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【読者への共感】 ~参照・『荒木 飛呂彦の漫画術』 より~

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 ごきげんよう識者諸兄。
 久方ぶりに荒木先生の『創作論』を読み返していたら
ふと想うコトがあったので
此処に書き綴ってみようと想う。
 まず、荒木先生曰くストーリー作品のキャラクター、
特に “主人公側” は、その思考や目的、行動規範が
読者に『共感』出来るモノでなければならず、
ソレは基本的に『正義』、通常の『倫理観』から
大きく逸脱してはならないのだそうだ。
 無論「デスノート」や「軍鶏しゃも」のように、【悪】を主人公とした
所謂【ピカレスクロマン悪漢作品】というジャンルは存在するし、
鬼畜外道なキャラクターが跳梁跋扈する
“エロ・グロ作品” というのも無いわけではない。
 しかし大半の作品、特に優れた作品というモノは殆ど例外なく
主人公は心の中に自分の『正義』というのを
持っているモノであるし、
仮に破天荒なキャラクターでも
「弱者を甚振って愉しむ」ような真似はしないものである。
 何故ならそこに読者の『共感』というモノが存在し、
通常の倫理観や道徳心から大きく逸脱した
下衆で下劣なキャラクターには
【不快感】や【拒否反応】を示すように
人間 (読者) は出来ているからだ。
 さて、以上を踏まえて、まずはその【悪い例】から紹介して往こう。


「異世界の住人と契約した「〇〇〇〇〇〇〇 (組織的名称)」
世界の存在のバランスを保つために行動し、
その使命に全霊を賭ける」


 ……
 もう既にこの時点でを言っているかさっぱり解らないと想う……('A`)
 読者の『共感』など一切考えず、自分の頭の中で浮かんだ【妄想】を
そのまま垂れ流した悪しき典型例が上記の「設定」であると云えよう。
 まず、現実に「〇〇〇〇〇〇〇」とやらは存在しないし、
「世界のバランス」とやらもまた同様である。
 そのに「使命感を燃やして全霊を賭ける!」
とか言われても、
読者には「ハァ?」「勝手にやってくれよ」という
虚無感しか生まれてはこない。
読者に『共感』という最大のデメリットがコレで、
読者はそれ以上ストーリーにのめり込む事はないし
文章もただの無意味な言葉の羅列に堕してしまう、
もっと簡単に言えば単純に【恐ろしくつまらない】ので
途中で読む気を無くし作品を投げ出してしまうのである。
(ある者は頭にきて押し入れの奥にブン投げたらしいが……('A`))
 ここで【悪い】のは別に「〇〇〇〇〇〇〇」という
現実には存在しない「単語設定」ではない。
コレは逆に『スタンド使い』と言い換えても良いであろう。
では一体何が【悪い】のかというと、
その「〇〇〇〇〇〇〇」いう「設定」を、
『現実にあるもの』と『合致』させていないからである。

 例えば「世界の存在のバランスを保つ〇〇〇〇〇〇〇」ではなく
「人々を化け物から守る〇〇〇〇〇〇〇」
と言い換えたらどうであろう?
これならば現実の『警察官』や『軍人』のように、
命を賭して人々の安全や平和を守る方々が
いるわけであるから
作品に『リアリティー』が生まれ
読む読者にも『共感』が生まれる。
「医者は人の命を救うのが使命だ!」
という言葉には『共感』出来るが
「医者は病院界のバランスを保つのが使命だ!」
等と言われたら何のこっちゃさっぱり解らず
ソレに『共感』出来る余地は皆無である。
【現実と設定を合致させる】というのは
別に手から火の玉やレーザー光線を出すな、というのではなく
荒唐無稽な話でもいいから
合致させろ』という意味なのである。
 故に読者が『共感』出来ない行動理念は
【カルト宗教】の妄言と全く同じ、
「世界の存在のバランスを保つ決意をした者!」
とかドヤ顔で言っているのは、
「尊師のために!」とか「定説です!」
等と呆戯いてる輩と“同類”という事なのである。

 さて、クサす、否、【作品の問題点を指摘】
してばかりも疲れるので
次回は読者の『共感』を得られる『良い事例』を、
【ジョジョ第5部 ~黄金の旋風~ 】
を使って説明する事にしよう。

←To Be Continued……
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