炎よ永遠に

朝顔

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 離れた所にいてくれと思いながら、ゆっくりと個室のドアを開けた俺の願いは虚しく散った。
 二人はドアの真ん前にいたのだ。
 一人は壁にもたれながら立っていて、もう一人は座ってその男の股間に顔を埋めていた。

 これはもう明らかにアレの行為の真っ最中としか思えない。
 ゆっくりドアを開いていたが、驚いて手を外してしまった。

 キィィっと音を立ててドアが全開になった。立っている方の男の視線が俺に向かって伸びてきて、驚いて目を開いている俺とバチッと音が鳴るみたいに目が合ってしまった。

 浅黒い肌に派手な蜂蜜色の金髪、瞳は濃いグリーン、目鼻立ちがクッキリとした男らしい顔でどこかの誰かに似ている気がした。

「んんんっ…ごふっ…んん!!」

 男の股間に顔を寄せていた方が苦しそうに悶えたような声を出してゴクリと喉を鳴らした。
 俺は何が起きたのか察知して一気に顔が熱くなり、驚きの声を上げそうになったので、慌てて両手で口を塞いだ。

 男の視線はいまだ変わらず俺を捉えていて、早く逃げ出したいのだがタイミングが分からない。するとコトが終わったからか、下に屈んでいた方の男がもぞもぞと動き出した。

「んっ…カ…リアド様?どうされました?」

 男の視線が一瞬外れたので、これがチャンスだと俺は個室から飛び出してトイレから全速力で走り出た。後ろから、待てという声が聞こえたが、大人しく待つわけがない。
 おかげで手洗いもできず気持ちが悪いが、あんなところに一秒もいたくなかった。

「うわっ!レイ!!」

 廊下を曲がったところで、前から歩いて来たルザラザとぶつかってしまった。
 スピードを落としていたので、俺が軽く転がったくらいで事なきを得た。

「ど…どうしたの!?急に走ってきて……」

「ルザラザ、会談が終わったのか?ベストタイミングだ!よし、見送りに行くぞ!」

「そ…それが、カリアド兄さん。俺が書類にサインするので手間取ってたら、その隙に消えちゃって……いま探していたところなんだ…」

 まだ終わっていなかったのかと愕然としたが、俺はルザラザが言った言葉の中に信じられないものを聞いてしまい、もっと愕然となった。

「カリアド……、それって……」

「あれ?名前知らなかったの!?カリアド・ラジャ・ネル・ブラウハ・サイード。俺の兄だよ」

 ルザラザがそう言ってヘラヘラと呑気に笑った顔に、大きく違いはあるが先ほど見た男と同じ雰囲気を感じて胃のあたりがスッと冷えた。

「あっ、兄さん!どこに行っていたんだよ」

 呆然と立ち尽くしていた俺の後方に、どうやら件の相手を見つけたらしいルザラザは明るく声をかけた。

「……休憩だ。書類は書き終わったのか」

「うん、参ったよ。手続きにあんなにサインが必要なんだから、まぁ仕方ないけどねぇ…」

 二人が話しているが俺は体が固まったまま動かなかった。徐々に近づいてくる気配がして俺の背後から声が聞こえてきた。しかも、ポンと肩に手を置かれたので驚いてビクッと揺れた。

「それで?こいつはお前のツレか?」

「え?あ…そう、友人だけど。え?もう、どこかで会ったの?」

 振り向かずともこの低音ボイスは間違いなくあのトイレでお戯れだった男だ。
 このまま逃げ出すわけにもいかず、俺は油の切れたロボットがギギギっと音を鳴らすみたいに、体を後ろに向けた。
 やはりそこには、先程会った男が仁王立ちしたいた。
 背が高く肉食獣を思わせるギロリとした鋭い視線、本気で睨まれたらチビってしまいそうな迫力がある。そしてその隣には薄茶の肩まで伸びた長い髪の男が立っていた。こちらはエキゾチックな顔立ちでまるで女性とも見間違うくらいの美しさだった。

「俺の友人のレイ・ミクラシアンだよ、レイ、土の神で俺の兄のカリアド王子と、兄の天使のミスリルだよ。事情があって年上だけど兄は俺たちと同じ学年なんだ」

「……初めまして、レイ・ミクラシアンです。先程はお楽しみのところ失礼しました」

 まさかこんな形で出会うことになるとは、思ってもみなかった。絶対俺が悪いわけでないと思うが、王子様の向こうからしたら邪魔をした不届き者ということになりそうだ。
 こんな状況で天使になどありえないだろう。しかもお供に連れてきている天使は美しい人でとても同じ立場になどなれそうになかった。

「お前は先程覗いていた男だな。あぁいう趣味があるのか?」

 人がトイレに入ってる時に、確認もせずに勝手に始めたくせに酷い言い草だと思った。しかし、この学校のルールは上の者には従うこと。お願いする立場の俺が怒鳴り返すことなどできない。
 ここは黙っておくのが得策だと目を伏せた。

「ずいぶん真っ赤な顔をして汗だくだったじゃないか。俺がしゃぶられているのを見て興奮していたのか?ルザラザの友人は変態野郎だな」

 しかし、少しくらい言い返さないと俺は気が済まなかった。

「神というやつはトイレでヤるのか趣味なのか?」

「……なに?」

「個室が閉まってんの気づいていただろう。目の前なんだから。人に見られると興奮するのはそっちだろう。俺と目が合ってイったくせに、変態はどっちだよ」

 最後まで口にしてから、少しどころじゃなく言い過ぎたと気がついた。
 だから俺は不適格なんだと心の中でため息をついた。
 周囲に張り詰めた空気は真冬のように冷たく、ルザラザと天使とやらのミスリルも真っ青な顔をして口を開けて固まっていた。

 あぁまずい、やり過ぎた。すぐカッとなる俺の悪い癖だ。これじゃ天国がどうとかの問題じゃなく、この場で殺されるかもしれない。

 怒気を孕んだ空気を出しながら俺に近寄ってきたカリアドは、ガッと俺の胸ぐらを掴んで壁に強く打ち付けてきた。
 俺は首が締まり、背中に痛みを感じて苦悶の声を漏らした。

「調子に乗るなよ貴様……俺を誰だと思っている?サイード国の王子であり、学校では土の神と呼ばれる存在だ。この俺を愚弄するとは覚悟はできているだろうな」

「っつ……、…し…知るか。外じゃ誰だか知らないけど……、こん中じゃ……神なんて呼ばれても…同じ生徒だ」

 もう終わったと思った。今さら土下座して許しを乞うても無駄だろう。それならば、一噛みだけでもしてやろうと変な対抗心が出て止まらなかった。

 カリアドは俺のことをギロリと睨みつけてきた。間近での迫力に恐怖で震えていたが、俺は目を逸らさなかった。深いグリーンの瞳は冷酷な光を宿していたが、構わず見続けたら怒りというより別の感情が出てきたように揺れた。

「俺に殺されたいのか?」

「……それは……困る」

「なんだその答えは?威勢よく立ち向かってきたくせに」

「死にたいワケじゃない。本物の天国に行く前に偽物の方に用があるんだ」

 首が圧迫されながらも俺がはっきりそう答えたら、カリアドは目尻をわずかに動かした後ぱっと手を離した。やっと解放されて息を吸い込んだので、酸素が一気に肺に入ってきた。

「……なるほど。言葉選びが最悪だな。死にたいとしか思えない」

 カリアドの後ろでおろおろとしているルザラザの姿が見える。せっかく紹介してくれたのに申し訳ないと思いながら、俺は神の審判が下るのを待った。
 学校では同じ立場なんて偉そうなことを言ったが、ここでそれは通用しないのは分かりきっていた。

「……それでも。お前の目は気に入った。俺の天使にしてやってもいい」

「……は?」

 舌を引っこ抜けとか言われるのかと思っていたら、全く別の方向へ飛ばされて思考が追いつかない。

「なんだその返事は…。ここの天国へ行きたいのだろう。それなら泣いて懇願でもしてもらおうか」

「いや……それは……ちょっと」

 また心の声が漏れてしまって、カリアドにギロッと睨まれてまずいと思った時、予想外の方向に腕を引っ張られて、誰かの後ろに庇われるようにカリアドから隠されてしまった。
 そのわずかな瞬間に驚いた顔で目を開くルザラザとミスリルの姿が見えた気がした。

「探したよレイ。手続きを終えてわざわざ迎えに行ったのに部屋にいないんだから、君はいつもフラフラしているね」

 俺を庇うように前に立っている男には見覚えがあった。
 白銀の髪をなびかせて、長い三つ編みがふわりと風に浮かんだ。後ろ姿だから見えないがその目にはアメジストが光っているだろう。

「アルティ…」

「お待たせ子猫ちゃん」

 俺の方に振り向いたアルメンティスはいつもの軽い調子でふわりと笑ってウィンクしてきた。

「あ…あ…アルティ…って!!れれれっレイ!なんて事を……!!」

 ここでずっと固まっていていたルザラザが、もっと顔面蒼白になって走ってきた。

「なんて事って、がそう呼べって言ったんだ」

「ひひっひぃぃ………こいつ……なんて……」

 ルザラザは真っ白になって壁にもたれて座り込んだ。泡を吹いて気絶でもしそうな勢いだ。

「その通りだよ。俺が呼んでって頼んだんだ」

 アルメンティスが花でも咲かせそうな笑顔で微笑んだ。やけに機嫌が良さそうな顔だった。

「アルメンティス、お前がこんなところに何の用だ?この無礼な男と知り合いなのか?」

「無礼?それはお前の方だよカリアド。人のものを勝手に天使にしてやるなどと言っていたね」

「……どういう事だ?」

「レイ・ミクラシアンは、正式にアルメンティス様の天使になりました。本日正式に書類を提出し、受理されております。土の神といえど、他の神の天使を引き入れようとするなどはルール違反です」

 いつの間に現れたのか、ペラペラ喋りながら俺の横にさっと立ったのは見覚えのある男だった。あの聖堂での儀式の日、アルメンティスのことを呼びに来た男だ。手には巻物みたいな羊皮紙で書かれた書類を持っていて、胸の辺りでみんなに見えるように抱えていた。

「まあ、知らなかったと言うなら、許してあげてもいいけど」

 アルメンティスはそう言って笑っていたが、その笑顔には凍りつくような冷たさがあり、ぞわりと寒気がするほどだった。ここにいる全員が同じように受け取ったのだろう周囲の空気は一瞬して緊張の色に変わった。
 それは土の神であるカリアドも例外ではなかった。額からぽとりと小さな汗が流れて、申し訳ございませんと謝ったのだ。

 この何とも言えない凍りついた空気はなんなのだと俺はまた頭が絡まっていた。
 勉学はそれなりにできる方だが、こういう人間関係とかの空気を読むことが大の苦手だ。
 無敵の神であるはずのカリアドがなぜ謝ったのかさっぱり分からない。
 そこまで考えて、ん?と気がついた。途中から来た男が言っていた言葉。
 完全に聞き流していたが、あれは俺のことを言っていた…。
 俺がアルメンティスの天使に……。
 え……うそ。

「あ……その、聞いてもいいか?アルティは神……なのか?」

 気まずい静寂をぶち破るように、俺のアホ過ぎる質問がこの場に響き渡った。

「そうだよ、子猫ちゃん。やっと気がついてくれたね。俺が君の神だ」

 邪悪なオーラをプツリと消したアルメンティスは今度は面白そうに目を輝かせて、本当に猫を可愛がるみたいに俺の顎の下を撫で出した。

 またまた思考が追いつかなくて、されるがままに撫でられながら、こういう時はなんて言えば正解なのか答えを頭の中で巡らせたが、さっぱり分からなかった。
 誰かちゃんと説明してくれと思いながら、救世主の登場を待ったのだった。





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