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年越しの儀
一月二日、三日(9)
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「凰のおおとり様に申しあげまする」
碧の声が聞こえた。
「遥」
隆人がぽんぽんと背を軽く叩いた。離れてきちんと座れということらしい。遥は泣きはらした重いまぶたで何度も瞬きしながら、自分の座布団に座りなおす。
遥の視線が自分たちに向くのを待っていたのだろう。碧を筆頭に世話係の一同が手を前につき、遥を見つめている。碧がよく通る声で告げる。
「凰のおおとり様におかれましては、我らが投げかけし難題、見事にお解きあそばしました。まことにおめでとう――存じまするぅ」
最後は世話係の声と平伏が揃った。
唖然とする遥になおも碧の言葉が続く。
「かように目出度き初度の年越しにお役をいただけましたこと、我ら御世話承りし者ども一同――恐悦至極に存じまするぅ」
何が起きたのかまだ飲みこめない。思わず隆人を見る。
「ど、ういうことだ」
遥は隆人がそのまとっている遥と揃いの真白な長着の襟を掴む。
「何がめでたいんだ。全然めでたくないぞっ」
ふわりと隆人の胸に抱きよせられた。
「お前は見事、年越しの儀を初度にして達成した。加賀谷に新しい年をもたらしたんだ」
「新しい年?」
胸の中から隆人を見あげる。
隆人は微笑んでいた。
「年越しの儀は凰を試すためにあると言ってあっただろう?」
遥はまじまじと隆人を見つめる。
「特に初めての年越しでは、凰がどれほど凰としての素養が身に付いたかが試される」
隆人の手が背を撫でる。
「凰は何のために存在する?」
突然の問いについ探るような上目で隆人を見てしまう。
「鳳を守る、ため?」
大きく隆人がうなずいた。
「いかなる状況でも、いかなるものからも――そうだな?」
やっと遥も事情が飲み込めてきた。
「当然それが儀式の中であろうとも、だ」
ため息がこぼれた。
「凰は、怒らなくちゃいけないのか……」
「怒らないまでも鳳を悪し様に言う世話係を制し、鳳を庇わなくてはならない。だからお前の言動は正解だ。俺の予想を超えて激烈ではあったがな」
それを聞いて力が抜けた。隆人の胸に倒れ込んだ。
「どうした?」
「気ぃ、抜けた」
隆人が笑っている。その息に遥の頬はくすぐられる。
「お前は最高の凰だ、遥。本当に感謝してる。感謝しているのは俺だ、忘れるなよ」
ぱっと身を離した。隆人は遥を見つめてにやにや笑っている。かあっと頬に血が上るのを感じた。
「ま、まねするなよ」
くくっと隆人が笑いをこぼした。いっそう高まる恥ずかしさに身の置き所がなくなる。
「ちくしょう、やってらんねぇ」
思わず口走ると隆人が遥を指さした。
「則之。東京に戻ったらすぐにこいつを連れて、小野先生のところに新年のご挨拶にうかがえ。『こいつは正月休みでまた元に戻ってしまいましたので、申しわけありませんが根本からたたき直してやってください』と俺が言っていたと伝えろ。いいな」
自分に向く隆人の手を払う。
「人を指さすなっ」
「先に指したのはお前だ。他人をさらし者にするときにはなかなか役に立つな」
隆人がすました調子で切り返してくる。ああ言えばこう返されて、遥は思考停止に陥りかけた。
会話の切れ目を見計らったのだろう。碧がにこやかに口を挟んだ。
「さてもさても御仲睦まじき御つがい。かように愛らしく慕わしきお方を我らが鳳様に凰様として迎えられしこと、祝着至極に存じます」
嫌味かと遥が言う前に、隆人がうなずいた。
「これも鳳凰様のお導きあってのことだ。加えてこの者を見出した桜木の功績は大きい」
遥の頭の中をこの四年の記憶が一気に流れた。銭湯での桜木俊介との出会いから、激怒して隆人を追いだした病身の父とその死。拉致と背中への刺青、屈辱の仕上げ。逃亡生活と再度の拉致と調教。おぞましくも意地で乗りこえた披露目から夏鎮めの儀、捧実の儀を経て、この年越しの儀。
遥と隆人の関係は百八十度変わった。
「我が凰よ」
呼びかけられて顔を上げた。じっと覗いてくる隆人の目を無言で見つめ返す。隆人が訊ねた。
「そなたはめでたく初度の年越しを果たし、見事紛う方なき真の凰となった。そなたは我を真の鳳と認むるか」
遥は座布団をおりた。そして隆人の正面に回って正座し、畳に両手をつく。隆人の視線を受けとめて微笑みかけると、隆人の前にゆっくりと頭を下げた。
「目の前におわす我が鳳様より他に、どなたが真の鳳を名乗れましょうや」
なぜ言葉が浮かんでくるのか、自分でも不思議だった。
「鳳様をお慕いし、お守りするが我が務め、鳳様のお望み叶うが我が望み。御前にてお仕えできることこそ、我が喜びにございます。末永う――」
言葉に詰まった。こんなことを遥から言うのは抵抗がある。しかし自分の中の何かがそれを言えと命じている。
「末永う、可愛がってくださいませ」
畳についた手でできた三角形に額を当てた。
「面をあげよ、我が凰。我が隣に参れ」
命じられたとおり遥は身を起こすともとの座布団へ戻り、隆人を見た。隆人が小さくうなずく。遥は正解を出したのだ。
碧の声が聞こえた。
「遥」
隆人がぽんぽんと背を軽く叩いた。離れてきちんと座れということらしい。遥は泣きはらした重いまぶたで何度も瞬きしながら、自分の座布団に座りなおす。
遥の視線が自分たちに向くのを待っていたのだろう。碧を筆頭に世話係の一同が手を前につき、遥を見つめている。碧がよく通る声で告げる。
「凰のおおとり様におかれましては、我らが投げかけし難題、見事にお解きあそばしました。まことにおめでとう――存じまするぅ」
最後は世話係の声と平伏が揃った。
唖然とする遥になおも碧の言葉が続く。
「かように目出度き初度の年越しにお役をいただけましたこと、我ら御世話承りし者ども一同――恐悦至極に存じまするぅ」
何が起きたのかまだ飲みこめない。思わず隆人を見る。
「ど、ういうことだ」
遥は隆人がそのまとっている遥と揃いの真白な長着の襟を掴む。
「何がめでたいんだ。全然めでたくないぞっ」
ふわりと隆人の胸に抱きよせられた。
「お前は見事、年越しの儀を初度にして達成した。加賀谷に新しい年をもたらしたんだ」
「新しい年?」
胸の中から隆人を見あげる。
隆人は微笑んでいた。
「年越しの儀は凰を試すためにあると言ってあっただろう?」
遥はまじまじと隆人を見つめる。
「特に初めての年越しでは、凰がどれほど凰としての素養が身に付いたかが試される」
隆人の手が背を撫でる。
「凰は何のために存在する?」
突然の問いについ探るような上目で隆人を見てしまう。
「鳳を守る、ため?」
大きく隆人がうなずいた。
「いかなる状況でも、いかなるものからも――そうだな?」
やっと遥も事情が飲み込めてきた。
「当然それが儀式の中であろうとも、だ」
ため息がこぼれた。
「凰は、怒らなくちゃいけないのか……」
「怒らないまでも鳳を悪し様に言う世話係を制し、鳳を庇わなくてはならない。だからお前の言動は正解だ。俺の予想を超えて激烈ではあったがな」
それを聞いて力が抜けた。隆人の胸に倒れ込んだ。
「どうした?」
「気ぃ、抜けた」
隆人が笑っている。その息に遥の頬はくすぐられる。
「お前は最高の凰だ、遥。本当に感謝してる。感謝しているのは俺だ、忘れるなよ」
ぱっと身を離した。隆人は遥を見つめてにやにや笑っている。かあっと頬に血が上るのを感じた。
「ま、まねするなよ」
くくっと隆人が笑いをこぼした。いっそう高まる恥ずかしさに身の置き所がなくなる。
「ちくしょう、やってらんねぇ」
思わず口走ると隆人が遥を指さした。
「則之。東京に戻ったらすぐにこいつを連れて、小野先生のところに新年のご挨拶にうかがえ。『こいつは正月休みでまた元に戻ってしまいましたので、申しわけありませんが根本からたたき直してやってください』と俺が言っていたと伝えろ。いいな」
自分に向く隆人の手を払う。
「人を指さすなっ」
「先に指したのはお前だ。他人をさらし者にするときにはなかなか役に立つな」
隆人がすました調子で切り返してくる。ああ言えばこう返されて、遥は思考停止に陥りかけた。
会話の切れ目を見計らったのだろう。碧がにこやかに口を挟んだ。
「さてもさても御仲睦まじき御つがい。かように愛らしく慕わしきお方を我らが鳳様に凰様として迎えられしこと、祝着至極に存じます」
嫌味かと遥が言う前に、隆人がうなずいた。
「これも鳳凰様のお導きあってのことだ。加えてこの者を見出した桜木の功績は大きい」
遥の頭の中をこの四年の記憶が一気に流れた。銭湯での桜木俊介との出会いから、激怒して隆人を追いだした病身の父とその死。拉致と背中への刺青、屈辱の仕上げ。逃亡生活と再度の拉致と調教。おぞましくも意地で乗りこえた披露目から夏鎮めの儀、捧実の儀を経て、この年越しの儀。
遥と隆人の関係は百八十度変わった。
「我が凰よ」
呼びかけられて顔を上げた。じっと覗いてくる隆人の目を無言で見つめ返す。隆人が訊ねた。
「そなたはめでたく初度の年越しを果たし、見事紛う方なき真の凰となった。そなたは我を真の鳳と認むるか」
遥は座布団をおりた。そして隆人の正面に回って正座し、畳に両手をつく。隆人の視線を受けとめて微笑みかけると、隆人の前にゆっくりと頭を下げた。
「目の前におわす我が鳳様より他に、どなたが真の鳳を名乗れましょうや」
なぜ言葉が浮かんでくるのか、自分でも不思議だった。
「鳳様をお慕いし、お守りするが我が務め、鳳様のお望み叶うが我が望み。御前にてお仕えできることこそ、我が喜びにございます。末永う――」
言葉に詰まった。こんなことを遥から言うのは抵抗がある。しかし自分の中の何かがそれを言えと命じている。
「末永う、可愛がってくださいませ」
畳についた手でできた三角形に額を当てた。
「面をあげよ、我が凰。我が隣に参れ」
命じられたとおり遥は身を起こすともとの座布団へ戻り、隆人を見た。隆人が小さくうなずく。遥は正解を出したのだ。
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