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第二章 魔獣戦争

第22話 勇者ならば

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 俺はララを抱えて棺から跳び離れ、アーロンも同じように離れた。

「アーロン!」
「こっちは大丈夫だ!」

 棺からは巨大な腕が伸びていた。
 黒っぽい肌に黒く鋭い爪、肘からも角のような物が生えている。

 その腕の持ち主は棺から這い上がり、全貌を露わにした。
 膨れ上がった規格外の筋肉に鋭く並び立つ牙、獣のように伸びた口先と狼を連想させるような灰色の髪の毛を生やし、その姿はまるでウルフマンの亜種のような姿だ。

『グオオオオオオッ!』

 これは予想外だ。
 俺が知っているヴァーガスとはまるで姿が違う。
 ヴァーガスはもっと邪悪で醜い姿をしている。

 だがこのヴァーガスは邪悪というよりも、何処となく気品さを感じられる。

 違う……これは人族から生まれたヴァーガスじゃない!

「魔族か……!?」

 目の前のヴァーガスから感じられる魔力は魔族の物だ。混ざり気無しの純粋な魔族の胎児をヴァーガスに変貌させたと言うのか。

『ッ!』

 ヴァーガスが俺を捉えた。
 そう認識した時にはヴァーガスの爪が俺の眼前に迫っていた。

 後ろに倒れるように爪を避け、ほぼ反射的にヴァーガスを蹴り上げるようにして足を出した。蹴りはヴァーガスの腹に当たるが、固い筋肉で受け止められる。

 ララを魔法で更に後ろへと強制的に下がらせ、ヴァーガスの顔面に拳を叩き込む。拳は顔面にめり込むが、少し顔を動かしただけで全く効いていない。

 反撃の拳が俺の腹にめり込み、そのまま天井まで打ち上げられ、背中を天井に打ち付けてしまう。

「グリムロック! このォ!」

 アーロンがヴァーガスに向かって両手の戦斧を振るう。

『グルゥ!』

 ヴァーガスは俊敏な動きで戦斧をかわしていき、アーロンに蹴りを見舞いする。
 アーロンは咄嗟に戦斧を割り込ませるが、そのまま壁へと蹴り飛ばされる。

『ウォォォォォォン!』
「チィッ!」

 床に着地した俺はポーチから銀の鎖を取り出す。銀の鎖を振り回して左腕に巻き付け、即席の銀のガントレットへと変える。

 あれが魔族であれヴァーガスであることには変わりはない。なら銀には弱いはず。
 当初の予定とは少し違うが、少し痛い目に遭わせて大人しくさせるしかない。

「来い! 俺が相手だ!」
『グルァア!』

 ヴァーガスは素早い動きで俺に迫る。

 振るわれた爪を右手のナハトで弾き、左手の銀の鎖で顔面を殴る。
 鎖で殴り付けたヴァーガスの頬から肉が焼けるような音が聞こえて煙を上げる。
 その傷が痛いのか、ヴァーガスは此処で初めて威嚇ではない鳴き声を上げた。

 よし、銀は効く。このままコイツで殴り続ければ鎮静化できる!

「ララ! 俺とアーロンを魔法で援護しろ!」
「分かった!」
「アーロン!」
「おうよ!」

 アーロンにもう一つの銀の鎖を投げ渡し、受け取ったアーロンは銀の鎖を俺と同じように左腕に巻き付ける。戦斧は右手にだけ持ち、二人でヴァーガスと対峙する。

 殴り付けたヴァーガスの頬は軽い火傷の痕が残り、しかしすぐに再生された。
 再生力も高いようだ。これでは鎖で朝まで拘束なんてできたもんじゃない。何か他の手段を考えなければ、夜通し戦い続けることになる。
 そんな長時間も戦い続けることは現実的ではない。できたとしても、結界の外に出さないようにちょっかいを出してヴァーガスとの追いかけっこを披露するだけだ。

「フンッ!」

 アーロンが飛び出すフェイントを掛け、俺がヴァーガスに迫る。
 反応が遅れたヴァーガスの顔面を左腕で薙ぎ、怯んだところを更に叩く。
 皮膚を銀の鎖で焼かれる痛みに吠えながら、ヴァーガスは反撃してくる。
 鋭い爪が振るわれ、ナハトで受け止める。その間にアーロンが左腕を前にしてヴァーガスにタックルし、吹き飛ばしたところを狙って飛び込んでヴァーガスの腹に拳を叩き込む。

『アオォォォン!』
「くっ!」

 振るわれたヴァーガスの腕を左腕で受け止めるが、銀の鎖ごと左腕を掴まれて投げ飛ばされる。壁にぶつかって床に転げ落ちるも、すぐに立ち上がって体勢を整える。
 ヴァーガスは身を屈め、バネのように脚を使って突撃してくる。
 ナハトで攻撃を受け止めようとするが、咄嗟にその判断を変えて身を伏せる。
 風切る速さで突進してきたヴァーガスはそのまま爪を薙ぎ、俺の背後の壁を斬り砕いた。
 ヴァーガスは床に転がっている俺に追撃を仕掛け、俺は風の魔法を床に放ち、その衝撃でヴァーガスから離れる。

「オラァ!」

 アーロンがヴァーガスの背後から殴り掛かり、背中に拳を叩き込む。
 アーロンの怪力でヴァーガスは床に叩き付けられるが、アーロンに蹴りを放って反撃する。
 蹴りを戦斧で受け止めるが、そのまま宙に浮かされてしまう。
 無謀になってしまったアーロンにヴァーガスは爪を突き立てる。

「させない!」

 ララが杖を振るい、ヴァーガスを風の魔法で突き飛ばす。
 ダメージは通らないが、ヴァーガスの攻撃を阻止することはできた。

 そのままララは自身の周囲に氷の鏃を出現させ、ヴァーガスに向けて放つ。
 ヴァーガスは腕を前で交差して氷の鏃を防ぐ。その間に俺とアーロンはヴァーガスに飛び掛かり、交互に銀の鎖の拳で殴り付ける。

「光の精霊よ来たれ――ルク・サンクトリウス!」

 ララによる魔法の支援で銀の鎖の浄化力が上昇する。
 俺とアーロンは鎖を左腕から伸ばし、ヴァーガスの身体に巻き付ける。
 ヴァーガスは両腕ごと身体を鎖で縛られ、鎖と接している部分が浄化によって焼けていく。

『グルォォォォォ!』
「グリムロック! このままいつまでも抑えられねぇぞ!」
「分かってる! だが辛抱しろ!」
「何とかならねぇのか!?」
「この子を殺す訳にはいかねぇんだ! 泣き言言ってんじゃねぇ!」
「誰が泣き言なんか言うかボケェ!」

 だがアーロンの言う通り、このまま鎖で拘束し続けることは難しいかもしれない。
 俺達の力でもヴァーガスが暴れる動きに身体が引っ張られる。少しでも力を緩めれば振り回されて鎖を離してしまいそうだ。

 これじゃあ、解呪の魔法を発動する隙が無い。

「ララ! 何でも言い! 拘束魔法を!」
「えっと、えっと……! 光の精霊よ来たれ――ルク・ド・イリガーレ!」

 床や天井から光の鎖が現れ、ヴァーガスを縛り上げていく。
 ヴァーガスは暴れることができなくなるが、その代わり鎖を力尽くで引き千切ろうと力を込め始める。
 銀の鎖も光の鎖もギチギチと音を立て始め、今にも砕かれそうだ。

「くそ! アトラク!」

 ポーチに入っている銀の鎖を全て魔法で呼び出し、宙に浮かせる。

「バインド!」

 その鎖を魔法で操り、ヴァーガスに巻き付けていく。
 ほぼ首だけになったヴァーガスは焼かれていく痛みに堪え、絶叫を上げる。

『ウォォォォン!』
「よし! このまま拘束し続けられそうだ!」
「だが焼き殺しちまわねぇか!?」
「力を奪っていくだけだ! 痛いだろうが、我慢してもらうしかねぇ!」

 銀は邪なモノを浄化する作用を持つ。その過程で確かに焼けるような痛みは起きるが、ヴァーガスであるのならば死にはしないし、呪いが解けても精神に異常をきたすことは無い。

 それにそこまで気をやっていてはこの子を救うことはできない。
 此処は心を鬼に徹して痛みを与え続けるしかない。

 しかし、ヴァーガスの力は俺の予想を超えていた。

『グルォォォォォン!』

 ヴァーガスが吠えると、ヴァーガスから強大な魔力が発生した。
 それはヴァーガスを包み込み、ヴァーガスと一つとなって力を与えた。

 全ての鎖を一瞬で砕き、俺とアーロンはその反動で倒れてしまう。

 すぐに起き上がり、何があったのかを確かめると、ヴァーガスはその姿を変えていた。
 筋肉で膨れ上がっていた身体は萎み、極限まで脂肪を落としたような体型になり、肌は赤黒く変色していた。黒い魔力の靄を全身に纏い、まるでボロボロのローブを纏っているような姿になっている。

 何だ、あれは……? 身体付きは俺が知っているようなヴァーガスに近い。
 だが全身の纏っている魔力は何だ?
 あれではまるで悪霊のようじゃないか……?

「悪霊……?」

 ふと、ある考えが脳裏を過る。

 この古城には数多のゴーストが棲み着いていた。
 ゴーストとは霊体、つまりは魔力の塊に近しい存在。
 その存在を取り込んで己の力に転換する技も現実に存在する。

 そしてヴァーガスは呪いによって生み出された存在、悪霊やゴーストに反応しやすい体質だ。
 もし、仮にだ。

 このヴァーガスが霊体を取り込むことができたとすれば――。

『オオオオオオオオッ!』

 ――このヴァーガスは更に上位への存在に進化する。

 ヴァーガスの咆哮と共に魔力が衝撃波となって巻き起こり、俺達を壁まで吹き飛ばした。

 咄嗟にララへ防御魔法を掛けることができたお陰で、ララが壁に激突することは避けられた。
 俺とアーロンは壁に激突したが、これしきのことでは怪我を負わない。

 ヴァーガスは先程よりも素早く、瞬きした時には既に俺とアーロンの隣に移動していた。
 俺とアーロンに掌を向け、魔力を撃ち込んできた。
 俺はナハトで、アーロンは戦斧で魔力を防ぐ。

 このヴァーガスが吐き出す魔力、基が魔族だからか毒素に汚染されている!
 一度でも全身に浴びてしまえば、俺とララなら兎も角、人族であるアーロンなら致命傷に関わる!

 ヴァーガスは魔力を撃ち込んですぐに姿を消した。
 透明になったとか、この部屋からいなくなったとかじゃない。素早い動きで姿を捉えられないだけだ。

 ララの周囲に防御魔法を張り、俺とアーロンは背中合わせになる。

「奴は何処だ!?」
「落ち着けアーロン! 攻撃してくる時は真っ直ぐだ!」
「簡単に言うなボケ!」

 ヴァーガスが移動する際に生じる風を切る音だけが聞こえる。
 僅かに纏っている魔力の残り滓が移動の足跡を残し、目で追いかけても既にそこにはいない。

「――そこ!」

 右側から気配を察知し、咄嗟に攻撃を防ぐ為にナハトを振るう。
 しかしナハトはヴァーガスに触れることなく、ヴァーガスの身体を通り抜ける。

「なっ――霊体化!? ゴーストを取り込んだ所為か!?」

 聞いたことがある。
 霊体を取り込んだ際には、その霊体が持つ特性を引き継ぐことがあると。

 それでもまさかヴァーガスが霊体化するとか、そんなの反則だぞ!

 ヴァーガスは素早い動きと霊体化で俺とアーロンを翻弄し、何度も攻撃を仕掛けてくる。
 その攻撃を凌ぐだけで精一杯になってしまい、防戦一方に苦戦を強いられる。
 何とか反撃の糸口を見付けて耐性を整え直さなければいけない。

「ルク・ド・エクソルズ!」

 その時、ララから悪霊祓いの魔法が放たれる。 
 聖なる光が部屋一面を満たし、影という影を消していく。

 いったい何を、そう思ったがすぐにララの考えを理解した。
 今のヴァーガスはゴーストを取り込んでその特性を引き継いでいる。

 なら、悪霊祓いの魔法が効いても何ら不思議ではない。

『ウォォォォ……!』

 思った通り、悪霊祓いの光がヴァーガスを捕らえた。光に押し出される形で姿を現し、纏っていた魔力も剥がれ落ちた。

「でかしたぞララ!」

 砕けて床に散らばっている銀の鎖の残骸を浮遊魔法で操り、ヴァーガスへと飛ばして全身に張り付かせる。

 残骸とは言え銀、弱っている今なら動きを封じるぐらいはできるはずだ。
 浄化の力で藻掻き苦しむヴァーガスを見て、今がチャンスだと、解呪の魔法を使用する。

「我、聖なる光を持ちて悪しき力を退け、不浄なるモノを清浄へと誘う者なり――マキシド・ディスペル!」

 ヴァーガスを中心に六芒星の陣を描き、足下と頭上の二つに分ける。二つの陣でヴァーガスを挟み、陣から放たれる光によって呪いを洗い流そうと試みる。

 解呪の魔法は集中力が必要になる。術者の心に比例してその強さを変える。
 心が弱い者が使えばより弱く、心が強い者が使えばより強くなる。
 今、俺が発動したのは人族の解呪魔法の中でも上位の物だが、発動だけでも相応の心の強さが必要になる。

 俺はあの子を救いたい。

 その思いを強く持ち、魔法に込める。

「解ッ!」

 ヴァーガスを挟み込むように、手を縦に叩いて二つの陣を閉じる。
 バチバチと激しく魔力が弾け合い、強烈な光が溢れる。

『オォォォォォン!』
「いっけぇぇぇえ!」

 やがて光は弾けて消えた。

 ヴァーガスが立っていた所からはシューと音が聞こえ、煙が立ち籠めている。
 解呪に成功したのか否か、煙が晴れるまでは分からない。

 警戒を怠らず、煙が晴れるまでジッと待つ。

 正直言って、今の解呪魔法で俺の魔力はもう殆ど残っていない。まだあの巨大鳥に使った防御魔法分の魔力が回復しきっていない状態で、上位の解呪魔法を使用した。
 これで上手くいかなければ、撤退か最悪の結果として殺すしかなくなってしまう。

 やがて煙が晴れていき、ヴァーガスが立っていた場所がはっきりと見えるようになった。

「これは……!?」
「子供……だと……?」

 そこで意識を失っているのは四、五歳程度の男の子だった。

 俺はてっきり、呪いが解けたら赤ん坊に戻ると思っていた。

 これはどう言うことだろうか。怪物の姿からして、もしかしてヴァーガスでは無く、他の怪物だったということか?
 いや、だが銀の鎖は効いたし、肝臓だけを狙うのはヴァーガスだけだ。

 ならこの子はいったい……?

「グリムロック、どういうことだ? ヴァーガスは赤ん坊のはずだろ?」
「分からない……もしかして、成長した? 魔族なら成長速度が早い種もいるが……」
「……何にせよ、呪いは解けたんだな?」
「ああ」

 それははっきり言える。もうこの子から呪いは感じ取れない。

 俺達はこの子を呪いから救えたのだ。

 マントを外し、裸の男の子を包んで抱き上げる。
 呼吸もちゃんとしている、魔力の流れも正常だ。
 魔族の証である黒髪を撫で、生きて救えたことに感謝する。

「待て、グリムロック」

 アーロンが戦斧を握り締めて俺を止めた。
 僅かだが、彼から殺気を感じられた。

「……何のつもりだ、アーロン?」
「その子をどうするつもりだ?」
「……お前はどうするつもりだ?」
「……その子は多くの人を殺した」
「この子の意思じゃない。この子を利用した何者かの仕業だ」
「それでもその子に殺された同胞がいる。俺達が、俺達の法で裁く」

 それは一理ある話だ。

 この子にその意思が無かったとしても、罪を犯す行為をしたのはこの子だ。
 この子に対して恨みを抱く人が必ずいる。何の責も負わせず野放しにすることを許せない人が彼らの中に存在する。
 エフィロディアにおいて子供は至高の宝だ。だからこそこの子を正しく裁きたいのだろう。

 しかし、だ――。

 俺は彼らに一つだけ懸念がある。

「……アーロン、お前を信じていない訳じゃない。だが……お前達人族が、魔族に対して平等な目で見ることができるのか?」
「……」

 そう、この子は魔族だ。

 魔族は人族にとって嘗ての戦争相手。憎しみの象徴と言っても過言ではない。
 彼らが子供を宝にすると言っても、その子供が魔族ならその限りではないはずだ。

 この子にとって魔族という血は、それだけで人族に迫害される危険を孕む。

 アーロン達エフィロディアの戦士がそのような下劣な行為をするとは思いたくはない。
 だが彼ら以外の多くの人族は違うだろう。

 この子は漸く救われた。俺はこの子に地獄を見せる為に救った訳じゃない。

「それじゃあ……どうするつもりだ?」
「…………俺が引き取る」
「何?」
「ヴァーガスの呪いが解けたのはこれが初めてだ。何がこの子に影響しているか分からない。殺戮衝動が刷り込まれているかもしれない。教育が必要だ」
「……もしその子がまた殺したら?」
「その時は……俺が責任を持ってこの子を殺す」
「それだけじゃ足りねぇ。お前も死ね。それが責任だ」

 アーロンの条件に、俺はララに視線を向けてしまう。

 この命はララを守る為にあると、あの日の夜、二つの指輪に誓った。
 此処で勝手に頷いてしまえば、この子の為に命を使うと、誓いを破ることになってしまうと思ったからだ。

「……」

 ララは静かに頷いてくれた。
 アーロンに視線を戻し、首を縦に振る。

「分かった。この子がまた怪物になって殺しをしたら、この子を殺して俺も死のう」
「……お前だから信じてやる」
「お前のそういう所は好きだぜ」
「止せ、気色悪い」

 アーロンは戦斧を背中にしまった。

 これで一先ずはこの子を救うことができた。
 勇者の同族として、兄貴分として、ララの勇者として胸を張って誇れることをしたと思う。
 あとはこの子を怪物にしないように、覚悟を持って育ててみせる。

 男の子を腕に抱え、俺達は古城を後にした――。

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