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12 落ちた花びら
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大学二年の時、一年後輩だった志野夕貴と仲良くなった。
飲み会で意気投合して、何度か遊んだ後、夕貴の部屋に遊びに行った。
内気な性格だった佐倉と違い、夕貴は誰にでも優しくて明るい性格で好かれていた。
そんな夕貴がなぜ自分に優しくしてくれるのか、気になってはいたが、元来の臆病な性格のおかげで、さりげなく聞いてみることもできなかった。
そんな佐倉に、夕貴は匂いが気に入ったから、付き合おうよと告白してきた。
アルファとオメガは相性がいいから、最高のカップルになれるんだよと。
胸がドキドキして壊れてしまいそうだった。
その瞬間、佐倉は夕貴のことが好きになってしまった。
最初は夕貴から告白されての始まりだったが、蓋を開けてみたら佐倉の方が夢中になっていた。
どこか隙間風が吹いていた孤独な心を、太陽のように明るい夕貴が温めてくれた。
オメガのフェロモンでヒートになることは出来なくとも、夕貴の体に溺れて一日中抱き続けたこともあった。
好きで好きで好きで、たまらなかった。
付き合って三ヶ月もすると、一緒に暮らし始めた。
離れたくないというのもあったし、お互いバイトをしていたが、一緒にやりくりした方がお金が貯まると夕貴に誘われたのだ。
夕貴の口座に毎月の家賃を半分振り込んで、その他の諸々の生活費は、夕貴が先に払って後で渡すという流れになった。
しっかり者の夕貴のおかげで生活は何もかも充実して上手くいっていた。
そのまま大学時代を一緒に過ごし、卒業してからも一緒に暮らした。
佐倉はバイトをしながら夢を追い続けて、夕貴は花屋で働きながら、フラワーアレンジメント作家としてネットで作品の販売を始めた。
佐倉の亡くなった父は写真を趣味にしていた。
父から受け継いだカメラを持った時、天国にいる両親に自分の撮った写真を見て欲しいと思って、写真を撮り始めた。
大学も芸術学や写真専攻に進んで、ゆくゆくは大きな賞を取って、世間に広く認められたいと思うようになっていた。
佐倉が撮っていたのは主に風景や人物だった。
在学中からマイナーな写真誌などに応募を始めて、少しずつ取り上げられてもらうようになった。
夕貴は佐倉が撮る写真が好きだと言ってくれた。
アルファとオメガの混合型という珍しい性を持つ、ということをもっと前面に押し出して売り込めば人気が出ると言われた。
だけど佐倉は作品だけで見てもらいたくて、年齢も性別も一切公表せずに活動を続けた。
付き合って五年目、佐倉が二十五になった時、大きなチャンスが来た。
細々と写真の依頼を受けていたが、それを写真集にして自費出版した。
それがかなり好評で売れ行きも良かったので、佐倉はその時、一番勢いに乗っていた。
その時お世話になった出版社の人から連絡が来て、写真のコンテストに出ないかと誘われたのだ。
テレビ局や大手出版社や大手メーカー、様々な会社が企画した大きなコンテストで、写真をやる人間なら誰でも知っていた。
大賞に選ばれたら、賞金として三百万、CMやポスターなど大々的に使われることなり、写真家の登竜門と呼ばれ、これに選ばれたら一生食っていけるとまで言われていた。
応募条件に業界関係者の推薦が必要だったが、誘ってもらえたことでそれがクリアできた。
もうこんなチャンスは二度とないと、佐倉は衣食住も忘れて、コンテストのためだけに集中した。
フォトグラファーとしての成功、その夢のためでもあったが、もう一つ大事な決意があった。
夕貴と付き合って五年目に入り、そろそろプロポーズしようと決めていた。
今までろくに売れずに稼げなかった自分を、夕貴はずっと支えてくれた。
賞金を得たらそれで指輪を買って、プロポーズするつもりだった。
結婚したら番になろうと約束をしていた。
大切にしたいと思っていて、まだ夕貴とは番にはなっていなかった。
夕貴は待ってくれている、だから頑張ろう。
佐倉は今まで以上に写真に集中していった。
そんな佐倉を見て、夕貴が寂しそうな顔をしていることも気が付かずに……
夕貴から見れば、二人の関係は不安だったのだろうと、今なら分かる。
なかなか結婚や、番になろうという言葉が出ずに月日が過ぎていき、コンテストのためだとあちこちに出歩いて、夜中までパソコンと睨めっこをして、上手くいかなければイラついて不機嫌になっていた。
休日のデートも、一緒に食事を取ることも、どんどん回数が減っていき、顔を合わせる時間も少なくなった。
聞いてほしいこと、相談したいこと、たくさんあったに違いない。
それなのに、佐倉は目の前のことしか見えていなくて、夕貴のことを振り返ることもできなかった。
何ヶ月もかけてようやく満足するものが撮れて、なんとかギリギリに応募することができた。
まずは応募作品展が開かれて、そこで一般に公開される。
一般票と専門家、関係者票、それらが集められて大賞が決定する。
作品展の案内をもらった佐倉は、これで夢が叶うかもしれないと両手を上げて喜んだ。
しかしちょうどその頃、夕貴が働いていた花屋にある客が訪れた。
近くに開業した病院の医師で、受付に飾る花を買いに来たらしい。
夕貴と、津久井という名のその医師は、ついに出会ってしまった。
一度出会ってしまうと、まるで魔法の力が働いて吸い寄せられるように、どこへ行っても何をしていても、離れようとしても、偶然に会い続けると言われている。
お互い本能的に惹かれ合って、忘れられなくなってしまう相手。
この世の中にたった一人。
だからこそ幻だとか、都市伝説だと言われるくらい、現実には出会うことがないと言われている、遺伝子的にも最高の相性で本能で求め合う、それが運命の番だ。
その頃家では、なぜか分からないが夕貴が頬を染めて、浮かれている様子だったのを覚えている。
名前を呼んでも、うわの空だったので、佐倉は少しだけ違和感を覚えた。
作品展が開催されたら一緒に観に行こうと約束したが、良かったねと笑う夕貴の顔がいつもとは違って見えた。
人の心が自分から離れていく。
毎日一緒にいたら、嫌でも分かってしまった。
愛し合う回数が減って、好きだとも言えば好きだと返されるが、その時の目がどこか遠くを見ていた。
名前を呼んだ時にぎこちない笑顔で返されたり、話しかけたのにスマホを見ながら答えられたり。
近づくと驚いた顔をされて、肩に触れるとビクッと体が揺れた。
そういう小さな積み重ねが佐倉の心を不安に陥れていった。
わずかに離れて置かれたカップ、重なり合っていた歯ブラシが反対方向を向いていただけで、心臓が痛くなって不安に襲われた。
違う違う
何度も気のせいだと思って目をつぶった。
それでもどうしても不安が抑えられなくて、夕貴の勤め先の花屋をこっそり覗きに行ってしまった。
夕貴が小さな子供を連れた母親に、笑顔で接客する様子を見た佐倉は、何をやっているんだと思い直して帰ろうとした。
すると途中ですれ違った男が手を上げて、夕貴くんと声を上げたのが分かって足が固まった。
恐る恐る振り返ると、夕貴は男に向かって笑顔で手を振りかえした。
今日は何時に終わるの? なんて親密な会話をして、駅まで一緒に帰ろうと話していた。
目の前が真っ赤に染まった。
意味が分からなくて分かりたくなくて、今すぐ大暴れして、全部壊してやりたくなった。
誰だよお前! フザけんな!
勝手に声をかけるな、それは俺の……俺のなんだ!
なんとかその場で怒りを抑えたが、帰宅した夕貴を座らせて、怒鳴って問い詰めた。
夕貴は仲良くしているお客さんで、それ以上の関係ではないと言った。
だけど、どう見てもお互いが惹かれ合っていることは明らかで、問い詰めれば問い詰めるほど、夕貴が怯えて心を閉ざしていくのが分かった。
怒りと苦しみと恐怖で頭が壊れてしまいそうだった。
いや、壊れてしまった。
その時、佐倉の理性は壊れて、ただの凶暴な野獣に変わってしまった。
夕貴の言葉が信じられなくて、佐倉の異常な束縛が始まった。
執拗に連絡をして、すぐに返事がなければ店まで行って、なぜ遅いんだと問い詰めた。
帰りも店の前で待っていて、誰とも仲良くしないように命令して、同僚と話すことすら許さなかった。
佐倉は常に水が溢れそうなコップのような状態だった。
少しのことで水が溢れて不安になって、ますます夕貴を追い詰めていった。
それでも運命の番というのは、切っても切れない強い繋がりだった。
待ち伏せして、客として現れた津久井に向かって怒鳴りつけたこともある。
殴りかかって警察を呼ばれたことも。
とにかく必死だった。
必死で夕貴を繋ぎ止めたくて、夕貴の心はどんどん離れていくのに、足に縋って行かないでくれと懇願した。
そんな俺を見て、哀れに思ったのだろう。
夕貴は津久井とはもう会わないと約束してくれた。
ずっと一緒にいてくれと言って泣く佐倉を抱きしめて、夕貴はあの時、なんと思ったのだろうか。
何度思い出そうとしても、夕貴のあの時の顔を、思い出すことはできなかった。
これで大丈夫。
元通りになったと思ったのも束の間。
佐倉は町のカフェで、夕貴と津久井が話しているところを目撃してしまう。
嘘つき
嘘つき嘘つき嘘つき
佐倉はついにキレた。
怒りに頭が支配されてしまった。
全部壊してやる
めちゃくちゃになってしまえ
いつも通り、ただいまと帰ってきた夕貴は、気配がするのに電気の付いていない部屋を見て、何かを感じ取ったのだろう。
悲鳴を上げようとしたが、その口を佐倉が塞いだ。
許さない
許さない
佐倉は嫌がる夕貴を冷たい床に押し倒した。
二人で暮らした幸せな時間が詰まったこの部屋で、今自分は何をしようとしているのだろう。
佐倉は怒りに染まった顔をしながら、心の中で泣いていた。
□□□
飲み会で意気投合して、何度か遊んだ後、夕貴の部屋に遊びに行った。
内気な性格だった佐倉と違い、夕貴は誰にでも優しくて明るい性格で好かれていた。
そんな夕貴がなぜ自分に優しくしてくれるのか、気になってはいたが、元来の臆病な性格のおかげで、さりげなく聞いてみることもできなかった。
そんな佐倉に、夕貴は匂いが気に入ったから、付き合おうよと告白してきた。
アルファとオメガは相性がいいから、最高のカップルになれるんだよと。
胸がドキドキして壊れてしまいそうだった。
その瞬間、佐倉は夕貴のことが好きになってしまった。
最初は夕貴から告白されての始まりだったが、蓋を開けてみたら佐倉の方が夢中になっていた。
どこか隙間風が吹いていた孤独な心を、太陽のように明るい夕貴が温めてくれた。
オメガのフェロモンでヒートになることは出来なくとも、夕貴の体に溺れて一日中抱き続けたこともあった。
好きで好きで好きで、たまらなかった。
付き合って三ヶ月もすると、一緒に暮らし始めた。
離れたくないというのもあったし、お互いバイトをしていたが、一緒にやりくりした方がお金が貯まると夕貴に誘われたのだ。
夕貴の口座に毎月の家賃を半分振り込んで、その他の諸々の生活費は、夕貴が先に払って後で渡すという流れになった。
しっかり者の夕貴のおかげで生活は何もかも充実して上手くいっていた。
そのまま大学時代を一緒に過ごし、卒業してからも一緒に暮らした。
佐倉はバイトをしながら夢を追い続けて、夕貴は花屋で働きながら、フラワーアレンジメント作家としてネットで作品の販売を始めた。
佐倉の亡くなった父は写真を趣味にしていた。
父から受け継いだカメラを持った時、天国にいる両親に自分の撮った写真を見て欲しいと思って、写真を撮り始めた。
大学も芸術学や写真専攻に進んで、ゆくゆくは大きな賞を取って、世間に広く認められたいと思うようになっていた。
佐倉が撮っていたのは主に風景や人物だった。
在学中からマイナーな写真誌などに応募を始めて、少しずつ取り上げられてもらうようになった。
夕貴は佐倉が撮る写真が好きだと言ってくれた。
アルファとオメガの混合型という珍しい性を持つ、ということをもっと前面に押し出して売り込めば人気が出ると言われた。
だけど佐倉は作品だけで見てもらいたくて、年齢も性別も一切公表せずに活動を続けた。
付き合って五年目、佐倉が二十五になった時、大きなチャンスが来た。
細々と写真の依頼を受けていたが、それを写真集にして自費出版した。
それがかなり好評で売れ行きも良かったので、佐倉はその時、一番勢いに乗っていた。
その時お世話になった出版社の人から連絡が来て、写真のコンテストに出ないかと誘われたのだ。
テレビ局や大手出版社や大手メーカー、様々な会社が企画した大きなコンテストで、写真をやる人間なら誰でも知っていた。
大賞に選ばれたら、賞金として三百万、CMやポスターなど大々的に使われることなり、写真家の登竜門と呼ばれ、これに選ばれたら一生食っていけるとまで言われていた。
応募条件に業界関係者の推薦が必要だったが、誘ってもらえたことでそれがクリアできた。
もうこんなチャンスは二度とないと、佐倉は衣食住も忘れて、コンテストのためだけに集中した。
フォトグラファーとしての成功、その夢のためでもあったが、もう一つ大事な決意があった。
夕貴と付き合って五年目に入り、そろそろプロポーズしようと決めていた。
今までろくに売れずに稼げなかった自分を、夕貴はずっと支えてくれた。
賞金を得たらそれで指輪を買って、プロポーズするつもりだった。
結婚したら番になろうと約束をしていた。
大切にしたいと思っていて、まだ夕貴とは番にはなっていなかった。
夕貴は待ってくれている、だから頑張ろう。
佐倉は今まで以上に写真に集中していった。
そんな佐倉を見て、夕貴が寂しそうな顔をしていることも気が付かずに……
夕貴から見れば、二人の関係は不安だったのだろうと、今なら分かる。
なかなか結婚や、番になろうという言葉が出ずに月日が過ぎていき、コンテストのためだとあちこちに出歩いて、夜中までパソコンと睨めっこをして、上手くいかなければイラついて不機嫌になっていた。
休日のデートも、一緒に食事を取ることも、どんどん回数が減っていき、顔を合わせる時間も少なくなった。
聞いてほしいこと、相談したいこと、たくさんあったに違いない。
それなのに、佐倉は目の前のことしか見えていなくて、夕貴のことを振り返ることもできなかった。
何ヶ月もかけてようやく満足するものが撮れて、なんとかギリギリに応募することができた。
まずは応募作品展が開かれて、そこで一般に公開される。
一般票と専門家、関係者票、それらが集められて大賞が決定する。
作品展の案内をもらった佐倉は、これで夢が叶うかもしれないと両手を上げて喜んだ。
しかしちょうどその頃、夕貴が働いていた花屋にある客が訪れた。
近くに開業した病院の医師で、受付に飾る花を買いに来たらしい。
夕貴と、津久井という名のその医師は、ついに出会ってしまった。
一度出会ってしまうと、まるで魔法の力が働いて吸い寄せられるように、どこへ行っても何をしていても、離れようとしても、偶然に会い続けると言われている。
お互い本能的に惹かれ合って、忘れられなくなってしまう相手。
この世の中にたった一人。
だからこそ幻だとか、都市伝説だと言われるくらい、現実には出会うことがないと言われている、遺伝子的にも最高の相性で本能で求め合う、それが運命の番だ。
その頃家では、なぜか分からないが夕貴が頬を染めて、浮かれている様子だったのを覚えている。
名前を呼んでも、うわの空だったので、佐倉は少しだけ違和感を覚えた。
作品展が開催されたら一緒に観に行こうと約束したが、良かったねと笑う夕貴の顔がいつもとは違って見えた。
人の心が自分から離れていく。
毎日一緒にいたら、嫌でも分かってしまった。
愛し合う回数が減って、好きだとも言えば好きだと返されるが、その時の目がどこか遠くを見ていた。
名前を呼んだ時にぎこちない笑顔で返されたり、話しかけたのにスマホを見ながら答えられたり。
近づくと驚いた顔をされて、肩に触れるとビクッと体が揺れた。
そういう小さな積み重ねが佐倉の心を不安に陥れていった。
わずかに離れて置かれたカップ、重なり合っていた歯ブラシが反対方向を向いていただけで、心臓が痛くなって不安に襲われた。
違う違う
何度も気のせいだと思って目をつぶった。
それでもどうしても不安が抑えられなくて、夕貴の勤め先の花屋をこっそり覗きに行ってしまった。
夕貴が小さな子供を連れた母親に、笑顔で接客する様子を見た佐倉は、何をやっているんだと思い直して帰ろうとした。
すると途中ですれ違った男が手を上げて、夕貴くんと声を上げたのが分かって足が固まった。
恐る恐る振り返ると、夕貴は男に向かって笑顔で手を振りかえした。
今日は何時に終わるの? なんて親密な会話をして、駅まで一緒に帰ろうと話していた。
目の前が真っ赤に染まった。
意味が分からなくて分かりたくなくて、今すぐ大暴れして、全部壊してやりたくなった。
誰だよお前! フザけんな!
勝手に声をかけるな、それは俺の……俺のなんだ!
なんとかその場で怒りを抑えたが、帰宅した夕貴を座らせて、怒鳴って問い詰めた。
夕貴は仲良くしているお客さんで、それ以上の関係ではないと言った。
だけど、どう見てもお互いが惹かれ合っていることは明らかで、問い詰めれば問い詰めるほど、夕貴が怯えて心を閉ざしていくのが分かった。
怒りと苦しみと恐怖で頭が壊れてしまいそうだった。
いや、壊れてしまった。
その時、佐倉の理性は壊れて、ただの凶暴な野獣に変わってしまった。
夕貴の言葉が信じられなくて、佐倉の異常な束縛が始まった。
執拗に連絡をして、すぐに返事がなければ店まで行って、なぜ遅いんだと問い詰めた。
帰りも店の前で待っていて、誰とも仲良くしないように命令して、同僚と話すことすら許さなかった。
佐倉は常に水が溢れそうなコップのような状態だった。
少しのことで水が溢れて不安になって、ますます夕貴を追い詰めていった。
それでも運命の番というのは、切っても切れない強い繋がりだった。
待ち伏せして、客として現れた津久井に向かって怒鳴りつけたこともある。
殴りかかって警察を呼ばれたことも。
とにかく必死だった。
必死で夕貴を繋ぎ止めたくて、夕貴の心はどんどん離れていくのに、足に縋って行かないでくれと懇願した。
そんな俺を見て、哀れに思ったのだろう。
夕貴は津久井とはもう会わないと約束してくれた。
ずっと一緒にいてくれと言って泣く佐倉を抱きしめて、夕貴はあの時、なんと思ったのだろうか。
何度思い出そうとしても、夕貴のあの時の顔を、思い出すことはできなかった。
これで大丈夫。
元通りになったと思ったのも束の間。
佐倉は町のカフェで、夕貴と津久井が話しているところを目撃してしまう。
嘘つき
嘘つき嘘つき嘘つき
佐倉はついにキレた。
怒りに頭が支配されてしまった。
全部壊してやる
めちゃくちゃになってしまえ
いつも通り、ただいまと帰ってきた夕貴は、気配がするのに電気の付いていない部屋を見て、何かを感じ取ったのだろう。
悲鳴を上げようとしたが、その口を佐倉が塞いだ。
許さない
許さない
佐倉は嫌がる夕貴を冷たい床に押し倒した。
二人で暮らした幸せな時間が詰まったこの部屋で、今自分は何をしようとしているのだろう。
佐倉は怒りに染まった顔をしながら、心の中で泣いていた。
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