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6.宣告
(前)
しおりを挟む午後四時五十五分、泰徳の部屋へ行くため、靴を履こうとした。そのとき、エントランスからの呼び出し音が鳴った。
ダイニングキッチンのインターフォンモニターに映ったのは、泰徳だった。慌てて通話ボタンを押した。
「泰徳様!」
『七〇二号室だったな』
「はい」
澄人はエントランスドアの解錠ボタンを押した。
鼓動が異常に速くなり、口の中が干上がっている。泰徳が来た理由がわからない。怖い。だが手はその間も茶碗や茶葉の用意をしている。
近づく足音が聞こえてきて、止まった。玄関のインターフォンが鳴る。ドアを開けると、表情のない泰徳がそこにいた。
「少しいいか」
澄人は泰徳を迎えいれた。ダイニングキッチンに通し、すぐに茶をいれて泰徳の前に出した。座るよう泰徳に促された。椅子に腰を下ろしながら、澄人は自分が震えているのがわかった。
泰徳が茶を飲んだ。それからゆっくりと澄人を見る。その瞳は真っ直ぐ澄人を捕らえて放さない。
「お前には初等部に上がったときからずっと世話になってきた。今年度で二十年目だ」
澄人は六歳の鳳集学園初等部入学時に泰徳に仕えるため、白井の家を出た。紅林邸の敷地内にある使用人専用住居に部屋をもらったからだ。今、澄人は二十六歳。澄人自身の家族より遥かに長く泰徳の側にいる。
「その間、お前は常に俺を優先してきた。お前の真の適性や学びたいことを無視して俺に付いてきてくれた、並々ならぬ努力で」
「それは泰徳様のご助力があってこそです」
小中高の教科も、デッサンや立体造形も、建築の勉強やレポートも、泰徳が付きっきりで支えてくれた。しかし泰徳は首を振る。
「お前にいくらかは建築士の適性があったにせよ、普通に努力した程度で俺と同じ大学に入れたはずがない。入学してからも挫折の危険性はあったはずだ。だが、お前は俺に付いてくることしか考えず、がむしゃらに努力を重ねた。俺に付いてくることだけを考えて――そうだろう?」
答えに詰まった。泰徳が優しく微笑った。
「ありがとう、澄人」
どきりとした。泰徳は笑っているのにその瞳はあまりに悲しげだ。鼓動がまた速まり、頭痛すらしてきた。
泰徳の顔が一転引きしまった。
「白井澄人、俺の世話係の任を解く」
澄人はひゅっと息を呑んだ。頭の芯から指の先まですっと冷たくなっていく。
「これからは俺の部屋に来なくていい。渡してあるカードキーと合鍵を、今ここで返却しろ」
声が出ない。嫌だと言いたいのに体が命令に従ってしまう。寝室のクローゼットにあるビジネスバッグから、言われた二つの鍵――泰徳の側に仕えられる証を持って、ダイニングキッチンへ戻る。そして、テーブルの上に置いた。
「お、返しいたします」
声が震えていた。泰徳がそれらをポケットにしまった。
「お前の身は、白井家に返す」
「泰徳様っ」
思わず主の名を叫んでいた。そんな澄人を見あげてくる泰徳の眼差しはまた優しさに満ちていた。
「二十年も一人の主に一人の影が仕えた例はほとんどない。お前はよくやってくれた。白井家には俺から、お前には何の瑕疵がないことを重々伝える。心配するな」
立ちあがり、玄関に向かう泰徳に澄人はふらふらと付いていく。ローファーを履いてきた泰徳に靴べらを渡す。
「ありがとう」
返された靴べらを元に戻し、エントランスまで見送ろうと靴に足を入れかける。
「ここでいい」
泰徳の口調はきっぱりとしていて、澄人の体を強ばらせる。
「それでは明日、会社で。おやすみ、白井君」
口元をほんの少しほころばせて泰徳が玄関を出た。ドアが閉まり、足音が遠ざかっていく。
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