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感情

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時間は人によって違うと思ってる。自分以外は作られた物であり、人はロボットか何かであり、自分が見てないところは存在していないと考えている。無論カントが議論をするなと言ったことだが、それでも少ない人生経験と未熟な感情でどうしても熟考する男がいる。
その男は何かを手に入れようとしていて、またその何かに追われているようだ。時折、その男はひどく無気力なときもあるようで、自分を見失うことがあるようだ。若者の発達課題としてアイデンティティの確立を提示した学者に腹を立てていそうだ。ただその男には得意にして一人楽しんでいることがある。それは感受性だと見える。人の感情、表情、およそ考えていること、人に限ったことではない。人よりも自然のそういったことに感受性を働かせるのがとても得意なのかもしれない。涙することさえある。時間の進みに寄り添うように次々変える自然の感情、表情が好きなのだろう。くどいが、その男は堪らなく好きな風景が色々有るようで、眠りにつくときにそれを創造してもいる。それを挙げておく。「秋の夕暮れ」「夜桜」「夏の夜祭り」「薄暗い明け方」「夜の星や月」等々挙げていけばたくさんある。言い忘れていたがここまで話してきた事はこの男自身についてのことである。少しでも皆に男を知ってほしい気持ちがある。孤独に似てるかもしれない。もしくは自分で他とは違うと思い自ら孤独に走っているだけかもしれない。どうでもいいそんなことは。私は今の苦しさ楽しさをここに書きたいだけだ。一つ嘘をついた。いままで私のことを言ってきただけだ。男などハナからいない。作っただけの存在。今まで言ってきたことは私について書いている。これ以上嘘は言わない。私は生憎時間が本当に少ない。ただこれを書いてる時は何故か楽しい。私は手に入れようとしている何かに春先に2回夏に一回そしてつい先日まで心をやられていた。これは恐ろしい。一度やられた心はそう簡単に元に戻らない。この感情とやらは一回なってみないと分かるわけがない。ただ、私は自分で追われていると勘違いしていたかもと、ふとしたときに思うようになってきた。やはり人間の慣れは怖いものである。絶望に飽きてしまったのかもしれない。苦しみに飽きてしまったのかもしれない。どちらにしろ良い予兆に違いない。そう信じるしかない。すがるものさえない人間は自らそれを作りそれにすがる。無論脆さは言わずもながだ。
ただ、やはり人というものは悲観的な動物であろう。暇な時間さえあればあれこれ考えてしまう。考えるのを放棄するために娯楽があると思う。
ただ放棄しないやつもいる。そういったやつらは軒並み成功しているようにも見える。ただ、この世界は観測しているものが全てである。物事をどう見るかはその人次第ということ。
話が垂れてきた。話を変えよう。
私が感じた勉学において重要なことを挙げる。
「習慣化」「反復」「計画」「量による質」
今上げた4つを守り勉学に励めば、阿呆でもコツが掴める。今挙げたことは技術や心構えと言ったところだが、精神も勉学においては同等かそれ以上に大事である。勉学だけやるのでは、必ず失敗してしまう。精神面の重要なことも挙げておこう。「運動」「日光を浴びる」たった2つだ。ただ、意外とできない。私もできていることのほうが少ない。
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