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『批判文を載せる理由』 【リクエスト】

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*あっちの時から思っていた事ですが、
「本文」の方で沙波羅さんが考えた『代案』を載せるのって難しいですよね。
だからこそ「創作者」が集まる意義が生まれると感じています。
なのにもし本文に「俺はこうした方が良いと思う」とか書いたならたぶん、
「わかった! そうする!」みたいに、読んだ多くの人達がマネだけして、
新たな“テンプレ”が生まれるだけだと思うんですよね。
なのでこの創作論を一見、「批判的に見える文章に留めている理由」
それをリクエストしようと思ったのですが、
先に書いた懸念材料も考慮した上でお任せします。
~『YT』 様~


 例えば何か『議論』をするとして、“オリンピック”を題材にしたとしよう。
 その場合、「オリンピックの素晴らしさを挙げる」よりも
『オリンピックの “問題点” を考える』
とした方が議論は活発になると想う。
物事の「美点」を挙げ連ねていくだけでは、
そもそも『議論』にはならないのだ、
ある“問題”をのが
『議論』の本質で在るのだから。

 故に議題が「ライトノベル」で在る場合、
その「良い部分」を話し合うのではなく
【悪い部分】を皆で話し合って『解決策』を論じる方が
建設的だしその発展性もある。 
 結果としてその裡には常に『批判』を孕む事になるが、
ソレは「過程」であり【結果】ではないのだ。
 フリードリヒ・ヘーゲルの『弁証法』に於いては、
「意見」と『反意見』をブツけ合わせて“昇華”させ、
【新たな解答】を見つける事を旨としている。
 此処に『批判』が無ければ文字通り“お話”にならない。
 そもそも『批判』無き【発展】など存在しない、
ソレは我々人類の歴史を紐解いてみれば一目瞭然の事と想う。
 故に、今作品は主に『批判』をメインとしているが、
ソレを除いたらやる『意味』を消失してしまうのである。

 まず『批判』=【悪い事】という固定観念をどうか捨てて戴きたい。
 子供を叱る親より『叱ら (れ) ない親』の方が
厳然として【悪い】のだ。
 痛い (可哀想だ)からと言って治療をしなければ、
悪性病巣が増殖して取り返しのつかない事態に陥る。
 皆が皆、『創作』について論じ合えば
ソレは時に辛辣な印象を見る者に与えるかもしれない。
だがソレは『必要』な事であり嘗ての文豪達も皆行ってきた事だ。
 なあなあで馴れ合ったり、逆に他人の【悪口】を言っているだけの場所は、
100回 (厳密には200回超) も
前も云ったが皆そんなに『暇』じゃないのである。

 故に『創作論』を語る以上、ソレは必然『批判の形』を執らざる負えない。
 現状に満足出来るなら、『創作論』を語る必要はないからだ。
 何なら一回“実験”してみせようか?
『批判』を一切禁止して好きでもないラノベ作家の
「〇〇先生は素晴らしい」「〇〇先生も素晴らしい」
「某TKS先生はもっと素晴らしい!」
とだけ書いたとする。
 断言しよう、間違いなくその回のコメントは【ゼロ】だ。
 ワタシもワタシなりに、毎回皆様に集まって戴ている以上
その『責任』は発生する。
 故に『意味』の無い事は出来ないのだ、
「馴れ合い」がしたのではなく「中傷」がしたいのでもなく、
【創作議論】がしたいのだから。
 故に“前段階”の話をしているいとまは無いのである。
 速く巧くなって、速く『良い作品』が描きたい。
 我々が求めるのは、ソレだけである――。 
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