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神のみぞ知る?

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 世の中、理不尽が罷り通る。彼女はそう感じながら、役目が終わったことを実感した。目の前で繰り広げられるのは正当な場面だと彼女も分かっていた。分かっていないのは、彼女をこの場に引き摺り出した偽りの家族である。父親は辛うじて血は繋がっているがそれだけである。義理の母親、義理の兄、義理の姉は不満気に彼女を睨み付けていた。本来なら、この場に立っていなければいけないのは義理の姉である。しかし、彼女は社交界で非常に評判が悪い。
 
「王太子の婚約者はこの令嬢に決まった」
 
 国王が高々に宣言した。王太子の隣にいるのはこの国の公爵家令嬢。高位貴族であるにも関わらず、おっとりとした人物だ。見た目だけで無いのが奇跡の様な令嬢である。選ばれて当然なのだ。
 
 ハリボテ伯爵令嬢である彼女は思案する。さっさとあの家を出なければ何をされるか分かったものでは無い。勿論、与えられた物は全て置いていく。本当の母親には手紙を出そう。逃亡は跡を残さず速やかにである。優雅に王太子とその婚約者に礼をし、国王夫妻にも同様に礼をした。そして、さっさと退出である。早足で廊下を歩き、義理の家族とは別に送り出された馬車に乗り込む。御者は怪訝な顔をしたがすぐに出してくれた。
 
 伯爵家に拐われる様に連れてこられて八年。地獄の日々だった。礼儀作法など知らないまだ七歳の子供に鞭打つ様に習得させる鬼畜さ。一つ上の伯爵令嬢は傲慢を顔に貼り付けていたし、三歳年上の伯爵令息は彼女に手を出そうと虎視眈々と狙っていた。手を出されなかったのは、王太子の婚約者候補であったからである。
 
「あの家、本当に大丈夫かしら。国王陛下のあの表情、この時を待ってましたと言わんばかりだった」
 
 父親である伯爵は黒い噂が絶えない人だ。伯爵家自体が長い歴史の中で黒い噂と共に歩んできたと言っても良いのかもしれない。
 
「やっと捕まえられるってところかしら。とばっちりは勘弁してほしいわ」
 
 あの伯爵はたくさんのメイドに手を出していた。偶々、王太子と同じ年齢だった彼女が選ばれたが、他にも子供は沢山いたのだ。彼女の母親はそれを知っていた。知っていたからこそ、彼女に涙ながらに頼んだのだ。少なくとも、彼女の本当の母親は礼儀作法をある程度習得していた。その為か彼女も他の子供たちよりはマシであったのだ。
 
「母さんは納得してくれるでしょう」
 
 独りごちし、彼女は馬車の外に目を向ける。長い八年間だった。拘束されて、令嬢としての教育を施され地獄だった。しかし、考えてみれば、それだけの教育を施すとなれば金銭が発生する。この国を出て、それなりの働き口を確保するのは大変であっても有利である。同じ言語圏の国を選べば更に暮らしやすいだろう。文字が読め計算が出来、貴族令嬢の作法を身に付けている。しかも、幼いとは言え、市井で生活をしていた。ある程度なら対応出来るだろう。彼女はそう考えていた。
 
「お待ちしておりました」
 
 屋敷の前まで来ると一つの馬車と一人の人物が立っていた。その姿に見覚えがある。今しがた婚約者が決まった王太子の側近。未来の宰相様だ。
 
「私は逃げ遅れたのかしら……」
 
 彼女は嘆息する。ここに彼がいると言うことは、婚約者決定のパーティーが始まる前に動いていたことになる。たとえ、彼女が何もしていないと言っても認められないだろう。一族は一蓮托生なのだ。
 
「いいえ。貴女は裁かれませんよ。そんなことを言ったら、あの伯爵の子供全てが捕まる事になる。そんな手間、国王陛下はなさいませんよ。把握はされてますけどね」
 
 それに、と彼は言葉を続けた。
 
「伯爵の子供は全て彼を憎んでいますよね。何せ、するだけして、孕ませるだけ孕ませて、後は捨て置く。鬼畜の所業です。母親を亡くした子は実は国で手厚く保護されていますよ」
 
 彼女は目を見開く。つまり、国営の孤児院に入っていると言っている。国が運営する孤児院は厳密な審査が存在する。誰も彼もが入れるわけではない。他の孤児院も確かに国の補助は出ているがそれとは訳が違う。
 
「私は国王より、貴女を保護するようにと言伝かっています。貴女は伯爵家の内情を知っておられる。何より、婚約者が決まればおそらく、国外に逃げるだろうと予測はしていますよ。あの一族は本当に異性にだらしない。義理の兄が貴女に手を出すことは容易に想像できます。父親の可能性もありますね。ああ、義理の母親は少女を痛ぶる性癖があります。どっちにしても、良い未来ではありません」
 
 彼女は竦み上がった。酷い人達であるとは認識していたが、あまりに酷すぎる。
 
「ああ、そこの御者の方、ご足労かと思いますが一緒に来ていただきますよ」
 
 彼はそう言うと、何処かに控えていた兵士に彼を拘束させた。
 
「貴方は伯爵に告げ口するかもしれない。保険は必要です。大丈夫、ほんの少し牢屋で寛いでいただければ良いのです」
 
 彼女は御者に視線を向けるとギョッとした。彼の瞳は憎しみで澱んでいたからだ。彼女を睨みつけ、歯噛みしている。
 
「ああ、やはりそうですか。伯爵と一緒にやらかしていましたか。もしかして、屋敷に彼女を送った後、乱暴しようとでも思っていましたか?」
 
 彼女ははっきりと自覚した。伯爵家の屋敷に安全な場所などない。メイドにしても執事にしても、庭師や果ては御者まで。彼女の味方となる者はいなかったのだ。
 
 城に逆戻りした彼女が目にしたのは、拘束された元家族だった者達と、屋敷にいた使用人達。唯一、そこに居なかったのは、厨房をあずかる者達だけだった。それ以外は伯爵の息がかかっており、婚約者とならなかったが最後、何をされていたのか分からなかっただろう。
 
「随分と舐めた真似をしてくれていたものだ」
 
 国王は深い溜め息を吐いた。彼等は騙せていたと思っていたのだろう。そんなことはないのだ。
 
「女性の使用人は全て孤島に立つ修道院へ。尚、元伯爵夫人と元伯爵令嬢は更に厳しい高山に立つ修道院へ送る。尚、一生涯出てくることは認めん」
 
 彼女達は愕然とする。伯爵の所業を黙認し、夫人と令息、令嬢の言いなりとなっていた。
 
「その他、男性使用人は鉱山での労働。尚、そこで発生する賃金は全て、孤児院に寄贈される。分かっているな」
 
 彼等は身震いした。伯爵の手付きになり、孕んでしまった年若いメイド達を追い出していた。しかも着の身着のまま、それまでの賃金すら横領していた。
 
「そして、元伯爵と元伯爵令息」
 
 伯爵とその息子は空な視線を国王に向けた。
 
「違法薬物の製造、および、それらを他国に売り捌く、それらの所業。他国からも非難を浴びている。お前達はこの国での罪状が確定後、他国でもその罪を裁かれる。しかも、まだ年若い女性を傷物にし、飽きれば捨てる。何か勘違いをしているな」
 
 国王は徐に立ち上がった。
 
「貴族とは何をしても許されると思っていないか? 貴族とは責任を取らなければならない。だからこそ、贅沢が出来るのだ。それであるのにお前達はどうだ? 責任を取るどころか、好き勝手していた。その皺寄せを他の貴族が補っていたのだ。それであるにも関わらず、やりたい放題。流石に目に余る。当然、貴族の義務を放棄していたのだ。貴族籍剥奪は当然の報いだろう」
 
 国王はそう言うなり、連れて行けと命令を下す。兵達は任務を速やかに遂行した。
 
「すまなかった。もう少し早く実行したかったのだが、なかなか証拠が捉えられなくてな」
 
 彼女に国王は頭を下げた。慌てたのは彼女だ。
 
「あの、私はどうなりますか?」
 
 彼女は首を傾げた。罪には問われないと言われても、連れてこられたのだ。
 
「そこは私が」
 
 そう言ったのは王太子の側近である彼だ。
 
「王太子妃殿下のそば付きになるつもりはありませんか?」
「え?」
「貴方は他の令嬢方とは違う。見ていればわかりますよ」
「何故ですか?」
「王太子妃殿下が貴女が良いと言ったのですよ。どのみち、他国に渡り仕事を探す予定だったのでは?」
「……それはそうですが」
 
 彼女は理解出来なかった。確かに元伯爵に手を貸すつもりはなかった。彼等としても、彼女に手伝わせる気はなかっただろう。家族と言いながら、その実は使用人と変わらない。ただ、いい服を着て高度な令嬢の教育を施されただけだ。
 
「それは監視込みでしょうか?」
「おや? 疑うんですか?」
「ええ。確かに私は彼等に手を貸してはいません。ですが、完全に白だと思ってもいない。そうではないですか?」
 
 彼女の言葉に周りにいた者達は楽しそうに顔を綻ばせた。普通ならすぐに飛びつく。それであるのに、疑って質問してきたのだ。
 
「大したものです。まず、疑いますか?」
「普通ではないでしょうか。目の前で一緒に暮らしていた家族が囚われたのです。それであるのに私だけ無罪と考えません」
「合格です」
「え?」
 
 彼女は何が合格なのか首を傾げた。ごく当たり前の事ではないか。少なくとも、彼女は母親と引き離される時、そう教わったのだ。全て疑って考えるように。そうしなければ、その身すら危うい。何より伯爵家に染まってはならない。
 
「私は母の生活の為、何より、会ったことのない兄弟の為に伯爵家に来ました。彼等はどうであったのか知りませんが、私が王太子妃になれない事も承知していました。ですから……」
 
 自由にして欲しい、それが彼女の切なる願いだった。拘束され、無理矢理勉強をさせられた八年間。苦しかったし、何より、母に会いたかった。手紙すら許されていなかった。
 
「陛下。お許しいただけますね?」
 
 国王は呆れたように息を吐き出した。王太子の婚約者が決まった以上、側近達も婚約者を決めねばならない。この、次期宰相であり、現宰相の息子は目の前の伯爵令嬢に早い段階で目を付けていた。他の令嬢とは違うと感じたからこそ調べた。母は伯爵家のメイドであった娘。元は男爵令嬢であったが、父親が罠に嵌められ爵位を剥奪された。母親と共に伯爵家のメイドとなり、伯爵の手付きになると追い出された。そう、彼女の母親はれっきとした令嬢であったのだ。罠に嵌めたのは元伯爵である。元伯爵は彼女の母親をどうしても手に入れたかった。決して従順ではないが控え目。思い通りになると思ったのだろう。しかし、彼女の母親は芯が強かった。無理矢理手込めにされたが、それでも強い意志で屈することはなかった。強い女性であったのだ。
 
「認めよう。しかし、そのままでは認められない。分かっているな?」
「勿論です。叔父上の許可は得ています。今日にでも養女となる手続きを完了できます。後は陛下の許可だけです」
「流石だな」
 
 彼女は目を見開く。現宰相には弟が一人いる。侯爵家が持つ爵位の一つ。伯爵位を継いだ方だ。
 
「待ってください! どういう事ですか?!」
 
 王太子の側近である彼は、悪い笑みを彼女に向けた。どうも自分自身を偽るつもりはないようだった。
 
「君は叔父上の養女になって、私の妻になるんだよ」
「は?」
「元々、逃すつもりはなかった。殿下にも告げていたから、貴女は早い段階で王太子妃の候補から外れていたんだよ。でもね、伯爵家は本当に危険だった。だから、保険として他の令嬢と一緒に王太子妃教育を受けてもらっていたんだよ」
 
 本当に上手くいって良かったと、いい笑みを浮かべていた。彼女は混乱してしまい、考えが纏まらない。今日には王都を離れ、乗合馬車で隣国に旅立つ予定だった。それであるのに、何がどうなりそんな話になるのか。
 
「これで君は私のものだ」
 
 言うなり近付いて来ると、左手を徐に取り薬指に大きなダイヤの付いた指輪を嵌めたのだ。彼女は驚愕に目を見開き体を震わせた。
 
「捕まえた。覚悟して」
 
 彼女は意識を失いたいと真剣に考えた。しかし、彼女の精神は伯爵家の人々に鍛えられ、決して意識を失うことはなかったのである。
 
 その後どうなったかと言えば、あれよと言う間にありとあらゆる事が整えられ、一年後には結婚してしまう。彼女の母親も同じ屋敷に招かれ、腹黒い旦那様となった彼と実に楽しい結婚生活を送ることになる。逃げ遅れた事が良かったのか。良くなかったのか。それは神のみぞ知るである。
 
 
終わり。
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