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Ⅹ 双月の奏
27 第二十六楽章
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アレンは読んでいた本から視線を上げた。酷い胸騒ぎがしたからだ。それに気が付いたのか、ファジュラが不思議顔でアレンを見詰めた。
「どうかしましたか」
「はっきりとしたものじゃないが、嫌な予感がする」
ヴェルディラとファジュラは本を読むことを日課としている。当然、何時もの顔触れが揃っているわけだが、アレンの一言に過剰に反応したのはルビィだった。
シオンだけではなく、アレンの予感も侮れないのだ。
「何かが起こるの」
ルビィは恐々と訊いてきた。
ルビィの怯えように、アレンは嘆息する。
「俺はシオンじゃないぞ。怯える必要はないだろう。単なる胸騒ぎだ」
「シオンより、質が悪いでしょうっ」
ルビィは鋭く指摘する。シオンのは経験による感で済むが、アレンのは単なる感だけでは済まない場合があるのだ。
「言っとくが、視てないからな。本当に普通に感じる嫌な予感だ」
アレンはそう言いながら上空に視線を向けた。
「どうかしたのか」
カイファスが首を捻る。
「何かを知らせてきたみたいだな」
雲一つない、星が瞬く夜空に、空より黒い何かが此方に向かってくる。
「お祖父様だな」
「ああ」
アレンは手を差し伸べた。音もなく舞い降り、アレンの右手の人差し指に当たり前のように止まると、数秒後、霧散した。
アレンは目を細めると、小さく微笑んだ。一つは解決したようだ。どうやら、黒の長が知らせてきた内容から、事前に判っていたことのようだった。ただ、黒の長自身に確信がなかったのだろう。
「何を知らせてきたんだ」
カイファスは息をのむように問い掛けた。当然、周りにいる、ルビィ、トゥーイ、ヴェルディラとファジュラも同様に息をのんでいる。
アレンはファジュラを見詰め、微笑んだ。ファジュラは目を瞬く。
「お前の両親が、元の鞘に戻ったそうだ」
ルビィとトゥーイは両手を握り合い、歓声を上げる。
「良かったね」
二人は垣根なしに喜んだのだが、ファジュラは複雑だった。それを読み取ったのか、ヴェルディラが心配そうに見上げた。
「まあ、元の鞘は可笑しいか。誤解が解けて、本来の夫婦になる最初の段階に入った、と言った方が正確かもな」
アレンは言い直した。
「どう言うことだ」
カイファスは首を捻る。
「長はこう知らせてきた」
アレンは説明する。ティファレトとアーネストは元々、幼馴染みで仲が悪かったわけではない。ティファレトがアーネストの一族の特殊な決まり事を知らなかったことが、誤解の始まりだった。
「音と声が合う者でなければ駄目なんだろう」
アレンはファジュラに問い掛ける。ファジュラは少し躊躇い、頷いた。
「俺に言わせれば、音が合った時点で、両想いだと思うんだけどな」
アレンは戸惑いを浮かべたファジュラをただ見詰めた。どうも、ファジュラはアレンの言葉を理解していない。
「理解してないみたいだな」
アレンは嘆息する。そして、どうやら、皆が皆、理解していないようだ。
「音が合うと言うことは、互いを求めているってことだろう。嫌いな者同士で合うなんて話しは聞いたことがない。お前の一族の決まり事は、理にかなっていたってことだ」
最初にそれを決めたのは誰なのかは伝わっていないのだろうが、もしかしたら、身分違いの恋を手に入れるために、無理矢理こじつけたのではないのだろうか。
音が合えば、身分違いなど関係ないと、主張したのではないか。
「じゃあ……」
ルビィは目を見開き、そう、声を出した。
「最初から、きちんとしていれば、起こらなかった事態だってことだ。まあ、本当に仲が良かったんなら、親達が失念した理由も判らなくないけどな」
ファジュラは思い出す。ヴァイオリンの師であったサイラスは、再三言っていたのだ。両親は幼い頃、仲が良かったのだと。
「気が付くのが遅すぎて、拗れたんだろうな」
アレンはそこまで言い、喉の奥で笑った。何事かと、皆が皆、アレンを注視する。
「別の意味で、居たたまれなくなるんじゃないか」
カイファス、ルビィ、トゥーイは気が付いたように顔を見合わせた。
「……居たたまれなくなるとは、どういう意味でしょうか」
ファジュラは怪訝な表情を見せた。
「新婚時代がなかったんじゃないか。だとすると、今が蜜月状態だろう。あてられるって意味だよ」
アレンはそこまで言うと、何かを思い付いたように、表情を変えた。
「どうかしたのか」
トゥーイがアレンの表情に訝しむ。良からぬことを思い付いたような感じだ。アレンは満面の笑みを見せると、いきなり右手の人差し指から光を紡ぎ出し、使い魔を作り出した。
全員が目を見開いた。
「何をする気だ」
カイファスがアレンに問い掛けた。
「お袋達が、やたらと離れに行くんだよ。注意しても聞きやしない。なら、別の効果的な方法を取るまでだ。長達も賛成してくれるだろう」
アレンが作り出したのは、一匹の蝙蝠。蝙蝠は一度、アレンの上空を旋回し、黒の長の館の方向へ消えていった。
「何をする気」
「後でのお楽しみだな」
ルビィが更に問い掛けたが、アレンは本を手に立ち上がると、本館に足を向けた。
「お楽しみって。教えてくれないのかよ」
トゥーイが少し腰を上げ、言い募った。
「今、教えたら、お楽しみじゃなくなるだろうが」
アレンは言いながら、歩いて行ってしまった。呆然とした五人は、互いに顔を見合わせた。
「お楽しみとは何でしょうか」
「彼奴は昔からシオン並みに突飛ないからな。無駄に頭がいいし」
カイファスはそうとしか言えなかった。
「もしかしたら、ゼロスなら判るかもしれない」
だが、アレンが面白がっているのだ。ゼロスが気が付いたとしても、同様に口を噤む可能性は否定出来ない。
「シオン並みってっ」
ルビィは驚きに目を見開いた。
「シオンは振り回すだろう。しかも、確信犯なんだ。アレンは意識して振り回してはいないんだろうが、時々、思いもよらない行動に出るんだ」
カイファスは溜め息を吐く。しかも、シオンからジゼルとレイチェルを離したがっているような口振りだった。
カイファスがシオンの母親を正面から見たのは、婚約報告に行ったときだ。容貌はジュディとよく似ていた。シオンもジュディとよく似ている。
「おそらく、原因は母上達だ」
カイファスは嘆息する。ジゼルとレイチェルの意識が別に移れば良いのだ。アレンはその方法を思い付いたのだろう。
しかも、部族長達を巻き込もうとしている。つまり、アレン一人の力では、どうにも出来ないことを思い付いたのだ。
「何を思い付いたんだろう」
今まで黙っていたヴェルディラがぽつりと呟いた。
「考えられるのは一つだよな。ファジュラさんの両親がらみだとしか考えられない」
トゥーイが腕を組ながら思案しつつ、そう口にした。
「あの二人の意識がシオンから離れる事って何だ」
カイファスは首を捻る。あの二人は基本的に可愛いものが好きなのだ。
シオンが女性化すると、幼い容姿とあの色だ。可愛いなんてものじゃない。しかも、似たような容姿のジュディと母親、アンジュまで居る。
アンジュが無駄に可愛いドレスを身に着けているのは知っていた。お揃いなのだと、二人が楽しそうに話していることも、耳にしている。
そこまで考え、カイファスははたと思い当たる。そして、ヴェルディラに視線を向けた。滅多に考え及ばないカイファスだが、閃いた答えに呆然となった。
アレンはファジュラの両親が蜜月状態だと言った後に、何かを思い付いたのだ。
「もしかしたら……」
「何か思い付いたの」
カイファスの呟きに、ルビィは問い掛けた。
「おそらく、二人の《婚礼の儀》は一年待たずにするだろう」
「トゥーイの時がそうだったしね」
ルビィがそう言い、カイファスは頷いた。
「母上達の興味を別に移すなら、普通の出来事では無理だ」
カイファスの言葉に、ルビィとトゥーイは頷く。
「彼奴、ファジュラの両親の《婚礼の儀》もするつもりなんだ。衣装をあの二人に担当させるために」
ヴェルディラとファジュラは驚愕に目を見開いた。
「両親は儀式を済ませてますっ」
ファジュラは慌てたように小さく叫んだ。
「そんなことは判っている。いいか。私達は多少無理を言っても、お祖父様達は通してしまうんだ。絶対必要だと言えばいい」
更にアレンは元々、黒薔薇の主治医の一族で、黄薔薇の夫であり、薔薇の主治医なのだ。他の薔薇の夫婦に比べて、影響力が強い。シオンの話しを持ち出せば、黒の長は否とは言えないだろう。
「彼奴なら絶対にやる。有言実行を地でいく奴だ」
カイファスは右手を額に当てた。
「でも、衣装を二人にって、お金の出所は」
ルビィは気になることを口にした。
「アレンは基本的に金銭に対して頓着しない。必要だと思えば、いくらでも出す。衣装代は黒薔薇の主治医が持つことになる。おそらく、ファジールさんも反対しないだろう」
アレンが言い出せば、ファジールはシオン絡みだと気が付くだろう。そうなると、ファジールもいくらお金がかかろうと、全く気にしない。
普段、贅沢をしないせいなのか、使うとなると、金額が半端ないのだ。
「そうなるとさ、ヴェルディラさんの衣装も一緒に作るってことだろう」
「当たり前だ。二人に任せるってことは、二着、確実に作るってことだ」
「待って下さいっ」
ルビィとカイファスの会話に、ファジュラは慌てて口を挟んだ。
「意味が判らないのですが」
「意味も何も、そのままの意味だよ」
ルビィは首を傾げる。
「普通、両親が揃えるもので、どうしても駄目なら、相手が用意する筈です」
「普通ならな。でも、普通じゃないだろう」
カイファスは間髪入れず言い切った。
ファジュラは固まった。
「アレンさんは最強だけどさ、更に最強なのはジゼルさんだろう。そこにレイチェルさんが加わって、スイッチ入っちゃったら誰も止められないよな」
トゥーイの言うことに、カイファスとルビィは頷いた。
「俺の時もさ、ベール、って言うの」
トゥーイはいまいち、正式名称がうろ覚えだ。
「あの大きなレース。用意してくれたのがジゼルさんとレイチェルさんみたいなんだけど、母さんが高価なものだって青冷めてたしさ」
二人にかかれば、金額は関係ないのだ。
要は、自分達が気が済むか済まないかなのだ。そして、アレンは意図を持って二人に頼むのだろう。とどめの一言は、いくら金額がかかっても文句は言わないと言えばいい。そうすれば、二人は一時的とはいえ、シオンから離れることになる。
「アレンの目的はシオンから二人を離す、だから、もし、仮定が当たっていれば、アレンの思惑は成功することになるんだよ」
カイファスは脱力した。珍しいことだが、仮定は当たっているだろうと言う確信があった。他に理由など思い付かないのだ。
「ですが……」
「基本的にさ、此処の家主達には勝てないんだよ」
尚も言い募ろうとするファジュラに、トゥーイは溜め息混じりの言葉を吐き出した。
「あ……」
ルビィは此方に向かってくる影に苦笑を漏らした。腕に赤子を抱いた二人の女性。遠目からでも判る表情。
「カイファスの仮定、当たってるかもよ」
ルビィが本館に顔を向けていることに気が付いた一同は、嬉々としたジゼルとレイチェルの姿を視界におさめることになった。
「私達に任せて下さいな」
息を切らしながら目の前まで来たレイチェルの開口一番の言葉だった。
「素晴らしい衣装にするわ」
ジゼルも浮かれたように言った。
「勿論、貴方のお母様のもお任せ下さないな」
ヴェルディラとファジュラは目を白黒させた。
「しきたりとかなら問題ありませんわよ」
「アレンが言い出したことだし、長様達もクリアだわ」
畳み掛けるように言われ、言葉も出ない。
「採寸しなくてはね」
「ほら、アレンは好きなだけと言っていましたわ。婚礼衣装だけではなくて、舞台衣装も作りませんこと」
母親達は話しを勝手に大きくしているようだ。
カイファスは乾いた笑いを漏らした。まさか、本当に当たっていようとは。もう、笑うしかない。
「そうだわ。ルビィとトゥーイのお母さんも呼びましょう。薔薇達のドレスも新調しないと」
「そうですわ。ただ、シオンとお母様の色が被ってしまいますわね」
「婚礼衣装の方は淡い色合いの方が綺麗よ」
「そうですわね」
二人は勝手に話しを進め、勝手に納得する。口を挟む余裕などない。
「そうとなれば、善は急げよ」
「期間も短いですし」
二人は来たとき同様、嵐のように去って行った。
その場に残された者達に残されたのは、脱力感だった。
「何をぐったりしてるんだ」
呆れを含んだ声は、間違える筈がない。
「その原因を作ったのはお前だろう」
カイファスは棘を含んだ声で噛み付いた。
「いい案だろうが」
悪びれた様子もなく、アレンは別の本を片手に現れたのだ。
「あの二人に自由なお金を与えたら、好き勝手にするんじゃないか」
カイファスの言葉にアレンは肩を竦めた。
「館が一軒建つだろうな。まあ、たいしたことはないだろう」
親父にも相談したと、アレンは続けた。
館が建つ金額をたいしたことはないと言うアレンも、何より認めたファジールにも、面々は信じられなかった。次元が違いすぎる。
「母上達は私達のドレスも作る気だぞ」
「いいんじゃないか。多ければ多いほど、お袋達はシオンにかまう余裕がなくなる」
行き着く先はやはりそこなのかと、更なる脱力感が襲い掛かる。
「お祖父様は」
「まだ、返事は来てないな。親父が別口で連絡を入れると言っていたから、決定だろうな」
この親子は、シオン絡みになると、何故こうも結託するのだろうか。
「あの……」
ファジュラは完全に困惑していた。次元が違うなんて問題じゃない。全くの別次元だ。
「考える必要はない。これは俺にとって必要だってことだ。あの二人は暴走すると手がつけられなくてな。シオンに毎日会いに行かれたら、逃げ道を作る結果になるんだよ」
アレンは打つ手がなく困っていたのだろう。多少、お金がかかろうが、上手くいく手を見逃すのは得策ではない。
ファジールもある意味、困っていたのではないだろうか。二人を止めることが出来る者などいないのだ。
「上手くいきそうなのか」
カイファスはシオンが今どうなっているのか、全く知らないのだ。
「何日か前にジュディが来ていたよね」
ルビィも小首を傾げつつ、訊いてきた。
「盛大な親子喧嘩だったみたいだな。まあ、ジュディが一方的にわめき散らしていたらしいけどな」
シオンは見ていることしか出来なかったらしい。何より、少しずつ体が重く、怠くなってきている自覚症状が出始めていたからだ。
「あまりに母親が大人しいんで、流石のジュディも黙ったらしい」
ジュディは愚かではない。
知っていた筈の態度ではなく、温和しい女性としての母親を目の前にし、居心地が悪くなったようなのだ。
だから、無理矢理訊き出したようだ。ジュディは基本的にジゼルに近い。頭ごなしに否定することは絶対にないのだ。
「ジュディもお袋から、いろいろ聞いていたみたいだな。女性に自由はなかった、って言う話しをな」
ひたすら口を噤んでいた母親だったが、何時間も押し問答を繰り返した結果、根負けしてしまったようだ。ポツリポツリと話し出した母親に、ジュディは眉を顰めた。
逆らいたくとも逆らえなかった現実。幼いときから夫に服従すると言う愚かな考えを、刷り込みするように教え込まれていた。
抜け出せなかったのだ。
ジュディがセイラとは違い、婚約者に啖呵を切った事実を聞いたとき、正直に羨ましいと思ったことも、素直に語ったのだ。
「まあ、ジュディはお袋に毒されてたからな」
「啖呵とは、何か言ったのか」
トゥーイは小首を傾げつつ、問い掛けた。
「トゥーイは白薔薇だからな。黒薔薇では結構、有名なんだ」
カイファスはそう言った。
「有名って」
黒薔薇出身の三人、特にアレンはよく知っている。
「旦那に、自分を好きにさせてみろと、成人前に挑んだんだよ。もし、ジュディが旦那を好きにならなかったら、結婚しないときっぱり宣言したらしい」
当然、ルディは固まったようなのだが、彼も少しばかり変わっていた。もし、このまま会わずに正式な婚約と言うことになった場合、断るつもりだったようだ。
いくら女性が少ないからと言って、親の言いなりで、人形のような女性を妻にするつもりは、更々なかったらしい。
トゥーイも何回かジュディとルディには会っている。シオンの姉夫婦は誰が見ても判るほど、仲が良い。
「……凄すぎやしませんか」
ファジュラは呆然と呟いた。
「お袋と親父を見て育ったんなら、納得だ。妹達も似たようなもんだからな」
アレンは言いながら、先まで座っていたベンチに腰を落ち着ける。
「妹っ」
「まだ居るんですかっ」
「ベンジャミンだけじゃないのかよっ」
ヴェルディラとファジュラ、トゥーイの小さな叫びに、アレンは驚いたように目を見開いた。
「知らないのか」
「知る訳ないだろう。俺はてっきり、ベンジャミンと二人兄弟だと思ってた」
トゥーイは驚きを隠しきれなかった。アレンが複数形で言ったということは、少なくとも二人はいることになる。
「まだ、結婚してないのか」
カイファスは今更ながら訊いてきた。
「爺さんの後継者じゃなきゃ、結婚しないって言ってるからなぁ。何時になるやらだ」
アレンはトゥーイに意地の悪い笑みを向ける。
「妹は双子だ。お袋が更に二人だと思えば問題ないくらい、そっくりなんだよ」
アレンは思い出したのか、少し顔が引きつった。
アレンのその様子に、トゥーイ、ヴェルディラとファジュラは顔を見合わせた。何より、双子の吸血族が本当に居るなど驚きだ。
シオンが双子を宿したと知ったときの慌てようが理解出来た。前例があったからこその反応だったのだ。
「私は会ったことはないな」
カイファスがぽつりと呟く。
「会う訳ないだろうが。彼奴等は成人前に紅薔薇の祖父母の家に行ったんだよ」
そこで、頭に疑問符を浮かべたのはヴェルディラとファジュラだった。何故、此処で紅薔薇の部族が出てくるのだろうか。
しかも、祖父母と言った。二人は顔を見合わせる。
「二人でか」
「彼奴等は二人でワンセットだ。一卵性だからな。見分けようとしても、見分けられないように演技するんだよ。しかも、結婚条件が普通じゃない」
えっ、と一同は目を見開く。
「彫金師であることが絶対条件だ。まあ、これなら判らなくない」
ジゼルの実家の家業は彫金師だ。だから、彫金師と言う条件は理解出来る。
「もう一つの条件が、双子、もしくは兄弟の彫金師なんだよ。まず、兄弟の居る彫金師が居ないだろうが」
アレンは呆れたように吐き出した。
黒薔薇の主治医一族は規格外だが、アレンの妹達も例に漏れず規格外らしい。
「まあ、爺さんは薔薇の刻印を許された彫金師だからな。兄弟って理由も判らなくないが、いないもんは仕様がないだろうに」
「……薔薇の刻印だって」
呆然と呟いたのはカイファスだ。他の面々は怪訝顔である。
「薔薇の刻印って何」
ルビィは小首を傾げ、アレンとカイファスに問い掛けた。その問いは、その場にいた者、全ての問いでもあった。
「知らないのか」
カイファスは面々の表情に溜め息を吐いた。
「彫金師の中で、協会に認められた腕を持つ者だけが、自分の作品に使うことが許された印だ。まあ、一流の証だな」
ジゼルの父親は紅薔薇だから、薔薇の刻印の中央部に赤い宝石が埋め込まれている。
「……ジゼルさんが紅薔薇何ですか」
ファジュラが恐々と訊いてきた。
「そうだ。まあ、知らないのは仕方ない。わざわざ言わないしな」
「珍しいですよね」
ファジュラは更に問い掛ける。
「珍しいって言うより、有り得ないだろうな。まあ、お袋はちょっと普通じゃないからな」
アレンはあっけらかんと言ってのける。
普通ではないと言い切ったアレンに、ヴェルディラとファジュラは言葉を失ったが、他の三人は苦笑いだ。
「まあ、その話しは今は必要ない」
「確かにな。それで、式は何処でするつもりだ」
アレンは意外な問い掛けに、カイファスを見やる。
「そんなもん、此奴の実家に決まってるだろうが。何か訳の判らないしきたりとかあるんじゃないのか」
アレンは言いながら、ファジュラに視線を向けた。いくら、吸血族の常識に疎くても、一族のしきたりくらいは知っているだろう。
ファジュラはアレンの問いたげな視線に、小さく息を吐き出した。
確かに、少しばかり変わっていると聞いてはいたが、ファジュラにしてみれば、儀式はそうだとしか知らないのだ。
「儀式自体は他の方と大差ないと思います」
「儀式はな。その後に、何かするんじゃないのか」
「すると言うより、儀式の後一年は、演奏旅行で、実質、結婚するのは儀式から一年後なんです」
ファジュラの言った事実に、驚きが先に立った。言葉が出てこない。いきなり降ってきた沈黙に、ファジュラは困惑する。
「ちょっと待て。何か、儀式をしたあと、夫婦になるのは一年後ってことなのか」
ファジュラは頷いた。
よくよく話しを聞くと、まず、音と声の審査をする。これは、一族の主立った者が呼ばれ、もっとも合う声の者を選ぶ。その後に《婚約の儀》、一年後に《婚礼の儀》が行われる。
「儀式の後に、招待した方達の前で一曲披露した後、両親と共に、各部族の楽師の元で披露することになっているんです」
「それに費やされる時間が一年かよ」
アレンだけではなく、ファジュラ以外の全員が脱力した。
職業でそれぞれ結婚に関する決まり事はあるが、楽師はそこまで面倒なのだろうか。
「勘違いしないで下さい。私達の一族だけだと聞いています。他の楽師の一族は、ごく普通の《婚礼の儀》だけだそうです」
ファジュラは慌てたように、付け足した。
「どうして、そんなに複雑なの」
ルビィは疑問を口にした。
「宮廷楽師の一族だからだそうです。なんでも、由緒ある流れの楽師は、私達の一族だけになってしまったのだと、そう聞いています」
つまり、直系の宮廷楽師の血筋なのだろう。
「つまり、レイの時代に宮廷楽師の称号を戴いてた一族ってわけか」
ファジュラは躊躇いつつ、頷いた。永い時の中でも廃れなかったのだ。つまり、永い時、血筋と才能を伝え続けたのだろう。血筋だけでは遺れない筈だ。才能がなければ、忘れ去られる。
「守り続けたしきたりなら、伝えないと駄目だろうな」
だが、ファジュラは一族のしきたりとはかけ離れた理由で、花嫁が決まってしまった。沈んだ表情のファジュラに、アレンは嘆息した。
「どうしてそう、悲観的にとらえるんだ」
ファジュラは眉間に皺を寄せた。
「俺がさっき、何て言ったか覚えていないのか」
アレンは小さく息を吐き出した。ファジュラは眉間に皺を寄せたまま、難しい表情のままだ。
「はい」
そう言って、ファジュラの目の前にヴァイオリンが差し出された。差し出したのはルビィ。
「試してみたらどう。シオンから聞いてるから、僕達も聴いてみたいし」
ルビィは優しく微笑んだ。
「そう言えば、言っていたな」
カイファスも思い出したように呟いた。
「その場に俺も居た。いいか、偶然何てもんは、少ないんだよ」
アレンは淡々と言ってのけた。
ファジュラはただ、ヴァイオリンを凝視する。幼いときは良く聴いた。ヴェルディラの声は繊細で、光のような声だった。何度がファジュラのヴァイオリンの音で歌ったことも覚えているが、それは、幼いときの、綺麗な思い出になってしまっている。
ファジュラは一度、ヴェルディラに視線を向けた。ヴェルディラは困惑を顔に刻んでいた。もう一度、ヴァイオリンへ視線を戻し、落ち着けるように息を吐き出し、ヴァイオリンを受け取った。
アレンから譲り受け、手に馴染み始めたヴァイオリンだった。更に差し出された弓を受け取り、座ったまま音を合わせた。
ヴェルディラはきゅっと唇を引き結ぶ。自分では結論を出していないのに、流されるように話しが進んでいく。
でも、とふと考える。もし、この場所を失ったら、何処に行けばいいのだろうか。長様は《永遠の眠り》を許してはくれない。それは目覚めてから、何となくだが気が付いた。
不思議なことだが、今の吸血族は目の前にいる薔薇という存在を中心に廻っている。
「歌えますか」
ファジュラが囁くように問い掛けてきた。ヴェルディラは驚いたように息をのみ、ファジュラを仰ぎ見た。
一瞬躊躇い、小さく頷いた。
「曲は……」
「何時ものでいい」
ヴェルディラは簡潔に答える。何時もので通じるだろうか。ヴェルディラは不意に不安になった。だが、ファジュラは優しく微笑んだ後、座ったまま奏で始める。
その曲はファジュラがティファレトと共に披露する曲だ。何時も耳にし、覚えてしまったのだ。緊張する必要はない。此処は薔薇園で、目の前に居るのは観客ではない。
ただ、曲に合わせて歌うだけでいい。月と星々に聴かせていたように。ただ、風に声を重ねればいい。
最初は語りかけるように歌う。ティファレトはそう歌っていた。
細いヴァイオリンの音に、澄んだ声が重なる。ファジュラは驚いたようにヴェルディラを凝視した。
その声は幼いときと変わらない。祖母が惜しんだ声そのものだった。確かにヴェルディラの声は普通の男性に比べれば高く濁りがない。
動揺を見せたファジュラの様子に、アレンは目を細めた。
「綺麗」
曲が終わるとルビィはうっとりと呟いた。音楽に疎くとも、ヴェルディラの声が稀な美しさを持っていることが判る。
「……ヴェル……」
「言わなくても、判ってるよ」
ヴェルディラは不貞腐れたように言った。
「……声」
ファジュラは驚きを隠せなかった。
「声変わりしてないと言っただろうが」
アレンは足を組むと、呆れたように言った。
「稀に居るんだよ。声変わりしない男が」
ファジュラはアレンに視線を向けた。
「此奴の場合、更に稀になるんだろうけどな。全く濁りなく、子供と同じくらい澄んだ声って言うのは聴いたことがない」
アレンは更に続ける。
「それに、お前のヴァイオリンの音は、他の奏者と比べると細いんじゃないか」
ソロで奏でる分には問題ないだろう。だが、オーケルトラ向きではない。綺麗すぎるのだ。
「これだけは言っておく」
アレンはヴェルディラに鋭い視線を向けた。ヴェルディラは息をのむ。
「逃げても無駄だ。親から逃れたいなら、此奴と一緒になるしかないんだよ」
ヴェルディラは反論しようと腰を浮かせた。
「長達はお前の眠りを認めないだろう。同じくらい、両親はお前に執着してる。逃げるには部族から出るのが一番なんだ。今のを聴いてよく判ったが、お前は芸術関係の才能があるんだろう」
アレンはきっぱりと言い切った。芸術、ましてや音楽のことなど全く判らないアレンでも、ヴェルディラは才能に恵まれていることが判る。
「薔薇として生まれたからには、幸せになるのが義務だ。レイがなんのために苦しんだのか判らなくなる」
ヴェルディラは目を見開く。
「女性に変化したという事は、お前は其奴に惚れてるって事だ」
ヴェルディラは唇を噛み締め、浮かせた腰を元に戻すしかなかった。
「……迷惑をかけるって判ってるんだ。両親は絶対に乗り込んでくる」
ヴェルディラは呟くように言葉を零した。
「そんなことは判ってるんだよ。だから、長達が牽制してるんだろうが。何のために、早めにお前を目覚めさせたと思ってるんだ」
アレンは問い掛けるように、ヴェルディラに言った。
「お前の意思が必要なんだよ。親元に帰らないという強い意思が。いくら周りが騒いだところで、親が納得するわけがない。難癖つけてくるに決まってる」
アレンはそこまで口にした後、上空に視線を向けた。
「蝶じゃない」
カイファスは小さく叫んだ。飛んできたのは蝙蝠。だが、気配で黒の長の使い魔だと判った。慌てたようにアレンの周りを飛び、右手を差し出すと羽根を休めるように止まった。
「お祖父様は何て言ってきたんだ」
アレンの眉間に皺が寄った。明らかに、良くないことを知らせてきたのだ。アレンは舌打ちし、立ち上がる。
「止めきれなかったのかよ」
アレンは吐き捨てるように言葉を吐き出した。
「お前等は此処に居ろっ」
アレンは言うなり走り出した。
「アレンっ」
一同は唖然とアレンを見送った。走り去ったアレンの後に蝙蝠は何事もなかったかのように霧散する。
「何があったの」
ルビィは呆然と呟く。
「あの慌てようだ。蒼の長様がヴェルディラの両親を押さえきれなかったんだろうな」
カイファスは腕と足を組む。ヴェルディラはきゅっと唇を噛み締める。
「どうする」
カイファスは走り去ったアレンに問い掛けるように呟いた。
「どうかしましたか」
「はっきりとしたものじゃないが、嫌な予感がする」
ヴェルディラとファジュラは本を読むことを日課としている。当然、何時もの顔触れが揃っているわけだが、アレンの一言に過剰に反応したのはルビィだった。
シオンだけではなく、アレンの予感も侮れないのだ。
「何かが起こるの」
ルビィは恐々と訊いてきた。
ルビィの怯えように、アレンは嘆息する。
「俺はシオンじゃないぞ。怯える必要はないだろう。単なる胸騒ぎだ」
「シオンより、質が悪いでしょうっ」
ルビィは鋭く指摘する。シオンのは経験による感で済むが、アレンのは単なる感だけでは済まない場合があるのだ。
「言っとくが、視てないからな。本当に普通に感じる嫌な予感だ」
アレンはそう言いながら上空に視線を向けた。
「どうかしたのか」
カイファスが首を捻る。
「何かを知らせてきたみたいだな」
雲一つない、星が瞬く夜空に、空より黒い何かが此方に向かってくる。
「お祖父様だな」
「ああ」
アレンは手を差し伸べた。音もなく舞い降り、アレンの右手の人差し指に当たり前のように止まると、数秒後、霧散した。
アレンは目を細めると、小さく微笑んだ。一つは解決したようだ。どうやら、黒の長が知らせてきた内容から、事前に判っていたことのようだった。ただ、黒の長自身に確信がなかったのだろう。
「何を知らせてきたんだ」
カイファスは息をのむように問い掛けた。当然、周りにいる、ルビィ、トゥーイ、ヴェルディラとファジュラも同様に息をのんでいる。
アレンはファジュラを見詰め、微笑んだ。ファジュラは目を瞬く。
「お前の両親が、元の鞘に戻ったそうだ」
ルビィとトゥーイは両手を握り合い、歓声を上げる。
「良かったね」
二人は垣根なしに喜んだのだが、ファジュラは複雑だった。それを読み取ったのか、ヴェルディラが心配そうに見上げた。
「まあ、元の鞘は可笑しいか。誤解が解けて、本来の夫婦になる最初の段階に入った、と言った方が正確かもな」
アレンは言い直した。
「どう言うことだ」
カイファスは首を捻る。
「長はこう知らせてきた」
アレンは説明する。ティファレトとアーネストは元々、幼馴染みで仲が悪かったわけではない。ティファレトがアーネストの一族の特殊な決まり事を知らなかったことが、誤解の始まりだった。
「音と声が合う者でなければ駄目なんだろう」
アレンはファジュラに問い掛ける。ファジュラは少し躊躇い、頷いた。
「俺に言わせれば、音が合った時点で、両想いだと思うんだけどな」
アレンは戸惑いを浮かべたファジュラをただ見詰めた。どうも、ファジュラはアレンの言葉を理解していない。
「理解してないみたいだな」
アレンは嘆息する。そして、どうやら、皆が皆、理解していないようだ。
「音が合うと言うことは、互いを求めているってことだろう。嫌いな者同士で合うなんて話しは聞いたことがない。お前の一族の決まり事は、理にかなっていたってことだ」
最初にそれを決めたのは誰なのかは伝わっていないのだろうが、もしかしたら、身分違いの恋を手に入れるために、無理矢理こじつけたのではないのだろうか。
音が合えば、身分違いなど関係ないと、主張したのではないか。
「じゃあ……」
ルビィは目を見開き、そう、声を出した。
「最初から、きちんとしていれば、起こらなかった事態だってことだ。まあ、本当に仲が良かったんなら、親達が失念した理由も判らなくないけどな」
ファジュラは思い出す。ヴァイオリンの師であったサイラスは、再三言っていたのだ。両親は幼い頃、仲が良かったのだと。
「気が付くのが遅すぎて、拗れたんだろうな」
アレンはそこまで言い、喉の奥で笑った。何事かと、皆が皆、アレンを注視する。
「別の意味で、居たたまれなくなるんじゃないか」
カイファス、ルビィ、トゥーイは気が付いたように顔を見合わせた。
「……居たたまれなくなるとは、どういう意味でしょうか」
ファジュラは怪訝な表情を見せた。
「新婚時代がなかったんじゃないか。だとすると、今が蜜月状態だろう。あてられるって意味だよ」
アレンはそこまで言うと、何かを思い付いたように、表情を変えた。
「どうかしたのか」
トゥーイがアレンの表情に訝しむ。良からぬことを思い付いたような感じだ。アレンは満面の笑みを見せると、いきなり右手の人差し指から光を紡ぎ出し、使い魔を作り出した。
全員が目を見開いた。
「何をする気だ」
カイファスがアレンに問い掛けた。
「お袋達が、やたらと離れに行くんだよ。注意しても聞きやしない。なら、別の効果的な方法を取るまでだ。長達も賛成してくれるだろう」
アレンが作り出したのは、一匹の蝙蝠。蝙蝠は一度、アレンの上空を旋回し、黒の長の館の方向へ消えていった。
「何をする気」
「後でのお楽しみだな」
ルビィが更に問い掛けたが、アレンは本を手に立ち上がると、本館に足を向けた。
「お楽しみって。教えてくれないのかよ」
トゥーイが少し腰を上げ、言い募った。
「今、教えたら、お楽しみじゃなくなるだろうが」
アレンは言いながら、歩いて行ってしまった。呆然とした五人は、互いに顔を見合わせた。
「お楽しみとは何でしょうか」
「彼奴は昔からシオン並みに突飛ないからな。無駄に頭がいいし」
カイファスはそうとしか言えなかった。
「もしかしたら、ゼロスなら判るかもしれない」
だが、アレンが面白がっているのだ。ゼロスが気が付いたとしても、同様に口を噤む可能性は否定出来ない。
「シオン並みってっ」
ルビィは驚きに目を見開いた。
「シオンは振り回すだろう。しかも、確信犯なんだ。アレンは意識して振り回してはいないんだろうが、時々、思いもよらない行動に出るんだ」
カイファスは溜め息を吐く。しかも、シオンからジゼルとレイチェルを離したがっているような口振りだった。
カイファスがシオンの母親を正面から見たのは、婚約報告に行ったときだ。容貌はジュディとよく似ていた。シオンもジュディとよく似ている。
「おそらく、原因は母上達だ」
カイファスは嘆息する。ジゼルとレイチェルの意識が別に移れば良いのだ。アレンはその方法を思い付いたのだろう。
しかも、部族長達を巻き込もうとしている。つまり、アレン一人の力では、どうにも出来ないことを思い付いたのだ。
「何を思い付いたんだろう」
今まで黙っていたヴェルディラがぽつりと呟いた。
「考えられるのは一つだよな。ファジュラさんの両親がらみだとしか考えられない」
トゥーイが腕を組ながら思案しつつ、そう口にした。
「あの二人の意識がシオンから離れる事って何だ」
カイファスは首を捻る。あの二人は基本的に可愛いものが好きなのだ。
シオンが女性化すると、幼い容姿とあの色だ。可愛いなんてものじゃない。しかも、似たような容姿のジュディと母親、アンジュまで居る。
アンジュが無駄に可愛いドレスを身に着けているのは知っていた。お揃いなのだと、二人が楽しそうに話していることも、耳にしている。
そこまで考え、カイファスははたと思い当たる。そして、ヴェルディラに視線を向けた。滅多に考え及ばないカイファスだが、閃いた答えに呆然となった。
アレンはファジュラの両親が蜜月状態だと言った後に、何かを思い付いたのだ。
「もしかしたら……」
「何か思い付いたの」
カイファスの呟きに、ルビィは問い掛けた。
「おそらく、二人の《婚礼の儀》は一年待たずにするだろう」
「トゥーイの時がそうだったしね」
ルビィがそう言い、カイファスは頷いた。
「母上達の興味を別に移すなら、普通の出来事では無理だ」
カイファスの言葉に、ルビィとトゥーイは頷く。
「彼奴、ファジュラの両親の《婚礼の儀》もするつもりなんだ。衣装をあの二人に担当させるために」
ヴェルディラとファジュラは驚愕に目を見開いた。
「両親は儀式を済ませてますっ」
ファジュラは慌てたように小さく叫んだ。
「そんなことは判っている。いいか。私達は多少無理を言っても、お祖父様達は通してしまうんだ。絶対必要だと言えばいい」
更にアレンは元々、黒薔薇の主治医の一族で、黄薔薇の夫であり、薔薇の主治医なのだ。他の薔薇の夫婦に比べて、影響力が強い。シオンの話しを持ち出せば、黒の長は否とは言えないだろう。
「彼奴なら絶対にやる。有言実行を地でいく奴だ」
カイファスは右手を額に当てた。
「でも、衣装を二人にって、お金の出所は」
ルビィは気になることを口にした。
「アレンは基本的に金銭に対して頓着しない。必要だと思えば、いくらでも出す。衣装代は黒薔薇の主治医が持つことになる。おそらく、ファジールさんも反対しないだろう」
アレンが言い出せば、ファジールはシオン絡みだと気が付くだろう。そうなると、ファジールもいくらお金がかかろうと、全く気にしない。
普段、贅沢をしないせいなのか、使うとなると、金額が半端ないのだ。
「そうなるとさ、ヴェルディラさんの衣装も一緒に作るってことだろう」
「当たり前だ。二人に任せるってことは、二着、確実に作るってことだ」
「待って下さいっ」
ルビィとカイファスの会話に、ファジュラは慌てて口を挟んだ。
「意味が判らないのですが」
「意味も何も、そのままの意味だよ」
ルビィは首を傾げる。
「普通、両親が揃えるもので、どうしても駄目なら、相手が用意する筈です」
「普通ならな。でも、普通じゃないだろう」
カイファスは間髪入れず言い切った。
ファジュラは固まった。
「アレンさんは最強だけどさ、更に最強なのはジゼルさんだろう。そこにレイチェルさんが加わって、スイッチ入っちゃったら誰も止められないよな」
トゥーイの言うことに、カイファスとルビィは頷いた。
「俺の時もさ、ベール、って言うの」
トゥーイはいまいち、正式名称がうろ覚えだ。
「あの大きなレース。用意してくれたのがジゼルさんとレイチェルさんみたいなんだけど、母さんが高価なものだって青冷めてたしさ」
二人にかかれば、金額は関係ないのだ。
要は、自分達が気が済むか済まないかなのだ。そして、アレンは意図を持って二人に頼むのだろう。とどめの一言は、いくら金額がかかっても文句は言わないと言えばいい。そうすれば、二人は一時的とはいえ、シオンから離れることになる。
「アレンの目的はシオンから二人を離す、だから、もし、仮定が当たっていれば、アレンの思惑は成功することになるんだよ」
カイファスは脱力した。珍しいことだが、仮定は当たっているだろうと言う確信があった。他に理由など思い付かないのだ。
「ですが……」
「基本的にさ、此処の家主達には勝てないんだよ」
尚も言い募ろうとするファジュラに、トゥーイは溜め息混じりの言葉を吐き出した。
「あ……」
ルビィは此方に向かってくる影に苦笑を漏らした。腕に赤子を抱いた二人の女性。遠目からでも判る表情。
「カイファスの仮定、当たってるかもよ」
ルビィが本館に顔を向けていることに気が付いた一同は、嬉々としたジゼルとレイチェルの姿を視界におさめることになった。
「私達に任せて下さいな」
息を切らしながら目の前まで来たレイチェルの開口一番の言葉だった。
「素晴らしい衣装にするわ」
ジゼルも浮かれたように言った。
「勿論、貴方のお母様のもお任せ下さないな」
ヴェルディラとファジュラは目を白黒させた。
「しきたりとかなら問題ありませんわよ」
「アレンが言い出したことだし、長様達もクリアだわ」
畳み掛けるように言われ、言葉も出ない。
「採寸しなくてはね」
「ほら、アレンは好きなだけと言っていましたわ。婚礼衣装だけではなくて、舞台衣装も作りませんこと」
母親達は話しを勝手に大きくしているようだ。
カイファスは乾いた笑いを漏らした。まさか、本当に当たっていようとは。もう、笑うしかない。
「そうだわ。ルビィとトゥーイのお母さんも呼びましょう。薔薇達のドレスも新調しないと」
「そうですわ。ただ、シオンとお母様の色が被ってしまいますわね」
「婚礼衣装の方は淡い色合いの方が綺麗よ」
「そうですわね」
二人は勝手に話しを進め、勝手に納得する。口を挟む余裕などない。
「そうとなれば、善は急げよ」
「期間も短いですし」
二人は来たとき同様、嵐のように去って行った。
その場に残された者達に残されたのは、脱力感だった。
「何をぐったりしてるんだ」
呆れを含んだ声は、間違える筈がない。
「その原因を作ったのはお前だろう」
カイファスは棘を含んだ声で噛み付いた。
「いい案だろうが」
悪びれた様子もなく、アレンは別の本を片手に現れたのだ。
「あの二人に自由なお金を与えたら、好き勝手にするんじゃないか」
カイファスの言葉にアレンは肩を竦めた。
「館が一軒建つだろうな。まあ、たいしたことはないだろう」
親父にも相談したと、アレンは続けた。
館が建つ金額をたいしたことはないと言うアレンも、何より認めたファジールにも、面々は信じられなかった。次元が違いすぎる。
「母上達は私達のドレスも作る気だぞ」
「いいんじゃないか。多ければ多いほど、お袋達はシオンにかまう余裕がなくなる」
行き着く先はやはりそこなのかと、更なる脱力感が襲い掛かる。
「お祖父様は」
「まだ、返事は来てないな。親父が別口で連絡を入れると言っていたから、決定だろうな」
この親子は、シオン絡みになると、何故こうも結託するのだろうか。
「あの……」
ファジュラは完全に困惑していた。次元が違うなんて問題じゃない。全くの別次元だ。
「考える必要はない。これは俺にとって必要だってことだ。あの二人は暴走すると手がつけられなくてな。シオンに毎日会いに行かれたら、逃げ道を作る結果になるんだよ」
アレンは打つ手がなく困っていたのだろう。多少、お金がかかろうが、上手くいく手を見逃すのは得策ではない。
ファジールもある意味、困っていたのではないだろうか。二人を止めることが出来る者などいないのだ。
「上手くいきそうなのか」
カイファスはシオンが今どうなっているのか、全く知らないのだ。
「何日か前にジュディが来ていたよね」
ルビィも小首を傾げつつ、訊いてきた。
「盛大な親子喧嘩だったみたいだな。まあ、ジュディが一方的にわめき散らしていたらしいけどな」
シオンは見ていることしか出来なかったらしい。何より、少しずつ体が重く、怠くなってきている自覚症状が出始めていたからだ。
「あまりに母親が大人しいんで、流石のジュディも黙ったらしい」
ジュディは愚かではない。
知っていた筈の態度ではなく、温和しい女性としての母親を目の前にし、居心地が悪くなったようなのだ。
だから、無理矢理訊き出したようだ。ジュディは基本的にジゼルに近い。頭ごなしに否定することは絶対にないのだ。
「ジュディもお袋から、いろいろ聞いていたみたいだな。女性に自由はなかった、って言う話しをな」
ひたすら口を噤んでいた母親だったが、何時間も押し問答を繰り返した結果、根負けしてしまったようだ。ポツリポツリと話し出した母親に、ジュディは眉を顰めた。
逆らいたくとも逆らえなかった現実。幼いときから夫に服従すると言う愚かな考えを、刷り込みするように教え込まれていた。
抜け出せなかったのだ。
ジュディがセイラとは違い、婚約者に啖呵を切った事実を聞いたとき、正直に羨ましいと思ったことも、素直に語ったのだ。
「まあ、ジュディはお袋に毒されてたからな」
「啖呵とは、何か言ったのか」
トゥーイは小首を傾げつつ、問い掛けた。
「トゥーイは白薔薇だからな。黒薔薇では結構、有名なんだ」
カイファスはそう言った。
「有名って」
黒薔薇出身の三人、特にアレンはよく知っている。
「旦那に、自分を好きにさせてみろと、成人前に挑んだんだよ。もし、ジュディが旦那を好きにならなかったら、結婚しないときっぱり宣言したらしい」
当然、ルディは固まったようなのだが、彼も少しばかり変わっていた。もし、このまま会わずに正式な婚約と言うことになった場合、断るつもりだったようだ。
いくら女性が少ないからと言って、親の言いなりで、人形のような女性を妻にするつもりは、更々なかったらしい。
トゥーイも何回かジュディとルディには会っている。シオンの姉夫婦は誰が見ても判るほど、仲が良い。
「……凄すぎやしませんか」
ファジュラは呆然と呟いた。
「お袋と親父を見て育ったんなら、納得だ。妹達も似たようなもんだからな」
アレンは言いながら、先まで座っていたベンチに腰を落ち着ける。
「妹っ」
「まだ居るんですかっ」
「ベンジャミンだけじゃないのかよっ」
ヴェルディラとファジュラ、トゥーイの小さな叫びに、アレンは驚いたように目を見開いた。
「知らないのか」
「知る訳ないだろう。俺はてっきり、ベンジャミンと二人兄弟だと思ってた」
トゥーイは驚きを隠しきれなかった。アレンが複数形で言ったということは、少なくとも二人はいることになる。
「まだ、結婚してないのか」
カイファスは今更ながら訊いてきた。
「爺さんの後継者じゃなきゃ、結婚しないって言ってるからなぁ。何時になるやらだ」
アレンはトゥーイに意地の悪い笑みを向ける。
「妹は双子だ。お袋が更に二人だと思えば問題ないくらい、そっくりなんだよ」
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アレンのその様子に、トゥーイ、ヴェルディラとファジュラは顔を見合わせた。何より、双子の吸血族が本当に居るなど驚きだ。
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「私は会ったことはないな」
カイファスがぽつりと呟く。
「会う訳ないだろうが。彼奴等は成人前に紅薔薇の祖父母の家に行ったんだよ」
そこで、頭に疑問符を浮かべたのはヴェルディラとファジュラだった。何故、此処で紅薔薇の部族が出てくるのだろうか。
しかも、祖父母と言った。二人は顔を見合わせる。
「二人でか」
「彼奴等は二人でワンセットだ。一卵性だからな。見分けようとしても、見分けられないように演技するんだよ。しかも、結婚条件が普通じゃない」
えっ、と一同は目を見開く。
「彫金師であることが絶対条件だ。まあ、これなら判らなくない」
ジゼルの実家の家業は彫金師だ。だから、彫金師と言う条件は理解出来る。
「もう一つの条件が、双子、もしくは兄弟の彫金師なんだよ。まず、兄弟の居る彫金師が居ないだろうが」
アレンは呆れたように吐き出した。
黒薔薇の主治医一族は規格外だが、アレンの妹達も例に漏れず規格外らしい。
「まあ、爺さんは薔薇の刻印を許された彫金師だからな。兄弟って理由も判らなくないが、いないもんは仕様がないだろうに」
「……薔薇の刻印だって」
呆然と呟いたのはカイファスだ。他の面々は怪訝顔である。
「薔薇の刻印って何」
ルビィは小首を傾げ、アレンとカイファスに問い掛けた。その問いは、その場にいた者、全ての問いでもあった。
「知らないのか」
カイファスは面々の表情に溜め息を吐いた。
「彫金師の中で、協会に認められた腕を持つ者だけが、自分の作品に使うことが許された印だ。まあ、一流の証だな」
ジゼルの父親は紅薔薇だから、薔薇の刻印の中央部に赤い宝石が埋め込まれている。
「……ジゼルさんが紅薔薇何ですか」
ファジュラが恐々と訊いてきた。
「そうだ。まあ、知らないのは仕方ない。わざわざ言わないしな」
「珍しいですよね」
ファジュラは更に問い掛ける。
「珍しいって言うより、有り得ないだろうな。まあ、お袋はちょっと普通じゃないからな」
アレンはあっけらかんと言ってのける。
普通ではないと言い切ったアレンに、ヴェルディラとファジュラは言葉を失ったが、他の三人は苦笑いだ。
「まあ、その話しは今は必要ない」
「確かにな。それで、式は何処でするつもりだ」
アレンは意外な問い掛けに、カイファスを見やる。
「そんなもん、此奴の実家に決まってるだろうが。何か訳の判らないしきたりとかあるんじゃないのか」
アレンは言いながら、ファジュラに視線を向けた。いくら、吸血族の常識に疎くても、一族のしきたりくらいは知っているだろう。
ファジュラはアレンの問いたげな視線に、小さく息を吐き出した。
確かに、少しばかり変わっていると聞いてはいたが、ファジュラにしてみれば、儀式はそうだとしか知らないのだ。
「儀式自体は他の方と大差ないと思います」
「儀式はな。その後に、何かするんじゃないのか」
「すると言うより、儀式の後一年は、演奏旅行で、実質、結婚するのは儀式から一年後なんです」
ファジュラの言った事実に、驚きが先に立った。言葉が出てこない。いきなり降ってきた沈黙に、ファジュラは困惑する。
「ちょっと待て。何か、儀式をしたあと、夫婦になるのは一年後ってことなのか」
ファジュラは頷いた。
よくよく話しを聞くと、まず、音と声の審査をする。これは、一族の主立った者が呼ばれ、もっとも合う声の者を選ぶ。その後に《婚約の儀》、一年後に《婚礼の儀》が行われる。
「儀式の後に、招待した方達の前で一曲披露した後、両親と共に、各部族の楽師の元で披露することになっているんです」
「それに費やされる時間が一年かよ」
アレンだけではなく、ファジュラ以外の全員が脱力した。
職業でそれぞれ結婚に関する決まり事はあるが、楽師はそこまで面倒なのだろうか。
「勘違いしないで下さい。私達の一族だけだと聞いています。他の楽師の一族は、ごく普通の《婚礼の儀》だけだそうです」
ファジュラは慌てたように、付け足した。
「どうして、そんなに複雑なの」
ルビィは疑問を口にした。
「宮廷楽師の一族だからだそうです。なんでも、由緒ある流れの楽師は、私達の一族だけになってしまったのだと、そう聞いています」
つまり、直系の宮廷楽師の血筋なのだろう。
「つまり、レイの時代に宮廷楽師の称号を戴いてた一族ってわけか」
ファジュラは躊躇いつつ、頷いた。永い時の中でも廃れなかったのだ。つまり、永い時、血筋と才能を伝え続けたのだろう。血筋だけでは遺れない筈だ。才能がなければ、忘れ去られる。
「守り続けたしきたりなら、伝えないと駄目だろうな」
だが、ファジュラは一族のしきたりとはかけ離れた理由で、花嫁が決まってしまった。沈んだ表情のファジュラに、アレンは嘆息した。
「どうしてそう、悲観的にとらえるんだ」
ファジュラは眉間に皺を寄せた。
「俺がさっき、何て言ったか覚えていないのか」
アレンは小さく息を吐き出した。ファジュラは眉間に皺を寄せたまま、難しい表情のままだ。
「はい」
そう言って、ファジュラの目の前にヴァイオリンが差し出された。差し出したのはルビィ。
「試してみたらどう。シオンから聞いてるから、僕達も聴いてみたいし」
ルビィは優しく微笑んだ。
「そう言えば、言っていたな」
カイファスも思い出したように呟いた。
「その場に俺も居た。いいか、偶然何てもんは、少ないんだよ」
アレンは淡々と言ってのけた。
ファジュラはただ、ヴァイオリンを凝視する。幼いときは良く聴いた。ヴェルディラの声は繊細で、光のような声だった。何度がファジュラのヴァイオリンの音で歌ったことも覚えているが、それは、幼いときの、綺麗な思い出になってしまっている。
ファジュラは一度、ヴェルディラに視線を向けた。ヴェルディラは困惑を顔に刻んでいた。もう一度、ヴァイオリンへ視線を戻し、落ち着けるように息を吐き出し、ヴァイオリンを受け取った。
アレンから譲り受け、手に馴染み始めたヴァイオリンだった。更に差し出された弓を受け取り、座ったまま音を合わせた。
ヴェルディラはきゅっと唇を引き結ぶ。自分では結論を出していないのに、流されるように話しが進んでいく。
でも、とふと考える。もし、この場所を失ったら、何処に行けばいいのだろうか。長様は《永遠の眠り》を許してはくれない。それは目覚めてから、何となくだが気が付いた。
不思議なことだが、今の吸血族は目の前にいる薔薇という存在を中心に廻っている。
「歌えますか」
ファジュラが囁くように問い掛けてきた。ヴェルディラは驚いたように息をのみ、ファジュラを仰ぎ見た。
一瞬躊躇い、小さく頷いた。
「曲は……」
「何時ものでいい」
ヴェルディラは簡潔に答える。何時もので通じるだろうか。ヴェルディラは不意に不安になった。だが、ファジュラは優しく微笑んだ後、座ったまま奏で始める。
その曲はファジュラがティファレトと共に披露する曲だ。何時も耳にし、覚えてしまったのだ。緊張する必要はない。此処は薔薇園で、目の前に居るのは観客ではない。
ただ、曲に合わせて歌うだけでいい。月と星々に聴かせていたように。ただ、風に声を重ねればいい。
最初は語りかけるように歌う。ティファレトはそう歌っていた。
細いヴァイオリンの音に、澄んだ声が重なる。ファジュラは驚いたようにヴェルディラを凝視した。
その声は幼いときと変わらない。祖母が惜しんだ声そのものだった。確かにヴェルディラの声は普通の男性に比べれば高く濁りがない。
動揺を見せたファジュラの様子に、アレンは目を細めた。
「綺麗」
曲が終わるとルビィはうっとりと呟いた。音楽に疎くとも、ヴェルディラの声が稀な美しさを持っていることが判る。
「……ヴェル……」
「言わなくても、判ってるよ」
ヴェルディラは不貞腐れたように言った。
「……声」
ファジュラは驚きを隠せなかった。
「声変わりしてないと言っただろうが」
アレンは足を組むと、呆れたように言った。
「稀に居るんだよ。声変わりしない男が」
ファジュラはアレンに視線を向けた。
「此奴の場合、更に稀になるんだろうけどな。全く濁りなく、子供と同じくらい澄んだ声って言うのは聴いたことがない」
アレンは更に続ける。
「それに、お前のヴァイオリンの音は、他の奏者と比べると細いんじゃないか」
ソロで奏でる分には問題ないだろう。だが、オーケルトラ向きではない。綺麗すぎるのだ。
「これだけは言っておく」
アレンはヴェルディラに鋭い視線を向けた。ヴェルディラは息をのむ。
「逃げても無駄だ。親から逃れたいなら、此奴と一緒になるしかないんだよ」
ヴェルディラは反論しようと腰を浮かせた。
「長達はお前の眠りを認めないだろう。同じくらい、両親はお前に執着してる。逃げるには部族から出るのが一番なんだ。今のを聴いてよく判ったが、お前は芸術関係の才能があるんだろう」
アレンはきっぱりと言い切った。芸術、ましてや音楽のことなど全く判らないアレンでも、ヴェルディラは才能に恵まれていることが判る。
「薔薇として生まれたからには、幸せになるのが義務だ。レイがなんのために苦しんだのか判らなくなる」
ヴェルディラは目を見開く。
「女性に変化したという事は、お前は其奴に惚れてるって事だ」
ヴェルディラは唇を噛み締め、浮かせた腰を元に戻すしかなかった。
「……迷惑をかけるって判ってるんだ。両親は絶対に乗り込んでくる」
ヴェルディラは呟くように言葉を零した。
「そんなことは判ってるんだよ。だから、長達が牽制してるんだろうが。何のために、早めにお前を目覚めさせたと思ってるんだ」
アレンは問い掛けるように、ヴェルディラに言った。
「お前の意思が必要なんだよ。親元に帰らないという強い意思が。いくら周りが騒いだところで、親が納得するわけがない。難癖つけてくるに決まってる」
アレンはそこまで口にした後、上空に視線を向けた。
「蝶じゃない」
カイファスは小さく叫んだ。飛んできたのは蝙蝠。だが、気配で黒の長の使い魔だと判った。慌てたようにアレンの周りを飛び、右手を差し出すと羽根を休めるように止まった。
「お祖父様は何て言ってきたんだ」
アレンの眉間に皺が寄った。明らかに、良くないことを知らせてきたのだ。アレンは舌打ちし、立ち上がる。
「止めきれなかったのかよ」
アレンは吐き捨てるように言葉を吐き出した。
「お前等は此処に居ろっ」
アレンは言うなり走り出した。
「アレンっ」
一同は唖然とアレンを見送った。走り去ったアレンの後に蝙蝠は何事もなかったかのように霧散する。
「何があったの」
ルビィは呆然と呟く。
「あの慌てようだ。蒼の長様がヴェルディラの両親を押さえきれなかったんだろうな」
カイファスは腕と足を組む。ヴェルディラはきゅっと唇を噛み締める。
「どうする」
カイファスは走り去ったアレンに問い掛けるように呟いた。
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umi
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封じられた初恋が、時を経て三人の男女の運命を狂わせる。メリバ好きさんにおくる、禁断のエロスファンタジー。
一章 初夜:幸せな若妻に迫る義父の魔手。夫が留守のある夜、とうとう義父が牙を剥き──。悲劇の始まりの、ある夜のお話。
二章 接吻:悪夢の一夜が明け、義父は嫁を手元に囲った。が、事の最中に戻ったかに思われた娘の幼少時代の記憶は、夜が明けるとまた元通りに封じられていた。若妻の心が夫に戻ってしまったことを知って絶望した義父は、再び力づくで娘を手に入れようと──。
【共通】
*中世欧州風ファンタジー。
*立派なお屋敷に使用人が何人もいるようなおうちです。旦那様、奥様、若旦那様、若奥様、みたいな。国、服装、髪や目の色などは、お好きな設定で読んでください。
*女性向け。女の子至上主義の切ないエロスを目指してます。
*一章、二章とも、途中で無理矢理→溺愛→に豹変します。二章はその後闇落ち展開。思ってたのとちがう(スン)…な場合はそっ閉じでスルーいただけると幸いです。
*ムーンライトノベルズ様にも旧バージョンで投稿しています。
※同タイトルの過去作『今夜、私は義父に抱かれる』を改編しました。2021/12/25
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