浅い夜・薔薇編

善奈美

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Ⅹ 双月の奏

30 第二十九楽章

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 ヴェルディラにアレンが覚悟をうながし、それから一週間程たったある日、神経を何かが撫でた。反応を示したのはアレン、ファジール、レイの三人で、特にレイは久々の感覚に肌が粟だった。
 
「早かったな……」
 
 つまり、息子を利用していただけあり、気配や魔力に敏感なのだろう。
 
「来たのか」
 
 カイファスはアレンに問い掛けた。
 
「ああ。ご丁寧に二人で来たみたいだな。それに……」
 
 どうやら、部族長達も莫迦ではないらしい。二つの気配とは別に、かなりの人数が此方に向かってくる。
 
「勢ぞろいだな」
 
 アレンは表情を引き締めた。

「俺が言ったことは考えたか。本当の意味で覚悟を決めないと、流されるだけだ」
 
 アレンは真剣な表情でヴェルディラを凝視した。ヴェルディラはきゅっ、と唇を噛み締める。気持ちなど決まっている。だが、最後の一歩が踏み出せない。理由は判っていた。ティファレトはヴェルディラを嫌っている。判っていたから、顔を合わせないように、細心の注意をはらっていたのだ。
 
「他じゃない。自分の気持ちだ。最初から諦めていたら、全てが駄目になる」
 
 アレンは言うなり立ち上がり、館に向かって歩き出す。其処に居た全員が、慌てて後を追おうとしたのだが、察したのかアレンが振り返る。

「来るのはいいが、妊婦二人は絶対に走るなっ。今、走ろうとしただろうがっ」
 
 ルビィとトゥーイの動きがぴたりと止まる。三人は目を見開いた。アレンの背中には目でも付いているのだろうか。
 
「ったく……」
 
 呆れたように息を吐き出し、アレンは再び歩き出す。それを見送り、ファジュラは素直な気持ちが口を吐く。
 
「本能ですか……」
「否、あれは刷り込みだろうな。ヴェルディラも注意した方がいいぞ。旦那より五月蠅いんだ」
 
 カイファスはうんざりしたように忠告した。
 
「でも、両親と対峙しないと、解決しないね」
 
 ルビィは神妙な面持ちで呟いた。

 ヴェルディラは眉間に皺を寄せた。今のままで良い筈はない。判っていて、先延ばしにしていたのだ。《永遠の眠り》が認めてもらえない以上、両親との決別は避けられない。何故なら、両親の元に戻れば、未来は決まってしまったも同然だからだ。
 
「……ヴェル」
 
 ファジュラが心配げにヴェルディラの顔を覗き込む。
 
「……気持ちは決まってるんだ。でも、……」
「ティファレトさんか」
 
 トゥーイは呟くように問い掛けた。ヴェルディラは小さく頷く。不快な思いをさせたくない。今までも、知らずに苦痛を与えていたのだ。それなのに、図々しく、ファジュラの隣に立つなど、躊躇いが生まれる。

 カイファスは溜め息を吐いた。確かに、初めて会ったときと同じなら、その杞憂は間違えのないものだろう。だが、今は違うのではないだろうか。
 
「取り敢えず、両親にきっぱりと言ったらいい。後のことは、解決してから考えればいいんだ」
 
 カイファスはきっぱりと言い切る。今はティファレトの事ではない。ヴェルディラの両親の事なのだ。
 
「心配なのは判るが、利用されたくないんだろう。違うのか」
「そうだけど……」
 
 カイファスはこめかみがひくついた。不安で心配なのは判るが、煮え切らないのが一番危険なのだ。両親にいいように言いくるめられてしまう。

 五部族長が居るのだ。両親が好き勝手する事は出来ない。だが、今回、両親をヴェルディラから離すことに失敗すれば後はないだろう。
 
 自宅に監禁されてしまえば、親なのだ。本人が外に出たがらない、と言えば、他人が口出しすることは、実質無理になる。
 
「イライラする。私も煮え切らない質だが、お前も同じなのか。こんな私でも、ここ一番の時は、勇気を出したんだ」
 
 カイファスは力説する。
 
「カイファス。それって、何時のこと」
 
 ルビィは小首を傾げた。
 
「ゼロスと、その……、最初に色々あった時だ……」
 
 カイファスの歯切れが悪い。

「最初って」
 
 ルビィは尚も訊いてくる。しかも、悪気がないのは、その様子からも伺える。何より、ルビィに何かを企むような腹黒さはない。
 
「……その、公認の仲になるちょっと前の話だ」
 
 ルビィは思い出したのか、小さく両手を打つ。
 
「あの有名な……」
「最後まで言わなくていいっ」
 
 カイファスは真っ赤になりながら、ルビィの言葉を遮った。
 
「俺、聞きたい」
 
 トゥーイが両手を握り締め、一心にカイファスを見詰めている。
 
「今は私の話じゃないっ」
 
 カイファスは荒い息を吐き出しながら、ヴェルディラに視線を戻した。

「取り敢えず、覚悟を決めろっ。もう、時間はないんだ」
 
 そう言ったカイファスが眉間に皺を寄せた。護りの徴を宿していなくとも、誰かが来たことが判る。
 
「騒がしくなったな」
 
 カイファスは本館から聞こえてくる叫び声に眉を顰める。
 
「行こう。下手をしたら、薔薇園に入り込んで来る。それはまずい」
 
 薔薇園はアレンの聖域だ。もし、薔薇が傷付けられでもしたら、どうなるか想像も出来ない。
 
「ヴェル、私と居たくはないのですか」
 
 小さく問い掛けてきたファジュラに、ヴェルディラは直ぐに首を横に振った。唯一、祖父母以外で真にヴェルディラを見ていてくれたのだ。

「もし、母がヴェルを嫌うなら、別の場所で二人で暮らしましょう」
 
 ヴェルディラは弾かれたようにファジュラを凝視した。
 
「結局、親とは長い時を共に過ごすことは叶いません。私達の時は長いですし、時間を掛けて和解すればいいんです」
 
 ファジュラの言葉に、ヴェルディラは小さく息をのむ。最初から諦めていたヴェルディラとは違い、ファジュラは前向きに考えている。
 
「気持ちは」
 
 ファジュラの問い掛けに、ヴェルディラは逡巡する。
 
「ファジュラと一緒にいる」
「では、二人で乗り越えましょう」
 
 ヴェルディラは小さく頷いた。
 
 
      †††
 
 
 いきなり開かれた扉に、館の住人は驚きはしなかった。エントランスに仁王立ちしているのはレイだ。近付いてくる気配にいち早く、この場所に移動した。傍らに居るのはファジールだ。
 
「息子を返してもらうっ」
 
 不躾に扉を開き、その人物は開口一番にそう叫んだ。
 
「まず、家主に礼儀を払うのが手順じゃないのか」
 
 レイは冷たく言い放った。
 
「それとも、有名な絵師ともなれば、礼儀は必要ないのか」
 
 叫び声を上げた男は鼻で嘲笑った。
 
「息子を拘束するような輩に礼儀は必要ないだろう」
 
 その言葉に、ファジールは呆れてものも言えない。

 騒ぎが起これば、自然と集まってくるのは、どんな種族も変わらない。わらわらと集まって来る頭数に、ヴェルディラの両親は一瞬、うろたえた。
 
 確かに大きな館だが、吸血族の家族構成など単純だ。それなのに、この数は何なのか。
 
「五月蠅い。人様の家で大声出すなんて、育ちが疑われるんじゃないのか」
 
 そう言いながら姿を現したのはアレンだ。
 
「そうですねえ。全く、品性の欠片もありませんね」
 
 のんびりとした声が響き渡った。
 
「思いの外、早く動きましたね」
「見つかったのか」
 
 ファジールはヴェルディラの両親を無視し、黒の長に問い掛けた。

「ええ。探す必要はありませんでしたよ。問い合わせたときには、ティファレトが見付けていました」
 
 黒の長は黒い笑みを浮かべた。
 
「ヴェルディラ、気持ちは決まりましたか」
 
 黒の長はアレンの背後に居る一団に声を掛けた。その中に、守られるようにヴェルディラが居る。ファジュラの服の袖を握り締め、神妙な面持ちを見せていた。
 
「聞きましょうか」
「ふざけるなっ。息子に何を訊くと言うんだっ。ヴィーラ、帰るぞっ」
 
 父親の叫び声に、黒の長は肩を竦める。どうあっても、ヴェルディラを連れて帰るつもりなのだ。ヴェルディラの意思など、必要ないと言わんばかりに。

 ヴェルディラは身を竦める。父親の怒鳴り声に、萎縮してしまう。
 
 そんなとき、背後から高らかな靴の音が聞こえた。すっと、皆の横を通り過ぎ、ヴェルディラの両親の前で仁王立ちしたのは一人の女性。
 
 波打つ肩までの黒髪。落ち着いた色合いとデザインの服。
 
「ふざけた事ばかり言わないで頂戴」
 
 響き渡ったのはよく通る声。ファジュラは驚きに目を見開く。そこにいたのはティファレトだった。
 
「おや、随分と早く着きましたね」
 
 黒の長はのんびりと言った。

 玄関先に居るのは黒の長だけではなかった。全部族長の姿がある。そして、少し大きな荷物を持つ二人の男性。そして、ティファレトの横に立ったのはアーネストだった。
 
「何を始める気だ」
 
 何時の間にかアレンの横に居たのはゼロスだった。
 
「さあな。俺は知らされてない。あの形は絵だろうな」
 
 アレンは単純に推理してみた。だが、何故、此処に絵を持ち出したのか。アーネストの手にも、少し小さめのカンバスのような物を持っている。
 
「アーネスト。見せてもらえますか」
 
 黒の長の言葉に、アーネストは頷き、手にしていた物を包んでいた布を取り払い、ヴェルディラの父親に見えるように抱え持った。

 それを見た途端、父親の顔色が変わった。
 
「蒼薔薇の主治医殿も」
 
 蒼薔薇の主治医は頷くと、同様に包んでいた布を取り払う。
 
「最後の一枚ですね。ルディ、お願いします」
 
 ルディは頷くと二人と同じ行動をとった。表れたのは全て肖像画でサインは同じ。だが、アーネストが持つ一枚に、違和感を覚える。
 
「説明してもらいますよ」
「判っているわ」
 
 そう言いながら、黒の長の背後から現れたのは金の髪のアリス。不思議な色合いの銀の瞳が、ヴェルディラの両親を射た。
 
「一枚目は貴方が描いたもの」
 
 アリスはそう言いながら、アーネストの持つ絵を指差した。

「蒼薔薇の主治医が持っているのは、ヴェルディラの作品」
 
 アリスは淡々と言ってのけた。それに驚いたのは蒼薔薇の主治医だ。
 
「ルディが持っている物もヴェルディラの手による物よ」
 
 父親は鋭くアリスを睨み付けた。
 
「ふざけるな」
 
 地を這うような唸り声を父親は出した。
 
「ふざけているのは貴方よ。何のために、三枚の肖像画を用意したと思っているの」
 
 アリスの声はどこまでも静かだった。
 
「一枚目と二枚目に共通点はないわ。全く、別の作者が描いたと、素人でも判る」
 
 アリスが言っていることに間違いはない。

「では、主治医とルディの持つ肖像画はどうかしら」
 
 二枚の肖像画は似たようなタッチで描かれている。
 
「リムリス、私が頼んだことは訊いてくれたのかしら」
「ええ。どちらの肖像画の場合も、デッサンの時、息子が一緒だったそうです」
 
 アリスは頷く。
 
「ヴェルディラ。貴方は三枚目の肖像画に細工をしたでしょう。何度、嫌だと言っても聞いてもらえずに」
 
 ヴェルディラは小さく体を震わせた。そして、ファジュラを見上げる。ファジュラの表情は、ヴェルディラを安心させる為なのか、微笑んでいた。
 
「……細工した」
 
 ヴェルディラはか細い声で、アリスの言葉を肯定した。

 父親の顔があからさまに変わった。
 
「どんな細工をしたの。答えて」
 
 アリスはあえて問い掛けた。ヴェルディラはぎゅっ、とファジュラの袖を強く握り締めた。
 
「……サインを描きました」
 
 ヴェルディラが言ったサインとは何なのか。見た感じでは父親の名前しか見いだせない。
 
「小さい銀のベルの絵を……」
 
 ヴェルディラはこの場所で初めて父親を凝視した。確かに整った姿形をしているが、病的なまでに細かった。ヴェルディラと同じ色を父親はもっていたが、雰囲気はかなり違う。
 
 ヴェルディラは耐えられなかったのか、俯いた。

 父親は蒼白になり、初めてアリスを見詰めた。
 
「私が黒の部族長に話しました。貴方が息子の作品を自分の作品として納品していると」
「何を根拠にっ」
 
 アリスは感情のこもらない表情で父親を凝視した。
 
「根拠は、黒の預言者だからだ」
 
 冷静に告げたのは蒼の長。父親は初めて、自分の部族の長に視線を向けた。
 
「お前は知っているだろう。彼女は月読みだ」
 
 月読みと言われ、父親は完全に肌から血の気が失せた。
 
「月読み……」
「生まれは人間。父が月読み。私は《血の洗礼》で吸血族になった」
 
 だから、とアリスは言葉を続ける。

「私は純粋な月読みではないわ。でも、今、月読みに認識されている月読みの中で一番の力をもっている。それが、私の存在価値だから。そして、貴方は薔薇を苦しめる者」
 
 アリスはすっ、と父親の前に出た。
 
「黒薔薇の主治医は貴方の息子を拘束したんじゃないわ。保護したのよ。此処は薔薇が集う場所」
 
 父親はアリスの言葉が理解出来なかったが、母親は違った。弾かれたようにヴェルディラに視線を向けた。
 
「薔薇は幸せにならなければいけない。吸血族のために。そのためには、貴方達の存在は障害となる」
 
 アリスはきっぱりと言い切ると、ルディの持つ絵を見詰めた。

 そこに描かれているのは、一組の夫婦。幸せそうに微笑んでいる。
 
「お前の両親は、ただ、手をこまねいていたわけじゃない」
 
 レイが話しに割ってはいった。それに驚いたのはアリスだ。
 
「ある者達から助言を受け、お前に一枚の肖像画を描かせた」
 
 レイの視線はどこまでも冷たかった。碧の瞳が、暗い闇を纏う。
 
「本当の意味で依頼をしたのは月読みだ。そこに居るアリスの父親が仲介役になっている」
 
 アリスは小さく息をのんだ。
 
「この肖像画には魔術が施されていた。故意に見つけられないように」
 
 ティファレトが見つけたのは、探していなかったからだ。

「当然、月読みは孫息子が蒼薔薇だとは告げていなかっただろう。彼等は真実を語りたがらない。ただ、お前が本当の意味で描いた絵画が必要だった。それも、もっとも強い力をもつ月読みでも視れない方法で描かれたものだ」
 
 月読みは基本的に自分に強い関わりがある者を視ることは出来ない。孫であるカイファスが黒薔薇であることをアリスは知っていたが、実は詳しく視えていない。そのあと現れたシオンについてははっきりと視えている。
 
「月読みが依頼し、父親が関与し、隠しの魔術を施すと、強い先視の力をもつアリスにも視ることは叶わない」
 
 父親は言葉が出なかった。

 そして、改めてレイを観察した。見た目は銀狼には見えない。だが、気配は間違いなく銀狼だった。
 
 父親の視線にレイは薄く笑った。いくら愚かな父親でも、才能がなくても、レイがどういった存在かくらいは判るのだろう。
 
「情け無いな。自分に才能がないことを認められないという事は、今の状況も判ってはいまい」
 
 レイは冷たく言い放つ。
 
「仲間の魂を宿した存在を傷付け、苦しめる存在を私は許すつもりはない。たとえ、業を背負うことになろうと、構わないからな。私一人だけが残された意味を、判らない振りをするつもりはない」
 
 レイは一旦、言葉を切った。

「私は銀狼だ。太陽に灼かれ、消滅する権利を持っていない。この身に太陽を宿し、存在する理由は、全て私の責任だ。ならば、お前にも、お前が背負うべき責任があるだろう」
 
 レイはちらりとヴェルディラに視線を向けた。俯き、体は小刻みに震えている。おそらく、両親と決別する意志は固まっているのだろう。だが、決めたところで、心境は複雑な筈だ。
 
「折角、授かった命を喰い物にした、その罰は受けるべきだ」
 
 レイは再び、父親に視線を向けた。
 
「息子が私達から離れるなど、考えられんっ」
 
 父親は尚も言い募る。どうしても、認めることが出来ないのだ。

 父親の背後で、盛大な溜め息が漏れた。
 
「やれやれ。参りましたね。どうして自分本位の者は同じ事しか言わないんでしょうか」
 
 呟きは黒の長だった。
 
「お前はまだ、妻が側にいるでしょう。ですが、黒薔薇には妻にすら愛想を尽かされた、哀れな男が居るのですよ」
 
 アレンは眉間に皺を寄せた。そんな存在は、知る限り、一人しかいない。
 
「妻が先に眠りに就くことを望みました。責任は、吸血族そのものでしょうが、それに甘んじた愚かな男の二の舞になりなくないのなら、諦めることも勇気ですよ」
 
 黒の長は呆れたように、父親を凝視した。

 その瞳に感情は見いだせない。ただ、事実のみを紡いでいる。
 
「これだけの手間をかけ、お前に提示しました。それを理解しないのなら、私達にも考えがあります」
 
 黒の長はヴェルディラに視線を向けた。おそらく、ヴェルディラは望まないだろう。それは、最終手段だった。もし、それを聞いても理解しない場合、救いようがない。
 
「お前の一族が積み上げた実績に傷が付くことになります。つまり、息子の作品に自分の名前を刻み、平気で嘘を吐いていたことを公表すると言うことです」
 
 ヴェルディラは驚き、顔を上げた。そんなことをされたら、血筋が絶えるより、もっと最悪な結果になる。

「脅しではありませんよ。私が容赦ないことは、知っているでしょう。必要ならば、躊躇わずに実行します」
 
 その場の空気が凍りついた。
 
「どんなに無知な女性達でさえ、私の冷徹さは教えられるそうです。知らないとでも思っていましたか。勿論、男性にも同様に教えられている筈ですよ。今、この場には証拠が揃っています。何より、月読みの先見がほぼ、間違いないほどの的中率なのは、知る者なら誰でも知っています」
 
 三枚の肖像画と、アリスの言葉。ヴェルディラが証言しなくとも、沢山の証人がいる。逃げようがないのだ。
 
 父親は小さく息を吐き出した。

「身を引かなければ……」
「一族の信用は地に落ちるでしょうね。今まで祖先が描いた物も、全て、日陰に置かれるでしょう。誰にも見向きもされず、捨て置かれます。どうするかを決めるのはお前ですよ」
 
 それに、前蒼薔薇の絵師は、覚悟を持って肖像画を託した筈だ。もし、本人が否定すれば、全てが明るみに出る。
 
「お前の父親は覚悟していたでしょう。眠りに就くとき、孫のその後の心配をしていたそうです。才能を持って生まれたために、才能のない父親の喰い物にされるのではないかと」
 
 だからこそ、月読みの助言を聞き入れたのだろう。レイが言わなければ、それすら謎だったのだ。

 つまり、レイは全てを知っていたのだ。黒の長はそう、結論づけた。知っていて尚、口を噤んでいた。
 
「……それは、祖先に顔向けが出来なくなる……」
 
 父親はぽつりと呟いた。何も、ヴェルディラの才能を喰い物にするつもりはなかったのだ。たまたま、同じ肖像画をヴェルディラが描いた。自分の描いたものと、全く違う心すら描ききっていたその肖像画に愕然とした。
 
 才能があることは判っていた。だが、自分とこれほど差があるなど、考えていなかったのだ。とても、自分の描いた作品を納品することは出来なかった。
 
 だから、ヴェルディラの作品を納品した。

 最初、名前は書いていなかった。だが、望まれ、罪悪感があったが、自分の作品ではないと言えなかったのだ。時間が経つにつれ、引くに引けなくなった。
 
 いくら描いても、息子の才能に遠く及ばない。悩みに悩み、だが、生活のためには仕方がなかった。
 
「……息子に会うことは」
「勿論、禁止です」
 
 そう黒の長は答え、ヴェルディラを見詰めた。
 
「私達の意見ばかりでは、納得しないでしょう。ヴェルディラ、正直に答えなさい。お前の気持ちは決まりましたか」
 
 黒の長は率直に訊いてきた。ヴェルディラとしては、答えは決まっている。だが、ティファレトの存在が、全てを躊躇わせた。

 ヴェルディラの躊躇った様子に気が付いたのか、ティファレトが振り返った。難しい表情を顔に刻み込んだヴェルディラに、ティファレトは柔らかい笑みを見せた。その表情に一番驚いたのはファジュラ。
 
「……俺は……」
 
 ヴェルディラは泣きたくなった。ティファレトは今まで知っていた彼女じゃない。穏やかで柔らかな表情は、言葉がなくとも容易に理解出来た。絵師としての感性が、全てを教えてくれる。
 
「父さん、ごめん。俺はファジュラと一緒に居るって決めたんだ……。だから……」
 
 ヴェルディラは一旦言葉を切った。おそらく、次の言葉を口にすれば、両親とは決別し、二度と会うことは叶わない。

「もう、絵師にはならない」
 
 父親は表情が歪んだ。そして、一度、瞳を閉じた。ヴェルディラを責めるのは間違えている。全ては自分自身の責任だ。
 
 良心に目を瞑り、両親の忠告も理解しなかった。才能がないと、認めたくなかったわけじゃない。ただ、息子との違いに、何かが狂ったのだ。
 
 あのとき、正直に依頼者に真実を告げていれば、失うことは無かったのだろう。だが、もう、手遅れだ。いくら、息子を利用していた、非道い父親だとは言え、それくらいは理解出来る。
 
 全てお膳立てされ、逃げ道を塞がれた。どう言い募ろうと、黒の長が容赦する筈はない。

 全ては自分の甘えが生んだ。
 
「……判った」
 
 一言、素っ気なく言った。自分が何かを望など、許されないだろう。息子を苦しめていたのは、自分のエゴなのだ。
 
「ヴェルディラは帰しません。このまま、黒薔薇の主治医の館でその日を迎えてもらいます。それに、体調も戻っていないでしょうからね」
 
 黒の長は事実を事実として告げる。母親は驚いたように黒の長を見詰めた。ヴェルディラの体調が悪いと言わなかっただろうか。その様子を読みとったのか、黒の長は目を細めた。
 
「詳細を告げるつもりはありませんよ」
 
 声も言葉使いも穏やかだが、有無を言わせない響きがあった。

「此処は医師の館です。それに、黒薔薇の主治医の館には、薔薇の主治医もいます。お前達の心配など、必要ありません」
 
 父親は目を開けると、黒の長を振り返った。その後ろには四部族の長の姿がある。そして、漸く気が付く。月読みと黒の長は再三、ヴェルディラを薔薇だと言っていなかっただろうか。冷静になり、よく考えれば判る。
 
 ヴェルディラは男として誕生した。普通に考えるなら、同性のファジュラの元に嫁ぐことはたとえ好意をもっていても許されないだろう。
 
 だが、全部族長、果ては月読みまで此処に居る。しかも、皆が皆、ヴェルディラを守ろうとしている。

 それが導き出す答えが判らないほど、愚かではない。薔薇という存在のことは、伝え聞いている。満月の光で性別を変える。つまり、ヴェルディラは女性に変化するようになったという事だ。
 
「帰るぞ」
 
 妻に聞こえるように、帰る意思を伝えた。妻は驚いたように夫を見、寂しげにヴェルディラに視線を向けた。
 
「すまなかった。お前にまで辛い思いをさせる」
 
 妻にだけ聞こえるように、早口で言葉を紡ぐ。妻は涙ぐみ、小さく首を横に振った。悪いのは夫だけではない。いけないことだと判っていて、忠告しなかった。責は夫だけのものではない。

 そして、視線を指先に落とした。右手の中指に填められた虹色の石の指輪。それに気が付いたのか、小さく息を吐き出す。
 
「好きにしたらいい。先に行っている」
 
 そう言うと、父親は誰にも視線を向けず、出て行った。母親はティファレトに視線を向け、深々と頭を垂れた。もう、息子に関わることは許されない。託す以外、どうすることも出来ないのだ。
 
 踵を返し、蒼の長の前で立ち止まる。一言、二言、言葉を交わし、蒼の長の手に何かを手渡した。そして、躊躇いを振り切るように、夫の後を追った。
 
 ヴェルディラは耐えきれなかったように、左の瞳から、一筋、涙が伝った。

「ヴェル……」
 
 ファジュラが心配げにヴェルディラの顔を覗き込む。
 
「……自分で決めたんだ。でも、それでも……」
 
 寂しく、悲しかった。仕事以外なら、優しい両親だった。小さいときだって、決して邪険に扱われていたわけじゃない。大切に育ててもらったのだ。
 
 ただ、絵師としてだけ、祖父母と両親の間で衝突があったことを覚えている。それは、ヴェルディラに対して、意見が衝突したためだった。どういった衝突だったのかヴェルディラは知らない。
 
 俯いたヴェルディラの前に人影が降る。驚いたのはファジュラ。そこに居たのはティファレトだった。

 ヴェルディラはふわり、といきなり柔らかい温かな何かに包まれた。そして、耳元で囁かれた言葉。
 
 今までの後悔と、謝りを紡いだ。その後の言葉に、ヴェルディラの両目から涙が溢れ出す。
 
――私達の子供になって頂戴……。
 
 それは、誰もがティファレトに望んでいたことだった。全てに蓋をしていた彼女が、長い間封じていた感情だった。
 
 両親に惜しみない愛情を注がれ、三人の幼馴染みを用意され、ティファレトは育った。だから、ヴェルディラとファジュラの境遇は、逆に言えば自分のせいなのだ。本来、与えられて然るべきものを奪い、自分の精神を正常に保つための道具にした。

 ヴェルディラはティファレトに抱き付いた。
 
「面倒になりすぎだな」
 
 嘆息したのはゼロスだ。
 
「全くだ」
 
 アレンは腕を組むと、盛大な溜め息を吐く。
 
「それにしても、依頼者が月読みって、どういうことだ」
 
 アレンはゼロスを振り仰ぐ。
 
「俺が知るかよ。大体、長達が、肖像画集めしてることも知らなかった」
「確かにな。まさか、ジュディの肖像画をヴェルディラが描いてるとは、世間は狭いな」
 
 アレンはルディが持っている肖像画に視線を向けた。まともにヴェルディラの作品を見たのは初めてだと思っていたのだが、その肖像画は何回か目にしていた。

「私達も少しは役にたったでしょうか」
 
 黒の長が黒くない笑みを向けた。
 
「まあな。発案は奥方か」
「ええ。アリスの指示です」
 
 アレンはアーネストの持つ肖像画を横目におさめる。
 
「この肖像画の所在は」
 
 アレンの問いに、黒の長は苦笑いを浮かべた。
 
「アリスには視えませんでした」
「だろうな。月読みは自分に強く関わるモノを視ることは出来ないからな」
 
 アレンは自分自身が力を認識してから、そのことを強く感じた。おそらく、全くの他人の方が、よく視える。多分、月読み自身が、自分を守るために、無意識に視ないようにしているためだろう。

「そうです。肖像画のことで先延ばしにしていましたが、お前が提案してきたことは許可しますよ。私達、部族長もよい考えだと思います」
 
 アレンはにやりと笑った。これで、完全な許可を取り付けた。しかも、必要な者はヴェルディラの側にいる。
 
「じゃあ、衣装等はこっちで用意することも、許可してもらえるんだな」
 
 アレンの言葉に、部族長達は苦笑いを浮かべた。アレンは軽く用意すると言ったが、それにかかる金額は半端ではない。
 
「本当に用意するつもりですか」
 
 黒の長は呆れた様子だ。
 
「狂言を言っていると思ってるのかよ」
 
 アレンは心外だと、顔を歪めた。

「そうは言っていませんよ。ただ、負担が大きいのではないですか」
「俺の都合で必要なんだよ。許可してもらえれば、文句は言わない」
 
 アレンはきっぱりと言い切った。黒の長だけではなく、四部族長も呆れ果てた。
 
「いいでしょう」
 
 アレンは母親達が集まっている場所に声をかける。許可が出たことを告げると、嬉々としてある者に視線を向けた。
 
「本人達には」
「言う時間があったかよ。それに、お袋達にかかれば、有無を言う暇は与えられないだろう」
 
 確かに、ジゼルとレイチェル、はては、ルビィとトゥーイの母親までいれば、ティファレトに自由はないだろう。

「何をする気なんだ」
 
 ゼロスだけではなく、フィネイも近付いて来ると、アレンに疑問を投げつける。
 
「《婚礼の儀》の衣装をお袋達に任せるんだよ」
「そのわりには、やたらと嬉しそうじゃないか」
 
 母親達が異常に喜んでいることに、ゼロスとフィネイは首を傾げた。
 
「嬉しいだろうさ。ヴェルディラとファジュラの母親、二人の婚礼衣装だ」
 
 アレンがさらりと言ったことに、二人は固まった。全くもって、理解出来ない言動だ。ヴェルディラの衣装なら判るが、何故、ティファレトの衣装が必要なのだ。ファジュラの両親は、既に《婚礼の儀》を済ませているではないか。

 二人の困惑を読み取ったのか、アレンは嘆息する。
 
「お袋達がシオンに干渉してくるんだよ。ジュディは姉だし、居てもらって問題ないが、お袋は駄目だ」
 
 ジゼルはシオンを幼少時から知っている。だから、ジゼルが居ると、シオンは無意識に頼ろうとするのだ。
 
「アーネストっ」
 
 ティファレトの悲鳴に、一堂は視線を向けた。ジゼルとレイチェルに両腕を掴まれ、まさに拉致されようとしているティファレトの姿が目に入った。
 
 呆然としているアーネストと、逆らえば痛い目にあうことを知っているヴェルディラとファジュラは固まっている。

「さあ、時間がありませんのよ」
「採寸して、生地を決めて、似合うドレスのデザインを決めないと、間に合わないわ」
 
 レイチェルとジゼルが口々に言う言葉に、ティファレトは困惑した。採寸、ドレスとは、何を意味しているのか。
 
「最高のパトロンがいますのよ」
「素晴らしい衣装にしないと」
 
 レイチェルとジゼルは言いながら、ティファレトに有無を言わせず、そのまま嵐のように走り去った。残されたのは、呆然とそれを見送る一団。
 
「何時もながら、凄まじいな」
 
 ゼロスは事実を口にする。
 
「予定通りの行動だ」
 
 アレンは満面の笑みを見せた。

「やれやれ。相変わらずですね」
 
 黒の長は見慣れているのか平然としているが、他の部族長は別だ。ましてや、女性が率先して動く姿を、目にすることは少ない。
 
「そうですわっ」
 
 レイチェルが慌てて戻ってくると、アーネストの前に立った。
 
「お兄様が用事があるようですから、後から迎えを寄越しますわ。必ず、来て下さいね」
 
 レイチェルはそれだけ言いおき、走り去る。何を言われたのか判らないアーネストは首を傾げた。
 
「判る筈がありませんね」
 
 黒の長はくすくすと笑っている。
 
「発案者はアレンです。その提案を私達は許可しました」
 
 黒の長はもったいぶった言い方をした。

「本当なら、半年待たずに《婚礼の儀》を行いたいんですが、あの様子では無理ですね」
 
 黒の長はのほほんとしている。
 
「それに、黄の長に訊いたのですが、なかなかに面倒なしきたりがあるようですね」
 
 黒の長はアーネストに向けて、言葉を投げつけた。
 
「我が家の伝統だ。代々、受け継がれてきたもので」
「でしょうね。二人をまだ、この館の敷地内から出すわけにはいきませんから、二つはこの館を借りましょう」
 
 黒の長はファジールに視線を向けた。ファジールは首を傾げ、見返す。
 
「音合わせと《婚約の儀》をこの館でさせてもらいます」
 
 黒の長はきっぱりと言い切った。

 《婚約の儀》は理解出来る。トゥーイとフィネイの《婚約の儀》も、この館で行ったのだ。
 
「音合わせって何だ」
 
 ファジールは問い掛ける。
 
「この一族は声と音が合わなければ婚姻出来ないという、面倒なしきたりがあるのですよ」
「しきたりだろうが何だろうが、二人を引き離すのは無理だ」
 
 ファジールは呆れたように息を吐き出し、腕を組んだ。
 
「判っていますよ。形だけでもやらないわけにはいきません」
 
 黒の長が言った後、薔薇達がくすくす笑い出す。黒の長だけではなく、その場にいた、事情を知らない者達は困惑した。

「どうしたんです」
 
 アレンも喉の奥で笑っている。
 
「じゃあ、明日にでも実行したらいい」
 
 必要な者達を集めるのは容易だろう。
 
「何を言っているんです。満月を待たないと駄目でしょう」
「必要ない」
 
 アレンは可笑しいのか、笑いながら否定した。黒の長は訝しむ。
 
「此奴に満月とか関係ないって言ってるんだよ」
 
 アレンが言い放った言葉に、ヴェルディラはムスッと口を噤んだ。言っていることは判るが、やはり、面白くない。
 
「どうしてです」
「聴いてみれば判るって言ってるんだ」
 
 アレンはニヤリと笑った。

「俺も同じ時代に実際に居るとは思わなかった。まさに、貴重品だな」
 
 アレンの物言いに、ヴェルディラは反論しようとしたのだが、あることに気が付き、慌てて言葉を飲み込んだ。今まであまり声を出さなかったのは、そのせいなのだ。
 
 両親に気持ちを伝えるときは、無意識に低い声になるように注意していた。だが、咄嗟の声までは制御出来ない。
 
「試してみたらいい。此奴等は確かに会うべくして会ったんだよ。全ては過去を贖うためにな」
 
 アレンの言葉は、アリスの物言いと酷似していた。黒の長は探るような視線をアレンに向けていた。
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