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肆章
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子供の知識の吸収力というモノは侮れない。昨日は知らなかったもの覚え、更に、その知識から更なる知識を吸収する。それも、覚えようとしているからこそ、その吸収の仕方も半端ではない。乾いた大地が水を貪欲に吸収するかの如くだ。
そして、今、玉響の首飾りを千樹が首から提げている。理由は、屋敷内の妖全てがこの首飾りを提げ、未だに回復していないからだ。千樹のところに来る頃には吸収度合いも可愛いものになっている。千樹が管理すると告げると、屋敷の者はあからさまに安堵の息を漏らした。それ程容赦無く四精霊は力を吸収していた事になる。
玉響が生活しているのは屋敷の西側に位置する。最近は屋敷の者達が千樹に玉響を北側の部屋に移した方が良いのではと言ってきた。千樹が作り出した屋敷は、人間で言うところの貴族の屋敷に近い。北側の部屋は主人の対の部屋になり、一番奥まった場所になる。つまりは女主人が住まう部屋だ。
千樹は妖だしその辺りに拘りを持っていない。それに、この場所は外界から切り離された千樹の結界の中だ。誰かが何かをしてくる可能性は限りなく低い。低いが一箇所、問題点があると言えばある。二人の遺体を埋葬した場所だ。上に芽吹いた若芽は、山奥の桜と繋がっている。彼処だけが問題点で、そして、北側の部屋に面した庭にある。別の意味で安全だとは思うが、千樹が唯一、結界内で絶対とは言い切れない場所なのだ。
何より、屋敷の妖達は千樹と玉響を一緒にしてしまいたいらしい。父親が稀代の陰陽師、母親が黒毛の九尾狐。今は人としての性が表に出ているが、将来はどうなるのかが未知数の存在だ。
そして、二匹の妖狐だが、玉響にべったりだ。勉強中だろうが就寝中だろうが、離れようとしない。記憶など失っているだろうに、無意識で守ろうとしてる。この二匹も質が悪く、千樹が暇だと分かると、玉響の部屋まで誘導する。千樹は確かに忙しい身ではないが、四六時中一緒に居る必要もない。
頗梨はと言えば、千樹が二匹に連れて来られると、そそくさと部屋を後にする。食事なども屋敷の者達はこの部屋に二人分持ってくる。何かの陰謀なのかと、最近は周りの対応に千樹は頭が痛い。
「仕方ないだろう。千樹は俺と違って困っている妖を屋敷に住まわせてるんだ。彼奴等にしたら恩人になるのか。良い妻を、と考えるんだろう」
最近、頻繁に現れる灯璃に愚痴れば、そんな答えが返ってきた。
「言い換えれば、お人好しの主人に、少しでも問題の少ない花嫁を当てがいたいんだろう」
灯璃は言うなり喉の奥で笑う。千樹にしてみれば面白くない。
「チビが問題ない存在かと言えば、そうは言い切れないと思うがな」
東側にある部屋の中から庭を眺めつつ、灯璃は少しだけ眉を潜める。軽口を言いながら、それだけではない。酒を交わしつつ話しているが、都の状況を探ることを未だに千樹は灯璃に頼んでいる。
「動きがあるのか?」
「まだ、動ける状況じゃないだろう。あの破壊を簡単に直せると思うか? まず、チビじゃなく、都の護りが最優先だろう。その後はどうなるかは未知数だがな」
灯璃の言う通りだろう。落ち着けば何かしらしてくるだろう。まず、玉響と言うより、玉響の伯父の処分と一族の存続だ。都にいない血族の処遇も考えなければいけないだろう。
「覚悟は決めといた方がいいだろうな」
千樹は灯璃の言葉は耳に痛かった。だが、放り出すことは出来ない。
「分かっている……」
千樹は水面越しに見える空を見上げ、唸るように答えた。
「それで、チビは毎日、勉強に精を出してるのか?」
「そうだ」
灯璃は玉響が四精霊に名を与える為に、猛勉強をしていることを知っている。来る度に必死で書物を読んでいる姿を見れば分かるだろう。
「千樹が首に下げてるのはチビのか」
「元々、四精霊の住処として与えた物だ。力を使い果たしたのか、玉響に持たせるのは危険だからな」
灯璃は一気に酒を煽ると、千樹が首に下げている首飾りに視線を向ける。
「その勾玉はあれか? 俺達がよく遊んでいた山にあった石か?」
「よく気が付いたな」
「桜の樹がある山奥の更に奥地にあるだろう。人が踏み入らないから、全ての物に命が宿ってる」
灯璃はそう言うと、表情が変わった。スッと細まった目に嫌な予感がした。
「……ずっと訊くのを躊躇っていたが、チビの秘密とは何だ?」
千樹は灯璃が何時かは玉響の秘密について訊いてくると分かっていた。灯璃とて妖狐だ。千樹と同じだけの時を生きている。それは、普通の妖より少しばかり鼻が聞き、更に、玉響は普通の気配とは違うモノを持っている。妖と人との間に生まれた為に、両親がひた隠しにしている部分は知られずに済んでいたのだろう。
「……訊いてどうする?」
「何も。ただ、いくら芙蓉が兄と慕っているとは言え妖狐だ。普通に考えて陰陽師が子供を妖狐に託したりはしなかっただろう。帝に話を通していたのなら、其方に助けを求めた方がより確実だった筈だ」
灯璃の言っていることは間違えていない。確かに権力の頂点に立つ者に託す方がいいだろう。玉響は人として生活をしていた。
「その帝にしても、俺達が関わっていることを知っている。知っていて、何一つ手を打ってこない。それは、最初から妖が関与することを知っていたからだ」
「そうだろうな」
「じゃあ、何故だ?」
「……玉響が普通じゃないからだ」
「そんなもの、両親が異種族である事で分かる事実だ」
玉響がただ、異種族間に生まれたなら多少問題があるとは言え、人の世に残しただろう。千樹は小さく息を吐き出し、前髪を掻き上げた。
「……双成だ」
「は?!」
「……半月とも言うな」
「待て待て。確かに変わった気配を持っていると思うが、そんな感じはしないぞ?!」
「俺も芙蓉に言われるまで、全く分からなかった」
千樹が肩を竦め言い切れば、灯璃は脱力したように肩を落とし、畳に息を吐き出した。灯璃のその様子に、其処まで、疲れたような態度を取る必要はないと思う、と千樹は苦笑いを浮かべる。
「元々、変わった力の持ち主だ。どうしても、其方に目がいく。そのおかげで、人には知られずに済んでいたのだろう」
「……それでは、芙蓉が千樹にチビを託した理由が分かる……」
玉響はただでさえ普通の生まれではない。特殊な両親だけならまだしも、玉響が特殊に生まれついた。人の世に残すと言う選択肢は、芙蓉と陰陽師にはなかったのだろう。ただでさえ苦労する特殊性だ。其処へ来て、特殊故に好奇の目に晒されるのだ。妖の妻を娶った陰陽師、だけではなく、その子もまた特殊。おそらく、貴彬は帝にその秘密も話しているだろう。だからこそ、何もしてこないのだ。
「俺に害がないことも分かってるのだろうな。まあ、芙蓉経由の情報だろうが」
「根拠は?」
「何か仕掛けて来るような気配があると聞いているのか?」
「聞いてない。だが……っ」
「帝にとっても玉響は悩みの種なんだろう。普通の男児なら悩むことなく帝の庇護下に置いただろうな。でも、それが出来ない」
女児として育てていれば、もう少し状況は変わったかもしれないが、今更な議論だ。どう転がるのかは、状況を見極めなければ千樹でも如何する事も出来ない。
「チビ狐達は如何してるんだ」
灯璃が千樹の杯に酒を注ぐ。それを千樹は素直に受け、一気に飲み干す。
「玉響にベッタリだ」
「記憶がなくても、何かを感じているって事か?」
「そうなんだろうな」
そして、灯璃が可笑しそうに笑う。
「本当に厄介事が飛び込んで来るな」
「他人事のように言うが、灯璃も持って来るだろうが」
「確かにな」
灯璃はそう言うと、急に真顔になる。何時にない表情に千樹は訝しむ。
「……話を戻すが、どうする気だ」
「何がだ」
灯璃は千樹に鋭い視線を向ける。
「二つの性を持つとなると、黙っていない奴等が出てくる」
千樹は灯璃が言わんとしている事が分からない程愚かではない。危惧しているのは人に対してではないのだ。千樹の結界内に居る内は問題ないだろう。桜の影響で結界が強化され、この敷地内ならばほぼ、危険がない。だが、この先、玉響が結界内から出るとなれば話は別だ。
玉響は血筋故に見る者だ。見える者は妖にとって、堪らない存在となる。妖は一度、生を終えた獣が形作る場合が多い。そうなると、千樹達のように歳を重ねた存在はやたらめったらと子孫を残そうとは考えない。しかし、妖力の弱い妖はそうではない。弱い故に同じ存在を欲するのだ。玉響はその存在達にとって、子孫を残す能力を持つ存在という事になる。
「分かるだろう。俺は全く興味のない分野だが、そうでない妖の方が多いんだ。特に悪さをする妖は玉響を拐おうとするだろう」
灯璃の言っていることは間違えていない。問題は玉響がまだ幼い子供だということだ。
「成人と同時に身の振りを考えないと危険だ。父親が生きている内はいい。だが、実質、チビは両親がいない状態だ。たとえ、幼い器に魂が移されたとしてもな。今は番犬くらいの能力しかない」
灯璃の口から次々と飛び出してくる言葉に、千樹は唸った。一番いいのは強い妖と一緒になることだ。相手となる妖の匂いを付けることで、所有していると主張出来る。相手が強い妖力を持っていれば持っている程、玉響は安全を手に入れることが出来る。
「腹をくくれ。決めるのは千樹だが、これ以上の面倒は願い下げだ」
「……お前までそれを言うのか?」
「ああ……。チビは元々、女としての生殖能力がある。見るだけでなく、問題ない体の作りとなれば、狙う妖の数は無限大だ」
灯璃の脅しに、更に千樹は頭を抱え込む。
「お前は本人次第だと言うだろうが、そう言う次元じゃない。チビが仮に攫われ、邪悪な妖の子を成したとしよう。まず、無事では済まない。最後まで言わずとも分かるだろう」
妖は必ずしも、良い性質の者ばかりではない。どちらにも属さない妖も多いが、悪さを平気で行う妖もいる。その妖は人間の女を攫い、その命と引き換えに子供を得る事がある。当然、母親の能力が強ければ、生まれる子供の能力も強い。
「母親を喰らって生まれてくる。勿論、命を落とした母親の骸も当然のように喰う。力を持つ母親の骸は更なる力を子供に与える事となる。手に負えない程の化け物になる可能性も否定出来ない」
灯璃の言う通りだろう。玉響の存在は妖にとっても危険をはらんでいるのだ。妖力でもなく霊力でもない不思議な力だ。それに目を付ける妖は多いだろうし、妖だけではない。神も魔も見逃さないだろう。
「チビが成人するまでに考えろ」
「玉響の意思が最優先だ」
「それも込みでだ。二人で結論を出せ。いいか、言わせてもらうが、頗梨程度の妖力では無理だぞ。お前の事だ。頗梨でもいいと考えているだろうが、問題を増やすだけだ」
灯璃はそう言うと、千樹から視線を反らせた。
⌘⌘⌘
簀子を歩く静かな足音が響く。その足音の先にあるのは清涼殿だ。その足音は返事もせず滑り込む。
「どうだ」
奥から聞こえてきた声は疑うこともなく問い掛けてきた。
「主上、もう少し危機感を持っていただかなくては」
「足音で知ることは可能だ。どれだけ命を狙われてきたと思っている。今とて、狙っている者も多いだろう。何せ、俺は思い通りにならぬ帝だ。今回の事にしてもそうだろう」
諦めたように息を吐き出し、暗がりの中から姿を現したのは女人と見まごう一人の男だ。
「敵いませんね」
「それで」
「貴彬の言っていたことは間違いないでしょう。全ては一番上の兄である家長が犯したもののようです」
「他の術者達は」
「そのように」
帝はただ、茵の上で脇息にもたれ懸かり薄く笑う。入って来た男に座る様に指示し、男は静かに従う。
「ただ……」
「何だ?」
「東の陰陽師が瑞稀を欲しがっています」
帝は顔色を変える。帝は貴彬から頼まれていたのだ。決して手を出さないようにと。瑞樹は普通の子供ではない。人の手には余ると貴彬は帝に進言していた。だからこそ、護らせるのではなく逃したのだ。
「理由は」
「あの力。精霊を従える力でしょう。秘密の事は知らないだろうと」
「当たり前だ」
帝は苦々しく吐き捨てた。
「馨」
「何でしょう」
「葵と共に秘密裏に会うんだ」
「もう一人の九尾、にですか?」
「そうだ」
「どのように」
馨は問い掛けた。どのような命を下すのか分かっていてもだ。帝は大人しく宮中にいるが、若い時はよく抜け出す脱走魔だ。逆らおうものなら、単独で動きかねない。後宮にいる多くの女御には目もくれず、自分で探し出した強者である。それも、馨の隠された双子の妹を見つけ出したのだ。無茶無謀が着物を着て歩いている存在である。
「会い、護る様に伝えよ。人だけではなく、妖から神から魔から。あの子は人の世にいてはならない。貴彬の北の方がそう判断した。俺もそう感じる。幼い故、二つの血が混じる故、あの体の秘密を隠していただろう。だが、成長すれば全てが明るみに出よう」
馨は帝の言葉に納得するしかなかった。今、西の門の護りはない。仮に他の方位を護る者達で仮の結界が張られている。門はまだ出来上がっておらず、その状況で更なる問題を増やすわけにはいかない。
「誰にも知られるな。貴彬の護りは持っているな」
「葵と共に」
「導きの札は」
「其方も」
「夜の闇に紛れ行動せよ。早めに対応せねば、取り返しがつかない」
馨は頷く。
「後、貴彬と北の方の所在を訊け。訊くだけだ。俺と馨と葵だけの秘密とせよ」
「それならば訊かぬ方が……」
「駄目だ。二人の亡骸は強い力を持つ。そのまま、知らぬ存ぜぬは問題だ」
馨は帝に一礼し、部屋を後にする。静かにその場を辞し、葵の元へと向かった。夜の帳が落ちる中、馨は動き出したのである。
馨は葵の屋敷の裏口から勝手知ったるで入り込む。馨は左大臣家の嫡男だ。そして、葵は内大臣家の嫡男である。本来なら政敵ともとられる関係だが、帝繋がりで裏で繋がっている。両大臣に知られてはならないと、宮中以外では都から少し離れた場所で会っていた。
葵が持つ小さな別荘だ。当然、使用人などは居ない。裏口から入るのはもしもの時を考えてだ。
「相変わらずだらしないな」
馨は葵を一瞥し、冷たく言い放つ。言葉を投げつけられた本人はと言えば涼しい顔だ。
「それにこの部屋を使うのはやめろと……っ」
いきなり立ち上がった葵が馨の腕を引く。当然、身構えまえていなかった馨は抵抗もなく葵の腕に収まった。
「思い出すからか?」
「貴様……」
馨に睨み付けられ、葵は素直に手を離す。
「あれは私の本意ではない!」
「俺は本気だったけどな」
葵は更に噛みつきそうな勢いの馨を見やる。雰囲気が変わった事を察した馨は口を噤み、二人は畳の上に同時に腰を下ろした。
「それで?」
「会う様、指示された」
「やはりか」
馨と葵は一度、芙蓉と玉響に会っている。本来、女人に直接会う事は叶わない。しかし、貴彬だけではなく、北の方であった芙蓉もかなりの変わり者だった。何より、芙蓉は人ではなく九尾狐と言う妖だ。都よりも長い時を生きていた。それを、貴彬が気に入ったと一緒にいる事を望んだのだ。
「誰にも知られない様にか」
「そうだ。あの秘密は知られてはならないと」
玉響の持つ秘密は二つの性を持つというものだ。精霊を従える能力も、術者の中には手に入れたいと考える者もいる。その筆頭が東の陰陽師だ。もし、玉響が東の陰陽師の手に落ちれば、力の均衡が崩れる。そうなれば、南を預かる寺の坊主と、北を預かる神社の神主が黙っていない。二つは違う様で同じ勢力だ。今回の事で、西側の護りを担い、さらなる勢力拡大を目論んでいる。
「今は東の陰陽師だけがあからさまに瑞樹を狙っているが、南と北も水面下で動いているだろう」
「瑞樹は人の世では生き難い。貴彬はそう言っていたな。確かに、あの子は良くも悪くも特殊過ぎる。だが……」
「北の方の言葉を信じられないか」
「まあ、あの真っ直ぐな気性は妖とは言え好感が持てるが、会ったこともない妖を信じろと言われてもな」
確かにその通りだろう。だが、選択の余地はないのだ。もし、東、南、北の術者に玉響が捕まれば、更なる火種の元だ。
「白狐の九尾狐か。そんな大物が大人しくしてるなんてな」
「それを言うなら、北の方もだろう。九尾狐は千年は生きている妖だ。それだけ力を溜め込んでいる。その、九尾狐に見初められた貴彬が化け物なんだ」
葵と馨は諦めた様に同時に息を吐き出す。幼い時分から、二人は帝だけではなく、貴彬にも振り回されていた。幼い東宮に遊び友達を充てがうのは昔からの通例だ。母親の実家に預けられ、権力の関係で充てがわれる貴族の子供も決まる。しかし、内大臣を祖父に持つ今上の帝は、権力とは関係なく子供が集められたのだ。なんでも、陰陽師の進言であったと伝わっている。
「まさか、これが主上に権力とは関係なく子供が充てがわれた理由か?」
葵は不満気に言葉を漏らす。
「何を言う。主上に最後までついて行けたのは私だけだ」
馨は葵の愚痴を一蹴する。母親が内親王であった馨はある意味、逃げるに逃げられない立場だった。つまり、他の子供と同じ様に逃げたかったが、逃げられなかったのだ。
「貴彬に至っては、脱走して野山を駆け回っていたからな」
葵は脱力した様に、貴彬に対しても愚痴を言う。言ったところで本人はいない。どうしようもない事も、理不尽な勅命を受けた事も、二人は素直に受け入れる他なかったのである。
行動は速やかに、かつ的確にが帝の信条だ。更に今は春へと向かう季節の変わり目であり、下手をすると体調を崩す。出来る限りの防寒をし、二人は馬に跨った。そして、馨が懐から一枚の札を取り出す。
「本当に機能するのか? 本人は亡くなっているんだろう?」
「そうだが、貴彬は絶対に使えると言っていた。何か理由があるのか、不思議な力を使ったかは分からないが」
葵の疑問に、馨は怪訝な表情をしながらも札を空に放り投げる。ひらりと舞い、札が不思議な動きを見せ、白い小鳥の様な姿を取ると羽ばたき始めた。二人はその後を追う。
小鳥は街道を使わず獣道の様な場所を選んで飛んでいた。移動しにくい事この上ないが、今は姿を見られないという意味においては有り難かった。
「この辺りに小さな里がなかったか?」
「あったな」
「その近くにかなり深い森があった筈だ」
葵の言葉に馨は思い出す。緑が深く、恵も豊かだが、奥まった場所に行こうものなら神隠しに合うと言う曰く付きの森だ。神隠しとは言うが、全く違う場所から見つかる場合が多く、人がむやみに関わることはない。だから、森そのものに恐れを抱いていても、それ程、根深いものではないのだ。
「あの森が住処か?」
「おかしくないか。住処だとして、あの森は妖の姿が殆どないと聞く。私達の様に力がなくとも、幼い時は自然に近い。子供の目には誤魔化しが効かないが、見たと言う話は聞かないぞ」
二人は怪訝に思いながらも小鳥を追い、今話していた森の奥深くに分け入って行く。貴彬の守りがなければ入ることがなかった場所だろう。そして、貴彬の札がなければ辿り着けないだろう場所だ。
夜の帳の中を移動し、何時の間にやら夜は明けていた。深い木々は太陽の光を遮り薄暗くはあったが、雪そのものは深くない。季節的に草木の葉は少ないが、それでも、陽の光が入りにくい。それは即ち、人が入り込むのは危険な場所だと言うことだ。
「……何をしに来た?」
耳を掠めた声に、二人は馬を止めた。辺りを見渡し、ある一点を二人は見詰める。そこに居たのは二人の男。その二人の周りを貴彬の札が舞っている。
「……これはあの男の術か?」
「本当に厄介事が羽根を生えてお前の元に集まってくるな」
喉の奥で笑っているのは、煌びやかな毛色の男だった。二人は芙蓉を知っている。そして、九尾の持つ独特の雰囲気も分かっていた。目の前にいるのは白髪の男と金髪の男。馨と葵が聞いていたのは白狐の九尾狐だけだ。
「答えてもらおうか」
白髪の男が二人を威嚇する。隠すことのないあからさまな敵意だ。人に関心を示さない妖は縄張りを侵す人間に容赦ない。馨はゆっくりと馬から降りる。それに倣うように葵も続いた。もし、危険な妖ならば馬が暴れるだろう。だが、二人が騎乗して来た馬は落ち着いている。
「帝の勅命を持って白狐九尾狐に会いに来た。貴彬から託された札を頼りに」
馨が放った言葉に、白髪の男は深い溜め息を吐き出した。
「あの二人は疫病神か? それとも、俺が好き好んで厄介事の処理をしているとでも勘違いしているのか?」
白髪の男が諦めたような声音で吐き捨てた。
「要件は? 事によれば無事に返してやるわけにはいかない」
その脅しは言葉としてだけの脅しではない。気配があからさまに変わったからだ。
「白狐九尾狐の千樹。間違えないか?」
白髪の男は驚いたように目を見開いた。名は全てを決める厄介なものだ。それを人間が知っていた事に驚いたのだ。
「芙蓉か?」
白髪の男の問いに、二人はゆっくりと頷いた。
泉の結界に近付く人間の気配に、千樹は出て来た。その時、酒を夜明け近くまで一緒に呑んでいた灯璃も付いて来たのだ。
目の前にいるのは人間の二人の男。着ている物や雰囲気で貴族だろう事を察するのは容易だ。
「敵意を持ってないなら、名を渡せるな。其方は勝手に名を奪った」
千樹の言葉に二人は頷く。芙蓉から千樹が用心深い性格である事を聞いていたからだ。
「私は馨だ」
馨は素直に名を差し出す。それを確認した千樹が、葵に視線を移す。
「葵だ」
「偽りないか?」
「間違いないだろうな」
疑いの声を上げた千樹に灯璃が二人の代わりに肯定した。
「左大臣家の嫡男と内大臣家の嫡男だ。何時も帝の厄介事の処理を任されてる。正に人間版千樹みたいな奴等だよ」
灯璃の物言いに、今度は二人が目を見開く。目的の千樹が知っているならまだしも、帝すら情報を持っていない存在が二人を知っているからだ。
「何を驚いているんだ。チビ関係で火の粉が降りかかるのを防ぐには情報が必要だ。俺は千樹の指示で調べたに過ぎない。知ったところで何一つ利益はないからな」
灯璃はあからさまに肩を竦めてみせる。
「それに、もし情報を利用するなら、本人達の前で千樹に言うわけなかろうが」
「それくらいにしろ。来たという事は、あの子の事か?」
千樹はあえて、あの子、と言った。前の瑞稀と言うには抵抗がある。かと言って、新たに与えた名を使うのは玉響にとって危険だからだ。千樹は不意に辺りを見渡す。神経に障る何かの視線を感じる。だが、森の奥には入ってこられないようだ。このまま話すのは問題を更に増やす。
「付いて来い。その馬も一緒だ」
「結界内に入れるのか?」
灯璃の疑問に千樹は頷く。桜のおかげで森には入ってこられない様だが、嫌な感じを受けたのだ。おそらく、二人は誰の目にも触れない様に夜の闇の中移動したのだろう。身につけている物も華やかなものではない。
「何者かが探りを入れようとしている。その情報はないのか」
「あるな。三方の術者がチビを手に入れようとしている。それだけじゃない。妖、神、魔、全部だな」
灯璃が酒を呑みながら話していたのはもしもの話ではなかったのだ。千樹には可能性がある話として言っていたにも関わらず。
「どうして黙っていた!」
「お前の結界内にいれば問題ないからだ。もし、下手に知るとそこから綻びが生まれる」
灯璃はそう言うと、先に泉の中に姿を消した。
「その泉に入るのか?」
馨が不安気に千樹に問い掛けた。
「仕方ないからな。俺と一緒に入れば単なるまやかしの水に過ぎない」
そう言うと、千樹は容赦なく二人を馬ごと泉に突き落とした。当然、二人は慌てたが、既に体が泉に向かって沈んで行った後だ。冷たいと感じることもなく。いきなり尻餅をついた二人は、慌てて上空を仰ぎ見た。よくよく、観察すると二頭の馬は木に手綱を括り付けられている。その場でのんびりと草を食んでいる姿を確認すると、やっと立ち上がる。
「正気に戻ったか? ついて来い」
千樹はさっさと歩いて行ってしまう。目の前にある屋敷は人間が使うものと変わらない。いや、それ以上の造りだった。素直に後をついて行き、案内されたのは東側の部屋だ。畳の上に座る様に言われる。其処には既に灯璃が簀子の上でだらしない姿で座って待っていた。
「帝の勅命とやらを聞こうか。言っておくが、俺に勅命など効力はないぞ」
千樹は不機嫌を隠しもせず言い切った。
馨と葵が千樹に話した内容はこうだ。
帝は貴彬から玉響について詳しく聞いたのだと言う。その席に馨と葵も同席していたのである。
芙蓉が黒狐の九尾狐である事は、最初の頃から知らされていたらしい。勿論、芙蓉本人にも会っていた。妖と聞くと禍々しい印象を受けるが、それは、都や人間を襲う妖がいる為だ。芙蓉は普通の妖ではなかった。都の結界強化を手伝う程、変わった妖だったのだ。
そんな二人の間に玉響が生まれた。生まれる前から、何かと末弟を煙たがっていた長兄が何やら画策している事を、貴彬は知ってしまったのだ。
「貴彬が芙蓉と通じた事を理由に、長兄が帝に進言してきました。都を脅かす逆賊だと」
だが、帝は貴彬と芙蓉に会っていた。その様な事を考えるなどまず考えられなかった。その後すぐ、貴彬がこっそりと帝に会いに来たのだ。清涼殿の女官は馨と葵、貴彬が勝手に入る事を黙認している。それは帝に命令されているからだ。女官達も三人が帝から秘密裏に命令されている事を知っていた事もある。
「瑞稀が普通の子供ではなく、何方の性も持ち、精霊をも従える能力を持っています。それを聞いた主上は貴彬が何を言いたいのか分かったそうです。瑞稀は問題しか起こさない。不思議な力と不思議な体を持つ。それは人の世では災いになりかねない」
貴彬も芙蓉も、玉響が生まれた時に気が付いた様だった。だから、長兄が動く前に玉響を逃し、二人は囮になったのだ。西の門の結界が脆弱になる事も帝は知っており、秘密裏に対策も取っていた。思ったより混乱を招かなかったのはその為だったのだ。貴彬が護っていた西の護りを、貴彬自身が破壊する事も承知していた。
「それで、帝は何を命令したんだ」
千樹は興味無さ気に問い掛ける。
「回りくどい言い方は無しだ。時間をかけるだけ無駄だからな」
馨と葵は千樹の言葉に頷く。
「瑞稀を守ってもらいたいと。人からも神からも魔からも。勿論、妖からも」
千樹は目を細めた。つまり、帝は玉響の存在が手に余っているのだ。全てから玉響を守るのは実質難しい。そして、都に害をなす者が玉響の力を利用しようと画策することも考えられた。
「無能じゃ無さそうだな」
千樹の物言いに、二人は異を唱えなかった。それは、千樹が人の世の理の中で生きていないからだ。
「言われなくてもそうするつもりだ。あの子本人も此処に居ると言っているからな」
千樹は一旦言葉を切る。
「で、来たのはあの子のことだけじゃないだろう?」
帝が直々に動いている。それだけ、今回の事が大変な事態だと分かっているからだ。
「二人の体は何処です?」
玉響だけではなく、術者達は二人の体も探している。それは生死の確認だけではなく、術の媒介として利用する為だ。
「知ってどうする気だ」
千樹にしてみれば、帝に対して信用する要素がない。
「それに、あの子に会いたがっていたんじゃないのか」
「確かに。だが、今会うのは危険過ぎます。特に帝は行動的な方なので、動けば確実に後をつけられるでしょう」
「それはお前達もじゃないのか」
「否定しません。ただ……」
「お前達は家柄が政敵同士だ。まず、一緒に行動している事が納得出来ないな」
背後から灯璃が口を挟む。其処には何時の間にか二匹の黒毛の妖狐が馨と葵を凝視していた。千樹は二匹が玉響のそばを離れるのは珍しいと感じたが、一匹が特に二人を見詰めていた。
「教えたいのか?」
千樹が馨と葵にではなく、二匹の妖狐に呼びかけた事に、二人は驚いた様に二匹の妖狐に視線を向けた。魂を移し替えた。当然、過去の記憶など持ち合わせていないだろう。それでも、玉響の元を離れ此処に現れたのだ。
「だかな。利用しないと言い切れるか」
嘆息したのは灯璃だ。二人の体を運んだのは灯璃であり、芙蓉だけではなく貴彬の体も強い力の塊だった。
「体は強い力の塊。使い方で凶器にもなり得る。躍起になって探し回ってるのは朝廷だけではないだろう。力を持つ術者は利用する為に得たいと考えている」
灯璃のあからさまな疑いの目に、馨と葵は苦笑いを漏らす。
「私達が知りたいのは何処に居るのか? ですよ。帝は不思議な力に依存するのを嫌いますので」
「まあ、変わった帝だとは聞いたけどな」
灯璃は呆れたように肩を竦めた。
「つまり、知っておきたいが、手に入れ利用する気は全くない、そう言う事か」
「そうです。全く知らないのは不安でしかありません。安全であり、誰の手にも落ちる可能性が限りなく低い場所。その場所で守られて居るのなら、私達はそれ以上、介入する事はありません」
千樹の問いに馨はきっぱりと言い切った。千樹は少しの時間思案し、諦めたように息を吐き出した。
「分かった。ついて来い」
千樹は腰を上げ、奥の部屋に行くべく襖を開け、簀子の上を歩き始めた。馨と葵は後を追い、灯璃と二匹の妖狐も後を付いて行く。
北側の部屋に位置する庭に降りると、ある場所で千樹は足を止めた。そこにあるのは小さな植物の若芽だ。馨と葵の二人は千樹の視線の先を確認し首を捻る。だが、よくよく観察してみると、土が一度、掘り返された痕跡があった。
「此処に居るのですか?」
「そうだ。一時的に埋葬したが、お節介の桜のせいで移せなくなった」
「桜?」
葵は疑問をそのまま口に出した。
「そうだ。その桜のせいで、厄介な事になっている」
「問題とは?」
千樹が不機嫌に吐き捨てた問題に、馨と葵は顔を見合わせた。
「体はこの場所にあるが、魂は其奴等の中だ」
千樹はちらりと付いてきた二匹の妖狐に視線を向ける。当然、馨と葵は驚きに二匹の妖狐を視界に納めた。
「どう言う事です?」
「どうもこうも、あの子に憑いている四精霊と、俺達が幼い時から懇意にしている齢千歳の桜が、あの子の願いを叶えたんだよ」
千樹はあからさまに肩を竦めてみせた。正確には玉響が輪廻の先で両親に会いたい、だったのだが、四精霊と桜は捻じ曲げて解釈してしまったのだ。
「つまり……」
「芙蓉は元々妖だ。輪廻の輪など関係ないが、父親の方は確実に人としての輪廻から外れた。本人達はどう言う考えであったのかは知らないが、厄介な事に変わりない」
千樹は腕を組むと、諦めたように言葉を吐き出す。
「この場所は元々強い力で護られている事は貴彬に聞いている。芙蓉の意識をこの場所に導くのに複雑な術を使ったと言っていたからな」
「やはりか。簡単に入ってきたからな。しかも、術を使っている俺に全く負担をかけない鮮やかなモノだ」
芙蓉ならば簡単に入れる。だが、体から魂が離れていれば話は別だ。いくら知っており、懇意にしている妖だろうと術はその魂を弾き出す。
「見ての通り、桜の若芽が二人の体を守っている。此処から動かす事は実質無理だ。連動した桜が何をしでかすか分かったもんじゃない」
千樹の言葉に馨と葵は頷いた。千樹の結界内に居るだけでも奪われる確率は低いが、強固な力が更に護りを固めて居る。問題は魂が新たな器を得ている点だ。もし知られれば、更なる問題になりかねない。
「その妖狐は記憶を持っているのか?」
葵の問いに千樹は視線を向ける。
「普通に考えてないと思っていた方がいい。ただ、知っていたような気がする程度だろう」
「どうして我々の前に現れたと思いますか?」
馨の問いに千樹は思案する。多分、記憶そのものはないだろう。だが、何かを感じていて、二人の前に来たのだ。何故なら玉響から離れるのは千樹が側にいる時だけだからだ。
「強いて言えば感、だろうな」
千樹は簡潔に一言告げた。
⌘⌘⌘
頗梨に勉強をみてもらっていた玉響だが、屋敷内の空気が変わった事に気がついた。書物に向けていた視線を上げ、辺りを見渡す。その玉響の行動に頗梨が怪訝な表情を見せた。
「どうかなさったのですか?」
「うん。空気が少し変わったから。それに……」
さっきまで側にいた二匹の妖狐が居ない。
「あの子達が居ません」
「あの子達?」
玉響が言わんとしている事に気が付いた頗梨が、辺りを見渡す。確かに、何時も側にいる妖狐達が居ない。
「何かあったのでしょうか」
「分からないですけど……」
そこまで口にした玉響だったが、この屋敷で感じたことのない気配に気が付く。その気配は玉響が感じた事のある者だった。
「……どうして、馨様と葵様の気配があるんでしょう?」
玉響は怪訝な表情で頗梨に問い掛ける。頗梨はと言えば、いきなり聞いたこともない名前を上げられ困惑気味だ。
「お知り合いですか?」
「うん。父上の幼馴染みで仕事仲間で、尻拭いをしてくれる人達」
頗梨は玉響の言った言葉に思考が停止した。幼馴染みと仕事仲間は問題ない。否、この場所で感じていること自体は問題だが、尻拭いをしてくれる、とはどう言う意味だろうか。
「玉響様、申し訳ないのですが、尻拭い、とは?」
「父上って、人騒がせな人だったみたい。母上も結構、お二人を困らせて居たみたいだし。ほら、母上って人と同じようなことが出来なくて。貴族の女の人って人前に出ないものなんでしょう?」
頗梨は玉響の発言に頭を抱えた。つまり、玉響がやたらと大人しいのは、両親のとんでもない行動を見ていた反動なのだろう。玉響が何かを仕出かす前に、両親が何かをやらかすのだ。
「あの……」
「気になるのですね?」
「はい」
「では、遠慮なさらず、千樹様を困らせて下さい」
玉響は頗梨の言葉に目を瞬く。
「千樹様の元に居るおつもりなら、困らせてしまって下さい。口では文句を言いますが、嬉しいんですから」
頗梨はそう言うと玉響を西の部屋から追い出した。背後で襖の閉まる音を聞きながら、玉響は困惑する。困らせるなど考えた事もないのだ。しかし、部屋は追い出されてしまった。気配の事も気になる玉響は、結局、好奇心に負けた。普段は足を踏み入れない北の部屋へと向かう。屋敷内で働いている妖に咎められる事もなく、すんなりと北の部屋へと辿り着いた。
部屋の造りは西の部屋と変わらない。ただ、調度品の一つもない部屋は寒々としていた。綺麗になっているのは掃除が行き届いているからだ。室内を見渡しても誰も居なかった。気配があるのは更に北側。つまり、庭なのだと気が付いた。ゆっくり襖を開けると、庭先に四つの姿を見る事が出来た。灯璃の足元には二匹の幼い妖狐。その隣に公達の装いの男が二人。そしてその前に千樹の姿が見える。
玉響はこの時、千樹の足元に感じるモノに目を見開いた。両親の亡骸について、全く知らされて居なかったからだ。魂が幼い妖狐の中に息衝いていると知った時、体は無くなったのだと思っていたのだ。
「……どうして」
千樹はどうして玉響に両親の亡骸の事を知らせなかったのだろうか。二匹の妖狐が居るからと、教えてはもらえなかったのだろうか。未だに返してもらえない首飾りも気になる事は沢山ある。
「どうした?」
いきなり掛けられた声に、玉響は固まった。千樹は玉響を咎める事はなく、ただ問い掛け、視線を向けていた。当然、其処に居る者達が玉響に視線を向けていた。訊きたい事は沢山ある。でも、それよりも気になったのは……。
「どうして、父上と母上の亡骸がある事を教えてくれなかったのですか?」
玉響は泣きそうになりながら、それでも千樹に問いかけた。
玉響の問いに、千樹は眉を顰めた。知らせなかったのは、まだ、玉響の体調が戻っていなかったからだ。
「落ち着いたら話そうと思っていた」
躊躇うことなく返ってきた答えに、玉響はキュッと唇を噛み締めた。我儘を言ってはいけない事は分かっている。いくら頗梨に何を言われようと、玉響にしてみればこの場所は安息の場所だ。失えばどうなるかなど考えなくとも分かっていた。
両親は実質、都に刃を向けた罪人だ。たとえ、帝が了承していた事だとはいえ、幼い子供である玉響に、詳しく分かる筈もない。ましてや、真実を目で確認し、それを処理する事さえ難しいのだ。
きつく唇を引き結んだ玉響に、千樹は小さく息を吐き出す。我慢させていた事は理解していたし、甘える事を玉響はしてこない。聞き分けのいいその姿は確かに、大人にしてみれば都合がいいだろう。
両親の死を目の前にしても泣き叫ぶ事はなかった。それは、言い換えればまだ、何一つ、消化していない証拠だ。泣けないのは、現実を認めていないからに他ならない。
「此方に来い」
千樹は玉響を促す。玉響は少し躊躇い、庭に降りると千樹の元までゆっくりと歩み寄る。玉響にしてみれば、大人の中に入って行く事になる。緊張するのは仕方のない事だ。
「……あの」
玉響は馨と葵を見上げる。両親が迷惑をかけていた事は知っていた。几帳越しだったが、貴彬に文句を言っている言葉を耳にしていた。頗梨に言った事に間違いはないのだ。
「久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
馨はそう言うと、玉響の頭に手を乗せた。玉響は慌てて、二人に頭を下げる。
「両親がご迷惑をお掛けしました」
芙蓉が貴彬と自分の問題だと言ったが、結局、目の前の二人に面倒事を押し付けたのだ。
「ああ、気にするな。こうなる事は予測済みだ」
葵は苦笑いを浮かべる。玉響は一度、頭を上げ更にもう一度、頭を下げた。そして、顔を上げ千樹に視線を向ける。
「言わなくても分かるな?」
「はい」
玉響は返事をすると、千樹の隣に並んだ。冷たい土の中にあるのは、間違いなく両親の亡骸だ。強い力が宿っている事も感じることが出来る。
「仮に埋葬したのだが……」
千樹は言葉を濁す。ほとぼりが冷めた頃、遺体は移動する予定だったのだ。
「あの若芽ですか?」
「そうだ」
「山奥の桜と繋がっているんですか?」
玉響の言葉に千樹は頷く。桜は二人の亡骸に利用価値があると見抜いたのだ。下手な場所に埋葬してしまうと、後々、面倒な事になる。千樹が一時的に棲家としている結界内に埋葬すると踏んでいた。だから、埋葬した頃合いで干渉してきたのだ。
「繋がっているな。そのお陰か、俺の結界の効力が森全体に拡大した。良くないモノは森にすら入り込めん」
「でも、お二人は……」
「お前の父親の札で此処まで導かれたのだろう。そうなれば、桜は通すだろうし、俺に害がなければ弾かれる事もない。それに、お前の父親の力はかなりのものだ。俺に弾かれないように何かしらの手を打っていたと考えられる」
千樹はそう言うと、馨と葵に視線を向ける。
「帝が求めているのは亡骸が利用されない事と、玉響が攫われないという確証だろう」
「そうです」
「目的は達したな?」
「いいえ。もう一つ、確かな確証が欲しいので」
馨は嫌な笑みを千樹に向けた。その表情に灯璃は瞳を輝かせる。葵は気が付いたように頷き、幼い妖狐達は行儀良くお座りしている。玉響は急に変わった空気に大人達の顔色を伺う。
「それで婚礼は何時でしょうか? 芙蓉から聞いていますので」
馨の言葉に千樹は体の力が抜ける。芙蓉はどんな入れ知恵をこの二人にしたのだろうか。葵が否定してこないのは聞いていた事柄だからだ。
「勘弁してくれ」
千樹は疲れたように吐き出した。
「そう言うわけにはいきませんので」
馨の表情は変わらない。どうあっても、押し切る気満々だ。
「まず、元服に達してないだろう」
「そうですが、同時に婚礼を」
千樹は更に疲れを滲ませる。
「妖は人とは違います。相手となったものを横から攫われるのを嫌う」
葵は低い声音で告げる。千樹は二人の言動に思考を働かせた。芙蓉に入れ知恵をされただけではないだろう。玉響は変わった力の持ち主だ。はっきり害がないと分かる者に託さなくては、後々災いの種にしかならない。
芙蓉が妖であり、何より、千樹をよく知っている。変わり者の九尾狐が信頼する九尾狐。その妖力は芙蓉をも凌ぐ。更に、二人の亡骸の上には妖並みの力を持つ桜の若芽が芽生えている。この場所の結界は閉鎖的な程、強固なものだ。
千樹は二人を観察する。人が持つ霊力すら感じない、つまりは普通の人間。だが、感覚が普通の人のそれではない。
「灯璃」
千樹は灯璃に視線を向けた。
「この二人の情報をよこせ」
灯璃は千樹の問いに口角を上げた。千樹が用心深いことを知る妖は多い。その千樹が本当の意味で信用しているのは灯璃と芙蓉だ。芙蓉の口利きがあったのだろうが、直ぐに信用する訳にもいかない。玉響を手元に置くことに異議がある訳ではないが、其れが切っ掛けで朝廷と手を取り合うつもりはない。
「帝と幼少期を過ごした奴等だ。まあ、本当の意味で最後までついて行けたのは其奴だけだが」
灯璃は馨を軽く指差す。
「あのっ」
玉響は千樹の衣にしがみ付いた。其れに驚いたのは何も千樹だけではない。
「お二人は信用出来ます! よく、父上と母上の尻拭いをして下さいました!」
玉響は千樹を見上げ、必死で訴える。千樹はその言葉に固まった。そして、ぎこちない動きで二人を見た。
「何?」
「母上だけでも厄介なのに、父上はその上をいっていたので。本当に申し訳なくて」
幼い子供が両親に対して抱くものではない。玉響の両親が破天荒であることは何となくだが理解出来る。何せ、母親の芙蓉は千樹を困らせる天才だった。灯璃と二人して千樹に手を焼かせたのだ。其れを上回る貴彬とはどんな人物だったのか。霊力が強いことも、何より、複雑な術すら軽々とこなしていたのだろう。そんな人物が野心を持たないとは考えられない。
「つまり、今回の事件の発端は確実に……」
「貴彬のせいでしょう。いくら揉み消したとしても、消し切れるものではありませんから」
「一族は?」
「都に居なかった者達については、身分と領地の剥奪です。とは言っても、陰陽師としての能力は然程のものではありません。都の惨事は風の如く駆け抜けて行きましたから、抵抗一つありませんでしたよ」
馨はにこやかに、軽い口調で言い切った。だが、葵に視線を向ければ、そうではないと言い切れる。千樹はどんな手を使って黙らせたのか、聞きたくもなかった。
「まあ、俺に害さえもたらさなければ、気にもしないが」
「その事ですが、帝がどうしても、お二人の婚礼に出席したいと」
これには千樹だけではなく、玉響も大きく目を見開く。千樹は蒸し返された話題に胃がキリキリと痛みを訴えた。
「貴方は二人の亡骸を利用しない。其れは会えば分かります。ですから、妖とは言え、都に蔓延る魑魅魍魎並みの貴族達より、信頼に足る存在です。だからこそ、此方の言い分を少しばかり汲んで頂きたいのです」
灯璃は人間に感心する事はないのだが、馨の切り返しと頭の回転の速さに、面白そうに顔を輝かせた。其れを視界の端に収めた千樹は、更に胃が痛みを訴える。
「あの、僕はこの場所に置いて頂けるだけで……」
「瑞稀。其れでは駄目なんですよ。両親を見て居たなら分かりますね」
馨にそう言われ、玉響は口を噤むしかなかった。
馨が玉響に言った一言が、千樹は気になった。玉響がただ、この結界内にいるだけでは駄目なのだと、遠回しに言っているのだ。
「芙蓉も最初はただ、貴彬の側に居られるだけで良いと言っていた」
貴彬は芙蓉を帝に会わせた。それは、もし、帝の意向で花嫁を選ばれでもしたら大変だと知っていたからだ。
「もし、芙蓉が人であれば問題はなかった。本人の意見を尊重したでしょう」
芙蓉が妖である事実はどうやっても覆ることはない。千年を超え生きている、神にも近い妖だ。二人が帝と共に会った芙蓉は美しかった。流れる黒髪と黒い瞳。額に浮かび上がる赤い模様。狐だと言うこともあるのか、目は鋭い一重だったが、敵意は微塵もなかった。
「帝も貴彬と芙蓉の事を咎める事も反対もしなかった。だが、他の貴族共は違う」
葵は千樹を鋭く睨み付ける。
「都は四つの能力者に護られています。言い換えるなら、四つの力は拮抗し何とか崩れる事を免れています」
「……だが、それも今回の事件で崩れたか?」
馨の言葉の後に、千樹は探る様に言葉を発する。
「そうです。そして、妖を妻に娶り子をなした貴彬の血は特異なのです。妖も高位ともなれば簡単に子は成せない。更に生まれた子は都の者達が噂をする程に特殊な存在です。帝が貴彬に忠告した様に、誰かに横槍を入れられる前に手を出せない状態にしなくてはいけないのです」
馨の言っている事は理解出来る。つまりは不安の芽を最初から育てない様にしたいのだろう。今の話で、芙蓉は妻となるのではなく、側にいる事を望んだのだろう。だが、下手な事をすれば災いばかりが降りかかる。それを未然に防ぐために、貴彬は芙蓉を妻としたのだ。
周りからの反対もあっただろう。妖は人に歓迎されない事も多い。妖は人に害をなす、そう考える者が大多数だ。高位になればなる程、人と関わる事を嫌うのが妖という者だ。稀に野心を持つ妖もいるが、それはあくまで一握りに過ぎない。
「その誰かはもしや、今回の首謀者か?」
「その限りではありません。東西南北、全ての術者が芙蓉を狙いましたよ。特に神職者は稲荷神として狐を祀っています」
「陰陽師は使役しようとしたのか?」
「そうでしょう。だが、芙蓉はあくまで貴彬を、気に入っているのであって、その他など論外なのです」
それを黙らせる為に芙蓉は貴彬の妻となった。妻となり夫が護っている結界の強化に手を貸した。もし、何かが貴彬と芙蓉に起こった時、結界は大打撃を受けるのだ。
「つまり、帝は最初からこうなると予測していたな?」
「そうでしょうね。あの方は人間離れしています。良い意味でですが」
玉響が特殊に生まれつくのは完全に運だ。何方の血も発現せず、全く能力がなく生まれつくのが殆どだろう。だが、幸か不幸か玉響は二人の血を素直に受け継いだ。それも、誰もが持ち得ない力だ。精霊を従える。それは、言い換えるなら気象すら手中に収める事と同等だからだ。
「確かに、普通に考えるなら瑞稀を手元に置き、貴族達を牽制すればよいでしょう。だが、逆に考えれば災いの種を手中に収め自滅する可能性もある」
千樹は視線を玉響に向けた。玉響はその言葉に唇を噛み締めている。千樹の衣を固く握り締め、感情を押し殺している。そんな玉響に二匹の妖狐は寄って来て擦り付いて来た。
「少し考えさせてくれ」
「ですがっ!」
「この子の気持ちを考えてくれないか? 両親を亡くしたばかりだ。それに、本当の意味で泣いてもいない」
千樹の言葉に二人は目を見開いた。玉響が泣いていないと言うことは、現実を受け入れていない証拠だからだ。
千樹は馨と葵に玉響が成人するまで、身の振り方は保留だと言い切った。確かに貴族の子だが、今の玉響にその身分はない。千樹の元に居るという事は、人との柵は一切ないと言い切った。
だが、それで引き下がらない事も千樹は分かっていた。接触してしまった以上、関わらないとは言い切れない。そこで、千樹は玉響に渡す首飾りを作る時に、多めに作ってあった勾玉を放った。作ったが、宿る力が弱かったのだ。
その勾玉を水に浸し、桜の枝で水を打てば連絡が取れると馨に渡したのだ。千樹の住処は泉の底にある。桜の枝は勝手に根付いた桜の若芽と繋がる。勾玉は山奥の桜に繋がる小川の上流から採集したものだ。繋がりが強い。そして、勾玉に千樹の妖力を込める事で繋がりが出来るのだ。
「随分と気を許したもんだ」
面白そうにその光景を眺めていた灯璃が喉の奥で笑う。千樹はと言えば不機嫌も露わだ。
「此奴等が引き下がると思うか?」
千樹は馨と葵を睨み付け、直ぐに視線を灯璃に戻した。
「引き下がらないだろうな。何せ、曲者帝の手足だ。違うか。貧乏くじを当たり前のように引かされる、気の毒な連中だ」
灯璃の言葉に脱力したのは馨と葵だ。妖である灯璃にすら、帝から投げつけられる無理難題は貧乏くじだと評価されている。その事実が、脱力感となって二人を襲った。
「その勾玉を帝に渡すな。此方にまで面倒なことを当然のように押し付けそうだからな」
千樹は腕を組み、うんざりと言った様子で言葉を吐き出す。
「この子の身の振りはこの子自身が決める。人間だろうが妖だろうが。まかり間違えて神が出てこようが、本人の意思が第一だ」
「分かりました。ですが、分かっていますね」
「ああ。ちょっかいをかけて来る奴等には、それなりに報いは受けてもらう。それが神でもな」
神は気紛れだ。気紛れゆえに読めない。ただ、玉響は神々にとって魅力的な存在だろう。何故なら、妖と人の特徴を持ち、体には二つの性が息付く。神は言い方は悪いが実験しようとするだろう。それに、機嫌でも損ねようものなら、何を仕出かすか分からない空恐ろしさもある。
「忠告だが、術者達に下手に関わるなと遠回しでもいいから言うんだな」
霊力を持つ者は変に過信することがある。普通の力を持たない人間と、長い時を生きている妖を同等に扱うのだ。それで痛い目にあってる者もいるだろう。だが、千樹はその辺にいる妖とは違うのだ。
「今まで黙っていたが、変にちょっかいをかけて来るようなら考えがある。この森は俺の縄張りだ。それを侵すようなら、それなりに対策を取らせてもらう」
「その方がいいでしょう。痛い目を見なければ彼等は気が付きませんので。何なら、先手を打たれてはどうです。帝には此方から説明しますので、どうぞ、存分に」
馨は食えない笑みを千樹に向け言い切る。
「口の説明で収まるのなら、こんな事にはなっていません。全く聞く耳を持たないから、悪循環を生むのです」
馨の横で葵が大きく頷く。
「貴彬と芙蓉の体を求めるのも、瑞稀を手中に収めようとするのも、言い換えるなら力を得たい為です。その力で帝を意のままに操り、政を自分の良い方にと考えています」
「そんな事を俺に話してもいいのか? 俺が何かをするとは考えないのか?」
「それはないでしょう。芙蓉がそう言っていましたし、何より、これまでの話で察する事は可能。貴方は余程でなければ表立って出ては来ない。これだけの力を持っていても」
千樹は馨を観察する。見た目は綺麗な顔をした、線の細い貴族の青年だ。だが、その頭の中は見た目とはかなり違う。その恐ろしさは今、対峙している事で知る事は可能だ。千樹は諦めたように息を吐き出した。
そして、今、玉響の首飾りを千樹が首から提げている。理由は、屋敷内の妖全てがこの首飾りを提げ、未だに回復していないからだ。千樹のところに来る頃には吸収度合いも可愛いものになっている。千樹が管理すると告げると、屋敷の者はあからさまに安堵の息を漏らした。それ程容赦無く四精霊は力を吸収していた事になる。
玉響が生活しているのは屋敷の西側に位置する。最近は屋敷の者達が千樹に玉響を北側の部屋に移した方が良いのではと言ってきた。千樹が作り出した屋敷は、人間で言うところの貴族の屋敷に近い。北側の部屋は主人の対の部屋になり、一番奥まった場所になる。つまりは女主人が住まう部屋だ。
千樹は妖だしその辺りに拘りを持っていない。それに、この場所は外界から切り離された千樹の結界の中だ。誰かが何かをしてくる可能性は限りなく低い。低いが一箇所、問題点があると言えばある。二人の遺体を埋葬した場所だ。上に芽吹いた若芽は、山奥の桜と繋がっている。彼処だけが問題点で、そして、北側の部屋に面した庭にある。別の意味で安全だとは思うが、千樹が唯一、結界内で絶対とは言い切れない場所なのだ。
何より、屋敷の妖達は千樹と玉響を一緒にしてしまいたいらしい。父親が稀代の陰陽師、母親が黒毛の九尾狐。今は人としての性が表に出ているが、将来はどうなるのかが未知数の存在だ。
そして、二匹の妖狐だが、玉響にべったりだ。勉強中だろうが就寝中だろうが、離れようとしない。記憶など失っているだろうに、無意識で守ろうとしてる。この二匹も質が悪く、千樹が暇だと分かると、玉響の部屋まで誘導する。千樹は確かに忙しい身ではないが、四六時中一緒に居る必要もない。
頗梨はと言えば、千樹が二匹に連れて来られると、そそくさと部屋を後にする。食事なども屋敷の者達はこの部屋に二人分持ってくる。何かの陰謀なのかと、最近は周りの対応に千樹は頭が痛い。
「仕方ないだろう。千樹は俺と違って困っている妖を屋敷に住まわせてるんだ。彼奴等にしたら恩人になるのか。良い妻を、と考えるんだろう」
最近、頻繁に現れる灯璃に愚痴れば、そんな答えが返ってきた。
「言い換えれば、お人好しの主人に、少しでも問題の少ない花嫁を当てがいたいんだろう」
灯璃は言うなり喉の奥で笑う。千樹にしてみれば面白くない。
「チビが問題ない存在かと言えば、そうは言い切れないと思うがな」
東側にある部屋の中から庭を眺めつつ、灯璃は少しだけ眉を潜める。軽口を言いながら、それだけではない。酒を交わしつつ話しているが、都の状況を探ることを未だに千樹は灯璃に頼んでいる。
「動きがあるのか?」
「まだ、動ける状況じゃないだろう。あの破壊を簡単に直せると思うか? まず、チビじゃなく、都の護りが最優先だろう。その後はどうなるかは未知数だがな」
灯璃の言う通りだろう。落ち着けば何かしらしてくるだろう。まず、玉響と言うより、玉響の伯父の処分と一族の存続だ。都にいない血族の処遇も考えなければいけないだろう。
「覚悟は決めといた方がいいだろうな」
千樹は灯璃の言葉は耳に痛かった。だが、放り出すことは出来ない。
「分かっている……」
千樹は水面越しに見える空を見上げ、唸るように答えた。
「それで、チビは毎日、勉強に精を出してるのか?」
「そうだ」
灯璃は玉響が四精霊に名を与える為に、猛勉強をしていることを知っている。来る度に必死で書物を読んでいる姿を見れば分かるだろう。
「千樹が首に下げてるのはチビのか」
「元々、四精霊の住処として与えた物だ。力を使い果たしたのか、玉響に持たせるのは危険だからな」
灯璃は一気に酒を煽ると、千樹が首に下げている首飾りに視線を向ける。
「その勾玉はあれか? 俺達がよく遊んでいた山にあった石か?」
「よく気が付いたな」
「桜の樹がある山奥の更に奥地にあるだろう。人が踏み入らないから、全ての物に命が宿ってる」
灯璃はそう言うと、表情が変わった。スッと細まった目に嫌な予感がした。
「……ずっと訊くのを躊躇っていたが、チビの秘密とは何だ?」
千樹は灯璃が何時かは玉響の秘密について訊いてくると分かっていた。灯璃とて妖狐だ。千樹と同じだけの時を生きている。それは、普通の妖より少しばかり鼻が聞き、更に、玉響は普通の気配とは違うモノを持っている。妖と人との間に生まれた為に、両親がひた隠しにしている部分は知られずに済んでいたのだろう。
「……訊いてどうする?」
「何も。ただ、いくら芙蓉が兄と慕っているとは言え妖狐だ。普通に考えて陰陽師が子供を妖狐に託したりはしなかっただろう。帝に話を通していたのなら、其方に助けを求めた方がより確実だった筈だ」
灯璃の言っていることは間違えていない。確かに権力の頂点に立つ者に託す方がいいだろう。玉響は人として生活をしていた。
「その帝にしても、俺達が関わっていることを知っている。知っていて、何一つ手を打ってこない。それは、最初から妖が関与することを知っていたからだ」
「そうだろうな」
「じゃあ、何故だ?」
「……玉響が普通じゃないからだ」
「そんなもの、両親が異種族である事で分かる事実だ」
玉響がただ、異種族間に生まれたなら多少問題があるとは言え、人の世に残しただろう。千樹は小さく息を吐き出し、前髪を掻き上げた。
「……双成だ」
「は?!」
「……半月とも言うな」
「待て待て。確かに変わった気配を持っていると思うが、そんな感じはしないぞ?!」
「俺も芙蓉に言われるまで、全く分からなかった」
千樹が肩を竦め言い切れば、灯璃は脱力したように肩を落とし、畳に息を吐き出した。灯璃のその様子に、其処まで、疲れたような態度を取る必要はないと思う、と千樹は苦笑いを浮かべる。
「元々、変わった力の持ち主だ。どうしても、其方に目がいく。そのおかげで、人には知られずに済んでいたのだろう」
「……それでは、芙蓉が千樹にチビを託した理由が分かる……」
玉響はただでさえ普通の生まれではない。特殊な両親だけならまだしも、玉響が特殊に生まれついた。人の世に残すと言う選択肢は、芙蓉と陰陽師にはなかったのだろう。ただでさえ苦労する特殊性だ。其処へ来て、特殊故に好奇の目に晒されるのだ。妖の妻を娶った陰陽師、だけではなく、その子もまた特殊。おそらく、貴彬は帝にその秘密も話しているだろう。だからこそ、何もしてこないのだ。
「俺に害がないことも分かってるのだろうな。まあ、芙蓉経由の情報だろうが」
「根拠は?」
「何か仕掛けて来るような気配があると聞いているのか?」
「聞いてない。だが……っ」
「帝にとっても玉響は悩みの種なんだろう。普通の男児なら悩むことなく帝の庇護下に置いただろうな。でも、それが出来ない」
女児として育てていれば、もう少し状況は変わったかもしれないが、今更な議論だ。どう転がるのかは、状況を見極めなければ千樹でも如何する事も出来ない。
「チビ狐達は如何してるんだ」
灯璃が千樹の杯に酒を注ぐ。それを千樹は素直に受け、一気に飲み干す。
「玉響にベッタリだ」
「記憶がなくても、何かを感じているって事か?」
「そうなんだろうな」
そして、灯璃が可笑しそうに笑う。
「本当に厄介事が飛び込んで来るな」
「他人事のように言うが、灯璃も持って来るだろうが」
「確かにな」
灯璃はそう言うと、急に真顔になる。何時にない表情に千樹は訝しむ。
「……話を戻すが、どうする気だ」
「何がだ」
灯璃は千樹に鋭い視線を向ける。
「二つの性を持つとなると、黙っていない奴等が出てくる」
千樹は灯璃が言わんとしている事が分からない程愚かではない。危惧しているのは人に対してではないのだ。千樹の結界内に居る内は問題ないだろう。桜の影響で結界が強化され、この敷地内ならばほぼ、危険がない。だが、この先、玉響が結界内から出るとなれば話は別だ。
玉響は血筋故に見る者だ。見える者は妖にとって、堪らない存在となる。妖は一度、生を終えた獣が形作る場合が多い。そうなると、千樹達のように歳を重ねた存在はやたらめったらと子孫を残そうとは考えない。しかし、妖力の弱い妖はそうではない。弱い故に同じ存在を欲するのだ。玉響はその存在達にとって、子孫を残す能力を持つ存在という事になる。
「分かるだろう。俺は全く興味のない分野だが、そうでない妖の方が多いんだ。特に悪さをする妖は玉響を拐おうとするだろう」
灯璃の言っていることは間違えていない。問題は玉響がまだ幼い子供だということだ。
「成人と同時に身の振りを考えないと危険だ。父親が生きている内はいい。だが、実質、チビは両親がいない状態だ。たとえ、幼い器に魂が移されたとしてもな。今は番犬くらいの能力しかない」
灯璃の口から次々と飛び出してくる言葉に、千樹は唸った。一番いいのは強い妖と一緒になることだ。相手となる妖の匂いを付けることで、所有していると主張出来る。相手が強い妖力を持っていれば持っている程、玉響は安全を手に入れることが出来る。
「腹をくくれ。決めるのは千樹だが、これ以上の面倒は願い下げだ」
「……お前までそれを言うのか?」
「ああ……。チビは元々、女としての生殖能力がある。見るだけでなく、問題ない体の作りとなれば、狙う妖の数は無限大だ」
灯璃の脅しに、更に千樹は頭を抱え込む。
「お前は本人次第だと言うだろうが、そう言う次元じゃない。チビが仮に攫われ、邪悪な妖の子を成したとしよう。まず、無事では済まない。最後まで言わずとも分かるだろう」
妖は必ずしも、良い性質の者ばかりではない。どちらにも属さない妖も多いが、悪さを平気で行う妖もいる。その妖は人間の女を攫い、その命と引き換えに子供を得る事がある。当然、母親の能力が強ければ、生まれる子供の能力も強い。
「母親を喰らって生まれてくる。勿論、命を落とした母親の骸も当然のように喰う。力を持つ母親の骸は更なる力を子供に与える事となる。手に負えない程の化け物になる可能性も否定出来ない」
灯璃の言う通りだろう。玉響の存在は妖にとっても危険をはらんでいるのだ。妖力でもなく霊力でもない不思議な力だ。それに目を付ける妖は多いだろうし、妖だけではない。神も魔も見逃さないだろう。
「チビが成人するまでに考えろ」
「玉響の意思が最優先だ」
「それも込みでだ。二人で結論を出せ。いいか、言わせてもらうが、頗梨程度の妖力では無理だぞ。お前の事だ。頗梨でもいいと考えているだろうが、問題を増やすだけだ」
灯璃はそう言うと、千樹から視線を反らせた。
⌘⌘⌘
簀子を歩く静かな足音が響く。その足音の先にあるのは清涼殿だ。その足音は返事もせず滑り込む。
「どうだ」
奥から聞こえてきた声は疑うこともなく問い掛けてきた。
「主上、もう少し危機感を持っていただかなくては」
「足音で知ることは可能だ。どれだけ命を狙われてきたと思っている。今とて、狙っている者も多いだろう。何せ、俺は思い通りにならぬ帝だ。今回の事にしてもそうだろう」
諦めたように息を吐き出し、暗がりの中から姿を現したのは女人と見まごう一人の男だ。
「敵いませんね」
「それで」
「貴彬の言っていたことは間違いないでしょう。全ては一番上の兄である家長が犯したもののようです」
「他の術者達は」
「そのように」
帝はただ、茵の上で脇息にもたれ懸かり薄く笑う。入って来た男に座る様に指示し、男は静かに従う。
「ただ……」
「何だ?」
「東の陰陽師が瑞稀を欲しがっています」
帝は顔色を変える。帝は貴彬から頼まれていたのだ。決して手を出さないようにと。瑞樹は普通の子供ではない。人の手には余ると貴彬は帝に進言していた。だからこそ、護らせるのではなく逃したのだ。
「理由は」
「あの力。精霊を従える力でしょう。秘密の事は知らないだろうと」
「当たり前だ」
帝は苦々しく吐き捨てた。
「馨」
「何でしょう」
「葵と共に秘密裏に会うんだ」
「もう一人の九尾、にですか?」
「そうだ」
「どのように」
馨は問い掛けた。どのような命を下すのか分かっていてもだ。帝は大人しく宮中にいるが、若い時はよく抜け出す脱走魔だ。逆らおうものなら、単独で動きかねない。後宮にいる多くの女御には目もくれず、自分で探し出した強者である。それも、馨の隠された双子の妹を見つけ出したのだ。無茶無謀が着物を着て歩いている存在である。
「会い、護る様に伝えよ。人だけではなく、妖から神から魔から。あの子は人の世にいてはならない。貴彬の北の方がそう判断した。俺もそう感じる。幼い故、二つの血が混じる故、あの体の秘密を隠していただろう。だが、成長すれば全てが明るみに出よう」
馨は帝の言葉に納得するしかなかった。今、西の門の護りはない。仮に他の方位を護る者達で仮の結界が張られている。門はまだ出来上がっておらず、その状況で更なる問題を増やすわけにはいかない。
「誰にも知られるな。貴彬の護りは持っているな」
「葵と共に」
「導きの札は」
「其方も」
「夜の闇に紛れ行動せよ。早めに対応せねば、取り返しがつかない」
馨は頷く。
「後、貴彬と北の方の所在を訊け。訊くだけだ。俺と馨と葵だけの秘密とせよ」
「それならば訊かぬ方が……」
「駄目だ。二人の亡骸は強い力を持つ。そのまま、知らぬ存ぜぬは問題だ」
馨は帝に一礼し、部屋を後にする。静かにその場を辞し、葵の元へと向かった。夜の帳が落ちる中、馨は動き出したのである。
馨は葵の屋敷の裏口から勝手知ったるで入り込む。馨は左大臣家の嫡男だ。そして、葵は内大臣家の嫡男である。本来なら政敵ともとられる関係だが、帝繋がりで裏で繋がっている。両大臣に知られてはならないと、宮中以外では都から少し離れた場所で会っていた。
葵が持つ小さな別荘だ。当然、使用人などは居ない。裏口から入るのはもしもの時を考えてだ。
「相変わらずだらしないな」
馨は葵を一瞥し、冷たく言い放つ。言葉を投げつけられた本人はと言えば涼しい顔だ。
「それにこの部屋を使うのはやめろと……っ」
いきなり立ち上がった葵が馨の腕を引く。当然、身構えまえていなかった馨は抵抗もなく葵の腕に収まった。
「思い出すからか?」
「貴様……」
馨に睨み付けられ、葵は素直に手を離す。
「あれは私の本意ではない!」
「俺は本気だったけどな」
葵は更に噛みつきそうな勢いの馨を見やる。雰囲気が変わった事を察した馨は口を噤み、二人は畳の上に同時に腰を下ろした。
「それで?」
「会う様、指示された」
「やはりか」
馨と葵は一度、芙蓉と玉響に会っている。本来、女人に直接会う事は叶わない。しかし、貴彬だけではなく、北の方であった芙蓉もかなりの変わり者だった。何より、芙蓉は人ではなく九尾狐と言う妖だ。都よりも長い時を生きていた。それを、貴彬が気に入ったと一緒にいる事を望んだのだ。
「誰にも知られない様にか」
「そうだ。あの秘密は知られてはならないと」
玉響の持つ秘密は二つの性を持つというものだ。精霊を従える能力も、術者の中には手に入れたいと考える者もいる。その筆頭が東の陰陽師だ。もし、玉響が東の陰陽師の手に落ちれば、力の均衡が崩れる。そうなれば、南を預かる寺の坊主と、北を預かる神社の神主が黙っていない。二つは違う様で同じ勢力だ。今回の事で、西側の護りを担い、さらなる勢力拡大を目論んでいる。
「今は東の陰陽師だけがあからさまに瑞樹を狙っているが、南と北も水面下で動いているだろう」
「瑞樹は人の世では生き難い。貴彬はそう言っていたな。確かに、あの子は良くも悪くも特殊過ぎる。だが……」
「北の方の言葉を信じられないか」
「まあ、あの真っ直ぐな気性は妖とは言え好感が持てるが、会ったこともない妖を信じろと言われてもな」
確かにその通りだろう。だが、選択の余地はないのだ。もし、東、南、北の術者に玉響が捕まれば、更なる火種の元だ。
「白狐の九尾狐か。そんな大物が大人しくしてるなんてな」
「それを言うなら、北の方もだろう。九尾狐は千年は生きている妖だ。それだけ力を溜め込んでいる。その、九尾狐に見初められた貴彬が化け物なんだ」
葵と馨は諦めた様に同時に息を吐き出す。幼い時分から、二人は帝だけではなく、貴彬にも振り回されていた。幼い東宮に遊び友達を充てがうのは昔からの通例だ。母親の実家に預けられ、権力の関係で充てがわれる貴族の子供も決まる。しかし、内大臣を祖父に持つ今上の帝は、権力とは関係なく子供が集められたのだ。なんでも、陰陽師の進言であったと伝わっている。
「まさか、これが主上に権力とは関係なく子供が充てがわれた理由か?」
葵は不満気に言葉を漏らす。
「何を言う。主上に最後までついて行けたのは私だけだ」
馨は葵の愚痴を一蹴する。母親が内親王であった馨はある意味、逃げるに逃げられない立場だった。つまり、他の子供と同じ様に逃げたかったが、逃げられなかったのだ。
「貴彬に至っては、脱走して野山を駆け回っていたからな」
葵は脱力した様に、貴彬に対しても愚痴を言う。言ったところで本人はいない。どうしようもない事も、理不尽な勅命を受けた事も、二人は素直に受け入れる他なかったのである。
行動は速やかに、かつ的確にが帝の信条だ。更に今は春へと向かう季節の変わり目であり、下手をすると体調を崩す。出来る限りの防寒をし、二人は馬に跨った。そして、馨が懐から一枚の札を取り出す。
「本当に機能するのか? 本人は亡くなっているんだろう?」
「そうだが、貴彬は絶対に使えると言っていた。何か理由があるのか、不思議な力を使ったかは分からないが」
葵の疑問に、馨は怪訝な表情をしながらも札を空に放り投げる。ひらりと舞い、札が不思議な動きを見せ、白い小鳥の様な姿を取ると羽ばたき始めた。二人はその後を追う。
小鳥は街道を使わず獣道の様な場所を選んで飛んでいた。移動しにくい事この上ないが、今は姿を見られないという意味においては有り難かった。
「この辺りに小さな里がなかったか?」
「あったな」
「その近くにかなり深い森があった筈だ」
葵の言葉に馨は思い出す。緑が深く、恵も豊かだが、奥まった場所に行こうものなら神隠しに合うと言う曰く付きの森だ。神隠しとは言うが、全く違う場所から見つかる場合が多く、人がむやみに関わることはない。だから、森そのものに恐れを抱いていても、それ程、根深いものではないのだ。
「あの森が住処か?」
「おかしくないか。住処だとして、あの森は妖の姿が殆どないと聞く。私達の様に力がなくとも、幼い時は自然に近い。子供の目には誤魔化しが効かないが、見たと言う話は聞かないぞ」
二人は怪訝に思いながらも小鳥を追い、今話していた森の奥深くに分け入って行く。貴彬の守りがなければ入ることがなかった場所だろう。そして、貴彬の札がなければ辿り着けないだろう場所だ。
夜の帳の中を移動し、何時の間にやら夜は明けていた。深い木々は太陽の光を遮り薄暗くはあったが、雪そのものは深くない。季節的に草木の葉は少ないが、それでも、陽の光が入りにくい。それは即ち、人が入り込むのは危険な場所だと言うことだ。
「……何をしに来た?」
耳を掠めた声に、二人は馬を止めた。辺りを見渡し、ある一点を二人は見詰める。そこに居たのは二人の男。その二人の周りを貴彬の札が舞っている。
「……これはあの男の術か?」
「本当に厄介事が羽根を生えてお前の元に集まってくるな」
喉の奥で笑っているのは、煌びやかな毛色の男だった。二人は芙蓉を知っている。そして、九尾の持つ独特の雰囲気も分かっていた。目の前にいるのは白髪の男と金髪の男。馨と葵が聞いていたのは白狐の九尾狐だけだ。
「答えてもらおうか」
白髪の男が二人を威嚇する。隠すことのないあからさまな敵意だ。人に関心を示さない妖は縄張りを侵す人間に容赦ない。馨はゆっくりと馬から降りる。それに倣うように葵も続いた。もし、危険な妖ならば馬が暴れるだろう。だが、二人が騎乗して来た馬は落ち着いている。
「帝の勅命を持って白狐九尾狐に会いに来た。貴彬から託された札を頼りに」
馨が放った言葉に、白髪の男は深い溜め息を吐き出した。
「あの二人は疫病神か? それとも、俺が好き好んで厄介事の処理をしているとでも勘違いしているのか?」
白髪の男が諦めたような声音で吐き捨てた。
「要件は? 事によれば無事に返してやるわけにはいかない」
その脅しは言葉としてだけの脅しではない。気配があからさまに変わったからだ。
「白狐九尾狐の千樹。間違えないか?」
白髪の男は驚いたように目を見開いた。名は全てを決める厄介なものだ。それを人間が知っていた事に驚いたのだ。
「芙蓉か?」
白髪の男の問いに、二人はゆっくりと頷いた。
泉の結界に近付く人間の気配に、千樹は出て来た。その時、酒を夜明け近くまで一緒に呑んでいた灯璃も付いて来たのだ。
目の前にいるのは人間の二人の男。着ている物や雰囲気で貴族だろう事を察するのは容易だ。
「敵意を持ってないなら、名を渡せるな。其方は勝手に名を奪った」
千樹の言葉に二人は頷く。芙蓉から千樹が用心深い性格である事を聞いていたからだ。
「私は馨だ」
馨は素直に名を差し出す。それを確認した千樹が、葵に視線を移す。
「葵だ」
「偽りないか?」
「間違いないだろうな」
疑いの声を上げた千樹に灯璃が二人の代わりに肯定した。
「左大臣家の嫡男と内大臣家の嫡男だ。何時も帝の厄介事の処理を任されてる。正に人間版千樹みたいな奴等だよ」
灯璃の物言いに、今度は二人が目を見開く。目的の千樹が知っているならまだしも、帝すら情報を持っていない存在が二人を知っているからだ。
「何を驚いているんだ。チビ関係で火の粉が降りかかるのを防ぐには情報が必要だ。俺は千樹の指示で調べたに過ぎない。知ったところで何一つ利益はないからな」
灯璃はあからさまに肩を竦めてみせる。
「それに、もし情報を利用するなら、本人達の前で千樹に言うわけなかろうが」
「それくらいにしろ。来たという事は、あの子の事か?」
千樹はあえて、あの子、と言った。前の瑞稀と言うには抵抗がある。かと言って、新たに与えた名を使うのは玉響にとって危険だからだ。千樹は不意に辺りを見渡す。神経に障る何かの視線を感じる。だが、森の奥には入ってこられないようだ。このまま話すのは問題を更に増やす。
「付いて来い。その馬も一緒だ」
「結界内に入れるのか?」
灯璃の疑問に千樹は頷く。桜のおかげで森には入ってこられない様だが、嫌な感じを受けたのだ。おそらく、二人は誰の目にも触れない様に夜の闇の中移動したのだろう。身につけている物も華やかなものではない。
「何者かが探りを入れようとしている。その情報はないのか」
「あるな。三方の術者がチビを手に入れようとしている。それだけじゃない。妖、神、魔、全部だな」
灯璃が酒を呑みながら話していたのはもしもの話ではなかったのだ。千樹には可能性がある話として言っていたにも関わらず。
「どうして黙っていた!」
「お前の結界内にいれば問題ないからだ。もし、下手に知るとそこから綻びが生まれる」
灯璃はそう言うと、先に泉の中に姿を消した。
「その泉に入るのか?」
馨が不安気に千樹に問い掛けた。
「仕方ないからな。俺と一緒に入れば単なるまやかしの水に過ぎない」
そう言うと、千樹は容赦なく二人を馬ごと泉に突き落とした。当然、二人は慌てたが、既に体が泉に向かって沈んで行った後だ。冷たいと感じることもなく。いきなり尻餅をついた二人は、慌てて上空を仰ぎ見た。よくよく、観察すると二頭の馬は木に手綱を括り付けられている。その場でのんびりと草を食んでいる姿を確認すると、やっと立ち上がる。
「正気に戻ったか? ついて来い」
千樹はさっさと歩いて行ってしまう。目の前にある屋敷は人間が使うものと変わらない。いや、それ以上の造りだった。素直に後をついて行き、案内されたのは東側の部屋だ。畳の上に座る様に言われる。其処には既に灯璃が簀子の上でだらしない姿で座って待っていた。
「帝の勅命とやらを聞こうか。言っておくが、俺に勅命など効力はないぞ」
千樹は不機嫌を隠しもせず言い切った。
馨と葵が千樹に話した内容はこうだ。
帝は貴彬から玉響について詳しく聞いたのだと言う。その席に馨と葵も同席していたのである。
芙蓉が黒狐の九尾狐である事は、最初の頃から知らされていたらしい。勿論、芙蓉本人にも会っていた。妖と聞くと禍々しい印象を受けるが、それは、都や人間を襲う妖がいる為だ。芙蓉は普通の妖ではなかった。都の結界強化を手伝う程、変わった妖だったのだ。
そんな二人の間に玉響が生まれた。生まれる前から、何かと末弟を煙たがっていた長兄が何やら画策している事を、貴彬は知ってしまったのだ。
「貴彬が芙蓉と通じた事を理由に、長兄が帝に進言してきました。都を脅かす逆賊だと」
だが、帝は貴彬と芙蓉に会っていた。その様な事を考えるなどまず考えられなかった。その後すぐ、貴彬がこっそりと帝に会いに来たのだ。清涼殿の女官は馨と葵、貴彬が勝手に入る事を黙認している。それは帝に命令されているからだ。女官達も三人が帝から秘密裏に命令されている事を知っていた事もある。
「瑞稀が普通の子供ではなく、何方の性も持ち、精霊をも従える能力を持っています。それを聞いた主上は貴彬が何を言いたいのか分かったそうです。瑞稀は問題しか起こさない。不思議な力と不思議な体を持つ。それは人の世では災いになりかねない」
貴彬も芙蓉も、玉響が生まれた時に気が付いた様だった。だから、長兄が動く前に玉響を逃し、二人は囮になったのだ。西の門の結界が脆弱になる事も帝は知っており、秘密裏に対策も取っていた。思ったより混乱を招かなかったのはその為だったのだ。貴彬が護っていた西の護りを、貴彬自身が破壊する事も承知していた。
「それで、帝は何を命令したんだ」
千樹は興味無さ気に問い掛ける。
「回りくどい言い方は無しだ。時間をかけるだけ無駄だからな」
馨と葵は千樹の言葉に頷く。
「瑞稀を守ってもらいたいと。人からも神からも魔からも。勿論、妖からも」
千樹は目を細めた。つまり、帝は玉響の存在が手に余っているのだ。全てから玉響を守るのは実質難しい。そして、都に害をなす者が玉響の力を利用しようと画策することも考えられた。
「無能じゃ無さそうだな」
千樹の物言いに、二人は異を唱えなかった。それは、千樹が人の世の理の中で生きていないからだ。
「言われなくてもそうするつもりだ。あの子本人も此処に居ると言っているからな」
千樹は一旦言葉を切る。
「で、来たのはあの子のことだけじゃないだろう?」
帝が直々に動いている。それだけ、今回の事が大変な事態だと分かっているからだ。
「二人の体は何処です?」
玉響だけではなく、術者達は二人の体も探している。それは生死の確認だけではなく、術の媒介として利用する為だ。
「知ってどうする気だ」
千樹にしてみれば、帝に対して信用する要素がない。
「それに、あの子に会いたがっていたんじゃないのか」
「確かに。だが、今会うのは危険過ぎます。特に帝は行動的な方なので、動けば確実に後をつけられるでしょう」
「それはお前達もじゃないのか」
「否定しません。ただ……」
「お前達は家柄が政敵同士だ。まず、一緒に行動している事が納得出来ないな」
背後から灯璃が口を挟む。其処には何時の間にか二匹の黒毛の妖狐が馨と葵を凝視していた。千樹は二匹が玉響のそばを離れるのは珍しいと感じたが、一匹が特に二人を見詰めていた。
「教えたいのか?」
千樹が馨と葵にではなく、二匹の妖狐に呼びかけた事に、二人は驚いた様に二匹の妖狐に視線を向けた。魂を移し替えた。当然、過去の記憶など持ち合わせていないだろう。それでも、玉響の元を離れ此処に現れたのだ。
「だかな。利用しないと言い切れるか」
嘆息したのは灯璃だ。二人の体を運んだのは灯璃であり、芙蓉だけではなく貴彬の体も強い力の塊だった。
「体は強い力の塊。使い方で凶器にもなり得る。躍起になって探し回ってるのは朝廷だけではないだろう。力を持つ術者は利用する為に得たいと考えている」
灯璃のあからさまな疑いの目に、馨と葵は苦笑いを漏らす。
「私達が知りたいのは何処に居るのか? ですよ。帝は不思議な力に依存するのを嫌いますので」
「まあ、変わった帝だとは聞いたけどな」
灯璃は呆れたように肩を竦めた。
「つまり、知っておきたいが、手に入れ利用する気は全くない、そう言う事か」
「そうです。全く知らないのは不安でしかありません。安全であり、誰の手にも落ちる可能性が限りなく低い場所。その場所で守られて居るのなら、私達はそれ以上、介入する事はありません」
千樹の問いに馨はきっぱりと言い切った。千樹は少しの時間思案し、諦めたように息を吐き出した。
「分かった。ついて来い」
千樹は腰を上げ、奥の部屋に行くべく襖を開け、簀子の上を歩き始めた。馨と葵は後を追い、灯璃と二匹の妖狐も後を付いて行く。
北側の部屋に位置する庭に降りると、ある場所で千樹は足を止めた。そこにあるのは小さな植物の若芽だ。馨と葵の二人は千樹の視線の先を確認し首を捻る。だが、よくよく観察してみると、土が一度、掘り返された痕跡があった。
「此処に居るのですか?」
「そうだ。一時的に埋葬したが、お節介の桜のせいで移せなくなった」
「桜?」
葵は疑問をそのまま口に出した。
「そうだ。その桜のせいで、厄介な事になっている」
「問題とは?」
千樹が不機嫌に吐き捨てた問題に、馨と葵は顔を見合わせた。
「体はこの場所にあるが、魂は其奴等の中だ」
千樹はちらりと付いてきた二匹の妖狐に視線を向ける。当然、馨と葵は驚きに二匹の妖狐を視界に納めた。
「どう言う事です?」
「どうもこうも、あの子に憑いている四精霊と、俺達が幼い時から懇意にしている齢千歳の桜が、あの子の願いを叶えたんだよ」
千樹はあからさまに肩を竦めてみせた。正確には玉響が輪廻の先で両親に会いたい、だったのだが、四精霊と桜は捻じ曲げて解釈してしまったのだ。
「つまり……」
「芙蓉は元々妖だ。輪廻の輪など関係ないが、父親の方は確実に人としての輪廻から外れた。本人達はどう言う考えであったのかは知らないが、厄介な事に変わりない」
千樹は腕を組むと、諦めたように言葉を吐き出す。
「この場所は元々強い力で護られている事は貴彬に聞いている。芙蓉の意識をこの場所に導くのに複雑な術を使ったと言っていたからな」
「やはりか。簡単に入ってきたからな。しかも、術を使っている俺に全く負担をかけない鮮やかなモノだ」
芙蓉ならば簡単に入れる。だが、体から魂が離れていれば話は別だ。いくら知っており、懇意にしている妖だろうと術はその魂を弾き出す。
「見ての通り、桜の若芽が二人の体を守っている。此処から動かす事は実質無理だ。連動した桜が何をしでかすか分かったもんじゃない」
千樹の言葉に馨と葵は頷いた。千樹の結界内に居るだけでも奪われる確率は低いが、強固な力が更に護りを固めて居る。問題は魂が新たな器を得ている点だ。もし知られれば、更なる問題になりかねない。
「その妖狐は記憶を持っているのか?」
葵の問いに千樹は視線を向ける。
「普通に考えてないと思っていた方がいい。ただ、知っていたような気がする程度だろう」
「どうして我々の前に現れたと思いますか?」
馨の問いに千樹は思案する。多分、記憶そのものはないだろう。だが、何かを感じていて、二人の前に来たのだ。何故なら玉響から離れるのは千樹が側にいる時だけだからだ。
「強いて言えば感、だろうな」
千樹は簡潔に一言告げた。
⌘⌘⌘
頗梨に勉強をみてもらっていた玉響だが、屋敷内の空気が変わった事に気がついた。書物に向けていた視線を上げ、辺りを見渡す。その玉響の行動に頗梨が怪訝な表情を見せた。
「どうかなさったのですか?」
「うん。空気が少し変わったから。それに……」
さっきまで側にいた二匹の妖狐が居ない。
「あの子達が居ません」
「あの子達?」
玉響が言わんとしている事に気が付いた頗梨が、辺りを見渡す。確かに、何時も側にいる妖狐達が居ない。
「何かあったのでしょうか」
「分からないですけど……」
そこまで口にした玉響だったが、この屋敷で感じたことのない気配に気が付く。その気配は玉響が感じた事のある者だった。
「……どうして、馨様と葵様の気配があるんでしょう?」
玉響は怪訝な表情で頗梨に問い掛ける。頗梨はと言えば、いきなり聞いたこともない名前を上げられ困惑気味だ。
「お知り合いですか?」
「うん。父上の幼馴染みで仕事仲間で、尻拭いをしてくれる人達」
頗梨は玉響の言った言葉に思考が停止した。幼馴染みと仕事仲間は問題ない。否、この場所で感じていること自体は問題だが、尻拭いをしてくれる、とはどう言う意味だろうか。
「玉響様、申し訳ないのですが、尻拭い、とは?」
「父上って、人騒がせな人だったみたい。母上も結構、お二人を困らせて居たみたいだし。ほら、母上って人と同じようなことが出来なくて。貴族の女の人って人前に出ないものなんでしょう?」
頗梨は玉響の発言に頭を抱えた。つまり、玉響がやたらと大人しいのは、両親のとんでもない行動を見ていた反動なのだろう。玉響が何かを仕出かす前に、両親が何かをやらかすのだ。
「あの……」
「気になるのですね?」
「はい」
「では、遠慮なさらず、千樹様を困らせて下さい」
玉響は頗梨の言葉に目を瞬く。
「千樹様の元に居るおつもりなら、困らせてしまって下さい。口では文句を言いますが、嬉しいんですから」
頗梨はそう言うと玉響を西の部屋から追い出した。背後で襖の閉まる音を聞きながら、玉響は困惑する。困らせるなど考えた事もないのだ。しかし、部屋は追い出されてしまった。気配の事も気になる玉響は、結局、好奇心に負けた。普段は足を踏み入れない北の部屋へと向かう。屋敷内で働いている妖に咎められる事もなく、すんなりと北の部屋へと辿り着いた。
部屋の造りは西の部屋と変わらない。ただ、調度品の一つもない部屋は寒々としていた。綺麗になっているのは掃除が行き届いているからだ。室内を見渡しても誰も居なかった。気配があるのは更に北側。つまり、庭なのだと気が付いた。ゆっくり襖を開けると、庭先に四つの姿を見る事が出来た。灯璃の足元には二匹の幼い妖狐。その隣に公達の装いの男が二人。そしてその前に千樹の姿が見える。
玉響はこの時、千樹の足元に感じるモノに目を見開いた。両親の亡骸について、全く知らされて居なかったからだ。魂が幼い妖狐の中に息衝いていると知った時、体は無くなったのだと思っていたのだ。
「……どうして」
千樹はどうして玉響に両親の亡骸の事を知らせなかったのだろうか。二匹の妖狐が居るからと、教えてはもらえなかったのだろうか。未だに返してもらえない首飾りも気になる事は沢山ある。
「どうした?」
いきなり掛けられた声に、玉響は固まった。千樹は玉響を咎める事はなく、ただ問い掛け、視線を向けていた。当然、其処に居る者達が玉響に視線を向けていた。訊きたい事は沢山ある。でも、それよりも気になったのは……。
「どうして、父上と母上の亡骸がある事を教えてくれなかったのですか?」
玉響は泣きそうになりながら、それでも千樹に問いかけた。
玉響の問いに、千樹は眉を顰めた。知らせなかったのは、まだ、玉響の体調が戻っていなかったからだ。
「落ち着いたら話そうと思っていた」
躊躇うことなく返ってきた答えに、玉響はキュッと唇を噛み締めた。我儘を言ってはいけない事は分かっている。いくら頗梨に何を言われようと、玉響にしてみればこの場所は安息の場所だ。失えばどうなるかなど考えなくとも分かっていた。
両親は実質、都に刃を向けた罪人だ。たとえ、帝が了承していた事だとはいえ、幼い子供である玉響に、詳しく分かる筈もない。ましてや、真実を目で確認し、それを処理する事さえ難しいのだ。
きつく唇を引き結んだ玉響に、千樹は小さく息を吐き出す。我慢させていた事は理解していたし、甘える事を玉響はしてこない。聞き分けのいいその姿は確かに、大人にしてみれば都合がいいだろう。
両親の死を目の前にしても泣き叫ぶ事はなかった。それは、言い換えればまだ、何一つ、消化していない証拠だ。泣けないのは、現実を認めていないからに他ならない。
「此方に来い」
千樹は玉響を促す。玉響は少し躊躇い、庭に降りると千樹の元までゆっくりと歩み寄る。玉響にしてみれば、大人の中に入って行く事になる。緊張するのは仕方のない事だ。
「……あの」
玉響は馨と葵を見上げる。両親が迷惑をかけていた事は知っていた。几帳越しだったが、貴彬に文句を言っている言葉を耳にしていた。頗梨に言った事に間違いはないのだ。
「久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
馨はそう言うと、玉響の頭に手を乗せた。玉響は慌てて、二人に頭を下げる。
「両親がご迷惑をお掛けしました」
芙蓉が貴彬と自分の問題だと言ったが、結局、目の前の二人に面倒事を押し付けたのだ。
「ああ、気にするな。こうなる事は予測済みだ」
葵は苦笑いを浮かべる。玉響は一度、頭を上げ更にもう一度、頭を下げた。そして、顔を上げ千樹に視線を向ける。
「言わなくても分かるな?」
「はい」
玉響は返事をすると、千樹の隣に並んだ。冷たい土の中にあるのは、間違いなく両親の亡骸だ。強い力が宿っている事も感じることが出来る。
「仮に埋葬したのだが……」
千樹は言葉を濁す。ほとぼりが冷めた頃、遺体は移動する予定だったのだ。
「あの若芽ですか?」
「そうだ」
「山奥の桜と繋がっているんですか?」
玉響の言葉に千樹は頷く。桜は二人の亡骸に利用価値があると見抜いたのだ。下手な場所に埋葬してしまうと、後々、面倒な事になる。千樹が一時的に棲家としている結界内に埋葬すると踏んでいた。だから、埋葬した頃合いで干渉してきたのだ。
「繋がっているな。そのお陰か、俺の結界の効力が森全体に拡大した。良くないモノは森にすら入り込めん」
「でも、お二人は……」
「お前の父親の札で此処まで導かれたのだろう。そうなれば、桜は通すだろうし、俺に害がなければ弾かれる事もない。それに、お前の父親の力はかなりのものだ。俺に弾かれないように何かしらの手を打っていたと考えられる」
千樹はそう言うと、馨と葵に視線を向ける。
「帝が求めているのは亡骸が利用されない事と、玉響が攫われないという確証だろう」
「そうです」
「目的は達したな?」
「いいえ。もう一つ、確かな確証が欲しいので」
馨は嫌な笑みを千樹に向けた。その表情に灯璃は瞳を輝かせる。葵は気が付いたように頷き、幼い妖狐達は行儀良くお座りしている。玉響は急に変わった空気に大人達の顔色を伺う。
「それで婚礼は何時でしょうか? 芙蓉から聞いていますので」
馨の言葉に千樹は体の力が抜ける。芙蓉はどんな入れ知恵をこの二人にしたのだろうか。葵が否定してこないのは聞いていた事柄だからだ。
「勘弁してくれ」
千樹は疲れたように吐き出した。
「そう言うわけにはいきませんので」
馨の表情は変わらない。どうあっても、押し切る気満々だ。
「まず、元服に達してないだろう」
「そうですが、同時に婚礼を」
千樹は更に疲れを滲ませる。
「妖は人とは違います。相手となったものを横から攫われるのを嫌う」
葵は低い声音で告げる。千樹は二人の言動に思考を働かせた。芙蓉に入れ知恵をされただけではないだろう。玉響は変わった力の持ち主だ。はっきり害がないと分かる者に託さなくては、後々災いの種にしかならない。
芙蓉が妖であり、何より、千樹をよく知っている。変わり者の九尾狐が信頼する九尾狐。その妖力は芙蓉をも凌ぐ。更に、二人の亡骸の上には妖並みの力を持つ桜の若芽が芽生えている。この場所の結界は閉鎖的な程、強固なものだ。
千樹は二人を観察する。人が持つ霊力すら感じない、つまりは普通の人間。だが、感覚が普通の人のそれではない。
「灯璃」
千樹は灯璃に視線を向けた。
「この二人の情報をよこせ」
灯璃は千樹の問いに口角を上げた。千樹が用心深いことを知る妖は多い。その千樹が本当の意味で信用しているのは灯璃と芙蓉だ。芙蓉の口利きがあったのだろうが、直ぐに信用する訳にもいかない。玉響を手元に置くことに異議がある訳ではないが、其れが切っ掛けで朝廷と手を取り合うつもりはない。
「帝と幼少期を過ごした奴等だ。まあ、本当の意味で最後までついて行けたのは其奴だけだが」
灯璃は馨を軽く指差す。
「あのっ」
玉響は千樹の衣にしがみ付いた。其れに驚いたのは何も千樹だけではない。
「お二人は信用出来ます! よく、父上と母上の尻拭いをして下さいました!」
玉響は千樹を見上げ、必死で訴える。千樹はその言葉に固まった。そして、ぎこちない動きで二人を見た。
「何?」
「母上だけでも厄介なのに、父上はその上をいっていたので。本当に申し訳なくて」
幼い子供が両親に対して抱くものではない。玉響の両親が破天荒であることは何となくだが理解出来る。何せ、母親の芙蓉は千樹を困らせる天才だった。灯璃と二人して千樹に手を焼かせたのだ。其れを上回る貴彬とはどんな人物だったのか。霊力が強いことも、何より、複雑な術すら軽々とこなしていたのだろう。そんな人物が野心を持たないとは考えられない。
「つまり、今回の事件の発端は確実に……」
「貴彬のせいでしょう。いくら揉み消したとしても、消し切れるものではありませんから」
「一族は?」
「都に居なかった者達については、身分と領地の剥奪です。とは言っても、陰陽師としての能力は然程のものではありません。都の惨事は風の如く駆け抜けて行きましたから、抵抗一つありませんでしたよ」
馨はにこやかに、軽い口調で言い切った。だが、葵に視線を向ければ、そうではないと言い切れる。千樹はどんな手を使って黙らせたのか、聞きたくもなかった。
「まあ、俺に害さえもたらさなければ、気にもしないが」
「その事ですが、帝がどうしても、お二人の婚礼に出席したいと」
これには千樹だけではなく、玉響も大きく目を見開く。千樹は蒸し返された話題に胃がキリキリと痛みを訴えた。
「貴方は二人の亡骸を利用しない。其れは会えば分かります。ですから、妖とは言え、都に蔓延る魑魅魍魎並みの貴族達より、信頼に足る存在です。だからこそ、此方の言い分を少しばかり汲んで頂きたいのです」
灯璃は人間に感心する事はないのだが、馨の切り返しと頭の回転の速さに、面白そうに顔を輝かせた。其れを視界の端に収めた千樹は、更に胃が痛みを訴える。
「あの、僕はこの場所に置いて頂けるだけで……」
「瑞稀。其れでは駄目なんですよ。両親を見て居たなら分かりますね」
馨にそう言われ、玉響は口を噤むしかなかった。
馨が玉響に言った一言が、千樹は気になった。玉響がただ、この結界内にいるだけでは駄目なのだと、遠回しに言っているのだ。
「芙蓉も最初はただ、貴彬の側に居られるだけで良いと言っていた」
貴彬は芙蓉を帝に会わせた。それは、もし、帝の意向で花嫁を選ばれでもしたら大変だと知っていたからだ。
「もし、芙蓉が人であれば問題はなかった。本人の意見を尊重したでしょう」
芙蓉が妖である事実はどうやっても覆ることはない。千年を超え生きている、神にも近い妖だ。二人が帝と共に会った芙蓉は美しかった。流れる黒髪と黒い瞳。額に浮かび上がる赤い模様。狐だと言うこともあるのか、目は鋭い一重だったが、敵意は微塵もなかった。
「帝も貴彬と芙蓉の事を咎める事も反対もしなかった。だが、他の貴族共は違う」
葵は千樹を鋭く睨み付ける。
「都は四つの能力者に護られています。言い換えるなら、四つの力は拮抗し何とか崩れる事を免れています」
「……だが、それも今回の事件で崩れたか?」
馨の言葉の後に、千樹は探る様に言葉を発する。
「そうです。そして、妖を妻に娶り子をなした貴彬の血は特異なのです。妖も高位ともなれば簡単に子は成せない。更に生まれた子は都の者達が噂をする程に特殊な存在です。帝が貴彬に忠告した様に、誰かに横槍を入れられる前に手を出せない状態にしなくてはいけないのです」
馨の言っている事は理解出来る。つまりは不安の芽を最初から育てない様にしたいのだろう。今の話で、芙蓉は妻となるのではなく、側にいる事を望んだのだろう。だが、下手な事をすれば災いばかりが降りかかる。それを未然に防ぐために、貴彬は芙蓉を妻としたのだ。
周りからの反対もあっただろう。妖は人に歓迎されない事も多い。妖は人に害をなす、そう考える者が大多数だ。高位になればなる程、人と関わる事を嫌うのが妖という者だ。稀に野心を持つ妖もいるが、それはあくまで一握りに過ぎない。
「その誰かはもしや、今回の首謀者か?」
「その限りではありません。東西南北、全ての術者が芙蓉を狙いましたよ。特に神職者は稲荷神として狐を祀っています」
「陰陽師は使役しようとしたのか?」
「そうでしょう。だが、芙蓉はあくまで貴彬を、気に入っているのであって、その他など論外なのです」
それを黙らせる為に芙蓉は貴彬の妻となった。妻となり夫が護っている結界の強化に手を貸した。もし、何かが貴彬と芙蓉に起こった時、結界は大打撃を受けるのだ。
「つまり、帝は最初からこうなると予測していたな?」
「そうでしょうね。あの方は人間離れしています。良い意味でですが」
玉響が特殊に生まれつくのは完全に運だ。何方の血も発現せず、全く能力がなく生まれつくのが殆どだろう。だが、幸か不幸か玉響は二人の血を素直に受け継いだ。それも、誰もが持ち得ない力だ。精霊を従える。それは、言い換えるなら気象すら手中に収める事と同等だからだ。
「確かに、普通に考えるなら瑞稀を手元に置き、貴族達を牽制すればよいでしょう。だが、逆に考えれば災いの種を手中に収め自滅する可能性もある」
千樹は視線を玉響に向けた。玉響はその言葉に唇を噛み締めている。千樹の衣を固く握り締め、感情を押し殺している。そんな玉響に二匹の妖狐は寄って来て擦り付いて来た。
「少し考えさせてくれ」
「ですがっ!」
「この子の気持ちを考えてくれないか? 両親を亡くしたばかりだ。それに、本当の意味で泣いてもいない」
千樹の言葉に二人は目を見開いた。玉響が泣いていないと言うことは、現実を受け入れていない証拠だからだ。
千樹は馨と葵に玉響が成人するまで、身の振り方は保留だと言い切った。確かに貴族の子だが、今の玉響にその身分はない。千樹の元に居るという事は、人との柵は一切ないと言い切った。
だが、それで引き下がらない事も千樹は分かっていた。接触してしまった以上、関わらないとは言い切れない。そこで、千樹は玉響に渡す首飾りを作る時に、多めに作ってあった勾玉を放った。作ったが、宿る力が弱かったのだ。
その勾玉を水に浸し、桜の枝で水を打てば連絡が取れると馨に渡したのだ。千樹の住処は泉の底にある。桜の枝は勝手に根付いた桜の若芽と繋がる。勾玉は山奥の桜に繋がる小川の上流から採集したものだ。繋がりが強い。そして、勾玉に千樹の妖力を込める事で繋がりが出来るのだ。
「随分と気を許したもんだ」
面白そうにその光景を眺めていた灯璃が喉の奥で笑う。千樹はと言えば不機嫌も露わだ。
「此奴等が引き下がると思うか?」
千樹は馨と葵を睨み付け、直ぐに視線を灯璃に戻した。
「引き下がらないだろうな。何せ、曲者帝の手足だ。違うか。貧乏くじを当たり前のように引かされる、気の毒な連中だ」
灯璃の言葉に脱力したのは馨と葵だ。妖である灯璃にすら、帝から投げつけられる無理難題は貧乏くじだと評価されている。その事実が、脱力感となって二人を襲った。
「その勾玉を帝に渡すな。此方にまで面倒なことを当然のように押し付けそうだからな」
千樹は腕を組み、うんざりと言った様子で言葉を吐き出す。
「この子の身の振りはこの子自身が決める。人間だろうが妖だろうが。まかり間違えて神が出てこようが、本人の意思が第一だ」
「分かりました。ですが、分かっていますね」
「ああ。ちょっかいをかけて来る奴等には、それなりに報いは受けてもらう。それが神でもな」
神は気紛れだ。気紛れゆえに読めない。ただ、玉響は神々にとって魅力的な存在だろう。何故なら、妖と人の特徴を持ち、体には二つの性が息付く。神は言い方は悪いが実験しようとするだろう。それに、機嫌でも損ねようものなら、何を仕出かすか分からない空恐ろしさもある。
「忠告だが、術者達に下手に関わるなと遠回しでもいいから言うんだな」
霊力を持つ者は変に過信することがある。普通の力を持たない人間と、長い時を生きている妖を同等に扱うのだ。それで痛い目にあってる者もいるだろう。だが、千樹はその辺にいる妖とは違うのだ。
「今まで黙っていたが、変にちょっかいをかけて来るようなら考えがある。この森は俺の縄張りだ。それを侵すようなら、それなりに対策を取らせてもらう」
「その方がいいでしょう。痛い目を見なければ彼等は気が付きませんので。何なら、先手を打たれてはどうです。帝には此方から説明しますので、どうぞ、存分に」
馨は食えない笑みを千樹に向け言い切る。
「口の説明で収まるのなら、こんな事にはなっていません。全く聞く耳を持たないから、悪循環を生むのです」
馨の横で葵が大きく頷く。
「貴彬と芙蓉の体を求めるのも、瑞稀を手中に収めようとするのも、言い換えるなら力を得たい為です。その力で帝を意のままに操り、政を自分の良い方にと考えています」
「そんな事を俺に話してもいいのか? 俺が何かをするとは考えないのか?」
「それはないでしょう。芙蓉がそう言っていましたし、何より、これまでの話で察する事は可能。貴方は余程でなければ表立って出ては来ない。これだけの力を持っていても」
千樹は馨を観察する。見た目は綺麗な顔をした、線の細い貴族の青年だ。だが、その頭の中は見た目とはかなり違う。その恐ろしさは今、対峙している事で知る事は可能だ。千樹は諦めたように息を吐き出した。
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