浅い夜・薔薇編

善奈美

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Ⅹ 双月の奏

03 第二楽章

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 ヴェルディラは譲り受けた花束を手に、ある扉の前に立っていた。毎回、招待状を受け取るので、足は運んでいたが顔を出すことはなかった。ただ、来たことが判るように、青い薔薇を扉の前にそっと置いていく。
 
 造花の時もあれば、自分の手で白薔薇を青く染めるときもある。
 
 今回は本当の青い薔薇を床の上に置いた。甘い香りを放つ薔薇に見入る。全ては自分達の過ち。けれど、それを後悔したことはなかった。
 
 親友という、大切な場所を手放すことになったのは自分のせいだ。

 深呼吸をし、一つ、扉に向かって頭を下げた。
 
 離れることを告げてはいない。今のヴェルディラの姿を見たら、ファジュラは絶対に引くと判っている。知られる前に、静かに消えていくのだ。
 
 結局、自分一人の力では生きていけない。祖父から受け継いだ技術も、情熱も全てが無駄であると判っていた。誰一人、あの事実を知らない。
 
 実際、ファジュラも真実を知らないのだ。風の噂で、父親がスランプになっていると聞いた。だが、ヴェルディラはその噂に何も感じなかった。

 ゆっくりとその場を離れる。着慣れないドレスは酷く居心地の悪い感じがした。足元がさわさわとした感じがし、歩く度にスカートの裾が足に纏わりつく。
 
 外に出ると、人気は無くなっていた。招待客は皆、会場に入ったのだろう。前庭にある噴水に腰掛け、空を見上げた。
 
 満点の星空と、淡い光の満月が柔らかな光を放っていた。肌を掠めるそよ風が、緑の香りを運んでくる。
 
 小さく溜め息を吐くと、背後から微かな音楽が流れてくる。細い繊細な音は、ファジュラが奏でるヴァイオリンの音色だ。

 思わず、曲に合わせ歌ってしまう。それは、祖父と共によく訪れた、ファジュラの館で戯れに歌っていたからだ。
 
 二人の祖父は二人の孫の姿に、温かい視線を向けてくれていたが、ファジュラの母親は違っていた。
 
 流石に祖父達の手前、あからさまな態度は取らなかったが、よく思ってはいなかったのだろう。それは、祖父が眠りについて初めて知ったことだった。
 
 嫌われていたのだと、全く知らなかった。不快な思いをさせていたことを知らなかった。知ってしまうと、行くことが躊躇われた。

 だが、行かないわけには行かない状況になっていたのだ。
 
 それは小さな興味で、大きな過ちだった。離れられなかった理由が、命に関わっていたのだから、嫌われようと、蔑まれようと、訪れる必要があった。
 
 しかし、ヴェルディラは親元から姿を消していて、ファジュラが行くと言ったとき、正直に慌てた。場所を転々と移動しながら、見つからないように生きてきたのだ。
 
 ファジュラには悪いと思っていても、拒絶するしか道はなかった。別部族であったことが幸いしたのか、ヴェルディラが消息不明になっていることを彼は知らなかったのだ。

 
 
      †††
 
 
「待てっ」
 
 アレンがやっとの思いでシオンを捕まえたのは、出入り口の前だった。ヒールの高い靴で普通に走り回っているのだから、慣れすぎだとアレンは嘆息する。
 
「気持ち悪いっ」
 
 しかし、シオンはただをこねる子供のように首を振る。
 
「どうした」
 
 それは正直な疑問だった。シオンは何を嫌がっているのか。何時もの我が儘とは明らかに違う。
 
「あの声、気持ち悪い」
 
 そう言った後、シオンはアレンに抱き付いた。

 アレンには判らなかった。確かに、繊細なヴァイオリンの音色に、あの声は合っていない。だが、シオンが言うように、気持ち悪いという感じは受けない。
 
「母親でしょ。どうして、あんな感情を露わにしてるの」
 
 シオンはくぐもった声で、小さく呟いた。
 
「感情だって……」
「絶対におかしいよ。おかしすぎるよ。アレンがお母さんに異性として愛してるって言われたらさ、受け入れられる」
 
 シオンの問いに、アレンは固まった。正確には、無意識に考えることを拒絶した。

「気持ち悪いことを言うな……」
 
 そう言った後、言葉の意味を理解した。
 
「……嘘だろう」
 
 シオンは抱きついたまま、強く首を横に振る。絶対に間違えないのだ。
 
 そんな時、不意に聞こえてきた細い声に、二人は顔を見合わせた。会場から聞こえてくる声を無視して、ヴァイオリンの音に耳を傾け、微かな声と合わせると、妙に合っていた。
 
 細く、澄んだ綺麗な声。シオンはアレンから離れ、声のする方に足を向ける。二人で外に出ると、目に飛び込んでくるのは、涼やかな水音をたてる噴水。

 その噴水に腰掛ける人影が目に入る。
 
 月の淡い光を浴び、綺麗な青銀髪が光を弾く。
 
「……さっきのか」
「うん……」
 
 シオンは小さく頷いた。
 
「彼女に青薔薇を渡したんだ」
 
 シオンはヴェルディラを見詰めたまま、言葉を紡ぐ。
 
 月の光のような繊細な声音。夜の静寂を決して壊さないような細い音。けれど、儚い声ではなく、印象に残るほどの澄んだ光のような声だった。
 
 だが、声に含まれる悲しみに、胸が詰まる。シオンが抱いた嫌な予感。それはルビィとトゥーイに感じたものと同じだ。

 ヴェルディラは不意に建物の出入り口に視線を向けた。其処に居た二人に目を見開き、勢い良く立ち上がる。小さく頭を下げると、逃げるように走り去ろうとしたのだが……。
 
「待ってっ」
 
 シオンがその行動を封じるように、鋭い叫び声を上げた。ヴェルディラは驚き、足が竦む。それを見逃さず、シオンはすかさず前に回り込んだ。
 
「僕達と一緒に行こう」
 
 小首を傾げ、シオンはヴェルディラの両手を握り締めた。
 
「……して」
 
 呟かれた小さな疑問。アレンは溜め息を吐くと、二人の側まで歩み寄る。

 シオンはさっと、横に移動した。それを確認したアレンが、徐にヴェルディラを肩に担ぎ上げた。物のようなぞんざいな扱いに、一瞬、思考が停止する。
 
「行くとこないんでしょ」
 
 シオンがヴェルディラの顔を見上げ、満面の笑みを見せた。
 
「顔色が悪いしさ。ちゃんと睡眠とってる」
 
 その言葉に口を噤む。
 
「行こうか」
 
 シオンはアレンに視線を向けた。アレンは頷くと建物内に戻り、三階に足を向けた。慌てたのはヴェルディラだ。知り合いに見つかりたくない。

「……やだ。……誰にも会いたくな……」
 
 切れ切れに呟かれた言葉に、シオンは目を細めた。
 
「安心して。全部知ってるから。判ってるから。君を苦しめるつもりはないよ」
 
 ヴェルディラは涙の膜を張り始めた瞳でシオンを凝視した。
 
「僕達の家に行こ。ちゃんと、蒼の長様の許可をとって、ちゃんと休もう。休息も必要だよ」
 
 ヴェルディラは耐えられなかったのか、瞳から涙が溢れ出す。
 
「それに、さっき言ったでしょ。またね、ってさ」
 
 それは花束を渡し、去り際、シオンが口にした言葉だった。

 
 
      †††
 
 
 三階へ上がり、五人の長達に面会したヴェルディラは、黒薔薇の主治医の館に滞在することが決定された。
 
 ヴェルディラ本人は首を振ったのだが、蒼の長がきっぱり言い切ったのだ。行方を眩ませることは認めない、と。
 
 そう言われてしまうと、ヴェルディラは嫌だと言えなかった。だが、両親に居場所を知られたくない。
 
「お前の居場所は秘密だ。知っているのはこの場に居る者達だけだ」
 
 蒼の長はそう言ったのだ。ヴェルディラは驚いたように、蒼の長を凝視した。

「お前の両親より、お前自身の方が我々には重要だ」
 
 ヴェルディラが見せる表情に、蒼の長ばかりでなく、その場に居る者達が苦笑した。全く、判っていなかったからだ。
 
「相変わらずだな。自分がどういう存在なのか、判っていないんだろう」
 
 蒼の長に問われ、素直に頷くしかない。
 
「満月の光で女性化する者は、薔薇と呼ばれる」
 
 ヴェルディラは素直に驚きを顔に貼り付けた。
 
「我が部族と言う枠組みなど、意味のないものだ。お前は吸血族にとって、大切に護られるべき存在だ」
 
 ヴェルディラは体が硬直した。

 この会場に足を踏み入れたとき、耳にした薔薇という言葉。自分も薔薇なのだと言われ、ヴェルディラは困惑した。
 
「……して、これは罪の具現だろう……」
 
 呆然と口を吐いた言葉に、薔薇達は目を細めた。
 
「最初はそう思うんだよね」
 
 シオンは複雑な表情で呟いた。ヴェルディラは驚いたように振り返る。
 
「基本的にさ、僕達って禁忌を犯してるんだよね。ただ、女性に変化するから許されてるだけ」
 
 シオンの言葉に皆が沈黙する。それは、事実だったからだ。

「罪は罪だよ。でもさ、僕達の償い方法は他の吸血族と違うってだけ」
 
 シオンは静かに語る。
 
「《太陽の審判》を受けたとしても、《永遠の眠り》を選択してもさ、結局、僕達の場合、迷惑になるんだよね」
 
 そう言った後、シオンはクスクスと笑い出す。
 
「それに、逃がすつもりないし」
 
 目を細め凝視されると、酷く居心地が悪かった。澄んだ琥珀の瞳が、素直に恐ろしかった。何故、そう感じるのかは判らない。強いて言うなら、目の前の存在は恐ろしいのだと、本能が訴えていた。

 そのシオンの姿に、わざとらしく溜め息を吐いたのはアレンだ。
 
「脅してどうするんだ」
 
 言うなり、シオンの後頭部をぺしり、と叩いた。
 
「痛いじゃない」
 
 膨れっ面で、アレンを見上げた。
 
「そんなに痛くないだろうが。お前のは脅しだ。追い詰めてどうする気だ」
 
 腕を組み、うんざりしたようにシオンを見下ろした。
 
「ったく、長達とは別の腹黒さだ」
「むう。気に入らない……」
 
 その二人の姿に、笑い声を上げたのは、カイファスとゼロスだった。

「いや、本当に」
 
 カイファスは喉の奥で笑う。
 
「此奴等、見ていてあきないな」
 
 ゼロスも肩を震わせ笑っている。
 
「シリアスには程遠いな」
 
 嘆息するように言ったのはレイだ。
 
「三人共、酷いじゃない」
 
 両手を握り締め、更に膨れっ面になる。
 
「……俺、シオンさん見てると、母親になれそうな気がする……」
 
 トゥーイが追い討ちを掛けるように、ぽつりと呟いた。それにシオンは完全に固まった。さん付けで呼ばれたことに固まったのではない。言われた事に固まったのだ。

 シオンが小刻みに震えていることに気が付いた面々は、一様に口を噤んだ。彼の恐ろしさは、溜まった鬱憤を別に変換し、振り回すことだ。
 
 皆の脳裏に横切ったのは、明らかな焦りだった。つまり、突っつき過ぎたのだ。
 
「……絶対に、くっつけてやるんだから……」
 
 唸るように吐き出された言葉に、意味が判らず、固まったままのヴェルディラは、我が身の危険を察知した。
 
 背中を冷たい何かが這い上がってくる。
 
 やれやれと、肩を竦めたのはアレンだ。レイに視線を向けると、レイは小さく頷いた。

「ファジュラ……」
 
 アレンは名前を口に出すと、長達に視線を走らせた。
 
「この名前を持つのは、吸血族で一人だけか」
 
 その問いに、長達は顔を見合わせた。互いに視線を向け合い、それぞれが小さく頷き合う。
 
「一人だ。我が部族の楽師になる」
 
 黄の長が頷きながら、確認に肯定してきた。あからさまに怯えたのは、ヴェルディラだ。まるで、断罪されたような感覚を覚えた。
 
「此奴は連れて行くが、後から来るように伝えてくれ。話しがあるからと」
 
 アレンはきっぱり言い切った。

「……終わったみたいだな」
 
 エンヴィは舞台のある方に視線を向けた。少しずつざわめきが大きくなる。
 
 はっきり言って、演奏など一つも耳に入ってはいなかった。来たくて来たわけではない。ただ、仕方なく付き合っただけだ。
 
 話題作りに利用されたことは判っている。これ以上、付き合う義理はない。
 
「挨拶に来られたら面倒だな」
 
 腕を組んでアレンは呟いた。薔薇達が感じたことに間違えがなければ、ヴェルディラをファジュラの母親に会わせるのは得策ではない。

 今までとは別の意味で面倒になりそうだと嘆息した。ましてや、妊婦が三人もいる上に、カイファスはもう少しで臨月に入る。
 
 ファジールは実質、仕事から離れた状態になっている。一時的に戻ってもらうしかないのかもしれない。
 
「面倒になりそうだな」
 
 ゼロスは察したように口を開いた。
 
「全くだ。薔薇関係だけでも面倒だって言うのに」
 
 アレンはあからさまに眉間に皺を寄せる。問題はヴェルディラとファジュラだけではない。そこにティファレトまで絡んでくるとなれば、面倒では済まないだろう。

「しかし、段々、面倒になるが、今回はまた、面倒だな」
 
 ゼロスはうんざりしたように嘆息した。
 
「取り敢えず、挨拶にくる前に帰るぞ」
「だね。あの母親って、ヴェルディラを嫌ってるんじゃないかなぁ」
 
 アレンに頷いたシオンが、そう言葉を続けた。そして、首を傾げヴェルディラに無言で問い掛けた。
 
 ヴェルディラは悲しそうに目を伏せる。唇を噛み締め、小さく体を震わせた。
 
「帰るのなら、早く行った方がよいですよ。うまく、誤魔化しておきますから」
 
 黒の長は黒い笑みを見せた。

 男性陣は互いに視線を交わし、頷いた。階下に降りていては、他の目に触れることになる。
 
 徐に三人の妊婦に立つよう、それぞれの夫が促した。シオンは廊下に出ると、階段脇から下を覗き込み、前庭が見えるベランダを開く。外にはまだ、人影はない。
 
 皆の元に戻ると頷いた。
 
 四人は頷くと、三人は妻を抱き上げた。アレンはまた、ヴェルディラを肩に担ぎ上げる。そして、ベランダに歩を進め、アレンを先頭に、軽く地を蹴った。
 
「長様達、後はよろしくね。僕達、帰るから」
 
 シオンは満面の笑みを長達に向けた。

「シオン」
 
 黒の長は目を細め、シオンを見やる。シオンはすっと表情を無くした。硝子玉のような瞳が、人形のように無機質になる。
 
「お前は、まだ、信じられないのですか」
 
 その問いに、本人よりも、長達が目を見開いた。
 
「アレンを。家族を」
 
 シオンは悲し気な表情を作り出す。
 
「……信じてるって言いたいけど、僕の心はあのときのままなの。大切にしてもらってるのは判ってるし、今以上を望んでもいないけど……」
 
 ただ、と、シオンは俯いた。

「僕は異端なんじゃないかって、いっつも思ってる。思ってるから、我が儘を言って確認しちゃうの。何時か、消えちゃうかもしれない。今でも夢で、醒めたらあの場所にいる。長様」
 
 シオンは顔を上げる。その瞳に涙はない。だが、心は泣いていた。鋭く抉られた心の傷は、簡単には癒されない。時々、疼き、過去がシオンを苛む。
 
「だから僕は他の薔薇達に幸せになって貰いたいの。誰よりも、どんなときでも」
 
 シオンは静かな笑みを見せた。その表情は信じられないくらい儚い。

「そして、誰よりアレンの幸せを願ってるの。でもさ、僕と居て幸せなのかなぁって」
 
 シオンは自虐的な笑みを見せた。
 
「僕はみんなとは違う。ずっと、いらない子だったんだから」
 
 言うだけ言ったシオンは踵を返すと、皆の後を追って空へと駆けた。黒の長は小さく溜め息を吐く。
 
「リムリス、今のはどう言うことだ」
 
 紅の長は動揺したように問い掛けた。黒の長とて、他の長達が居る前で訊きたかったのではない。だが、シオンの側には必ず誰かが居る。

 何時も訊く機会を逃していたのだ。
 
「シオンは……両親から虐待を受けていました……」
 
 ぽつりと黒の長は言葉を零した。
 
「何だって」
「私達が知ったのは、ファジールの元に姉がシオンを連れてきたからですよ」
 
 もし、ジュディが連れてこなければ、どうなっていたのか判らなかった。
 
 見えるところに傷や痣はない。だから、誰も知らなかったし、判らなかったのだ。
 
 幼いときに負った心の傷は、癒されないまま膿み続け、血を流し続けている。

「黒の預言者は……っ」
 
 紅の長の言葉に、黒の長は長く息を吐き出す。
 
「知っていたでしょうね。けれど、知っていたとしても、私に言うわけがないのですよ。彼女は薔薇のためにだけ、動きます」
「シオンは薔薇だろうっ」
 
 白の長も納得出来ないのか、小さく叫んだ。
 
「そうですよ。薔薇だからこそ、言わなかったのですよ。シオンはファジールの元に行かなければいけなかったのです。アレンに会うために」
 
 黒の長は複雑な表情をしていた。アリスは薔薇のため、狂ってしまった吸血族のためだけに動く。

 当時、黒の長はその事実を知らなかった。アリスが自分の存在理由を知ったのは《血の洗礼》の後だった。
 
 おそらく、無事吸血族となった後、アリスは少しずつ薔薇について視始めていたのだ。静かに、滞りなく進んでいくように。
 
 その過程で、シオンの事など判っていた筈だ。敢えて口を噤んだのは、知られたくなかったからだろう。
 
 いくら月読みであったとしても、自分自身について視ることは叶わない。
 
「アリスは人として育ちました。だからこそ、恐怖もあったのでしょうね」
 
 黒の長は少しだけ、目を伏せた。

 アリスは純粋な魔族ではない。長い時を生きても、人としての感覚は抜けてはいなかった。
 
 元々、変わっていたのは確かだが、それであったとしても、完全に魔族になりきることは無理なのだ。
 
「シオンのことは、私が何とかします。あのままでは、その内、とんでもないことになります」
 
 黒の長は表情を曇らせた。
 
 薔薇は幸せにならなくてはならない。しかし、シオンは真に幸せではない。それを取り戻すには、本当の両親が改心するしかない。両親でなくてもいい。片親でも、間違っていたと認識して貰うしかない。

「取り敢えず、今は蒼薔薇ですね。両親をどうするつもりです」
 
 黒の長は蒼の長を見やる。
 
「認識させるのは無理だろう。今考えると、ヴェルディラの祖父母が眠りにつくときに言っていた言葉が理解出来る」
 
 蒼の長は顔をしかめた。
 
「何と言っていました」
「自分達が眠りに就くことで、ヴェルディラは不幸になるかもしれないと」
 
 蒼の長は一点を見詰め、両手をきつく握り締めた。あのとき、もっと真剣に言葉の意味を読み取っていれば良かったと、後悔を滲ませる。

「認識していたと言うことですか」
 
 黒の長は嘆息する。
 
「ヴェルディラは手放すのが得策なのかもしれないな」
 
 蒼の長は架空に視線を走らせ、黄の長に視線を向ける。
 
「本心なのか」
 
 黄の長は訝し気に聞いてきた。
 
「本心ではない。そうではないが、もし、両親の元に戻したとしても、結局は変わるまい。一度味わった蜜が忘れられないように、同じ事を繰り返す筈だ」
「ですが、ファジュラの母親の問題がありますよ」
 
 黒の長は目を細め、黄の長を凝視した。

「歴史の歪みですかね。無理を強いた結果ですか」
 
 黒の長はいたたまれない思いに捕らわれた。
 
「ファジュラの両親は、音と声だけで結婚した。歪んだと言われればそうだろう」
 
 黄の長は溜め息を吐く。
 
 女性が少ない吸血族だが、親子の婚姻は認められていない。血が濃くなると、ただでさえ低い出生率に拍車をかける。
 
 従兄弟従姉妹同士の婚姻さえ、認められない場合が多かった。
 
 薔薇達の親の代が一番歪みを強くもっているのかもしれない。その歪みを修正したのはファジールだ。それは、彼自身が薔薇の関係者であったからなのかもしれない。

「だが、血が濃くなるのは認められない。ただでさえ、濃くなり続けているんだからな」
 
 黄の長は眉間に深い皺を刻む。
 
「他部族間の婚姻も、この際、認めなければいけない状況まで来ているのかもしれませんね」
 
 黒の長は諦めたように息を吐き出した。女性人口が極端に少ない吸血族は、部族内で女性を囲おうとする傾向が強かった。
 
 ジゼルは完全に例外だが、余程の理由がない限り、認めていない。もう一つの例外がジゼルとファジールの双子の娘で、その娘達は紅薔薇に居る。

「昔とは違う。拘り続けている場合ではないだろう」
 
 紅の長の言葉に、黒の長は頷き、喉の奥で笑った。驚いたように四人の長は黒の長を見た。
 
「それに、シオンが黙っていないでしょうね。多分、僕がお嫁さんを産むの、って、言いそうですしね」
 
 黒の長がシオンの口真似をした一拍後、長達は笑い出した。
 
 シオンは二度出産しているが、二度共女児だった。何故なのかは判らないが、女児しか産めないのだと、アレンも言っていた。だから、ベンジャミンが生まれたのだと、苦笑混じりにアレンは言葉を漏らしたのだ。

「戦闘開始だな」
 
 ぽつりと呟いた白の長に、皆が頷いた。
 
「確かに、戦闘ですね。主に頭脳戦ですが」
 
 黒の長はすっと、目を細めた。その表情はぞっとするほどに冷たい。
 
「母親には自覚して貰わなくてはいけませんねぇ。薔薇を不幸にする者は、許されませんから」
 
 冷たい表情から何時もの黒い笑みを貼り付け、黒の長はさらりと言ってのけた。
 
「相変わらずだな。何を考えている」
 
 紅の長は溜め息混じりに聞いてきた。
 
「さあ。考えてはいませんよ」
 
 今は、と黒の長は更に笑みを貼り付けた。

「忘れていました」
 
 黒の長はのんびりと言葉を紡ぐと、蒼の長を見る。
 
「アリスに言われたのですが、《眠りの薔薇》は手元に在りますか」
 
 その問いに、蒼の長は訝しみながらも頷いた。
 
「二、三日前に届いた。使う者は不明だが」
「その薔薇、預からせていただけませんか」
 
 黒の長の言葉に、長達は首を傾げる。
 
「理由は判りませんが、アリスの指示です」
「教えて貰えなかったのか」
 
 今更なのだが、白の長は問わずにはいられなかった。アリスが極端に、端折った語り方しかしないのは知っている。

「ええ。敢えて訊きはしなかったのですが、理由があるのでしょうね。教えては貰えませんでしたが、何となく、使う者は判りますよ」
 
 黒の長は嘆息した。長達は更に疑問を顔に貼り付ける。
 
「アリスは薔薇絡みでしか動きません。使うのはヴェルディラでしょう」
 
 蒼の長は目を見開いた。
 
「《永遠の眠り》を許可するつもりはないっ」
「当たり前です。多分、使い道が違うのですよ。私には判りかねますけどね」
 
 アリスが指示したのだから、本来の目的のために使われるのではない。

「どう言うことだ」
 
 黄の長は唸るように言葉を吐き出す。
 
「考えられるのは、命に関して、何かが起きるのでしょうね。その何かを問われたら、答えられませんが」
 
 長達は顔を見合わせる。黒の長が判らない以上、自分達に判断出来る筈がない。長達の中で一番の年長者であるばかりでなく、黒の長は恐ろしい一面も持っている。
 
 伊達に一番恐ろしい存在だと、言われているわけではないのだ。
 
「判った。明日、持って行く」
「物分かりが良くて助かりますよ」
 
 蒼の長の言葉に、黒の長は満面の笑みを向けた。

「では、私達は私達の仕事をしましょうか。蒼薔薇のことは、彼等に任せれば問題はありませんから」
 
 黒の長は近付いてくる気配に、表情を引き締めた。他の長達も頷き、階段を上がってくる気配に、気を引き締める。
 
「シオンが言ったように、過ちは過ちです。けれど、その過ちを犯させたのは間違いなく吸血族そのもの。彼等のために出来ることを」
 
 開け放たれていた扉の外に、三人の人影が現れる。
 
 長達は知らなかった。《眠りの薔薇》の使い道が、今までにない壮絶な出来事を防ぐための物だったことを。

 
 
      †††
 
 
「遅かったな」
 
 シオンが館に戻ると、外でアレンが待っていた。
 
「みんなは」
 
 シオンは何時もと変わらない表情を顔に貼り付ける。
 
「ゼロスとエンヴィとフィネイはいったん帰った。長くなりそうだから、説明してから戻ってくる」
「そうなんだ」
 
 シオンは何事も無かったように、館に入るためにアレンを横切ろうとした。だが、アレンは咄嗟にシオンの腕を掴み、動きを封じた。シオンは驚いたように目を見開き、アレンを見上げる。

「何を考えている」
 
 アレンは静かにシオンを見詰めた。見透かすような視線に、シオンは内心焦りを覚えた。
 
「ヴェルディラのこと」
「違うだろう。お前は何時も何かに脅えてる」
 
 シオンはゆっくりと目を細めた。気が付かれていることは知っていたし、判っていた。夢を見るのだから、隣で寝ているアレンはその様子を知っている。
 
「……」
「言えないのか」
 
 シオンは初めてあの笑みをアレンに見せた。儚く、消え入りそうな表情。泣きたいのに泣けない、そんな表情だった。

 シオンは静かに息を吐き出した。幸せを感じれば感じるだけ不安だった。理由なんて無いのだ。
 
「幸せ……」
 
 シオンは消え入りそうな声で、アレンに問い掛けた。幸せなのかと。アレンは軽く目を見開く。
 
「言っただろう」
「うん。聞いたよ。聞いたけど、それは本心……」
 
 シオンは更に問い掛ける。
 
「僕は幸せだよ。幸せだけど、同じだけ不安なの。許されてないのに、幸せを感じてるんじゃないかって」
 
 すっと消えた表情に、アレンは息をのむ。

「僕には過ぎた幸せなんじゃないかって」
 
 シオンは拘束が緩んだのを見逃さず、するりとアレンから離れた。
 
「きっと、僕と一緒にならなかったら、アレンはもっと幸せだったんじゃないかって。だから、みんなには幸せになって貰いたいの」
 
 シオンはそのまま館の扉を勢い良く開け放ち、階段を駆け上った。アレンは静かに扉を閉めながら、階段を見詰める。
 
 背中を扉に預け、両手で顔を覆った。知っていたし、判ってもいた。やっと、本心を口にしたシオンに、その言葉に動揺している自分がいた。

 静かに見詰めてくる視線に、アレンは顔を上げた。そこに居たのはレイだ。
 
「……何かを抱えているみたいだな」
「まあ、な……」
 
 アレンは自嘲気味に笑った。結局、シオンは不安を抱えたままだ。いくら、愛を囁こうと、ファジールやジゼルが愛情を注ごうと、過去の餓えが癒されるわけではない。
 
 判っていても、虚しさを感じないわけじゃない。
 
 口に出すだけましになったのかもしれないが、逆に考えれば、シオンが限界に近付いてる証拠でもあった。

「……話してみないか」
 
 レイは静かに語り掛けた。アレンは驚いたように目を見開く。
 
「彼奴等は元の場所に戻った。知っていても戻ったという事は、シオンの中の何かに納得したからだ。もし、心に闇を抱えたままだと判断したなら、離れなかった筈だからな」
 
 レイは淡々と語る。彼が語る彼奴等とは、仲間であった薔薇達だ。アレンは体の力を抜く。
 
 自身の中にあったもう一つの意識。今はどんなに探っても、感じることの叶わないものだ。
 
 吐き出してしまえば、少しは楽になるのだろうか。

「お前達は、自分達の事を後回しにする傾向が強いようだな。まずは、自分だ。確かに薔薇が幸せになるのは必要なことなのかもしれないが、お前達自身が薔薇である自覚を持たないとな」
 
 レイの言った言に、素直に驚いた。完全に忘れていたからだ。シオンは薔薇だ。誰より何より、幸せにならなければいけない。
 
 だが、シオンが口にしたのは、自分ではなく他の幸せ。自分を除外した言葉を吐き出したのだ。
 
「気が付いたか」
 
 レイは静かな笑みを見せた。

「蒼薔薇より黄薔薇だろう。お前にとって、シオンが一番なんじゃないか」
 
 アレンは再び両手で顔を覆った。レイが言っていることは間違っていない。
 
 シオンは確かに我が儘だ。だが、その我が儘は、場所を確認するための手段であることには気が付いている。
 
「自分達の事が見えていなかったなんてな……」
 
 アレンは苦痛を宿した声音で、絞り出すように言葉を吐き出した。
 
「……忘れないことだ」
 
 レイはただ、愛おしい者を見詰めるように目を細めた。
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