて、パッと起き上がると入り口に浅黒い肌の男が立っていた。相変わらず鋭い剣のような目つきをしているが、口元はニヤリと何か企むようにつり上がっていた。

「そういうことだよ、レイ」

 いつからそこに立っていたのか、カリアドの登場を待っていたかのように、ミスリルは寝転がったまま髪をかき上げて微笑んだ。

 よく分からない二人の組み合わせが揃ってしまい、一体どうなるのか予想もつかなかった。





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