ファンタジー詰め合わせ

善奈美

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彷徨

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 目の前を飛び交うのは光の加減で色を変える無数の蝶だ。彼はぼんやりとその蝶を眺めていた。普通に考えるなら、羽根が透ける蝶が無数にいれば、気味悪さを感じるだろう。だが、彼はそれに対して疑問を持っていなかった。どうしてこの場所にいるのか。どうやって来たのか。それに対する疑問すら持っていない。辺りに広がる風景は上空から光が降り注いでいるが、それ以外のものを目にする事は出来ない。
 
 キラキラと煌めきながら、光に照らし出される蝶の群れ。照らし出される目を奪う光景である事は確かだが、ただ、それだけだ。そこで彼は漸く違和感に気が付いた。その場所には音がない。指し示す標があるようでない。ゆっくりと彼は立ち上がり、改めて辺りに視線を向けた。光はある。だが、ただ光があるだけで音そのものはない。
 
 どうして彼はこの場所で膝を抱え座っていたのだろうか。
 
 服は着ている。おそらく、首にかけられているのはヘッドフォンだ。それに気が付き、ヘッドフォンを耳に装着する。そのヘッドフォンが何処に繋がっているのか。彼は全く疑問を持たなかった。音が聞こえて来ると、そう信じていた。だが、ヘッドフォンから感じるのは音のない振動だけだ。その振動は確かに何かの音を刻んでいる。
 
 彼は改めて自分の手を視界に収めた。それは見慣れた手だ。爪があり、関節部分には皺がある。だが、彼は首を捻った。この手は自分のものではないという違和感だ。ふわりと舞い上がる蝶の群れ。蝶は一斉に飛び立ち、ある場所を目指している。彼は思わず手を差し伸べた。蝶を捕まえようと腕を出来る限り伸ばしてみた。
 
 蝶は彼の手を戯れのように擦り抜ける。まるで嘲笑うかのように、彼の周りを飛び回り、上空を目指している。蝶が消えていくその場所から微かな音が聴こえてくる。彼は慌ててヘッドフォンを外し、音を耳で拾おうと努力した。
 
 ピッピッ、という独特の機械音。急に重くなった体。彼は漸く何かを思い出す。目の前に迫った車。避けようと思っていても体は固まったように動かなかった。恐怖は不思議となかった。その時に聴いていた音楽は何だったのか。体が空を舞い急に意識が閉じた。
 
 蝶が吸い込まれていくのは何かの導だ。じゃあ、あの場所には彼が求める、彼自身の標は存在しているのだろうか。体が重く沈んでいく。今まで軽いと思っていた体が、鉛のように重い。何かを求めるように彼は一頭の蝶を捕まえ握り締めた。頭の中で何かが弾け、彼は意識が遠のくのを感じた。
 
 重く痛みを感じる体。耳に届くのは様々な音だった。息苦しく、目蓋を開くのも億劫だ。だが、浮上した意識は彼に目覚めを促す。ゆっくりと目を開き、彼が最初に視界に収めたのは白い壁と独特の空気。その香りは日常生活では感じる事がない。
 
 彼は漸く自分の置かれた状況を把握した。体が思い通りに動かないのも、音を感じることが出来なかったのも。あの場所が何であったのか。降り注ぐ光と、蝶が導いていたものは何であったのか。彼の頬を一筋の涙が伝う。孤独であった場所を思い出し、そして、生きている事を改めて実感する。
 
 ゆっくりとスライドする扉に彼は視線を向けた。そこに居たのは慌ただしく入って来る医師と看護師。彼はやっと安堵する。もう、一人ではないのだと。
 
 
終わり。
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