浅い夜・薔薇編

善奈美

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Ⅹ 双月の奏

31 第三十楽章

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「やだっ。どうして、こんな格好しないといけないんだよっ」
 
 ヴェルディラは暴れたのだが、如何せん、相手が悪すぎた。
 
「何を言っていますの。貴方は主役ですのよ」
「これから舞台人になるんだから、勿論、これくらいしないと駄目じゃない」
 
 レイチェルとジゼルに畳み掛けるように言い切られる。
 
「旦那様だって、妻が普段は男だからって、舞台の上でまで男の姿では、格好が付かないじゃないの」
 
 ジゼルは呆れたように言い、鏡の前の椅子に強引に座らせた。
 
「シオンと同じくらいの身長ですし、顔立ちも可愛らしいですし」
 
 レイチェルは言いながら、短い髪をピンで後ろに留め始めた。

「短い髪は付け毛でカバーですわ」
 
 レイチェルは言いながら、ヴェルディラの頭に同じ色合いの付け毛をピンで留めた。
 
「アレンから許可を貰って、これを用意したわ」
 
 ジゼルは嬉々として青薔薇を髪に飾る。そして、留めとばかりに、顔に淡い化粧を施す。
 
「出来ましたわ」
 
 レイチェルとジゼルは満足げに頷き、ヴェルディラを立たせると、呆然と見ていたティファレトと二人の母親に出来上がりを披露する。
 
 元々が童顔で、男と言うよりも、中性的な顔立ちのヴェルディラは、ジゼルとレイチェルによって、立派に女性へと変貌していた。

 それを見た三人は瞠目する。
 
「完璧ですわ」
「ファジュラには燕尾服を用意したわ」
 
 ジゼルの言葉にレイチェルは歓喜する。
 
「絶対に似合いますわ」
「本当なら、一から作りたかったんだけど、三日では無理よね」
 
 ジゼルは当たり前のように言ったのだが、驚いたのは三人だ。次元が違いすぎる。
 
「今回は諦めるしかありませんけど、《婚礼の儀》は、完璧に仕上げてみせますわ」
 
 レイチェルは高らかに宣言する。ティファレトは連れ去られた後、母親達の口から告げられた事実に、恐慌状態陥った。ヴェルディラとファジュラの《婚礼の儀》は理解出来る。

 婚礼どころか、子供まで居るティファレトとアーネストに、《婚礼の儀》は必要ない。だが、ジゼルの一言に、倒れそうになった。
 
「薔薇の夫婦の言葉は長様達より優先されるのよ。絶対的発言力があるの」
 
 つまり、どんな無茶な注文も、何とかなるならまかり通るのだ。
 
「素敵でしょう。二組の《婚礼の儀》はシオンとカイファス以来なのよ」
「しかもですわ。アレンが好きに衣装を作らせてくれるんですのよ」
 
 当然、金銭の話をしたのだが、しれっとジゼルはたいしたことはないと言った。出すのは黒薔薇の主治医なのだから、心配はないというのだ。

 それはおかしいと何度も言ったのだが、全部族長が認めたのだから、決定したのだと突きつけられた。
 
「さあ、行きましょう。お客様が来る前に、薔薇園に行かないと」
「気になったんですけど、何故、薔薇園ですの。大広間でも問題ないのではなくって」
 
 レイチェルがジゼルに訊いてきた。確かに、疑問だ。
 
「シオンが聴きたいとだだをこねたみたいね。でも、アレンは連れて来る気がないのよ」
 
 言い合いの末、シオンがくったりとしてしまい、アレンは慌てた。それで、アレンがアーネストに訊いたのだ。外で音合わせをしても問題ないのだろうかと。

 ファジュラの扱う楽器はヴァイオリンだ。ピアノと違い、騒音にならなければ、どこで演奏しようと問題ない。黒薔薇の主治医の敷地は、とてつもなく広い。大きな音をたてようと、全く問題ないのだ。
 
「シオンのために、薔薇園の中央部にある四阿まで行かないといけないのよ」
「そう言うことですの。それなら判りますわ」
 
 レイチェルは頷いた。
 
「そうだわ。ヴェルディラが身につけている物は、そのまま、引き取ってね」
 
 ジゼルは満面の笑みをティファレトに向ける。ティファレトは引きつった笑みを見せることしか出来なかった。

 
 
      †††
 
 
「しっかし、この辺りも薔薇だらけだな」
 
 ゼロスは呆れたように溜め息を吐いた。
 
「薔薇以外植わってないのか」
 
 フィネイは隣に居るアレンに問い掛けた。
 
「薔薇以外も植わってる。シオンが居る離れの周りは薔薇だけだが、他の二つの離れには、別の植物も植わってるぞ」
 
 それは知らなかった。絶対的に薔薇が多いのは、アレンのせいばかりではない。先祖代々、しかも、レイから話を訊くと、この場所には元々、薔薇が自然に育っていたようだ。
 
「原種の薔薇も彼方此方に植わってたんだが、俺が移植したんだ」
 
 消えないように、アレンなりに保護したらしい。

「ほら、変色する薔薇があっただろう」
 
 アレンの問い掛けに、ゼロスは頷いたが、フィネイは首を捻った。それを察したのか、アレンは苦笑いを浮かべる。
 
「摘む前は深い色合いの赤で、摘むと黒く変色する薔薇があるんだよ」
 
 その薔薇は、ルビィとエンヴィの《婚礼の儀》で使われた。品種改良をしたのはアレンだが、元となる薔薇を育てていたのはレイだったのだ。
 
「驚いていたな。まさか、残っているとは思ってなかったみたいだし」
 
 フィネイは更に困惑を深めた。その様子に、後で見せてやると、アレンは笑いながら言った。あの薔薇は見ないと信じてもらえないのだ。

「訊きたいのですか」
 
 ファジュラが怖々と訊いてきた。
 
「何が訊きたいんだ」
「私は何故、燕尾服を着なくてはならないのですか」
「そんなの、お袋達の趣味に決まってるだろう」
 
 アレンはしれっと言い切った。ファジュラは目を見開く。当然、一緒に来たアーネストもだ。
 
「お袋達は変わったイベント事があると、張り切るんだよ。今頃、ヴェルディラは着せかえ人形になってるだろうさ」
 
 ジゼルとレイチェルをよく知るゼロスが、笑い出した。
 
「多分、随分と変わった出で立ちで現れるだろう」
 
 ゼロスは喉の奥で笑う。

 ファジュラは表情が強張った。彼等と関わるようになってから、身の回りで起こることは驚きの連続だった。
 
 特にアレンとゼロスは平然と母親達の行動に対応しているばかりか、煽りもしている。
 
 直ぐに暴走することは短い期間で判っている。だから、ティファレトが連れ攫われようとしていても、見ているしか出来なかったのだ。
 
 燕尾服にしても、着慣れている物だが、用意されたそれは、今まで身に着けたようなことがない高級品だ。使われている生地から、釦、仕立ても、ファジュラが今まで袖を通したことがないほど、上質なものだった。
 
 敷地が有り得ないほど広大なのは判っているが、資産など、個人的な物は判るわけがない。

 それに、あの日、ファジュラとアーネストはアレンとファジールから、離れの館に連れて行かれた。
 
 館内は凄いの一言だった。館そのものが楽器だったのだ。玄関のエントランスに、何故かパイプオルガンが設置されていた。放置されていた割に痛みも古さも感じないのは、魔力で保護されていたからだ。
 
 他の部屋にも、沢山の楽器が納められていた。乱雑に置かれているように見えたが、違うことは直ぐに気が付いた。
 
 壁一面にある棚にはびっしりと音楽関係の資料から、楽譜まできちんと選別されて収納されていた。
 
 それを見たアーネストは驚愕していた。

 ファジュラとアーネストの館は、一度、火事にあっている。収蔵されていた貴重な品は、その大火で失われてしまったのだ。
 
 先祖代々受け継がれてきたからこそ、高価な品も、手元に残すことが可能だったが、失ったそれらの物を一から集めるのは無謀で、無理だったのだ。だから、今では地下に耐火の部屋を作り、そこに貴重な物は納められている。
 
 アレンとファジールが二人に譲りたいと言った品々は、先祖が集めていた物よりも高価で、希少価値がある物だった。
 
 当然、二人は絶ったのだ。しかし、アレンが恐ろしいことを口にした。血の気が失せてしまうほど、衝撃的な言葉だった。

「あんた達には貴重品かもしれないが、俺にしたら、ただのがらくただ。引き取って貰えないなら、廃棄処分決定だ」
 
 アーネストは、だったら、黒薔薇の楽師に譲るべきじゃないかと言ったのだが、ファジールが反論したのだ。
 
「僕達には価値がなくて、その価値も判らないが、諍いの種になるだけだ。だったら、黙って処分した方が、面倒がない」
 
 二人の説明に、驚愕したが、ある言葉を聞いたとき、何故、ファジュラに譲ろうとしたかの、謎が解けた。
 
 アレンは黄薔薇の夫で、ファジュラは蒼薔薇の夫になる。つまり、夫同士の間で譲られたのなら、不満はあっても、口出しはしてこない。

「輸送にかかる費用はこっちでみる。塵同然の品を押し付けるんだ。当たり前のことだろう」
 
 アレンは淀みなく言い切った。せめて、輸送費は持つと言ったのだが、却下された。つまり、一気に移してしまいたいのだ。
 
「《婚礼の儀》までに、場所の確保をしておいてくれ。指定された場所に運ばせる」
 
 ある意味、有無を言わせない迫力があった。二人は頷くしかなかったのだ。
 
 今更だが、黒薔薇の主治医の一族は規格外過ぎる。感覚が、普通とは明らかに違う。
 
「そう言えば、エンヴィを見ないな」
 
 フィネイはずっと、室内に籠もっていたので、状況がいまいち飲み込めていなかった。

「彼奴は自宅に戻って、仕事をしてくると言ってたな」
 
 アレンは架空を見詰め、ぽそっと呟いた。
 
「エンヴィなら、ルビィとトゥーイを連れて、先に行っていると言っていましたが」
 
 ファジュラが不思議顔で言ってきた。それに驚いたのは三人。
 
「何時戻って来たんだよっ。気が付かなかったぞっ」
 
 アレンは叫び声を上げる。確かに体のだるさで鈍感になっている自覚はあるが、そこまで酷くなったのだろうか。
 
「彼奴の静さは尋常じゃあないだろう。空気みたいだからな」
 
 ゼロスは肩を竦めて言った。
 
「まあ、いい。結局、何人が来るんだ」
 
 アレンはアーネストに視線を向けた。

「私の従兄弟夫婦と黄薔薇の親戚筋の楽師が数人だ。相手は決まっているし、形だけだからな」
 
 アーネストは淡々と受け答えた。ファジュラはいまだにアーネストの変わった口調に違和感しか感じない。これが本来の話し方だと言われても、生まれたときから敬語ばかりだったアーネストに、ファジュラの言葉使いは感化されたのだ。
 
「じゃあ、見える人影で、ほぼ、全員か」
 
 アレンは前方に視線を向け、見える人影にそう判断した。
 
 目的地に着くと、確かにエンヴィの姿がある。ルビィとトゥーイは持ち込まれたベンチに腰掛け、傍らにはカイファスの姿もあった。

「アーネスト」
 
 そう言いながら近付いてきた姿に、一同は目を見張った。アーネストがもう一人いる感覚だ。だが、髪質が違う。
 
「驚いた。何時、婚約者なんて用意していたんだ」
 
 サイラスは妻のジュリアスとアーネストに詰め寄った。
 
「お前も知ってるだろう。ヴェルディラだよ」
 
 サイラスは、何とも言えない表情を見せた。何故なら、ヴェルディラが男であることを知っているからだ。
 
「待てよ。いくら吸血族に女性が少ないからと言って、長様が男同士の結婚を許すわけがない」
 
 それに、ヴェルディラは蒼薔薇の部族で、普通に考えれば、女であったとしても、婚姻が認められるのは奇跡に近い。

「ヴェルディラは薔薇だそうだ。私は変化した姿を見ていないから、真意は判らないが、長様達が確認済みだ。数日前に、彼方の両親とのいざこざも解決した」
 
 アーネストは既に腹を括っているので、もう、なるようにしかならないと思っている。どう、言ったところで、二人を引き離すことは無理だからだ。
 
「俺が意見を言える立場じゃないからな。本来なら、こういった場に参加する資格もない」
 
 だが、アーネストはサイラス夫婦を呼んだ。サイラスはファジュラの師で、アーネストの従兄弟であり、幼馴染みだからだ。
 
 アーネストの時のように、審査する必要はない。

 一族に伝わる儀式を行う、その程度のことなのだ。本来なら、する必要はないのだが、黒の長は伝統は重んじるべきだと告げた。
 
 この館で二つの儀式を執り行うと決めたのは、全部族長なのだ。アーネストにも、この件について決定権はない。
 
「来たみたいだぞ」
 
 フィネイが館の方に視線を向けた。此方に向かってくる一団は、女性達。その真ん中に、囚人のように引きずられたヴェルディラの姿。
 
 ゼロスの言葉が蘇る。
 
 ヴェルディラは見事に飾り立てられ、どこからどう見ても男には見えない。本人はかなり嫌なのだろうが、取り囲む女性達に勝てるわけがないのだ。

「見事だな」
 
 ゼロスは喉の奥で笑う。
 
「まあ、女装は必要だろう。他の奴らと違って、満月だけ女じゃあ、仕事柄、無理だろうしな」
 
 アレンは腕を組ながら、当たり前のように言葉を口にした。
 
「どうかしら」
 
 ヴェルディラをファジュラの目の前に差し出し、ジゼルが嬉々としてファジュラに訊いてきた。ヴェルディラは少し不貞腐れ、そっぽを向いている。
 
「シオンよりも大人っぽいけど、他の子達より中性的だし、似合うでしょう」
 
 ジゼルとレイチェルは満足げに頷く。何も知らずに目の前に立たれたら、誰も男だとは思わないだろう。

「似合ってますよ」
 
 ファジュラは微笑んだ。
 
「似合うわけないだろう」
 
 ヴェルディラはまだ、納得出来ない。
 
「あら、似合うに決まってますわ」
「そうよ。本来は女性なんだから。男性用の正装より、女性のドレスの方が、似合って当たり前よ」
 
 その話を聞いて、固まったのは今日、儀式のために呼ばれた面々。
 
「それより、始めたらどうだ。長達も来たみたいだしな」
 
 アレンは先を促した。母親達の戯れ言に付き合っていては、先へ進まない。
 
 その言葉に我に返ったアーネストがヴェルディラとファジュラを促した。

 ヴェルディラとしては非常に不本意だ。だが、楽師として、人前でそのヴァイオリンの腕を披露し、特殊な一族故に、我が儘は言えないという事も判っている。
 
 ファジュラと共に居ると決めたのだ。ならば、多少のことには目を瞑らなくてはならない。
 
 声だって、本当なら出したくない。でも、アレンはヴェルディラが声変わりしなかったのは、必然なのだと言った。だったら、それを受け入れる勇気も必要なのだ。
 
 必要以上に澄んだ声。
 
 今、必要だというのなら、歌うしかないのだ。
 
「……大丈夫ですか」
 
 心配そうに、ファジュラはヴェルディラの顔を覗き込む。

 落ち着けるように息を吐き出す。
 
「大丈夫。音をくれよ」
 
 ジゼルとレイチェルが用意してくれた今の姿。女装も自分を守る鎧だと思えばいい。何時も人の目から逃げるように、溶け込むように生きてきた。
 
 後ろ向きだった全てから、決別する。
 
 ファジュラが弓を張り、ヴァイオリンの音を合せる。何時もの一連の動作だ。そして、ゆっくりと繊細で澄んだ音色が響き渡る。
 
 ヴェルディラは夜空を見上げた。淡い光を放つ月と、付き従うように煌めく星々。夜空は、何時も孤独の中で歌い紡いでいたヴェルディラを見ていてくれた。何も変わらない。

 ただ、夜空ではない、ファジュラの音と、ヴェルディラの声を聴いてくれる人達のために、今は歌えばいい。
 
 最初は抑えた声で歌い始める。少しずつ強弱をつけ、ティファレトが歌っていたように歌えばいい。ヴェルディラは結局、ティファレトの声を歌い方を聴いていたのだ。
 
 ファジュラの祖母に基礎を習い、ティファレトの歌がヴェルディラの歌の全てだった。他など知らない。吸収した全てで奏でればいい。
 
 ただ、形だけだと集まった者達は息をのんだ。その声は、音は奇跡だった。声は楽器だと言う者達が居る。ヴェルディラの声は確かに楽器にも匹敵する美しさだった。

 終わっても、誰一人、動かなかった。否、動けなかったのだ。その静寂を破ったのは薔薇達。
 
「何度、聴いてもうっとりするよね」
 
 ルビィは、溜め息混じりに呟いた。
 
「ずっと聴いてたいよな」
 
 トゥーイは同意する。カイファスはただ、微笑みを二人に向けていた。
 
「これほどとは……」
 
 そう、口走ったのは、音合わせに集められた者の一人だった。一族が長い間続けていた伝統は、途切れたりはしていない。それどころか、二人の才能に目を見張る。
 
「アーネスト」
 
 一族の長老と思われる者が、アーネストを呼んだ。

「形だけだと言っていたが、それは間違いであるようだな。これほど、美しい旋律を聴いたことはない」
 
 一旦、言葉を切り、改まったように、ヴェルディラとファジュラに向き直る。
 
「我々はお前達二人を認めよう。我が一族の直系の血筋の者として、精進するのだな」
 
 そう言うと、一緒に来た者達に視線を向けた。皆が皆、はっきりと頷いた。
 
「問題は無いようですね」
 
 黒の長の問い掛けに、皆、頷いた。
 
「では、別の場所で《婚約の儀》を行いますが、その前に、話があります」
 
 黒の長はそう言うと、ティファレトとアーネストに視線を向けた。

「まず、お前達に、詳しい話をしましょう。まだ、説明は受けていませんね」
 
 黒の長が言う説明とは、薔薇のことだろう。ティファレトとアーネストは素直に頷いた。
 
「事情は理解してもらわねばいけません。全ての始まりも全てです。まあ、私達も、全てを知り得ていませんけどね」
 
 黒の長はそう言うと、二人を促し、四部族長と共に本館に向かって歩き出したのだが、振り返る。
 
「お前達のことは後で呼びます」
 
 ヴェルディラとファジュラに一言言いおき、姿を消した。黄薔薇の親族も、それぞれの帰路に就いたのだが、サイラスとジュリアスは二人に近付いてきた。

「色々とあったみたいだな」
 
 サイラスは小さく嘆息した。
 
「はい。まだ、戸惑ってます」
 
 ファジュラは素直に答えた。
 
「まさか、相手がヴェルディラだとはな」
「実は、私はヴェルの変化した姿を見ていないんです」
 
 ファジュラの言葉に、二人は目を見開いた。確かに、今の見た目は女性そのものだが、今日は満月ではない。
 
「そうなのか」
「はい。話は変わるのですが、お願いがあるんです」
 
 ファジュラは改まったように、サイラスを見据え、あることを口にした。それを聞いた二人は面白そうに、瞳を輝かせる。ファジュラが言ったことは、確かに、今までの一族の決まり事に反していた。

「ヴェルと相談して、私達は特殊ですし、許されるのではないかと」
「まあ、長老達も駄目とは言わないだろうけどな。家族でね」
 
 ヴェルディラは不安げにサイラスを見上げた。
 
「いいだろう。でも、まだ、治療中なんだろう」
 
 サイラスの言葉に、ファジュラは苦笑いを浮かべた。確かに、体調は万全ではないが、怪我や病気の類ではない。ただ、体内の血液が足りていないだけなのだ。
 
「それについては、アレンに相談しました。お二人が私達の元に来るのは構わないそうです」
 
 黒薔薇の主治医の館は、かなりの人口密度だ。それは、訪れたことで理解出来る。

「そうなのか」
「私達はアレンの許可がなければこの館の敷地から出られません。両親は自宅に戻ると思うので、こっそりと準備するなら、此処しかないのです」
 
 確かにファジュラの顔色は吸血族だとしてもかなり悪い。ヴェルディラは薄く化粧を施しているのでわかりにくいが、体調そのものはあまり良くないのだろう。
 
「判った。だが、楽器は」
「それも、大丈夫です。私のヴァイオリンも譲ってもらった物なので」
 
 サイラスはファジュラの手にあるヴァイオリンに視線を向けた。ファジュラが愛用していたヴァイオリンは、祖父が孫に贈ったものだ。

 あの当時、予算の範囲内で購入したヴァイオリンだったが、それでも、良い品だった。だが、今手にしているヴァイオリンは次元が違う。ヴァイオリンの奏者として、耳にした音ですぐに判った。
 
 気難し屋と呼ばれる、今は消えてしまったヴァイオリンを創っていた一族のヴァイオリンだ。現存数がきわめて少なく、サイラスも目にしたのは初めてだった。
 
「……そんな高価な物をか」
「はい。受け取らないと、廃棄すると言われて」
 
 ファジュラは眉間に皺を寄せた。アレンは音楽関係の物はがらくたで塵でしかないと言い切っていた。確かに、興味がなければ、手元にあっても意味はないのだろう。

「廃棄だってっ」
「顔が本気だったので、受け取らなければ、焼却炉にでも放り込まれたかもしれません」
 
 ファジュラが受け取ったのは、今手にしているヴァイオリンだけではなかった。あのとき、アレンは数本のヴァイオリンを用意したのだ。その全てが、手元にある。
 
 しかも、離れにある全ての品を譲られてしまう始末である。拒否という言葉を、アレンとファジールは認めない、強い態度をとってきた。
 
「これの他に、使えるようにしたヴァイオリンが何本かあって、ヴェルに試してもらいました」
 
 その中に、しっくりくる物があったのだ。

「……それも」
「値段が付けられないと思います」
 
 サイラスは脱力した。あるところには、あるのだと、思わずにはいられなかった。
 
「じゃあ、準備は出来てるんだな」
「私は自分で何とかなりますが、ヴェルは小父さんに習って、それ以降は触れてもいません。音は綺麗に出せましたから、練習すれば何とか」
 
 サイラスはそれを聞いて思案する。さっきの歌の感じだと、レッスンをしていたわけではないだろう。にも関わらず、一族の長老達を唸らせた。
 
 ならば、楽器も同じだろう。下手をすれば、サイラスなど、足元にも及ばない奏者になる。

 ファジュラに感じた感覚を、また、味わうのかと、苦笑いが漏れる。それでも、そんな二人の師になれるのだ。
 
「判った」
「でも、ピアニストが必要でしょう」
 
 ジュリアスは当たり前のように訊いてきた。
 
「弾けるだろう」
「私に求めるの」
「他に居るか」
 
 サイラスに言い切られ、小さく息を吐き出す。
 
「私は嗜み程度にしか弾けないわよ」
「音さえ合わせられればいいだけですから」
 
 ファジュラも言い募る。
 
 ティファレトから聞いていたのだ。成人前に、幼馴染みと二人で、父親からピアノを習っていたと。だから、ジュリアスが、ピアノを奏でられることは知っている。

 ジュリアスは仕方ないと溜め息を吐く。これも、二人の幼馴染みのためだ。
 
「相談は済んだか」
 
 アレンが声をかけた。四人は振り返り、頷いた。
 
「今回は、今まで以上に面白くなりそうだな」
 
 アレンがにやりと笑みを見せた。その表情に、四人は背を冷たい汗が伝った。
 
「俺はシオンの所に行って来るから、大広間に案内しといてくれ」
 
 アレンは言うなり、大地を蹴り、飛んで行ってしまった。
 
「忙しい奴だ」
 
 ゼロスは呆れたように言った。
 
「今に始まった事じゃないだろう」
 
 カイファスが何時の間にかゼロスの傍らにおり、腕を絡めてきた。

「どうして、大広間なんだ」
 
 フィネイが不思議顔でゼロスに問い掛けた。
 
「大広間にはグランドピアノがある」
 
 黒薔薇の主治医の館には、何台かのピアノがあるが、大広間の方が都合がよいと判断したのだろう。毎年、調律もしているから、使う分には問題ない。
 
「使わないのに、調律しているところが、律儀だよな」
 
 ゼロスはそう言うが、使おうが、使わなかろうが、放置することは出来ないのだ。
 
「いいのでしょうか」
「本人が案内しろって言うんだ、いいも悪いもないだろう」
 
 ゼロスは肩を竦める。どうやっても、黒薔薇の主治医の一族には勝てないのだ。

 
 
      †††
 
 
 アレンはシオンが居る四阿に降り立った。其処には、シオンの他に、セイラ、ジュディとルディが居る。
 
 セイラに体を預けていたシオンが、アレンが来たことに気が付き、顔を上げた。顔を覗き込まれ、小さく微笑んだ。
 
「気が済んだか」
「……うん、綺麗だったね」
 
 シオンはただ、素直な感想を口にする。
 
「本当に、すごく綺麗だったわ」
 
 ジュディもうっとりとしている。
 
「あれで男の声なんて。納得出来ないわ」
 
 ヴェルディラが特殊なだけで、誰も彼もが持ち得るものではない。

「承認されたし、無事済んだ。もう少し、此処に居るのか」
 
 アレンに問われ、シオンは考えた。わざわざ、足を運んでくれたのは、戻ることを前提としているのだろう。だが、シオンはもう少し、此処に居たかった。
 
 離れが嫌なのではない。夜空が何時も以上に綺麗に見えた。淡い月と煌めく星々、風に淡い香りを運ばせ、揺らめく薔薇達の姿。
 
 傍らにはセイラ、ジュディと義兄であるルディがおり、アレンが目の前にいる。

 今のアレンなら、シオンの我が儘を無条件で聞き入れてくれる。判っているから、そんなことはしたくなかった。シオンは力なく首を横に振り、両手を差し伸べた。アレンは意図を察し、シオンを抱き上げる。
 
「いいのか」
 
 戻ってしまえば、次に違う場所に行けるのは、出産後だ。 だからの問い掛けだった。
 
「……うん。この子達のために、僕は大人しくしてるって決めたんだもん。アレンを困らせたくない」
 
 シオンはアレンの首に抱き付き、耳元で囁いた。我が儘は何時でも言える。今はその時ではないのだ。我が儘も、時と場合による。高望みはしてはいけない。

「普通の生活が出来るようになったら、我が儘を言うの」
 
 力なく囁かれた言葉に、アレンは苦笑いを浮かべた。少しずつ成長を始めた体。普通なら、緩やかに成長する筈なのに、短い間に体は大人へと近付いていく。
 
 お腹の赤子達と共に、シオンは成長しているのだ。その課程で、体にかかる負担は大きくなっていく。判っていたことだが、何時も気怠げにしている姿を見るのは辛い。
 
「判った。沢山、我が儘を聞いてやるよ」
「……後悔しても知らないよ」
 
 クスクスと笑う声も力ない。そんな二人の姿を、三人は優しい眼差しで見詰めていた。風が皆の間を、通り抜けていった。

 
 
      †††
 
 
 長達に呼ばれ、所定の場所まで行くと、ティファレトとアーネストの姿はなかった。
 
「お前の両親は帰りましたよ」
 
 黒の長は何時もの穏やかな口調で言ったのだが、表情は全く読めなかった。
 
「まず、儀式です」
 
 黒の長がそう言うと、黄の長と蒼の長が二人の前に立った。自分の部族長にそれぞれ、左の薬指の先を傷付けられ、互いの血液を全部族長の前で口に含んだ。
 
「手を出せ」
 
 一通りの手順をふんだあと、蒼の長は右手を差し出したヴェルディラの手の上に、一つの指輪を乗せた。その指輪には見覚えがあった。

 ヴェルディラは弾かれたように蒼の長を凝視する。
 
「あの日、去り際に託された。お前の母親の一族に伝わっていた品だ」
 
 指輪の内側には薔薇の刻印。小さな青い石が薔薇の中央に埋め込まれている。
 
「お前はどうしたい。両親を告発することは可能だ」
 
 ヴェルディラは渡された指輪を握り締める。そんな事はしたくない。告発するつもりがあったなら、逃げも隠れもする必要はなかった。
 
「……告発はしない」
「後悔はないのか」
 
 蒼の長の問い掛けに、素直に頷いた。蒼薔薇から離れ、絵師としてではなく、楽師であるファジュラの元に行くと言ったのはヴェルディラだ。

 今更、表沙汰にしたくない。何より、一族の名前に傷が付く。父親もだから、身を引いた筈だ。
 
「このままで。今回の事を知った者達にも、口外しないように言って下さい」
 
 ヴェルディラは瞳を伏せた。
 
「俺のことは……」
「ヴェル」
 
 ファジュラは心配げに、ヴェルディラの顔を覗き込んだ。
 
「俺は、ファジュラを選んだんです」
 
 両親ではなく、住み慣れた蒼薔薇ではなく、全く部族の違う相手を選んだ。自分達自身で、知らなかったとは言え、互いに枷を嵌めた。罰せられる筈だったのに、特殊であったから許されたに過ぎない。

「だから、この件はなかったことに」
 
 部族長達は顔を見合わせた。本人がいいというのなら、何も言う権利はない。
 
「そうか」
「はい」
 
 ヴェルディラはきっぱりと頷いた。
 
「お前達の今後ですが、ファジールとアレンから指示がありました。体調が戻らない以上、館と敷地から出すことは出来ないそうです。本来なら、半年後にでも《婚礼の儀》を行いたいところですが、衣装係が納得しないでしょう」
 
 黒の長は溜め息を吐いた。確かに効果を得られたが、効果があり過ぎたのだ。潤沢な資金と、それに見合うだけの目をもち、更に、凝り性とあっては、簡単に終わるわけがない。

「《婚礼の儀》は通例通り一年後です」
 
 黒の長が宣言する。
 
「それと、アーネストからお前に伝えるように言われたことがある」
 
 アーネストは黄の長にあることを伝えるように頼んでいた。一族の《婚礼の儀》の儀式は、吸血族の通常の儀式と、一族独特の儀式とに分かれる。
 
 《婚礼の儀》の後に、参加者にこれから二人で楽師として歩むことを発表することになる。選曲は基本的に本人達が決めるしきたりだ。
 
「判っているとは思っているが、念のために伝えてほしいと」
「判っています」
 
 ファジュラは頷くと、サイラスとジュリアスに話した内容を長達にも伝えた。

 長達も二人と同じ反応を示した。楽師の中で特殊な一族であるファジュラの血筋で、そんなことを考えた者はいなかった。基本的に、女性が楽器を扱うことが少ないせいでもあった。
 
 教養として教えることはあっても、それを人前で行うことは稀だからだ。
 
「ヴェルは元々、本当の女性ではありませんし、本人もどうしてもと」
「だが、付け焼き刃では問題があるんじゃないですか」
 
 黒の長は疑問をぶつけた。だが、ヴェルディラが声楽を幼いときにファジュラの祖母から習ったように、ヴァイオリンはサイラスから基本は学んでいる。長い間、触れていなかったので感覚を忘れているだけだ。

「学んでいるですって」
 
 黒の長の驚きの声は、全ての長の叫びでもあった。
 
「爺さんが学んどいて損はないって……」
 
 ヴェルディラが素直に答えた。当時、ヴェルディラを楽師にするつもりなどなかった筈だ。二人は互いの一族の後継者だった。どちらの職業も感性が大切にされる。その課程で、ヴェルディラの感性を育てるために、習わせていたのだ。
 
「声楽は祖母が。ヴェルは私より、多くのことを学んでいます」
 
 黒の長は苦笑いを漏らす。アリスとアレンは二人で同じようなことを口走る。それは、偶然は少ない、と言うのだ。必要だから、何かをする。

 ただ、何時必要で、何時判るのかが判らないだけだと。選び取った時点で、何かが決まっている。例え自覚がなくとも、与えられたことだとしても、選択したのは自分なのだ。
 
「……偶然はない、ですか。確かにそうですね」
 
 黒の長の呟きに、皆が一斉に視線を向ける。
 
「薔薇がすることは、多少、無茶苦茶でも許されます。知られないようにするんですね」
 
 黒の長は黒い笑みを見せた。見慣れている部族長達は苦笑いで済むが、ヴェルディラとファジュラは免疫がない。顔から血の気が引き、表情が引きつった。
 
 だが、慣れなければ駄目なのだと、誰かが囁く声を聞いた。
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