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 父親と離婚し、母一人での生活に、惣一郎は一早く、社会人になることを夢見ていた。
 生活に不自由していたわけではない。欲しいもの、必要なものは、言わなくても母親が買ってくれた。給食費を滞納することもなく、友人と遊ぶと言えば財布にはいつもより多めの金が入っていた。
 けれど、母が実は、大変だったことは知っていた。

 惣一郎や妹が熱を出せば、仕事に行けないこともあった。電話でぺこぺこと頭を下げている姿をこっそり、見てきていた。
 だから、早く、稼いで母を楽にさせてやりたいと思ったのだ。

 同棲する時も、そんな惣一郎の気持ちを知っていたのか、はたまた、くみ取ってくれたのか。男二人、明らかに手狭になるのに、詩音は1DKの築三十年の部屋でいいと言ってくれた。詩音はいつだって、我儘も文句も言わない。
 社会人に成り立ての頃、度重なる残業で疲れ果て、朝食を作れなかった時も、当番の洗濯ができなかった時も、詩音は何も言わずにさり気なく、代わりにしてくれていた。
 普通なら、文句の一言も言いたくなるだろう。詩音の優しさに助けられていた。今も、助けられている。

 けれど、今はその優しさが、痛い。

 思えば詩音は、喋らない惣一郎に無理に話をさせないように、率先して自分から話をしているのだと思う。
 話しても惣一郎の負担にならないように、返事をするような会話をしていない。
 だから、今も、我慢しているはずだ。何か言いたくても言えず、けれど悟られないように我慢しているのだ。

 最近、よく見る詩音の表情を思い浮かべると、胸が痛んだ。

 俺にできることは何だろう。

 上手い言葉も言えず、腹の内をさらけ出させることもできず、そんな自分にできることは何なのだろうか。せめて、詩音が笑っていてくれればいい。

 そう思いながら歩いていると、一件の本屋の看板が目に入った。
 気付けばそこは、惣一郎がいつも乗る電車の駅で、そこからさほど離れていないところに本屋がある。
 そこは、詩音の行きつけの本屋だ。
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