未来設計図【改訂版】

夏生青波(なついあおば)

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5.傷痕

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 意識が戻ったときは、病院の集中治療室だった。二度刺された左脇腹の損傷がひどく、一時は重体であったらしい。そのまま一学期は学校へは行けず、紅林家の用意した病院の特別室で教師から補習を受けた。退院できたのは八月上旬。その後出席日数確保のため学校に通いつつ、宿題とリハビリと稽古で夏が終わった。
 入院中も退院後も泰徳に会うことは許されなかった。世話係も護衛も他の者が代わっていると聞いた。澄人にできるのは自分の役目を果たせるよう、体調を整え二学期に備えることだけだった。

 そして九月一日。澄人は再び泰徳の側に上がることを許された。三箇月ぶりに世話係として泰徳を起こしに行く。泰徳の部屋は建て増しした部分にある洋室だ。ドアをノックしてから静かに中へ入り、声を掛ける。
「おはようございます、泰徳様」
 泰徳が飛び起きた。
「澄人!」
 あっと思う間もなく、泰徳に抱きしめられていた。何度も名を呼ばれ、背を撫でられる。
「ご心配をおかけいたしました。本日よりお役目に戻らせていただきます。よろしくお願いします」
 泰徳に肩を掴まれた。
「お前、怪我は? 治ったのか?」
「お陰をもちましてリハビリも済み、合気道の稽古にも参加しています」
 怪我を負う前ほどの本調子ではないが、襲撃に即応できる勘は戻った。

 再び泰徳に抱きしめられる。
「すまなかった」
 涙を帯びた声に澄人は驚いた。なぜ泰徳が謝るのか。
「お前が身代わりになったというのに、紅林は警察の捜査に協力しなかった。身代金を用意するふりという、時間稼ぎすらしなかった」
 泰徳の腕が緩み、澄人の目を覗いてきた。
「大人相手に闘ったのだろう?」
 澄人は笑顔を作った。
「わたくしのお役目は泰徳様をお守りすることです。身代わりになるのも決まっていたことではありませんか」
「だが、結果的に命に関わる深手を負った」
「泰徳様は車のナンバーや特徴を警察に伝えてくださったそうですね。その上、わたくしが今後もお側に仕えることを強く望んでくださったとか。泰徳様のお陰でわたくしはここに戻ることができました。これ以上の喜びはありません」

 携帯電話のGPS機能が警察を現場に呼んだのは確かだが、初動は泰徳の通報によると父親から聞かされた。
 白井家では澄人を泰徳の影から外す話も出たという。役目で深手を負った者は似たような場面に陥ったとき、前に受けた襲撃の恐怖の記憶で動けなくなることがあるからだ。
 それに耳にした泰徳が激怒して、白井家当主たる父を叱責したらしい。それが影への復帰の決め手となったと聞けば、泰徳に対しては感謝しかない。

 しかし泰徳は首を振る。
「大切なお前を俺は傷つけた」
「わたくしは泰徳様をお守りできたことを誉れと思っております。怪我は名誉の負傷。どうかこの澄人を褒めてください」
 泰徳の腕に力がこもった。左脇腹がかすかにうずく。
「よくやった。お前は優秀な影だ」
「ありがとうございます」
 澄人は嬉しさに目が潤んできた。それを隠して、泰徳の背を軽く叩く。
「さ、お仕度をいたしましょう」
 抱擁がとかれた。泰徳は悲しげな表情を一瞬見せたが、その真意を澄人は汲むことはできなかった。



 傷を負った過去の経緯がぐるぐると頭の中を巡り、澄人は寝つけなかった。それでも朝が来ればいつもの時間にベッドを出る。
 壁いっぱいの泰徳の笑顔。床に置いた理想の家の建築模型。そのどちらも今は色あせて見える。視界に入れないようにして着替え、朝食を作り、泰徳の分は弁当箱に詰めた。
 泰徳のマンションに向かい、部屋に入った。カーテンを開けてまわり、寝室を軽くノックした。しかし返事がない。いつもの休日なら眠そうな声で澄人の名を呼んでくれる。
「失礼します」
 澄人はそっとドアを開けた。
 ベッドは空だった。使われた形跡もない。
 急に不安が込みあげてくる。

 昨夜の泰徳は澄人の告白にではなく、傷痕を見て動揺していた。澄人にとっては泰徳の影として役に立ったという輝かしささえ覚える十六年前の事件を、泰徳は自らの罪と言った。泰徳がそう思う必要は全くないのにも関わらずだ。
 どこへ行かれたのだろう。
 焦りを感じた。しかし澄人から泰徳に連絡を入れることはできない。主の週末の行動を影でしかない自分が探るなど出過ぎた行為だ。
 澄人は寝室のカーテンを開けた。海の青を思わせるカーペットの上、白いカバーを掛けられたベッドは、波間に浮かぶ無人島のようだった。


 家事を済ませると泰徳の部屋を後にした。朝食用の弁当は泰徳が電子レンジで温められるよう皿に移して冷蔵庫に入れ、ダイニングテーブルにメモを残した。夕方に洗濯物をたたみにくることも付けたして。
 自宅に戻るともう昼だった。食欲はない。買っておいたパンにハムとチーズ、キュウリの薄切りでサンドイッチを作り、コーヒーを淹れてテーブルに向かった。食べ始めたものの、気がつくと噛むことを忘れてぼんやりしていた。泰徳は朝食が不要な日はあらかじめ連絡をくれた。部屋で寝ていないということは、紅林の屋敷に帰ったのだろうか。泰徳に避けられていると澄人は思いたくなかった。




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