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婚約破棄は滅亡の序曲

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 生まれ変わったら、前世の記憶は無いに等しい。それは、命ある者に等しく。だが、彼女はある言葉を聞いた瞬間、その記憶が蘇った。思い出してはいけない記憶であり、そして、思い出してしまったら従う他ない。

 
      †††
 
 
 その男は禍々しくも豪華な椅子に座っていた。広い広間の様なその場所は、人間の世界では謁見の間と呼ばれる場所に似ている。椅子に座る男はピクリと眉を動かし、ゆっくりと瞳を開ける。澄んだ宝石の様な真紅の瞳。青白い肌。そして、その髪は美しい紫の色。魔王、彼はそう呼ばれている。魔王はその口元に笑みを浮かべた。百年以上、魔王はこの時を待っていた。大切な愛娘が人間に熱を上げた。その人間は愛娘の魔力だけが欲しかったのだ。知っていたが、好きにさせた。
 
「陛下」
 
 音もなく彼の御前に姿を現した存在。魔王である彼は一瞥する。
 
「時は来た。軍を編成し、彼の国を取り囲め」
「御意」
「だが決して、あの国に入るな。逃げ惑う人間には容赦ない死を与えろ」
「仰せのままに」
 
 魔王はゆっくりと立ち上がる。そして、その姿を霧の様に霧散させた。
 
 
      †††
 
  
「レイティア、貴様との婚約を破棄する。何故私が、あんな世迷言の犠牲にならねばならんのだ。魔力は私自身のものだっ」
 
 彼女は俯く、そして、笑いが込み上げる。過去の自分の何と愚かな、そう思わずにはいられない。全ての魔力を捧げたというのに、まるで自分の魔力であるかのような物言い。
 
「それは違いますわよ。ああ、何て愚かだったのかしら。お父様の言っていた通りでしたわ」
 
 レイティアはそう言うと顔を上げた。そこに映る瞳の色が真紅に染まっている。彼女の瞳の色は緑であった筈である。レイティアの元婚約者の男、ジュールは目を見開く。彼女の瞳は魔族の中でも特に美しい色をしている。それは上位の位を持つ魔族の証だ。澄んだ真紅の瞳は莫大な魔力を持っている者の証だ。
 
「私の魔力は返していただきました。魂に刻まれていた術式は回収させていただきましたわ」
 
 その言葉の後、彼女の金髪が紫色に変わる。その場にいた者達は驚愕に目を見開いた。そして、美しい金髪であったジュールはその髪色を色褪せた灰色の髪に変えた。金の瞳も同様だった。
 
「せっかく、譲り渡していましたのに、愚かですわね。私がこの国にいて、ジュールの魂に魔力を預けていたから侵略されていなかっただけですのに。ああ、私はお叱りを受けるかしら。人間などにうつつを抜かしたと。今なら、本当にそう思いますわ」
 
 レイティアの言葉に、婚約破棄を突き付けた目の前の男は自分の両の手を見詰めた。体内の魔力がいきなり消え失せたのだ。傍にいる女。セシリアはジュールの変化に驚愕する。
 
「何故……」
「簡単ですわ。私が前世で術を使いましたの。その時に父に言われたのですわ。人間は信用ならない。だから、もし、私を切り捨てたら、魔力が戻るように術を掛けろと。父の言葉を実行して良かったですわ。泣き寝入りするところでした」
「どう言う事だ?」
「私の父は魔王ですわよ。愚かな私は貴方の前世の方に恋をしたのです。その証に魔力をお渡ししました。確かに、添い遂げましたわ。魔力を渡したので寿命は人と同じでしたもの。でも、今分かりましたわ。前の貴方も、ただ、魔力が欲しかっただけ。記憶がなければ約束など簡単に反故にしてしまう。ああ、魔王軍が動き出しましたわ」
「そんなことが……」
 
 レイティアは彼女を中心に魔力を放出する。高濃度の魔力は人のそれとは確実に違っていた。長い紫の髪が空を舞い、目を細め恍惚とした表情を浮かべる。久々に体内を高濃度の魔力が駆け抜けていく。
 
「魔力を失った貴方が私に勝てるとでも? 魔力に頼り切りで剣技すら子供並みですのに。頭も残念ですし、魔力がなくなれば、何一つ、良いところがありませんわね」
 
 レイティアは嘲笑う。今までどれだけ冷遇されていたか。それに、この国にもう義理はない。そう思っていると、目の前に見慣れた姿が現れる。そう、彼女の本当の父親である魔王である。
 
「気は済んだか」
「お父様の言っていた通りでしたわ」
「人間は愚かだからな。余も騙されて魔力を渡していた過去がある。やはり、身に受けないと分からぬからな」
「まあ、そうでしたの?」
 
 いきなり繰り広げられる会話に、何より、ひしひしと感じる威圧感に人々は戦々恐々とする。
 
「その国は魔力を取り戻すと同時に滅ぼした」
 
 魔王は喉の奥で嗤う。今この場にいる者達は理解する。つまり、この国はその国と同じ道を辿るのだ。何も知らなかった、知ろうとしなかった、その代償がこれである。
 
「ま、待ってくれ……」
 
 婚約破棄を言い渡した愚かな男、ジュールは焦った。このままでは国王に断罪される。いや、裁判さえなくそのまま手打ちになる可能性もある。しかし、彼はもう一つの可能性を排除していた。
 
「待つわけがないでしょう。そうそう、私ずっと我慢していたの。どれだけ、我慢を強いられたか」
 
 貴方に分かるかしら? レイティアは言うなりその右手に禍々しい一本の剣を顕現させる。それは普通の剣ではない。彼女の魔力が作り出した剣だ。刀身が纏うのは禍々しい魔力。赤黒い気を纏っている。
 
「お前の顔など見たくもない。この世に存在するのも許せないわ。だって、屑以下の存在だもの」
 
 軽く剣を薙ぐとジュールの首は呆気なく落ちたのである。本人は何が起こったのか分からなかっただろう。それ程、鮮やかに首は落ちたのだ。血飛沫が辺りに飛び散る。阿鼻叫喚した人々は体を強張らせた。傍にいたセシリアは悲鳴を上げる。ジュールの血を浴び、その身は赤く染まっていく。元々、赤い髪をしていたが、それよりも血の色は鮮やかだった。
 
「魔族を利用するだけ利用して、タダで済むと思っているのかしら。その報いはしっかり受けていただくわ」
 
 そして、今の今まで無視していたが、元婚約者の横に居た愚かな女セシリア。高い身分を持っているが、魔王の娘であるレイティアの方が身分は遥かに上だ。ジュールは父親が伯爵位を持ち、首を切り落とされた息子の体の後ろで腰を抜かしている。セシリアは更に高位の侯爵家の令嬢。だが、他人の婚約者を奪う所業は貴族令嬢として問題がある。
 
「お前のおかげでとんだ恥を晒しました。私直々に手を下して差し上げますわ」
 
 レイティアの笑みは壮絶だった。その瞳にあるのは許さないと言う確固たる意思。悲鳴は喉の奥に張り付いた。足から力が抜け、その場に座り込む。
 
「本来なら、この場は私と今は床と仲良くなっている愚かな男との婚約披露でしたわね。本当に恥晒しでしたわ」
 
 レイティアは何かを思い付いた様に指を鳴らした。目の前にいた愚かな女を球体の中に閉じ込める。セシリアは悲鳴を上げ、恐慌状態に陥った。
 
「貴方にはこの国の滅ぶ様を見ていただきましょう。そして、最後は魔物の餌として生きたまま晒して差し上げますわ。柔らかそうですし、魔物も喜びますわね」
 
 その残酷な言い様に、全ての人々がまるで壊れたおもちゃの様に一斉に走り出す。レイティアは笑い出す。逃すなどあり得ない。会場に響く笑い声。レイティアを蔑み、見下していた貴族達。確かにレイティアは子爵家の令嬢として生を受けた。彼等はジュールの言葉を全面的に信じていた。伯爵家に伝わる言葉の真の意味を理解していなかったのだ。
 
「この国の全ての人間は私の糧になってもらうわ。無駄な時間を費やしたのだから」
 
 魔王はそんな愛娘の姿に微笑んだ。レイティアはまさしく、魔王の血を引く王女である。魔族は基本的に血を好む。しかし、無駄な殺生はしない。それでも、今回は完全な魔族に戻るために贄が必要だ。魔力と共に記憶を取り戻し、一つの国の人間達の命を持って完全な元の肉体を手に入れる。
 
「お父様。軍はどうしていますの?」
「お前がこの国を潰すだろうと考えて、国の外で待機させている」
「流石お父様ですわ」
「逃げ出す人間は全て殺す様に命令してある」
「手回しが良いですわね」
 
 セシリアはそんな二人の会話に何も言えなかった。魔族は裏切ると何をするか分からない。無駄に刺激してはならない。小さな子供でも知っている知識だ。
 
 その後、国がどうなったのか。語る必要もない。一人の魔族の魔法がその国を焼き、爛れた大地が横たわっていた。他の国々は再び起こった惨劇に恐怖する。魔族は怒らせてはならない。ましてや、利用してはいけない。もし裏切れば手酷い報復が待っている。
 
 
終わり。
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