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黄色くて丸い幸せ(葵)
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「七瀬?大丈夫?」
投げかけられた声に七瀬はハッとして顔を上げた。
いつの間にか眠ってしまっていたのだろうか。長い夢を見ていたような気がした。
「遠出したから疲れちゃったかな」
「ごめんなさい、ぼんやりしてました。なんの話でしたっけ?」
「ああ、遥斗くんは、あれから何か変化はあったのかなって話だよ」
そう言ってハンドルを回しながら葵は穏やかな顔で同じ質問をしてくれた。
「ええ…と。変わりないですね。彼女と仲直りもしたみたいだし………」
「そうかー。七瀬に近づく男がいると匂わせても反応なしか……。これはなかなか手強いかもな」
「あっ!…ここでいいです」
「いや、前まで送るよ」
今日は葵に誘われて、海沿いのレストランでランチをしてきた。授業は午後からだったので、七瀬は車で送ってもらったのだ。
「おっ…と!あぁ…ごめんね。赤信号だ」
大学の正門へ曲がる道で自転車が飛び出してきて葵はブレーキを踏んだ。スピードは出ていなかったので、たいした衝撃はなかったが、そのせいで信号は赤に変わってしまった。
「今日はありがとうございました。とても素敵なレストランでした。ランチも美味しかったです。話を聞いてもらってごちそうまで…本当にすみません」
「いいよ。こっちに帰って来て遊んでくれる友人もいないからさ。実は七瀬と過ごす時間が楽しみなんだ。まぁお姫様は王子様に夢中だけどね」
そう言いながら、悪戯っぽく笑った葵の顔がなんだかとても眩しく感じた。
「次の作戦を練らないとなぁ…。あっ、週末は会えるかい?ちょっと付き合ってもらいたいところがあって」
「ええ…いいですよ。特に予定もないし」
信号が青になったので車はすぐ手前で曲がって、正門前に付けてもらった。
「じぁこれで。送ってくれてありがとうございました」
七瀬は丁寧にお礼を言ってから車を出てドアを閉めた。そして去っていく葵の車を見送った。
「七瀬!やだぁ!イイ感じじゃん」
どこかで見ていたのか、タイミング良く背中に声をかけてきたのは相模だった。
「イイ感じって…、ちょっと食事に行ってきただけだよ」
「大事大事!そういうの大事!七瀬は片思いばっかりで、遥斗もそうだし、あまり誰かに大切にされたことないでしょ。でろでろに甘やかしてもらいなよ。そろそろそういう一歩が必要じゃない?遥斗なんてバカは忘れてさ」
気持ちは嬉しいが、そもそも葵とは遥斗の気を引くために手を組んでいるだけに過ぎないのだ。その辺のことを相模に話すのはよけいに心配をかけそうで気が引けた。
「そう、簡単に忘れられないよ…。でも、そうだね。これからのこと考えるきっかけにはなるかもしれない」
七瀬がそう言って微笑むと、相模はポンポンと頭を撫でて慰めてくれた。
「七瀬は弟みたいだからさー、放っておけないんだよね」
相模のような兄がいたら最高だと七瀬も思った。そんな風に言ってくれる優しさが素直に嬉しかった。
大教室に入ると、やはり遥斗は彼女の隣に座っていた。喧嘩して仲直りしてを繰り返しているようだが、寄り添って笑いながら話している二人はとても仲が良くてお似合いに見えた。
いつもの定位置は教室全体が見渡せてしまうので嫌でも目についてしまう。
お腹の中にぐるぐるとする黒いものを感じて七瀬は目を閉じた。
あの二人の世界まるごと消してしまいたかった。
目の前に並べられた色とりどりのスイーツを見て、七瀬は言葉が出てこなかった。
ホールケーキにカップケーキ、マカロンにパフェにパンケーキ、ドーナッツにアイスまで、目がチカチカしてきそうだった。
「……まさか、甘いものが嫌い……とかはない…よね?」
「好き……ですけど」
「良かった!その見た目で食べられませんって言われたらショックだったよ。甘いものを頬張っている七瀬とか最強の組み合わせでしょう」
「そう…ですか…」
週末、葵に連れてこられたのは、最近できたという期間限定のカフェで、様々なスイーツが取り揃えられているらしく、大学の女の子達が話題にしていた場所だった。
「実は仕事でここの宣伝を担当していてね。市場調査も兼ねて来たんだけど、何しろ俺は甘いものが苦手でさ。それに、ターゲットは高校生から二十代だから、ぜひ七瀬の感想を聞いて参考にしたいと思って」
今年三十歳になるという葵は、七瀬も名前を知っている企業に勤めていて、仕事はざっくりマーケティングをしていると聞いていたが、まさかこの店を担当しているとは思わなかった。
確かに見た目は甘いマスクの葵だが、この店の内装は壁一面がどピンクで、七瀬が座っているのは同じくピンクのふわふわのソファーだ。食器類は水玉で統一されていて、男の自分が住む世界とは違い過ぎて目がくらくらするくらいだ。
こんな甘ったるい世界は葵とはまったく結びつかない。
「ああ、びっくりした?俺がこんな店を担当していると思えないだろう。食器はニューヨークのアーティストがデザインしたもので現地で見て一目惚れしたものなんだ。この世界観にぴったりだろう」
「なかなかこの世界観が分かる男子はいないと思いますけど…仰ることはなんとなく…。可愛いものが好きなんですか?」
七瀬がそう聞くと、葵は涼しげな目元を細めて微笑んだ。
「そうなんだ。家なんて大きな犬のぬいぐるみが玄関でお出迎えしてくれるからね。ふわふわしたものや、可愛いものには目がなくて、あっ、ふわふわしていて可愛いかったら最高だね」
葵は顔のまわりに花でも咲かせているみたいに目をキラキラとさせて、七瀬のことを嬉しそうに見つめてきた。人とは分からないものだ。スマートで完璧な大人の男性に見えた葵にもこんな趣味があったのだ。悪い気はしない、むしろ完璧すぎて少し近寄り難かった雰囲気は一掃されて今までよりもずっと近くに感じた。
「へぇ、もしかしてその子に名前とか付けたりしているんですか?」
「ああ、ぬいぐるみ?うん、アレキサンダーだよ」
ふわふわ可愛いぬいぐるみにしては思わぬ勇ましい名前におかしくなって七瀬はクスクスと笑った。
「…良かった。やっと笑ってくれたね」
「え…?」
「これでもどうやって七瀬を励まそうか色々と考えたんだよ。ずっと沈んだ顔をしていたから、君の笑顔が見たかったんだ」
自分はどれほどひどい顔をしていたのだろう。心当たりはあり過ぎる。どこか悩んでいる風だった遥斗は、急に吹っ切れたようで彼女と旅行に行くんだと大騒ぎしていた。
と同時に、なぜか七瀬には一切関わらなくなり避けているようにも見えた。
心が引きちぎれそうだった。痛くて痛くてたまらなかった。
もしかしたらほんの少しでも自分に傾いてくれるかもしれないと思っていた気持ちは砕け散った。
やはり自分はただの友人だったのだと、七瀬は思い知ったのだった。
あのあと、お店のスタッフも一緒になって、スイーツを堪能した。
アンケートを書いたり、SNSでの宣伝を手伝ったりしながら大人数でわいわい過ごしていたら、もやもやした気持ちを考える暇もなくあっという間に時間は過ぎていった。
「すみません、家まで送ってもらって、また夕食までご馳走になって……」
ギギっと音を立てて車をパーキングに止めた葵は、優しい目をして七瀬を見て微笑んだ。
「いえいえ、こちらこそ。色々と手伝ってくれて助かったよ。やっぱり若いコの意見は参考になるね」
「そんな…葵さんだって、十分若い人に入ると思いますけど……」
「いやいやぁ、もっと若ければって思うときはいくらでもあるよ。例えば気に入ってる子をどうにか振り向かせたくてしょうがないけど、若さが背中を押してくれないとか……ね」
オーバーなリアクションで頭を抱えて悲しそうな顔をした葵は、七瀬も目が合うといたずらっ子のような目をして笑った。
「え…葵さんにもそんな人が?」
「いるよー。俺のもろ好みのタイプでさぁ。でも他に好きな男がいるんだよね」
葵に意味ありげな目で見つめられた七瀬は、まさかという考えが浮かんで心臓がどきりと鳴った。
「え……もしかして……それって……」
「そうだよ。俺だって聖人君子じゃないんだ。好きな子が弱っていたらつけこみたくなる。どうにかして自分のことを意識して欲しい」
「葵さ……」
「七瀬……、君が好きな人しか見てないのは知ってる。だけど、今だけ……今だけ俺のこと見てよ」
七瀬は魔法にかかったみたいに動けなかった。いつの間にか葵の顔が近づいてきて、ゆっくりと唇が重ねられた。
一度離れて七瀬の様子を見た葵は、七瀬が呆然として動かなかったので、今度は七瀬の下唇を吸って口が空いた隙間に舌を入れてきた。
最初は遠慮がちに入ってきて、そのまま七瀬の舌に絡ませてぴちゃぴちゃと音を立てて舐めてきた。
せり上がってくる甘い感覚に我に返った七瀬は葵の肩を掴んで押し返した。
激しく迫られている気がしたが、意外と葵はすぐに離れてくれた。
「…………ごめん」
「………帰ります」
葵の顔が見られなかった。下を向いたまま七瀬は自分の鞄を掴んで車を出てマンションまで走って帰った。
後ろを振り返ることは出来なかった。
信じられなかった。
葵の好意と突然のキスではない。
嬉しいと思ってしまった。もっと続きを求めるような気持ちまで見えてしまい七瀬は震えた。
遥斗でいっぱいだったはずの七瀬の胸に、葵という滴が落ちてきてあっという間に色をが変わっていく。それは恐ろしくて、震えるほど気持ちが良かった。
□□
「ちくわの天ぷらもーらい!」
天ぷらうどんのちくわが箸に捕らわれて、相模の口に消えていくのを七瀬はぼんやりと見ていた。
「本当に食べちゃった。七瀬、ぼけっとしすぎだよ。ほらお詫びに俺のかんぴょう巻きあげる」
「……ありがとう」
相模は自分の昼食のかんぴょう巻きを一つ、うどんつゆに浮かんだかき揚げの上に乗せてきた。
嬉しくないお詫びにいつもなら声を上げて怒るところが、七瀬はやはりぼけっとお礼を言った。
「マジで何があったんだよー!ここ一週間ずっとそれじゃん!遥斗のバカは休みまくりだし、みんなどうした!?」
あの葵とのキスでの別れの後から、七瀬は消化しきれない思いを抱えてぼんやりすることが多くなってしまった。
遥斗は週末彼女と旅行に行ったらしいのだが、週が明けてからも二人して休みが続いていた。
「海外でも行ってるのかな…。珍しいよね、こんなに休むなんて……」
七瀬も相模も何度か連絡を送ったが、既読にすらなっていなかった。何かあったのだろうかと心配になっていたのだ。
その時学食の入り口が騒がしくなった。遥斗が彼女と一緒に入ってきたのだった。
すぐに友人達に二人はかこまれて、休みの理由を質問を聞かれていた。
「遥斗、休みすぎじゃん!海外旅行かよ」
「ちげーよ。こいつの親父にぶちギレられて大変だったんだよ」
聞こえてきた話によると、遥斗の彼女はかなりの箱入り娘で、父親は有名企業の社長だったらしい。どうも親に内緒で旅行に出掛けたようで、それがバレてトラブルになってるとかなんとか、そんなくだらない話だった。
「あほくさ。心配して損したわ」
対面に座っている相模が、ため息混じりにお茶を飲み干した音が聞こえた。
そのまま友人グループと話し込んでいる遥斗には、声をかけられそうにない。
七瀬が残りの食事を流し込んで、相模が行こうかと行ったのでそれに頷いた。
「そういえばあいつの話聞いた?ほら、一年のうるさいやついるじゃん」
食器を片付けていると、遥斗のグループの話が漏れ聞こえてくる。
「あいつ、男と付き合ってるんだって」
ふと聞こえてきた話題に、七瀬の手が止まった。
「マジでー、キモ!」
バカにするような言葉と何人かが笑う声が聞こえて、最悪の気分になる。
ちらりと見たら、遥斗は下を向いていて、表情が分からなかった。
「遥斗もそう思うだろ?」
誰かの言葉に七瀬の心臓は縮むようにきゅとなった。遥斗の返事など聞きたくなかった。あの高校生のときの悲しい思い出が頭にぐるぐると回りだして、七瀬は走って食堂を飛び出した。
会いたくなった。
あの広い背中に抱きしめられて、なんでもないよと、大丈夫だよと慰めて欲しかった。
あれから葵からの連絡が何度も来ているが、全て返していない。連絡の表示がつく度に、胸がざわざわとするとともに、少し嬉しくなって期待してしまう自分がいた。
ずっと片思いはかりだったから、人から好意をもたれるというのに慣れていない。
葵が自分を好きになってくれたのは素直に嬉しくて、温かい気持ちになった。
でもこんな状態で都合よくこちらから連絡など取れない。
とぼとぼと歩いていると、名前を呼ばれた気がした。
正門を出たところで見覚えのある車が止まっているのが見えた。そこには葵の姿があった。七瀬を見つけると駆け寄ってきた。
「ごめん、連絡がつかなくて……。どうしても謝りたくて、会いに来たりして迷惑なのは分かってるけど……」
いつもスマートに何事もこなすタイプの葵だが、珍しくスーツはよれていてシワがついているし、顎には髭剃りで傷ついたような傷まで見えた。
口ごもっている葵を見たら、大人というのは、自分が考えるほど大人ではないのかもしれないと七瀬は思った。
「……葵さん。タイミング良すぎ……」
「……え?」
「……今とっても遠くに行きたかったんだ。お願い、どこでもいい。俺を……連れていって……」
遥斗はなんて答えたのだろう。たとえ否定してくれたとしても、それは七瀬のことを想ってくれたわけではない。
遥斗へと続く道を必死に走っていたけれど、本当はいつの間にかその道が途切れて立ち尽くしていたのだ。
恐くてそれを認めたくなかった。
でもいい加減、別の道を歩き出さなくてはいけない。まだまだ、後ろを振り返ってばかりだけれど……。
「分かった」
それだけ言って葵は車に乗せてくれた。
間もなく走り出して流れていく景色を見て、遥斗と一緒に歩いたことを思い出した。
それはもう、ずっと昔のように思えた。
□□
「………遠くへ行きたいとは言ったけど、まさかここまで……」
ザッバーンっと波が岩に打ち付ける激しい音がして、海の遠くから大きな波が絶えず押し寄せてくるのが見える。七瀬は二時間ドラマのラストシーンで犯人が追い詰められるような崖の上に立っていた。
「いい眺めだろう。あっ、一緒に心中しようってわけじゃないから安心して」
葵は笑っていたが、こんなところに連れてこられて変な冗談はやめて欲しかった。
「何と言うか……、色々すごいところですね」
七瀬は車に揺られながら寝てしまったらしく、気がつくと何時間も経っていて、葵はまだ運転中だった。
そうして連れてこられたのが、なんとか岬とか言う断崖絶壁の場所で一応観光地らしいが、人気はなかった。
だんだんと空が赤くなり始めていて、スリリングな場所と絶景のコントラストに七瀬は息を飲んで見入ってしまった。
「ここは、俺の実家の近くなんだ。嫌なことがあって塞ぎこんでいると、よく親父がここに連れてきてくれたんだ。ほら見ろー、あんな固い岩だって小さな波の力で削れるんだぞ。一回や二回の失敗でへこたれるな岩を削れるくらいやってみろって……」
「ごっ…豪快なお父さんですね…」
「豪快も豪快!体悪くしても酒も煙草もやめないで、好きなことやって死んでったよ。見習うには、ちょっとあれだけど、親父の豪快さは憧れることがある」
暗くなってきたら海風が冷たく感じるようになって七瀬はぶるりと体を震わせた。
葵は着ていたトレンチコートを七瀬にかぶせてくれた。温かくて香水なのかミントの香りふわりと香った。
「少しは元気でたかな……。ちょっと引いてたごめん」
「そんなことないです。俺もお父さんの豪快さに元気もらいました。そうですよね。一度や二度の失敗くらいなんだ!って思わないと!」
せっかくここまで連れてきてくれた葵に、明るい顔をして精一杯のお礼を言った。そして七瀬もまた、岩を砕く波に元気をもらったのだ。
真面目な顔をしていた葵は、心を決めたように七瀬を後ろから抱きしめてきた。
「七瀬が良ければこのまま泊まらないか?無理強いはしない。一緒にいられればそれでいい。嫌だったら車でまた家まで送るよ」
「……葵さん」
葵の表情は見えなかったが、体は微かに震えて心臓の音が聞こえてきた。大人だって臆病なのだ。何もかも完璧な人間などいない。そんな気持ちが伝わってきた。
「今日は家に帰りません。俺も葵さんと一緒にいたいです」
七瀬を抱きしめる腕がぴくりと揺れて、いっそう強く抱きしめられた。
「……ありがとう」
お礼を言うのはこっちの方なのに、なぜか葵に言われてしまった。じんわりと胸に甘く熱い気持ちが広がっていくのを七瀬は感じていた。
□□
葵に連れてこられたのは温泉旅館だった。
眺めのいい部屋で夕食を食べながら、黄色くて大きな月が見えた。
葵がパンケーキに見えるといって、思わず笑ってしまった。
夕食後、部屋には温泉がついていて、葵はそこに入りに行ってしまった。
一人残された七瀬はぼんやりテレビをつけていたが、ガヤガヤと言う音がうるさくて、結局電源を落とした。
葵は無理強いはしないと言ってくれた。布団も別々の部屋に敷いている。
その優しさが嬉しいと思うとともに寂しく感じた。
途切れた道をいつまでも眺めていても先に進めない。
自分から一歩を踏み出すのだと七瀬は立ち上がった。
「葵さん、いいですか?」
「え?七瀬…?どうし……」
障子をスーっと開けた七瀬を見て、葵は目を見開いて驚いたようだった。
「俺も入っていいですか?」
「え!?……それは嬉し…じゃなくて、いいけど……」
心を決めた七瀬は浴衣を脱いで葵の前に出た。かろうじて前はタオルで隠しているが、全裸ではある。
軽く流した後、七瀬は葵が浸かる湯船に入った。
「……七瀬、いいんだけどさ。俺にも我慢の限界ってものがね……」
「いいですよ」
「え……!?」
「……そのつもりできました。あの……だめですか?」
口をあんぐりと開けて呆然としていた葵だが、だめなわけない!と大きな声を上げて立ち上がったので、すっかり立ち上がった立派なものが七瀬の顔の前に披露されることになった。
「うわ!…えっ…、ええとこれは……その」
慌てて股間を隠す葵を見て七瀬はクスクスと笑った。
「大丈夫ですよ。葵さん、可愛い人ですね」
可愛いと言われたのが不満だったのか、少しむくれた顔で近づいてきた葵は七瀬をふわりと抱きしめた。
「……七瀬。本当にいいのか?遥斗くんのことは?後悔しない?」
「すぐに全てを忘れることはできないけど、俺は、葵さんと一緒にいたいです。もっと葵さんを知りたい……」
そう言って七瀬はお湯の中に手を入れて、葵の欲望に触れた。先ほど見た通り硬くて大きくて存在感がある。
「…待って!だめだ!」
しごき出そうとした七瀬の腕を葵がバシャンと水音を立てて掴んできた。
「葵さん…」
「いや……、嬉しくて…、七瀬に握られただけでもうヤバいだ……、俺が七瀬を可愛がるから…」
七瀬の腕を掴んだまま、葵は胸の蕾に顔を近づけて吸い付いてきた。
「あ……そんな……とこ」
「目の前にこんな可愛いものを出されて興奮しないやつはいないよ」
そう言いながら葵は、片方をぴちゃぴちゃと舐めながら、片方は指でこねて引っ張って愛撫してきた。
「んっ……、あ……葵……さん」
巧みな舌使いで七瀬を追い詰めながら、時々反応を見るみたいに見てくるので、七瀬はその度に心臓がどきどきと揺れてしまう。
ぷっくりと立ち上がった乳首をぎゅっと摘ままれて、片方はずずずと音を立てて吸われたので、七瀬は思わず腰を揺らして矯声を上げた。
「可愛いね……。ここをたくさん弄って、乳首だけでイケるようにしようね」
「んっ…あぁん……」
「でも、今日は七瀬は後ろをよくほぐさないと…初めて……なんだよね?」
「……う…ん」
「じゃあ少しでも痛くないようにね」
葵に謂われて、湯槽の縁に手をかけてお尻をつき出すような格好になった。葵は七瀬の固く閉ざされた後ろの蕾に舌を這わせてゆっくりと舐めだした。
「はぁう!そんな…とこ…きたな……」
「大丈夫…、七瀬の体で汚いところなんてないよ。全部愛しいんだから……」
葵はゆっくりと執拗に時間をかけて後孔を舐めて舌を入れて唾液をナカに入れてきた。
そして、緩んできたのを確認すると今度は指を入れてナカを広げ始めた。
「んぁぁあ……は……んん…ぁ…ぁ…あん……だっ…あつ…い……へんに……なる……よ」
「七瀬の孔は可愛すぎるよ。綺麗なピンク色で指を入れたら美味しそうに飲んでナカはうねって喜んでいるみたい」
「や……やだぁ……恥ずか……し…」
「ほら…、とってもいい子だよ。これで三本目だ。後は七瀬の好きなところを探そう」
葵の指は縦横無尽に動いて、七瀬のナカを探りだした。
そしてたどり着いたある一点でこりこりと擦られると七瀬は体をビクつかせて声を上げた。
「ここ?どんな感じする?」
「あっ!!だっ…め!!なんか……すご……ビリビリする……痺れ…あぁぁぁん!でちゃ……でちゃう!!」
七瀬は腰を揺らして葵の指をぎゅうぎゅうと締め付けた。
そんな乱れた七瀬を見て葵はごくりと喉を鳴らした。
「だいぶ柔らかくなったね。もうそろそろ大丈夫かな……、ごめん、俺も限界だよ。早く入りたい」
「い…いよ。来て……葵さん」
七瀬の言葉を合図にして、葵は固くそびえ立った怒張を後孔にあてがって、後背位でボディーソープの滑りを利用して押し入ってきた。
「あああぁぁぁ……はぁはぁ……くっ……あああ!!」
葵にとろとろに柔らかくしてもらった孔は喜んで欲望を飲み込んでいった。その大きさの圧迫感はあるが想像していたような痛みはほとんどなかった。
「大丈夫?七瀬…、辛くない?」
「う……ぅん……。はぁ…ぁ、ちょっと…くるし……でも、……だい……じょう…ぶ」
七瀬の様子を見ながら、葵は七瀬のぺニスを掴んで擦り始めた。少しだけ反応していたそこは、葵の強弱をつけた動きであっという間に硬く張りつめた状態になった。
「あっ…あお……あおい…さ…、だめ……ぁあ…はぁ……い…んん……」
「ふふっ…七瀬のナカ、すごいうねうねと動き出したよ。嬉しいな感じてくれてるの?」
「んっ…気持ち…いい……」
「もっと言って…、七瀬の声もっと聞きたい」
耳元で葵の掠れた声を聞いて七瀬はぶるりと震えた。そろそろ限界だったのか、熱い息をはいた葵は律動を開始した。
「はぁ…あん……ぁあ……はん…あお…きもち…いいよ…、んぁぁ…そこぉ………いい!…いい…」
「ああ…、七瀬の…いいところ…いっぱい擦って…あげるよ」
緩急を付けて出し入れしていた葵は、一度引き抜いてから、一気に奥まで突き入れて七瀬のいいところめがけてぐりぐりとナカで擦ってきた。
「ああああ!…あお……さん……ふかい…よ…。おかし…く…な……、あっんんんっ…」
「はぁ…七瀬…、俺も…気持ち良すぎて……」
葵の抜き差しのペースは激しさを増して、パンパンと音を鳴らしながら勢いをつけて繰り返された。
その度にお湯が揺れてバシャバシャと縁から飛び出していくのがまた欲情を煽っていく。七瀬はその動きに翻弄されながら、声を上げて喘ぎ続けた。
「あお…さ……、俺も……だめ……がま…できな……」
「ああ…七瀬……一緒に……」
「ナカに……いっぱい…くださ…い」
「くっ…なな…せ」
葵はいっそう激しく打ち付けた後、ぐっと奥深くまで自身をいれた後動きを止めて熱い白濁を注ぎ込んだ。奥深くで葵がびくびくと揺れて、熱い放流を感じた七瀬もまた、絶頂を迎えて掠れた声を上げて達した。
上り詰めた後の余韻に浸りながら、二人で荒い息をしながらお湯の中に戻って抱き合ったあと、どちらともなく唇を重ねた。
「んっ…葵さん、……すごく気持ち良かった」
「七瀬……好きだよ、もう夢中になりすぎて…頭がおかしくなりそうだ…。君がこの腕の中にいるなんて…嘘みたいだ」
そう言いながら葵は七瀬を離さないというように、抱きしめる力を強めた。
痛いくらい抱きしめられると、求められているのだという実感が湧いてきて、それは幸福な苦しさだった。
「葵さん、まだまだ足りない…。もっと欲しい…。俺にいっぱい葵さんの熱を注ぎ込んで……」
甘いお願いに煽られて、葵はかぶりつくように七瀬の唇に食らいついてキスをした。
「七瀬、中へ入ろう。続きは布団でね……。このままだと二人で風邪を引いてしまう」
「ふふふっ…そうですね。二人で風邪なんて………」
突然だまりこんだ七瀬に、心配そうに葵が大丈夫かと声をかけた。
「あっ…いえ、ちょっとお湯に浸かりすぎたのかな、ぼんやりしちゃって……」
大変だと慌てた葵に抱き上げられて、バスタオルでぐるぐる巻きにされて運ばれた。
その慌てぶりにおかしくなって七瀬はクスクスと笑ってしまった。
なんだか心に引っ掛かったものがあったのだが、それは蒸発したように消えてしまった。
その後は、場所を布団に移して空が白むまで何度も愛し合った。
愛され甘やかされることの幸福を七瀬は存分に味わうことになった。
温かい温もりに包まれながら眠ることは、これ以上ないというほど幸せだった。
□□
「今空港着いた?俺も今仕事終わったところ。甘いものはいいって、俺しか食べないし。何か作る?うん、分かったかけ直して」
クリスマスのイルミネーションに彩られた街並みを、七瀬は歩いていた。冷たい風に身を震わせていたが、恋人からの電話ですっかり心は温かくなった。
海外出張に行っていた恋人と会えるのは二週間ぶりだ。大学を卒業してすぐに一緒に暮らしだした。
仕事が忙しい恋人と時間を合わせるのは大変だが、なんとかやりくりして、一緒にいられる時間は大切にしている。
下を向いて歩いていた七瀬は雑踏の中に聞き覚えのある音を感じて驚きで立ち止まった。
「……七瀬?」
急に立ち止まった男が、目についたのか向こうもこちらに気がついたようだった。
「遥斗」
久々に会ったその男はかつて少し残っていた幼さが消えて精悍な顔つきの男になっていた。
細身にぴったりとしたスーツがよく似合う、相変わらずモテそうなタイプであり、前以上に目を引く男になっていた。
「卒業以来だね。実家に帰っていたんだろ。こっちで就職したの?」
「ああ、やっぱり田舎には仕事が少なくてさ。この近くで働いてる。七瀬は?」
「俺は取引先がそこのオフィスなんだ。こっちに帰ってきたなら今度飲もうよ。相模も新しい店オープンしたばかりだからさ、顔出してあげて」
相模は店を独立させたが、それが上手く当たって今は三店舗目が完成したところだった。
「話は聞いてるよ。まさか、あいつがあんなに成功するとはな。今度顔出すからその時は七瀬も来いよ」
分かったと言って、いつになるか分からない約束をした。
その時七瀬は遥斗の薬指に光るものを見つけてしまった。
「あれ!遥斗結婚したの?」
「ああ、ついこの前な……。春には子供も産まれる」
かつて同じ時を過ごした者達も、時間の流れとともに変わっていくものである。それが愛した人であっても同じだ。
「おめでとう。遥斗ならいいお父さんになりそうだ」
七瀬はそう言って微笑んだ。もうあの頃のような息苦しいほどの気持ちはないが、素直に幸せになってもらいたいと思っていた。
「……七瀬、俺さ……大学のとき、お前のこと……」
「ん?」
何か言おうとしていた遥斗は、上手く喉から出ないみたいになって口ごもってしまった。
「………なんでもない。今、幸せそうだな」
「うん」
遥斗はあの頃と同じような顔をして笑っていた。少しだけ時間が戻ったみたいで、切ないような不思議な気持ちになった。
去っていく遥斗の背中を見つめていたが、吹き付けてきた冷たい風に七瀬は顔をしかめて、寒い寒いと言いながらまた歩きだした。
ポケットが震えて恋人からの着信だと気がついた。
「もしもし、あっ電車?これから?分かった。何が食べたいか決まったの?あぁ、鍋ね。俺もそれが食べたい。材料は買って帰るね」
七瀬が歩道橋を渡っていると、空から小雪が舞ってきたのに気がついた。
「雪!こっちはもう降りだしたよ」
恋人のいる方向に目をやると、空に浮かんだ大きな満月が見えて七瀬は足を止めた。
「……………あ、ごめん。いや、なんでもないんだけど……。月がパンケーキみたいに見えて……」
電話口から笑い声が聞こえて七瀬は真っ赤になった。
「子供って……!言っておくけどこれ、俺が言った言葉じゃないからね!嘘でしょ、忘れたの!?」
空を見るのをやめて七瀬は再び歩きだした。楽しげな会話が続いていく中、ちらほらと落ちていた小雪はだんだんと増えていき、歩道を白色に変えていく。
「うん、俺も……早く会いたい」
七瀬の言葉は白い息とともに本格的に降りだした雪に混じって消えていった。
路上にうっすらと残った足跡は、愛しい人のもとへと続いていくのであった。
□完□
投げかけられた声に七瀬はハッとして顔を上げた。
いつの間にか眠ってしまっていたのだろうか。長い夢を見ていたような気がした。
「遠出したから疲れちゃったかな」
「ごめんなさい、ぼんやりしてました。なんの話でしたっけ?」
「ああ、遥斗くんは、あれから何か変化はあったのかなって話だよ」
そう言ってハンドルを回しながら葵は穏やかな顔で同じ質問をしてくれた。
「ええ…と。変わりないですね。彼女と仲直りもしたみたいだし………」
「そうかー。七瀬に近づく男がいると匂わせても反応なしか……。これはなかなか手強いかもな」
「あっ!…ここでいいです」
「いや、前まで送るよ」
今日は葵に誘われて、海沿いのレストランでランチをしてきた。授業は午後からだったので、七瀬は車で送ってもらったのだ。
「おっ…と!あぁ…ごめんね。赤信号だ」
大学の正門へ曲がる道で自転車が飛び出してきて葵はブレーキを踏んだ。スピードは出ていなかったので、たいした衝撃はなかったが、そのせいで信号は赤に変わってしまった。
「今日はありがとうございました。とても素敵なレストランでした。ランチも美味しかったです。話を聞いてもらってごちそうまで…本当にすみません」
「いいよ。こっちに帰って来て遊んでくれる友人もいないからさ。実は七瀬と過ごす時間が楽しみなんだ。まぁお姫様は王子様に夢中だけどね」
そう言いながら、悪戯っぽく笑った葵の顔がなんだかとても眩しく感じた。
「次の作戦を練らないとなぁ…。あっ、週末は会えるかい?ちょっと付き合ってもらいたいところがあって」
「ええ…いいですよ。特に予定もないし」
信号が青になったので車はすぐ手前で曲がって、正門前に付けてもらった。
「じぁこれで。送ってくれてありがとうございました」
七瀬は丁寧にお礼を言ってから車を出てドアを閉めた。そして去っていく葵の車を見送った。
「七瀬!やだぁ!イイ感じじゃん」
どこかで見ていたのか、タイミング良く背中に声をかけてきたのは相模だった。
「イイ感じって…、ちょっと食事に行ってきただけだよ」
「大事大事!そういうの大事!七瀬は片思いばっかりで、遥斗もそうだし、あまり誰かに大切にされたことないでしょ。でろでろに甘やかしてもらいなよ。そろそろそういう一歩が必要じゃない?遥斗なんてバカは忘れてさ」
気持ちは嬉しいが、そもそも葵とは遥斗の気を引くために手を組んでいるだけに過ぎないのだ。その辺のことを相模に話すのはよけいに心配をかけそうで気が引けた。
「そう、簡単に忘れられないよ…。でも、そうだね。これからのこと考えるきっかけにはなるかもしれない」
七瀬がそう言って微笑むと、相模はポンポンと頭を撫でて慰めてくれた。
「七瀬は弟みたいだからさー、放っておけないんだよね」
相模のような兄がいたら最高だと七瀬も思った。そんな風に言ってくれる優しさが素直に嬉しかった。
大教室に入ると、やはり遥斗は彼女の隣に座っていた。喧嘩して仲直りしてを繰り返しているようだが、寄り添って笑いながら話している二人はとても仲が良くてお似合いに見えた。
いつもの定位置は教室全体が見渡せてしまうので嫌でも目についてしまう。
お腹の中にぐるぐるとする黒いものを感じて七瀬は目を閉じた。
あの二人の世界まるごと消してしまいたかった。
目の前に並べられた色とりどりのスイーツを見て、七瀬は言葉が出てこなかった。
ホールケーキにカップケーキ、マカロンにパフェにパンケーキ、ドーナッツにアイスまで、目がチカチカしてきそうだった。
「……まさか、甘いものが嫌い……とかはない…よね?」
「好き……ですけど」
「良かった!その見た目で食べられませんって言われたらショックだったよ。甘いものを頬張っている七瀬とか最強の組み合わせでしょう」
「そう…ですか…」
週末、葵に連れてこられたのは、最近できたという期間限定のカフェで、様々なスイーツが取り揃えられているらしく、大学の女の子達が話題にしていた場所だった。
「実は仕事でここの宣伝を担当していてね。市場調査も兼ねて来たんだけど、何しろ俺は甘いものが苦手でさ。それに、ターゲットは高校生から二十代だから、ぜひ七瀬の感想を聞いて参考にしたいと思って」
今年三十歳になるという葵は、七瀬も名前を知っている企業に勤めていて、仕事はざっくりマーケティングをしていると聞いていたが、まさかこの店を担当しているとは思わなかった。
確かに見た目は甘いマスクの葵だが、この店の内装は壁一面がどピンクで、七瀬が座っているのは同じくピンクのふわふわのソファーだ。食器類は水玉で統一されていて、男の自分が住む世界とは違い過ぎて目がくらくらするくらいだ。
こんな甘ったるい世界は葵とはまったく結びつかない。
「ああ、びっくりした?俺がこんな店を担当していると思えないだろう。食器はニューヨークのアーティストがデザインしたもので現地で見て一目惚れしたものなんだ。この世界観にぴったりだろう」
「なかなかこの世界観が分かる男子はいないと思いますけど…仰ることはなんとなく…。可愛いものが好きなんですか?」
七瀬がそう聞くと、葵は涼しげな目元を細めて微笑んだ。
「そうなんだ。家なんて大きな犬のぬいぐるみが玄関でお出迎えしてくれるからね。ふわふわしたものや、可愛いものには目がなくて、あっ、ふわふわしていて可愛いかったら最高だね」
葵は顔のまわりに花でも咲かせているみたいに目をキラキラとさせて、七瀬のことを嬉しそうに見つめてきた。人とは分からないものだ。スマートで完璧な大人の男性に見えた葵にもこんな趣味があったのだ。悪い気はしない、むしろ完璧すぎて少し近寄り難かった雰囲気は一掃されて今までよりもずっと近くに感じた。
「へぇ、もしかしてその子に名前とか付けたりしているんですか?」
「ああ、ぬいぐるみ?うん、アレキサンダーだよ」
ふわふわ可愛いぬいぐるみにしては思わぬ勇ましい名前におかしくなって七瀬はクスクスと笑った。
「…良かった。やっと笑ってくれたね」
「え…?」
「これでもどうやって七瀬を励まそうか色々と考えたんだよ。ずっと沈んだ顔をしていたから、君の笑顔が見たかったんだ」
自分はどれほどひどい顔をしていたのだろう。心当たりはあり過ぎる。どこか悩んでいる風だった遥斗は、急に吹っ切れたようで彼女と旅行に行くんだと大騒ぎしていた。
と同時に、なぜか七瀬には一切関わらなくなり避けているようにも見えた。
心が引きちぎれそうだった。痛くて痛くてたまらなかった。
もしかしたらほんの少しでも自分に傾いてくれるかもしれないと思っていた気持ちは砕け散った。
やはり自分はただの友人だったのだと、七瀬は思い知ったのだった。
あのあと、お店のスタッフも一緒になって、スイーツを堪能した。
アンケートを書いたり、SNSでの宣伝を手伝ったりしながら大人数でわいわい過ごしていたら、もやもやした気持ちを考える暇もなくあっという間に時間は過ぎていった。
「すみません、家まで送ってもらって、また夕食までご馳走になって……」
ギギっと音を立てて車をパーキングに止めた葵は、優しい目をして七瀬を見て微笑んだ。
「いえいえ、こちらこそ。色々と手伝ってくれて助かったよ。やっぱり若いコの意見は参考になるね」
「そんな…葵さんだって、十分若い人に入ると思いますけど……」
「いやいやぁ、もっと若ければって思うときはいくらでもあるよ。例えば気に入ってる子をどうにか振り向かせたくてしょうがないけど、若さが背中を押してくれないとか……ね」
オーバーなリアクションで頭を抱えて悲しそうな顔をした葵は、七瀬も目が合うといたずらっ子のような目をして笑った。
「え…葵さんにもそんな人が?」
「いるよー。俺のもろ好みのタイプでさぁ。でも他に好きな男がいるんだよね」
葵に意味ありげな目で見つめられた七瀬は、まさかという考えが浮かんで心臓がどきりと鳴った。
「え……もしかして……それって……」
「そうだよ。俺だって聖人君子じゃないんだ。好きな子が弱っていたらつけこみたくなる。どうにかして自分のことを意識して欲しい」
「葵さ……」
「七瀬……、君が好きな人しか見てないのは知ってる。だけど、今だけ……今だけ俺のこと見てよ」
七瀬は魔法にかかったみたいに動けなかった。いつの間にか葵の顔が近づいてきて、ゆっくりと唇が重ねられた。
一度離れて七瀬の様子を見た葵は、七瀬が呆然として動かなかったので、今度は七瀬の下唇を吸って口が空いた隙間に舌を入れてきた。
最初は遠慮がちに入ってきて、そのまま七瀬の舌に絡ませてぴちゃぴちゃと音を立てて舐めてきた。
せり上がってくる甘い感覚に我に返った七瀬は葵の肩を掴んで押し返した。
激しく迫られている気がしたが、意外と葵はすぐに離れてくれた。
「…………ごめん」
「………帰ります」
葵の顔が見られなかった。下を向いたまま七瀬は自分の鞄を掴んで車を出てマンションまで走って帰った。
後ろを振り返ることは出来なかった。
信じられなかった。
葵の好意と突然のキスではない。
嬉しいと思ってしまった。もっと続きを求めるような気持ちまで見えてしまい七瀬は震えた。
遥斗でいっぱいだったはずの七瀬の胸に、葵という滴が落ちてきてあっという間に色をが変わっていく。それは恐ろしくて、震えるほど気持ちが良かった。
□□
「ちくわの天ぷらもーらい!」
天ぷらうどんのちくわが箸に捕らわれて、相模の口に消えていくのを七瀬はぼんやりと見ていた。
「本当に食べちゃった。七瀬、ぼけっとしすぎだよ。ほらお詫びに俺のかんぴょう巻きあげる」
「……ありがとう」
相模は自分の昼食のかんぴょう巻きを一つ、うどんつゆに浮かんだかき揚げの上に乗せてきた。
嬉しくないお詫びにいつもなら声を上げて怒るところが、七瀬はやはりぼけっとお礼を言った。
「マジで何があったんだよー!ここ一週間ずっとそれじゃん!遥斗のバカは休みまくりだし、みんなどうした!?」
あの葵とのキスでの別れの後から、七瀬は消化しきれない思いを抱えてぼんやりすることが多くなってしまった。
遥斗は週末彼女と旅行に行ったらしいのだが、週が明けてからも二人して休みが続いていた。
「海外でも行ってるのかな…。珍しいよね、こんなに休むなんて……」
七瀬も相模も何度か連絡を送ったが、既読にすらなっていなかった。何かあったのだろうかと心配になっていたのだ。
その時学食の入り口が騒がしくなった。遥斗が彼女と一緒に入ってきたのだった。
すぐに友人達に二人はかこまれて、休みの理由を質問を聞かれていた。
「遥斗、休みすぎじゃん!海外旅行かよ」
「ちげーよ。こいつの親父にぶちギレられて大変だったんだよ」
聞こえてきた話によると、遥斗の彼女はかなりの箱入り娘で、父親は有名企業の社長だったらしい。どうも親に内緒で旅行に出掛けたようで、それがバレてトラブルになってるとかなんとか、そんなくだらない話だった。
「あほくさ。心配して損したわ」
対面に座っている相模が、ため息混じりにお茶を飲み干した音が聞こえた。
そのまま友人グループと話し込んでいる遥斗には、声をかけられそうにない。
七瀬が残りの食事を流し込んで、相模が行こうかと行ったのでそれに頷いた。
「そういえばあいつの話聞いた?ほら、一年のうるさいやついるじゃん」
食器を片付けていると、遥斗のグループの話が漏れ聞こえてくる。
「あいつ、男と付き合ってるんだって」
ふと聞こえてきた話題に、七瀬の手が止まった。
「マジでー、キモ!」
バカにするような言葉と何人かが笑う声が聞こえて、最悪の気分になる。
ちらりと見たら、遥斗は下を向いていて、表情が分からなかった。
「遥斗もそう思うだろ?」
誰かの言葉に七瀬の心臓は縮むようにきゅとなった。遥斗の返事など聞きたくなかった。あの高校生のときの悲しい思い出が頭にぐるぐると回りだして、七瀬は走って食堂を飛び出した。
会いたくなった。
あの広い背中に抱きしめられて、なんでもないよと、大丈夫だよと慰めて欲しかった。
あれから葵からの連絡が何度も来ているが、全て返していない。連絡の表示がつく度に、胸がざわざわとするとともに、少し嬉しくなって期待してしまう自分がいた。
ずっと片思いはかりだったから、人から好意をもたれるというのに慣れていない。
葵が自分を好きになってくれたのは素直に嬉しくて、温かい気持ちになった。
でもこんな状態で都合よくこちらから連絡など取れない。
とぼとぼと歩いていると、名前を呼ばれた気がした。
正門を出たところで見覚えのある車が止まっているのが見えた。そこには葵の姿があった。七瀬を見つけると駆け寄ってきた。
「ごめん、連絡がつかなくて……。どうしても謝りたくて、会いに来たりして迷惑なのは分かってるけど……」
いつもスマートに何事もこなすタイプの葵だが、珍しくスーツはよれていてシワがついているし、顎には髭剃りで傷ついたような傷まで見えた。
口ごもっている葵を見たら、大人というのは、自分が考えるほど大人ではないのかもしれないと七瀬は思った。
「……葵さん。タイミング良すぎ……」
「……え?」
「……今とっても遠くに行きたかったんだ。お願い、どこでもいい。俺を……連れていって……」
遥斗はなんて答えたのだろう。たとえ否定してくれたとしても、それは七瀬のことを想ってくれたわけではない。
遥斗へと続く道を必死に走っていたけれど、本当はいつの間にかその道が途切れて立ち尽くしていたのだ。
恐くてそれを認めたくなかった。
でもいい加減、別の道を歩き出さなくてはいけない。まだまだ、後ろを振り返ってばかりだけれど……。
「分かった」
それだけ言って葵は車に乗せてくれた。
間もなく走り出して流れていく景色を見て、遥斗と一緒に歩いたことを思い出した。
それはもう、ずっと昔のように思えた。
□□
「………遠くへ行きたいとは言ったけど、まさかここまで……」
ザッバーンっと波が岩に打ち付ける激しい音がして、海の遠くから大きな波が絶えず押し寄せてくるのが見える。七瀬は二時間ドラマのラストシーンで犯人が追い詰められるような崖の上に立っていた。
「いい眺めだろう。あっ、一緒に心中しようってわけじゃないから安心して」
葵は笑っていたが、こんなところに連れてこられて変な冗談はやめて欲しかった。
「何と言うか……、色々すごいところですね」
七瀬は車に揺られながら寝てしまったらしく、気がつくと何時間も経っていて、葵はまだ運転中だった。
そうして連れてこられたのが、なんとか岬とか言う断崖絶壁の場所で一応観光地らしいが、人気はなかった。
だんだんと空が赤くなり始めていて、スリリングな場所と絶景のコントラストに七瀬は息を飲んで見入ってしまった。
「ここは、俺の実家の近くなんだ。嫌なことがあって塞ぎこんでいると、よく親父がここに連れてきてくれたんだ。ほら見ろー、あんな固い岩だって小さな波の力で削れるんだぞ。一回や二回の失敗でへこたれるな岩を削れるくらいやってみろって……」
「ごっ…豪快なお父さんですね…」
「豪快も豪快!体悪くしても酒も煙草もやめないで、好きなことやって死んでったよ。見習うには、ちょっとあれだけど、親父の豪快さは憧れることがある」
暗くなってきたら海風が冷たく感じるようになって七瀬はぶるりと体を震わせた。
葵は着ていたトレンチコートを七瀬にかぶせてくれた。温かくて香水なのかミントの香りふわりと香った。
「少しは元気でたかな……。ちょっと引いてたごめん」
「そんなことないです。俺もお父さんの豪快さに元気もらいました。そうですよね。一度や二度の失敗くらいなんだ!って思わないと!」
せっかくここまで連れてきてくれた葵に、明るい顔をして精一杯のお礼を言った。そして七瀬もまた、岩を砕く波に元気をもらったのだ。
真面目な顔をしていた葵は、心を決めたように七瀬を後ろから抱きしめてきた。
「七瀬が良ければこのまま泊まらないか?無理強いはしない。一緒にいられればそれでいい。嫌だったら車でまた家まで送るよ」
「……葵さん」
葵の表情は見えなかったが、体は微かに震えて心臓の音が聞こえてきた。大人だって臆病なのだ。何もかも完璧な人間などいない。そんな気持ちが伝わってきた。
「今日は家に帰りません。俺も葵さんと一緒にいたいです」
七瀬を抱きしめる腕がぴくりと揺れて、いっそう強く抱きしめられた。
「……ありがとう」
お礼を言うのはこっちの方なのに、なぜか葵に言われてしまった。じんわりと胸に甘く熱い気持ちが広がっていくのを七瀬は感じていた。
□□
葵に連れてこられたのは温泉旅館だった。
眺めのいい部屋で夕食を食べながら、黄色くて大きな月が見えた。
葵がパンケーキに見えるといって、思わず笑ってしまった。
夕食後、部屋には温泉がついていて、葵はそこに入りに行ってしまった。
一人残された七瀬はぼんやりテレビをつけていたが、ガヤガヤと言う音がうるさくて、結局電源を落とした。
葵は無理強いはしないと言ってくれた。布団も別々の部屋に敷いている。
その優しさが嬉しいと思うとともに寂しく感じた。
途切れた道をいつまでも眺めていても先に進めない。
自分から一歩を踏み出すのだと七瀬は立ち上がった。
「葵さん、いいですか?」
「え?七瀬…?どうし……」
障子をスーっと開けた七瀬を見て、葵は目を見開いて驚いたようだった。
「俺も入っていいですか?」
「え!?……それは嬉し…じゃなくて、いいけど……」
心を決めた七瀬は浴衣を脱いで葵の前に出た。かろうじて前はタオルで隠しているが、全裸ではある。
軽く流した後、七瀬は葵が浸かる湯船に入った。
「……七瀬、いいんだけどさ。俺にも我慢の限界ってものがね……」
「いいですよ」
「え……!?」
「……そのつもりできました。あの……だめですか?」
口をあんぐりと開けて呆然としていた葵だが、だめなわけない!と大きな声を上げて立ち上がったので、すっかり立ち上がった立派なものが七瀬の顔の前に披露されることになった。
「うわ!…えっ…、ええとこれは……その」
慌てて股間を隠す葵を見て七瀬はクスクスと笑った。
「大丈夫ですよ。葵さん、可愛い人ですね」
可愛いと言われたのが不満だったのか、少しむくれた顔で近づいてきた葵は七瀬をふわりと抱きしめた。
「……七瀬。本当にいいのか?遥斗くんのことは?後悔しない?」
「すぐに全てを忘れることはできないけど、俺は、葵さんと一緒にいたいです。もっと葵さんを知りたい……」
そう言って七瀬はお湯の中に手を入れて、葵の欲望に触れた。先ほど見た通り硬くて大きくて存在感がある。
「…待って!だめだ!」
しごき出そうとした七瀬の腕を葵がバシャンと水音を立てて掴んできた。
「葵さん…」
「いや……、嬉しくて…、七瀬に握られただけでもうヤバいだ……、俺が七瀬を可愛がるから…」
七瀬の腕を掴んだまま、葵は胸の蕾に顔を近づけて吸い付いてきた。
「あ……そんな……とこ」
「目の前にこんな可愛いものを出されて興奮しないやつはいないよ」
そう言いながら葵は、片方をぴちゃぴちゃと舐めながら、片方は指でこねて引っ張って愛撫してきた。
「んっ……、あ……葵……さん」
巧みな舌使いで七瀬を追い詰めながら、時々反応を見るみたいに見てくるので、七瀬はその度に心臓がどきどきと揺れてしまう。
ぷっくりと立ち上がった乳首をぎゅっと摘ままれて、片方はずずずと音を立てて吸われたので、七瀬は思わず腰を揺らして矯声を上げた。
「可愛いね……。ここをたくさん弄って、乳首だけでイケるようにしようね」
「んっ…あぁん……」
「でも、今日は七瀬は後ろをよくほぐさないと…初めて……なんだよね?」
「……う…ん」
「じゃあ少しでも痛くないようにね」
葵に謂われて、湯槽の縁に手をかけてお尻をつき出すような格好になった。葵は七瀬の固く閉ざされた後ろの蕾に舌を這わせてゆっくりと舐めだした。
「はぁう!そんな…とこ…きたな……」
「大丈夫…、七瀬の体で汚いところなんてないよ。全部愛しいんだから……」
葵はゆっくりと執拗に時間をかけて後孔を舐めて舌を入れて唾液をナカに入れてきた。
そして、緩んできたのを確認すると今度は指を入れてナカを広げ始めた。
「んぁぁあ……は……んん…ぁ…ぁ…あん……だっ…あつ…い……へんに……なる……よ」
「七瀬の孔は可愛すぎるよ。綺麗なピンク色で指を入れたら美味しそうに飲んでナカはうねって喜んでいるみたい」
「や……やだぁ……恥ずか……し…」
「ほら…、とってもいい子だよ。これで三本目だ。後は七瀬の好きなところを探そう」
葵の指は縦横無尽に動いて、七瀬のナカを探りだした。
そしてたどり着いたある一点でこりこりと擦られると七瀬は体をビクつかせて声を上げた。
「ここ?どんな感じする?」
「あっ!!だっ…め!!なんか……すご……ビリビリする……痺れ…あぁぁぁん!でちゃ……でちゃう!!」
七瀬は腰を揺らして葵の指をぎゅうぎゅうと締め付けた。
そんな乱れた七瀬を見て葵はごくりと喉を鳴らした。
「だいぶ柔らかくなったね。もうそろそろ大丈夫かな……、ごめん、俺も限界だよ。早く入りたい」
「い…いよ。来て……葵さん」
七瀬の言葉を合図にして、葵は固くそびえ立った怒張を後孔にあてがって、後背位でボディーソープの滑りを利用して押し入ってきた。
「あああぁぁぁ……はぁはぁ……くっ……あああ!!」
葵にとろとろに柔らかくしてもらった孔は喜んで欲望を飲み込んでいった。その大きさの圧迫感はあるが想像していたような痛みはほとんどなかった。
「大丈夫?七瀬…、辛くない?」
「う……ぅん……。はぁ…ぁ、ちょっと…くるし……でも、……だい……じょう…ぶ」
七瀬の様子を見ながら、葵は七瀬のぺニスを掴んで擦り始めた。少しだけ反応していたそこは、葵の強弱をつけた動きであっという間に硬く張りつめた状態になった。
「あっ…あお……あおい…さ…、だめ……ぁあ…はぁ……い…んん……」
「ふふっ…七瀬のナカ、すごいうねうねと動き出したよ。嬉しいな感じてくれてるの?」
「んっ…気持ち…いい……」
「もっと言って…、七瀬の声もっと聞きたい」
耳元で葵の掠れた声を聞いて七瀬はぶるりと震えた。そろそろ限界だったのか、熱い息をはいた葵は律動を開始した。
「はぁ…あん……ぁあ……はん…あお…きもち…いいよ…、んぁぁ…そこぉ………いい!…いい…」
「ああ…、七瀬の…いいところ…いっぱい擦って…あげるよ」
緩急を付けて出し入れしていた葵は、一度引き抜いてから、一気に奥まで突き入れて七瀬のいいところめがけてぐりぐりとナカで擦ってきた。
「ああああ!…あお……さん……ふかい…よ…。おかし…く…な……、あっんんんっ…」
「はぁ…七瀬…、俺も…気持ち良すぎて……」
葵の抜き差しのペースは激しさを増して、パンパンと音を鳴らしながら勢いをつけて繰り返された。
その度にお湯が揺れてバシャバシャと縁から飛び出していくのがまた欲情を煽っていく。七瀬はその動きに翻弄されながら、声を上げて喘ぎ続けた。
「あお…さ……、俺も……だめ……がま…できな……」
「ああ…七瀬……一緒に……」
「ナカに……いっぱい…くださ…い」
「くっ…なな…せ」
葵はいっそう激しく打ち付けた後、ぐっと奥深くまで自身をいれた後動きを止めて熱い白濁を注ぎ込んだ。奥深くで葵がびくびくと揺れて、熱い放流を感じた七瀬もまた、絶頂を迎えて掠れた声を上げて達した。
上り詰めた後の余韻に浸りながら、二人で荒い息をしながらお湯の中に戻って抱き合ったあと、どちらともなく唇を重ねた。
「んっ…葵さん、……すごく気持ち良かった」
「七瀬……好きだよ、もう夢中になりすぎて…頭がおかしくなりそうだ…。君がこの腕の中にいるなんて…嘘みたいだ」
そう言いながら葵は七瀬を離さないというように、抱きしめる力を強めた。
痛いくらい抱きしめられると、求められているのだという実感が湧いてきて、それは幸福な苦しさだった。
「葵さん、まだまだ足りない…。もっと欲しい…。俺にいっぱい葵さんの熱を注ぎ込んで……」
甘いお願いに煽られて、葵はかぶりつくように七瀬の唇に食らいついてキスをした。
「七瀬、中へ入ろう。続きは布団でね……。このままだと二人で風邪を引いてしまう」
「ふふふっ…そうですね。二人で風邪なんて………」
突然だまりこんだ七瀬に、心配そうに葵が大丈夫かと声をかけた。
「あっ…いえ、ちょっとお湯に浸かりすぎたのかな、ぼんやりしちゃって……」
大変だと慌てた葵に抱き上げられて、バスタオルでぐるぐる巻きにされて運ばれた。
その慌てぶりにおかしくなって七瀬はクスクスと笑ってしまった。
なんだか心に引っ掛かったものがあったのだが、それは蒸発したように消えてしまった。
その後は、場所を布団に移して空が白むまで何度も愛し合った。
愛され甘やかされることの幸福を七瀬は存分に味わうことになった。
温かい温もりに包まれながら眠ることは、これ以上ないというほど幸せだった。
□□
「今空港着いた?俺も今仕事終わったところ。甘いものはいいって、俺しか食べないし。何か作る?うん、分かったかけ直して」
クリスマスのイルミネーションに彩られた街並みを、七瀬は歩いていた。冷たい風に身を震わせていたが、恋人からの電話ですっかり心は温かくなった。
海外出張に行っていた恋人と会えるのは二週間ぶりだ。大学を卒業してすぐに一緒に暮らしだした。
仕事が忙しい恋人と時間を合わせるのは大変だが、なんとかやりくりして、一緒にいられる時間は大切にしている。
下を向いて歩いていた七瀬は雑踏の中に聞き覚えのある音を感じて驚きで立ち止まった。
「……七瀬?」
急に立ち止まった男が、目についたのか向こうもこちらに気がついたようだった。
「遥斗」
久々に会ったその男はかつて少し残っていた幼さが消えて精悍な顔つきの男になっていた。
細身にぴったりとしたスーツがよく似合う、相変わらずモテそうなタイプであり、前以上に目を引く男になっていた。
「卒業以来だね。実家に帰っていたんだろ。こっちで就職したの?」
「ああ、やっぱり田舎には仕事が少なくてさ。この近くで働いてる。七瀬は?」
「俺は取引先がそこのオフィスなんだ。こっちに帰ってきたなら今度飲もうよ。相模も新しい店オープンしたばかりだからさ、顔出してあげて」
相模は店を独立させたが、それが上手く当たって今は三店舗目が完成したところだった。
「話は聞いてるよ。まさか、あいつがあんなに成功するとはな。今度顔出すからその時は七瀬も来いよ」
分かったと言って、いつになるか分からない約束をした。
その時七瀬は遥斗の薬指に光るものを見つけてしまった。
「あれ!遥斗結婚したの?」
「ああ、ついこの前な……。春には子供も産まれる」
かつて同じ時を過ごした者達も、時間の流れとともに変わっていくものである。それが愛した人であっても同じだ。
「おめでとう。遥斗ならいいお父さんになりそうだ」
七瀬はそう言って微笑んだ。もうあの頃のような息苦しいほどの気持ちはないが、素直に幸せになってもらいたいと思っていた。
「……七瀬、俺さ……大学のとき、お前のこと……」
「ん?」
何か言おうとしていた遥斗は、上手く喉から出ないみたいになって口ごもってしまった。
「………なんでもない。今、幸せそうだな」
「うん」
遥斗はあの頃と同じような顔をして笑っていた。少しだけ時間が戻ったみたいで、切ないような不思議な気持ちになった。
去っていく遥斗の背中を見つめていたが、吹き付けてきた冷たい風に七瀬は顔をしかめて、寒い寒いと言いながらまた歩きだした。
ポケットが震えて恋人からの着信だと気がついた。
「もしもし、あっ電車?これから?分かった。何が食べたいか決まったの?あぁ、鍋ね。俺もそれが食べたい。材料は買って帰るね」
七瀬が歩道橋を渡っていると、空から小雪が舞ってきたのに気がついた。
「雪!こっちはもう降りだしたよ」
恋人のいる方向に目をやると、空に浮かんだ大きな満月が見えて七瀬は足を止めた。
「……………あ、ごめん。いや、なんでもないんだけど……。月がパンケーキみたいに見えて……」
電話口から笑い声が聞こえて七瀬は真っ赤になった。
「子供って……!言っておくけどこれ、俺が言った言葉じゃないからね!嘘でしょ、忘れたの!?」
空を見るのをやめて七瀬は再び歩きだした。楽しげな会話が続いていく中、ちらほらと落ちていた小雪はだんだんと増えていき、歩道を白色に変えていく。
「うん、俺も……早く会いたい」
七瀬の言葉は白い息とともに本格的に降りだした雪に混じって消えていった。
路上にうっすらと残った足跡は、愛しい人のもとへと続いていくのであった。
□完□
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