贄の婚姻

善奈美

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09 王子と皇子の事情

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 夏から秋になり、秋から冬になる。そんな季節の変化を二人は日々肌で感じながら過ごしていた。この頃になると、一日の過ごし方も分かるようになってくる。
 
 日の出と共に目を覚まし湯浴みをする。一緒に朝食を取り少しの休憩の後、剣術の稽古や体の鍛錬を行う。昼食の後は書庫で読書をした後、お茶と共にお菓子を頂く。軽く体を動かした後、夕食を取り湯浴みを済ませると、夜の務めを果たす。
 
 皇子は夜の務めにまだ、抵抗があった。拒絶は認められていない状況では、抵抗があったとしてもどうする事も出来ない。
 
 今日もまた夜の帳が下り、夕食の後、湯浴みを済ませた。儀式で使われた部屋は今は閉ざされている。あくまで初夜で使われる部屋であるようだった。
 
 単衣に身を包み、しかし、夜の湯浴みの後、下穿きを身につける事は許されていない。その羞恥も慣れないのだ。日によっては王子の部屋に呼ばれる事もある。だが、今日は呼ばれてはいない。つまり、王子が此方に出向いて来る。
 
 皇子は諦めの息を吐き出す。いい加減、足掻く事をやめれば楽になれるのだ。だが、皇子の中の何かがまだ、抵抗をやめていない。この状況を変える事は絶対に出来ない、二国間の約束事だ。仮に出る事が出来るとするなら、それは、倭国と獣王國が再び争いを始めた時くらいだろう。その時、王子はどう考えるだろうか。
 
「……愚かな考えだ」
 
 皇子はそう呟き軽く首を振った。皇子自身争いは望んでいない。この取り決めが無駄な争いを避けているのなら意味のある事なのだ。
 
「何が愚かだ?」
 
 扉の開く音と共に聞こえてきた声に、皇子は視線を向けた。立っていたのは王子だ。
 
「……いいえ」
 
 皇子は力なく首を振る。王子はその皇子の様子に呆れたような表情を見せた。
 
「戦争でも起これば、出られると考えたか」
 
 王子の言葉に皇子は驚いたように目を見開く。
 
「正直な奴だ。顔に全部出ている」
「……っ」
 
 皇子は両手を握り締め両目をキツく瞑る。
 
「考えなくもないけどな」
 
 王子とて考えない訳ではない。
 
「そう言えば、珍しく文が届いてましたね」
 
 皇子は思い出したように呟き、王子に再び視線を向ける。訊いてはいけないような気はしたが、このなんとも言えない空気を変えたかったのだ。
 
「ああ、弟が結婚したと連絡があっただけだ」
 
 皇子は更に驚く。外からの情報は遮断されるのが普通だからだ。
 
「普通は……」
「普通ならな。その相手が俺の元妻だからだ」
「はい?」
 
 王子の口から出た考えられない言葉に皇子は固まる。王子の元妻となれば年齢もかなり上の筈だ。
 
「やはりそう言う顔をするか」
「理解出来ないが」
「前回も同じだった」
「つまりは?」
「それだけ女がいない」
 
 獣王國の男女比率は倭国の逆だ。聞いてはいたが、まさか、それ程だとは考え及ばなかったのだ。
 
 王子は皇子が衝撃を受けている隙に近付き、左手首を遠慮なく掴む。皇子が驚き左手首の先に視線を走らせた。思いの外近くにあった顔に、体に知らず力が入った事が分かる。
 
「今の妻はお前だ。自覚しろ」
「……っ」
 
 王子がきっぱりと皇子に言い切る。立場的に皇子は王子の妻だ。否定しようにも否定出来ない事実だ。
 
「どんなに否定しようが変わらない」
「……分かってますっ」
「それは頭でだろうが。俺が言っているのは、諦めろと言う事だ」
 
 王子が何を言いたいのか皇子には分かっている。頭と心は別物だ。
 
「……私はっ」
「何を怖がっている」
 
 王子の言葉に皇子は更に体を硬くする。倭国と獣王國とで結ばれた約定を、認めてこの場所に皇子は来た。
 
「国の決め事。諦めて嫁いで来た。確かにそうだろうが、お前は別の何かのせいで吹っ切れていない」
 
 皇子は王子の顔を凝視する。
 
「好いた女でもいたか?」
「違う……」
 
 皇子は誰かに好意を抱く事を避けていた。倭国の決まり事で結婚出来る望みは絶望的だからだ。幽閉された後、苦痛に感じるならば、最初から切り捨てる選択を皇子はしていた。
 
「じゃあ、何だ? 俺としてはこのまま、煮え切らない者と一緒にいるつもりはないぞ」
 
 獣王國側の贄が苦情を申し立てれば、倭国側の贄はタダでは済まない。
 
「……上が」
「何だ?」
「兄上が何度も私を組み敷こうとした!」
 
 皇子は王子がそのような嗜好で抱いたのではないと分かっている。王子が皇子に手を出したのは贄の契約だ。それが必要な手順だからだ。
 
「何だと……」
「父上は知らない。しかも、兄上が帝位に就く時に、私を妻にするつもりでいた」
「まさか……」
 
 皇子には王子が何が言いたいのか聞かずとも分かっている。
 
 兄弟間で、ましてや同性で妻にする事自体、獣王國では考えられない事なのだろう。だが、獣王國内でも同性を恋愛対象とする思考の持ち主はいる。
 
「純潔でない者はいくら年齢が合っていたとしても許されない」
 
 王子の言葉に皇子は体が熱くなった。はっきりと疑われたからだ。皇子は王子に囚われていた左手を乱暴に振り払う。
 
「私はまだ、誰とも触れ合っていなかった! 軍に所属していたとしても!」
 
 皇子にその手の嗜好はなかったのだ。兄に向けられた欲望に、皇子は驚愕し、その時に倭国の帝に男の妻がいる事を知った。後宮は基本的に男は立ち入る事は出来ない。皇子は生まれた後、実家で育てられるのだ。
 
 皇子の母は身分が低い貴族であったが、その実家で育った。厳しく躾けられはしたが、のびのびと育ったのだ。兄の歪んだ思考は、どうやら、初めて皇子と目通りした時からだと言う。あまりの恐ろしさに避けて通るようになった。
 
「好かれていたのか?」
「違う。私のこの容姿だ。母譲りのこの顔が兄上の好みであっただけだ」
 
 実際、他の二人の兄にも忠告を受けた。下二人の兄はそちらの嗜好がない。逆に気を付けるようにと、それなりに手を貸してくれた。
 
「後宮に入れば、それなりに政治的役割があるだろう?」
「それは後宮に入内する女性だけだ。男の妻は基本的に政治的な役割はない」
「それは」
 
 流石の王子でも男の妻の役割が分かった。女は子を孕む。皇子か皇女で実家に与える影響が変わるのだ。だが、男の妻に子を孕む能力はない。つまりは完全な慰み者だ。
 
 皇太子以外の皇子は政治的に排除される。幽閉と言う憂き目あう。皇太子に見初められた男は、それがもし貴族なら、長子であろうと妻として後宮に入らねばならない。
 
「また、特殊な……」
「この役目が与えられた時、脳裏に浮かんだのは結局、その様な運命だったのかと」
 
 王子にこんな事を言ったところで、どうする事も出来ないと皇子には分かっている。それでも抑えていた感情は爆発してしまった。これで苦情を申し立てられ、首を切られたとしても文句はない。
 
「興奮するな。そんな目に合っていたなら、納得出来ないのも頷ける」
 
 王子は納得した様に、力なく言葉を吐き出した。倭国が特殊な国である事は分かっていた。其々の国によって変わった風習はあるものだ。同性の恋愛に反対はしないが、それを奨励しようとも考えてはいない。
 
「気にしないのか」
「何がだ」
「私は貴方に逆らった」
 
 皇子の物言いに王子はあからさまに息を吐き出した。そんな事ばかり気にしては生活することもままならない。確かに逆らったかもしれないが、王子にも気持ちを推し量る事位は出来るのだ。
 
「理由がないのなら咎めるだろうが、理解出来る事だからな。トラウマは自分では制御出来ないものだろう」
 
 王子の答えに皇子は唇を噛み締める。王子の対応は大人の対応だ。皇子はそれに比べて子供じみた反応を見せた自分を恥じた。
 
「それに、だんまりされるより爆発される方がスッキリする」
 
 王子にしてみれば、内に籠り黙られるよりぶつかって来てもらった方が楽でもある。
 
 これから長い時を一緒に過ごす唯一の存在なのだ。
 
「ただ、今日は興ざめだ」
 
 皇子は上から降って来た王子の声に息を飲む。夜伽をしなくてはならないからだ。それをぶち壊してしまったのである。
 
「今日は休め」
 
 皇子は慌てて王子に縋った。もし、獣王國に今の事を報告されれば、倭国がどうなってしまうか。考えていたのに、一つの感情が全てを駄目にしてしまう。
 
「大丈夫です!」
「そんな訳があるか」
 
 王子は呆れたように一言言い、皇子の頭を右手で軽く叩く。その仕草はまさに、子供に向けるものだ。そして王子は、ふんわりと皇子を両手で囲い、更に背を宥めるように叩いた。
 
「いいか、これからの時は永い。気を張っていては疲れるぞ」
「でも、獣王國に!」
「こんな事で不平不満を言う程、狭量ではない」
 
 皇子は知らず両の目に涙が浮かんだ。今までどれだけ気を張っていたのか、はっきりと自覚させられた。敵国同士でありながら、一つ屋根の下で生活する。外とは遮断された空間であっても、やはり敵だと言う感覚が抜け切れていなかった。
 
「休め。これは命令じゃない。分かるな?」
「……はい」
 
 皇子は王子の言葉に素直に頷いた。それを確認すると王子は再び皇子の背を子供をあやす様に軽く叩き、部屋を出て行った。皇子はそれを見送り、体に残る王子の温もりを失わない様に、自身の体を抱き締めた。
 
 
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