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一章
第1話:霧に包まれた街
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――あの日、すべてが壊れるまでは。
朝の柔らかな陽光がカーテン越しに差し込み、リビングに穏やかな温もりが広がっていた。テーブルには香奈が広げたボードゲームの駒が整然と並び、彼女は無邪気にサイコロを振り、凛を見つめた。
「お兄ちゃん、今日は絶対に負けないから!」
凛は肩をすくめて苦笑し、「そうか? 今日は負ける気がしないんだけどな」と返した。短めの黒髪に深紅の瞳を持ち、強い決意が感じられる風貌でも妹に対する優しさが目から滲み出ていた。
「負けないもん!」香奈の小さな手が駒を動かし、その瞳は勝利への意気込みに満ちていた。凛はそんな香奈を微笑ましく眺めた。彼女の笑顔が自分にとってどれだけ大切かを、凛は痛感していた。
――この笑顔だけは、守らなければ。
「ねえ、お兄ちゃん……最近、怖い夢ばかり見るんだ」香奈はふと声を落とした。「黒い霧が私を追いかけて、お兄ちゃんがどこかに行っちゃう夢」
凛は驚き、言葉を探した。「そんなの、ただの夢だよ。俺はどこにも行かない」
「ほんと?」香奈は小さな手を握りしめ、「もし私が消えちゃったら……どうする?」と尋ねた。
その問いに、凛の胸がざわついた。しかし彼は迷わず言った。「そんなこと絶対にさせない。お兄ちゃんが守るから」
香奈は安心したように微笑み、再びゲームに集中する。その姿に凛は胸を撫で下ろした。
大学へ向かう途中、凛は緊急運行の電車に揺られ、荒廃したカルマシティの街並みをぼんやりと眺めていた。ひび割れた建物の壁には「影獣の脅威に備えよ」と赤い文字のポスターが無造作に貼られ、風に揺れている。影獣――それは、人々の負の感情が具現化した怪物であり、この街に暗い影を落としていた。
「また影獣か……街全体が、爆発寸前だな」
避難所には、負の感情を抑えきれない人々が集まり、子どもを抱える母親の姿が見える。凛はその不安げな様子に視線を向けたが、イヤホンの音量を上げ、雑念を振り払った。
――帰ったら続きをやろう。香奈との約束を胸に、凛は次の手を考えていた。
だがその時、電車が突然激しく揺れた。甲高い金属音が響き、車内は不穏な静けさに包まれる。
「……何だ?」
前方に視線を向けると、車掌室が巨大な爪に引き裂かれたように消え、壁には鋭い爪痕が残されていた。車内の乗客の一人が不自然に崩れ、身体がねじれていく。黒い霧が彼を包み込み、人型の怪物――影獣を形作った。
「う、うわああああ!」
悲鳴が車内に響き、他の乗客たちも次々と黒い霧に飲まれていく。凛はその光景に息を呑み、反射的にドアをこじ開けて線路へ飛び出した。
重い足音が背後から響く中、凛はただひたすら走り続けた。振り返るな。立ち止まるな。家に帰るんだ――香奈が待っている。
夕闇が迫る中、自宅にたどり着いた凛は、胸の奥に重い不安を感じていた。心臓が締め付けられるような感覚に駆られながら、ドアノブを握りしめ、ゆっくりと回す。
扉を開けると、室内に広がる血の臭いが鼻をつく。凛の目に飛び込んできたのは、倒れた両親、そして――影獣に襲われる香奈の姿だった。
「香奈っ!」
凛は叫び声をあげ、無意識のうちに部屋に駆け込む。だが、その瞬間、香奈の小さな体が影獣の巨大な爪に引き裂かれる寸前、凛の胸が引き裂かれたように痛んだ。
目の前で妹が――。
頭の中で何かが崩れ落ちる音が響いた。凛の手が伸びるが、間に合わない。香奈の目がかすかに開き、微笑んだその瞬間、彼女の声が響く。
「お兄ちゃん……守ってくれて……ありがとう」
その言葉が凛の胸をさらに締め付けた。しかし、彼の手が届く前に、香奈の体はゆっくりと崩れ落ち、息を引き取った。
「香奈ぁああああ!」
その瞬間、凛の中で何かが爆発した。怒り、絶望、そして悔しさが一気に湧き上がる。全身が震え、目の前の影獣に対する激しい憎悪が湧き上がった。
香奈を守れなかった――その無力感が、凛を強くさせた。今、彼の胸には怒りだけがあふれ、それが彼の力となって手元に黒い闇が刀として形作られた。
無意識に手を握る。刀の柄の感触が掌に張り付き、その瞬間、凛の背中に漆黒の翼が広がる。
「お前を……すべて滅ぼしてやる!」
叫びながら凛は影獣に向かって駆け出し、怒りの力で刀を振り下ろした。しかし、どれだけ倒しても虚しさが胸を締め付ける。香奈の小さな手の温もりが、もう二度と戻らないという現実が重くのしかかる。
――俺が守るって言ったのに。
戦いが一段落すると、静寂が戻った家の中には、香奈の残した温もりだけが静かに漂っていた。凛はその場に膝をつき、香奈の手をそっと握りしめる。
「香奈……」
震える声で名前を呼びながら、凛の胸には怒りと後悔が渦巻いていた。しかし、その時、背後で物音がした。マンションの壁が破壊され、隣接する部屋や廊下が瓦礫に覆われているのが目に入る。
「……まだ来るのか!」
凛は立ち上がり、刀を構えた。このままでは香奈を失った場所すら守れなくなるという思いが、凛の足に力を与えた。
「この場所は渡さない……絶対に!」
凛が背後の影獣に視線を向けたその時、微かな声が耳に届いた。
「……助けて……」
凛は声の方向へ向かい、破壊された壁の先、瓦礫の隙間を見つめた。隣接する部屋だった場所に、小さな少女が震えながら身を潜めているのが見えた。周囲の破壊されたコンクリートや崩れ落ちた家具の間で、彼女の小さな体がかろうじて影を作っている。
汚れた服、怯えた目。その瞳に香奈の面影を感じ、凛は一瞬言葉を失った。
「……なんで……」
凛の胸の奥で怒りが再び燃え上がる。こんな幼い子どもが、どうしてこんな状況に追い込まれなければならないのか。
少女は小さな声で呟いた。「……お兄ちゃん……怖いよ……」
その言葉に、凛の胸が鋭く抉られる。脳裏に浮かぶのは香奈の声――「守ってくれる?」と問いかけてきたあの日の記憶だった。
「……大丈夫だ」
凛は震える少女の手をしっかりと握りしめると、瓦礫の陰に隠れるように少女を導いた。
「ここにじっとしてろ。俺が片付ける」
少女は不安そうな表情を浮かべたが、凛の力強い声に頷き、瓦礫の影に身を潜めた。
影獣の群れが黒い霧を纏いながら迫ってくる。凛は刀を構え、静かに深呼吸をした。胸の中で燃え上がる感情――香奈を守れなかった後悔と、この少女だけは守り抜くという決意――それが彼の力をさらに引き出していく。
「来い……!」
凛の声に応えるように、影獣たちが一斉に襲いかかってきた。彼は翼を広げ、瞬時に間合いを詰めると、刀を大きく振りかざした。その一撃は霧を切り裂き、数体の影獣を霧散させる。
しかし、それでも次から次へと影獣は現れる。瓦礫の中から這い出してきた影獣たちは、一体一体が人の形を失った狂気そのものだった。
凛は疲労を感じながらも、絶対に引けないという思いで刀を握り続けた。だが、その時、周囲の空気が変わるのを感じた。振り返ると、少女が隠れている瓦礫の隙間が、青白い光で包まれている。
「……何だ?」
光の中心には、少女が両手で何かを抱え込むように持っていた。それは淡い青い光を放つ小さなペンダントだった。彼女がそれを握りしめると、光が徐々に強さを増していく。
少女が凛に向かって叫んだ。「これ……お母さんが守ってくれるって言ってたの!」
凛はその言葉に一瞬戸惑いながらも、ペンダントがただの物ではないと直感的に理解した。彼女がその小さな体で必死にペンダントを投げると、それは凛の手元にしっかりと収まった。
ペンダントを握りしめた瞬間、凛の中に新たな力が湧き上がるような感覚がした。刀が青白い光を帯び、これまでとは異なる輝きを放ち始めた。
「これが……」
凛は刀を見つめながら、その力の正体を感じ取った。それは香奈を守れなかった無念と、この少女を守り抜くという決意が共鳴し、ペンダントを通じて形となった力だった。
影獣たちはその輝きを見て怯むことなく再び襲いかかってきた。凛は翼を羽ばたかせ、空中から一閃を放った。その光が影獣の群れを貫き、黒い霧をすべて吹き飛ばす。
最後に残った一体の影獣――ひときわ大きな巨影――が咆哮を上げながら、凛に向かって襲いかかる。凛はその巨影に向けて刀を構えた。
「これで……終わりだ!」
凛は全力で突進し、刀を影獣の胸部に深く突き刺した。刀の青白い光が影獣の体全体に広がり、その巨体は霧散していく。
静寂が戻った瓦礫の部屋。凛は疲れ切った体で地面に膝をついた。背後から、少女がゆっくりと駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん……ありがとう……!」
彼女の言葉に、凛は静かに微笑み、優しくその頭を撫でた。
「これからは、大丈夫だ」
凛の瞳に、香奈の面影が浮かび上がる。その笑顔が、どこか遠くから自分を見守っているような気がした。
「香奈、ありがとう……俺は、もう負けない」
凛は立ち上がり、瓦礫の部屋を見渡した。まだ外には黒い霧が漂い、新たな影獣が現れる気配があった。
「まだ終わりじゃない。でも……必ず守り抜く」
凛は少女の手を取ると、再び翼を広げた。そして、これから先に待ち受ける闇へと静かに向かっていった。
瓦礫の街を抜け、影獣の脅威から一時的に逃れた凛とユウキ。凛は少し開けた廃墟の一角に腰を下ろし、ユウキをそっと地面に座らせた。少女は疲労の色を浮かべながらも、まだ凛の手を離そうとしなかった。
「……大丈夫か?」
凛が問いかけると、ユウキは小さく頷いた。
「お兄ちゃんが……助けてくれたから……」
彼女の言葉に、凛の胸には小さな安堵が広がる。だが、街を覆う黒い霧の残滓と、遠くに響く影獣の唸り声がその気持ちを完全には許さなかった。
ふと、凛はユウキが握りしめているペンダントに目を留めた。青い光を放つそれは、戦いの中で凛の力と共鳴したものだ。凛はペンダントをそっと手に取り、ユウキに尋ねた。
「これ……どうしてお前が持ってるんだ?」
ユウキはペンダントを見つめ、少し考え込むように口を開いた。
「お母さんがくれたの。『必ず大事な人が助けに来てくれる』って……」
その言葉に凛の胸がざわついた。彼女の母親が何者なのか、どうしてこのペンダントを渡したのか。だが、それを問う前にユウキが続けて話し始めた。
「でも……お母さんは、影獣に……」
ユウキの声が震える。その瞳に浮かぶ涙を見て、凛は彼女を抱きしめた。
「もう大丈夫だ。お前は一人じゃない」
その時、遠くから低い振動音が響いた。凛は目を細め、音の方向を睨む。瓦礫の街のさらに向こう――カルマシティの中心部に位置するかつての高層ビル群から、黒い霧が渦を巻いて立ち上っているのが見えた。
凛は影獣の猛攻を退けながら、ユウキを抱えたまま瓦礫の街を駆け抜けた。遠くにかすかに灯る光を見つけ、そこに避難所がある可能性を感じ取る。
「あそこなら……!」
凛は翼を大きく広げ、一気にその光のもとへ飛び立った。近づくと、避難所らしき廃墟の一角で、大人たちが子どもを囲むようにして身を寄せ合っているのが見えた。
「君は……?」
避難所のリーダーらしき男性が警戒しながら声をかけてきた。凛は静かにユウキを地面に下ろし、彼を見据える。
「この子を安全な場所に頼みたい。俺は街の中心に向かわなきゃいけない」
男性は一瞬ためらったが、凛の真剣な目に頷いた。
「分かった。ここなら安全だ。俺たちで面倒をみよう」
ユウキは不安げな顔で凛を見上げた。「お兄ちゃん、一緒にいてくれないの?」
凛はその頭をそっと撫でて微笑んだ。
「必ず戻る。お前がここで待っていてくれる限り、俺は負けない」
ユウキは涙を浮かべながらも、小さく頷いた。その手に握られたペンダントが淡い光を放っていた。
「……約束だよ、お兄ちゃん。これを持って行って」
ユウキは小さな手に乗せたペンダントを凛へ差し出す
「わかった。あとで返しに来るかな。約束だ」
凛は翼を広げ、カルマシティの中心部に向かって飛び立った。街を覆う黒い霧がさらに濃くなり、影獣たちの気配が強まっていく。
「待ってろ……全部終わらせてやる」
凛は瓦礫の街を抜け、カルマシティの中心部を目指して飛び続けた。高層ビルの廃墟が立ち並び、その間を埋めるように黒い霧が渦を巻いている。影獣たちの咆哮が遠くから聞こえ、その気配が徐々に濃厚になっていく。
「ここを越えれば……」
凛の視線の先には、かつてカルマシティの象徴だった巨大なタワーがそびえていた。現在はその塔が、黒い霧の発生源となっており、影獣たちの巣窟でもある。
塔に近づくにつれ、影獣たちの数が増えていく。黒い霧から次々と姿を現す影獣たちは、これまで以上に巨大で、凶暴な気配を放っていた。
「ここが最後の関門ってわけか……!」
凛は刀を構え、次々と襲いかかる影獣たちを切り伏せていく。漆黒の刃は青い光を帯び、影獣たちの体を切り裂くたびに黒い霧を霧散させていった。
激しい戦いの中、凛は徐々に追い詰められていく。影獣の数はあまりにも多く、攻撃の間隙を突いて別の影獣が襲いかかる。疲労が蓄積し、視界が霞む中で、凛は香奈の笑顔とユウキの涙を思い出していた。
「――必ず戻る」
その約束を胸に、凛は再び立ち上がった。刀を強く握り締め、渦巻く黒い霧を見据える。
「俺はまだ、終わらない……!」
凛は影獣の群れを切り裂きながら塔の入り口に到達した。そこには巨大な黒い門がそびえ、その先には不気味な静けさが広がっていた。
「これが……影獣の巣窟か」
霧が凛の周りを渦を巻くように包み、異様な気配が漂う中、凛は警戒を強めた。その時、塔の中央から、これまで見たことのない異形の影獣が姿を現した。
その影獣は人型をしており、黒い鎧のような外皮で覆われ、三つの赤い瞳が不気味に光っている。
影獣の低い声が響いた――。
「貴様が……この街の希望か?」
凛はその威圧感に一瞬息を呑むが、すぐに冷静さを取り戻し、刀を構え直す。
「希望かどうかは知らない。でも、俺がここでお前を倒す。それだけだ」
影獣は冷笑を浮かべ、黒い霧を手のように変えながら言った。
「貴様一人で……何ができる?」
影獣の手から無数の触手が放たれ、一斉に凛に向かって襲いかかる。
凛は翼を使って空中に飛び上がりながら、刀を振り下ろし、触手を切り裂いた。青い光が霧を吹き飛ばし、周囲を照らす。
「お前のやりたい放題は、ここで終わりだ!」
凛は影獣の本体に向かって突進し、全力で刀を振り下ろす。しかし、その刃は影獣の黒い鎧に阻まれ、わずかな傷をつけるだけだった。
「……何だ、この硬さは!」
影獣は嘲笑し、霧の触手で凛を吹き飛ばした。その瞬間、凛の体が塔の壁に叩きつけられ、激しい痛みが走った。
倒れた体を引きずるようにして起き上がると、凛は息を整えながら次の戦術を考える。
彼は一度、影獣の防御を突破できなかったことを反省し、次はもっと隙をつくる戦術を取ると決めた。
影獣が霧を巻き込み、再び触手を放とうとした瞬間、凛は鋭くその攻撃を予測し、再び飛び上がる。今度は別の角度から、影獣の脆弱な部分を狙う。
「今度こそ……!」
凛は再び刀を振り下ろし、今度は影獣の隙間をついて、わずかな傷をつける。
影獣は驚き、さらに強化された防御を展開する。しかし、凛の次の攻撃はさらに予測不可能な角度から放たれ、影獣の防御を打ち破った。
倒れた体を引きずるように起き上がり、凛は再び戦う決意を固める。
「まだ……終われない」
彼の手が震え、再び刀を握り直す。目を閉じ、脳裏に浮かぶのは香奈の声だった。
「――守ってくれる?」
その問いに、凛は自分に言い聞かせるように答える。
「守る……必ず!」
凛の刀に青い光が集まり、今までとは比べ物にならないほど強い輝きを放つ。
「お前を滅ぼして……この街を取り戻す!」
凛はもう一度、影獣に向かって突進し、その力強さに満ちた攻撃を繰り出す。
凛の刀が輝きを増し、影獣の黒い鎧に再び向けられた。青い光は刀から漏れ出し、空気を震わせるほどの力を感じさせた。
「お前なんかに……誰も奪わせない!」
影獣は霧を集めて自身の防御をさらに強固なものにしながら、冷笑を浮かべた。
「その力は確かに興味深い。だが、無力だ。貴様の感情など、この闇の前では無意味!」
影獣の手が渦巻く霧の塊を作り出し、それを凛に向かって放った。霧の塊はまるで巨大な嵐のように塔全体を揺るがし、凛を押しつぶそうと迫る。
凛は青い光を刀に集中させ、一気に突進する。霧の塊に突っ込む瞬間、刀から放たれた光が霧を切り裂き、その中心を貫通した。
「お前の闇に……俺の光は届く!」
霧を切り裂かれた影獣がわずかに怯む。その瞬間を逃さず、凛は影獣の胸元へと飛び込み、全力で刀を振り下ろした。
「うおおおおお!」
青い光を帯びた刃が影獣の黒い鎧に深く食い込み、ついにその表面を砕いた。影獣が苦悶の声を上げる中、凛は力を込めてさらに刃を押し進める。
「これで終わりだ……!」
だが、影獣は咆哮を上げると、再び霧を全身から噴き出し、凛を弾き飛ばした。塔の壁に叩きつけられた凛は、刀を支えに立ち上がる。
「しぶといな……!」
影獣の体から霧が再び集まり、その姿を修復しようとしている。その光景を見ながら、凛は自分の限界が近づいていることを感じた。
その時、凛の胸ポケットに入れていた小さな光――ユウキから預かったペンダントが微かに輝き始めた。その青い光が刀の光と共鳴するように強まる。
凛はその光を感じ、思わずペンダントに手を伸ばす。心の中で、香奈を守れなかった悔しさが再び込み上げる。
「絶対に守る……香奈も、ユウキも、もう二度と誰も失わない……!」
その言葉と共に、ペンダントが輝きを増していく。青い光が凛の心に力を注ぎ、過去の悔しさを乗り越える力に変わる。
ペンダントを手に取ると、その温かい輝きが凛の体中に広がり、心の奥底に眠っていた力が目を覚ました。
その瞬間、刀全体が強烈な青い光に包まれ、周囲の闇を一掃するほどの輝きを放ち始めた。
影獣はその光に反応し、不気味な声で叫びながら再び触手を振り下ろす。
「その光……俺が飲み込んでやる!」
凛は刀を高く掲げ、その触手をすべて切り裂きながら影獣の本体に突進する。
「これで終わりだ……!」
凛の刃が影獣の中心を深く貫くと、青い光が影獣の全身を包み込む。影獣の黒い霧が一気に晴れていき、その体が崩壊を始めた。
「貴様が希望というならば……その希望を……!」
影獣の最後の言葉が途切れ、黒い霧とともに完全に消滅した。
塔の頂上に蠢く霧が晴れ静寂が戻った。凛は刀を下ろし、青い光が静かに消えていくのを感じた。全身が疲れ切っていたが、彼の胸には確かな達成感があった。
「香奈……ユウキ……やったぞ」
凛は塔の外に視線を向けた。黒い霧が街全体から徐々に消え始め、瓦礫の街にわずかながら光が戻りつつあった。
塔から去り、避難所に戻った凛を迎えたのは、ユウキの安堵した笑顔だった。
「お兄ちゃん!」
ユウキが駆け寄り、凛にしがみつく。その小さな手の温もりが、凛の疲れた体を癒していく。
「……約束、守ったぞ」
凛が微笑むと、ユウキは涙を浮かべながら頷いた。
「本当に……ありがとう、お兄ちゃん!」
街にはまだ瓦礫と傷跡が残っていたが、そこにいた人々の目には、確かな希望が宿り始めていた。
「終わったわけじゃない」
凛は空を見上げながら呟く。まだ見ぬ影獣の脅威が、どこかで再び現れるかもしれない。だが、彼にはもう迷いはなかった。
「俺はこれからも、守り続ける」
ユウキにペンダントを返したあと凛は別れた。瓦礫の街の向こうに見える光を目指して歩き出す凛の姿には、確かな決意が宿っていた。
だが、凛の真横に黒い影が這い上がり囁く。
「ねえ。お兄ちゃん。いつまでも一緒だよ」
香奈の音色が耳元に響きそこには、凛にしがみついて離れない影獣にまだなりきれていない霧がまとわりついていた。
凛はそうとも気が付かず、心の幻聴を聞いているのだと思い香奈の亡骸が眠る自宅へ羽ばたいていった。
「香奈……」
ユウキを守ったといえど、妹を失った悲しみが消えるわけもなく一人になることで、心奥から湧き上がるドス黒い怒りにまた身を任せつつあった。
明日の日差しが黒い光になるとはまだ誰も知らない……。
朝の柔らかな陽光がカーテン越しに差し込み、リビングに穏やかな温もりが広がっていた。テーブルには香奈が広げたボードゲームの駒が整然と並び、彼女は無邪気にサイコロを振り、凛を見つめた。
「お兄ちゃん、今日は絶対に負けないから!」
凛は肩をすくめて苦笑し、「そうか? 今日は負ける気がしないんだけどな」と返した。短めの黒髪に深紅の瞳を持ち、強い決意が感じられる風貌でも妹に対する優しさが目から滲み出ていた。
「負けないもん!」香奈の小さな手が駒を動かし、その瞳は勝利への意気込みに満ちていた。凛はそんな香奈を微笑ましく眺めた。彼女の笑顔が自分にとってどれだけ大切かを、凛は痛感していた。
――この笑顔だけは、守らなければ。
「ねえ、お兄ちゃん……最近、怖い夢ばかり見るんだ」香奈はふと声を落とした。「黒い霧が私を追いかけて、お兄ちゃんがどこかに行っちゃう夢」
凛は驚き、言葉を探した。「そんなの、ただの夢だよ。俺はどこにも行かない」
「ほんと?」香奈は小さな手を握りしめ、「もし私が消えちゃったら……どうする?」と尋ねた。
その問いに、凛の胸がざわついた。しかし彼は迷わず言った。「そんなこと絶対にさせない。お兄ちゃんが守るから」
香奈は安心したように微笑み、再びゲームに集中する。その姿に凛は胸を撫で下ろした。
大学へ向かう途中、凛は緊急運行の電車に揺られ、荒廃したカルマシティの街並みをぼんやりと眺めていた。ひび割れた建物の壁には「影獣の脅威に備えよ」と赤い文字のポスターが無造作に貼られ、風に揺れている。影獣――それは、人々の負の感情が具現化した怪物であり、この街に暗い影を落としていた。
「また影獣か……街全体が、爆発寸前だな」
避難所には、負の感情を抑えきれない人々が集まり、子どもを抱える母親の姿が見える。凛はその不安げな様子に視線を向けたが、イヤホンの音量を上げ、雑念を振り払った。
――帰ったら続きをやろう。香奈との約束を胸に、凛は次の手を考えていた。
だがその時、電車が突然激しく揺れた。甲高い金属音が響き、車内は不穏な静けさに包まれる。
「……何だ?」
前方に視線を向けると、車掌室が巨大な爪に引き裂かれたように消え、壁には鋭い爪痕が残されていた。車内の乗客の一人が不自然に崩れ、身体がねじれていく。黒い霧が彼を包み込み、人型の怪物――影獣を形作った。
「う、うわああああ!」
悲鳴が車内に響き、他の乗客たちも次々と黒い霧に飲まれていく。凛はその光景に息を呑み、反射的にドアをこじ開けて線路へ飛び出した。
重い足音が背後から響く中、凛はただひたすら走り続けた。振り返るな。立ち止まるな。家に帰るんだ――香奈が待っている。
夕闇が迫る中、自宅にたどり着いた凛は、胸の奥に重い不安を感じていた。心臓が締め付けられるような感覚に駆られながら、ドアノブを握りしめ、ゆっくりと回す。
扉を開けると、室内に広がる血の臭いが鼻をつく。凛の目に飛び込んできたのは、倒れた両親、そして――影獣に襲われる香奈の姿だった。
「香奈っ!」
凛は叫び声をあげ、無意識のうちに部屋に駆け込む。だが、その瞬間、香奈の小さな体が影獣の巨大な爪に引き裂かれる寸前、凛の胸が引き裂かれたように痛んだ。
目の前で妹が――。
頭の中で何かが崩れ落ちる音が響いた。凛の手が伸びるが、間に合わない。香奈の目がかすかに開き、微笑んだその瞬間、彼女の声が響く。
「お兄ちゃん……守ってくれて……ありがとう」
その言葉が凛の胸をさらに締め付けた。しかし、彼の手が届く前に、香奈の体はゆっくりと崩れ落ち、息を引き取った。
「香奈ぁああああ!」
その瞬間、凛の中で何かが爆発した。怒り、絶望、そして悔しさが一気に湧き上がる。全身が震え、目の前の影獣に対する激しい憎悪が湧き上がった。
香奈を守れなかった――その無力感が、凛を強くさせた。今、彼の胸には怒りだけがあふれ、それが彼の力となって手元に黒い闇が刀として形作られた。
無意識に手を握る。刀の柄の感触が掌に張り付き、その瞬間、凛の背中に漆黒の翼が広がる。
「お前を……すべて滅ぼしてやる!」
叫びながら凛は影獣に向かって駆け出し、怒りの力で刀を振り下ろした。しかし、どれだけ倒しても虚しさが胸を締め付ける。香奈の小さな手の温もりが、もう二度と戻らないという現実が重くのしかかる。
――俺が守るって言ったのに。
戦いが一段落すると、静寂が戻った家の中には、香奈の残した温もりだけが静かに漂っていた。凛はその場に膝をつき、香奈の手をそっと握りしめる。
「香奈……」
震える声で名前を呼びながら、凛の胸には怒りと後悔が渦巻いていた。しかし、その時、背後で物音がした。マンションの壁が破壊され、隣接する部屋や廊下が瓦礫に覆われているのが目に入る。
「……まだ来るのか!」
凛は立ち上がり、刀を構えた。このままでは香奈を失った場所すら守れなくなるという思いが、凛の足に力を与えた。
「この場所は渡さない……絶対に!」
凛が背後の影獣に視線を向けたその時、微かな声が耳に届いた。
「……助けて……」
凛は声の方向へ向かい、破壊された壁の先、瓦礫の隙間を見つめた。隣接する部屋だった場所に、小さな少女が震えながら身を潜めているのが見えた。周囲の破壊されたコンクリートや崩れ落ちた家具の間で、彼女の小さな体がかろうじて影を作っている。
汚れた服、怯えた目。その瞳に香奈の面影を感じ、凛は一瞬言葉を失った。
「……なんで……」
凛の胸の奥で怒りが再び燃え上がる。こんな幼い子どもが、どうしてこんな状況に追い込まれなければならないのか。
少女は小さな声で呟いた。「……お兄ちゃん……怖いよ……」
その言葉に、凛の胸が鋭く抉られる。脳裏に浮かぶのは香奈の声――「守ってくれる?」と問いかけてきたあの日の記憶だった。
「……大丈夫だ」
凛は震える少女の手をしっかりと握りしめると、瓦礫の陰に隠れるように少女を導いた。
「ここにじっとしてろ。俺が片付ける」
少女は不安そうな表情を浮かべたが、凛の力強い声に頷き、瓦礫の影に身を潜めた。
影獣の群れが黒い霧を纏いながら迫ってくる。凛は刀を構え、静かに深呼吸をした。胸の中で燃え上がる感情――香奈を守れなかった後悔と、この少女だけは守り抜くという決意――それが彼の力をさらに引き出していく。
「来い……!」
凛の声に応えるように、影獣たちが一斉に襲いかかってきた。彼は翼を広げ、瞬時に間合いを詰めると、刀を大きく振りかざした。その一撃は霧を切り裂き、数体の影獣を霧散させる。
しかし、それでも次から次へと影獣は現れる。瓦礫の中から這い出してきた影獣たちは、一体一体が人の形を失った狂気そのものだった。
凛は疲労を感じながらも、絶対に引けないという思いで刀を握り続けた。だが、その時、周囲の空気が変わるのを感じた。振り返ると、少女が隠れている瓦礫の隙間が、青白い光で包まれている。
「……何だ?」
光の中心には、少女が両手で何かを抱え込むように持っていた。それは淡い青い光を放つ小さなペンダントだった。彼女がそれを握りしめると、光が徐々に強さを増していく。
少女が凛に向かって叫んだ。「これ……お母さんが守ってくれるって言ってたの!」
凛はその言葉に一瞬戸惑いながらも、ペンダントがただの物ではないと直感的に理解した。彼女がその小さな体で必死にペンダントを投げると、それは凛の手元にしっかりと収まった。
ペンダントを握りしめた瞬間、凛の中に新たな力が湧き上がるような感覚がした。刀が青白い光を帯び、これまでとは異なる輝きを放ち始めた。
「これが……」
凛は刀を見つめながら、その力の正体を感じ取った。それは香奈を守れなかった無念と、この少女を守り抜くという決意が共鳴し、ペンダントを通じて形となった力だった。
影獣たちはその輝きを見て怯むことなく再び襲いかかってきた。凛は翼を羽ばたかせ、空中から一閃を放った。その光が影獣の群れを貫き、黒い霧をすべて吹き飛ばす。
最後に残った一体の影獣――ひときわ大きな巨影――が咆哮を上げながら、凛に向かって襲いかかる。凛はその巨影に向けて刀を構えた。
「これで……終わりだ!」
凛は全力で突進し、刀を影獣の胸部に深く突き刺した。刀の青白い光が影獣の体全体に広がり、その巨体は霧散していく。
静寂が戻った瓦礫の部屋。凛は疲れ切った体で地面に膝をついた。背後から、少女がゆっくりと駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん……ありがとう……!」
彼女の言葉に、凛は静かに微笑み、優しくその頭を撫でた。
「これからは、大丈夫だ」
凛の瞳に、香奈の面影が浮かび上がる。その笑顔が、どこか遠くから自分を見守っているような気がした。
「香奈、ありがとう……俺は、もう負けない」
凛は立ち上がり、瓦礫の部屋を見渡した。まだ外には黒い霧が漂い、新たな影獣が現れる気配があった。
「まだ終わりじゃない。でも……必ず守り抜く」
凛は少女の手を取ると、再び翼を広げた。そして、これから先に待ち受ける闇へと静かに向かっていった。
瓦礫の街を抜け、影獣の脅威から一時的に逃れた凛とユウキ。凛は少し開けた廃墟の一角に腰を下ろし、ユウキをそっと地面に座らせた。少女は疲労の色を浮かべながらも、まだ凛の手を離そうとしなかった。
「……大丈夫か?」
凛が問いかけると、ユウキは小さく頷いた。
「お兄ちゃんが……助けてくれたから……」
彼女の言葉に、凛の胸には小さな安堵が広がる。だが、街を覆う黒い霧の残滓と、遠くに響く影獣の唸り声がその気持ちを完全には許さなかった。
ふと、凛はユウキが握りしめているペンダントに目を留めた。青い光を放つそれは、戦いの中で凛の力と共鳴したものだ。凛はペンダントをそっと手に取り、ユウキに尋ねた。
「これ……どうしてお前が持ってるんだ?」
ユウキはペンダントを見つめ、少し考え込むように口を開いた。
「お母さんがくれたの。『必ず大事な人が助けに来てくれる』って……」
その言葉に凛の胸がざわついた。彼女の母親が何者なのか、どうしてこのペンダントを渡したのか。だが、それを問う前にユウキが続けて話し始めた。
「でも……お母さんは、影獣に……」
ユウキの声が震える。その瞳に浮かぶ涙を見て、凛は彼女を抱きしめた。
「もう大丈夫だ。お前は一人じゃない」
その時、遠くから低い振動音が響いた。凛は目を細め、音の方向を睨む。瓦礫の街のさらに向こう――カルマシティの中心部に位置するかつての高層ビル群から、黒い霧が渦を巻いて立ち上っているのが見えた。
凛は影獣の猛攻を退けながら、ユウキを抱えたまま瓦礫の街を駆け抜けた。遠くにかすかに灯る光を見つけ、そこに避難所がある可能性を感じ取る。
「あそこなら……!」
凛は翼を大きく広げ、一気にその光のもとへ飛び立った。近づくと、避難所らしき廃墟の一角で、大人たちが子どもを囲むようにして身を寄せ合っているのが見えた。
「君は……?」
避難所のリーダーらしき男性が警戒しながら声をかけてきた。凛は静かにユウキを地面に下ろし、彼を見据える。
「この子を安全な場所に頼みたい。俺は街の中心に向かわなきゃいけない」
男性は一瞬ためらったが、凛の真剣な目に頷いた。
「分かった。ここなら安全だ。俺たちで面倒をみよう」
ユウキは不安げな顔で凛を見上げた。「お兄ちゃん、一緒にいてくれないの?」
凛はその頭をそっと撫でて微笑んだ。
「必ず戻る。お前がここで待っていてくれる限り、俺は負けない」
ユウキは涙を浮かべながらも、小さく頷いた。その手に握られたペンダントが淡い光を放っていた。
「……約束だよ、お兄ちゃん。これを持って行って」
ユウキは小さな手に乗せたペンダントを凛へ差し出す
「わかった。あとで返しに来るかな。約束だ」
凛は翼を広げ、カルマシティの中心部に向かって飛び立った。街を覆う黒い霧がさらに濃くなり、影獣たちの気配が強まっていく。
「待ってろ……全部終わらせてやる」
凛は瓦礫の街を抜け、カルマシティの中心部を目指して飛び続けた。高層ビルの廃墟が立ち並び、その間を埋めるように黒い霧が渦を巻いている。影獣たちの咆哮が遠くから聞こえ、その気配が徐々に濃厚になっていく。
「ここを越えれば……」
凛の視線の先には、かつてカルマシティの象徴だった巨大なタワーがそびえていた。現在はその塔が、黒い霧の発生源となっており、影獣たちの巣窟でもある。
塔に近づくにつれ、影獣たちの数が増えていく。黒い霧から次々と姿を現す影獣たちは、これまで以上に巨大で、凶暴な気配を放っていた。
「ここが最後の関門ってわけか……!」
凛は刀を構え、次々と襲いかかる影獣たちを切り伏せていく。漆黒の刃は青い光を帯び、影獣たちの体を切り裂くたびに黒い霧を霧散させていった。
激しい戦いの中、凛は徐々に追い詰められていく。影獣の数はあまりにも多く、攻撃の間隙を突いて別の影獣が襲いかかる。疲労が蓄積し、視界が霞む中で、凛は香奈の笑顔とユウキの涙を思い出していた。
「――必ず戻る」
その約束を胸に、凛は再び立ち上がった。刀を強く握り締め、渦巻く黒い霧を見据える。
「俺はまだ、終わらない……!」
凛は影獣の群れを切り裂きながら塔の入り口に到達した。そこには巨大な黒い門がそびえ、その先には不気味な静けさが広がっていた。
「これが……影獣の巣窟か」
霧が凛の周りを渦を巻くように包み、異様な気配が漂う中、凛は警戒を強めた。その時、塔の中央から、これまで見たことのない異形の影獣が姿を現した。
その影獣は人型をしており、黒い鎧のような外皮で覆われ、三つの赤い瞳が不気味に光っている。
影獣の低い声が響いた――。
「貴様が……この街の希望か?」
凛はその威圧感に一瞬息を呑むが、すぐに冷静さを取り戻し、刀を構え直す。
「希望かどうかは知らない。でも、俺がここでお前を倒す。それだけだ」
影獣は冷笑を浮かべ、黒い霧を手のように変えながら言った。
「貴様一人で……何ができる?」
影獣の手から無数の触手が放たれ、一斉に凛に向かって襲いかかる。
凛は翼を使って空中に飛び上がりながら、刀を振り下ろし、触手を切り裂いた。青い光が霧を吹き飛ばし、周囲を照らす。
「お前のやりたい放題は、ここで終わりだ!」
凛は影獣の本体に向かって突進し、全力で刀を振り下ろす。しかし、その刃は影獣の黒い鎧に阻まれ、わずかな傷をつけるだけだった。
「……何だ、この硬さは!」
影獣は嘲笑し、霧の触手で凛を吹き飛ばした。その瞬間、凛の体が塔の壁に叩きつけられ、激しい痛みが走った。
倒れた体を引きずるようにして起き上がると、凛は息を整えながら次の戦術を考える。
彼は一度、影獣の防御を突破できなかったことを反省し、次はもっと隙をつくる戦術を取ると決めた。
影獣が霧を巻き込み、再び触手を放とうとした瞬間、凛は鋭くその攻撃を予測し、再び飛び上がる。今度は別の角度から、影獣の脆弱な部分を狙う。
「今度こそ……!」
凛は再び刀を振り下ろし、今度は影獣の隙間をついて、わずかな傷をつける。
影獣は驚き、さらに強化された防御を展開する。しかし、凛の次の攻撃はさらに予測不可能な角度から放たれ、影獣の防御を打ち破った。
倒れた体を引きずるように起き上がり、凛は再び戦う決意を固める。
「まだ……終われない」
彼の手が震え、再び刀を握り直す。目を閉じ、脳裏に浮かぶのは香奈の声だった。
「――守ってくれる?」
その問いに、凛は自分に言い聞かせるように答える。
「守る……必ず!」
凛の刀に青い光が集まり、今までとは比べ物にならないほど強い輝きを放つ。
「お前を滅ぼして……この街を取り戻す!」
凛はもう一度、影獣に向かって突進し、その力強さに満ちた攻撃を繰り出す。
凛の刀が輝きを増し、影獣の黒い鎧に再び向けられた。青い光は刀から漏れ出し、空気を震わせるほどの力を感じさせた。
「お前なんかに……誰も奪わせない!」
影獣は霧を集めて自身の防御をさらに強固なものにしながら、冷笑を浮かべた。
「その力は確かに興味深い。だが、無力だ。貴様の感情など、この闇の前では無意味!」
影獣の手が渦巻く霧の塊を作り出し、それを凛に向かって放った。霧の塊はまるで巨大な嵐のように塔全体を揺るがし、凛を押しつぶそうと迫る。
凛は青い光を刀に集中させ、一気に突進する。霧の塊に突っ込む瞬間、刀から放たれた光が霧を切り裂き、その中心を貫通した。
「お前の闇に……俺の光は届く!」
霧を切り裂かれた影獣がわずかに怯む。その瞬間を逃さず、凛は影獣の胸元へと飛び込み、全力で刀を振り下ろした。
「うおおおおお!」
青い光を帯びた刃が影獣の黒い鎧に深く食い込み、ついにその表面を砕いた。影獣が苦悶の声を上げる中、凛は力を込めてさらに刃を押し進める。
「これで終わりだ……!」
だが、影獣は咆哮を上げると、再び霧を全身から噴き出し、凛を弾き飛ばした。塔の壁に叩きつけられた凛は、刀を支えに立ち上がる。
「しぶといな……!」
影獣の体から霧が再び集まり、その姿を修復しようとしている。その光景を見ながら、凛は自分の限界が近づいていることを感じた。
その時、凛の胸ポケットに入れていた小さな光――ユウキから預かったペンダントが微かに輝き始めた。その青い光が刀の光と共鳴するように強まる。
凛はその光を感じ、思わずペンダントに手を伸ばす。心の中で、香奈を守れなかった悔しさが再び込み上げる。
「絶対に守る……香奈も、ユウキも、もう二度と誰も失わない……!」
その言葉と共に、ペンダントが輝きを増していく。青い光が凛の心に力を注ぎ、過去の悔しさを乗り越える力に変わる。
ペンダントを手に取ると、その温かい輝きが凛の体中に広がり、心の奥底に眠っていた力が目を覚ました。
その瞬間、刀全体が強烈な青い光に包まれ、周囲の闇を一掃するほどの輝きを放ち始めた。
影獣はその光に反応し、不気味な声で叫びながら再び触手を振り下ろす。
「その光……俺が飲み込んでやる!」
凛は刀を高く掲げ、その触手をすべて切り裂きながら影獣の本体に突進する。
「これで終わりだ……!」
凛の刃が影獣の中心を深く貫くと、青い光が影獣の全身を包み込む。影獣の黒い霧が一気に晴れていき、その体が崩壊を始めた。
「貴様が希望というならば……その希望を……!」
影獣の最後の言葉が途切れ、黒い霧とともに完全に消滅した。
塔の頂上に蠢く霧が晴れ静寂が戻った。凛は刀を下ろし、青い光が静かに消えていくのを感じた。全身が疲れ切っていたが、彼の胸には確かな達成感があった。
「香奈……ユウキ……やったぞ」
凛は塔の外に視線を向けた。黒い霧が街全体から徐々に消え始め、瓦礫の街にわずかながら光が戻りつつあった。
塔から去り、避難所に戻った凛を迎えたのは、ユウキの安堵した笑顔だった。
「お兄ちゃん!」
ユウキが駆け寄り、凛にしがみつく。その小さな手の温もりが、凛の疲れた体を癒していく。
「……約束、守ったぞ」
凛が微笑むと、ユウキは涙を浮かべながら頷いた。
「本当に……ありがとう、お兄ちゃん!」
街にはまだ瓦礫と傷跡が残っていたが、そこにいた人々の目には、確かな希望が宿り始めていた。
「終わったわけじゃない」
凛は空を見上げながら呟く。まだ見ぬ影獣の脅威が、どこかで再び現れるかもしれない。だが、彼にはもう迷いはなかった。
「俺はこれからも、守り続ける」
ユウキにペンダントを返したあと凛は別れた。瓦礫の街の向こうに見える光を目指して歩き出す凛の姿には、確かな決意が宿っていた。
だが、凛の真横に黒い影が這い上がり囁く。
「ねえ。お兄ちゃん。いつまでも一緒だよ」
香奈の音色が耳元に響きそこには、凛にしがみついて離れない影獣にまだなりきれていない霧がまとわりついていた。
凛はそうとも気が付かず、心の幻聴を聞いているのだと思い香奈の亡骸が眠る自宅へ羽ばたいていった。
「香奈……」
ユウキを守ったといえど、妹を失った悲しみが消えるわけもなく一人になることで、心奥から湧き上がるドス黒い怒りにまた身を任せつつあった。
明日の日差しが黒い光になるとはまだ誰も知らない……。
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