サクラメント300

朝顔

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20 触れられない距離⭐︎

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「ああ……あ……もっ……と、もっと……激しく……」

 木目の美しい壁に手をついて、佐倉は体の奥に感じる熱を逃さないと必死に締めつけた。
 パンパンと音を立てて後ろから打ち付けられて、剛直が体を出入りする度に、達しそうになるが、それだけではまだ足りない。
 もっと奥、深いところをめちゃくちゃに擦られたら、意識を飛ばしそうなくらいの快感に埋め尽くされる。
 何もかも忘れてしまうくらいの、熱を深くに感じたい。

「はぁ……未春」

 梶が名前を呼んで濃い息を吐いたら、限界を迎える合図だ。
 もう何度も抱かれるうちに、佐倉は覚えてしまった。
 そして梶にだけ花開く桜のように、一番の熱さを感じたら、蕾に力を入れて奥で爆ぜるのを今か今かと待ち侘びた。

「かんで……噛んでくれ……ほし……ぜんぶ……欲しい」

 佐倉が枯れた声で必死に訴えると、梶は歯を佐倉の頸に当てた。

 アルファは性的な快感を得ると、急速に犬歯が発達する。オメガと番になるためには、頸を噛む必要があるからだ。
 佐倉は少しだけ伸びる程度だが、梶はさすが濃いアルファ性だけあって、見た目にも分かるくらい牙のように出てくる。
 最初は恐怖を感じたが、今は興奮してしまう。
 早くアレで噛まれたいとしか思えなくなる。
 まるでオメガになったように。

「ううっ、あああっ、アア……あぁ……いいっ、もっと……噛んで……強く……おねが……あああっ!」

 ズブリと音を立てて梶の歯が肉を貫く感覚が、たまらない快感だ。
 気持ち良すぎて、これだけで佐倉は何度も達してしまう。
 イキ狂う、という言葉に相応しいくらいだ。

「くっ………うっ……っ」

「ん……おく……すごい、あつ……ううっ……ぁぁ………ぁ…」

 ガンガンと腰を振っていた梶が、最奥に押し入れてピタリと動きを止めた。
 腸壁に熱い放流を感じて、佐倉は壁に顔を押し付けて快感に震えた。


 仕事終わりの役員室、呼び出されたら軽く食事をして、いつも最後は抱かれてしまう。
 時には何も食べずに、部屋に入ったら急に壁に押し付けられて、いきなり挿入されることも……。

 性器に触れられたら、わずかにあるオメガ性のおかげで、後ろはすぐに受け入れらる状態になってしまう。
 今日もそんな感じで、部屋に入ってすぐに始まってしまった。




 梶はいつも後ろからぽたぽたと垂れる残滓を、かき出して拭き取ってくれる。
 濡らしたタオルで綺麗にされている間にお互い興奮してもう一戦、という日も少なくはなかった。
 しかし今日は服を整えられたらソファーに座らされて、佐倉の膝の上に梶が頭を乗せて寝転んできた。

 疲れているのかもしれない。
 そう思った佐倉は、何も言わずに梶の頭を撫でた。

「今朝、父とやり合ったんだ。あの頑固親父、昔から少しも変わらない」

「それは大変だったな。何かあったのか?」

「仕事のことでちょっとな。認めてもらえないのは分かるが、あの頑固親父とまともに話し合える日が来るのか分からん」

「親子だからと言って分かり合えるわけじゃないからな。強烈そうな人だし、きっと智紀が折れてきたんだろうなというのが目に浮かぶ」

 そうなんだよと言いながら梶は目を瞑ってため息をついていた。
 佐倉はその目元から頭を優しく撫で続けた。

「……不思議だな」

「ん?」

「こうやって未春に撫でられていると、なんでもできそうな気がする」

「本当に? 何も力はないけど、そう言ってくれると嬉しいな」

 梶は目を瞑ったまま、鼻をクンクンと鳴らして匂いを噛んできた。
 梶は最中の時以外でも、こうやってたまに佐倉の匂いを嗅いでくる。
 気に入った匂いに近いから、思い出しているのだろうかと考えてしまう。
 梶の心を捉えている匂いとは、誰の匂いなのだろうとぼんやり思ってしまった。

 コンコンとノックの音がして、失礼しますと言って目黒川が部屋に入ってきた。
 この状態はマズいのではないかと佐倉は慌てたが、梶は少しも動かないし、この光景を見ても目黒川は驚く気配すらなかった。

「なんだ? 会議用の資料はメールで送っただろう」

「はい。こちらは先ほど社長にお会いして、宏樹さんから預かったと渡されました。ご自宅にお送りしようかと思いましたが、ちょうど通りかかったので……タイミングが悪かったですね。失礼しました」

「そこに置いておいてくれ」

 梶は相変わらず佐倉の膝の上で目を閉じたまま答えていた。
 目黒川は慣れた様子で机の上に本を数冊置いた。
 兄弟で本の貸し借りをしているのだろうか。
 仲がいいなと思って机の上に置かれた本を眺めてしまった。

「あ………」

 佐倉は目に入った見覚えのある背表紙に、思わず声を上げてしまった。

「あれは、コクトーの無限? 他のも写真集か?」

 見ればどれも見覚えのある背表紙だった。
 コクトーは写真界では巨匠と呼ばれている人で、彼の遺作となった無限というタイトルの写真集は、写真を志す人間のバイブルのようなものだ。
 佐倉も昔は夢中になってページをめくって、擦り切れるまで眺めた。
 ため息が出そうなほど美しい写真と、その技法が斬新で発表された当時は入手困難の代物だった。
 今でもおそらく高額で取引されているはずだ。
 他の本も国内外の有名な写真家達が出した写真集だと思われた。

「ええ、そうです。もともと梶常務の部屋にあったもので、引越しの時に宏樹さんが借りたまま返しそびれていたそうです。先日部屋を掃除していて見つかったそうで、同じ会社だからと社長に返却を託したそうです」

 佐倉の質問に答えてくれたのは目黒川だった。
 父親とはいえ、社長に返却を頼むとは、弟くんはなかなか立派になりそうだなと感心してしまった。

「なんだ、写真が好きだったのか? そんな話一言も……」

「捨ててくれ」

「え?」

「もう必要ない」

 いつもの梶らしくない冷たい口調で言い放つと、目黒川は目を伏せてはい分かりましたと言った。
 そのまま机に置いていた本をまた抱えて、失礼しますと言って部屋から出て行った。

 部屋の外でガタガタと音がしたので、佐倉が持ってきていたカートの中に、先ほどの写真集を捨てて行ったのだろうと思った。

「……すまない、仕事が残っていたんだ。今日はもう帰ってくれ」

 そう言って目を開けてから体を起こした梶は、佐倉に背を向けて机に向かってしまった。
 すぐにカタカタとキーボードを叩く音が響いて、邪魔をしたら悪いと思った佐倉は、静かに立ち上がって机の上のゴミを片付けた後、それじゃと言って部屋から出た。

 ドアが閉まってからしばらくその場から動けなかった。
 何かマズいことでも言ってしまったのだろうか。
 明らかにおかしい態度になってしまった梶のことが、頭から離れなかった。







「お疲れー、あれ、佐倉。早く終わったのに、まだ帰らないのか?」

 休憩室の椅子に座っていたら、廊下から顔を覗かせた泰成に声をかけられた。
 ぼんやりしながら、お疲れ様ですと答えると、何かを感じ取ったのか、泰成が休憩室に入ってきた。

「あーそれ、昔も読んでいたな。まだ持っていたんだな」

 何のことを言われているのかと一瞬考えて、膝の上に載せている写真集だと気がついた。

 集積場まで持って行ったが、結局捨てることができずに持って帰ってきてしまった。
 社員が処分した私物を持ち帰るなんて言語道断で、バレたら大変なことになってしまうが、どうしても捨てることができなかった。

 泰成は過去の佐倉を唯一知っている人間だった。
 最近は梶といることが多かったのですっかり忘れていた。

「写真……まだ好きなんだろう? こんなところにいないで、戻ればいいのに」

 ずっと頭にあったのだろう。もしかしたら今だと思って泰成は声をかけてきたのかもしれない。

 佐倉はありがとうございますと言って、目を閉じて笑った後、頭を横に振った。

 それを見た泰成は、そうかと言ってふぅーと息を吐いた。
 こんなに気にかけてもらえるのに、期待に応えられない自分が恥ずかしい。

 やはり逃げ続けていても何も解決しない。
 変わらないといけないと思い始めていた。

「そういえば、家はどうした? 引越し先探さないとそろそろヤバイだろう。知り合いの不動産屋紹介するか?」

「ああ、それなら、もう頼りになる人がいて、お願いすることにしました」

「おおっ、そうか。良かったなぁ。そうかぁ、ようやくお前にも……。前に進む決心ができたら、いつでも言ってくれ。力になるから」

「ありがとうございます」

 誰とも人間関係を作ろうとしなかった佐倉のことを泰成は心配してくれていた。
 頭をぽんぽんと撫でられて、良かったと嬉しそうに笑ってくれた。

 新居についてはありがたく梶の提案に乗ることにした。
 梶は忙しいので、目黒川が代わって色々と手配してくれて、入居日も決まっている。
 大した荷物はないので、整理も終わっていた。


 早く帰れよと言って泰成は先に帰って行った。
 お疲れ様ですと言って頭を下げた佐倉は、ポケットからスマホを取り出して画面を見てため息をついた。

「今日も、なしか……」

 梶から連絡がある時はもっと早い時間だ。
 仕事が終わってからも、もしかしたら連絡があるかもしれないと帰らずにいた。
 自分は何をしているのだろうと頭をかいた。

 今まで連絡を待ったことなどなかった。
 それどころか、また今日も呼ばれたかと思うくらいだったのに、今では梶からの連絡を心待ちにしている自分に気がついた。

 先週梶の様子は少しおかしくて、なんだか変な雰囲気のまま別れてしまった。
 梶からの連絡はその後に、忙しくなるからしばらく会えないと来たきりだ。
 週末は連絡がなくて、週が明けてもまだ連絡が来なかった。

「………帰ろう」

 別におはようとか、おやすみとか送り合う仲でもない。
 梶からはたまに、とくに意味がないようなメッセージが入っていたが、今まで適当に返信していたくらいだ。
 いったい何を期待して、何を待っているのだろう。

 もう遅い時間だ。
 パタンと本を閉じて、佐倉は椅子から立ち上がった。

 三日にあけずに会っていたので、それがしばらく間が空いてしまっただけでこの始末だ。

 ソワソワして何も手がつかない。
 自分から連絡してみようかと考えたが、忙しいと言われたので、なんと返していいか分からない。
 頭の中で大渋滞を起こして、仕事もミスばかりしていた。

 この気持ちはなんだろう。
 苦くて、胸の中がモヤモヤする。
 寂しい、という言葉だけでは言い表せない。

 梶の存在が、自分の中でいつの間にか大きくなっていた。
 そのことにやっと気がついて、どうにも動けずにいた。





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