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昼時になり、店内の待合席も込み始めた頃に店を出た。出る間際、会計をしていると案内してくれた店員と厨房から二人、惣一郎たちよりも年配の男女が顔を出し、挨拶をしてくれた。
「ご挨拶が遅れました、オーナーの神崎と申します」
「娘でこの店の店員の結です。いつも詩音さんにはご贔屓にしていただいてます」
優しさを滲ませるような声で言われ、きっとこういう雰囲気が、詩音がこの店を好きな理由の一つでもあると思った。
以前、会社の上司に言われたことを思い出す。いくら立派な広告を作っても、使う側、つまりクライアントが店をないがしろにするような態度をしては自然と人は離れてしまう。そう考えると、クライアントを見抜く力も必要なのかもな、と。
それは、大きな会社に勤めていればなかなか、出来ないことだった。一個人の裁量で受ける仕事を選べない。受けると決めるのは、あくまでも上司であり、それも役職がついている人だ。
思えばきっと、当時の上司なりのジレンマのような思いだったのだろう。詩音はその点、店も人も見抜いているのだから、もしかしたら広告の仕事に向いているかもしれないなと思う。
店を出て、来た時とは反対の方向のバスに乗り、そのまま駅まで行くと静けさは既になく、賑やかさが舞い戻って来た。
バスから見える景色に、また、近いうちにここに来ようと心で誓いながら、一番後ろの席、窓際に座った詩音の手にそっと、自分のそれを重ねていた。
バスに揺られ、見慣れた景色に戻り。行き交う人の波に同じ日本かと思わず、そんなことを思っていると詩音に「嫌じゃなかった?」と聞かれた。
「何が?」
「僕はああいう場所が好きだけど、惣は田舎っぽくて嫌だったかなって」
その真意はきっと、惣一郎の地元が東京だからだろう。高校まで東京で育ち、大学でこの地に越してきた。当時は歩けばなんでも揃う町に住んでいたため、ここに越した当初は少し、面倒に感じた。が、住めば都とも言うように次第に慣れ、すぐにそんなことを思わなくなっていた。
もしかしたら、惣一郎の態度にそう、思ったのかもしれない。
素っ気なくしたい訳でも、楽しくない訳でもない。ただ、照れくさいだけなのだ。愛情表現というものをいまだに、どうすれば正解なのかわからない。
けれど、詩音に誤解されたくはない。と、惣一郎は慌てて「俺も好きだったよ」と言った。
すると、詩音は驚いたように、けれどもほっとしたように笑った。そんな顔を見せてくれるならもう少し、愛情表現というものをうまくできるように努力しようと思った。
バスを降り、町の中心部の駅に出ると、映画館はすぐの場所にあり、駅から歩いて数分で着いた。
閑散とした町と比べると、若者で溢れる町は良い意味で賑やかさを増す。チケット売り場に並ぶと、目の前に並ぶ男女のカップルが手を繋ぎ、耳元でこそこそと話し、要するにいちゃついていた。
あまり、公共の場では。と、思いながらも、ふと、詩音はどう思うのだろうと盗み見ると、羨ましそうに前の二人を見ていた。
「詩音」
「え?何、惣」
なんとなく、詩音の視線を奪いたくなってそう呼びかける。
「…今日もキャラメル味でいい?」
まだ、チケットも買っていないのに、呼びかけたのだから何か言わなければとつい、先走ったことを言う。
キャラメル味とは、この後、必ず買う隣の売り場のポップコーンの味のことだ。詩音はキャラメル、惣一郎は塩。飲み物はココアが詩音、コーヒーが惣一郎だ。本当はラテにしたいのだが、映画館にはソイラテがないため、コーヒーにした。
「うん、いいよ!」
そう言って笑う詩音に、少しだけ、公共の場でのいちゃつきについて早急に努力してみようと思った。
見る映画は恋愛映画。最近、テレビをつければしきりに広告しているもので、俳優も女優もあまりテレビを見ない惣一郎でも知っている人だった。
チケットを買い、食べ物も飲み物も買い、あとは劇場に入るだけというのに、詩音は何か言いたげに惣一郎を見つめている。
「詩音?」
溜まらずそう聞くと、詩音は言いにくそうに固い口を開き始めた。
「やっぱり、映画。今からでも別のものにしない?」
「え?今から?」
「うん。だって惣、恋愛映画好きじゃないのに」
と、詩音が言うのは、惣一郎と詩音は映画の好みが分かれるからだ。
惣一郎は専ら、SFやホラー、詩音は恋愛映画。見事に分かれる好みを知ったのは、学生の頃。付き合って初めて行った映画でのことだ。
詩音とは共通の友人も多く、その時はいつもホラーばかりだったため、詩音もてっきりホラー映画が好きなのだと思っていた。
だから、何が見たいかという話になった時、恋愛映画のタイトルを告げた詩音に驚いたものだ。
けれど、当時はまだ、今よりも格好つけていた部分もあり、恋愛映画が見れないなどとは、口が滑っても言えないと思っていた。
結局、映画館を出る頃にはどんよりとした雰囲気を纏っていた。映画の途中、あろうことか惣一郎は寝ていたらしい。
気が付いた時にはエンドロールが流れており、慌ててストーリーを思い出そうにも途中、ヒロインが主人公と出会い、いい感じの雰囲気になるところまでだった。
その後、詩音と近くのカフェに入り、感動したと感想を告げる詩音に、居た堪れない気持ちになったのだ。
きっと、隣に座る詩音も気が付いていたはずだ。気が付いていないはずがない。なのに、何も言わず、咎めるわけでも感想を無理強いしてくることもしない。詩音の優しさなのだろうけれど、その優しさが辛く、自ら打ち明けていた。
すると、笑って『誰でも興味ない映画は寝ちゃうから、気にしないでよ』と言ってくれたのだった。
「ご挨拶が遅れました、オーナーの神崎と申します」
「娘でこの店の店員の結です。いつも詩音さんにはご贔屓にしていただいてます」
優しさを滲ませるような声で言われ、きっとこういう雰囲気が、詩音がこの店を好きな理由の一つでもあると思った。
以前、会社の上司に言われたことを思い出す。いくら立派な広告を作っても、使う側、つまりクライアントが店をないがしろにするような態度をしては自然と人は離れてしまう。そう考えると、クライアントを見抜く力も必要なのかもな、と。
それは、大きな会社に勤めていればなかなか、出来ないことだった。一個人の裁量で受ける仕事を選べない。受けると決めるのは、あくまでも上司であり、それも役職がついている人だ。
思えばきっと、当時の上司なりのジレンマのような思いだったのだろう。詩音はその点、店も人も見抜いているのだから、もしかしたら広告の仕事に向いているかもしれないなと思う。
店を出て、来た時とは反対の方向のバスに乗り、そのまま駅まで行くと静けさは既になく、賑やかさが舞い戻って来た。
バスから見える景色に、また、近いうちにここに来ようと心で誓いながら、一番後ろの席、窓際に座った詩音の手にそっと、自分のそれを重ねていた。
バスに揺られ、見慣れた景色に戻り。行き交う人の波に同じ日本かと思わず、そんなことを思っていると詩音に「嫌じゃなかった?」と聞かれた。
「何が?」
「僕はああいう場所が好きだけど、惣は田舎っぽくて嫌だったかなって」
その真意はきっと、惣一郎の地元が東京だからだろう。高校まで東京で育ち、大学でこの地に越してきた。当時は歩けばなんでも揃う町に住んでいたため、ここに越した当初は少し、面倒に感じた。が、住めば都とも言うように次第に慣れ、すぐにそんなことを思わなくなっていた。
もしかしたら、惣一郎の態度にそう、思ったのかもしれない。
素っ気なくしたい訳でも、楽しくない訳でもない。ただ、照れくさいだけなのだ。愛情表現というものをいまだに、どうすれば正解なのかわからない。
けれど、詩音に誤解されたくはない。と、惣一郎は慌てて「俺も好きだったよ」と言った。
すると、詩音は驚いたように、けれどもほっとしたように笑った。そんな顔を見せてくれるならもう少し、愛情表現というものをうまくできるように努力しようと思った。
バスを降り、町の中心部の駅に出ると、映画館はすぐの場所にあり、駅から歩いて数分で着いた。
閑散とした町と比べると、若者で溢れる町は良い意味で賑やかさを増す。チケット売り場に並ぶと、目の前に並ぶ男女のカップルが手を繋ぎ、耳元でこそこそと話し、要するにいちゃついていた。
あまり、公共の場では。と、思いながらも、ふと、詩音はどう思うのだろうと盗み見ると、羨ましそうに前の二人を見ていた。
「詩音」
「え?何、惣」
なんとなく、詩音の視線を奪いたくなってそう呼びかける。
「…今日もキャラメル味でいい?」
まだ、チケットも買っていないのに、呼びかけたのだから何か言わなければとつい、先走ったことを言う。
キャラメル味とは、この後、必ず買う隣の売り場のポップコーンの味のことだ。詩音はキャラメル、惣一郎は塩。飲み物はココアが詩音、コーヒーが惣一郎だ。本当はラテにしたいのだが、映画館にはソイラテがないため、コーヒーにした。
「うん、いいよ!」
そう言って笑う詩音に、少しだけ、公共の場でのいちゃつきについて早急に努力してみようと思った。
見る映画は恋愛映画。最近、テレビをつければしきりに広告しているもので、俳優も女優もあまりテレビを見ない惣一郎でも知っている人だった。
チケットを買い、食べ物も飲み物も買い、あとは劇場に入るだけというのに、詩音は何か言いたげに惣一郎を見つめている。
「詩音?」
溜まらずそう聞くと、詩音は言いにくそうに固い口を開き始めた。
「やっぱり、映画。今からでも別のものにしない?」
「え?今から?」
「うん。だって惣、恋愛映画好きじゃないのに」
と、詩音が言うのは、惣一郎と詩音は映画の好みが分かれるからだ。
惣一郎は専ら、SFやホラー、詩音は恋愛映画。見事に分かれる好みを知ったのは、学生の頃。付き合って初めて行った映画でのことだ。
詩音とは共通の友人も多く、その時はいつもホラーばかりだったため、詩音もてっきりホラー映画が好きなのだと思っていた。
だから、何が見たいかという話になった時、恋愛映画のタイトルを告げた詩音に驚いたものだ。
けれど、当時はまだ、今よりも格好つけていた部分もあり、恋愛映画が見れないなどとは、口が滑っても言えないと思っていた。
結局、映画館を出る頃にはどんよりとした雰囲気を纏っていた。映画の途中、あろうことか惣一郎は寝ていたらしい。
気が付いた時にはエンドロールが流れており、慌ててストーリーを思い出そうにも途中、ヒロインが主人公と出会い、いい感じの雰囲気になるところまでだった。
その後、詩音と近くのカフェに入り、感動したと感想を告げる詩音に、居た堪れない気持ちになったのだ。
きっと、隣に座る詩音も気が付いていたはずだ。気が付いていないはずがない。なのに、何も言わず、咎めるわけでも感想を無理強いしてくることもしない。詩音の優しさなのだろうけれど、その優しさが辛く、自ら打ち明けていた。
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