贄の婚姻

善奈美

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 あの日から王子は皇子に手を出さなくなった。食事は何時もの様に一緒に取り、日課の鍛錬もお茶も一緒に過ごしている。だが、夜は其々別々に過ごしていた。
 
 おそらく、王子はけじめを付けるつもりなのだろう。獣王國に書簡を送ったからには、どんな内容であれ返事が来る。このままの状態なのか。贄として選ばれた二人には詳細を知らせず進める可能性もある。
 
 基本的に外の情報を詳しく知る行為は禁止事項だ。気になったとしても、知らせを待つしかないのである。
 
「……あの」
 
 その日の朝、皇子はどうしても気になり、王子に訊こうと心に決めていた。贄に選ばれた以上、外に出る事は出来ない。しかし、王子との関係が今回の事を切っ掛けに変わってしまう可能性もあった。
 
「なんだ?」
 
 朝餉の席で声を掛けてきた皇子に、王子は訝し気な視線を向ける。
 
「……どうなった?」
 
 遠慮がちに訊いて来た皇子に、王子は手に持っていたフォークを机に上に置いた。
 
「連絡は来ない。あれから半月経ってるからな」
 
 王子は思案顔だ。外でどの様な動きがあるのか、知り様がないからだ。王子が獣王國の王に知らせた事は、簡単に処理出来るものではない。下手をすると握り潰されて終わりだ。
 
 そこに含まれた危機を、読み取る事が出来なければどうする事もないだろう。もし、獣王國が王子とは違う考えを持っているとしよう。倭国と敵対関係に戻るつもりなら、王子を切り捨て傍観する。つまり、この敷地外でどの様な話し合いをしているかにかかっている。
 
 食堂に扉を叩く音が響く。王子は軽く声を掛けると、入って来たのは二組の老夫婦だ。王子は二組の老夫婦の表情が強張っているのを見逃さなかった。
 
「何があった?」
「殿下、親王様。獣王國から使者が来ております」
 
 獣王國から派遣されている老夫から飛び出した言葉に、王子と皇子は目を見開いた。外界から遮断され、会う事が出来るのは派遣されて来る老夫婦のみだ。後は贄の儀式の一年後に、一度だけ会う事が許されるその時のみとなる。それであるのに、老夫は使者が来たと言う。
 
「どう言う事だ?」
「今回は異例中の異例。親王様から直接お話を訊きたいそうです」
「一人で会わせる訳にはいかないぞ」
「承知しております」
 
 二組の老夫婦は二人を促した。馬に乗る様に言われ、素直に馬上の人となる。獣王國側の草原を駆け抜けると、敷地を隔てる高い壁が視界に入った。出入り口の門の横に建物があり、その外で馬から降りる。獣王國の老夫に促され、建物内に入ると王子が見知った顔があった。
 
「父上?!」
 
 王子の鋭い叫びに、皇子は驚き慌てて使者の顔を確認する。獣の顔は人間の様に皺が顕著に現れる訳ではない。だが、体毛に少しばかり白いものが混じっている。
 
「元気そうだな」
「元気そうだな、ではありませんよ! 中立地帯とはいえ、国のトップがのこのことこの様な場所に来るなど!」
「今回の事は内密の話になる。それだけ、危険なのだからな。他人に任せるなど間違いだろう」
 
 獣王國の王が言っている事は真っ当だ。しかし、軽率である事も否定出来ない事実だ。
 
「言いたい事は分かるが、危険を孕んでいるからこそ、わざわざ知らせて来たのだろう」
 
 獣王國の王は穏やかに言い切る。立ち話もなんだからと、室内にある椅子に腰かけた。室内は閑散としている。食卓テーブルの様な机と四脚の椅子は木製だ。窓にはカーテンすらない。獣王國側の窓に視線を向ければ、そこには多くの近衛兵の姿があった。確かに危険だが、王の身に何かが起こらぬ様目を光らせているだろう。
 
「まず、皇子には我が息子から送られて来た書簡に目を通してもらおう」
 
 王はそう言うと、皇子に一枚の紙を差し出して来た。綺麗に四つ折りにされた白い紙だ。皇子はそれを受け取り、一度、王子に視線を向けた。王子は小さく頷く。皇子はそれを確認すると、畳まれた紙を広げ文字に視線を向けた。獣王國の文字は倭国のものとは違う。だが、皇子は獣王國の文字を幼い時から覚える様に帝から言われていたので読む事は可能だった。
 
 書かれている内容は、あの日、王子に吐き出した言葉そのものだ。間違いのない内容を確認すると、紙をまた綺麗にたたみ直し王に返す。
 
「間違いはないか?」
「ございません」
「倭国ではこの事は内密なのだな」
「はい」
 
 皇子自身、この事が大事になるとは考えていなかったのだ。ただ、皇太子の執着はかなり凄いものだったのは、身をもって分かっている。他の兄弟がいなければ、どうなっていたのか分からない程だ。
 
「知らせて来た様に、内容が内容だ。どうなるかも分からない不確かなものだろう」
 
 そう口にした王だが、皇子を観察する様に目を細めた。
 
「倭国の帝には皇子から直接話を聞く旨を知らせてある」
「……知っていたんだな」
 
 王子は王に確認した。倭国に話し、詳しく皇子から話を聞くとなれば内情が分かってしまう。
 
「彼方は分かっていた様だな。こうなる事も予想済みだろう。そうでなくては、余が直接話すことに難色を示す」
 
 皇子は王の言葉に両の手を膝の上で強く握った。皇太子の無能さを帝が放置していたのは、この為だったのだ。贄の婚姻を台無しにするだろう存在。それが自国の皇太子だと獣王國側から遠回しであったとしても言われれば無下には出来ない。
 
 二国間で決めた約定だ。それも、倭国側が持ちかけたものだ。それが過去に制定されたものであっても、国の為に必要なものだ。帝はそれを利用した。皇太子側の親族を完全に黙らせる為の駒にしたのだ。
 
「利用されましたね」
「仕方あるまい。だからこそ、余が皇子と会う事を許したのだろう。そうでなくては、面会が許される筈がないからな」
「……申し訳ありません」
 
 皇子はそう言うと深々と頭を下げた。どう考えても倭国が獣王國を嵌めたのだ。それが、本当の意味で迷惑になっていないとしても、煩わせた事に変わりはない。
 
「気にすることはない。倭国は多くの皇子と皇女がいると聞き及んでいる。後継者の決め方も我が国とは違う」
「ですがっ」
 
 皇子は顔を上げ、王に視線を向けた。
 
「こちらとしてはよく話してくれたと思っている。それを理由に優位に立つつもりもない。倭国が不安定になることの方が不利に働く」
 
 王は穏やかにそう言った。
 
 贄の婚姻は倭国だけではなく獣王國にとっても必要なものだ。倭国の帝はこれを機に皇太子を廃嫡に持ち込むつもりだったのだ。贄となる資格を持つ皇子に、皇太子が執着している事を知っていての行動だろう。
 
 倭国の皇太子は国の長となる器量はない。かと言って、背後にいる親族は力を持つ一族だ。いくら帝と言えど、軽々しく決定出来ない。そこに、偶然とは言え贄の婚姻が行われる事になった。好機だと帝は考えたのだろう。そして、第四皇子の性格も熟知していた。贄として納得しないまでも国の為にと身を差し出す。
 
 そして、過去のトラウマで何時かは王子に話してしまう。後は一年以内に皇子が王子に話すかだ。これは完全な賭けであっただろう。
 
「この事はここだけの話だ。国の中枢部には知れてしまうが、広める気はない。まあ、少しばかり倭国には融通してもらう事にはなるが。それとて、どちらの国益にもなる様なものだ」
「……はい」
 
 皇子は情けなかった。贄として選ばれ、本来なら、手を煩わせる事などない。それであるのにと、泣きたい気持ちになる。
 
「贄と決まった以上、その決定に異議を唱えるつもりもない。息子から不満の言葉もないからな」
 
 王はそう言うと腰を上げた。
 
「それはそうと、本当に良いのか?」
 
 王はそう口を開いた。皇子は何を言われたのか分からず、首を捻る。
 
「今日会ったんだ。十分だろう」
「妻と息子は会いたがるだろう」
「元だ」
 
 王子が素っ気なく答えるのを聞いた皇子は慌てた様に二人の様子を伺う。王子は贄の婚姻の後、会うことが許される機会を必要ないと言っているのだ。
 
「待って下さい!」
 
 皇子は今の会話に強い違和感を感じた。皇子は帝が父親とは言え、本当の親である感覚は薄い。母親は既に亡くなり、祖父母も亡くなっていた。兄弟はいるが、一年後、誰とも会うつもりはなかったのだ。
 
 だが、王子は妻帯しており、更に子供までいる。確かに弟と再婚したのかもしれないが、それとこれとは別問題だろう。
 
「お前は会うのか?」
「それは……っ」
 
 王はそんな二人の様子を垣間見、スッと目を細めた。王子が皇子に抱いている思いは妻を見るそれとは確実に違う。強いて言うなら、年下の兄弟を見ている感じに近い。今までの贄の夫婦とはもしかしたら違うのかもしれない。
 
「お前らしいな」
 
 王は嘆息し、諦めに似たように言葉を吐き出した。
 
「父上」
「性格は分かっている。お前の決断を誰も反対はせん。気が変わったら連絡をくれればいい」
 
 王はそう言うと小さく笑う。
 
「倭国から近々連絡が来るだろう。この件はそれでおしまいだ」
 
 王の物言いに含まれる意味に二人は沈黙した。今回は異例中の異例。倭国からの連絡が来た後は、外の情報を知ろうとするな、と言っているのだ。分かっていた事だが、二人には何かを言う権利はなかった。
 
「必要な物は出来る限り用意しよう。それが取り決めだ」
 
 王子は王を観察し、小さく頷く。獣王國の王は王子が送った書簡に望んだように対応した。つまり、二人を切り捨てるつもりがないと言う事だ。それを確認出来ただけでも良しとしなくてはならない。
 
「無理を強いている自覚はある。民の為とは言え、犠牲になれと命令しているからな」
「仕方ない事だろう」
 
 王子は王の言葉に素っ気なく返す。贄となり半年は過ぎた。
 
「もう少しで此処は雪に覆われるだろう。体には気を付けろ。何方かが先に世を去れば、寂しい思いをするのは片割れだ」
 
 王はそう言うと建物の外へと向かう。外で待っていた近衛が手綱を持っていた馬に跨り、一度二人に視線を向けると走り去る。馬が上げる土煙が一瞬視界を遮った。
 
「相変わらず、読めない人だ」
 
 王子は軽く頭を振った。
 
「つまりは……」
「倭国の皇太子は獣王國からの助言で廃嫡になる。禍の種をそのままにはしておけない。そうなるかもしれないし、そうならないかもしれない。だが、倭国の帝は皇太子を廃嫡にしたいのだろう」
「……分かりません」
 
 王子の問いに、皇子はそう答える事しか出来なかった。もし、皇子が倭国の民で、皇太子の為人を知っていた場合、間違いなく帝になってはもらいたくないだろう。
 
「後は倭国からの報告だ。それで、本当の意味で外との連絡はなくなる」
「分かっています」
「務めは果たしてもらうぞ」
 
 皇子は王子の言葉に唇を引き結び、両の手を強く握り締めた。皇子が果たす務めは夜伽の事だ。皇子は諦めたように小さく頷いた。
 
 王子は皇子のその姿をただ、慰めるように見つめる事しか出来ない。王子は皇子の頭に右手を伸ばし優しく撫でた。掛ける言葉は見付からなかった。
 
 
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