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第一章

⑨甘くて切ない痛み

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「いやぁ勘違いして悪かったよ。この前、ライオネル様が言っていた告白ってのは、ローレンス様の怒りを静めるために説得したってやつだったみたいだな」

 週明けの朝、どこからか情報を集めてきたらしいルイスが、機嫌が良さそうに話しかけてきた。

「え!?あ………あぁ。そうだ………」

「アンドレアのおかげで、イアンの件も片付いたし、これでアルバートがいつ帰ってきてもいいな。まぁ短い間だし、しっかりしているから大丈夫だと思うけど、学園の男と恋愛は勘弁してくれよ」

 アンドレアの心臓は、ドキリと音をたてるように波打った。

「そ……そうだな。そういうのは、俺は大丈夫だと思う」

 ルイスが言っていることはもっともだった。男の中に女が一人。今まで誰かにバレてしまう心配をしていたけれど、ルイスから見れば、アンドレアの方からそれを破ってしまうという心配もあるのだ。

 大丈夫だと、アンドレアは心の中でなんども繰り返した。恋愛などというのは、男女が惹かれあって成立するものだ。
 アルバートの話を聞いているだけで、いつもお腹いっぱいだったし、自分はそんなことに心を乱すことなどないと、なぜだか自信を持っていた。

 ¨たとえ……¨

 ¨たとえ、自分が誰か好意を抱いても、胸にしまっておけばいい¨

 頭の中に突如として浮かんできた考えに、アンドレアは動揺して、持っていた教科書を盛大に床にぶちまけてしまった。

「おい、大丈夫かよ。調子悪いのか?」

「いや、なんでもない。ちょっと考え事をしていて、手が滑った」

 やめてくれよ。びっくりするからとルイスは笑っていたので、アンドレアもごめんと言いながら曖昧に笑い返した。

 ローレンスとは、また週末に約束をしていた。なんとなく二人きりというところが気まずくて、ルイスもどうかと誘ってみた。

「え!?おっ俺はいい!!絶対遠慮する!」

「何だよ、軽く体を動かせばいいのに。怪我はだいぶ良くなったんだろう」

「いやぁ……、なんというか。恐ろしくて無理」

 ルイスが剣の指導のことを言っているのかと思って、ちゃんと実力に合わせてくれるからと言ったが、そういうことじゃないと否定された。

「じゃあ、何だよ」

「この間、廊下でふざけてごまかしていた時さ……、殺されそうな………」

「はぁ?」

「いや!やっぱり、なんでもない!とりあえず俺は遊びで忙しいから!ほら!遅刻するぞー」

 遊びたいなら初めからそう言えばいいのにと、変なやつだなとアンドレアは思った。
 一人で慌てながら、ルイスは走って行ってしまったので、結局一人で行くことになってしまった。

 思ったより遅くなってしまったようで、生徒はまばらで皆、急いでいた。教室へと続く階段を上っていると、後ろから声を掛けられた。
 振り返ると、気まずそうな顔をしたイアンが立っていた。

「アルバート、やっぱりちゃんと謝りたくて……。俺、ずっとひどいことを……、言い訳ばかりだけど、家の事とかでイライラしていたのを完全にお前にぶつけていた。その、俺を苛めてたやつは兄なんだ。母親が違って……、今でも上手くいっていないけど……。ごめん、本当に今まで申し訳なかった」

「もういいよ、もう謝罪は終わっただろ」

 ここにいるのがアルバートでも、多分同じことを言ったはずだと思った。

「ほら、これで終わりにしよう」

「え?」

 アンドレアはイアンに向かって手を伸ばした。
 イアンは恐る恐るその手を握った。仲直りといえばこれだろうと、握手をしたのだった。

 イアンの手はローレンスとは違って、柔らかくて温かかった。あの時のような震える気持ちはなく、落ち着いている自分を冷静に見ていた。

「あ!!こんなことをしていたら遅刻だ!もし遅れたら、昼はお前に奢ってもらうからな」

 アンドレアはニヤリと笑って先に階段を駆け上がった。イアンは、分かったと素直に言いながらアンドレアの後に続いたのだった。


 □□

 あれだけ生徒を集めて大騒ぎしたのだから、アンドレアは完全に学園の有名人になってしまった。

 どこへ行っても声をかけられるし、聞いてもいないのに感想をつらつら述べられて、お礼を言ったりもっと頑張りますと言ったり、すっかり忙しくなってしまった。

 クラスの連中もルイス以外、今まで誰も話しかけてもこなかったのに、急に馴れ馴れしく話しかけてくるようになり、対応に困っているというのが現状だ。

「アルバートってさ、正直話しかけづらかったんだよねー。無駄に美少年のくせして、眉間に皺寄せてさ、いつも周りを睨んでいるいるし……」

「そうそう、イアンが絡んでいてもみんな黙っていたのは、いつだったかやめろよって声かけたやつに、うるせー入ってくんなって怒鳴っただろ。だからみんな声かけられなかったんだよ」

 ぽんぽんと同じ声がテンポ良く響くので、ちっとも会話に入る隙がないのだが、確かにこの二人はアンドレアを挟んで話している。

「えー……と、そんなことがあったかな……。悪いな、俺、気分にムラがあって……時々急に怒り出すことが……」

 始終苦しい言い訳に徹するアンドレアを、キラキラした目で見てくるのはレイメルで、冷静な目でじっと見てくるのはランレイだ。
 同じ境遇にひかれ合うものがあるのか、彼らも同じクラスの双子だった。イアンとの一件を機にレイメルが話しかけてきて、ランレイも入ってきて、ここのところ教室では二人の息の合った喋りに付き合わされていた。

 アンドレアとアルバートと違うのは、二人の容姿はそこまで似ていない。同じ黒髪に青い目なのは一緒だが、レイメルは目も大きく柔らかい顔立ちで、ランレイは男らしく鋭い目をしていて眼鏡をかけていた。

 入れ替わり立ち替わり、色々話しかけられるのは正直苦手なので、二人がそばに張り付いていてくれるのはアンドレアとしても助かった。

「それに、なんか……、アルバート。顔変わった?」

 レイメルのぽやっとした顔に似合わない勘の鋭さに、心臓がドキリと鳴った。

「せっ…成長期だからかな。顔が縦横に伸びることもあるだろう」

「んー……、そういうんじゃないんだよねー」

「レイメル、俺は分かるよ。アルバートさ、可愛くなったんだよ」

「だあ!!!ゴハッ」

 飲み込んだ唾が変なところに入って、咳が止まらなくなり、レイメルが大丈夫?と言いながら背中をさすってくれた。アンドレアはゲホゲホしながら、この双子は危険かもしれないと、冷や汗が出てくるのを感じた。

「ランレイもそう思うの?僕もそう思っていたんだよ」

「げっ……ほっ、あ、あのな。お前たちがどう思おうと勝手だが、俺はれっきとした貴族の男子で……可愛いなどという言葉は的外れも良いところだ!」

「ほら、そういうところ」

「はい?」

「そーそー、顔赤くして、怒っている感じがなんか可愛く見えちゃうよ。何でだろう?」

「何でもない!!俺は何も変わらない!ほら、二人とも先生が来たからはやく戻れ!」

 へーいと二人して声を揃えながら、自分の席へ戻っていってくれたのを見て、アンドレアはため息をついた。

 以前、アルバートが、自分達はよく似ているけど、見る人が見れば分かると言っていたのを思いだした。
 もしかしたら、些細な変化が目について気になる人もいるのではないかと思った。
 これ以上周りと仲良くするのは危険かもしれないと、アンドレアは少し距離を置こうと考え始めた。

 教室にいると嫌でも声をかけられるので、またお昼休みは中庭に来てしまった。
 逃げるように帰ってしまい、ローレンスに会うのは気まずいのだが、他に行く場所も見つからなかった。

 学園の中庭は、四方をぐるりと校舎に囲まれていて、校舎の中からも花や草木を眺めることができる。
 庭の中央にあるガゼボは、休憩所として人気だが、教室から離れていて移動が大変なので、この時間は人が来ないことが多い。

 お昼休みは別に約束しているわけではないので、ローレンスがいなければそれでいいのだが、ガゼボの中に誰もいないのが見えると、ホッとすると同時に寂しくも感じた。

 騒がしさから解放されて、一人でゆっくりと食事をとってから、本を読んでいたら、いつの間にか瞼が重くなってウトウトとし始めた。
 アンドレアは、何度か目を擦ったところまで、覚えているが、すぐにトロリとした昼寝の中へ入ってしまった。

 それは怠惰で贅沢な甘い夢だった。
 薄目を開けるとさらさらとしたシルクのような銀色の髪が、風に揺れて流れているのが見えて、アンドレアはこの幸せな温かさにもう少し浸っていたいと、また目を閉じた。

「アルバート、気持ち良さそうに寝ていますが、このままだと午後の授業が始まってしまいますよ」

「………ん……、もう少し……」

「困りましたね、お寝坊さんですか……」

 温かくて柔らかいものが、おでこに触れた気がした。その幸せな感触にアンドレアは口を綻ばせた。

 深い海に沈んでいた意識が、現実に浮かび上がってくると体が横に傾いていて、何かにもたれ掛かっているのが分かった。

「ん?……あれ?」

 柔らかくて硬い枕には丁度良い寝心地だが、アンドレアは人の肩に頭を乗せてもらい寝入っていたと気がついた。

「ふふふっ…、ぐらぐらしながら寝ていて、横に倒れそうでしたよ」

「ローレンス!!おおっ……俺、すみません!重くなかったですか!?よっ涎とか大丈夫ですか……?なんて失礼を……」

 慌てて後ろに飛び退いたが、大丈夫だと言われてクスクスと笑われた。

「先日は急いでお帰りになったので、何かあったのかと心配してたのですが、大丈夫でしたか?」

「え?あ…、はい。全然大丈夫です。問題はありません」

 良かったと言って、ローレンスはふわりと微笑んだ。

 その笑顔を見て、胸がトクンと痛んだ。その小さな痛みに、気づかないふりをするのは、もう限界かもしれないとアンドレアは思った。

 それでも、あともう少しすれば、ここにいる自分は消えてしまうのだ。
 もとの自分に戻って、この甘い痛みを忘れることが出来るのか。初めて知った思いはアンドレアの気持ちなどお構いなしに、ジワジワと静かに広がっていくのであった。




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