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年越しの儀
一月二日、三日(2)
しおりを挟む軽く頬を揺らす手に、重い瞼を上げる。焦点がゆっくりと合うと、隆人の眉間の皺が消えた。
遥は隆人の手に頬を擦りつける。温かくて気持ちがいい。
「風呂に行くか?」
問いに首を振る。
「もう少し、こうしていたい」
隆人の腕が遥のうなじに差しこまれ、枕にしてくれた。体も引きよせられる。
温かい、この男の体はどこもかしこも。死に向かって痩せていった父の体はもっとひんやりしていて、遥はいつも手を握り祈りを込めて温めていた。だが、この男は遥を温めてくれる。それだけでうれしい。
こんなに身も心も満ち足りていていいのだろうか。こんな幸せは許されるのだろうか。
「明日……」
遥がつぶやくと隆人が髪に口づけた。
「明日がどうした?」
「年越しの儀が終わる」
「そうだな」
遥は隆人の胸に顔を埋めた。
「そうしたら、また日常に戻っちまう」
隆人の腕に体を包みこまれた。
「もっとお前のところに帰るようにする」
遥は隆人から顔を隠したまま苦笑する。
「できない約束はするなよ」
肩を掴まれ、引き剥がされた。隆人の目が怒っている。
「鳳は凰の許に帰るのが正しい姿だ。今は俺がわがままを通している状態に過ぎない。お前という凰を得て自由に動けるようになったために調子に乗って、お前に無理をさせてきた。反省している」
遥は目を瞠った。この男が遥に謝るとは。
再び隆人の胸に抱きこまれた。その抱擁の中から意地悪く訊ねた。
「隆人の中で、俺はどんな位置にある?」
「位置?」
怪訝そうだ。遥は低く笑う。
「あんたの家族と俺の関係だよ」
隆人がわずかに身じろぎした。だが、しっかりと抱きしめられたままだ。
「鳳にとって凰は何よりも優先する。お前が最も大切だ」
口では何とでも言えると遥は嗤う。だが隆人の言葉は続いた。
「順位をつけろと言うならつけるぞ。お前が一番で、二番は暁だ。跡継ぎだからな。次が篤子で、次がかえでだ」
意外だった。隆人ならもっと迷うと思った。皮肉っぽい口調になる。
「正妻より、跡継ぎが上かよ」
「凰でない妻はそうなる。そうやって連綿と加賀谷家は続いてきた、鳳凰様に守られてな」
隆人の手が遥の背を撫でる。
「俺の母は、背に見事な凰の御印を負った特別な人だった。特別であったがゆえに、加賀谷が鳳凰の力に頼って生きていることを疎んじている節があった。生まれてすぐ実の親の許からこの本家に引きとられ、祖父、父と二人の鳳を支えながら、何か感じるものがあったのかもしれない。だが、父が亡くなって俺が鳳となったとき、凰であることを拒否しなかった。ひどく動揺はしていたがな。母が真に何を望んでいたのか、今となってはわからずじまいだ」
遥は隆人を見あげた。
「隆人は鳳と凰は必要だと思うか?」
苦笑した気配があった。
「世間的に言えば、俺たちのやっていることはチートだ。人ならぬものの力を借りて発展してきたのだから。だが、俺には一族だけでなく、この街に住む者、社員たちを守る義務がある。世の中の人々が幸せを求めて神に祈りを捧げるのなら、俺たちが鳳凰様に祈り、その御力に縋るのもありだろう」
遥は小さくほっと息をつき、隆人の胸の鼓動を聴いた。遥は隆人の側にいていい。隆人がそれを望んでいる。
「風呂に行くか?」
「うん、あ、はい」
言いなおした遥に隆人が笑った。
その後から三日の夜までを、遥も隆人も惜しむように触れあった。
目が覚めればつがいがそこにいる。自然に微笑みが浮かび、指を絡めて口づけをかわす。声をかければ言葉が返ってくる。抱きあえば互いの温もりを分かちあえる。そしてもう数え切れないほど情を交わした。
遥にとって隆人とつがいとして対等に向きあった、本当に濃密な四日間だった。
鳳凰は鳳が主、凰が従と思われがちだが、実はそうではない。
仮の凰であったとき遥は、凰は何も持たない、ただの鳳の所有物だと何度もそう聞かされた。確かに逃亡先から全裸で連れもどされたし、身につける下着一枚さえも隆人から与えられたものだ。
だがこれは裏を返せば、鳳は凰に日常の細々したものから、巣である住居などあらゆるものを捧げて守っていると言える。それと同時に凰の回りを自分の与えたもので包み、自分だけの凰であることを誇示するかのようだ。
一方の凰は、凰となるためすべてを手放したにもかかわらず、まだ鳳に与えることができる。それが祈りだ。
実際、加賀谷の当主である鳳は人に過ぎない。それが人界の鳳凰となるためには御印か御証を持った凰が不可欠であり、更には凰がどれほど鳳を愛しく思うかで、運命が変わる。凰が鳳を望み、守りたい、願いを叶えたいと祈って初めて、鳳は凰の力に支えられて鳳凰となる。鳳はすべてを持つとされているが、凰は祈りの力を持つことで鳳の命運を握っている。
その傾いているバランスを水平に戻すのが、鳳と凰の互いを思う情だ。そして年越しの儀はそれを確かめあい、世話係に示す儀式だと四日間の中で遥は理解した。
この年越しの儀の間、世話係は二十四時間控えの間に詰め、尽くしてくれた。影ではもっと多くの五家の者たちが、隆人と遥――鳳と凰のためにそれぞれの役目を担ってくれていたはずだ。
敬慕の念を持って接してくれる者たちは受けいれなくてはならないと、隆人は教えてくれた。そして遥の心には今、彼らへの感謝の念が湧いている。同時に責任も感じている。隆人のように彼らを守らなければならない。
遥にできることは隆人のため、その身の安全と隆人が抱く願いが叶うことを祈ることだ、隆人が遥を知らぬ間に守ってくれていたように。それが遥の役目であり、そうすることがあらゆる喜びに波のように広がっていくと知った。遥はこの四日間に満足していた。
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