死に戻り令嬢は橙色の愛に染まる

朝顔

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12、貴方の愛で染めてください

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「ウェイン……嘘、ウェイン!!」

「大丈夫、腕を切られただけだ」

 ウェインが刺されたと思ったミランダは、頭が真っ白になった。
 急いでウェインの状態を確認すると、手の甲から肘にかけてザックリとナイフで切られていた。
 ボタボタと血が流れていて、とても大丈夫な状態には見えなかった。

 自分の着ているドレスの裾を歯で噛んで千切ったミランダは、止血するために、急いでウェインの腕に巻きつけた。

「ま、待ってくれ。俺は少し、脅かして言うことを聞かせようと……」

 フランシスが持っていたナイフはすでに地面に落ちていた。
 今さら脅かそうと思っただけなどと言い訳をしても、通用するわけがない。
 騒ぎを見ていた通行人が兵士を呼んできて、フランシスはあっという間に取り押さえられた。

「ミランダ、ミランダ!!」

 フランシスが自分の名を呼ぶ声が頭に響く。
 ミランダはウェインの傷を押さえながら、フランシスを睨みつけた。

 やっと分かった。
 一度目の人生でミランダを時計塔から突き落としたのは、フランシスだった。
 橙色のドレスに薔薇の刺繍、あれはわずかに見えた手がかりで間違いない。
 ドレスを着ているから女性と思い込んでいたが、男が着ていたということもありえたのだ。
 そして、フランシスはあのドレスを着ていて、危害を加えようとしてきた。
 あの時のフランシスが、それほどミランダに執着していたとは思えなかったが、思い返せば、温室で腕を掴まれたこともあった。
 ようやく真相が分かり、その相手が捕まったことで、ミランダは心の底から安堵した。

「ミランダ! だめだ、だめだ……」

 連行されていくフランシスは、暴れながら何か訴えていたが、ミランダがフランシスの方を見ることはなかった。

「ウェイン、ウェイン、しっかりして。今、病院に連れていくから」

「ミランダは……だいじょう……ぶ?」

「私は平気よ。ウェイン、ごめんなさい」

「謝らない……で、ミランダを助けられ……よか……た」

 傷の痛みに苦しんでいたウェインは、荒く息を吐きながら目をつぶった。
 自分のためにウェインが怪我をしてしまったことに、ミランダの胸は苦く痛んだ。
 集まってきた兵士の助けを借りて、ウェインを連れて病院へと急いだ。





 ※※※




 窓から見えるの、小さな庭園だ。
 緑のアーチに、色とりどりの小さな薔薇が咲き誇っている。
 その上で飛んできた鳥達が待ち合わせをしていたらしい。
 遅れてきた鳥と楽しそうに会話をした後、一斉に飛び立っていった。

 その様子を窓辺に立って眺めながら、平和な光景に、ミランダは目を細めた。

「ごめん、通いの人が休みなんだ。すぐに飲めるお茶くらいしかなくて……」

 背中から聞こえてきた声に、ミランダは慌てて振り返った。

「ウェイン! 飲み物はいいって言ったのに! だめじゃない、重い物を持って歩くなんて!」

 銀のトレーにポットやカップを載せて、カタカタと揺らしながらウェインが部屋に入ってきたので、ミランダは急いで横から支えた。
 部屋の中央にあるテーブルに置くところまでできたら、安堵の息を吐いてしまった。

「もう、それほど痛まないから大丈夫だよ。医師からも、普段の仕事くらいなら問題ないって言われたし」

「それがだめなの。ウェインはすぐ無理をするから。ほら、座って。私が用意する」

 動き回ってばかりのウェインを座らせて、残りはミランダが用意した。
 ありがとうと言って、カップからお茶を飲んだウェインを見て、ミランダはホッとしてしまった。
 この一カ月、色々なことがありすぎて、目まぐるしい日々だった。

 暴挙に出たフランシスは、殺人未遂の罪で罪人島に投獄された。
 オリバーノース家の力で、少し経てば釈放されると思うが、その場合も、外国の病院に入れられると連絡があった。

 フランシスとアリアの婚約は当然破棄された。
 それはすごい騒動になったらしいが、ミランダはウェインの治療で病院に泊まり込んでいたので、詳しくは知らない。
 ウェインの左腕の傷は思っていたよりも深く、傷が癒えても、元通りには動かせないだろうと言われていた。
 かなり血も流れてしまったので、回復に時間がかかり、ひと月ほど入院して、一昨日やっと退院したところだった。

 その間に起きたのは、フランシスのことだけではなかった。
 婚約が完全に破棄となり、大荒れになっていたローズベルト家に沸き起こった新たな問題は、継母エルティナの浮気だ。
 かつて所属していた劇団の、若い劇団員と不倫関係になり、手切金なのか知らないが、満足な金を渡さなかったとかで、男がローズベルト家に抗議にやってきたのだ。
 どうもガラの悪い連中と付き合いがあるらしく、そういった者達も引き連れて来て、連日邸の前で大騒ぎだったようだ。
 父親は何とか金で解決したらしいが、エルティナとは離婚、アリアとともに二人を家から追い出した。
 アリアは自分の信者だった三人令嬢を頼ろうとしたらしいが、なぜか彼女達の家の事業が悉く失敗して火の車状態に陥っていて、それどころではなく、エルティナとアリアは田舎へと引っ越して行った。
 最後は侍女のエラだが、邸のお金に手をつけたことがバレて、彼女もクビになった。

 というわけで、ウェインの入院に付き添っている間に、大変な事態になり、退院する頃にはすっかり落ち着いているという状況に、ミランダは悪夢から解放されたような気分だった。

「何を見ていたの?」

「庭園よ。薔薇が見事に咲いているから。よく手入れされているわね。通いの人?」

「そうだよ。母と縁のある夫婦で、ここに住む時に、ぜひ何か手伝わせてほしいって言われて、来てもらうことにしたんだ」

 ウェインの母親は、ウェインを産んでから間もなくして亡くなってしまったらしい。
 ウェインの目が悲しげに細められたのを見たミランダは、胸が痛くなった。

「母は薔薇が好きだったからって植えてもらったんだ。ごめんね、ミランダは薔薇が苦手だったよね」

 ウェインにその話をした記憶はないが、きっと父からでも聞いたのだろうとミランダは思った。

「苦手だったけど、最近は好きになってきたわ。それに、ウェインのお母様が好きだった花だもの。美しい庭園が見られて、嬉しかった」

 ウェインが今住んでいる家は、町から少し離れた郊外の住宅地にある。
 叔父の家から独立したウェインは、見晴らしの良い場所に家を買った。
 退院後の様子を見るのも兼ねて、ミランダはウェインの家を訪れた。
 いつもウェインがローズベルト家に来てくれたので、初めての訪問だった。
 ウェインの家は、白壁が美しい二階建ての可愛らしい家だった。
 一目で好きになったミランダは、結婚後はこの家で暮らしたいと考えてしまった。

「ミランダがよかったら、結婚後はこの家で住まない? 町まではローズベルトの家よりも近いし、仕事場へもすぐに行けるよ」

「私も今それを考えていたの! 嬉しい! ここで暮らしたいわ。外観も玄関ポーチも可愛いし、窓の形まで、私の好みにピッタリ。こんな素敵なお家に住んでいるなら、早く連れて来てくれたらよかったのに」

「気に入ってくれてよかった。俺も初めて見た時に、ミランダのイメージがしてこの家に決めたんだ。明るくて、可愛くて、風が通り抜けて爽やかで」

「私ってそんなイメージなの? ちょっと恥ずかしいな。でも、ありがとう。嬉しいわ」

 こんなに何もかも上手くいって、幸せでいいのだろうかと思ってしまう。
 死の運命から逃れることができたご褒美みたいなものかもしれない。
 そうだったらいいなと思いながら、ミランダは笑った。

「今日、ミランダに見て欲しいものがあるんだ。奥の部屋なんだけど、一緒に来てくれる?」

「ええ、もちろん」

 立ち上がったウェインは、ミランダに右手を差し出してきた。
 ミランダはその手を取って、ウェインと一緒に歩き出した。

「俺の母さんはね、まだ俺がお腹にいる時、生まれてくる子は絶対女だって思っていたらしいんだ」

「まあ。でもウェインは男の子だけど、私よりもずっと可愛くて綺麗だし、お母様の予想も完全に間違いではなかったわね」

「母はね、おかしいんだけど、本当に女の子だって信じていたから、ウエディングドレスまで用意してしまったんだ」

「ええっ、それはずいぶんと気の早いことね」

 廊下の突き当たりの部屋の前で止まり、ウェインがドアを開くと、部屋の中から光が溢れ出した。
 眩しくて、軽く目を閉じたミランダだったが、部屋の中央に置かれた物が目に入って、今度は目を大きく見開いた。

「こ……これは……」

 そこには純白のウエディングドレスが飾られていた。
 それを見た、ミランダの心臓はドクドクと音を立てて騒ぎ出した。
 この鼓動の変化が何を意味しているのか、分からなかったミランダだったが、無意識に目線を下に移動させていた。
 ドレスは胸元にわずかなレースの飾りがあるだけのシンプルなものだった。
 スカートの裾にも刺繍はなく、後からアレンジできるようにしてあるのか、布を切っただけの状態だった。
 処理が荒いので、急いで切り取ったようにも見えた。

「母が用意してくれていたドレスだよ。飾りが全然ないけど、それは好みで後から加えられるようにしてあるみたい。ミランダ? 大丈夫? 何か驚いているみたいだけど……」

「このドレス、見たことがあるような気がして……」

「母は流行に左右されるのを嫌う人だったみたいで、よくあるデザインのものにしたみたい。だから、きっとミランダも、何かで目にしたことがあるんじゃない?」

「そ……そうね、きっとそうだわ」

 騒がしい鼓動を打ち消すようにドレスに近づいたミランダは、直接触れて感触を確かめてみた。

「少し、丈が短いのね。でも、裾に刺繍を入れてその下にレースをあしらえばとっても素敵になりそう」

「気に入ってくれた? それで、もしよかったらこれを……結婚式でミランダに着て欲しいんだ」

 頭に靄がかかったみたいになっていたミランダだったが、ウェインの言葉にハッとして顔を上げた。

 ウェインは笑っていた。
 いつもミランダを楽しませようとしてくれる時の、ウェインの顔をしていた。
 その顔を見たら、身体にまとわりついていたものが消えていく気がした。
 息を吐いて首を振ったミランダは、ウェインに笑顔を返した。

「もちろん。ウェインの幸せを願ったお母様の思いを無駄にはできない。私でよかったら着てもいいかしら?」

「うん! 嬉しい! ありがとうミランダ」

 そう……
 ウェインはいつだって見守っていてくれた。
 一度目の死、自分は塔から突き落とされた。
 そう思っていたけれど、記憶にあるのは自分が落ちていく場面と、手を伸ばしているドレスを着た人物だけ。
 何を考えていたかは記憶にない。
 あの絶望的な状況で塔に上ったということは、自分から全てを終わらせようとしたのかもしれない。
 突き落とされたと思い込んでいたが、あの手は、助けようとして伸ばされたものだとしたら……

 そう、きっとそうだ。
 ずっと靄がかかっていたが、ようやく光が差し込んで見えた気がした。
 
 近づいてきたウェインにふわりと抱きしめられた。
 ウェインの温かさを感じて、ミランダはもう迷わないと心に決めた。

「少し外を散歩しない? 近所に景色のいい公園があるんだ。籠にパンとジュース入れて、ピクニックをしよう」

「いいわね、体は大丈夫なの?」

「正直いうと、ずっと寝ていたから、体を動かしたくてたまらないんだ。無理はしないから」

 微笑んだウェインに手を引かれて、二人で部屋を出ることになった。

「ねぇ、ウェインって、とんでもなく一途だったりする?」

「そうだよ。一度好きになったら、ずっと好きなままで、他のものなんて見えない」

「まあ、素敵ね」

「そうだ、刺繍はどうする? ミランダの好きなのを入れていいよ」

「そうね……」

 ドアの前で振り返ったミランダの目に、ウエディングドレスが映った。
 純白のドレスは光を浴びてキラキラと輝いていた。

「薔薇にするわ」

「え……薔薇?」

「だって、このドレスには薔薇が一番似合う気がするんだもの」

 一瞬表情が固まって、少し驚いた顔になったウェインだったが、すぐに分かったと言って微笑んでくれた。

 ミランダにとってこれは二度目の人生、けれどここから先は、まだ歩いたことのない道を行く。
 隣にウェインがいることが、この上なく嬉しかった。

「ウェインと一緒だと、楽しいことばかりで退屈しないわ」

「これからも、きっとそうだよ」

 一途で可愛くてカッコいいウェイン。
 その深い深い愛情で私を染めて、いつまでも包んでほしい。

 あなたが何度も私を助けて、ずっと愛してくれたように……
 今度こそ、その想いに応えるために……

 手を繋いで見つめ合った二人は、静かにドアを閉めた。
 

 


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