4 / 12
參章
しおりを挟む
自分の意思で残る事を決めた玉響は、遠慮がちだった態度が少しずつ変わり始めた。しかしまだ、外に出すわけにはいかない。表立って何かをしてくるとは思えないが、見えない部分で何かしら仕掛けられれば、此方が不利な材料を与えることになるからだ。
千樹は芙蓉から、何処に居るかを訊き出しはしたが、その場所に行けない。もどかしい時間ばかりが過ぎる。桜は芙蓉を気に入っていた。何より四精霊が何かしらしているだろうことは、漠然とはしていたが分かっていた。二人の気配そのものがなくなったという事は、魂が体から離れた証拠だ。
千樹がそんな事を考えながらある一室に入った。そして、視界に広がった光景に思わず思考が停止した。確かに、季節毎に反物の中から新たに着物を仕立てるが、その反物が室内を占領していた。その中心にいるのは頗梨と玉響だ。
「こちらなど如何ですか?」
「……あの、皆さんの使われていたもので問題ないです」
「とんでもない。芙蓉様のお子様で、千樹様の花嫁となられるのですから、きちんとした物をお召しにならなくては」
そう言いながら頗梨が手にした反物は、男物ではない。まだ幼い為、柄は可愛らしいものが多いが、それでも女物だ。
「……あの、僕としては男物の方が……」
「何を言いますか?! 此れからは女物を身につけていただかなくては!」
頗梨は右手を握り、力の限り主張する。頗梨が玉響を気に入っている事を千樹は分かっていたが、無理強いは問題外だ。
「おい。本人の好きな物で仕立てたらどうだ?」
千樹は堪り兼ね口を出す。玉響は元々、男として育てられた。其れをいきなり変えることなど無理だろう。何方の性も持っているとはいえ、本人は男としての意識の方が強い。
「何を言うんです! 芙蓉様もおっしゃられていたではないですか!」
「まあ、確かに言っていたが、其れは芙蓉の意見であって玉響の意見ではないだろう」
頗梨はキッと千樹を睨み付け、鮮やかな反物を片手に突進して来る。反物を千樹の鼻先に突き付け、睨み付けてきた。
「いいですか。千樹様は芙蓉様のように外に出ることがなく、ましてや、同族の方々にも興味を示してくださらない。屋敷の者達も心配してるんです!」
「別に妻など娶らなくても、問題……」
「あります! 玉響様程の方を見付けるのはこの先、どれ程の時が経っても巡り会えませんよ! 灯璃様がしゃしゃり出てきたらどうされるつもりです!」
「そんなものは本人次第……」
「冗談ではありません!」
千樹にしてみれば、頗梨が玉響を気に入ったのなら、彼が娶ればよいのではないか? と言いたくなる。しかし、千樹は頗梨の迫力に口を噤むしかない。もし、そんなことを口にすれば、更なる言霊を吐き出す。ただ叫んでいるだけならよいが、言葉そのものに力を込めているから質が悪い。
「頗梨さん。僕、この反物がいいです」
玉響が千樹の窮地を察し、助け舟を出してくれた。まだ、問題が解決したわけではない。千樹はだだでさえ疲れているのに、別の問題を振るなと脱力した。
千樹の窮地を救うためとは言え、玉響が選んだ反物は、男女どちらが身に付けてもおかしな柄ではなかった。頗梨はその反物を手にし、少し表情が引き攣った玉響に笑いかけていた。
千樹は泉の外を探っていた。森深いこの場所に、余程でなくては人は立ち入らない。あるのは森に住む獣や、害のない小物のあやかしばかりだ。
「千樹様」
襖が開き千樹の名を呼んだのは玉響だ。千樹は視線を向けると目を細めた。玉響は新しく仕立てた着物を身に付け、首には千樹が渡した勾玉の首飾りを掛けている。だが、勾玉の中に居るべき精霊達は居ない。
「どうした?」
「……父上と母上は?」
都に惨事が起こった日からかなり経つ。玉響が我慢していたことを千樹は気が付いていた。しかし、外の状況がはっきりと分からない以上、下手に動けない。だが、時を置けばそれだけ良くないことるも起こる。桜はありとあゆるモノから二人の体を護ってはいるだろう。だが、絶対とは言えない。
「会いたいか?」
千樹の問いに玉響は少し間を置き頷いた。
「今、結界の外に出れば危険が付きまとう。其れでも、会いに行きたいか?」
「分かってるんです。千樹様が動かないのは僕の為で、まだ、都は落ち着いていないから、何が起こるか分からない。其れでも……」
何時迄も、二人の体を放置する事は出来ない。それくらい、千樹は分かっている。灯璃も何度か言ってきている。強い妖力と霊力を持っていた二人だ。亡骸でも利用しようとする輩は現れる。陸でもないことになりかねない。
「覚悟はあるな?」
「はい」
「付いて来い」
千樹は立ち上がり、玉響を促した。四精霊はおそらく、二人の元に居る。頗梨に事情を説明したが、付いて来かねない勢いだ。千樹は其れを諭し、二人で泉の畔り立つ。泉の底は季節感そのものがない。揺蕩うように屋敷は存在して居る。
「もう、冬だったんですね」
「そうだな。寒くないか?」
「大丈夫です」
千樹は身を屈め玉響を左腕で抱き上げた。
「千樹様っ」
慌てて玉響は降りようとするが、千樹はそれを制する。
「大人しくしていろ。時間をかけずに桜の結界内に入りたい」
「桜の結界?」
「そうだ。芙蓉が神木と言っていたのは、ただの桜の樹ではない。ある意味、妖に近い」
「妖ですか?」
「そうだ」
千樹は玉響を片腕に抱き上げたまま、地を駆けた。この森にまだ、雪の気配はないが、桜の樹がある山奥はそうではない。
「……あの」
「黙っていろ。舌を噛む」
千樹は人目につかないように森の中を移動し、山をも一気に駆け上がる。地平より山の方が寒さが厳しい。其れでも、玉響は泣き言一つ言わなかった。山を幾つか越え、葉を落とした樹々が生えるその場所は、雪が降り積もっていた。谷になっているその場所は、人の足では到底たどり着けない場所だ。
「不思議な場所です」
ぽっかりと雪のない場所で玉響を降ろした。谷の上は冬の景色を写し寒々としているが、視界の先には季節外れの桜の花が咲き誇っていた。桜の持つ力が、この場所に春を告げている。
「相変わらず、自然を無視している」
千樹は誰に言うでもなく呟いた。桜の大樹は、微かに吹く風に枝を揺らし、淡い紅の花弁を散らしている。其の樹の根元に二つの姿が見える。白の狩衣を身に付け、烏帽子を被った男。目鼻立ちはすっきりとしていて、綺麗な顔立ちをしている。其の男の膝の上に頭を預けている黒毛の九尾。
玉響は其の姿を視界に収めた後、体が強張ったことがはっきりと感じられた。
千樹はゆっくりと桜の大樹に近付いた。桜の幹に体を預け凭れ掛かる男。千樹は傍に片膝をついて生死を確認した。触れた肌は暖かさを感じない。息もない。穏やかな顔は苦痛を感じたようには見えない。
男の投げ出された両足を枕代わりにしている黒毛の九尾。芙蓉もまた、息絶えている。そんな二人の体に桜の花弁が柔らかく降り積もっている。
「……千樹様……」
千樹が顔だけを玉響に向ければ、固まった体が小刻みに震えていた。分からなくもない。こうなると分かっていても、現実を突きつけられて納得出来るかと言われればそうでは無い。
千樹は玉響に来るように促した。躊躇いを見せた玉響だが、ゆっくりと近付いて来る。両親を視界に収めた玉響が唇を噛み締め、両目から涙が溢れ出た。
「分かってました……。こうなるって」
「そうだな。でも、泣く必要はない」
「どうしてですか?」
来た時は気が付かなかったが、桜がおかしな気配をさせている。何より、四精霊の気配を感じないことが不気味だった。二人の体は生命活動を停止させ、蘇生することは叶わないだろう。いくら、誰よりも強い力を持っていても、自然の摂理を覆すことは妖といえど無理だ。
「……?」
玉響が首を傾げ、辺りを見渡す。桜が強い風に煽られ、ハラハラと舞っていた花弁が密度を増す。渦を巻き、目を開けていられなくなった千樹は、咄嗟に玉響を抱き込んだ。
「ピギャ!」
その声に千樹は慌てて視線を向けた。二人の頭の上に柔らかい感触が落ちて来る。玉響も慌てて視線を上げ、四精霊を両手で掬い上げた。
「無事だったんだね」
四精霊が無事であった事は良いが、この花吹雪の中から出て来たことが問題だった。千樹は今まで感じたことのない力の渦に眉を顰める。
嫌な感じに千樹は慌てて玉響と共にその場を離れた。桜吹雪が渦を巻き、更に風が強さを増す。千樹は腕で顔を庇いつつ、花弁の渦を見詰めた。
「何かの影が見えます」
玉響は千樹に縋り付きながら、視線を外さない。一際、強い風が襲い掛かり、思わず二人は顔を背けた。ピギャピギャとした声が二人から離れて行く。千樹と玉響は風と花弁が落ち着いたのを見計らって、四精霊の声がする方に視線を向けた。
二人の視線の先には四精霊の姿と、黒毛の二匹の幼い狐だ。尻尾は一つだが、間違いなく妖狐だ。千樹はまさかと桜の根元に視線を向ければ、一人の男と黒毛九尾狐の姿は間違いなくある。
「……冗談だろう」
二匹の黒毛の妖狐は丸まり、気持ち良さ気に眠っている。
「千樹様……、あの子達は?」
四精霊が躊躇うことなく二匹に近付くと言うことは、悪い類のモノではない。
千樹は玉響を解放し、ゆっくりと近付くと二匹に触れた。桜の花弁がハラリと千樹と二匹の上に舞い降りる。
「……やってくれたな……」
千樹は二匹の上にいる四精霊を睨み付ける。桜の力だけではない。四精霊も手を貸した。最弱の力しか持たない四精霊でも、強い妖力を溜め込んだ桜と結託すれば、器を作ることなど容易いだろう。更なる問題を引き起こしたと言うのに、四精霊は得意気に千樹を見上げる。
「……少しは反省しろ……」
千樹は右手で額を覆い、溜め息を吐く事しか出来なかった。
反省のかけらもない四精霊は胸を張り、桜の大樹はどこか誇らし気だ。
「分かっているのか? 此れは輪廻を無視した行為なんだぞ」
千樹が諭すように言えば、四精霊は少しだけ、しゅん、としたようだった。
「全く、何をしでかすか分からない連中だな」
千樹がその声に視線を向ければ、玉響の横に灯璃が立っていた。玉響はいきなりの灯璃の登場に固まっている。どうやら、千樹が動いた事を察し、この場に現れたようだった。
「来たのか?」
「運ぶんだろう? このチビじゃ、運ぶどころか運んでやらないと、山の麓にも戻れないだろうが」
「……そうだが……」
灯璃はそう言うと、千樹の横まで移動して来た。跪き二匹の妖狐に視線を落とす。まだ、幼い妖狐だ。だが、この妖狐は普通の妖狐とは違う。一匹は妖独特の妖力を持っているが、一匹は妖力ではない。かと言って霊力でもない。言うなら、玉響の力と近い。
「桜も何を考えて、器を作ったんだろうな」
「芙蓉が望んだと思うか?」
千樹が灯璃にそう問えば、緩く首を横へ振った。
「違うだろうな。多分……」
灯璃はちらりと視線を後方へ流した。
「あのチビ絡みだろう。四精霊を身に宿しているあたりで、ただの童でないことは察しがつく。桜も何かを読み取ったんだろうし、四精霊が芙蓉について来た時に、望んだことを読み取って、まあ、行動に移したんだろうな」
灯璃の言っていることは間違えていないだろう。問題は、稀代の陰陽師が妖に転じたことだ。記憶そのものは持っていないだろうが、これが世間に知れれば、とんでもない事になる。都の破壊された部分の修復もまだ終わっていない状態だ。勿論、護りである結界を誰が担うのかも決まってはいない。
「二匹もだが、二人の亡骸も人の目に触れない場所に埋葬しないと、厄介の種だぞ」
「分かっている。俺の結界内の土地に、取り敢えず埋葬する。利用されれば、更なる厄介事を呼び寄せる」
亡くなっても、強い力を宿し続けた肉体は、其れだけで術の媒介になり得る。陸でもない事に使われでもしたら、取り返しがつかない。それが分からない程、千樹も愚かではない。
「お前達は住処に戻れ。分かるな?」
千樹は四精霊に少しきつい口調で言い切った。四精霊はピギャピギャと互いに何やら言い合い、玉響の首に掛かっている首飾りの勾玉の中に吸い込まれる。
「あれが住処か?」
「最初は玉響の体を住処にしていた。能力が低いから問題もなかったが、もし、力を付けたら玉響の体の負担になるからな」
千樹は玉響を呼び、二匹の幼い妖狐の側に来るよう告げた。二匹は玉響の両親の魂を宿しているだろう。だが、絶対に本人だとは言えない。何故なら、新たに体を与えられた時点で、前の生の柵から解放されるからだ。
「お前の両親はあの体から旅立った。分かるな?」
千樹が玉響に問えば小さく頷いた。
「そして、目の前の二匹の妖狐はお前の両親の魂を与えられた」
「え……」
「でも、忘れるな。本来の体から離れた魂は、新たに肉体を得ると前の記憶を喪う。稀にそうでない場合もあるが、お前が子供であった事を、この二匹は忘れている。それを踏まえて、どう考える?」
玉響は驚いたように千樹を見上げ、そして、二匹の幼い妖狐に視線を向ける。スヤスヤと眠る二匹の妖狐に手を伸ばし二匹の頭を撫でる。そして、玉響は戸惑うような笑みを見せた。
「……忘れてしまっていても、側に居たいです」
噛みしめるように言った玉響を、千樹と灯璃は静かに見詰める。起こってしまった事を、今更、如何する事も出来ないのだ。千樹と灯璃は玉響を見詰めた後、桜を見上げ同時に脱力したような息を吐き出した。
妖狐化した灯璃の背に一人の男と一匹の九尾を乗せた。玉響に二匹の妖狐を腕に抱いてもらう。千樹も妖狐化し背に玉響を乗せた。人型のままでもよかったのだが、やはり、速さという点では獣型の方が格段に速い。来た道を戻るが、更に寒さを増している。玉響のことは心配だが、千樹は仕方がないと先を急いだ。
急いで泉の結界に戻り、玉響と二匹の幼い妖狐を頗梨に託した。玉響は寒さに歯が噛み合っていないし、二匹の幼い妖狐は目を覚ましもしない。
千樹は灯璃に裏庭まで一人と一匹を運んでもらう。屋敷の北側の庭に歩を進め、その場所に灯璃は二人を横たえた。桜は芙蓉の願いを聞き届けたのだろう。その体に傷らしいものは見当たらない。
「芙蓉は最後までお前に迷惑をかけて逝ったな」
人型に転じた灯璃が苦笑いを浮かべつつ、そんな事を言った。
「全くだ」
千樹は妖力で大地に二人が入る穴を掘り埋葬した。おそらく、都では躍起になって遺体を探しているだろう。利用するしないに関わらず、生死の確認をする為に。
「如何する気だ。都の帝はチビに会わせろと言ってくるぞ」
「つまり、玉響が俺の元に居る事を帝は知っているのだな?」
「そうらしい。チビの父親が何かあった時の安全を考えたんだろうな」
二人で深刻な話をしているが、千樹には気になることが一つある。
「今更だが、チビとは玉響の事か?」
「他に誰がいる?」
「今は確かに幼いが、人の子供だ。直ぐに大人になる」
「いくら図体が大きくなったとしても、俺はチビって呼ぶぞ。人の一生など、俺達にしたら子供のまま死んでいくのと変わらないだろう」
灯璃の言っていることは間違い無いと思うが、芙蓉が聞いたら何を言うだろうか。
「芙蓉の事でも考えているのか? 芙蓉もチビになった。俺達の事も覚えてないだろう。気にするだけ無駄だ」
千樹は確かにそうだとは思ったが、灯璃の感覚は少しはばかり理解出来ない。
「玉響は今は人の成長をしているが、この先如何転ぶか分からないぞ」
「まあ、千樹がチビを娶れば状況は変わるだろうな。元々、半々の血だ。人と同じ成長をしているのは、人と生活していた関係もあるだろう」
「……今、其れを言うのか?」
「芙蓉は其のつもりだったんじゃないのか? チビがどんな秘密を持ってるのかは知らないが、本当に知っているのは両親と……」
灯璃はスッと目を細め、千樹を射抜く。
「お前だけだろう。まあ、頗梨も知っているかもしれないが」
其の通りだっだ。其の秘密が玉響を人の世に返せない理由だ。
「察しが良すぎだ」
「伊達に千樹と芙蓉の幼馴染みじゃない。其れに詮索するつもりもない。此れから如何するかは千樹とチビの問題だ。協力はしてやるが」
「其れは助かるが」
ハラリと舞い落ちて来た花弁に千樹と灯璃は目を見開き、互いに視線を向けた。
「お節介な桜だ」
「全くだ」
花弁が埋葬した大地に舞い降りる。淡い光を灯し、其処には小さな双葉が芽吹いていた。
「更に結界を強めたな」
灯璃の言葉に千樹は頷いた。
当分は目立った動きもないだろう、と灯璃は自分の屋敷へと帰って行った。千樹が屋敷に入ると、使用人である妖達が慌てたように走り回っていた。
「如何した?」
千樹は走り回っている一人を捕まえ、問い掛けた。
「如何した? では御座いません! あのように体を冷やした状態で帰られて、震えが止まらないのですよ!」
千樹は返ってきた言葉に目を見開く。
「体温が戻らないのか?!」
「そうです。いくら、半分妖とはいえ、今は人としての資質が表に出ているのですよ! あんな薄着では自殺行為です!」
千樹は慌てて玉響の部屋へと向かった。二匹の幼い妖狐を腕に抱かせたのは体温を確保する為だった。外に出た時に防寒着を取りに戻ればよかったのだろうが、問題ないと判断したのは浅はかだったのかと、千樹は眉間に皺を刻むを
「千樹様! 体が冷えていく一方です!」
千樹が襖を開くなり、頗梨が切羽詰ったように訴える。千樹が室内に視線を向ければ、火鉢が其処彼処に置かれていた。
「確かに寒かったが、おかしいだろう?!」
千樹はこの時、ある事に気が付いた。何時もなら、ピギャピギャ言いながら、頼んでもいないのにお節介を焼く四精霊の姿が見えないのだ。
「四精霊は如何した?!」
「はい?」
「玉響に憑いてる奴等だ!」
「姿が見えません」
千樹は慌てて玉響に掛けられている打掛を捲った。玉響の首から掛けられた飾り紐の勾玉には梵字が浮かんでいる。居る事は確かだが、千樹が感じる四精霊の波動が弱い。
「これか……」
千樹は慌てて玉響から首飾りを外す。其れを頗梨に投げ付けた。
「お前が待っていろ!」
「如何してで……、へ?」
「分かったな?」
「はい……」
頗梨は頷くとふらつきながら、部屋を出て行く。四精霊は桜と共に二つの器を作り出している。つまり、失ったモノを玉響から摂取した結果が今の状況だ。
千樹は打掛を掛け直し、玉響の頬に触れる。触れた感じから間違いなく、力が奪われたからだと感じ取った。玉響の力と千樹の力では質が違うが補給するに越したことはない。
「千樹様……」
「寒くないか?」
「はい……。急に体が動かなくなって……。凄く寒くて……」
最弱の四精霊が持ってる能力以上に力を使ったとして、補給しようと考えたら玉響からだ。だが、玉響はまだ幼い子供で、力そのものが未発達だ。受け入れる器は大きくても、其れに見合う力を溜め込んでいない。
「あれ? あの子達は?」
玉響は無意識に手で胸元を探り、首飾りがない事に気が付く。
「当分、頗梨に渡しておけ」
「如何してですか?」
「死にたくなければ言う事を聞け。俺が少し妖力を分けたが、一時的なものだ。玉響の力は俺とは質が違う。其れは言われなくても分かるな?」
千樹の言葉に玉響は素直に頷く。
「彼奴等はお前の願いを叶える為に桜と共に二匹の妖狐の幼い体を作り出した。腕に抱いていた二匹だ」
「僕の願い……」
「そうだ。まあ、勝手に解釈をして、体から魂が完全に離れる前に幼い体に魂を移した。芙蓉は妖だが、父親は人間で輪廻の輪から外れてしまう結果になっている。其れも、説明はいらないな?」
「はい……。じゃあ、あの子達は本当に父上と母上ですか?」
「魂はな。だが、桜の前で言ったように、お前の親であった記憶はない。其れに、ある程度、成長しなければ人型も取れないだろう。妖狐である事は確かだが、望んでいた結果にはならないだろう」
玉響は俺の言葉に頷く。
「父上も生まれ変わったとしても、前世の記憶を持っていない者が多いと言っていました」
千樹は思案する。貴彬は玉響にきちんと話していたのだ。生まれ変わると前世の記憶が失われるという事を。魂に刻まれた記憶とは違う。前の世の記憶だ。
「今日は休め」
「はい」
千樹は玉響が眠るのを確認して、部屋を後にした。
千樹の屋敷に玉響が来てから、確実に屋敷の中の雰囲気が変わった。最初は人間の童だと思っていた千樹達だ。先入観と言うのは恐ろしい。不思議な雰囲気を持っていたし、妖を普通に視ていて、恐れもなければ避けもしない。おっとりしていて、自己主張も余程でなければしない。
確かに大人しいが自分を持っていないかと訊かれればそうではない。千樹の前にきちんと正座している。
「あの子達は何処ですか?」
だらしなく胡座をかいている千樹の前に、きっちり正座し問い掛けてきた玉響。今思えば、陰陽師の子として、男児として育てられた玉響は、厳しく育てられたのだろう。
「まだ、駄目だ」
千樹は右手をヒラヒラとさせて、返さないと主張する。頗梨に預けた四精霊入り首飾りは、如何も使用人達が日替わりで身に付けているようだ。如何も、あの四精霊は存在を消さないために、かなりの力を吸収している。それは、相当無理をし、もしくは桜が能力を引き出し二体の妖狐を作り出した為だ。
「如何してですか?」
千樹はキュッと唇を噛み締めた玉響を見やる。
「死にたくなければ言うことを聞け。また、動けなくなりたいのか?」
「意味が分からないです」
「お前は四精霊の宿主だ。つまり、彼奴等が瀕死になっていた場合、存在を維持する為に、周りから手当たり次第に力を吸収する。今は日替わりで屋敷の妖が身に付けているのが現状だ。分かるか。言い換えるなら一日しか持たないってことだ」
四精霊は能力以上の力を桜から引き出された。桜の縄張り内にいた時は、桜が四精霊の姿を保っていたに過ぎない。離れれば、それに見合うだけの力の吸収しなければならないのだ。
「皆さんに迷惑がかかります!」
「俺達は人間じゃない。多少、無理をしいても死ぬわけじゃないんだ。お前はまだ、妖よりも人の方が表層に出ている。体から体温が奪われて、動けなくなっただろう。体が幼い事もあるが」
「僕に憑いてる精霊達です」
玉響の言っていることは正しい。宿主として、責任を持ちたがるのも、千樹には理解出来る。だが、四精霊は必ずしも、玉響の力だけに依存していないことは、今回の事で分かっている。
「生まれた時から憑いていたんだな?」
「そう聞いています」
頗梨の話だと、都の民達が噂するくらいだ。本当に生まれた時点で玉響を宿主としたのだろう。力も霊力とは言えず、ましてや妖力とも違う。強いて言うなら、二つを足して割ったような力だ。二匹の妖狐の一匹も、玉響と同じ感じの力を持っている。
「返さないと言うんじゃない。害がないと確認出来れば玉響に返すと約束しよう。だが、今は駄目だ」
「でも……っ」
「まず、彼奴等が玉響に首飾りを返さないだろう。大人の妖であるにもかかわらず、一日身に付けているだけで妖力の殆どが吸収されるんだ」
玉響は唇を噛み締め、両手を膝の上で強く握り締めた。
「悪い類のものではないのは分かっている。ただな。名がないのもこうなる理由だ」
「え?」
「名は全てを映す。つまり、名そのものに力が宿っている。勿論、名を与えた者の能力も問われる」
「じゃあ!」
「玉響がきちんと勉強し、自分自身の能力を理解する事で、このような事態を回避出来るようになる」
玉響は表情を引き締める。
「勉強します!」
千樹に玉響はそう言うなり挨拶をすると、早々に部屋を出て行った。玉響の能力はかなりのモノだ。直ぐに、どうにか出来るようになるだろう。だが、と千樹は首に下げている首飾りに視線を向ける。玉響だけでも手に余っていると言うのに、四精霊までもが手を焼かせる。千樹は諦めたように息を吐き出した。
千樹は芙蓉から、何処に居るかを訊き出しはしたが、その場所に行けない。もどかしい時間ばかりが過ぎる。桜は芙蓉を気に入っていた。何より四精霊が何かしらしているだろうことは、漠然とはしていたが分かっていた。二人の気配そのものがなくなったという事は、魂が体から離れた証拠だ。
千樹がそんな事を考えながらある一室に入った。そして、視界に広がった光景に思わず思考が停止した。確かに、季節毎に反物の中から新たに着物を仕立てるが、その反物が室内を占領していた。その中心にいるのは頗梨と玉響だ。
「こちらなど如何ですか?」
「……あの、皆さんの使われていたもので問題ないです」
「とんでもない。芙蓉様のお子様で、千樹様の花嫁となられるのですから、きちんとした物をお召しにならなくては」
そう言いながら頗梨が手にした反物は、男物ではない。まだ幼い為、柄は可愛らしいものが多いが、それでも女物だ。
「……あの、僕としては男物の方が……」
「何を言いますか?! 此れからは女物を身につけていただかなくては!」
頗梨は右手を握り、力の限り主張する。頗梨が玉響を気に入っている事を千樹は分かっていたが、無理強いは問題外だ。
「おい。本人の好きな物で仕立てたらどうだ?」
千樹は堪り兼ね口を出す。玉響は元々、男として育てられた。其れをいきなり変えることなど無理だろう。何方の性も持っているとはいえ、本人は男としての意識の方が強い。
「何を言うんです! 芙蓉様もおっしゃられていたではないですか!」
「まあ、確かに言っていたが、其れは芙蓉の意見であって玉響の意見ではないだろう」
頗梨はキッと千樹を睨み付け、鮮やかな反物を片手に突進して来る。反物を千樹の鼻先に突き付け、睨み付けてきた。
「いいですか。千樹様は芙蓉様のように外に出ることがなく、ましてや、同族の方々にも興味を示してくださらない。屋敷の者達も心配してるんです!」
「別に妻など娶らなくても、問題……」
「あります! 玉響様程の方を見付けるのはこの先、どれ程の時が経っても巡り会えませんよ! 灯璃様がしゃしゃり出てきたらどうされるつもりです!」
「そんなものは本人次第……」
「冗談ではありません!」
千樹にしてみれば、頗梨が玉響を気に入ったのなら、彼が娶ればよいのではないか? と言いたくなる。しかし、千樹は頗梨の迫力に口を噤むしかない。もし、そんなことを口にすれば、更なる言霊を吐き出す。ただ叫んでいるだけならよいが、言葉そのものに力を込めているから質が悪い。
「頗梨さん。僕、この反物がいいです」
玉響が千樹の窮地を察し、助け舟を出してくれた。まだ、問題が解決したわけではない。千樹はだだでさえ疲れているのに、別の問題を振るなと脱力した。
千樹の窮地を救うためとは言え、玉響が選んだ反物は、男女どちらが身に付けてもおかしな柄ではなかった。頗梨はその反物を手にし、少し表情が引き攣った玉響に笑いかけていた。
千樹は泉の外を探っていた。森深いこの場所に、余程でなくては人は立ち入らない。あるのは森に住む獣や、害のない小物のあやかしばかりだ。
「千樹様」
襖が開き千樹の名を呼んだのは玉響だ。千樹は視線を向けると目を細めた。玉響は新しく仕立てた着物を身に付け、首には千樹が渡した勾玉の首飾りを掛けている。だが、勾玉の中に居るべき精霊達は居ない。
「どうした?」
「……父上と母上は?」
都に惨事が起こった日からかなり経つ。玉響が我慢していたことを千樹は気が付いていた。しかし、外の状況がはっきりと分からない以上、下手に動けない。だが、時を置けばそれだけ良くないことるも起こる。桜はありとあゆるモノから二人の体を護ってはいるだろう。だが、絶対とは言えない。
「会いたいか?」
千樹の問いに玉響は少し間を置き頷いた。
「今、結界の外に出れば危険が付きまとう。其れでも、会いに行きたいか?」
「分かってるんです。千樹様が動かないのは僕の為で、まだ、都は落ち着いていないから、何が起こるか分からない。其れでも……」
何時迄も、二人の体を放置する事は出来ない。それくらい、千樹は分かっている。灯璃も何度か言ってきている。強い妖力と霊力を持っていた二人だ。亡骸でも利用しようとする輩は現れる。陸でもないことになりかねない。
「覚悟はあるな?」
「はい」
「付いて来い」
千樹は立ち上がり、玉響を促した。四精霊はおそらく、二人の元に居る。頗梨に事情を説明したが、付いて来かねない勢いだ。千樹は其れを諭し、二人で泉の畔り立つ。泉の底は季節感そのものがない。揺蕩うように屋敷は存在して居る。
「もう、冬だったんですね」
「そうだな。寒くないか?」
「大丈夫です」
千樹は身を屈め玉響を左腕で抱き上げた。
「千樹様っ」
慌てて玉響は降りようとするが、千樹はそれを制する。
「大人しくしていろ。時間をかけずに桜の結界内に入りたい」
「桜の結界?」
「そうだ。芙蓉が神木と言っていたのは、ただの桜の樹ではない。ある意味、妖に近い」
「妖ですか?」
「そうだ」
千樹は玉響を片腕に抱き上げたまま、地を駆けた。この森にまだ、雪の気配はないが、桜の樹がある山奥はそうではない。
「……あの」
「黙っていろ。舌を噛む」
千樹は人目につかないように森の中を移動し、山をも一気に駆け上がる。地平より山の方が寒さが厳しい。其れでも、玉響は泣き言一つ言わなかった。山を幾つか越え、葉を落とした樹々が生えるその場所は、雪が降り積もっていた。谷になっているその場所は、人の足では到底たどり着けない場所だ。
「不思議な場所です」
ぽっかりと雪のない場所で玉響を降ろした。谷の上は冬の景色を写し寒々としているが、視界の先には季節外れの桜の花が咲き誇っていた。桜の持つ力が、この場所に春を告げている。
「相変わらず、自然を無視している」
千樹は誰に言うでもなく呟いた。桜の大樹は、微かに吹く風に枝を揺らし、淡い紅の花弁を散らしている。其の樹の根元に二つの姿が見える。白の狩衣を身に付け、烏帽子を被った男。目鼻立ちはすっきりとしていて、綺麗な顔立ちをしている。其の男の膝の上に頭を預けている黒毛の九尾。
玉響は其の姿を視界に収めた後、体が強張ったことがはっきりと感じられた。
千樹はゆっくりと桜の大樹に近付いた。桜の幹に体を預け凭れ掛かる男。千樹は傍に片膝をついて生死を確認した。触れた肌は暖かさを感じない。息もない。穏やかな顔は苦痛を感じたようには見えない。
男の投げ出された両足を枕代わりにしている黒毛の九尾。芙蓉もまた、息絶えている。そんな二人の体に桜の花弁が柔らかく降り積もっている。
「……千樹様……」
千樹が顔だけを玉響に向ければ、固まった体が小刻みに震えていた。分からなくもない。こうなると分かっていても、現実を突きつけられて納得出来るかと言われればそうでは無い。
千樹は玉響に来るように促した。躊躇いを見せた玉響だが、ゆっくりと近付いて来る。両親を視界に収めた玉響が唇を噛み締め、両目から涙が溢れ出た。
「分かってました……。こうなるって」
「そうだな。でも、泣く必要はない」
「どうしてですか?」
来た時は気が付かなかったが、桜がおかしな気配をさせている。何より、四精霊の気配を感じないことが不気味だった。二人の体は生命活動を停止させ、蘇生することは叶わないだろう。いくら、誰よりも強い力を持っていても、自然の摂理を覆すことは妖といえど無理だ。
「……?」
玉響が首を傾げ、辺りを見渡す。桜が強い風に煽られ、ハラハラと舞っていた花弁が密度を増す。渦を巻き、目を開けていられなくなった千樹は、咄嗟に玉響を抱き込んだ。
「ピギャ!」
その声に千樹は慌てて視線を向けた。二人の頭の上に柔らかい感触が落ちて来る。玉響も慌てて視線を上げ、四精霊を両手で掬い上げた。
「無事だったんだね」
四精霊が無事であった事は良いが、この花吹雪の中から出て来たことが問題だった。千樹は今まで感じたことのない力の渦に眉を顰める。
嫌な感じに千樹は慌てて玉響と共にその場を離れた。桜吹雪が渦を巻き、更に風が強さを増す。千樹は腕で顔を庇いつつ、花弁の渦を見詰めた。
「何かの影が見えます」
玉響は千樹に縋り付きながら、視線を外さない。一際、強い風が襲い掛かり、思わず二人は顔を背けた。ピギャピギャとした声が二人から離れて行く。千樹と玉響は風と花弁が落ち着いたのを見計らって、四精霊の声がする方に視線を向けた。
二人の視線の先には四精霊の姿と、黒毛の二匹の幼い狐だ。尻尾は一つだが、間違いなく妖狐だ。千樹はまさかと桜の根元に視線を向ければ、一人の男と黒毛九尾狐の姿は間違いなくある。
「……冗談だろう」
二匹の黒毛の妖狐は丸まり、気持ち良さ気に眠っている。
「千樹様……、あの子達は?」
四精霊が躊躇うことなく二匹に近付くと言うことは、悪い類のモノではない。
千樹は玉響を解放し、ゆっくりと近付くと二匹に触れた。桜の花弁がハラリと千樹と二匹の上に舞い降りる。
「……やってくれたな……」
千樹は二匹の上にいる四精霊を睨み付ける。桜の力だけではない。四精霊も手を貸した。最弱の力しか持たない四精霊でも、強い妖力を溜め込んだ桜と結託すれば、器を作ることなど容易いだろう。更なる問題を引き起こしたと言うのに、四精霊は得意気に千樹を見上げる。
「……少しは反省しろ……」
千樹は右手で額を覆い、溜め息を吐く事しか出来なかった。
反省のかけらもない四精霊は胸を張り、桜の大樹はどこか誇らし気だ。
「分かっているのか? 此れは輪廻を無視した行為なんだぞ」
千樹が諭すように言えば、四精霊は少しだけ、しゅん、としたようだった。
「全く、何をしでかすか分からない連中だな」
千樹がその声に視線を向ければ、玉響の横に灯璃が立っていた。玉響はいきなりの灯璃の登場に固まっている。どうやら、千樹が動いた事を察し、この場に現れたようだった。
「来たのか?」
「運ぶんだろう? このチビじゃ、運ぶどころか運んでやらないと、山の麓にも戻れないだろうが」
「……そうだが……」
灯璃はそう言うと、千樹の横まで移動して来た。跪き二匹の妖狐に視線を落とす。まだ、幼い妖狐だ。だが、この妖狐は普通の妖狐とは違う。一匹は妖独特の妖力を持っているが、一匹は妖力ではない。かと言って霊力でもない。言うなら、玉響の力と近い。
「桜も何を考えて、器を作ったんだろうな」
「芙蓉が望んだと思うか?」
千樹が灯璃にそう問えば、緩く首を横へ振った。
「違うだろうな。多分……」
灯璃はちらりと視線を後方へ流した。
「あのチビ絡みだろう。四精霊を身に宿しているあたりで、ただの童でないことは察しがつく。桜も何かを読み取ったんだろうし、四精霊が芙蓉について来た時に、望んだことを読み取って、まあ、行動に移したんだろうな」
灯璃の言っていることは間違えていないだろう。問題は、稀代の陰陽師が妖に転じたことだ。記憶そのものは持っていないだろうが、これが世間に知れれば、とんでもない事になる。都の破壊された部分の修復もまだ終わっていない状態だ。勿論、護りである結界を誰が担うのかも決まってはいない。
「二匹もだが、二人の亡骸も人の目に触れない場所に埋葬しないと、厄介の種だぞ」
「分かっている。俺の結界内の土地に、取り敢えず埋葬する。利用されれば、更なる厄介事を呼び寄せる」
亡くなっても、強い力を宿し続けた肉体は、其れだけで術の媒介になり得る。陸でもない事に使われでもしたら、取り返しがつかない。それが分からない程、千樹も愚かではない。
「お前達は住処に戻れ。分かるな?」
千樹は四精霊に少しきつい口調で言い切った。四精霊はピギャピギャと互いに何やら言い合い、玉響の首に掛かっている首飾りの勾玉の中に吸い込まれる。
「あれが住処か?」
「最初は玉響の体を住処にしていた。能力が低いから問題もなかったが、もし、力を付けたら玉響の体の負担になるからな」
千樹は玉響を呼び、二匹の幼い妖狐の側に来るよう告げた。二匹は玉響の両親の魂を宿しているだろう。だが、絶対に本人だとは言えない。何故なら、新たに体を与えられた時点で、前の生の柵から解放されるからだ。
「お前の両親はあの体から旅立った。分かるな?」
千樹が玉響に問えば小さく頷いた。
「そして、目の前の二匹の妖狐はお前の両親の魂を与えられた」
「え……」
「でも、忘れるな。本来の体から離れた魂は、新たに肉体を得ると前の記憶を喪う。稀にそうでない場合もあるが、お前が子供であった事を、この二匹は忘れている。それを踏まえて、どう考える?」
玉響は驚いたように千樹を見上げ、そして、二匹の幼い妖狐に視線を向ける。スヤスヤと眠る二匹の妖狐に手を伸ばし二匹の頭を撫でる。そして、玉響は戸惑うような笑みを見せた。
「……忘れてしまっていても、側に居たいです」
噛みしめるように言った玉響を、千樹と灯璃は静かに見詰める。起こってしまった事を、今更、如何する事も出来ないのだ。千樹と灯璃は玉響を見詰めた後、桜を見上げ同時に脱力したような息を吐き出した。
妖狐化した灯璃の背に一人の男と一匹の九尾を乗せた。玉響に二匹の妖狐を腕に抱いてもらう。千樹も妖狐化し背に玉響を乗せた。人型のままでもよかったのだが、やはり、速さという点では獣型の方が格段に速い。来た道を戻るが、更に寒さを増している。玉響のことは心配だが、千樹は仕方がないと先を急いだ。
急いで泉の結界に戻り、玉響と二匹の幼い妖狐を頗梨に託した。玉響は寒さに歯が噛み合っていないし、二匹の幼い妖狐は目を覚ましもしない。
千樹は灯璃に裏庭まで一人と一匹を運んでもらう。屋敷の北側の庭に歩を進め、その場所に灯璃は二人を横たえた。桜は芙蓉の願いを聞き届けたのだろう。その体に傷らしいものは見当たらない。
「芙蓉は最後までお前に迷惑をかけて逝ったな」
人型に転じた灯璃が苦笑いを浮かべつつ、そんな事を言った。
「全くだ」
千樹は妖力で大地に二人が入る穴を掘り埋葬した。おそらく、都では躍起になって遺体を探しているだろう。利用するしないに関わらず、生死の確認をする為に。
「如何する気だ。都の帝はチビに会わせろと言ってくるぞ」
「つまり、玉響が俺の元に居る事を帝は知っているのだな?」
「そうらしい。チビの父親が何かあった時の安全を考えたんだろうな」
二人で深刻な話をしているが、千樹には気になることが一つある。
「今更だが、チビとは玉響の事か?」
「他に誰がいる?」
「今は確かに幼いが、人の子供だ。直ぐに大人になる」
「いくら図体が大きくなったとしても、俺はチビって呼ぶぞ。人の一生など、俺達にしたら子供のまま死んでいくのと変わらないだろう」
灯璃の言っていることは間違い無いと思うが、芙蓉が聞いたら何を言うだろうか。
「芙蓉の事でも考えているのか? 芙蓉もチビになった。俺達の事も覚えてないだろう。気にするだけ無駄だ」
千樹は確かにそうだとは思ったが、灯璃の感覚は少しはばかり理解出来ない。
「玉響は今は人の成長をしているが、この先如何転ぶか分からないぞ」
「まあ、千樹がチビを娶れば状況は変わるだろうな。元々、半々の血だ。人と同じ成長をしているのは、人と生活していた関係もあるだろう」
「……今、其れを言うのか?」
「芙蓉は其のつもりだったんじゃないのか? チビがどんな秘密を持ってるのかは知らないが、本当に知っているのは両親と……」
灯璃はスッと目を細め、千樹を射抜く。
「お前だけだろう。まあ、頗梨も知っているかもしれないが」
其の通りだっだ。其の秘密が玉響を人の世に返せない理由だ。
「察しが良すぎだ」
「伊達に千樹と芙蓉の幼馴染みじゃない。其れに詮索するつもりもない。此れから如何するかは千樹とチビの問題だ。協力はしてやるが」
「其れは助かるが」
ハラリと舞い落ちて来た花弁に千樹と灯璃は目を見開き、互いに視線を向けた。
「お節介な桜だ」
「全くだ」
花弁が埋葬した大地に舞い降りる。淡い光を灯し、其処には小さな双葉が芽吹いていた。
「更に結界を強めたな」
灯璃の言葉に千樹は頷いた。
当分は目立った動きもないだろう、と灯璃は自分の屋敷へと帰って行った。千樹が屋敷に入ると、使用人である妖達が慌てたように走り回っていた。
「如何した?」
千樹は走り回っている一人を捕まえ、問い掛けた。
「如何した? では御座いません! あのように体を冷やした状態で帰られて、震えが止まらないのですよ!」
千樹は返ってきた言葉に目を見開く。
「体温が戻らないのか?!」
「そうです。いくら、半分妖とはいえ、今は人としての資質が表に出ているのですよ! あんな薄着では自殺行為です!」
千樹は慌てて玉響の部屋へと向かった。二匹の幼い妖狐を腕に抱かせたのは体温を確保する為だった。外に出た時に防寒着を取りに戻ればよかったのだろうが、問題ないと判断したのは浅はかだったのかと、千樹は眉間に皺を刻むを
「千樹様! 体が冷えていく一方です!」
千樹が襖を開くなり、頗梨が切羽詰ったように訴える。千樹が室内に視線を向ければ、火鉢が其処彼処に置かれていた。
「確かに寒かったが、おかしいだろう?!」
千樹はこの時、ある事に気が付いた。何時もなら、ピギャピギャ言いながら、頼んでもいないのにお節介を焼く四精霊の姿が見えないのだ。
「四精霊は如何した?!」
「はい?」
「玉響に憑いてる奴等だ!」
「姿が見えません」
千樹は慌てて玉響に掛けられている打掛を捲った。玉響の首から掛けられた飾り紐の勾玉には梵字が浮かんでいる。居る事は確かだが、千樹が感じる四精霊の波動が弱い。
「これか……」
千樹は慌てて玉響から首飾りを外す。其れを頗梨に投げ付けた。
「お前が待っていろ!」
「如何してで……、へ?」
「分かったな?」
「はい……」
頗梨は頷くとふらつきながら、部屋を出て行く。四精霊は桜と共に二つの器を作り出している。つまり、失ったモノを玉響から摂取した結果が今の状況だ。
千樹は打掛を掛け直し、玉響の頬に触れる。触れた感じから間違いなく、力が奪われたからだと感じ取った。玉響の力と千樹の力では質が違うが補給するに越したことはない。
「千樹様……」
「寒くないか?」
「はい……。急に体が動かなくなって……。凄く寒くて……」
最弱の四精霊が持ってる能力以上に力を使ったとして、補給しようと考えたら玉響からだ。だが、玉響はまだ幼い子供で、力そのものが未発達だ。受け入れる器は大きくても、其れに見合う力を溜め込んでいない。
「あれ? あの子達は?」
玉響は無意識に手で胸元を探り、首飾りがない事に気が付く。
「当分、頗梨に渡しておけ」
「如何してですか?」
「死にたくなければ言う事を聞け。俺が少し妖力を分けたが、一時的なものだ。玉響の力は俺とは質が違う。其れは言われなくても分かるな?」
千樹の言葉に玉響は素直に頷く。
「彼奴等はお前の願いを叶える為に桜と共に二匹の妖狐の幼い体を作り出した。腕に抱いていた二匹だ」
「僕の願い……」
「そうだ。まあ、勝手に解釈をして、体から魂が完全に離れる前に幼い体に魂を移した。芙蓉は妖だが、父親は人間で輪廻の輪から外れてしまう結果になっている。其れも、説明はいらないな?」
「はい……。じゃあ、あの子達は本当に父上と母上ですか?」
「魂はな。だが、桜の前で言ったように、お前の親であった記憶はない。其れに、ある程度、成長しなければ人型も取れないだろう。妖狐である事は確かだが、望んでいた結果にはならないだろう」
玉響は俺の言葉に頷く。
「父上も生まれ変わったとしても、前世の記憶を持っていない者が多いと言っていました」
千樹は思案する。貴彬は玉響にきちんと話していたのだ。生まれ変わると前世の記憶が失われるという事を。魂に刻まれた記憶とは違う。前の世の記憶だ。
「今日は休め」
「はい」
千樹は玉響が眠るのを確認して、部屋を後にした。
千樹の屋敷に玉響が来てから、確実に屋敷の中の雰囲気が変わった。最初は人間の童だと思っていた千樹達だ。先入観と言うのは恐ろしい。不思議な雰囲気を持っていたし、妖を普通に視ていて、恐れもなければ避けもしない。おっとりしていて、自己主張も余程でなければしない。
確かに大人しいが自分を持っていないかと訊かれればそうではない。千樹の前にきちんと正座している。
「あの子達は何処ですか?」
だらしなく胡座をかいている千樹の前に、きっちり正座し問い掛けてきた玉響。今思えば、陰陽師の子として、男児として育てられた玉響は、厳しく育てられたのだろう。
「まだ、駄目だ」
千樹は右手をヒラヒラとさせて、返さないと主張する。頗梨に預けた四精霊入り首飾りは、如何も使用人達が日替わりで身に付けているようだ。如何も、あの四精霊は存在を消さないために、かなりの力を吸収している。それは、相当無理をし、もしくは桜が能力を引き出し二体の妖狐を作り出した為だ。
「如何してですか?」
千樹はキュッと唇を噛み締めた玉響を見やる。
「死にたくなければ言うことを聞け。また、動けなくなりたいのか?」
「意味が分からないです」
「お前は四精霊の宿主だ。つまり、彼奴等が瀕死になっていた場合、存在を維持する為に、周りから手当たり次第に力を吸収する。今は日替わりで屋敷の妖が身に付けているのが現状だ。分かるか。言い換えるなら一日しか持たないってことだ」
四精霊は能力以上の力を桜から引き出された。桜の縄張り内にいた時は、桜が四精霊の姿を保っていたに過ぎない。離れれば、それに見合うだけの力の吸収しなければならないのだ。
「皆さんに迷惑がかかります!」
「俺達は人間じゃない。多少、無理をしいても死ぬわけじゃないんだ。お前はまだ、妖よりも人の方が表層に出ている。体から体温が奪われて、動けなくなっただろう。体が幼い事もあるが」
「僕に憑いてる精霊達です」
玉響の言っていることは正しい。宿主として、責任を持ちたがるのも、千樹には理解出来る。だが、四精霊は必ずしも、玉響の力だけに依存していないことは、今回の事で分かっている。
「生まれた時から憑いていたんだな?」
「そう聞いています」
頗梨の話だと、都の民達が噂するくらいだ。本当に生まれた時点で玉響を宿主としたのだろう。力も霊力とは言えず、ましてや妖力とも違う。強いて言うなら、二つを足して割ったような力だ。二匹の妖狐の一匹も、玉響と同じ感じの力を持っている。
「返さないと言うんじゃない。害がないと確認出来れば玉響に返すと約束しよう。だが、今は駄目だ」
「でも……っ」
「まず、彼奴等が玉響に首飾りを返さないだろう。大人の妖であるにもかかわらず、一日身に付けているだけで妖力の殆どが吸収されるんだ」
玉響は唇を噛み締め、両手を膝の上で強く握り締めた。
「悪い類のものではないのは分かっている。ただな。名がないのもこうなる理由だ」
「え?」
「名は全てを映す。つまり、名そのものに力が宿っている。勿論、名を与えた者の能力も問われる」
「じゃあ!」
「玉響がきちんと勉強し、自分自身の能力を理解する事で、このような事態を回避出来るようになる」
玉響は表情を引き締める。
「勉強します!」
千樹に玉響はそう言うなり挨拶をすると、早々に部屋を出て行った。玉響の能力はかなりのモノだ。直ぐに、どうにか出来るようになるだろう。だが、と千樹は首に下げている首飾りに視線を向ける。玉響だけでも手に余っていると言うのに、四精霊までもが手を焼かせる。千樹は諦めたように息を吐き出した。
0
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
さよなら私の愛しい人
ペン子
恋愛
由緒正しき大店の一人娘ミラは、結婚して3年となる夫エドモンに毛嫌いされている。二人は親によって決められた政略結婚だったが、ミラは彼を愛してしまったのだ。邪険に扱われる事に慣れてしまったある日、エドモンの口にした一言によって、崩壊寸前の心はいとも簡単に砕け散った。「お前のような役立たずは、死んでしまえ」そしてミラは、自らの最期に向けて動き出していく。
※5月30日無事完結しました。応援ありがとうございます!
※小説家になろう様にも別名義で掲載してます。
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
(完結)私より妹を優先する夫
青空一夏
恋愛
私はキャロル・トゥー。トゥー伯爵との間に3歳の娘がいる。私達は愛し合っていたし、子煩悩の夫とはずっと幸せが続く、そう思っていた。
ところが、夫の妹が離婚して同じく3歳の息子を連れて出戻ってきてから夫は変わってしまった。
ショートショートですが、途中タグの追加や変更がある場合があります。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。
ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。
※短いお話です。
※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる