愛の重さは人知れず

ゆきの(リンドウ)

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 元カレと聞いてから正直、胸が騒がしい。詩音と付き合って、敢えてお互いの元恋人の話をしてこなかったが、あれだけ可愛いのだから元恋人の一人や二人くらい、いてもおかしくはないと思う。

「だから三田。サプライズで詩音くんを喜ばせてあげたいって思うのも、今までの三田からしたらかなり進歩だし、詩音くんも嬉しいと思うよ?」
「ああ」
「でもね、詩音くんが元カレに助けを求める前に、ちゃんと手を握っておかないと、大変なことになっちゃうかもしれないからね?」

 もう騒がしいというレベルを通り越し、胸はざわついている。そよ風なんかではなく、嵐の前触れのような静けささえ、漂っている。

 最近の詩音におかしなところはなかったか。思い出せ、と記憶の蓋を開けて見るけれど、おかしなところはなかった気がする。
 朝はいつも通り、眠そうに起きて、惣一郎の作った朝食を食べ、そして行ってらっしゃいとまだ、眠そうな声で言ってくれる。帰宅した夜も、遅くても必ず、待っていてくれるしその時は笑顔でおかえりと言って出迎えてくれている。

 恋人の夜は―。誕生日のあの夜に濃厚すぎる夜を過ごしてから、交わったのは一度だけだった。が、その時も嫌がる様子はなく、可愛い詩音が惣一郎の腕の下にいたのだ。

 もし、藍田の言うことが本当ならば、もしかしたら惣一郎の知らないところで詩音は寂しさを抱えていることになる。詩音なら惣一郎とは違い、話せる相手はたくさんいる。
 仕事仲間、趣味仲間。それから学生時代の友人と、穏やかな詩音にはたくさんの友人がいる。けれどもし、元恋人に助けを求めていたら。

 惣一郎の知らないところでもし、二人が会っていたら。

 一瞬にして震えがした。もし、なんてことは性格上、あまり考えない。けれど、詩音のことになると性格が変わる、それが惣一郎だ。

 背中を這いずる嫌な予感が当たっていたら。そう思うだけで、今すぐ、今日の仕事のことなど全て放り投げて詩音のいる部屋へと帰ってしまいたくなった。

 帰って扉を開けて、いつも通りパソコンの前に少し背中を丸めて座る詩音を、この目で確かめたくて堪らなくなった。

「って、話し込みすぎた!ほら、仕事、遅れるから行くよ?」
 けれど現実はそう甘くはない。
 ここに引っ張られてきた時と同じように藍田に腕を引き摺られ、今度こそ会社のエントランスへと向かった。
 時計を見れば就業時刻の十五分前。今から家へ帰っても到底、間に合う時間ではない。

 まずは仕事をしなければ。そう思うのに、足は縺れ、まるで仕事とは反対方向に向かおうとしている。

 詩音を信じている、それは疑いようのない事実だ。けれど、もし、藍田の言うことが事実なら。

 縺れる足と膨らむ疑念心に叱咤しながら、惣一郎はヒールを鳴らして歩く藍田の後ろを付いていくことしかできなかった。
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