愛の重さは人知れず

ゆきの(リンドウ)

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 レオナードは一直線に馬車へと向かう。
 対してルシータは、えっぐ、えっぐとべそをかきながらも、火傷に効くアロエを探す。

 涙でぼやけた視界の端に、イガイガした長細い葉っぱを見つけて足を止めようとした。
 けれどルシータは今、レオナードに抱えあげられていて、つま先すらまともに地面についていない状態。それでは、叶うはずもない。

 しかも、ちょっと待ってと声を掛けたくても、今のルシータは、アスティリアの嘘泣きとは違う。本気の涙を流している。
 つまり声を出すために息を整えようとすれば、余計なものが鼻から出てしまう可能性が極めて高い。

 どんなにキャパオーバーになっても、ルシータだって女の子だ。
 しかも好きな人の腕の中にいる状態で、そんなもの誰が好き好んで見せたいと思うだろうか。

 だから結局、ルシータはアロエを採取できぬまま、有無を言わさず馬車に乗せられてしまった。と、同時にレオナード自身もしなやかに馬車に乗り込んだ。




「───……ルシータ、頼む。お願いだから泣き止んでくれ。何でもするから」

 乱暴ではないけれど、強引に馬車の座席に着席させられた途端、ほとほと困り果てたレオナードの声を聞いて、ルシータはなぜかここでプツンとキレた。

「何でもするって言うなら、熱湯なんか浴びないでよっ」

 いやもう、そんなことを言ったところで遅い。
 でもルシータは、あまりに動揺していて、もっとも望むことしか口に出来なかった。

「えー……それは、また難題だなぁ」

 過去を変えろと無茶ぶりされたレオナードは、眉を下げて苦笑する。

 でもそう言いながらも、手を伸ばしてルシータの涙を拭きとった。少し硬い親指の腹がルシータの目元をそっと撫でる。手の甲で、頬も撫でられた。

 涙で濡れた皮膚が、レオナードの指を的確に感じ取って、ルシータはぞくりと背中が震える。感情を高ぶらせているせいで熱い頬に、ほんのり冷えた彼の手はとても心地よかった。

 とはいえ、こんな時にあからさまに喜ぶことはできない。

 ルシータは馬車の座席にきちんと着席しているけれど、レオナードは向かいの席に座っていない。床に膝をついて、ルシータを覗き込んでいる。

 だから、その痛々しい顔が良く見える。
 額から頬にかけて赤くなっている。なのに、相も変わらず眩しい程に美しく整っている。

 彼をこんなふうにさせてしまったのは、自分のせいだ。
 ルシータは心の底から自分を責めた。今、世界中の人間から「人でなし」と罵られても甘んじて受け入れたいと思う程に。

 なのに、そのご尊顔の持ち主は、ルシータが憂えた顔をしているというのに、こんなことを言った。
 
「いやぁ、水も滴るイイ男だろ?惚れ直してくれたかい?」
「馬鹿っ」

 ルシータは食い気味に、レオナードを怒鳴りつけた。

 レオナードがイイ男なんて、そんなものわかりきったことだ。太陽が西に沈むのと同じくらい、当たり前のことだ。今更、水……いや、熱湯を被る必要なんてない。

 それにあまりに、その発言は場違いだ。その表情も。
 なんで、嬉しそうに笑っているのだろう。痛い思いをしたはずなのに。どうしてこの人は、なんでもなかったかのように振る舞えるのだろう。
 
 熱湯を浴びていない自分が、こんなにも辛くて悲しいと言うのに。これじゃあ、まるで逆ではないか。

「......レオナード」
「ん?なんだい、ルシータ」
「痛い?」
「ぜんぜん」
「そこ......ヒリヒリしてるでしょ?」
「ちっとも」
「......嘘つき」
「嘘じゃないさ。それより、君が無事で良かった」

 ───……ああ、そっか。彼は超が付く格上のお貴族様だった。だからもしかして、痛いとか辛いとか、声に出すことができないだけなのかもしれない。

 ルシータはそんなふうに間違った解釈をしてしまった。
 そして、そんな彼に自分ができることは一つしかないと、これまた、やや斜め上の結論に達した。

「私、アロエを取ってくるっ」
「は?ちょっ、だ、大丈夫だから、ルシータっ」

 馬車を飛び出そうと、ルシータが転がるように扉に手を掛けた途端、レオナードに強く腕を捕まれた。

 そしてそのまま、再び着席させられる。でも、今度はレオナードは床に膝をつくことはしなかった。覆い被さるように、ここにいる。

 レオナードは両の手を馬車の壁について、その腕の間にルシータを閉じ込めて、じっと見つめた。

「ここにいて。ルシータ」

 至近距離なんてもんじゃない。
 息がふれあうほどレオナードの顔が間近に迫れば、尊すぎるものを見た人間の心情として、目を逸らしてしまう。

 だからルシータは、レオナードが次に取る行動を予測することができなかった。 

「───......なっ」

 ルシータは小さく声をあげた。

 なんということだろうか。信じられないことに、レオナードは、今、たった今、ルシータの唇をペロリと舐めたのだ。

 なかなかのことをしてくれたのに、ルシータが甘受してしまったのは、彼の行動があまりにも早かったため、反応ができなかったから。

「ああ、やっぱり傷になってるね。痛い?」

 労りに満ちた眼差しをルシータに向けながら、レオナードはもう一度、そのサクラ色の唇をペロリと舐めた。

「なっ!!!!」

 今度は短い言葉にありったけの感情を凝縮して、ルシータが叫んだけれど、レオナードはどこ吹く風。

 むしろなんだか不機嫌と言うか、はっきり言って拗ねた表情に変わっていた。

「ねえ、ルシータ。僕、ちょっと怒っているんだけど」
「は......い?」

 レオナードの表情は矛盾していた。

 不機嫌そうに顔をしかめているくせに、真っ直ぐにルシータを見つめる瞳は潤み、欲情を孕んでいるかのように熱を帯びている。

 ルシータは、ものの見事に固まった。

 不幸中の幸いで、唇ペロリ事件は頭の隅に追いやることができた。けれど、今まさに別の危機的状況に陥っているような気がしてならなかった。
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