占いなんて信じない! ーへんてこな世界で幸せ見つけましたー

朝顔

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●ばんがいへん●

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 《和解》


 感情は黒だ。

 真っ黒な色は、他のどの色も黒く染めてしまう。

 俺の感情は怒りだけ。
 怒りの色は黒。

 黒

 黒

 毎日が黒に染まっていく。

 何に怒っているのかすら分からない。
 自分の境遇が父か母か、それとも自分自身にか……。

 怒りをそこら中にばら撒いて、俺を恐れた人が一人消え、一人消え、父すらも愛人や仕事に逃げるように消えてしまった。

 母だけは根気よく、俺に帝王学を学ばせて、グループを統帥する支配者としての教育をさせようとしていた。
 しかしそれも、幼い頃まで。
 成長して威嚇が使えるようになると、徐々に俺を恐れた母は逃げるように海外へ行ってしまった。

 そもそも、肉食系の夫婦だった両親は、俺が生まれた時に困惑したらしい。
 獣人の中で唯一の神獣と呼ばれ、別格とされるユニコーン。
 天に向かって伸びた一角を見た時、母は思わず折ってしまいたいと思ったそうだ。

 とんでもないバケモノを産んでしまった。
 肉食系が本能的に恐怖を感じる相手。
 周りの人間にとって、俺は普通の子ではなかった。

 些細なことで癇癪を起こして暴れ回り、誰一人手がつけられない。
 父は早々に家に帰らなくなり、母は追い詰められた。

 せめて跡取りとしてまともになるように、とにかく良い物を見せようと走り回った。
 だがその息子は、巨匠が描いた億を超える芸術品より、道端の草を見る方に興味を示した。
 母はそんな息子に我慢ができなくなり、高額の報酬を払って最高の教師を集めた。

 家に閉じ込めて叩き込もうとしたが、すでに神獣としての気迫を身につけていた俺に、教師達は全員怯えて来なくなってしまった。

 怒りだ。
 俺の原動力は怒りだった。

 その反面、孤独で愛を求めていたけれど、畏怖の対象となるような俺に、誰一人として本当に欲しいものをくれることはなかった。
 当たり前だ。
 怒ってばかりのヤツを愛そうなんて誰も思わない。
 ますます孤独になった俺は、怒りに苛まれて、全てを拒絶することにした。






「久しぶりですね。突然尋ねてくるなんて……」

 来客用のカップに入れたお茶をテーブルに載せると、コトンと小さい音が鳴った。

「近くに来たから寄っただけよ。どうしているかと思ってね」

「そうですか。先に連絡くらいあってもいいのに、相変わらず気まぐれですね」

 皮肉を投げつけてやると、カップを口に運んだ母は、無言でお茶を飲んだ。
 いつもの調子なので、しかたなく話を進めることにした。

「あの人はどうしています? そっちも相変わらずですか?」

「ええ、南仏の方で若い子とバカンスでもしているんじゃない? 仕事は引退したし、好き勝手やるそうよ。あんなのと離婚してスッキリしたわ」

 父と母は数年前に離婚した。
 もともと長いこと仮面夫婦だったが、財産分与で揉めて、裁判を繰り返してやっと離婚が成立した。
 母にほとんどの財産を渡すことになった父は、仕事を引退して海外へ行ってしまった。

 母自身も海外に拠点を置いて、化粧品関連の輸入の会社をやっている。
 かつて家族だった三人は結局ほとんど家族らしいことはできずに、バラバラになってしまった。
 以前の俺であれば、ショックを受けて、孤独が怒りに変わり、心が蝕まれていたかもしれない。

 それが今は凪いだ海のような気持ちで、少しも怒りが湧いてくることはない。
 それどころか、ただ母には幸せに生きて欲しいとさえ思っている。

 しかし、それを口に出すことはできない、
 長年、凝り固まった思いが邪魔をするからだ。

 両親は授業参観に来てくれたこともない。
 一緒に寝て欲しいと頼んでも、子守りを呼んでドアを閉めてしまった。
 突然冷えた日の夜は寒くて、凍えても毛布を持ってきてくれる人がいなかった。
 みんな思い通りに俺が育たないから、もう無理だと投げ出して逃げてしまった。
 母のことを思うたびに、嫌な記憶がじっとりと肌に残っているのを感じる。

 だが、もう怒りはない。

 昔は恨んで怒っていたが、もうそんな気持ちは残っていない。

 それは全部、彼のおかげ。
 彼の隣にいると、何もかも満たされて穏やかな気持ちになるのだ。

「それで? 急に帰国したワケは何ですか? 白馬グループとしての経営は叔父さん達にも手伝ってもらっているし、順調ですよ」

「そっちは私が口出しできることじゃないわ。………学くんは?」

「え? 学? まだ……ですけど……」

 ガチャっと玄関の方でドアが開けられる音が聞こえた。
 パタパタと廊下をかける足音がして、リビングのドアが開くと、ただいまと元気な声が聞こえてきた。

「ごめん、遅くなって。参ったよ、テストの採点がなかなか終わらなくて……、って、あれ!? お義母さん?」

「久しぶりね、学くん。元気にしていた?」

 部屋に入ってきたのは、学だった。
 くるくるとした髪を後ろに流して、社会人らしいスーツがまだちょっと浮いている姿がたまらなく可愛い。
 思わず抱きしめておかえりと言いたかったのに、母の手前、なんとか我慢した。

 その母は、学が部屋に入ってくると、サッと立ち上がって学の側に歩いて行った。

「はい。お義母さんも元気にされていましたか?」

「私は変わらずよ。それより、小学校の教師になったそうね。優しい先生だから、生徒から人気でしょう?」

「いやぁー、まだペーペーですからっ。毎日何やらかすかビクビクしながら、何とかやってます」

「亜蘭と結婚して苦労はしていない? 無理して働かなくてもいいのよ。亜蘭はケチなのかしら?」

 母がまたいつもの調子で話し出したので、頭痛がした俺は頭に手を当てて話を聞いていた。
 母の発言に学は手を振って違うとアピールをした。

「いやいやいや、そんなことないです! 十分良くしてくれています。仕事はどうしても俺がしたいって言って、教員免許取るのも応援してくれたんです。こんなマンションに住めるのも亜蘭のおかげですし、すごく楽をさせてもらってます」

 大学一年の時に出会い、交際を続けた俺と学は、大学を卒業を機に結婚した。
 俺は父から引き継いだ会社の経営に携わり、学は小学校の教師になった。
 今のマンションで一緒に暮らし始めてから一年。
 それまでも毎日のように会っていたが、もっと近くなり、お互いに忙しくはあるが、幸せな日々を送っていた。

「そう、良かったわぁ。学くん、亜蘭を末長くよろしくね。貴方だけが頼りよ。人類の平和は貴方にかかっていると言っても過言ではないから」

「過言ですよ。俺はゴジラかなにかですか?」

「似たようなものね。学くんがいないといつ噴火するか分からない火山とも言うわ」

「はははっ、親子ですね。亜蘭も例えとか上手くて、詩人になった方がいいって言っているんですよ」

 色々ひどいことを言われた気がするが、学だけが冗談だと受け取って笑っていた。
 母が言うことも間違いではない気がする。
 俺にとって学は、もうなくてはならない存在だ。

「亜蘭ったら、お茶しか出していないなんて……。あぁ、そうだっ。今日調理実習があって、たくさん作りすぎて、みんなに持たせたんですけど、それでも余って持って帰ってきたんです。とっても美味しいですよ。よかったら、どうぞ」

 がらんとしたテーブルの上を見て慌てた様子になった学は、お皿を持ってきて、そこに鞄から取り出した包み紙からクッキーを載せて母の前に置いた。

 学の気遣いに俺は心の中で慌てた。
 母は最上級のものを好む人だ。お菓子にしても、最高級ホテルのもの以外口にしないと昔から散々言っていた。
 そんな人が小学生の手作りクッキーなんて、絶対手をつけるはずがない。
 学の前で、こんなものいらないと言ってしまいそうで、俺は慌てて話を変えようとした。

「あっ、あのさ……」

「いただくわ」

 何を言ったのかとポカンとする俺の前で、母はお皿に乗ったクッキーを一枚つまんで口に入れた。

「あらぁ……美味しい」

「でしょう! すごく良くできたんですよ。他の先生方にも好評でした」

 母は信じられないことに、そのままパクパクとクッキーを口に運んで全て食べてしまった。

「ごめんなさい。機内であまり食べられなくて、お腹が空いていたの。とっても美味しかったわ」

「いえ、いいんです。たくさん食べてくれて嬉しいです」

 母は笑っていた。
 釣り上がった目が似合う人なのに、目尻を下げて、嬉しそうに笑っていた。
 人に気を遣って食べるなんてことは絶対にしない人だと思っていた。
 それなのに……

「変わりましたね。昔は最高級のものしか口にしないと言っていたのに……」

「……私ね、本当はこういう優しい味の手作りのものが好きなのよ。ずっと、無理していたの。ごめんなさいね、貴方にもそれを押し付けようとして無理やり……」

 ずっと気を張って生きていたのか、今俺の前にいるのは、今まで女王のように見えていた母とは違う人に見えた。
 穏やかに笑う口元には皺があり、手入れが行き届いていた髪にはわずかに白いものが混じっている。
 俺はやっと、母のことをちゃんと見ることができた。
 歳をとったのだなと感じた。

「私ね、再婚することにしたの。式は挙げないけど、パーティーをするから、招待するわね」

「ええっ、おめでとうございます! どんな方なんですか?」

「小さな牧場やってる人で、優しくて大人しい人よ。ちなみにヒツジのどうぶつさん」

「わぁー、絶対に行きます。ね、亜蘭?」

 学は母と手を合わせて、自分のことのように喜んでいた。

 母は仕事だと言いつつ、わざわざそのことを言うためにここに来たのだと分かった。

 名前を呼ばれた俺は笑って頷いた。
 そして、ちゃんとおめでとうと言うことができた。





 《終》









 《わざと》



 最近困ったことがある。

 亜蘭と暮らし始めて一ヶ月。
 かつて不眠症だった亜蘭は、ねぼすけと言っていいくらいよく眠る。
 今までの分を取り戻すくらい寝ている気がする。
 だからいつも朝先に起きるのは俺の方だ。
 それはいいのだが……

 この世界の俺として生き始めたばかりの頃は、上手くコントロールできなかった獣化だが、今はすっかり身について、ほとんど出ることはない。
 獣人であることなんて忘れてしまうくらいなのに、朝になるとドキドキしてしまうのだ。

 それは……
 目を開けるといつも飛び込んでくる亜蘭の寝顔と、ぴょこんと飛び出た角のおかげで……。

 以前俺は寝起きに耳が出てしまい悩んでいた。
 そんな大人はいないと両親にも口酸っぱく言われていたのに、亜蘭ときたら、俺と暮らし出してから朝起きるといつも角が出ているのだ。

 先端はクルンと丸まっているので、当たっても痛いことはないが、獣化した部分を見ると本能的に興奮が高まってしまう。
 俺の前でリラックスして、無防備になってしまうというのはいいことなのだが、毎朝ドキドキしてしまうのは困りものだ。

「……んっ……、おはよ……学」

「あ、お……おはよう」

 朝から天使のような微笑みを見せられて、眩しくなってしまう。
 角を見て、一人で興奮していた気持ちをなんとか収めようと息をはいた。

「どうしたの? 何か苦しいの?」

 はぁはぁと息をしていたら、心配そうな顔をして亜蘭が俺のことを覗き込んできた。

「あの……亜蘭、その……角が……」

「ああ、いけない。熟睡したからかな」

 そう言って亜蘭は角を戻そうとしたので俺は、あっと声を上げてしまった。

「え? どうしたの?」

 もう少しだけ見ていたい。
 抑えようとは思うのだが、隠れてしまうと分かると、ムラムラが溢れてきてしまった。
 仕方なく助けて欲しいと見上げて、亜蘭の太ももにアソコを擦り付けた。
 朝からすっかり激っていたので、亜蘭はびっくりしたように目を開いて、ふふっと笑った。

「朝からエッチだね、学。今日は職員会議だから、遅刻できないんじゃなかったの?」

「……だっ……、まだ、ちょっとだけ……なら」

 亜蘭が俺の後ろに指を這わせてきた。
 するりと下着を下げられて、孔をいじられたら、トロリと溢れていく感覚がした。

「あ、夜のかな。まだ、柔らかいね。学、欲しいの?」

「……ん、欲しい……亜蘭のここに欲しい」

 こうなったらもう止まらない。
 体の奥がウズウズして、大きいのでたくさん突かれたくてたまらなくなってしまう。

 ゴソゴソと準備した亜蘭が、寝転んだまま後ろからナカに挿入ってきた。
 亜蘭のもガチガチに硬くなっていて、興奮してくれたのだと嬉しくなった。
 待ち侘びた熱にぶるりと震えて、思わず達してしまいそうになるのを我慢した。

「……ここに、たっぷり種を飲み込んで、授業をするなんて、エッチな先生だね」

「あ……あっ、ああっ……だっ……て、ほしくて……」

 気持ちいいことを知ってからどんどん欲張りになって、淫乱になっているような気がする。
 もちろんそれは亜蘭限定で、二人でいる時だけの話だ。

「……いいよ、俺の前だけ、……エロい学先生」

「んんっ、せんせ……いわな……いで」

 奥深くまで挿入した亜蘭は腰を使ってぐりぐりと動かしてきた。
 いいところを押されるので、気持ちよくてたまらない。
 たっぷりとナカを弄ったら、亜蘭は激しくピストンを始めた。
 爽やかな朝に不釣り合いの、パンパンと肉のぶつかる音が寝室に響き渡る。
 俺はその度に掠れた声を上げて喘ぎ続けた。

「先生……どこに欲しい? ここ? 外がいい?」

 ナカに出されるとお腹がゆるくなってしまうので、これから仕事だと若干遠慮したい気持ちはある。
 だけど頭の中は、亜蘭のモノが欲しくて欲しくてたまらない。

「あっ、お、おく……ふっ、んんっ、おくに……いっぱい……だして」

「ふふっ、欲しがりな先生。可愛い……大好き」

 いっそう激しく貫かれて、亜蘭の息が耳元にかかった。
 ぶるっと震えた亜蘭が腰の動きを止めた。

「……っ、んんっっーっっ」

 最奥に熱い飛沫を感じて、俺も押し出されるように熱を放った。



 息をはきながら、トロンと余韻に浸って亜蘭と抱き合っていたら、朝っぱらに盛ってしまったことが恥ずかしくなった。

「ごめっ……朝から俺……」

「いいよ。学から誘ってくれたの、嬉しい」

 そう言って嬉しそうに頬を赤らめた亜蘭は、キスをくれた。
 濃厚なキスを受けながら、ふと目を開けると、壁掛け時計が見えて、ハッと気がついた。
 朝食を作る時間を考えたら、もうゆっくりはしていられなかった。

「あっ、マズい! 朝ごはんの支度しないと!」

「ん? 大丈夫。朝食用のパンを買ってあるし、野菜とフルーツはカットして冷蔵庫に。コーヒーもスイッチ入れるだけにセッティングしてあるから」

「え……あ、ありがとう」

 食事は特に担当は決めていないが、今朝はやけに準備が良くて驚いてしまった。

「だから、もうちょっとゆっくりしよう」

「う……んんっ……」

 俺は甘く微笑んだ亜蘭に、再びベッドに引き摺り込まれた。
 なんとも言えない不思議な気分だが、とりあえず嬉しくて気持ちがいい。

 まぁいいかと思いながら、好きだよと言い合ってたくさんキスをした。






 《終》






 おまけ⭐︎
 もう一方の世界では……







 《まだ始まらない》




「びっくりしたよ。まさか白馬くんから声をかけてくれるなんて……」

 そう言いながら、串に刺さった焼き鳥をもぐもぐ食べている学の頬を見て、亜蘭はにっこり笑った。

「こっちだって驚いたよ。落合くんがうちの会社の新人研修に参加しているからさ。同じ大学から何人か入社したとは聞いていたけど、まさか落合くんだったなんてね」

 立ち飲み居酒屋の狭い店内。
 小さなテーブルの上のビールと焼き鳥を囲んで、学と亜蘭は二人で和やかに話していた。
 同じ大学出身だが、二人で飲むのはこれが初めて。
 学は大学時代、ダメ元で受けた白馬グループの会社に内定してそのまま就職した。
 大学では誰もの憧れの的だった白馬亜蘭が、今自分の前にいるのが信じられなくて、学はビール片手にまじまじと亜蘭を見つめてしまった。

「いやいや、白馬くんが俺の名前を知っていたことすら、こっちからしたら驚きなんだって。学部は同じだったけど、話したこともなかっただろう?」

 そう言いながら、学は頭の上を手で触っていた。
 その無意識で出てしまうクセのような仕草を亜蘭は不思議そうに眺めていた。

「話したことはなかったけど、話したいなとは思っていたんだ……。その、落合くんが頭触るのってクセ?」

「えっ? 頭……」

 完全に無意識だったのだろう。
 学は指摘されてから、焦ったような苦い顔をした。

「あのー、なんと言うか、昔の習慣? こっちではもう意味がないんだけど……、気になって触っちゃうと言うか……」

 学はもごもごと言い訳のようなことを言って、自分でも混乱しているような様子を見せた。
 亜蘭がその表情を読み取ろうと、ぐっと前に乗り出したら、学は気がついたようにハッとして頭を振った。

「なっ、なんでもない! 変なこと言ってごめん! 忘れて!」

「う……うん」

「俺さ、たまにおかしなこと言うけど、気にしないで。友達のルイやマサには、さんざん揶揄われて来たし、社会人になったら、ちゃんとしないとって焦ってて……色々抜けてるし、しっかりしないと本当にダメで……」

 そう言って学は、ビールをあおってごくごく喉を鳴らした。
 その様子を見ながら、亜蘭は優しげな目元を細めて、元気づけるように学の肩を叩いた。

「おかしなことでもいいよ。同じ大学出身なんだし、悩みごとがあったら何でも話してよ。今回は研修の監督官だけど、仕事を離れたら、仲良くしたいって思ってるからさ」

「白馬……」

 本当に良いやつだと学は感動していた。
 学生時代の亜蘭といえば、いつもピリッとした空気に包まれていて、どこか近寄り難かったので、みんな憧れつつも遠巻きに見ていた。

 話してみると亜蘭は気さくで良いやつに見えた。
 彼なら、自分の身に起こった、ありえない現象についても理解してくれるかもしれないと学は思った。
 ある日突然、自分や自分の周りが変わってしまったこと。
 かつての自分は完璧な「人間」ではなかった、ということも……


「……あのさ、気のせいかもしれないけど、もしかして白馬って……大学の時、俺のことたまに見ていた?」

 学はずっと心に引っかかっていたことを話してみることにした。
 何度も自分の思い過ごしだとか、気に障ったのかとか、何か訳があるはずだと悩みに悩んだのだが、ついに答えが出なかったことだ。

 鈍い自分だが、時々誰かの視線を感じて顔を上げると、亜蘭と目が合うことがあった。
 おかしな妄想はやめろと、何度も自分に言い聞かせたものだ。

 学の妄想混じりの質問を受けて、亜蘭は口の端をくっと上げて、目を細めて微笑んだ。

「うん、そうだよ。見ていた」

「えっ………」

「可愛いなと思って。付き合いたいって思っていたんだ。もちろん、今も……」

 亜蘭の言葉に学は目を白黒させて、言われたことを頭の中で噛み砕いて考えるように、眉間に皺を寄せた。
 そして、次の瞬間、飲んでいたビールをちょっと噴き出しながら、ゲホゲホとむせつつ腹を抱えて笑い出した。

「はははははっ! ちょっ、白馬くんでも、そんな冗談言うんだね。くくくっ、俺みたいなチビでモヤシみたいなのを……ふふふっ、確かに、なかなか面白いよ」

 大学時代もモテず、今まで彼女もいない完璧な童貞の自分を、こんなイケメンの神のような人が好きになるわけないと学はまったく信じていなかった。

「うーーん」

「大丈夫、センスあると思うけど、女の子の前で言ったら、大変なことになるからやめておいた方がいいよ。あっ、すみませんーー! ビール追加でお願いします」

 はいよーと店の大将の声が返ってきたら、学はジョッキに残ったビールを最後まで飲み干した。

「あっ、その感じだと、もしかしてお笑い好き? 良かったぁ、俺も好きだからさ、白馬くんと仲良くなれそうで嬉しいよ。この前見た面白い動画があって……ちょっと待ってね、今探すから……」

 緊張が解けたように、ヘラヘラと笑った学はポケットからスマホを取り出して、お勧めの動画を探し始めてしまった。

 その様子を見ながら、腕を組んだ亜蘭は鼻から息を吐いて、これは手強そうだと小さく呟いた。



 世界の片隅でひっそりと起こった世界交換。


 こちらのカップルに春が来るのは、もう少し先になりそうだ。






 《おわり》
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