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年越しの儀

大晦(12)

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 日が暮れ始めた頃、遥は御仕度場おしたくばと呼ばれるトイレと浴室を兼ねた小部屋にいた。ここは鳳凰の間の脇に備えられている浴室とは別のもので、遥という一族外の男の凰のためにわざわざ作られたものだ。則之の手で薬剤を注入されて凰としての務めを果たす仕度を施された。
 口数の少ない遥に、長襦袢を着付ける則之が遠慮がちに声をかけてくる。
「何かご気分を害しましたでしょうか?」
 遥は首を横に振った。
「則之は何も悪くない。俺が勝手に――そう、勝手にカリカリしているだけだ」
 無理矢理笑顔を作って見せる。
「これって絶対腹が減ってるせいだぞ」
 則之も唇の端を上げた。だがその目はまだ心配げだ。
「さようでございますね。大晦が過ぎるまでご辛抱をお願いいたします」
「わかってる。凰としてちゃんとしなきゃな」
 遥は背筋を伸ばした。則之が微笑む。今度はしっかり目元も笑っている。
「ご立派です」
「誉めたって何も出ないぞ。凰は何も持ってないからな」
「凰様の笑顔を見せていただくだけで十分でございます」
「欲がないな」
「欲の少なくていらっしゃる遥様の御世話係でございますから」
 二人で声を忍ばせて笑いあった。


 身仕度を整えた頃、空にはまだ赤みが残っていたが、庭はすっかり暗くなっていた。廊下にはぽつぽつとろうそくのオレンジの明かりが並べて灯されている。ほの暗い屋敷の中を鳳凰の間へ戻りながら、遥はまた考え事に沈む。


 なぜ急に隆人はあんなことを言いだしただろう。遥の性格を知る隆人のことだ。必要がなければ、この晴れの儀式内で口にはしないはずだ。いったい何を考えているのか。

 母親であった女は遥が物心つく頃には、既に遥に決して触れようとせず、近づけば突きはなされた。だんだん父に似てきて気持ち悪いと言われ、遥を庇ってくれる父を罵った。
『あなた、そんな顔で恥ずかしくないの? まるで女みたいで、いつもおろおろして、みっともないったら』
 そう母は父を嘲った。夫婦の間にたとえ遥の知らない事情があったとしても、母が離婚前から他の男と通じ、父を裏切って出ていったのは事実だ。父が死ぬまで捨てられなかった手紙や書類で遥はそれを知った。


 そのとき、はっと遥は顔を上げた。
 もしかしたらあの隆人の問いかけは遥を試したものだったのかもしれない。もしそうならば失策だ。あまりに幼稚な対応をしてしまった。冷静にならなくてはいけない。これからの儀式で挽回するしかない。
 四日間の儀式を凰としてちゃんとやり遂げるつもりで来た。だがまだ修行が足りなかったようだ。
 ため息をつきながら鳳凰の間へ入りかけ、足が止まった。

 室内の障子前にもろうそくが並べられ、あちこちに時代劇で見るような行灯あんどんが置かれていた。特に鳥籠は檻をなす柱と柱の間に一本ずつろうそくが灯されている。
 遥が中へ進んでいくと、巻き起こる風に炎が揺れ、無数の影も微妙に歪むようにうごめく。妖しい雰囲気に遥は顔を顰めた。

 部屋の中央にはやはり隆人が座っている。遥は隆人の顔は見ずに正座し、手をついて頭を下げた。
「ただいま戻りました」
 座っていた隆人が、畳についていた遥の手をつかみ、荒っぽく立ちあがらせた。強い力で鳥籠まで引きずられるように連れて行かれ、中へ放り出される。畳に突っ伏した遥は、驚いて隆人を振り仰いだ。

 ろうそくの灯りの中、隆人は遥をにらみつけてから、正面の座布団へ戻っていった。その姿をにらみ返しながら、遥は起きあがる。
 一瞬隆人に怯えを抱いた自分にも、隆人にも腹が立った。どすんと音を立てて、座布団に正座した。
 灯火の中で隆人は無表情に見える。その眼差しは暗く、真っ直ぐに遥を見据えてくるのがわかるだけだ。
 体が勝手にこわばり、息苦しくなってきた。身じろぎさえはばかられる。何より隆人の表情が読めないのが、遥を落ちつかない気持ちにさせる。何が隆人の感情を暴発させたのかがまるでわからない。

 低い声が耳に届いた。
「帯を解け」
 聞き間違いかと思った。だが、隆人と遥――鳳と凰の関係でこれが間違いなどではないのは明らかだ。
 遥は手を後ろに回し、ついさっき則之が締めてくれたばかりの帯の結び目をほどく。何重にも巻かれているのがうっとうしい。さっさと済ませなければ、隆人が苛立ちそうだ。
 何とか体から引きはがした帯は無造作に横へ押しやった。
「長着を脱げ」
 言われるまま腰紐をほどいて、肩から長着を滑りおとし帯の上に投げだす。これで遥は腰紐一本で押さえられた純白の長襦袢姿になった。
「膝を崩して、横座りにしろ。手をついて支えてかまわん」
 右手を布団の縁に置き、踵の上にあった尻をずらすと、崩した膝のせいで長襦袢の重なりが微妙に開いた。そんな遥を隆人が無遠慮に眺め回す。
 悪趣味め、と心の中で罵り、不機嫌になる顔を横に向けた。
 室内は揺らめく多数のろうそくの火で生じた複雑な光と影に彩られていた。

 遥自身は隆人を見ていない。なのに隆人が向けてくる目ははっきりとわかる。時間が経てば経つほど隆人の視線を意識してしまう。
 鳥籠の外よりも中の方が灯りが多い。だからおそらく隆人からはよく見えているはずだ、長襦袢で隠された遥の体が。
 見られている――そう思うとだんだん息苦しくなってきた。




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