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A Caged Bird ――籠の鳥【改訂版】
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遥は仰向けに戻った。
ぼんやりと天井を見上げる。
外界から隔離されている。
ここにはテレビは置かれていない。ビジョンはあるが、アンテナから引いた出力端子につながれていない。つなぐケーブルもない。新聞もない。何も情報は入ってこない。
時間をつぶしたくても、書斎の本棚はほとんど空だ。申しわけ程度に並んでいる本は、遥には興味のない画集ばかりだった。
新聞の折り込みチラシにあるマンションのモデルルームのような部屋だ。生活の匂いは何もしない。
部屋のあちこちに置かれた花が遥を慰める。どこで摘んだのか雑草のようなささやかな花ばかりだが、それを活けているのは桜木だ。これは遥がねだった、わけのわからない絵なんかより花を飾れと。花瓶に渋る桜木を遥は馬鹿にした。
「俺が花屋で買うような花を見たいと思うか?」
「と、おっしゃいますと?」
「カタバミ、シロツメクサ、ドクダミ、ハルジオン、ヒメジョオン、オオイヌノフグリ、ホトケノザ、オオバコ。俺が欲しいのは地面に生えているところをきちんと知っている草花――父さんの為に俺が摘んだ花だ。飾るのは俺が食べたデザート容器でいい」
遥は言葉を続けた。
「ここは地面が遠すぎて息が詰まる。生きている感じがしないんだ。花くらい用意できるだろう?」
あのとき感じた皮肉な気持ちがもたげてきた。
遥は何も自分で決めることができない。着るものさえ、桜木が出してくるものを着るだけだ。食べる物も出されたものを食べるだけ。
何も決められない。
死ぬこともできない。
本当に死ぬまでここでこうしていなければならないのだろうか。
閉じこめられて、ぼんやりと外を眺めて暮らし、ときどき訪れるあの男に犯され――ただそれだけの暮らしを、一生?
まだ二十四の遥があと何年生きるのかはわからないが、簡単には死なせてもらえないだろう。その長い年月をそうやって暮らすのかと思うと、絶望的な気持ちになる。
「父さん……」
思わず自分がつぶやいた言葉に遥ははっとした。
何か忘れている気がする。
焦りに似たものが体の中に生じる。その正体がつかめない。
遥はベッドの上に起きあがった。
忘れていてはいけない何かを、遥は忘れている。
「あっ」
突然ひらめいて、遥はベッドを飛び降りた。
そして玄関の方へ走る。
素早く姿を見せた桜木の胸倉をつかんだ。
「父さんをどうした!?」
桜木が一瞬目を丸くした。が、すぐに困ったような顔をした。
「どうしたって訊いているだろう?」
「お遺骨のことでございますね」
「そうだ」
遥が最初に拉致された時、まだあのアパートに父の遺骨はあったのだ。彫り師の元を逃げ出した時、アパートの近くまで行った。しかし、あの時アパートには既に誰かがいて、遥は立ち寄れなかった。
「どうしたって訊いているだろうが?!」
「お答えできかねます」
桜木が静かにそう言い、遥の手をはずさせた。
「どうして?」
「そのような大切なことは、当主のみご説明できます。わたくしには許されておりません」
「俺は今知りたいんだ」
「当主にそう申し伝えます」
遥はかっとして言い返した。
「そして、あいつにレイプされながら訊けって言うのかっ」
桜木が顔を歪めて、視線を落とした。
しかし、言葉は返ってこない。
「もう、いい!」
足音をたてて寝室に戻る。いつもは閉めることのないドアを閉めた。
「遥様」
「うるさい。ひとりにしろ」
「ドアは――」
「ドアぐらい閉めさせろ。どうせカメラで見ているんだろうが。ドアくらいいいじゃないか。それも駄目なのか。そんなことさえ俺には許されないのか」
涙がぽろぽろこぼれる。
「俺の体も過去もすべてのぞいて、まだ足りないのか。俺だけじゃない。父さんの過去まで調べてるんだろう? それだけ俺に差し出させておいて、俺はドア一枚閉められないのか? いいさ。わかった。開けておけよ。何でも好きにしろ。そうやって俺を辱めればいい。いくらでも俺をずたずたにしろよ。お前達みんなでよってたかって、俺を食い尽くせばいい。お前達は鳳凰なんかじゃない。ハゲタカだ。死肉をくらうハゲタカだよ」
ベッドに身を投げ出して泣き騒ぐ。
そうしていながら、遥の中の冷静な部分が、自分をいぶかしんでいた。
なぜこんなに騒ぎたいのか。ひどく精神的に不安定で、ありとあらゆることが気に障るのか。
いい年してこんなに泣いて――
そう思いながら、遥は泣き続けた。
泣き疲れてうとうとし、やがて目が覚めた。
その時も寝室のドアは開いていた。
そういうやつだよな、あいつは。
桜木はどうしようもなく、一族に忠実な男だった。
だからこそ、加賀谷は遥の側に置いたのだろう。遥の泣き落としに引っかかることのないように、特別に頑固な男を。
遥は目のあたりに触れた。
まぶたも目も熱を持っていて、腫れている感じがしている。
「失礼いたします」
桜木の声がした。遥は応えない。
「どうぞ」
目を開けると濡らして絞ったらしいタオルを桜木が差し出していた。
黙ってそれを受けとり、遥は目に当てる。
礼は言わない。桜木も何も言わない。
ただ静かに時間だけが過ぎていった。
ぼんやりと天井を見上げる。
外界から隔離されている。
ここにはテレビは置かれていない。ビジョンはあるが、アンテナから引いた出力端子につながれていない。つなぐケーブルもない。新聞もない。何も情報は入ってこない。
時間をつぶしたくても、書斎の本棚はほとんど空だ。申しわけ程度に並んでいる本は、遥には興味のない画集ばかりだった。
新聞の折り込みチラシにあるマンションのモデルルームのような部屋だ。生活の匂いは何もしない。
部屋のあちこちに置かれた花が遥を慰める。どこで摘んだのか雑草のようなささやかな花ばかりだが、それを活けているのは桜木だ。これは遥がねだった、わけのわからない絵なんかより花を飾れと。花瓶に渋る桜木を遥は馬鹿にした。
「俺が花屋で買うような花を見たいと思うか?」
「と、おっしゃいますと?」
「カタバミ、シロツメクサ、ドクダミ、ハルジオン、ヒメジョオン、オオイヌノフグリ、ホトケノザ、オオバコ。俺が欲しいのは地面に生えているところをきちんと知っている草花――父さんの為に俺が摘んだ花だ。飾るのは俺が食べたデザート容器でいい」
遥は言葉を続けた。
「ここは地面が遠すぎて息が詰まる。生きている感じがしないんだ。花くらい用意できるだろう?」
あのとき感じた皮肉な気持ちがもたげてきた。
遥は何も自分で決めることができない。着るものさえ、桜木が出してくるものを着るだけだ。食べる物も出されたものを食べるだけ。
何も決められない。
死ぬこともできない。
本当に死ぬまでここでこうしていなければならないのだろうか。
閉じこめられて、ぼんやりと外を眺めて暮らし、ときどき訪れるあの男に犯され――ただそれだけの暮らしを、一生?
まだ二十四の遥があと何年生きるのかはわからないが、簡単には死なせてもらえないだろう。その長い年月をそうやって暮らすのかと思うと、絶望的な気持ちになる。
「父さん……」
思わず自分がつぶやいた言葉に遥ははっとした。
何か忘れている気がする。
焦りに似たものが体の中に生じる。その正体がつかめない。
遥はベッドの上に起きあがった。
忘れていてはいけない何かを、遥は忘れている。
「あっ」
突然ひらめいて、遥はベッドを飛び降りた。
そして玄関の方へ走る。
素早く姿を見せた桜木の胸倉をつかんだ。
「父さんをどうした!?」
桜木が一瞬目を丸くした。が、すぐに困ったような顔をした。
「どうしたって訊いているだろう?」
「お遺骨のことでございますね」
「そうだ」
遥が最初に拉致された時、まだあのアパートに父の遺骨はあったのだ。彫り師の元を逃げ出した時、アパートの近くまで行った。しかし、あの時アパートには既に誰かがいて、遥は立ち寄れなかった。
「どうしたって訊いているだろうが?!」
「お答えできかねます」
桜木が静かにそう言い、遥の手をはずさせた。
「どうして?」
「そのような大切なことは、当主のみご説明できます。わたくしには許されておりません」
「俺は今知りたいんだ」
「当主にそう申し伝えます」
遥はかっとして言い返した。
「そして、あいつにレイプされながら訊けって言うのかっ」
桜木が顔を歪めて、視線を落とした。
しかし、言葉は返ってこない。
「もう、いい!」
足音をたてて寝室に戻る。いつもは閉めることのないドアを閉めた。
「遥様」
「うるさい。ひとりにしろ」
「ドアは――」
「ドアぐらい閉めさせろ。どうせカメラで見ているんだろうが。ドアくらいいいじゃないか。それも駄目なのか。そんなことさえ俺には許されないのか」
涙がぽろぽろこぼれる。
「俺の体も過去もすべてのぞいて、まだ足りないのか。俺だけじゃない。父さんの過去まで調べてるんだろう? それだけ俺に差し出させておいて、俺はドア一枚閉められないのか? いいさ。わかった。開けておけよ。何でも好きにしろ。そうやって俺を辱めればいい。いくらでも俺をずたずたにしろよ。お前達みんなでよってたかって、俺を食い尽くせばいい。お前達は鳳凰なんかじゃない。ハゲタカだ。死肉をくらうハゲタカだよ」
ベッドに身を投げ出して泣き騒ぐ。
そうしていながら、遥の中の冷静な部分が、自分をいぶかしんでいた。
なぜこんなに騒ぎたいのか。ひどく精神的に不安定で、ありとあらゆることが気に障るのか。
いい年してこんなに泣いて――
そう思いながら、遥は泣き続けた。
泣き疲れてうとうとし、やがて目が覚めた。
その時も寝室のドアは開いていた。
そういうやつだよな、あいつは。
桜木はどうしようもなく、一族に忠実な男だった。
だからこそ、加賀谷は遥の側に置いたのだろう。遥の泣き落としに引っかかることのないように、特別に頑固な男を。
遥は目のあたりに触れた。
まぶたも目も熱を持っていて、腫れている感じがしている。
「失礼いたします」
桜木の声がした。遥は応えない。
「どうぞ」
目を開けると濡らして絞ったらしいタオルを桜木が差し出していた。
黙ってそれを受けとり、遥は目に当てる。
礼は言わない。桜木も何も言わない。
ただ静かに時間だけが過ぎていった。
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