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A Caged Bird ――籠の鳥【改訂版】
(6)
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「遥、もしまたあいつらが接触してきても、絶対に拒否してくれ」
ぜいぜいと息を乱しながら父が言った。
「俺は子どもの体を売ってまで生きながらえたくはない。それは間違っている」
父の手が伸びて遥の頬に触れる。
「病気の痛みや苦しみは、俺だけのものだから。大丈夫、引き受けられるよ。この痛みは、昔お前を捨てて死のうとした罰だと思う。だから、耐えてみせる。お前は自分の体を大事にして。端金のために自分を犠牲にしちゃ駄目だ。まして、それが俺の治療費のためだとしたら、死んでも死にきれない」
「父さん」
「頼むからあんな連中と関わり合いにならないでくれ。絶対に巻き込まれないで穏やかに生きてほしい」
父の手が遥の手を握る。
「わかった。約束する。約束するよ、父さん」
父の目に涙がたまり、目尻へと落ちていった。遥の頬へも涙が伝い、ぽたぽたとジーンズの腿を濡らした。
父が言ったとおり再びあの男が現れた。
「断ると言っただろうが」
「お父様に緩和ケアを施さなくてよろしいのですか?」
そうやって道すがら話しかけて遥を誘惑しようとした。遥は足を止めて男に向き直った。
「あんたに俺たち親子の何がわかる? 二度と姿を見せるな」
弱いと思っていた父の最後の意地を通させてやるのが子どもとしての最後の親孝行だと、心の底から思っていた。
高額医療費支給制度があると知りながら、父は入院を拒んだ。そして安楽死を頼めるのなら、頼みたいような苦しみの中で亡くなった。遥の稼ぐなけなしのアルバイト代を、自費分の医療費に充てさせたくないというのが理由だったと気がついたのは、父が亡くなってからだった。
まだ温かい父の頬に手を当て、遥はつぶやいた。
「ありがとう、父さん」
永遠にまぶたを閉ざした顔がとても穏やかだったのだけが遥の救いだった。
父が亡くなり、遥は身の回りのことを整理しだした。葬儀は行わず、火葬のみ。たったひとりの骨上げだった。
遺骨を墓に埋葬しなければならないが、遥は墓のことを父から聞いていなかった。父の両親は亡くなったのは確かだ。ただ祖父母の墓参りに行った記憶もなければ位牌も家にはない。もしかしたら墓がないのか? そんな煩雑なことも調べなくてはならないと知らさられた。
だからこそ大学退学の決意は早かった。そもそも父を心配させたくなくて無理に通っていただけだ。教授に話をしてから退学届を提出した。簡単に書類が受け取られることに、遥は皮肉っぽい笑みが浮かぶとともに、寂しく感じた。
ごめんね、父さん。この約束だけは守れないよ。
学歴に関する父の願いは、生活の前には無理だった。
「お父さんはお気の毒だったわね」と大家の老女が訊ねてきた。
「遥君はこれからどうするの?」
「大学は退学しました。とりあえずはバーテンダーの仕事で暮らしていくつもりです」
「水商売をしていたの」
驚いたような顔を見せた大家はじろじろと遥を眺める。遥はいぶかしく思いながらも答える。
「学校と両立させるためだったので、夜に働いていました」
「じゃあ、そのお仕事は続けるのね。もしそうなら、別のところに移ることも考えてもらえないかしら」
遥は眉をひそめた。
「出て行けと言うことですか?」
太めの大家は肉厚の手を振って見せた。
「無理にとは言わないわよ。今までずっと家賃をきちんと入れてもらっていたし。ただ、新規に入る場合は水商売の方には遠慮してもらってるのね。そういう人との兼ね合いがね」
遥は小さく首を横に振った。
「急には僕も対応しきれないので、父の件が一段落してからでいいですか」
「ええ、ちょっと考えてみてくれる」
大家が去って、つきたくないのにため息が唇を割った。世間は金がない者に無慈悲なのだと思い知る。
だからこそ体だけは守る――
それだけが、遥の父への誓いだった。
ぜいぜいと息を乱しながら父が言った。
「俺は子どもの体を売ってまで生きながらえたくはない。それは間違っている」
父の手が伸びて遥の頬に触れる。
「病気の痛みや苦しみは、俺だけのものだから。大丈夫、引き受けられるよ。この痛みは、昔お前を捨てて死のうとした罰だと思う。だから、耐えてみせる。お前は自分の体を大事にして。端金のために自分を犠牲にしちゃ駄目だ。まして、それが俺の治療費のためだとしたら、死んでも死にきれない」
「父さん」
「頼むからあんな連中と関わり合いにならないでくれ。絶対に巻き込まれないで穏やかに生きてほしい」
父の手が遥の手を握る。
「わかった。約束する。約束するよ、父さん」
父の目に涙がたまり、目尻へと落ちていった。遥の頬へも涙が伝い、ぽたぽたとジーンズの腿を濡らした。
父が言ったとおり再びあの男が現れた。
「断ると言っただろうが」
「お父様に緩和ケアを施さなくてよろしいのですか?」
そうやって道すがら話しかけて遥を誘惑しようとした。遥は足を止めて男に向き直った。
「あんたに俺たち親子の何がわかる? 二度と姿を見せるな」
弱いと思っていた父の最後の意地を通させてやるのが子どもとしての最後の親孝行だと、心の底から思っていた。
高額医療費支給制度があると知りながら、父は入院を拒んだ。そして安楽死を頼めるのなら、頼みたいような苦しみの中で亡くなった。遥の稼ぐなけなしのアルバイト代を、自費分の医療費に充てさせたくないというのが理由だったと気がついたのは、父が亡くなってからだった。
まだ温かい父の頬に手を当て、遥はつぶやいた。
「ありがとう、父さん」
永遠にまぶたを閉ざした顔がとても穏やかだったのだけが遥の救いだった。
父が亡くなり、遥は身の回りのことを整理しだした。葬儀は行わず、火葬のみ。たったひとりの骨上げだった。
遺骨を墓に埋葬しなければならないが、遥は墓のことを父から聞いていなかった。父の両親は亡くなったのは確かだ。ただ祖父母の墓参りに行った記憶もなければ位牌も家にはない。もしかしたら墓がないのか? そんな煩雑なことも調べなくてはならないと知らさられた。
だからこそ大学退学の決意は早かった。そもそも父を心配させたくなくて無理に通っていただけだ。教授に話をしてから退学届を提出した。簡単に書類が受け取られることに、遥は皮肉っぽい笑みが浮かぶとともに、寂しく感じた。
ごめんね、父さん。この約束だけは守れないよ。
学歴に関する父の願いは、生活の前には無理だった。
「お父さんはお気の毒だったわね」と大家の老女が訊ねてきた。
「遥君はこれからどうするの?」
「大学は退学しました。とりあえずはバーテンダーの仕事で暮らしていくつもりです」
「水商売をしていたの」
驚いたような顔を見せた大家はじろじろと遥を眺める。遥はいぶかしく思いながらも答える。
「学校と両立させるためだったので、夜に働いていました」
「じゃあ、そのお仕事は続けるのね。もしそうなら、別のところに移ることも考えてもらえないかしら」
遥は眉をひそめた。
「出て行けと言うことですか?」
太めの大家は肉厚の手を振って見せた。
「無理にとは言わないわよ。今までずっと家賃をきちんと入れてもらっていたし。ただ、新規に入る場合は水商売の方には遠慮してもらってるのね。そういう人との兼ね合いがね」
遥は小さく首を横に振った。
「急には僕も対応しきれないので、父の件が一段落してからでいいですか」
「ええ、ちょっと考えてみてくれる」
大家が去って、つきたくないのにため息が唇を割った。世間は金がない者に無慈悲なのだと思い知る。
だからこそ体だけは守る――
それだけが、遥の父への誓いだった。
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