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魔女の溜め息

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 爽やかな朝、目覚めと同時に思い出したのは彼女が殺される場面だった。慌てて起き上がり、周りを確認する。大きな天蓋付きのベッド。肌触りの良いリネン。大きな窓には光を遮断するための柔らかい色彩のカーテン。
 
 彼女は公爵令嬢だ。婚約者は王太子殿下。思い出す。それは一回目の人生において、いいだけ利用され、最後には無実の罪で殺されたのだ。家族もグルであり、婚約者も然り。このまま、令嬢として生活していては生きてはいけない。目標を決めなくては。彼女はそう目標を立てた。
 
「おはようございます。お嬢様」
 
 控えめなノックと共に入室してきたメイド。その顔に彼女は思い出す。そして、今の自分の年齢を思い出した。高等学校最高学年だ。このままいけば半年もせずに婚約破棄。平民落ち。そして、監視の元に城下町で生活をする。何も知らない令嬢が生きていくのだ。最初は辛かった。何もできずに、軽蔑された。それでも必死で覚え、必死で頑張った。それなのに、新たに婚約者となった妹は王太子妃の執務など出来よう筈がない。密かに捕まり、妹に冤罪を掛けられるまで酷使された。散々な人生だった。
 
 まずしなくてはならないのは、早急の金銭の取得である。婚約続行は考えられない。普通に必要な勉学に励み、王太子の婚約者としての公務。いくら頑張ろうと認められないのだ。それならば、最初から切り替えていく必要がある。妹は我が儘であり、両親はその我が儘に付き合うのを生き甲斐としている。その結果、彼女は人前では身なりがいいが、家の中では古着を着ると言う矛盾が生じる。部屋は時々、他の御令嬢が訪問する為、それなりに整えられている。それはあくまで見た目だけのハリボテだ。肌が荒れるのは問題なので寝具は一流の物を使わせてもらっている。
 
 しかし、今はそんな事はどうでもいい。逃げるために必要な事をしなくては。断罪された時、彼女は貴族籍から外れていた。つまり、今この時、貴族の令嬢でない可能性がある。それを確認しなくてはならない。何故なら、国外に出るには、今この時、平民であると言う保証が必要だ。幸い、働いていた記憶はある。最初は体がキツイだろうが、慣れでなんとかなる。一般庶民も休みの日は休みたい。ならば、働いて金銭を得るなら休みの日に集中すれば良い。王太子の婚約者としての公務は覚えている。
 
「お願いがあるのだけど」
 
 後はメイドである。確か、最後まで味方で居てくれたのは彼女だけだ。
 
「何でございましょう?」
「調べたいことがあるの」
 
 メイドに全てを話す。最初は半信半疑の表情だった。下手をすると公爵家から追い出されてしまうのだ。その躊躇いが彼女に少なからずあった。
 
「承知しました」
「両親に話したければ話してもいいわ」
「いいえ。このような話、本当なら誰も信じません。ですが私は違いますので」
「どう言う意味?」
 
 メイドは彼女に微笑み掛けてきた。
 
「ようございました。術はきちんと発動したのですね」
「術?」
「ええ。この国は理不尽です。私の事はお気にならさらず。お嬢様が国を出た後、この国は滅ぶのです」
 
 メイドの言葉はにわかに信じられなかった。だが、生きていたい彼女は、婚約破棄される半年間、できる範囲で金銭を自力で稼いだ。そう、自力でなくてはならないのだ。公爵家のお金を渡された結果、捕まり、理不尽な目に遭ったのだから。
 
 そして、彼女の身は既に平民となっていた。これで何の躊躇いも必要ない。平民の女性が着る服を手に入れ、必要な荷物をまとめて置く。髪は市井に降りたら切り落として売る予定だ。貴族特有の銀髪は特に丁寧に手入れをした。最終的には売るのだから、商品価値は上げておかなければいけない。
 
 そうして、この日を迎えたのである。
 
「オリビィア、貴様とは婚約を破棄する。妹に対する所業、知らないと思っているのか!」
 
 卒業パーティーでの断罪劇である。ちなみに、彼女は妹を虐めてはいない。今並べ立てられている所業は全て、彼女が妹と両親から受けた仕打ちである。面の皮が厚いとはこの事だな、彼女はそう心の中で嘆息する。王太子が満足するまで喚かせ、彼女はしっかりと二人を見据えた。王太子にしなだれ掛かる、見た目だけが綺麗なお人形。それが妹だ。勉強をするのを嫌い、成績は最下層。それを私が虐めているせいだと嘯いていたのだろう。だが、彼女がいなくなれば、そんな嘘は暴かれるのだ。
 
「分かりました。お受けしますわ。何せ、私は既に貴族令嬢ではありませんので」
 
 私の爆弾発言に会場は騒然とする。
 
「つまり、貴族としての義務は発生しません。市井の者は自由ですものね」
 
 何の未練もない微笑みだ。それに危機感を覚えたのは他でもない妹と両親だ。彼女から搾取することのみ考えていた愚かな者達。
 
「国王陛下もいらっしゃいました。丁度良いですね。私、オリビィアは今日をもってこの国を出て行きます。最低の事をしたのですから当然の報いと受け入れます」
「いいえ、お姉様、国を出るなど」
 
 妹は狼狽える。彼女を利用しようとしていたのだから、当然だろう。
 
「私はもう姉ではありませんわ。何せ、公爵令嬢ではありませんもの」
 
 息を切らせた国王が彼女の前に来るが、その表情は蒼白だ。
 
「オリビィア嬢、待ってくれ」
「いいえ。私は貴族ではないのです。本来なら、この様に目通りするなど不敬に当たります。今までお世話になりましたわ。末長い繁栄をお祈り申し上げます」
 
 彼女はそう言うと、令嬢らしい見事な礼をしてみせた。そして、そそくさと会場を後にし馬車に乗り込む。急いで屋敷に戻り服を着替えた。
 
「今までありがとう。貴女も逃げてね」
「ええ、お嬢様。大丈夫です。いつかまた会いましょう」
 
 彼女はいい笑顔で屋敷を後にする。メイドはそれを見送り、目を細めた。
 
「さて、どうしてくれましょう。私の可愛い娘を蔑ろにするなど。本当に公爵家は腐ってしまったわね」
 
 きつく結い上げていた髪を解くと、漆黒の髪が真紅に染まる。そして、正気を取り戻し追って来た者達を一瞥する。
 
「ま、魔女殿っ……」
 
 上擦った声を上げたのは国王だ。
 
「私は何度も言いました。娘を蔑ろにする者には容赦しないと。時間を巻き戻し、娘は逃しました。公爵家はどうしょうもない。今まで加護を与えていたが、それも娘が国を出ると同時に消失します」
「この国の結界はっ!」
 
 真紅の魔女は何を言っているのだと言う顔の後、恐ろしい程の笑みを浮かべた。
 
「娘が一歩、国の外に出れば消えるわね。当たり前でしょう。私の力は愛する人の為に使っていたのよ。その愛する者を蔑ろにし、使い潰し、断罪して殺すなど」
「まだ、死んでは……っ」
「煩い! あの子は一度死んだのだ! その時間を私が巻き戻したから生きているだけだ! お前達など苦しんで死ねば良い!」
 
 真紅の魔女はそう言うと、すっと姿を消した。国王は慌てて彼女を探したが、見つける事は叶わなかった。それどころか、二日後、国の結界が消失する。同時に起こった魔物の襲撃は、騎士や兵士では対応出来なかった。国が魔物に蹂躙される。その様を魔女は遠目で確認する。愚か者の末路を。
 
 彼女、否、オリビィアは現公爵ではなく、前公爵の娘だった。つまり、現公爵とは歳の離れた兄弟であった。それを前公爵が後継者であった息子に託したのだ。大切にする様に、そう伝えて。それであるのに、酷い仕打ちをしていた。妻と娘が妹を虐めていても放置していた。
 
「公爵よ。いや、元公爵と言おう。余は魔女殿に話を聞いて大変な事をしてくれたと憤りを感じている」
 
 国王の言葉に、元公爵は体を小さくする。まさか、オリビィアのメイドが魔女であり、その魔女がオリビィアの母親であると知らなかった。元公爵の父親と魔女との間の娘だと知らなかった。ただ、大切に育む様に、そう、今際に言い渡されていた。それを軽く考えていたのだ。
 
「魔女は基本、国に干渉はせぬ。ただ、例外があってな。愛する者がいる場合にのみ、その力を国に及ぼしてくれるのだ」
 
 国王は頭が痛いと溜め息を吐く。
 
「王太子、いや、廃太子だな。お前が断罪したのは魔女殿の愛娘だ。前公爵との間に生まれたな」
「私は知らなかったのですっ」
「知らないで済まんのだ。今の国の有様を、お前はどう捉える? 他国の救援は望めぬのだぞ」
「何故ですか?!」
「魔女を怒らせた愚かな国。そう言われておろう。今まで、魔女殿の結界のお陰で平和であったのだ。隣国はそれを知っておる」
 
 国王は国民に出来る限り国を出る様に通達した。王侯貴族は国を出る事を禁止した。おそらく、どの国でも受け入れてはくれないだろう。
 
 元王城であった廃屋の王の間の椅子に国王は座っていた。逃げる事は王として認められぬ。他の王族、貴族は逃げようとした様だが、全てが命を失った。それを国王は知っていた。今、目の前にいる者のお陰で。
 
「公爵家をどうにかしていれば滅びはしなかったのよ。分かっていたでしょう?」
「だからこそ、王太子と婚約させた」
「ふふ。そんなもの、あそこの人達が認めるものですか。お馬鹿な娘を甘やかし、私の娘を蔑ろにしていたのよ。屋敷の中では粗末な服を着ていたわ。王太子からの贈り物は全て、我が儘娘が奪っていたのよ。何故、身に付けない、そう言われても身につけられるわけが無いわ。手元に無いのだもの」
 
 国王は目を見開く。そんな事になっているなど、全く知らなかったのだ。
 
「あの子はね、一度、殺されたのよ。お馬鹿な娘と愚かな王太子に。能力もないのに王太子妃になったのだもの。その執務を、あの子に押し付けて、馬鹿娘が犯した罪を着せられて断罪されたの。そう、貴方にね」
 
 魔女は冷たい視線を国王に投げる。
 
「許さないわ。死んでもね」
 
 魔女の言葉に国王は戦慄する。つまり、今の国王の姿はそう言う事なのだ。全身が石化し、動くことが出来ない。滅んでいく国を見続けるそれが罪なのか。魔女は振り返る事なくその国を去った。


終わり。
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