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19 後悔とキス
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「運命の番か……、昔からドラマに取り入れられる設定だな。うちの系列の部門でも配信を始めて主婦層を中心に人気を得ている。だが、現実ではお伽話だろう。遺伝子的に最高の相性を示すこの世に一人だけの存在なんて」
梶の口から出たのは、ごく一般的な認識で、佐倉もずっとそんな風に考えていた。
実際にこの目で見るまでは……
「実在するんだ。本当に運命に導かれたようにどこに行っても偶然出会ってしまい、離れようとしても離れられない相手が……。しかも、胸にあるのは超好意的な感情で、もっと近づきたいという欲求に頭が支配されるんだそうだ」
そこまで言うと梶は押し黙ってしまった。
自分の認識を超えるような出来事なんてたくさんある。
一度体験してしまえば、それは現実として受け入れるしかないのだ。
「俺は……昔付き合っていた恋人を、その運命ってやつに奪われた」
「え?」
「いや、正確に言うと、奪われそうになって暴れたんだ。なんとか恋人の心を繋ぎ止めようとして……最低なことをしてしまった」
あの日、夕貴と津久井がカフェで会っているところを見た佐倉は激昂した。
もう会わないと約束したからだ。
帰ってきた夕貴を床に押し倒して、今まで何をしていたんだと怒鳴りつけた。
夕貴は泣いていた。
約束していたわけではなく、偶然会ってしまった。お互い気持ちが芽生えていたことは否定しないけど、自分は佐倉を選ぶからもう会わないと伝えていたんだと泣きながら訴えてきた。
夕貴の言葉はひとつも佐倉に届かなかった。
心が壊れてしまって、夕貴を奪われたくないとそれだけしか頭になかった。
そうだ、番になろう。
頭にやっと思い浮かんだのはそれだった。
嫌がる夕貴の服を引きちぎって、頸を露出させた。
こんなのは嫌だと夕貴は抵抗した。
番になるためには頸を噛むのだが、それは恋人同士の最大の愛の行為だった。
夕貴が嫌がったのも分かる。
怒鳴られて押し倒されて、怯えた状態で番うのはどう考えてもおかしい。
でもその時の佐倉は違った。
怒りと嫉妬にに支配されていて、夕貴が嫌がったのを愛を拒否されたと思い込んでしまった。
嫌がった夕貴の腕が目元をかすめた時、目の前が真っ赤に染まった佐倉は、夕貴の頬を殴ってしまった。
ハッと気がついたのは、殴った後だった。
手の痛みを感じて、息を吸い込んだ佐倉は思わず後ろに飛び退いた。
夕貴の真っ赤になった頬を見て、なんて事をしてしまったのかと、謝ろうしたが口が震えて何も言えなかった。
その間に夕貴は、起き上がった。
やめて、助けてと言いながら座ったまま後退して、玄関まで行ったら足を震わせながら立ち上がった。
夕貴の怯えた泣き顔は今でも忘れられない。
夕貴が逃げるように玄関のドアから出て行った後も、佐倉は動けなかった。
その後、どんな悲劇が起きたのか……
それを知ったのは床に転がっていた電話が鳴った時で、どのくらい時間が過ぎていたのかも感覚がなかった。
「俺の家を出た後、走って逃げている時に、夕貴は道路に飛び出して車に轢かれたんだ」
「なんだって!?」
「連絡が来たのは俺が最後だった。タクシーに乗って慌てて病院に駆けつけると、夕貴のご両親と津久井さんが来ていた」
「彼は? 命は助かったのか?」
「命は助かったよ。手術が終わって意識は回復したけど、俺を見た夕貴は怯えて取り乱した。それを見たご両親に今日はとりあえず帰ってくれと言われた。それから数日は何をしていたか記憶がない。後日病院に行くとご両親と話し合いの場がもたれた」
ご両親には何度も会ったことがあって、仲良くしていたから、夕貴の明らかにおかしい反応に何があったのか問い詰められた。
佐倉は自分が殴ってしまったと告白した。
夕貴は佐倉のことについては、何も言わなかったらしい。
なぜ逃げるように走って道路に飛び出したのか、ご両親はその理由が分かって頭を抱えた。
佐倉は自分のせいだと言って頭を下げた。
どんな形になっても償いますと言ったが、顔を見合わせたご両親はため息をついた。
もう別れてほしい。
ご両親にそう言われてしまった。
夕貴は命は助かったが、強く腰を打ちつけていて、もしかしたらもう歩けないかもしれないと。
理由はどうあれ、夕貴の夢や将来は佐倉の暴力によって奪われてしまった。
夕貴は怯えているし、このまま付き合いを続けることは無理だろう。
私達が支えていくから、お願いだから別れてくれと頭を下げられた。
夕貴を殴ってしまったのはその一度きりだったが、ご両親からしたら自分達にはいい顔をして、陰では暴力を振るっている男に見えたのだろう。
ここまで行き着く間に何があったのか、あれは一度きりのことだった。
反論する気持ちも少しはあったが、ご両親の震えた手を見たら、何も言えなくなってしまった。
何を言っても分かってくれないし、もう夕貴に会うしかない。
答えを濁して立ち上がった佐倉は、夕貴の病室に向かった。
しかしその途中、中庭で日差しにあたっている夕貴の姿を見つけた。
実際に車椅子に乗っている夕貴を見た佐倉は衝撃を受けた。
そして車椅子を押していたのは津久井だった。
事故に遭った時、夕貴のズボンのポケットに津久井の名刺が入っていたそうだ。
すぐに津久井に連絡が入って、津久井から職場に、そしてご両親へと繋がった。
佐倉は誰よりも夕貴の近くにいたはずなのに、自分が一番遠かったのだと感じた。
柱の陰から二人を覗いていたが、その時、夕貴が声を出して笑った。
津久井が何か面白いことでも言ったのかもしれない。夕貴は口元に手を当てて、目を細めて笑っていた。
佐倉は愕然とした。
夕貴があんな風に笑う姿を見たのはいつだっただろう。
事故が起こる随分前から、仕事に夢中になって夕貴を放ったらかして、心が離れたと感じたら過剰に束縛して叱責して追い詰めて、無理やり一緒にいると言わせた。
そして大好きだった夕貴の柔らかい頬を、殴って赤く腫れ上がらせたのは自分だった。
佐倉は膝から崩れ落ちてその場に座り込んだ。
自分のデザインしたフラワーアートで、全国を飾りたいというのは夕貴の夢だった。
体を傷つけて、夢も奪ってしまった自分は恋人ではない。
いつの間にか、モンスターになってしまった。
夕貴と津久井は楽しそうに笑いながら病室へと戻っていった。
なんとか立ち上がった佐倉は、その足でご両親の元へ行って頭を下げた。
別れますと言って、迷惑をかけましたと謝った。
その時にご両親から、夕貴が投薬のためバース検査をしたことを聞かされた。
付き添いできていた津久井もたまたま一緒に検査を受けて、高い確率で遺伝子の相性がいいと診断されたそうだ。
おそらく、運命の番と呼ばれる関係だろうと言われたそうだ。
それを聞かされた時、佐倉はモヤモヤしていた気持ちがやっと腑に落ちたのを感じた。
一度出会ったら、どこまでも偶然が続いて離れられなくなってしまう。
世界でただ一人の運命の相手。
微笑み合う二人は完璧な絵になっていて、自分だけ余ってしまったピースになった気がした。
夕貴が入院中に、佐倉は二人で暮らした部屋から出ていくことにした。
もともと夕貴の住んでいた部屋に転がり込んだから、自分の荷物など大したものはなかった。
きちんと掃除をして、綺麗にできるものは綺麗にした。
ちょうどその頃、コンテストに落選したという連絡が入って、何もかもどうでもよくなった佐倉は、パソコンからカメラまで全部処分した。
部屋を出る時、手紙を残した。
今まで本当にごめんなさい。どうか幸せになってください。
足のことは自分のせいなので、一生償いますと書いた。
家賃は折半にしていたので、振り込みに使っていた夕貴の通帳を手紙と一緒に添えた。
ドアを閉めて鍵をかけた後、鍵をドアポストに落とした時、全てが終わってしまったと感じて、佐倉はドアの前に座りこんで泣いた。
「最低だろう。恋人を傷つけて一生の傷を負わせた。こんな自分が生きていていいのか、何度も考えたよ。ネカフェとか渡り歩いて、死んだようにただ生きていた時、大学時代の先輩に会って拾ってもらえた。それが縁でヤマノクリーンで働かせてもらえることになった」
途中途中、感情的になりながら佐倉はやっと話を終えた。
今まで誰にも話せずに胸に抱え込んできたことだった。
梶はなんと言うだろうかと思っていた。
きっと失望したと罵られるかもしれない。
佐倉が身構えた時、梶は大きく息を吐いて自分の頭をくしゃくしゃとかいた。
いつも後ろに流している髪が前になって、表情も違って見えた。
「それで、その彼に振り込みを続けているのか?」
「ああ、そうだよ。働き出してから、給与の半分くらいを治療費として毎月……」
「確かに起こってしまったことは変えられない。事故に関して未春が責任を感じる気持ちも分かる。だが、大事なことを忘れている」
「え?」
「相手の両親に促されたとはいえ、一方的に別れを告げて逃げてきたようなものだ。それで金だけ送られても、向こうだって困っているだろう。おかげでお前は少しも進めずにいるし、きっとその彼も同じだ。お前から振込がある度に胸を痛めるに違いない」
「でも……今さら合わせる顔が……」
「お前は金を渡して償っているつもりかもしれないが、気にならないのか? 彼がどうしているのか、足はどうなったのか?」
「それはっ、もちろん気になるに決まっているだろう! 元気でいてほしいって、毎日祈っている」
佐倉は目に力を込めて梶に視線を送った。
何度も会いに行こうとしたし、ネットで名前を検索したら何か分かるかもしれないと考えたこともある。
だけどできなかった。
二人が、津久井と夕貴が仲睦まじく暮らしている様子を見るのが恐かった。
逆にもし一人で辛い思いをしていたら、それも苦しいし責任を感じる。
何もかも恐くて動けなかった。
佐倉の心を読み取ったように、優しく笑った梶は、佐倉の頭をゆっくりと撫でた。
「それなら会いに行こう。二人を見るのが恐いなら俺が隣にいる。手が震えるならずっと繋いでいてもいい。決心がついたらいつでも言ってくれ」
「智紀……」
なぜそこまでこんな自分に優しくしてくれるのか、梶の心が分からなかった。
以前そう思った時は、優しさが痛く感じると思ってしまったが、今は違う。
心の底から、梶の優しさに染められていく。
何色だかは知らない。
ただ心地よくて、泣きたくなる色だ。
梶の指が佐倉の唇をなぞった。
ぶるぶると震えていたが、その優しい感触に唇の震えは治った。
そして運転席から身を乗り出してきた梶は、佐倉を包み込むようにぎゅっと抱きしめた。
「今まで一人でよく頑張ったな。大丈夫だ、これからは俺が側にいる」
ポロリと涙がこぼれ落ちた。
こんな自分に優しくなんてしてはいけない。
だめだと言いたいのに、後から後から涙が溢れてきて止まらない。
恋人を慰めるような言葉をかけないでほしい。
勘違いしてしまう。気を許したらすぐにでも梶の色に染まってしまいそうで、佐倉は目を閉じた。
「もう自分を責めるな。後は当事者同士、話し合って解決すればいい。向こうが一生恨むと言うなら、俺も一緒に償ってやる」
「どうして……どうしてそこまで……」
佐倉の重いくらいの優しさが不思議だった。
自分に向けられるものなのに、どこか遠くを見ているような気がするのはなぜだろう。
「どうしてか……俺にもよく分からない。ただ、俺もずっと、償いたいと思って生きていた。だが、相手が分からないんだ。だから、お前と重ね合わせることで、自分の罪を軽くしたいのかもしれない」
罪。
人が罪を負って生まれてくるとしたら、子供はなぜあんなにも純粋に笑うのか。
罪は人が作るものだ。
そして償うのも人。
生きていれば、誰もが多かれ少なかれ、後悔するような出来事があるはずだ。
梶の罪については深く聞かなかった。
これ以上触れてほしくないという空気を感じたからだ。
だから佐倉は梶の首に手を回して、自分から唇を重ねた。
重ね合わせることで、梶の痛みが消えるのならばそれでいい。
他に言葉などいらない。
今まで佐倉に触れるのも、キスをするのも、全部梶から始まった。
初めて自分から梶を求めて唇を重ねた。
□□□
梶の口から出たのは、ごく一般的な認識で、佐倉もずっとそんな風に考えていた。
実際にこの目で見るまでは……
「実在するんだ。本当に運命に導かれたようにどこに行っても偶然出会ってしまい、離れようとしても離れられない相手が……。しかも、胸にあるのは超好意的な感情で、もっと近づきたいという欲求に頭が支配されるんだそうだ」
そこまで言うと梶は押し黙ってしまった。
自分の認識を超えるような出来事なんてたくさんある。
一度体験してしまえば、それは現実として受け入れるしかないのだ。
「俺は……昔付き合っていた恋人を、その運命ってやつに奪われた」
「え?」
「いや、正確に言うと、奪われそうになって暴れたんだ。なんとか恋人の心を繋ぎ止めようとして……最低なことをしてしまった」
あの日、夕貴と津久井がカフェで会っているところを見た佐倉は激昂した。
もう会わないと約束したからだ。
帰ってきた夕貴を床に押し倒して、今まで何をしていたんだと怒鳴りつけた。
夕貴は泣いていた。
約束していたわけではなく、偶然会ってしまった。お互い気持ちが芽生えていたことは否定しないけど、自分は佐倉を選ぶからもう会わないと伝えていたんだと泣きながら訴えてきた。
夕貴の言葉はひとつも佐倉に届かなかった。
心が壊れてしまって、夕貴を奪われたくないとそれだけしか頭になかった。
そうだ、番になろう。
頭にやっと思い浮かんだのはそれだった。
嫌がる夕貴の服を引きちぎって、頸を露出させた。
こんなのは嫌だと夕貴は抵抗した。
番になるためには頸を噛むのだが、それは恋人同士の最大の愛の行為だった。
夕貴が嫌がったのも分かる。
怒鳴られて押し倒されて、怯えた状態で番うのはどう考えてもおかしい。
でもその時の佐倉は違った。
怒りと嫉妬にに支配されていて、夕貴が嫌がったのを愛を拒否されたと思い込んでしまった。
嫌がった夕貴の腕が目元をかすめた時、目の前が真っ赤に染まった佐倉は、夕貴の頬を殴ってしまった。
ハッと気がついたのは、殴った後だった。
手の痛みを感じて、息を吸い込んだ佐倉は思わず後ろに飛び退いた。
夕貴の真っ赤になった頬を見て、なんて事をしてしまったのかと、謝ろうしたが口が震えて何も言えなかった。
その間に夕貴は、起き上がった。
やめて、助けてと言いながら座ったまま後退して、玄関まで行ったら足を震わせながら立ち上がった。
夕貴の怯えた泣き顔は今でも忘れられない。
夕貴が逃げるように玄関のドアから出て行った後も、佐倉は動けなかった。
その後、どんな悲劇が起きたのか……
それを知ったのは床に転がっていた電話が鳴った時で、どのくらい時間が過ぎていたのかも感覚がなかった。
「俺の家を出た後、走って逃げている時に、夕貴は道路に飛び出して車に轢かれたんだ」
「なんだって!?」
「連絡が来たのは俺が最後だった。タクシーに乗って慌てて病院に駆けつけると、夕貴のご両親と津久井さんが来ていた」
「彼は? 命は助かったのか?」
「命は助かったよ。手術が終わって意識は回復したけど、俺を見た夕貴は怯えて取り乱した。それを見たご両親に今日はとりあえず帰ってくれと言われた。それから数日は何をしていたか記憶がない。後日病院に行くとご両親と話し合いの場がもたれた」
ご両親には何度も会ったことがあって、仲良くしていたから、夕貴の明らかにおかしい反応に何があったのか問い詰められた。
佐倉は自分が殴ってしまったと告白した。
夕貴は佐倉のことについては、何も言わなかったらしい。
なぜ逃げるように走って道路に飛び出したのか、ご両親はその理由が分かって頭を抱えた。
佐倉は自分のせいだと言って頭を下げた。
どんな形になっても償いますと言ったが、顔を見合わせたご両親はため息をついた。
もう別れてほしい。
ご両親にそう言われてしまった。
夕貴は命は助かったが、強く腰を打ちつけていて、もしかしたらもう歩けないかもしれないと。
理由はどうあれ、夕貴の夢や将来は佐倉の暴力によって奪われてしまった。
夕貴は怯えているし、このまま付き合いを続けることは無理だろう。
私達が支えていくから、お願いだから別れてくれと頭を下げられた。
夕貴を殴ってしまったのはその一度きりだったが、ご両親からしたら自分達にはいい顔をして、陰では暴力を振るっている男に見えたのだろう。
ここまで行き着く間に何があったのか、あれは一度きりのことだった。
反論する気持ちも少しはあったが、ご両親の震えた手を見たら、何も言えなくなってしまった。
何を言っても分かってくれないし、もう夕貴に会うしかない。
答えを濁して立ち上がった佐倉は、夕貴の病室に向かった。
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実際に車椅子に乗っている夕貴を見た佐倉は衝撃を受けた。
そして車椅子を押していたのは津久井だった。
事故に遭った時、夕貴のズボンのポケットに津久井の名刺が入っていたそうだ。
すぐに津久井に連絡が入って、津久井から職場に、そしてご両親へと繋がった。
佐倉は誰よりも夕貴の近くにいたはずなのに、自分が一番遠かったのだと感じた。
柱の陰から二人を覗いていたが、その時、夕貴が声を出して笑った。
津久井が何か面白いことでも言ったのかもしれない。夕貴は口元に手を当てて、目を細めて笑っていた。
佐倉は愕然とした。
夕貴があんな風に笑う姿を見たのはいつだっただろう。
事故が起こる随分前から、仕事に夢中になって夕貴を放ったらかして、心が離れたと感じたら過剰に束縛して叱責して追い詰めて、無理やり一緒にいると言わせた。
そして大好きだった夕貴の柔らかい頬を、殴って赤く腫れ上がらせたのは自分だった。
佐倉は膝から崩れ落ちてその場に座り込んだ。
自分のデザインしたフラワーアートで、全国を飾りたいというのは夕貴の夢だった。
体を傷つけて、夢も奪ってしまった自分は恋人ではない。
いつの間にか、モンスターになってしまった。
夕貴と津久井は楽しそうに笑いながら病室へと戻っていった。
なんとか立ち上がった佐倉は、その足でご両親の元へ行って頭を下げた。
別れますと言って、迷惑をかけましたと謝った。
その時にご両親から、夕貴が投薬のためバース検査をしたことを聞かされた。
付き添いできていた津久井もたまたま一緒に検査を受けて、高い確率で遺伝子の相性がいいと診断されたそうだ。
おそらく、運命の番と呼ばれる関係だろうと言われたそうだ。
それを聞かされた時、佐倉はモヤモヤしていた気持ちがやっと腑に落ちたのを感じた。
一度出会ったら、どこまでも偶然が続いて離れられなくなってしまう。
世界でただ一人の運命の相手。
微笑み合う二人は完璧な絵になっていて、自分だけ余ってしまったピースになった気がした。
夕貴が入院中に、佐倉は二人で暮らした部屋から出ていくことにした。
もともと夕貴の住んでいた部屋に転がり込んだから、自分の荷物など大したものはなかった。
きちんと掃除をして、綺麗にできるものは綺麗にした。
ちょうどその頃、コンテストに落選したという連絡が入って、何もかもどうでもよくなった佐倉は、パソコンからカメラまで全部処分した。
部屋を出る時、手紙を残した。
今まで本当にごめんなさい。どうか幸せになってください。
足のことは自分のせいなので、一生償いますと書いた。
家賃は折半にしていたので、振り込みに使っていた夕貴の通帳を手紙と一緒に添えた。
ドアを閉めて鍵をかけた後、鍵をドアポストに落とした時、全てが終わってしまったと感じて、佐倉はドアの前に座りこんで泣いた。
「最低だろう。恋人を傷つけて一生の傷を負わせた。こんな自分が生きていていいのか、何度も考えたよ。ネカフェとか渡り歩いて、死んだようにただ生きていた時、大学時代の先輩に会って拾ってもらえた。それが縁でヤマノクリーンで働かせてもらえることになった」
途中途中、感情的になりながら佐倉はやっと話を終えた。
今まで誰にも話せずに胸に抱え込んできたことだった。
梶はなんと言うだろうかと思っていた。
きっと失望したと罵られるかもしれない。
佐倉が身構えた時、梶は大きく息を吐いて自分の頭をくしゃくしゃとかいた。
いつも後ろに流している髪が前になって、表情も違って見えた。
「それで、その彼に振り込みを続けているのか?」
「ああ、そうだよ。働き出してから、給与の半分くらいを治療費として毎月……」
「確かに起こってしまったことは変えられない。事故に関して未春が責任を感じる気持ちも分かる。だが、大事なことを忘れている」
「え?」
「相手の両親に促されたとはいえ、一方的に別れを告げて逃げてきたようなものだ。それで金だけ送られても、向こうだって困っているだろう。おかげでお前は少しも進めずにいるし、きっとその彼も同じだ。お前から振込がある度に胸を痛めるに違いない」
「でも……今さら合わせる顔が……」
「お前は金を渡して償っているつもりかもしれないが、気にならないのか? 彼がどうしているのか、足はどうなったのか?」
「それはっ、もちろん気になるに決まっているだろう! 元気でいてほしいって、毎日祈っている」
佐倉は目に力を込めて梶に視線を送った。
何度も会いに行こうとしたし、ネットで名前を検索したら何か分かるかもしれないと考えたこともある。
だけどできなかった。
二人が、津久井と夕貴が仲睦まじく暮らしている様子を見るのが恐かった。
逆にもし一人で辛い思いをしていたら、それも苦しいし責任を感じる。
何もかも恐くて動けなかった。
佐倉の心を読み取ったように、優しく笑った梶は、佐倉の頭をゆっくりと撫でた。
「それなら会いに行こう。二人を見るのが恐いなら俺が隣にいる。手が震えるならずっと繋いでいてもいい。決心がついたらいつでも言ってくれ」
「智紀……」
なぜそこまでこんな自分に優しくしてくれるのか、梶の心が分からなかった。
以前そう思った時は、優しさが痛く感じると思ってしまったが、今は違う。
心の底から、梶の優しさに染められていく。
何色だかは知らない。
ただ心地よくて、泣きたくなる色だ。
梶の指が佐倉の唇をなぞった。
ぶるぶると震えていたが、その優しい感触に唇の震えは治った。
そして運転席から身を乗り出してきた梶は、佐倉を包み込むようにぎゅっと抱きしめた。
「今まで一人でよく頑張ったな。大丈夫だ、これからは俺が側にいる」
ポロリと涙がこぼれ落ちた。
こんな自分に優しくなんてしてはいけない。
だめだと言いたいのに、後から後から涙が溢れてきて止まらない。
恋人を慰めるような言葉をかけないでほしい。
勘違いしてしまう。気を許したらすぐにでも梶の色に染まってしまいそうで、佐倉は目を閉じた。
「もう自分を責めるな。後は当事者同士、話し合って解決すればいい。向こうが一生恨むと言うなら、俺も一緒に償ってやる」
「どうして……どうしてそこまで……」
佐倉の重いくらいの優しさが不思議だった。
自分に向けられるものなのに、どこか遠くを見ているような気がするのはなぜだろう。
「どうしてか……俺にもよく分からない。ただ、俺もずっと、償いたいと思って生きていた。だが、相手が分からないんだ。だから、お前と重ね合わせることで、自分の罪を軽くしたいのかもしれない」
罪。
人が罪を負って生まれてくるとしたら、子供はなぜあんなにも純粋に笑うのか。
罪は人が作るものだ。
そして償うのも人。
生きていれば、誰もが多かれ少なかれ、後悔するような出来事があるはずだ。
梶の罪については深く聞かなかった。
これ以上触れてほしくないという空気を感じたからだ。
だから佐倉は梶の首に手を回して、自分から唇を重ねた。
重ね合わせることで、梶の痛みが消えるのならばそれでいい。
他に言葉などいらない。
今まで佐倉に触れるのも、キスをするのも、全部梶から始まった。
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