死に戻り令嬢は橙色の愛に染まる

朝顔

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3、もう婚約者はいりません

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 オリバーノース侯爵家と、ローズベルト子爵家の間には、曽祖父の時代に交わされた約束があった。
 当時オリバーノース家は大金を注ぎ込んだ事業が頓挫し、事業の資金繰りで困っていた。
 そこにローズベルト家が支援を名乗り出たことで、危機から救われた。
 今では巨万の富を築いているオリバーノース家だが、その時の恩があり、いつかお互いの子孫で歳の近いものがいれば、結婚させようと約束が交わされた。
 そしてついにその約束は実行に移されることになった。

 オリバーノース侯爵家の次男フランシスと、翌年に生まれたローズベルト子爵家長女ミランダの間に、婚約が交わされた。
 お互いの両親は、これで先祖の願いが果たされると胸を撫で下ろしたと聞いた。
 もちろん本人達の意向など関係はなく、家同士の約束として、ミランダは生まれた時に、すでに将来の結婚相手が決まってしまった。

 お互いの顔を忘れないようにと、年に一度は会食の場が設けられて、半年に一度は手紙を送り合うように決められた。

 赤ん坊の頃は覚えていないが、子供の頃、フランシスと会っていた時のことをミランダは覚えている。

 王家の血筋でもあるオリバーノース侯爵家は、王国に古くからある由緒正しき家柄で、ブルーシルバーと呼ばれる、青みがかかった銀髪の子供が生まれるのが特徴だった。
 フランシスもその特徴の通り美しい銀髪で、幼い頃から鍛えていたので、子供ながらに精悍で男らしい顔つきをしていた。
 将来は騎士を目指していて、その勇敢な姿に周囲は期待をしていると父が饒舌に誉めていたのを思い出した。

 男らしい彼の姿に、ミランダも憧れを抱いた時期があった。
 手紙を読んでは頬を染めて、早く会いたいと胸に手を当てた。
 いつも書体が違ったので、忙しいフランシスは、自筆ではなく、代筆させたのだろう。
 それでも一文字一文字に、心がこもっていると思い込んで、気遣いの言葉に涙したこともある。

 しかしそんなミランダの想いは、粉々に打ち砕かれた。
 夏の始まりの頃、雨上がりの蒸し暑い日。
 ローズベルト家の庭園にある温室で見た光景を忘れない。

 じっとりと汗が肌に張り付いて、生温かい空気が身体にまとわりついた。
 その瞬間、ミランダの胸にあったもの全てが不快なものに変わった。

 彼だけはと信じていたのに……



 胸に広がった痛みを思い出してミランダはペンを持つ手を止めた。

 ローズベルト邸の図書室で、静かに書き物をしていたが、一人になって物思いに耽ると嫌なことばかり思い出してしまった。

「だめね……しっかりしないと。まだ今は起こっていないことばかりよ。今度こそは、囚われないで生きると決めたじゃない」

 十九のミランダは、何者かに塔の上から突き落とされて死んだ。
 その時の記憶はぼんやりしていて、はっきりと自分を突き落とした人間を確認することはできなかった。
 そこに至るまでの記憶も曖昧だ。
 誰かに呼び出されたのかもしれないが、なぜ塔の上にいたのか思い出せない。
 何を考えていたのかも不明だ。
 手がかりは不鮮明な光景のみ。

 そして、気がつくと十歳の頃の自分に戻っていた。
 これは人生のやり直し、何度も夢だと考えたが、覚めることなく続く現実に、ミランダはそう考えることにした。
 ミランダが十歳に戻ったのが昨晩のことだ。
 翌朝、エラが自分を起こしにきたことで、本格的に二度目の人生が始まったと思うようになった。

 朝食を食べて身支度を整えた後、侍女のエラに鍵をもらって、ミランダは図書室に閉じこもった。

 まずは状況を整理して、今後の予定を立てるためだ。

 ミランダは紙に線を引いて、記憶している限りの、今後の出来事を記入した。
 どれを見てもため息が出そうなくらい、父の言いつけを守って行動してきたことばかりだった。
 父からもらえない愛情。
 言う通りにすれば、いい子にすればきっと、父は自分を見てくれるはずだと思ってきた。

 しかし結果はひどいもので、こんな生き方をしていては、ダメだと言うことが一目瞭然だった。

 だったら家出でもして完全に縁を切ることも考えたが、その案にはバツを付けた。
 最終的な目標にしてはいいが、今はまだ子供で、何不自由なく生きてきた貴族の娘だ。
 そんな状態で飛び出しても、生きる術を知らず飢え死にする未来しか見えない。

 女性の事業家は増えてきたと聞くが、まだまだ男性社会で女性の地位は低い。
 悲しいことに現実としては、まだアリアの方が、逞しく生きていける素質を持っている。
 今の自分ではダメで、力をつけなければと考えた。
 それならば、貴族の令嬢であるという立場を利用して、しぶとく生き残る術を探すべきだと考えた。
 そういう意味では、まだ父親の言うことに従わないといけない場面はありそうだ。
 しかし重要な分かれ道では、自分の意思で進もうとミランダは再確認した。

「問題は婚約ね……」

 自分がなぜ殺されたのか。
 それを考えたところで思いついたのは、妬みだった。
 今でも人々から注目を浴びているフランシスは、成長するにつれてどんどん令嬢達から注目を浴びるようになる。
 ミランダが婚約者として隣にいることを、気に食わないという令嬢はたくさんいた。
 実際にひどい言葉を浴びせられることもあったし、ひどい噂を流された。
 もしフランシスのことで恨みを持った誰かが、衝動的に背中を押したとしたら、それは考えられないことではなかった。

「早いうちにフランシス様から離れておくのが得策ね。お父様が帰ってきたら、婚約を破棄してもらいましょう」

 もちろんこんな大反抗を父親が許すとは思えない。
 これは長期戦で挑む覚悟でいかなければと考えていた。

 ミランダは自分の手首を見つめた。
 フランシスが手首を掴んだ時の感覚が、時を戻った今も残っている。

 待ってくれ、行かないでくれと言っていたフランシスの後ろで、笑っていたアリアの顔は鮮やかな記憶となって残っている。

「……もう、あんな思いは二度とするものですか」

 怒りが込み上げてきて、ミランダは計画書に書いていたフランシスの名前に触れた。
 あんな男に、心を奪われてなるものかと、ペンを持ったミランダは、フランシスの名前を塗りつぶした。


 決意に燃えるミランダの元に、アリアと継母が帰ってきたのはそれから二週間後だった。
 優雅に馬車に乗って帰ってきたアリアと継母のエルティナは、山のように買い物をしてきたらしく、朝からたくさんの箱が玄関に積まれていた。

「あぁ暑い、王都の気候は体に合わないわ。やっぱり、セラフの気候は最高だったわね」

 扇を仰ぎながら継母が玄関から邸に入ってきた。
 そんなにこちらが嫌なら、ずっと田舎にいてくれてもいいのにと思いながら、ミランダは使用人達の横に並んだ。

「宝石やドレスや玩具はたくさん買ってもらえたけど、パーティーばっかりでアリア疲れちゃった。でもお友達がたくさんできて、楽しかったの。みんなが戻ってきたら、早速パーティーを開こうと思っているの」

 侍女と楽しそうに話しながらアリアが入ってくると、邸の中は一気に花が咲いたように明るくなった。
 無邪気に笑うアリアは輝いていて、誰もが眩しそうに目を細めて見ていた。

「あら、お姉様。お久しぶりです」

 わざとらしく今気がついたという顔で、ミランダの前で足を止めたアリアは驚いて見せた。
 池に飛び込んだ件の後から、ミランダとアリアは直接話していなかったので、その場にいた者達に緊張が走ったのが分かった。

「いけない……、お姉様にドレスを買ってくるのを忘れてしまったわ。こちらで嫌なことがあったから、忘れたくて夢中になって……私ってば自分のことばかり……本当にごめんなさい」

 早速、大勢の前で、アリアの天性の才能と言うべき可哀想な妹の演技が始まった。

 過去のミランダは、この時、傷ついた顔で気にしないでと言った。
 ずっと閉じ込められていたのだから、少なくとも父は自分に何か買ってきてくれているかもと儚い期待を抱いていたが、父は向こうでも仕事をしていたらしく、結局買い物三昧を楽しんだのはアリアと継母だった。

 アリアはまだ八歳。
 いくら場数を踏んで背伸びしていたとしても、中身が十九のミランダからしたら、子供の嫌がらせなどに、いちいち傷つくことはなかった。

 ミランダはニッコリと微笑んで鼻を鳴らした。

「別に構わないわ。それよりお父様はどちらに?」

「え?」

「話があるの。父と話したいのだけど……」

 ミランダが泣くか、アリアと喧嘩になると思っていた使用人達はみんな驚いた顔になった。
 アリアも全く興味がないという予想外の反応に、大口を開けて固まっていた。

「あ……あの、旦那様は取引先との打ち合わせで……終わり次第帰宅されるかと」

「そう、戻られたら教えてちょうだい」

「か、かしこまりました」

 ミランダの問いには、執事長が答えた。
 長く生きてきた彼も、ミランダの突然の変化に驚いた様子だったが、やはり一番先に頭を切り替えて反応してくれた。
 執事長はほぼ父親の専属の様な立場なので、過去にあまり関わったことはないが、何か頼むなら彼がいいかもしれないとミランダは考えた。

「あぁそうだ。言い忘れたわ」

 ミランダが振り返ると、異様な空気を感じたのか、先に歩いていた継母が戻ってきて、アリアの隣に並んでいた。

 今は非力な十歳の自分だが、この二人に宣戦布告をしておくのもいいかもしれないとミランダは考えた。

「エルティナ、アリー、おかえりなさい。二人が帰ってくるのを、心待ちにしておりましたのよ」

 ひどい言葉を浴びせられて、小さくなっていた過去の自分ではない。
 これからは、手に負えない反抗娘として、たくさん暴れてやるとミランダは微笑んだ。

 とても十歳には見えない、妖艶な微笑みに、継母もアリアもビクッと肩を揺らして、口を引き攣らせた。

 エルティナをお母様と呼ばないのも、アリアをわざと市井で呼ばれていたアリーと呼んだのもその一歩だ。

 鋭い視線を二人に投げかけた後、ミランダはドレスの裾を翻して二人の前から立ち去った。

 むざむざと二人に全てを奪われて、誰かに殺される運命なんて絶対に嫌だ。

 新しい自分として、噛みついてでも生きてやると思いながら、ミランダは足を進めた。
 振り返ることなく、堂々と姿勢を正しながら歩いていくミランダの姿を、誰もが言葉を失って眺めていた。




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