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 料理を待つ間、詩音に聞いたのは、イタリアンのコース料理についてだ。

 食前酒はアペリティーボ、さっきのバケットはストゥッツイーノというらしく、日本でいうところのおつまみのようなものだ。
 アンティパストは前菜、プリモピアットは一皿目と、教えてくれる。

「すごい大きい」
「たしかに」
 そして運ばれてきたセコンドピアット、いわゆるメインデッシュに、二人して感嘆の声を上げた。
 魚の身の部分が皿の中央に堂々と鎮座し、貝が口を開けてそれを囲む。その上には、散らばったレモン。
 店員がアクアパッツアだと教えてくれた。名称は聞いたことはあるが、実際、作ったこともなければ食べたこともないので、少々、感動した。
 一口、食べると魚のうまみが広がる。出汁に使われているのか、トマトの酸味が魚のうまみに絶妙に合う。

「美味しい」
「美味いな」
 ただ、その言葉だけが出る。美味い料理を前にすると、言葉は陳腐になるらしい。

 次に出て来たローストスペアリブは、ほろほろと肉が口の中で蕩けるようで、すると詩音が「どうやったらこんなに美味しく作れるんだろう」と、真剣に言ったので思わず、いつもの詩音だと思い、笑ってしまった。
 それからもコントルノ、フォルマッジィと続いた。
 最後のドルチェ、日本語で言うデザートを待つ間、詩音に聞かれた。

「どう、美味しかった?」
「ああ、美味かった。なんていうか、上品な味がした」
 以前、上司に連れられて行ったイタリアン料理店とはまた別な味で、どちらも美味しいけれど使っている食材なのか味付けなのか、全く別の料理のようで素直にそう言っていた。

「良かった、惣に喜んでもらえて」
「そういえば、さっき言わなかった内緒のことってなんだったんだ?」
 あまりにも詩音がほっとした顔をしているからか、また気になる気持ちがむくむくと沸き、そう聞いていた。
 すると、詩音が口を開きかけたタイミングでドルチェが運ばれてくる。

 瞬間、目を瞠った。

「詩音、これ」
「お客様のお誕生日ということで、卯月様がこちらを」
「ああ、言っちゃった」
 くすくすと笑う店員と恥ずかしそうに顔を染める詩音に、惣一郎だけがついていけない。
 目の前の形も色どりがいいフルーツタルトから目が離せなかったわけではなく、それよりその皿の淵に書かれたチョコの『Happy Birthday』の文字から目が離せない。

「ごゆっくり」と言われ、店員がまた、グラスに入った酒をコトン、とテーブルに置いた。それが食後酒のディジェスティーヴォだと知ったのは、そのサプライズに感動した後のことだ。

「改めて、誕生日、おめでとう、惣」
「…もしかして、さっきの内緒って」
「そうだよ。ってあれ、今日だよね?惣の誕生日。もしかして忘れてた?」

 問われ、恥ずかしながら頷いた。
 すると、詩音は「惣って自分のことになると、おざなりになるよね」と笑いながら言った。
 たしかに、そうかもしれない。詩音と付き合う前はそうではなかったのに、詩音と付き合ってからは自分のことよりいつも、詩音のことを考えている自分に気が付き、そのことが妙には恥ずかしさを連れてきて惣一郎の顔を赤くさせた。

「だと思った。興味ない恋愛映画でもいいなんて言うから、おかしいと思った」
「そう、なのか?」
「そうだよ!でも、惣がいいって言うから、甘えちゃった。そのお詫びじゃないけど、絶対今日はここに連れて来たかったんだよね」

 ―昨日の今日で無理言ったけど、でも、間に合わせてくれて良かった。

 その時、ようやく気が付いた。詩音が昨日、夜遅くまで何かしていたのは、このためだったのだ。朝、起きられなかったのも、朝、起きるのが弱いせいでもなく、このせいだったのだと。
 なんだか凄く、胸が熱い。焼けるような熱さが、胸を焼き尽くしそうだ。
 油断すると涙が頬を伝いそうで、熱を逃すように細く息を吐きだした。

「ありがとう、詩音」
「…うん、おめでとう、惣」

 火がつけられている蝋燭は、太いものが二本、細いものが五本。ちょうど、二十五歳ということだろうか。そんな細かい演出にまた、感動した。
 が、もっと感動したのは、蝋燭の火を吹き消し、詩音が取り分けてくれたケーキを一口、食べた時だった。

「これ」
「どう?口に合った?」
 言葉が出ない。今度こそ、本当にしょっぱい味と混ざりそうだ。

「店員さんに相談して、甘くないケーキにしてもらったんだけど」
 黙ってしまった惣一郎を心配して、詩音が言った。

「うん…美味いよ、甘すぎなくて」

 一言、ようやくそう言うと、詩音はさっきの笑顔の何倍にも輝く笑顔で「良かった」と言ってくれた。

 どうしてこんなに尽くしてくれるのか。甘くないケーキを瞳に滲ませながら惣一郎は思う。

 本当は詩音をサプライズで喜ばせたかった。本を買って、三月と会わせて、喜ぶ笑顔を見て、悩みなんて吹き飛ばして欲しかった。なのに、こうして結局、惣一郎の方が喜んでいる。

 いつもそうだ。詩音はいつも、惣一郎の喜ぶことを考え、そして行動してくれる。付き合ってからも一緒に住み始めてからも、すれ違ってもいつも、仲直りのきっかけをくれるのは詩音、お前なんだ。

 そう思うと詩音が愛しくて、愛しくて。誰もいないことを確認して、惣一郎は席を立った。そして詩音の隣へと立つ。

「そ、惣?どうした、の」
 最後の言葉は、惣一郎の甘くない口の中へと消えた。可愛らしいリップ音が、誰もいない三階に響いた気がした。

「惣…」

 甘くない、はずなのに、もう空気は甘い。甘くて、甘くて、蕩けてしまいそうで、けれど胸はその甘さにざわついている。

「嬉しいけど、早く二人になりたい」
 目を見つめて言うと、詩音の顔がタルトに載っている苺のように真っ赤に染まっていた。
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