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Ⅸ 満ちる月に白き淡雪
12 居待月
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カイファスは結局、眠れぬまま夜がきた。ゼロスは何処に行ったのか姿を現さず、ゆっくりと立ち上がる。蚊帳から出ると、テントの外に出た。
東の空を見上げると、綺麗な満月の姿があった。目を細め、満月を見上げたカイファスは一瞬きた鋭い痛みに眉を顰める。
変化時に与えられる痛みにまだ、慣れない。いくら自身を抱き締めても、痛みがなくなるわけではない。
鋭い痛みの後にくる頭の重さにカイファスは小さく首を振った。漆黒に流れる長い髪が、今は鬱陶しかった。
カイファスのその変化を間近で見た銀狼達は息をのむ。確かに男性であったカイファスが、明らかに女性に変化し、憂いを帯びた表情はどこか儚く見えた。
「カイファス」
カイファスは声の主に顔を向ける。其処にいたのはゼロスの父親と弟のバルド。
「案内しよう」
「ゼロスは」
カイファスの問いに、父親は小さく息を吐き出した。
「先に行っている」
カイファスは寂し気に小さく笑った。離れるための準備でもしているのかと、嫌な考えが浮かんできた。
父親とバルドに案内されたのは、大きな岩の山だった。元々、自然に有ったものなのか、どっしりと大地に鎮座している。
ゆっくりと近付いていくと、そこにはゼロスの姿があった。
「行くぞ」
ぶっきらぼうにゼロスはカイファスを促した。
「我々は此処で待っている」
つまり、監視すると言うことなのだろう。ゼロスといえど、今は銀狼族に籍が有るわけではない。あくまで吸血族として扱われている。
「判った」
ゼロスは父親と弟に視線を向け、納得したように頷いた。
頑丈な石の扉を開くとゼロスは最初にカイファスを中に導いた。カイファスはゆっくりと内部に侵入する。
外は昼間の蒸し暑い空気に包まれていたが、内部はひんやりとしていて、冷たい空気が肌を掠めた。その空気の冷たさに、カイファスは眉を顰める。
それに気が付いたゼロスが腕に持っていた外套をカイファスの肩に掛けた。そして、自分も外套を身に纏う。
「地下はもっと寒い」
一言言うと、さっさと歩いて行ってしまう。カイファスはその後を無言でついて行った。
カイファスはゼロスの背を見詰めた。手を伸ばせば確かに触れることが出来る距離なのに、酷く遠くに居るような気がする。
冷たいのは空気の筈なのに、それ以上に二人の間に流れる空気の方が冷たかった。
肩に掛けられた外套を無意識で握り締めていた。
墓所内は階段ではなく、緩やかにスロープするように造られていた。ある程度歩き、いきなり、行き止まりになる。行き止まりの壁に刻まれた文字が目に入り、それを読み取ったとき、カイファスは血の気が引いた。
満月の日に、薔薇を携えた者のみが目覚めさせる資格を持ち、全てを見る資格を持つ。
刻まれた文字がゼロスであると知らしめていた。
思わずカイファスはゼロスを見上げた。ゼロスは無表情で壁を見詰めていた。ゆっくりと右腕を上げ、軽く壁に手を付いた。
そこには何もない、筈だった。
ゼロスが触れた壁が一瞬で霧散した。カイファスは思わず一歩、後ろに身を引いた。しかし、ゼロスは何事もなかったように歩き始める。
カイファスは壁が霧散したとき、体の奥底で何かが震えたのに気が付いた。
ざわめくカイファスとは別の意思。
今此処で意識を奪われたら、ゼロスを喪ってしまう。それは間違えのない事実だった。だから、ゼロスについて行きながら、必死でもう一人と争っていた。
だが、目の前が開け、広い室内にある柩を目の前にしたとき、完全に意識が乗っ取られた。必死にしがみつき、けれど、抗えなかった。
『ゼロス……』
低く呟かれた声に、ゼロスは振り返った。だが、カイファスが見ていたのはゼロスではなかった。視線は室内に鎮座する柩。
いままでのカイファスとは完全に雰囲気が違っていた。ゆっくりとゼロスの横を通り抜け、柩の蓋を愛おしそうに撫でる。
石で造られた石棺はドワーフが造ったものだろう。吸血族の物とよく似ていた。
カイファスはゼロスが見詰めている前で柩の蓋を開く。ゆっくりとスライドした蓋が、中で眠る者を顕わにした。
漆黒の髪は明らかに今の銀狼達とは違う容姿。白く澄んだ肌が吸血族と酷似していた。
カイファスは躊躇うことなく始祖が抱いている薔薇を抜き去った。
漆黒に染まっていた薔薇が震え、静かな音を発し砕け散る。
ゼロスは小さく息をのんだ。本来ならゼロスがしなくてはならない。それをカイファスは簡単にしてのけたのだ。
普通《眠りの薔薇》は血族か深い関わりを持つ者でなくては取り出せない。それであるのに、カイファスは何の躊躇いもなかった。
まるで最初から知っていたかのように、自然に薔薇に手を出した。
始祖の瞼が震える。止まっていた呼吸がゆっくりと再開される。ゆっくりと開かれた瞳はゼロスと同じ碧の色。
ゼロスは見ていられなかった。覚悟していたとはいえ、目の前の現実に踵を返した。急いでその場を立ち去り、霧散した壁が有った場所まで、無意識に戻っていた。
カイファスは恍惚とした表情で始祖を見詰めていた。だが、始祖が発した言葉に凍り付く。
「自分の子供を不幸にするのか」
しっかりと見据え、少し非難混じりの声音できっぱり言い切った。
「拒絶した者を押さえつけてまで何故、出て来た」
『押さえつけてなど……っ』
「では、何故泣いている」
カイファスは驚き、咄嗟に頬に指を走らせた。
頬を濡らすのは涙だった。
「いくら代わりといえども、個人としての心はある。体の持ち主を無視し、相手の前でするべき行動ではないだろう」
始祖はゆっくりと身を起こすと、鋭く睨み付けた。
「私にとってお前は確かに大切な者だが、子供達を無視した行動に憤りを感じる」
カイファスの中の者は震えた。
「返すんだ」
きっぱりと言い切られ、カイファスの表情が歪む。
「……それに、お前の体はちゃんと在るだろう」
『でもっ、触れられないじゃないかっ』
黙って聞いていたが、耐えられなかったのか、悲鳴に近い叫び声を上げた。
「それでも、それはお前の体ではない」
穏やかに言い切られ、カイファスの体が崩れ落ちた。呆然と床に座り込み、悲しみを瞳に貼り付け、覗き込んでいる始祖を見上げた。
カイファスを助けようとしたのか、始祖が手を差し伸べた。その手からカイファスは動かない体で必死に拒絶した。
「私に触れていいのはゼロスだけだっ」
カイファスは始祖を睨み付け、だが、直ぐ力無くうなだれた。
「……たとえ、嫌われたのだとしても、私の体は彼奴のものだ……」
何時の間にか居なくなっているゼロスに、カイファスは悲しみの声を零した。
始祖は小さく息を吐き出した。ゆっくりと立ち上がり、カイファスの横に降り立つ。跪くとカイファスの顔を覗き込んだ。
「嫌うことは絶対にない」
穏やかな声音にカイファスは顔を上げた。
「そんなこと、信じられない。彼奴は、私から離れていこうとしてるんだっ」
瞳に涙を溜めたまま、カイファスは訴えた。
「それは、他の者と立場が違うからだろう」
待っていろ、と一言言い置き、始祖は自分が眠っていた部屋を後にした。
カイファスはそれを見送り、体だけではなく心すら凍えていくのを感じていた。
始祖はゼロスの気配を辿り、その姿を視界に収めた。少しうなだれた姿が、必死で気持ちに整理を付けようとしている。それが、感じられた。
「ゼロス」
穏やかな声にゼロスは振り返った。そこにいたのは銀狼の特徴が一つもない黒髪と白い肌の青年だった。
「始祖……」
「そうだ。迎えに行ってやらないのか」
ゼロスはすっ、と視線を反らせた。
「彼はきっぱりと私を拒絶した。それでも、手放すのか」
その言葉に弾かれたようにゼロスは顔を上げた。
「触れていいのはお前だけだと」
ゼロスは思ってもいなかった言葉に凍り付く。
「それに、自分の子供に手を出すほど落ちぶれちゃいない」
ゼロスは更に目を見開いた。
「どう言うことだ」
しかし、始祖は微笑みを浮かべたまま、カイファスが居る方に顔を向けた。
「それよりも、自分の妻を迎えに行ったらどうだ。お前に嫌われたと泣いている」
嫌ってはいないのだろう、と問われゼロスは自然と体が動いた。嫌う筈がない。カイファスに嫌われたとしても、気持ちは変わらない。
「カイファスっ」
息を切らせ、飛び込んで来たゼロスに、カイファスは涙に濡れた顔を向けた。
普段、泣くことのないカイファスが目を赤くさせながら止まることのない涙を流していた。
「……一人にしないで……」
小さく呟き、両手で顔を覆い泣きじゃくる。ゼロスはそんなカイファスを抱き締めた。
「カイファ……」
強く抱き締めると、カイファスは必死に縋り付いてきた。
「嫌いなら、言ってくれたら、お前の前から消えるから……」
カイファスは判っていた。
「……だから、何も言わずに行かないで……」
カイファスはゼロスの血で変化した。生きていくためには、ゼロスが居なくてはならない。もし、離れていかれたら眠りに就くか、太陽に身を晒すしかないのだ。
「嫌ってない。ただ、お前が始祖を選ぶ姿を見たくなかっただけだ」
カイファスは強くゼロスの胸に顔を押し当てた。
「お前、忘れてるだろう。私は言った筈だ。勝手に居なくなるのは許さないって」
ゼロスはその言葉に息をのんだ。その言葉は賭の後、離れていこうとしたゼロスにカイファスが言った言葉だ。
「それに、私にはお前だけだと言ったのを忘れたのか」
カイファスは最初からゼロスに言っていたのだ。ただ、目の前に突き付けられる現実に、どうなるのか判らない不安があった。
確かに不安定だったことは否定しない。しかし、不安定だった一つの理由がゼロスの態度にもあったのだ。
始祖を目覚めさせる日が近付くにつれ、ゼロスはカイファスから距離を置くようになった。その態度が、カイファスを不安にさせ、あらぬ方向に考えるようになってしまった原因だった。
「私はお前とは違う。そして、彼奴もお前とは違うんだ」
穏やかな声に二人は顔を上げ、声の主に顔を向けた。始祖は穏やかに微笑んでいた。
「自分の子供に手を出すのは、間違っているだろう」
その言葉にゼロスは先言われた言葉を思い出す。
「子供って、どう言うことだ」
「お前のカイファスは黒薔薇の部族長の血筋じゃないのか」
始祖の問いに、二人は頷いた。
「そして、お前は私の子孫だ。だが、黒薔薇の部族長の血筋もまた、私の子孫なのだ」
二人は固まった。
†††
結局、あの後、カイファスは意識を手放した。無理矢理入れ替わった事実をゼロスは始祖から聞いた。拒絶した理由も、ゼロスは始祖から聞いたのだ。
カイファスを抱き上げ、始祖と共に地上に戻ったゼロスに、父親とバルドは安堵の息を吐き出した。
たとえ、吸血族に婿養子という形で銀狼族から離れたとしても、ゼロスが息子であり、兄であることに変わりはない。
そして、一緒に現れた黒髪の青年に二人は首を傾げた。ゼロスと共に来たのだから、始祖であることに間違えはない筈だ。
その容姿はある者と同じだった。
銀狼のコロニーに戻ると、始祖はゼロスに向き直った。
「夜が明けたら見せたい物がある」
「……」
ゼロスは沈黙したままだった。
「お前が苦痛に感じる物ではない。おそらく、知りたくて来たのではないか」
ゼロスはそこで漸く本来の目的を思い出した。ただ、目覚めさせるために来たのではない。白薔薇であるトゥーイとフィネイのためと、アレンの中の者の言葉で此処に来たのだ。
「太陽が生まれたらこの場所で待っている」
始祖はそう言い置き父親とバルドについて行った。
ゼロスはしばらく立ち尽くしていたが、与えられたテントに戻った。
蚊帳に覆われた寝台にカイファスを横たえると、優しく頭を撫でた。その手に反応したのか、カイファスが身動ぎし、ゆっくりと瞼が開かれる。
「行くのか……」
伺うように聞いてきたカイファスにゼロスは苦笑いした。昨日のことがあるからだろう。
「夜が明けたら出掛けてくる。本来の目的を達成しないとな」
ゼロスは少し自嘲気味に言った。自分のことに一杯一杯で、本来の目的をすっかり忘れてしまっていたのだ。
「私は一緒には行けないのか」
「夜に行くことになったとしても、俺だけだろうな」
カイファスも判っていた。墓所の壁に刻まれていた文字は、薔薇を得た者だけが見ることも、聞くことも出来る権利がある。
薔薇でしかないカイファスはその権利がないのだ。
「お前にはちゃんと話しをする。禁止されたとしてもな」
カイファスは身を起こすと、ゼロスに縋りつく。
「どうした」
いきなり抱きついてきたカイファスにゼロスは訝しんだ。カイファスの様子が何時もと違いすぎる。
カイファスはゆっくりとした動作でゼロスの耳元に唇を寄せた。そして、小さく囁く。羞恥が無いわけではなかったが、どうしてもゼロスを感じたかったから出た言葉だった。
その言葉にゼロスは固まった。
「……ちょ、待て」
「待てない……」
甘い吐息を漏らしながら、カイファスはゼロスの耳朶を口に含んだ。舌で舐め上げ、少し吸い付く。柔らかいその感触を口内で味わう。
「待てってっ」
ゼロスは珍しく動揺していた。襲うことはあっても、襲われることは少ない。
ゼロスは耳が弱いことを知っていた。その気になっていなくとも、刺激されれば体は正直に反応を示す。
「わざとやってるだろっ」
「当たり前だろう。私はずっとお預け状態だったんだ」
この一ヶ月、何処か上の空だったゼロスにカイファスは不満を持っていた。
「お前、今、体が上手く動かせないだろうが」
「どうせ、お前が出掛けた後は休んで待ってるだけなんだ。問題ないだろう」
間髪入れずに答えが返ってくる。ゼロスはカイファスを怒らせると後が怖いことを知っていた。
つまり、ゼロスは知らずにカイファスを怒らせていたのだ。それも、一ヶ月という長い時間を掛けて。
「怒ってるのか」
「……嫌われたと、ずっと思っていたんだ……この気持ちが判るか……」
ゼロスから体を離し、カイファスは上目使いで見上げた。
「《永遠の眠り》まで考えたんだぞ……」
不貞腐れたようにカイファスは言った。ゼロスは驚きに目を見開いた。
「どうして……」
「私はお前の命で生きてるんだ。離れて行かれたら、体の機能を停止させるしかないじゃないか」
カイファスはふいっと、顔を反らせた。
「お情けで生かされるくらいなら、眠った方がましだと思ったんだ」
ゼロスは溜め息を吐いた。確かに態度は悪かったと思う。そこまで考えさせていたことが、居たたまれなかった。
「お前の気持ちを尊重しようとしたんだ」
「してないじゃないか……私は滅多に気持ちを言わないが、お前が銀狼のコロニーに行く前にちゃんと言ってあっただろう」
ゼロスはカイファスを凝視した。言っていたかと、必死で考える。
始祖に迎えに行くように促され、泣きじゃくるカイファスが漏らしていた言葉を思い出す。
カイファスがその言葉を口にしたのは一ヶ月程前だ。ゼロスは気が乗らないのと、自身に下される現実に動揺していた。
そのせいで普段なら冷静に判断出来るであろう状況であったとしても、判断出来ないほどに、静かに動揺していた。
カイファスと共に出掛ける時にアレンが何かを言っていたが、よく耳に入ってはいなかった。
「……シオンに……」
カイファスがいきなりシオンの名前を口にした。ゼロスは訝しみ、首を傾げ、次の言葉を待った。
カイファスは改めてゼロスに向き直る。
「……言われたんだ。返してないって……」
ゼロスは更に判らなかった。シオンは何を思い、そんなことを口にしたのか。
「私自身、その言葉を聞いたとき、そうだと思った。当たり前に与えられていて、そんなこと、考えたこともなかったんだ」
カイファスは少しうなだれた。夫婦となり、子供まで成して尚、カイファスはそのことに気が付いていなかった。指摘されて初めて気が付くなど、愚か以外の何者でもない。
「情け無いって、本気で思った……」
ゼロスはカイファスの様子に苦笑した。
「俺は気にしてないぞ」
「そう言うわけにはいかないだろうっ。気が付いたら、どうしていいか判らなくなった」
カイファスは勢い良く顔を上げ叫んだが、直ぐにうなだれる。
「困って、そうしたらシオンが、捨て身にならないと喪うかもしれないって……」
カイファスはその言葉に素直に恐怖した。シオンは何時も最悪な状態を想定している。それは生い立ちのせいだろう。
逆にカイファスは喪うような状況になったことがなく、直面していたとしても鈍感なほど気が付かない。
「お前はそれでいいんだよ」
ゼロスが呆れたように、穏やかな口調で言った。
「……莫迦にしてるだろう……」
カイファスとしては面白くなかった。確かに莫迦である自覚はあるが、態度で示されると反発したくなる。
「してない」
「否、絶対してる」
ゼロスは更に苦笑した。カイファスはどちらかと言えば、子供っぽい態度は取らない。それを自然にしてのけるのはシオンくらいだ。
だが、今のカイファスは完全に臍を曲げ、不貞腐れている。ある意味、珍しいことだった。
ゼロスはいきなりカイファスの首筋に顔を埋めた。鼻孔を擽るのはカイファスの放つ濃厚な薔薇の香り。
「興奮してるだろう」
耳元で囁かれ、カイファスは顔を真っ赤にさせた。
「し、してないっ」
ゼロスはカイファスの鼻先に自分の顔を持って行く。いくら違うと言ったところで、体は正直だった。
夫が薔薇の香りを強烈に感じるのは情事のときだ。その香りが濃厚に空間に漂い始めている。カイファスの体がゼロスを求めている証拠だった。
薔薇と言うのはある意味不便なのかもしれない。
「虚勢を張っても無駄だ。凄い香りだからな」
カイファスは俯くしかない。さっき、ゼロスをその気にさせるために悪戯したのだが、逆に自分が興奮してしまった。体の奥が疼きっぱなしで、どうしていいか判らなくなっていた。
「でもなぁ。お前、今日は満月なんだぞ。下手に抱くわけにはいかないな」
カイファスは驚き、目を見開いた。この状態で放って置かれたら、どうにかなってしまう。
「どうしてだっ」
縋りつき、動揺を隠すことが出来なかった。
「どうしてって、簡単だろうが」
薔薇は子孫を遺そうとするため、妊娠確率が恐ろしいほど高い。ましてや、カイファスだけでなく、ゼロスの血もその欲求が強いのだ。
「確かに子供は必要だけどな。お前の親父さんには後継者が必要なのは判っているし」
だが、ゼロス自身、アレン同様、妊娠してもらいたくなかった。カイファスの場合、双子である可能性が高いのだ。つまり、体と精神にかかる負担が半端ではない。
「双子の時、辛かったんじゃないか」
カイファスは口を噤む。
「……じゃあ、女の私は何時までも抱いてもらえないのか……」
カイファスは寂しそうに呟いた。
「お前の赤子なら、辛くても耐えられる。それでも、駄目なのか」
カイファスは膝の上で両手をきつく握り締め、絞り出すように言葉を吐き出した。
「どうしたんだ。何時もなら俺が求めても淡泊なのに、何を焦ってるんだよ」
「焦ってなんか……ない、とは言えないが……」
父親が元婚約者達はゼロスを好いていると話したとき、心に生まれたのは焦りだった。
カイファスは満月の日だけ女性で、他の日は男性なのだ。普段気にもしていないのだが、今回ばかりは駄目だと思ってしまった。
「……銀狼の婚約者達はお前が好きなんだろう……だから……」
ゼロスは小さく溜め息を吐いた。昨日の父親の話しを気にしているのだろう。
「いくら好かれてもなぁ。鬱陶しいだけなんだぞ。彼奴等のパワーは並じゃないんだ」
その並じゃないパワーの持ち主を去なしていたのだから、ゼロスも半端なく容赦なかったのだろう。
「大体、五人で迫ってこられてみろ。鬱陶しいを通り越して、うざ過ぎだ」
カイファスは体が固まった。
「……五人……」
小さく呟き、恐慌状態になった。ゼロスの胸座のシャツを掴み上げる。
「五人だってっ」
ゼロスは困ったように頭を掻いた。
「言ってなかったか」
「聞いてないっ」
銀狼も吸血族同様、綺麗な容姿の者が多い。そんな女性を五人も袖にしたのだ。
「お前にしか興味がなかったんだから、居たところで意味がないだろう」
さらっと言ったゼロスに、カイファスは脱力した。
そして、思ったことは一つだった。
五人もの婚約者が居たということは、その血筋を残す為なのだろう。ならば、カイファスが取る道は一つだった。
「私もシオンの真似をしようじゃないか」
カイファスが黒い笑みを顔に貼り付けた。ゼロスは嫌な予感が脳裏を掠めた。
「……真似って」
「判らないか。女の私を抱かないなら、それでいい。その代わり、私がお前を抱く」
ゼロスの動きが完全に止まった。正確には思考が完全に停止したのだ。
「五人の婚約者の代わりに、お前の赤子を産んでやるよ」
ゼロスは更に頭が真っ白になった。
「……否……、ゼインだけで十分だぞ」
「私が納得しない。おそらく、お前の父親も本当のところ、納得してないんじゃないか」
ゼロスは言葉に詰まった。
「だったら、ぐうの音も出ないようにしてやるよ。幸い、私は妊娠しやすいし、どうやら、お前とは相性もいいみたいだからな」
それはつまり、銀狼が生まれる確率が高いと言っているようなものだった。
「私に抱かれたくなかったら、観念して抱くんだな」
カイファスは動けずにいるゼロスの体を強引に横たえた。
そのままゼロスの体に馬乗りになり、覆い被さる。
「どっちにする。私はどっちでも構わないぞ」
言うなり唇を重ねてきた。最初は軽く啄むように唇を重ねていたが、ゼロスが何かを言おうと口を開きかけたのを見計らい、貪るように唇を深く重ねた。
ゼロスの口内に舌を差し入れ、丁寧に内部を味わう。その熱に、カイファスの体内が甘い疼きをもたらした。
ゆっくりと唇を離すと、ゼロスを見下ろしわざと舌なめずりした。この仕草に、ゼロスは完全に完敗した。
ゆっくり身を起こすと、カイファスの濡れた唇を指でなぞる。
「決めたのか」
艶を含んだ声音で、カイファスは問い掛けた。
ゼロスはすっと目を細め、カイファスを掻き抱くと貪るように唇を重ねた。
カイファスはその激しさに応えるように、ゼロスの首に腕を絡めた。何度も角度を変え、二人は貪るように深いキスを繰り返した。
ゼロスは十分にカイファスの口内を味わった後、ゆっくりと唇を離す。
「後悔しないんだな」
「何度も聞くな」
カイファスは呆れたように呟いた。
「言っておくが、途中でやめないぞ。気が済むまで抱くからな」
カイファスはその言葉に興奮した。体の奥底が震え、甘い吐息を吐き出す。ゼロスの肩に顔を埋め、耳元に唇を寄せた。
「……私にお前をくれ……、体の一番深いところに……」
カイファスを静かに横たえた。ゼロスはその体を貪るためにカイファスのシャツに手を掛ける。
カイファスはくるであろう快楽に体を熱くさせ、ゼロスに身を預けた。瞬間、今まで以上に濃厚な薔薇の香りが放たれる。
その香りを楽しみながら、ゼロスはカイファスを味わった。
東の空を見上げると、綺麗な満月の姿があった。目を細め、満月を見上げたカイファスは一瞬きた鋭い痛みに眉を顰める。
変化時に与えられる痛みにまだ、慣れない。いくら自身を抱き締めても、痛みがなくなるわけではない。
鋭い痛みの後にくる頭の重さにカイファスは小さく首を振った。漆黒に流れる長い髪が、今は鬱陶しかった。
カイファスのその変化を間近で見た銀狼達は息をのむ。確かに男性であったカイファスが、明らかに女性に変化し、憂いを帯びた表情はどこか儚く見えた。
「カイファス」
カイファスは声の主に顔を向ける。其処にいたのはゼロスの父親と弟のバルド。
「案内しよう」
「ゼロスは」
カイファスの問いに、父親は小さく息を吐き出した。
「先に行っている」
カイファスは寂し気に小さく笑った。離れるための準備でもしているのかと、嫌な考えが浮かんできた。
父親とバルドに案内されたのは、大きな岩の山だった。元々、自然に有ったものなのか、どっしりと大地に鎮座している。
ゆっくりと近付いていくと、そこにはゼロスの姿があった。
「行くぞ」
ぶっきらぼうにゼロスはカイファスを促した。
「我々は此処で待っている」
つまり、監視すると言うことなのだろう。ゼロスといえど、今は銀狼族に籍が有るわけではない。あくまで吸血族として扱われている。
「判った」
ゼロスは父親と弟に視線を向け、納得したように頷いた。
頑丈な石の扉を開くとゼロスは最初にカイファスを中に導いた。カイファスはゆっくりと内部に侵入する。
外は昼間の蒸し暑い空気に包まれていたが、内部はひんやりとしていて、冷たい空気が肌を掠めた。その空気の冷たさに、カイファスは眉を顰める。
それに気が付いたゼロスが腕に持っていた外套をカイファスの肩に掛けた。そして、自分も外套を身に纏う。
「地下はもっと寒い」
一言言うと、さっさと歩いて行ってしまう。カイファスはその後を無言でついて行った。
カイファスはゼロスの背を見詰めた。手を伸ばせば確かに触れることが出来る距離なのに、酷く遠くに居るような気がする。
冷たいのは空気の筈なのに、それ以上に二人の間に流れる空気の方が冷たかった。
肩に掛けられた外套を無意識で握り締めていた。
墓所内は階段ではなく、緩やかにスロープするように造られていた。ある程度歩き、いきなり、行き止まりになる。行き止まりの壁に刻まれた文字が目に入り、それを読み取ったとき、カイファスは血の気が引いた。
満月の日に、薔薇を携えた者のみが目覚めさせる資格を持ち、全てを見る資格を持つ。
刻まれた文字がゼロスであると知らしめていた。
思わずカイファスはゼロスを見上げた。ゼロスは無表情で壁を見詰めていた。ゆっくりと右腕を上げ、軽く壁に手を付いた。
そこには何もない、筈だった。
ゼロスが触れた壁が一瞬で霧散した。カイファスは思わず一歩、後ろに身を引いた。しかし、ゼロスは何事もなかったように歩き始める。
カイファスは壁が霧散したとき、体の奥底で何かが震えたのに気が付いた。
ざわめくカイファスとは別の意思。
今此処で意識を奪われたら、ゼロスを喪ってしまう。それは間違えのない事実だった。だから、ゼロスについて行きながら、必死でもう一人と争っていた。
だが、目の前が開け、広い室内にある柩を目の前にしたとき、完全に意識が乗っ取られた。必死にしがみつき、けれど、抗えなかった。
『ゼロス……』
低く呟かれた声に、ゼロスは振り返った。だが、カイファスが見ていたのはゼロスではなかった。視線は室内に鎮座する柩。
いままでのカイファスとは完全に雰囲気が違っていた。ゆっくりとゼロスの横を通り抜け、柩の蓋を愛おしそうに撫でる。
石で造られた石棺はドワーフが造ったものだろう。吸血族の物とよく似ていた。
カイファスはゼロスが見詰めている前で柩の蓋を開く。ゆっくりとスライドした蓋が、中で眠る者を顕わにした。
漆黒の髪は明らかに今の銀狼達とは違う容姿。白く澄んだ肌が吸血族と酷似していた。
カイファスは躊躇うことなく始祖が抱いている薔薇を抜き去った。
漆黒に染まっていた薔薇が震え、静かな音を発し砕け散る。
ゼロスは小さく息をのんだ。本来ならゼロスがしなくてはならない。それをカイファスは簡単にしてのけたのだ。
普通《眠りの薔薇》は血族か深い関わりを持つ者でなくては取り出せない。それであるのに、カイファスは何の躊躇いもなかった。
まるで最初から知っていたかのように、自然に薔薇に手を出した。
始祖の瞼が震える。止まっていた呼吸がゆっくりと再開される。ゆっくりと開かれた瞳はゼロスと同じ碧の色。
ゼロスは見ていられなかった。覚悟していたとはいえ、目の前の現実に踵を返した。急いでその場を立ち去り、霧散した壁が有った場所まで、無意識に戻っていた。
カイファスは恍惚とした表情で始祖を見詰めていた。だが、始祖が発した言葉に凍り付く。
「自分の子供を不幸にするのか」
しっかりと見据え、少し非難混じりの声音できっぱり言い切った。
「拒絶した者を押さえつけてまで何故、出て来た」
『押さえつけてなど……っ』
「では、何故泣いている」
カイファスは驚き、咄嗟に頬に指を走らせた。
頬を濡らすのは涙だった。
「いくら代わりといえども、個人としての心はある。体の持ち主を無視し、相手の前でするべき行動ではないだろう」
始祖はゆっくりと身を起こすと、鋭く睨み付けた。
「私にとってお前は確かに大切な者だが、子供達を無視した行動に憤りを感じる」
カイファスの中の者は震えた。
「返すんだ」
きっぱりと言い切られ、カイファスの表情が歪む。
「……それに、お前の体はちゃんと在るだろう」
『でもっ、触れられないじゃないかっ』
黙って聞いていたが、耐えられなかったのか、悲鳴に近い叫び声を上げた。
「それでも、それはお前の体ではない」
穏やかに言い切られ、カイファスの体が崩れ落ちた。呆然と床に座り込み、悲しみを瞳に貼り付け、覗き込んでいる始祖を見上げた。
カイファスを助けようとしたのか、始祖が手を差し伸べた。その手からカイファスは動かない体で必死に拒絶した。
「私に触れていいのはゼロスだけだっ」
カイファスは始祖を睨み付け、だが、直ぐ力無くうなだれた。
「……たとえ、嫌われたのだとしても、私の体は彼奴のものだ……」
何時の間にか居なくなっているゼロスに、カイファスは悲しみの声を零した。
始祖は小さく息を吐き出した。ゆっくりと立ち上がり、カイファスの横に降り立つ。跪くとカイファスの顔を覗き込んだ。
「嫌うことは絶対にない」
穏やかな声音にカイファスは顔を上げた。
「そんなこと、信じられない。彼奴は、私から離れていこうとしてるんだっ」
瞳に涙を溜めたまま、カイファスは訴えた。
「それは、他の者と立場が違うからだろう」
待っていろ、と一言言い置き、始祖は自分が眠っていた部屋を後にした。
カイファスはそれを見送り、体だけではなく心すら凍えていくのを感じていた。
始祖はゼロスの気配を辿り、その姿を視界に収めた。少しうなだれた姿が、必死で気持ちに整理を付けようとしている。それが、感じられた。
「ゼロス」
穏やかな声にゼロスは振り返った。そこにいたのは銀狼の特徴が一つもない黒髪と白い肌の青年だった。
「始祖……」
「そうだ。迎えに行ってやらないのか」
ゼロスはすっ、と視線を反らせた。
「彼はきっぱりと私を拒絶した。それでも、手放すのか」
その言葉に弾かれたようにゼロスは顔を上げた。
「触れていいのはお前だけだと」
ゼロスは思ってもいなかった言葉に凍り付く。
「それに、自分の子供に手を出すほど落ちぶれちゃいない」
ゼロスは更に目を見開いた。
「どう言うことだ」
しかし、始祖は微笑みを浮かべたまま、カイファスが居る方に顔を向けた。
「それよりも、自分の妻を迎えに行ったらどうだ。お前に嫌われたと泣いている」
嫌ってはいないのだろう、と問われゼロスは自然と体が動いた。嫌う筈がない。カイファスに嫌われたとしても、気持ちは変わらない。
「カイファスっ」
息を切らせ、飛び込んで来たゼロスに、カイファスは涙に濡れた顔を向けた。
普段、泣くことのないカイファスが目を赤くさせながら止まることのない涙を流していた。
「……一人にしないで……」
小さく呟き、両手で顔を覆い泣きじゃくる。ゼロスはそんなカイファスを抱き締めた。
「カイファ……」
強く抱き締めると、カイファスは必死に縋り付いてきた。
「嫌いなら、言ってくれたら、お前の前から消えるから……」
カイファスは判っていた。
「……だから、何も言わずに行かないで……」
カイファスはゼロスの血で変化した。生きていくためには、ゼロスが居なくてはならない。もし、離れていかれたら眠りに就くか、太陽に身を晒すしかないのだ。
「嫌ってない。ただ、お前が始祖を選ぶ姿を見たくなかっただけだ」
カイファスは強くゼロスの胸に顔を押し当てた。
「お前、忘れてるだろう。私は言った筈だ。勝手に居なくなるのは許さないって」
ゼロスはその言葉に息をのんだ。その言葉は賭の後、離れていこうとしたゼロスにカイファスが言った言葉だ。
「それに、私にはお前だけだと言ったのを忘れたのか」
カイファスは最初からゼロスに言っていたのだ。ただ、目の前に突き付けられる現実に、どうなるのか判らない不安があった。
確かに不安定だったことは否定しない。しかし、不安定だった一つの理由がゼロスの態度にもあったのだ。
始祖を目覚めさせる日が近付くにつれ、ゼロスはカイファスから距離を置くようになった。その態度が、カイファスを不安にさせ、あらぬ方向に考えるようになってしまった原因だった。
「私はお前とは違う。そして、彼奴もお前とは違うんだ」
穏やかな声に二人は顔を上げ、声の主に顔を向けた。始祖は穏やかに微笑んでいた。
「自分の子供に手を出すのは、間違っているだろう」
その言葉にゼロスは先言われた言葉を思い出す。
「子供って、どう言うことだ」
「お前のカイファスは黒薔薇の部族長の血筋じゃないのか」
始祖の問いに、二人は頷いた。
「そして、お前は私の子孫だ。だが、黒薔薇の部族長の血筋もまた、私の子孫なのだ」
二人は固まった。
†††
結局、あの後、カイファスは意識を手放した。無理矢理入れ替わった事実をゼロスは始祖から聞いた。拒絶した理由も、ゼロスは始祖から聞いたのだ。
カイファスを抱き上げ、始祖と共に地上に戻ったゼロスに、父親とバルドは安堵の息を吐き出した。
たとえ、吸血族に婿養子という形で銀狼族から離れたとしても、ゼロスが息子であり、兄であることに変わりはない。
そして、一緒に現れた黒髪の青年に二人は首を傾げた。ゼロスと共に来たのだから、始祖であることに間違えはない筈だ。
その容姿はある者と同じだった。
銀狼のコロニーに戻ると、始祖はゼロスに向き直った。
「夜が明けたら見せたい物がある」
「……」
ゼロスは沈黙したままだった。
「お前が苦痛に感じる物ではない。おそらく、知りたくて来たのではないか」
ゼロスはそこで漸く本来の目的を思い出した。ただ、目覚めさせるために来たのではない。白薔薇であるトゥーイとフィネイのためと、アレンの中の者の言葉で此処に来たのだ。
「太陽が生まれたらこの場所で待っている」
始祖はそう言い置き父親とバルドについて行った。
ゼロスはしばらく立ち尽くしていたが、与えられたテントに戻った。
蚊帳に覆われた寝台にカイファスを横たえると、優しく頭を撫でた。その手に反応したのか、カイファスが身動ぎし、ゆっくりと瞼が開かれる。
「行くのか……」
伺うように聞いてきたカイファスにゼロスは苦笑いした。昨日のことがあるからだろう。
「夜が明けたら出掛けてくる。本来の目的を達成しないとな」
ゼロスは少し自嘲気味に言った。自分のことに一杯一杯で、本来の目的をすっかり忘れてしまっていたのだ。
「私は一緒には行けないのか」
「夜に行くことになったとしても、俺だけだろうな」
カイファスも判っていた。墓所の壁に刻まれていた文字は、薔薇を得た者だけが見ることも、聞くことも出来る権利がある。
薔薇でしかないカイファスはその権利がないのだ。
「お前にはちゃんと話しをする。禁止されたとしてもな」
カイファスは身を起こすと、ゼロスに縋りつく。
「どうした」
いきなり抱きついてきたカイファスにゼロスは訝しんだ。カイファスの様子が何時もと違いすぎる。
カイファスはゆっくりとした動作でゼロスの耳元に唇を寄せた。そして、小さく囁く。羞恥が無いわけではなかったが、どうしてもゼロスを感じたかったから出た言葉だった。
その言葉にゼロスは固まった。
「……ちょ、待て」
「待てない……」
甘い吐息を漏らしながら、カイファスはゼロスの耳朶を口に含んだ。舌で舐め上げ、少し吸い付く。柔らかいその感触を口内で味わう。
「待てってっ」
ゼロスは珍しく動揺していた。襲うことはあっても、襲われることは少ない。
ゼロスは耳が弱いことを知っていた。その気になっていなくとも、刺激されれば体は正直に反応を示す。
「わざとやってるだろっ」
「当たり前だろう。私はずっとお預け状態だったんだ」
この一ヶ月、何処か上の空だったゼロスにカイファスは不満を持っていた。
「お前、今、体が上手く動かせないだろうが」
「どうせ、お前が出掛けた後は休んで待ってるだけなんだ。問題ないだろう」
間髪入れずに答えが返ってくる。ゼロスはカイファスを怒らせると後が怖いことを知っていた。
つまり、ゼロスは知らずにカイファスを怒らせていたのだ。それも、一ヶ月という長い時間を掛けて。
「怒ってるのか」
「……嫌われたと、ずっと思っていたんだ……この気持ちが判るか……」
ゼロスから体を離し、カイファスは上目使いで見上げた。
「《永遠の眠り》まで考えたんだぞ……」
不貞腐れたようにカイファスは言った。ゼロスは驚きに目を見開いた。
「どうして……」
「私はお前の命で生きてるんだ。離れて行かれたら、体の機能を停止させるしかないじゃないか」
カイファスはふいっと、顔を反らせた。
「お情けで生かされるくらいなら、眠った方がましだと思ったんだ」
ゼロスは溜め息を吐いた。確かに態度は悪かったと思う。そこまで考えさせていたことが、居たたまれなかった。
「お前の気持ちを尊重しようとしたんだ」
「してないじゃないか……私は滅多に気持ちを言わないが、お前が銀狼のコロニーに行く前にちゃんと言ってあっただろう」
ゼロスはカイファスを凝視した。言っていたかと、必死で考える。
始祖に迎えに行くように促され、泣きじゃくるカイファスが漏らしていた言葉を思い出す。
カイファスがその言葉を口にしたのは一ヶ月程前だ。ゼロスは気が乗らないのと、自身に下される現実に動揺していた。
そのせいで普段なら冷静に判断出来るであろう状況であったとしても、判断出来ないほどに、静かに動揺していた。
カイファスと共に出掛ける時にアレンが何かを言っていたが、よく耳に入ってはいなかった。
「……シオンに……」
カイファスがいきなりシオンの名前を口にした。ゼロスは訝しみ、首を傾げ、次の言葉を待った。
カイファスは改めてゼロスに向き直る。
「……言われたんだ。返してないって……」
ゼロスは更に判らなかった。シオンは何を思い、そんなことを口にしたのか。
「私自身、その言葉を聞いたとき、そうだと思った。当たり前に与えられていて、そんなこと、考えたこともなかったんだ」
カイファスは少しうなだれた。夫婦となり、子供まで成して尚、カイファスはそのことに気が付いていなかった。指摘されて初めて気が付くなど、愚か以外の何者でもない。
「情け無いって、本気で思った……」
ゼロスはカイファスの様子に苦笑した。
「俺は気にしてないぞ」
「そう言うわけにはいかないだろうっ。気が付いたら、どうしていいか判らなくなった」
カイファスは勢い良く顔を上げ叫んだが、直ぐにうなだれる。
「困って、そうしたらシオンが、捨て身にならないと喪うかもしれないって……」
カイファスはその言葉に素直に恐怖した。シオンは何時も最悪な状態を想定している。それは生い立ちのせいだろう。
逆にカイファスは喪うような状況になったことがなく、直面していたとしても鈍感なほど気が付かない。
「お前はそれでいいんだよ」
ゼロスが呆れたように、穏やかな口調で言った。
「……莫迦にしてるだろう……」
カイファスとしては面白くなかった。確かに莫迦である自覚はあるが、態度で示されると反発したくなる。
「してない」
「否、絶対してる」
ゼロスは更に苦笑した。カイファスはどちらかと言えば、子供っぽい態度は取らない。それを自然にしてのけるのはシオンくらいだ。
だが、今のカイファスは完全に臍を曲げ、不貞腐れている。ある意味、珍しいことだった。
ゼロスはいきなりカイファスの首筋に顔を埋めた。鼻孔を擽るのはカイファスの放つ濃厚な薔薇の香り。
「興奮してるだろう」
耳元で囁かれ、カイファスは顔を真っ赤にさせた。
「し、してないっ」
ゼロスはカイファスの鼻先に自分の顔を持って行く。いくら違うと言ったところで、体は正直だった。
夫が薔薇の香りを強烈に感じるのは情事のときだ。その香りが濃厚に空間に漂い始めている。カイファスの体がゼロスを求めている証拠だった。
薔薇と言うのはある意味不便なのかもしれない。
「虚勢を張っても無駄だ。凄い香りだからな」
カイファスは俯くしかない。さっき、ゼロスをその気にさせるために悪戯したのだが、逆に自分が興奮してしまった。体の奥が疼きっぱなしで、どうしていいか判らなくなっていた。
「でもなぁ。お前、今日は満月なんだぞ。下手に抱くわけにはいかないな」
カイファスは驚き、目を見開いた。この状態で放って置かれたら、どうにかなってしまう。
「どうしてだっ」
縋りつき、動揺を隠すことが出来なかった。
「どうしてって、簡単だろうが」
薔薇は子孫を遺そうとするため、妊娠確率が恐ろしいほど高い。ましてや、カイファスだけでなく、ゼロスの血もその欲求が強いのだ。
「確かに子供は必要だけどな。お前の親父さんには後継者が必要なのは判っているし」
だが、ゼロス自身、アレン同様、妊娠してもらいたくなかった。カイファスの場合、双子である可能性が高いのだ。つまり、体と精神にかかる負担が半端ではない。
「双子の時、辛かったんじゃないか」
カイファスは口を噤む。
「……じゃあ、女の私は何時までも抱いてもらえないのか……」
カイファスは寂しそうに呟いた。
「お前の赤子なら、辛くても耐えられる。それでも、駄目なのか」
カイファスは膝の上で両手をきつく握り締め、絞り出すように言葉を吐き出した。
「どうしたんだ。何時もなら俺が求めても淡泊なのに、何を焦ってるんだよ」
「焦ってなんか……ない、とは言えないが……」
父親が元婚約者達はゼロスを好いていると話したとき、心に生まれたのは焦りだった。
カイファスは満月の日だけ女性で、他の日は男性なのだ。普段気にもしていないのだが、今回ばかりは駄目だと思ってしまった。
「……銀狼の婚約者達はお前が好きなんだろう……だから……」
ゼロスは小さく溜め息を吐いた。昨日の父親の話しを気にしているのだろう。
「いくら好かれてもなぁ。鬱陶しいだけなんだぞ。彼奴等のパワーは並じゃないんだ」
その並じゃないパワーの持ち主を去なしていたのだから、ゼロスも半端なく容赦なかったのだろう。
「大体、五人で迫ってこられてみろ。鬱陶しいを通り越して、うざ過ぎだ」
カイファスは体が固まった。
「……五人……」
小さく呟き、恐慌状態になった。ゼロスの胸座のシャツを掴み上げる。
「五人だってっ」
ゼロスは困ったように頭を掻いた。
「言ってなかったか」
「聞いてないっ」
銀狼も吸血族同様、綺麗な容姿の者が多い。そんな女性を五人も袖にしたのだ。
「お前にしか興味がなかったんだから、居たところで意味がないだろう」
さらっと言ったゼロスに、カイファスは脱力した。
そして、思ったことは一つだった。
五人もの婚約者が居たということは、その血筋を残す為なのだろう。ならば、カイファスが取る道は一つだった。
「私もシオンの真似をしようじゃないか」
カイファスが黒い笑みを顔に貼り付けた。ゼロスは嫌な予感が脳裏を掠めた。
「……真似って」
「判らないか。女の私を抱かないなら、それでいい。その代わり、私がお前を抱く」
ゼロスの動きが完全に止まった。正確には思考が完全に停止したのだ。
「五人の婚約者の代わりに、お前の赤子を産んでやるよ」
ゼロスは更に頭が真っ白になった。
「……否……、ゼインだけで十分だぞ」
「私が納得しない。おそらく、お前の父親も本当のところ、納得してないんじゃないか」
ゼロスは言葉に詰まった。
「だったら、ぐうの音も出ないようにしてやるよ。幸い、私は妊娠しやすいし、どうやら、お前とは相性もいいみたいだからな」
それはつまり、銀狼が生まれる確率が高いと言っているようなものだった。
「私に抱かれたくなかったら、観念して抱くんだな」
カイファスは動けずにいるゼロスの体を強引に横たえた。
そのままゼロスの体に馬乗りになり、覆い被さる。
「どっちにする。私はどっちでも構わないぞ」
言うなり唇を重ねてきた。最初は軽く啄むように唇を重ねていたが、ゼロスが何かを言おうと口を開きかけたのを見計らい、貪るように唇を深く重ねた。
ゼロスの口内に舌を差し入れ、丁寧に内部を味わう。その熱に、カイファスの体内が甘い疼きをもたらした。
ゆっくりと唇を離すと、ゼロスを見下ろしわざと舌なめずりした。この仕草に、ゼロスは完全に完敗した。
ゆっくり身を起こすと、カイファスの濡れた唇を指でなぞる。
「決めたのか」
艶を含んだ声音で、カイファスは問い掛けた。
ゼロスはすっと目を細め、カイファスを掻き抱くと貪るように唇を重ねた。
カイファスはその激しさに応えるように、ゼロスの首に腕を絡めた。何度も角度を変え、二人は貪るように深いキスを繰り返した。
ゼロスは十分にカイファスの口内を味わった後、ゆっくりと唇を離す。
「後悔しないんだな」
「何度も聞くな」
カイファスは呆れたように呟いた。
「言っておくが、途中でやめないぞ。気が済むまで抱くからな」
カイファスはその言葉に興奮した。体の奥底が震え、甘い吐息を吐き出す。ゼロスの肩に顔を埋め、耳元に唇を寄せた。
「……私にお前をくれ……、体の一番深いところに……」
カイファスを静かに横たえた。ゼロスはその体を貪るためにカイファスのシャツに手を掛ける。
カイファスはくるであろう快楽に体を熱くさせ、ゼロスに身を預けた。瞬間、今まで以上に濃厚な薔薇の香りが放たれる。
その香りを楽しみながら、ゼロスはカイファスを味わった。
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