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Ⅸ 満ちる月に白き淡雪
10 十六夜薔薇
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「どうして、そんな楽しいことを三人でしてるの」
勢い良く開いた扉の音と共に、不貞腐れたような声が聞こえてきた。三人は徐に身を起こす。
どうやらあの後、眠ってしまったようだった。
「狡いじゃない。僕を除け者にするなんて」
やっとの思いで声の主に視線を向けると、腕を組み、頬を膨らませたシオンがいた。
仁王立ちしている姿が、何とも違和感ありすぎなのだが、本人はまったく気にした様子もない。ただ、三人が一緒に寝たことが気に入らないようだった。
「もう、夜なのか」
大きな欠伸をしながら、カイファスは頓着せずに問い掛けた。
「月が出てるよ。エンヴィは起きてきたのに、ルビィの姿はないし、ゼロスは出掛けていないし」
つまり、一番知っていそうなエンヴィに撒くし立てるように聞いたに違いない。昔のエンヴィならば邪険に扱っただろうが、今は違う。おそらく、シオンの剣幕にうろたえ、妊婦であることも相まって素直に話したのだろう。
「エンヴィを問い詰めたな」
カイファスは笑みを見せながら、確信に満ちたように言った。
「当たり前じゃない。アレンと僕は最初に休んじゃったし、長様は日が落ちるとすぐ帰っちゃったみたいだし。ゼロスは姿見えないしさ」
エンヴィに訊くしかないじゃない、と悪びれた様子もなく言ってのける。
「体は大丈夫なの」
ルビィも欠伸をしながら訊いてきた。
「アレンから血を貰ったし、沢山寝たから平気。みんなは眠そうだね」
シオンは首を傾げた。まるで、寝たばかりのように気怠そうだったからだ。
「寝たのが遅かったからな」
カイファスは相当眠そうだった。
「後で聞かせてね」
シオンは邪気のない笑みを見せる。見た限りでは可愛らしい笑みに見えるが、違うことをカイファスとルビィは知っていた。
トゥーイは知らないからか、呆然とシオンを見詰めている。それに気が付いたルビィがトゥーイの肩に右手を乗せる。驚いたようにルビィに顔を向けたトゥーイに、ルビィは小さく首を横に振った。
意味が判らないのか、トゥーイは更に首を傾げる。
「で、叩き起こすために来たのか」
カイファスは少し頭を振りながら訊く。
「違うよ。アレンがね、トゥーイに食事させろって。危険かもしれないから、カイファスとルビィにも来てもらって、それでも不安だからシアンも連れて行けってさ」
つまり、トゥーイにフィネイから血を貰え、と言っている。固まったのはトゥーイだった。昨日の今日でフィネイに会う勇気はなかったからだ。
「シアンまで必要なのか」
カイファスは疑問を口にする。
「最初にフィネイに会ったときに、ほら、もう一人の方」
シオンは右手の人差し指を顎に当てる。
「どうも、二人分の魔力を操ったみたいで、白の長様の魔力を跳ね返しちゃったみたいなんだ」
その事実に三人は息をのんだ。
「残留思念にそんな芸当が出来るのか」
カイファスの呟きは素朴な疑問だった。今までも、血に刻まれた記憶にしてはおかしな所がある。
「僕もおかしいと思うんだよね。まるで、魂が有るみたいなんだもん」
カイファスは小さく息を吐き出し、ベットから離れた。大きく体を伸ばすと、二人に視線を向ける。
「取り敢えず着替えよう」
カイファスの言葉に二人は頷いた。
三人は着替えを済ませると、フィネイが居る部屋の前まで来た。
「娘のシアンだよ」
シオンはトゥーイに笑みを見せ、シアンを紹介した。アレン譲りの茶の髪とシオンの琥珀の瞳。だが、何かが違った。
「吸血族じゃないのか」
トゥーイは驚きを露わにした。
「うん。銀狼だよ」
その表情に三人は苦笑した。
「でもさ、銀狼って……」
トゥーイが何を言いたいのか判っている。銀狼は銀狼族に引き取られ、育てられるからだ。
「この子とカイファスんとこのゼインは特別」
シオンは微笑んだ。
トゥーイは納得出来なかったが、シアンの姿だけ見れば銀狼とは思わないだろう。銀狼は皆、同じ色をしているのだから。
「使われた部屋が此処だなんてね」
シオンは苦笑する。仮眠室なのだが、使われたことが一度もないのだ。アレン曰わく、息が詰まるのだそうだ。
「シアン、攻撃してきたら、魔力で思いっきり押さえつけていいから」
「攻撃しちゃ駄目なの」
シオンは娘を見ると溜め息を漏らした。
「絶対に駄目。手加減を知らないでしょ」
シアンは不満を顔に貼り付け、渋々頷いた。
「私が開ける」
カイファスは扉のノブに手を伸ばした。もし、攻撃してきたら身重のシオンには回避出来ない筈だ。
静かに開き、中を伺う。室内は異常に静かだった。カイファスは警戒しつつ室内に足を踏み入れる。
後に続いて入ってきたのはルビィで、シオンは渋るトゥーイの腕を引きながら入ってきた。
ベットの上にフィネイは居たのだが、様子がおかしかった。何かをしてくるわけでも、入室して来た者に視線を向けるのでもない。ただ、座り込み、瞳の焦点が合っていない。
カイファスは瞬時に異常を察知した。慌ててフィネイに駆け寄り、様子を伺った。言葉をかけても、体を揺すっても反応がない。
皆も異常に気が付いた。シオンは振り返りシアンにアレンとファジールを呼んでくるように言った。何時もなら渋るシアンだが、流石におかしいと思ったのか、直ぐに駆けて行った。
「カイファス」
ルビィも近付くとフィネイを覗き込む。灰色の瞳に生気はなく、虚ろに開かれているだけだった。
息をしているのは微かに上下する胸の動きで認識出来た。
トゥーイはフィネイの様子に立ち尽くした。目の前の現実に心が拒絶するように何かが崩れ落ちた。
「トゥーイっ」
いきなり倒れたトゥーイにシオンは慌てて跪く。
フィネイに拒絶されたのだと、トゥーイは思い込んだ。シオンはそう察した。
「最悪だよ」
シオンはトゥーイの白い髪を撫でた。すれ違い、お互いの気持ちに気が付かず、悪い方へと状況が流れていく。
ルビィは慌てて跪きトゥーイを抱き起こす。カイファスは深い溜め息を吐く。
「下手に兄弟として育ったのがあだになってるな」
「トゥーイは自分の気持ちに気が付いたんだよ」
ルビィは顔をカイファスに向け、小さく叫んだ。
「気が付いたから、余計にショックだったんだ」
おそらく、カイファスが思っていた最悪な方向にフィネイの考えが至ったのだ。そして、もう一人は動揺したに違いない。
今のフィネイの状況は内に隠ってしまった状態なのだろう。
「答えを出したの」
シオンはルビィに問い掛けた。ルビィはシオンを見、しっかり頷いた。
そこへアレンとファジールの二人が飛び込んできた。目の前の状況に目を見開き、二人同時に溜め息を吐いた。
「シオン、状況は」
アレンは簡潔に聞いてきた。
「トゥーイを連れてきたらフィネイがあの状態で」
シオンはそこまで口にし、フィネイを指差す。
「そのフィネイの様子に拒絶されたと思ったトゥーイが倒れたの」
シオンは簡潔かつ、適切に説明した。アレンとファジールはその言葉に更に深い溜め息を吐く。
面倒な方向にばかり向かっていく状況に泣きたくなってくる。
トゥーイはただ、ショックで気絶したのだと判断した二人は、フィネイの元へ向かった。カイファスは素直に場所を明け渡す。
「まずいな」
ファジールの呟きに、アレンは頷いた。触れれば判る。フィネイは完全に意識と体を切り離してしまっていた。
「どうするんだ」
カイファスが二人に問い掛けた。フィネイに触れたカイファスも判っていたからだ。
「どうもこうも、俺達ではどうすることも出来ないな」
アレンは溜め息混じりに答えた。フィネイは自分で納得して今の状態になっている。
「しばらく様子を見るしかない。ったく、後ろ向きにばかり考えやがって」
アレンは呆れていた。結局、フィネイは逃げたにすぎない。何故、トゥーイと面と向かう選択をしなかったのだろうか。
「まあ、仕方ないと言えばそうなんだけどな」
アレンは両手を腰に当てた。ファジールはフィネイの体に問題がないのを確かめると、顔を上げる。
「この状態が続けば危険だ」
「飢餓状態になるからな。無理矢理生気を与え続けるしかない」
ファジールはアレンの言葉に頷いた。
「トゥーイは部屋に逆戻りだな」
アレンは腕を組んでトゥーイを見下ろした。
「……黒薔薇に聞け、か……」
アレンは小さく呟いた。その呟きに皆がアレンに視線を向けた。
「真に目覚めるとは何だろうな。血の記憶じゃない気がしてきた……」
「そう思う」
シオンはアレンに同意した。体を貸したからこそはっきり判る。
「夢を見ているだけなら、血に刻まれた記憶を見せているで納得出来たが、体を貸した感覚から、記憶じゃない気がするんだよ」
意志があるのだと認識出来ただけでなく、個として存在している感じだった。
「結局のところ、どうなったか何て判るわけがない。記録に残っているわけでもなく、口伝すら伝わっていないんじゃあ、判断のしようがない」
アレンはファジールに視線を向ける。
「ゼロスを待つしかないんじゃないか」
ファジールはそう結論を出した。あの時代に生き、当事者であり、被害者であり、全てを感じた銀狼の始祖。
「もしかしたらだが、伝えることを拒絶したのかもしれないぞ」
ファジールの言葉に皆が目を見開いた。歴史として刻まれたくなかった可能性も否定出来なかった。
「不幸であったと、同情されたくなかったのかもしれないな」
アレンは自身の中で対峙した存在を思った。目を瞑ることも背けることも出来なかった。当時の吸血族を襲った凶事。
自分達自身で選び取った最期を、納得していた筈だ。例外は白薔薇の夫だろうが、それであったとしても、あのまま生き続けることは実質無理だったのだ。
「最後の最期。何かがあったんだ。俺達では想像出来ない何かが……」
十人が選び取った《太陽の審判》という自身に下した結末。
消える選択をした。だが、銀狼は太陽に散ることはない。納得していても、納得出来なかったのではないか。
一人取り残され、生きていかなければいけない銀狼の始祖。吸血族と決別し、独自の道を歩む選択をし、今の土地に身を落ち着けたのだろう。
岩と砂と、日中は太陽の光が容赦なく照りつけ、夜は凍える寒さに身を晒す。不毛の土地のような場所を敢えて選んだ。
彼の心中はいかばかりだったのだろうか。仲間が目の前で太陽の光の元、灰に姿を変え、風が全てを運び去る。
アレンは小さく息を吐き出し、軽く頭を振った。結局、何一つ判っていないのだ。
シオンとルビィに足を向けると、徐にトゥーイを抱き上げた。
「寝かせてくる」
「僕も一緒に行くよ」
アレンとシオンは部屋を出て行った。残された三人は難しい表情を見せる。
「……記憶じゃなかったら、何なんだ。吸血族はどうやったって太陽には勝てない」
カイファスはぽつりと呟いた。銀狼の始祖は何かをしたのだろうか。散りゆく命に。残される自分と想いに後悔しないように。
「ファジールさん」
カイファスはファジールに視線を向けた。ファジールは首を傾げる。
「月華は扉に鍵が掛かっていない存在だよな」
カイファスの言葉にファジールは小さく息をのむ。
「銀狼はその逆、鍵がある存在だ」
ファジールは今の言葉に息が止まる思いだった。銀狼と月華が同じ存在であるとカイファスは言っているように感じたからだ。
「今のは、どう言う意味だ……」
カイファスは目を細めた。
「そのままの意味」
カイファスは微笑みながらそう答えた。
「訊きたいのはその事ではなくて、ファジールさんは扉の奥を直接見てるよな」
ファジールは目を見開いた。
「扉の向こう側に精神体は入り込めるのか」
その問いに、ファジールは首を横に振った。
「扉の向こうは濃い瘴気のような魔力の住処だ。とてもじゃないが、あの場所に入り込むのは無理だ」
ファジールは思わず答えた後に右手で口を覆った。本来なら絶対に口にはしない。
カイファスはそのファジールの様子に苦笑した。その姿はあのときのアレンと全く同じだったからだ。
「ジゼルさんがそうだってことは知っている。お祖母様に聞いたから。ゼロスが言っていた方法の一つに精神に潜るって言うのがあったから、鎌を掛けてみたんだ」
カイファスは黒の長に匹敵する黒い笑みを見せた。ファジールはまんまと引っかかった自分に嫌気が差した。
ルビィは目を見開き、カイファスの言葉を聞いていた。何を言っているのか理解が出来ないのが正直なところだが、何かとんでもない話しの内容のような気がした。
カイファスはファジールの答えに自分の考えが間違えていると判った。
扉の向こう側に行くのは無理だ。瘴気に近い魔力の中に、無防備な精神体が入れば一溜まりもない。
「……血の記憶じゃない……じゃあ、どうやって魂を残したんだ……」
その呟きに二人は息をのむ。
「どう言う意味だ」
ファジールはフィネイを見るために屈んでいた体を起こした。
「アレンとシオンは過去の自分達に体を貸したんだ。血の記憶なら過去の出来事を再現するだろう。だが、二人が口にしたのは今のことだ」
アレンが訝しんだのはそこだろう。夢なら記憶と言われても理解出来る。
「私達は何かとんでもない勘違いをしているのかもしれない」
アリスは消滅したとは言っていたが、何かがおかしかった。恨みを育てたと言っていたが、アレンとシオンの口を借り、語られた言葉に恨み辛みは感じられない。
《太陽の審判》は必ず消滅すると考えてしまう。実際に灰は風に運ばれてしまい、回収するのは不可能だ。
「だが、長い歴史の中で《太陽の審判》で魂を残した者は存在していない筈だ」
カイファスもそれは判っている。判っているのだが、何かが引っかかっていた。
†††
アレンはトゥーイを抱き抱え、シオンはその横をついて行く。アレンは不意にシオンに視線を向けた。
「残っていても良かったんだぞ」
「二人きりにさせたくなかったんだもん」
アレンは急に立ち止まった。いきなり歩みを止めたアレンにシオンが訝しむ。
「何だって」
「そのままの意味だよ。僕、妊婦だし、トゥーイは今男だけど綺麗だし」
心配でしょ、と微笑んで言って見せた。アレンは大きな溜め息を吐く。まかり間違って手を出したとしても、気絶している者を襲う趣味はない。
信用されていないのだろうかと、頭の中で変な考えが浮かんでくる。
「って言うのは冗談で、気になったからさ」
シオンが真剣な表情を見せた。
「僕達、勘違いしてるんじゃないかなぁ」
「どう言うことだ」
「僕達って代わりに生まれてきたって言われててさ、疑問を持つこともなかったんだけど、実際、目の当たりにして、違うんじゃないかって」
シオンは自身の中で対峙した黄薔薇を思い出す。独特の金の巻き髪に、空の青の瞳。遠巻きに見るだけの昼の空を映していた。
「さっきアレンが言ったように、消えてないのかもしれないって。完璧ではなくっても、存在してるんじゃないかって」
シオンは体の心配をしながら、それでも体を貸してほしいと言ってきた存在を思う。
「静かに眠りにつけるって言ってたな」
アレンの言葉に弾かれたように、シオンは顔を向けた。
「幸せか、って訊かれてな。言葉で言うのは間違えてると思って、微笑んでみたんだが」
アレンの中の者は憂いを帯びながら、それでも優しく嬉しそうに微笑んで消えていった。
「僕達って、もしかして本当に生まれ変わってるのかも」
再び歩き出し、シオンがそんなことを言った。
「根拠は」
「不愉快じゃないから。確かにさ、意識が入れ替わるのは気持ちのいいものじゃないんだけど、体は拒絶してないじゃない」
入れ替わることで体は悲鳴を上げたが、だるさを感じただけで、悪影響はなかった。
「完全な魂じゃなくて、もしかしたらだけど、僕達の魂の一部なのかも」
一階から三階に移動し、シオンがトゥーイのために用意された部屋の扉を開いた。
寝室に向かい室内に足を踏み入れるとシオンは掛布を捲った。
「ちょっと待ってね」
シオンは言うなりトゥーイの靴を脱がせた。アレンはそれを確認し、ベッドにトゥーイを横たえる。シオンはトゥーイに優しく掛布を掛けた。
「僕が付いてるよ」
シオンはアレンに顔を向けると微笑んだ。アレンは部屋を見渡し、窓の下に置いてあった椅子を運んできた。
「何かあったら呼べよ」
「判った」
アレンはシオンが椅子に座るのを確認してから、二人を残し部屋を後にした。
階段を下り、エントランスまで来ると、丁度ゼロスが戻って来たところだった。
軽く右手を上げる。ゼロスも答えるように手を上げた。
「上手くいったのか」
目の前まで来ると、ゼロスに問い掛ける。ゼロスは頷いた。
「嫌々みたいだな」
アレンが苦笑混じりに言うと、ゼロスはあからさまに溜め息を吐いた。
「当たり前だ。誰が好き好んで、眠りに就いた者を起こしたがるんだ」
「確かにそうだが、確かめて欲しいことが出来たからな」
アレンは真剣な表情を見せた。
「俺が始祖を起こす許可を取りに行ったのをエンヴィに聞いたのか」
ゼロスの問いに、アレンは頷いた。
「確かめたいこととは」
「真に目覚めた理由は黒薔薇に訊けと言われた。俺とシオンで出した結論が、血の記憶じゃないって事だ」
ゼロスは眉間に皺を寄せた。
「はっきり言え」
ゼロスが唸るように言った。アレンはゼロスの顔を見詰める。
「記憶にしてはおかしすぎるんだ。過去の事じゃなく、今の話しをしてる気がするんだよ」
確かに夢では過去の映像を見せられていたのは事実だ。
「吸血族は太陽には勝てないんだろう」
「ああ。身にしみて判ってるさ。だが、説明出来ないんだよ」
シオンから話しを聞くと、体の心配をしてくれたという。妊娠中に入れ替わるのは危険な行為だ。
ゼロスはアレンの右手の甲に視線を向けた。シオンを助けたときに太陽に灼かれた場所だ。自戒のためなのか、治癒力の強い吸血族でありながら痕が残ったままになっている。
「それで」
「《太陽の審判》を受けたときに何かがあったんだ。否、違うな。何かをしたんだ」
アレンは架空に視線を向けた。
「血の記憶もあるんだろうが、それだけじゃない」
アレンはゼロスに視線を戻す。
「それに、何故、俺達二人だけ現れたんだ」
「俺に訊かれてもな」
ゼロスは頭を掻いた。
「幸せか、と訊かれた。勿論、幸せだ。不幸を感じる要素はないからな」
きっぱりと言い切ったアレンに、ゼロスは破顔した。
「よどみがないな」
「当たり前だろ。まあ、幸せ云々以前の心配事なら沢山あるけどな」
アレンは腕を組んだ。ゼロスはすっと、真顔になる。
「仮に記憶でなかったとしたら、俺の立場は微妙になるな」
ゼロスの言葉にアレンは首を傾げる。
「お前達の前任者は体が存在していない。仮に魂が残っていたとしても器がない」
アレンは頷く。
「俺の場合、確実に存在しているんだ。今も《永遠の眠り》の中にある」
アレンは目を見開いた。
「カイファス……」
「そうだ。彼奴はどっちを取るだろうな。血に縛られているから俺から離れるのは無理だろう」
だが、心はどうだろうか。カイファスが出した結論に納得出来るだろうか。
「お前、嫉妬深いだろう」
アレンが呆れたように訊いてきた。
「彼奴に関して言えば、間違えない。かといって、無理強いするほど縛り付けたいとは思わないさ」
ゼロスは言ってはみたものの、目の前に突き付けられ冷静に判断出来るかは疑問だった。カイファスに向けていた想いは半端なものではない。
「はっきり言っていいか」
アレンは小さく溜め息を吐く。
「カイファスが向こうを取ったら、お前が獣化するような気がするが」
アレンは真顔で言ってのけた。
「それ、真顔で言うことか」
「言うことだな。って言うか、薔薇の夫って嫉妬深いんじゃないか」
アレンは自分を振り返ってみる。もし、シオンが別の誰かを選んだら嫉妬で狂ってしまうかもしれない。
「その言い方だと自分も入るんだぞ」
「自分も込みで言ってるんだよ」
ゼロスは苦笑する。アレンの言う通り、頭と感情は別問題だ。頭で納得していても、心は悲鳴を上げるかもしれない。
「そうかもしれないな……」
ゼロスは息を吐き出すように、言葉を吐き出した。
「……此処で話すような内容か……」
二人の背後でぽつりと呟く声が聞こえる。振り返ると、其処にいたのはエンヴィだった。
「さっきから、使用人達が回れ右しては迂回してる」
言われたことに二人は顔を見合わせた。
「見てたのか」
アレンの問いに首を振った。二人の姿を見付け近付いて行くと、使用人達が踵を返しては廊下を戻っていくのを見たからだ。
「話すなら部屋でしたらどうだ」
迷惑だし、とエンヴィは呟く。確かにエントランスでする話しではない。
「この時間に帰ってきたなら、寝てないんじゃないか」
エンヴィの疑問の声に、アレンはゼロスを見た。
「確かに寝てないな」
ゼロスは苦笑を漏らす。だが、仕事のときは当たり前のように寝ずに行動することが多い。慣れなのか、二、三日くらいなら寝なくとも平気になっていた。
「何があるか判らないし、休んどいた方がいいんじゃねぇか」
エンヴィが当たり前のことを言った。それを聞いた二人は目を見開く。
「まともになったな」
「前とは大違いだ」
ゼロスとアレンが口を揃えて言った。
エンヴィは二人の物言いに笑っただけで何も言わなかった。
「そうだな。寝るか」
ゼロスは体を大きく伸ばした。
「そうした方がいい」
アレンもエンヴィの意見に同意した。階段に向かうゼロスを見送っていたのだが、アレンはフィネイのことを不意に思い出す。
「ゼロス」
呼び止めたアレンにゼロスは振り返った。
「フィネイのことなんだが」
「何かあったのか」
アレンは頷いた。
「意識と体を切り離した。どうなるかは判らない」
ゼロスは眉間に皺を寄せる。
「トゥーイは」
「拒絶されたと思ったのか気絶した。今はシオンが側に付いている」
ゼロスは架空を見詰め、目を細めた。
「とりあえず休む。何かあったら叩き起こしてくれ」
「言われなくても、叩き起こすさ」
アレンは口の端を上げ笑う。ゼロスは肩を竦めながら、何時も使っている部屋に向かって歩いていった。
エンヴィは問いた気な視線をアレンに向ける。それに気が付いたアレンが付いて来るよう、顎で促した。
無言で歩きながら、仮眠室に向かう。
「……俺の香水のせいか」
エンヴィは沈黙に耐えられず、アレンに問い掛けた。アレンは立ち止まり振り返る。
「直接は関係ないな。ただ、考えることが出来るようになったんだろう」
エンヴィは顔をしかめた。
「元々、冷静に判断出来るタイプだった筈だ。瞬時に整理して結論を出したんだろう」
ただ、問題だったのが、トゥーイ本人を無視してしまったことだ。ちゃんとトゥーイのことを考えて出した結論だろう。しかし、その結論はあくまでトゥーイが変化する前の状態での判断基準だ。
「敢えて言えば、お前達の二の舞だな。お互いを見ていない」
きっぱり言い切り、アレンは再び歩き出す。
「トゥーイが意識を手放したことを考えると、結論を出したんだろうな」
「どちらのフィネイを好きかって事か」
アレンは頷く。普通に考えるなら、トゥーイが想いを寄せているのは、兄として育ったフィネイの方だ。もう一人の方ではないだろう。
「エンヴィ」
アレンは不意に訊いてみたくなった。ゼロス以外の薔薇と夫達には、自身の中に確実にもう一人が存在している。
アレンだけではく、シオンも表にもう一人が現れた。では、エンヴィとルビィはどうなのだろうか。再び立ち止まり、振り返った。
エンヴィはアレンが立ち止まったことに首を捻る。
「お前の中の存在はどうしてる」
エンヴィは軽く目を見開いた。
「どうして、俺達だけ現れたんだ」
ゼロスにしたのと同じ質問をした。するとエンヴィは呆れたように少し笑った。
「簡単だろう。お前達並みにお節介だからじゃねぇか」
エンヴィは当たり前だと言わんばかりに言ってのけた。
勢い良く開いた扉の音と共に、不貞腐れたような声が聞こえてきた。三人は徐に身を起こす。
どうやらあの後、眠ってしまったようだった。
「狡いじゃない。僕を除け者にするなんて」
やっとの思いで声の主に視線を向けると、腕を組み、頬を膨らませたシオンがいた。
仁王立ちしている姿が、何とも違和感ありすぎなのだが、本人はまったく気にした様子もない。ただ、三人が一緒に寝たことが気に入らないようだった。
「もう、夜なのか」
大きな欠伸をしながら、カイファスは頓着せずに問い掛けた。
「月が出てるよ。エンヴィは起きてきたのに、ルビィの姿はないし、ゼロスは出掛けていないし」
つまり、一番知っていそうなエンヴィに撒くし立てるように聞いたに違いない。昔のエンヴィならば邪険に扱っただろうが、今は違う。おそらく、シオンの剣幕にうろたえ、妊婦であることも相まって素直に話したのだろう。
「エンヴィを問い詰めたな」
カイファスは笑みを見せながら、確信に満ちたように言った。
「当たり前じゃない。アレンと僕は最初に休んじゃったし、長様は日が落ちるとすぐ帰っちゃったみたいだし。ゼロスは姿見えないしさ」
エンヴィに訊くしかないじゃない、と悪びれた様子もなく言ってのける。
「体は大丈夫なの」
ルビィも欠伸をしながら訊いてきた。
「アレンから血を貰ったし、沢山寝たから平気。みんなは眠そうだね」
シオンは首を傾げた。まるで、寝たばかりのように気怠そうだったからだ。
「寝たのが遅かったからな」
カイファスは相当眠そうだった。
「後で聞かせてね」
シオンは邪気のない笑みを見せる。見た限りでは可愛らしい笑みに見えるが、違うことをカイファスとルビィは知っていた。
トゥーイは知らないからか、呆然とシオンを見詰めている。それに気が付いたルビィがトゥーイの肩に右手を乗せる。驚いたようにルビィに顔を向けたトゥーイに、ルビィは小さく首を横に振った。
意味が判らないのか、トゥーイは更に首を傾げる。
「で、叩き起こすために来たのか」
カイファスは少し頭を振りながら訊く。
「違うよ。アレンがね、トゥーイに食事させろって。危険かもしれないから、カイファスとルビィにも来てもらって、それでも不安だからシアンも連れて行けってさ」
つまり、トゥーイにフィネイから血を貰え、と言っている。固まったのはトゥーイだった。昨日の今日でフィネイに会う勇気はなかったからだ。
「シアンまで必要なのか」
カイファスは疑問を口にする。
「最初にフィネイに会ったときに、ほら、もう一人の方」
シオンは右手の人差し指を顎に当てる。
「どうも、二人分の魔力を操ったみたいで、白の長様の魔力を跳ね返しちゃったみたいなんだ」
その事実に三人は息をのんだ。
「残留思念にそんな芸当が出来るのか」
カイファスの呟きは素朴な疑問だった。今までも、血に刻まれた記憶にしてはおかしな所がある。
「僕もおかしいと思うんだよね。まるで、魂が有るみたいなんだもん」
カイファスは小さく息を吐き出し、ベットから離れた。大きく体を伸ばすと、二人に視線を向ける。
「取り敢えず着替えよう」
カイファスの言葉に二人は頷いた。
三人は着替えを済ませると、フィネイが居る部屋の前まで来た。
「娘のシアンだよ」
シオンはトゥーイに笑みを見せ、シアンを紹介した。アレン譲りの茶の髪とシオンの琥珀の瞳。だが、何かが違った。
「吸血族じゃないのか」
トゥーイは驚きを露わにした。
「うん。銀狼だよ」
その表情に三人は苦笑した。
「でもさ、銀狼って……」
トゥーイが何を言いたいのか判っている。銀狼は銀狼族に引き取られ、育てられるからだ。
「この子とカイファスんとこのゼインは特別」
シオンは微笑んだ。
トゥーイは納得出来なかったが、シアンの姿だけ見れば銀狼とは思わないだろう。銀狼は皆、同じ色をしているのだから。
「使われた部屋が此処だなんてね」
シオンは苦笑する。仮眠室なのだが、使われたことが一度もないのだ。アレン曰わく、息が詰まるのだそうだ。
「シアン、攻撃してきたら、魔力で思いっきり押さえつけていいから」
「攻撃しちゃ駄目なの」
シオンは娘を見ると溜め息を漏らした。
「絶対に駄目。手加減を知らないでしょ」
シアンは不満を顔に貼り付け、渋々頷いた。
「私が開ける」
カイファスは扉のノブに手を伸ばした。もし、攻撃してきたら身重のシオンには回避出来ない筈だ。
静かに開き、中を伺う。室内は異常に静かだった。カイファスは警戒しつつ室内に足を踏み入れる。
後に続いて入ってきたのはルビィで、シオンは渋るトゥーイの腕を引きながら入ってきた。
ベットの上にフィネイは居たのだが、様子がおかしかった。何かをしてくるわけでも、入室して来た者に視線を向けるのでもない。ただ、座り込み、瞳の焦点が合っていない。
カイファスは瞬時に異常を察知した。慌ててフィネイに駆け寄り、様子を伺った。言葉をかけても、体を揺すっても反応がない。
皆も異常に気が付いた。シオンは振り返りシアンにアレンとファジールを呼んでくるように言った。何時もなら渋るシアンだが、流石におかしいと思ったのか、直ぐに駆けて行った。
「カイファス」
ルビィも近付くとフィネイを覗き込む。灰色の瞳に生気はなく、虚ろに開かれているだけだった。
息をしているのは微かに上下する胸の動きで認識出来た。
トゥーイはフィネイの様子に立ち尽くした。目の前の現実に心が拒絶するように何かが崩れ落ちた。
「トゥーイっ」
いきなり倒れたトゥーイにシオンは慌てて跪く。
フィネイに拒絶されたのだと、トゥーイは思い込んだ。シオンはそう察した。
「最悪だよ」
シオンはトゥーイの白い髪を撫でた。すれ違い、お互いの気持ちに気が付かず、悪い方へと状況が流れていく。
ルビィは慌てて跪きトゥーイを抱き起こす。カイファスは深い溜め息を吐く。
「下手に兄弟として育ったのがあだになってるな」
「トゥーイは自分の気持ちに気が付いたんだよ」
ルビィは顔をカイファスに向け、小さく叫んだ。
「気が付いたから、余計にショックだったんだ」
おそらく、カイファスが思っていた最悪な方向にフィネイの考えが至ったのだ。そして、もう一人は動揺したに違いない。
今のフィネイの状況は内に隠ってしまった状態なのだろう。
「答えを出したの」
シオンはルビィに問い掛けた。ルビィはシオンを見、しっかり頷いた。
そこへアレンとファジールの二人が飛び込んできた。目の前の状況に目を見開き、二人同時に溜め息を吐いた。
「シオン、状況は」
アレンは簡潔に聞いてきた。
「トゥーイを連れてきたらフィネイがあの状態で」
シオンはそこまで口にし、フィネイを指差す。
「そのフィネイの様子に拒絶されたと思ったトゥーイが倒れたの」
シオンは簡潔かつ、適切に説明した。アレンとファジールはその言葉に更に深い溜め息を吐く。
面倒な方向にばかり向かっていく状況に泣きたくなってくる。
トゥーイはただ、ショックで気絶したのだと判断した二人は、フィネイの元へ向かった。カイファスは素直に場所を明け渡す。
「まずいな」
ファジールの呟きに、アレンは頷いた。触れれば判る。フィネイは完全に意識と体を切り離してしまっていた。
「どうするんだ」
カイファスが二人に問い掛けた。フィネイに触れたカイファスも判っていたからだ。
「どうもこうも、俺達ではどうすることも出来ないな」
アレンは溜め息混じりに答えた。フィネイは自分で納得して今の状態になっている。
「しばらく様子を見るしかない。ったく、後ろ向きにばかり考えやがって」
アレンは呆れていた。結局、フィネイは逃げたにすぎない。何故、トゥーイと面と向かう選択をしなかったのだろうか。
「まあ、仕方ないと言えばそうなんだけどな」
アレンは両手を腰に当てた。ファジールはフィネイの体に問題がないのを確かめると、顔を上げる。
「この状態が続けば危険だ」
「飢餓状態になるからな。無理矢理生気を与え続けるしかない」
ファジールはアレンの言葉に頷いた。
「トゥーイは部屋に逆戻りだな」
アレンは腕を組んでトゥーイを見下ろした。
「……黒薔薇に聞け、か……」
アレンは小さく呟いた。その呟きに皆がアレンに視線を向けた。
「真に目覚めるとは何だろうな。血の記憶じゃない気がしてきた……」
「そう思う」
シオンはアレンに同意した。体を貸したからこそはっきり判る。
「夢を見ているだけなら、血に刻まれた記憶を見せているで納得出来たが、体を貸した感覚から、記憶じゃない気がするんだよ」
意志があるのだと認識出来ただけでなく、個として存在している感じだった。
「結局のところ、どうなったか何て判るわけがない。記録に残っているわけでもなく、口伝すら伝わっていないんじゃあ、判断のしようがない」
アレンはファジールに視線を向ける。
「ゼロスを待つしかないんじゃないか」
ファジールはそう結論を出した。あの時代に生き、当事者であり、被害者であり、全てを感じた銀狼の始祖。
「もしかしたらだが、伝えることを拒絶したのかもしれないぞ」
ファジールの言葉に皆が目を見開いた。歴史として刻まれたくなかった可能性も否定出来なかった。
「不幸であったと、同情されたくなかったのかもしれないな」
アレンは自身の中で対峙した存在を思った。目を瞑ることも背けることも出来なかった。当時の吸血族を襲った凶事。
自分達自身で選び取った最期を、納得していた筈だ。例外は白薔薇の夫だろうが、それであったとしても、あのまま生き続けることは実質無理だったのだ。
「最後の最期。何かがあったんだ。俺達では想像出来ない何かが……」
十人が選び取った《太陽の審判》という自身に下した結末。
消える選択をした。だが、銀狼は太陽に散ることはない。納得していても、納得出来なかったのではないか。
一人取り残され、生きていかなければいけない銀狼の始祖。吸血族と決別し、独自の道を歩む選択をし、今の土地に身を落ち着けたのだろう。
岩と砂と、日中は太陽の光が容赦なく照りつけ、夜は凍える寒さに身を晒す。不毛の土地のような場所を敢えて選んだ。
彼の心中はいかばかりだったのだろうか。仲間が目の前で太陽の光の元、灰に姿を変え、風が全てを運び去る。
アレンは小さく息を吐き出し、軽く頭を振った。結局、何一つ判っていないのだ。
シオンとルビィに足を向けると、徐にトゥーイを抱き上げた。
「寝かせてくる」
「僕も一緒に行くよ」
アレンとシオンは部屋を出て行った。残された三人は難しい表情を見せる。
「……記憶じゃなかったら、何なんだ。吸血族はどうやったって太陽には勝てない」
カイファスはぽつりと呟いた。銀狼の始祖は何かをしたのだろうか。散りゆく命に。残される自分と想いに後悔しないように。
「ファジールさん」
カイファスはファジールに視線を向けた。ファジールは首を傾げる。
「月華は扉に鍵が掛かっていない存在だよな」
カイファスの言葉にファジールは小さく息をのむ。
「銀狼はその逆、鍵がある存在だ」
ファジールは今の言葉に息が止まる思いだった。銀狼と月華が同じ存在であるとカイファスは言っているように感じたからだ。
「今のは、どう言う意味だ……」
カイファスは目を細めた。
「そのままの意味」
カイファスは微笑みながらそう答えた。
「訊きたいのはその事ではなくて、ファジールさんは扉の奥を直接見てるよな」
ファジールは目を見開いた。
「扉の向こう側に精神体は入り込めるのか」
その問いに、ファジールは首を横に振った。
「扉の向こうは濃い瘴気のような魔力の住処だ。とてもじゃないが、あの場所に入り込むのは無理だ」
ファジールは思わず答えた後に右手で口を覆った。本来なら絶対に口にはしない。
カイファスはそのファジールの様子に苦笑した。その姿はあのときのアレンと全く同じだったからだ。
「ジゼルさんがそうだってことは知っている。お祖母様に聞いたから。ゼロスが言っていた方法の一つに精神に潜るって言うのがあったから、鎌を掛けてみたんだ」
カイファスは黒の長に匹敵する黒い笑みを見せた。ファジールはまんまと引っかかった自分に嫌気が差した。
ルビィは目を見開き、カイファスの言葉を聞いていた。何を言っているのか理解が出来ないのが正直なところだが、何かとんでもない話しの内容のような気がした。
カイファスはファジールの答えに自分の考えが間違えていると判った。
扉の向こう側に行くのは無理だ。瘴気に近い魔力の中に、無防備な精神体が入れば一溜まりもない。
「……血の記憶じゃない……じゃあ、どうやって魂を残したんだ……」
その呟きに二人は息をのむ。
「どう言う意味だ」
ファジールはフィネイを見るために屈んでいた体を起こした。
「アレンとシオンは過去の自分達に体を貸したんだ。血の記憶なら過去の出来事を再現するだろう。だが、二人が口にしたのは今のことだ」
アレンが訝しんだのはそこだろう。夢なら記憶と言われても理解出来る。
「私達は何かとんでもない勘違いをしているのかもしれない」
アリスは消滅したとは言っていたが、何かがおかしかった。恨みを育てたと言っていたが、アレンとシオンの口を借り、語られた言葉に恨み辛みは感じられない。
《太陽の審判》は必ず消滅すると考えてしまう。実際に灰は風に運ばれてしまい、回収するのは不可能だ。
「だが、長い歴史の中で《太陽の審判》で魂を残した者は存在していない筈だ」
カイファスもそれは判っている。判っているのだが、何かが引っかかっていた。
†††
アレンはトゥーイを抱き抱え、シオンはその横をついて行く。アレンは不意にシオンに視線を向けた。
「残っていても良かったんだぞ」
「二人きりにさせたくなかったんだもん」
アレンは急に立ち止まった。いきなり歩みを止めたアレンにシオンが訝しむ。
「何だって」
「そのままの意味だよ。僕、妊婦だし、トゥーイは今男だけど綺麗だし」
心配でしょ、と微笑んで言って見せた。アレンは大きな溜め息を吐く。まかり間違って手を出したとしても、気絶している者を襲う趣味はない。
信用されていないのだろうかと、頭の中で変な考えが浮かんでくる。
「って言うのは冗談で、気になったからさ」
シオンが真剣な表情を見せた。
「僕達、勘違いしてるんじゃないかなぁ」
「どう言うことだ」
「僕達って代わりに生まれてきたって言われててさ、疑問を持つこともなかったんだけど、実際、目の当たりにして、違うんじゃないかって」
シオンは自身の中で対峙した黄薔薇を思い出す。独特の金の巻き髪に、空の青の瞳。遠巻きに見るだけの昼の空を映していた。
「さっきアレンが言ったように、消えてないのかもしれないって。完璧ではなくっても、存在してるんじゃないかって」
シオンは体の心配をしながら、それでも体を貸してほしいと言ってきた存在を思う。
「静かに眠りにつけるって言ってたな」
アレンの言葉に弾かれたように、シオンは顔を向けた。
「幸せか、って訊かれてな。言葉で言うのは間違えてると思って、微笑んでみたんだが」
アレンの中の者は憂いを帯びながら、それでも優しく嬉しそうに微笑んで消えていった。
「僕達って、もしかして本当に生まれ変わってるのかも」
再び歩き出し、シオンがそんなことを言った。
「根拠は」
「不愉快じゃないから。確かにさ、意識が入れ替わるのは気持ちのいいものじゃないんだけど、体は拒絶してないじゃない」
入れ替わることで体は悲鳴を上げたが、だるさを感じただけで、悪影響はなかった。
「完全な魂じゃなくて、もしかしたらだけど、僕達の魂の一部なのかも」
一階から三階に移動し、シオンがトゥーイのために用意された部屋の扉を開いた。
寝室に向かい室内に足を踏み入れるとシオンは掛布を捲った。
「ちょっと待ってね」
シオンは言うなりトゥーイの靴を脱がせた。アレンはそれを確認し、ベッドにトゥーイを横たえる。シオンはトゥーイに優しく掛布を掛けた。
「僕が付いてるよ」
シオンはアレンに顔を向けると微笑んだ。アレンは部屋を見渡し、窓の下に置いてあった椅子を運んできた。
「何かあったら呼べよ」
「判った」
アレンはシオンが椅子に座るのを確認してから、二人を残し部屋を後にした。
階段を下り、エントランスまで来ると、丁度ゼロスが戻って来たところだった。
軽く右手を上げる。ゼロスも答えるように手を上げた。
「上手くいったのか」
目の前まで来ると、ゼロスに問い掛ける。ゼロスは頷いた。
「嫌々みたいだな」
アレンが苦笑混じりに言うと、ゼロスはあからさまに溜め息を吐いた。
「当たり前だ。誰が好き好んで、眠りに就いた者を起こしたがるんだ」
「確かにそうだが、確かめて欲しいことが出来たからな」
アレンは真剣な表情を見せた。
「俺が始祖を起こす許可を取りに行ったのをエンヴィに聞いたのか」
ゼロスの問いに、アレンは頷いた。
「確かめたいこととは」
「真に目覚めた理由は黒薔薇に訊けと言われた。俺とシオンで出した結論が、血の記憶じゃないって事だ」
ゼロスは眉間に皺を寄せた。
「はっきり言え」
ゼロスが唸るように言った。アレンはゼロスの顔を見詰める。
「記憶にしてはおかしすぎるんだ。過去の事じゃなく、今の話しをしてる気がするんだよ」
確かに夢では過去の映像を見せられていたのは事実だ。
「吸血族は太陽には勝てないんだろう」
「ああ。身にしみて判ってるさ。だが、説明出来ないんだよ」
シオンから話しを聞くと、体の心配をしてくれたという。妊娠中に入れ替わるのは危険な行為だ。
ゼロスはアレンの右手の甲に視線を向けた。シオンを助けたときに太陽に灼かれた場所だ。自戒のためなのか、治癒力の強い吸血族でありながら痕が残ったままになっている。
「それで」
「《太陽の審判》を受けたときに何かがあったんだ。否、違うな。何かをしたんだ」
アレンは架空に視線を向けた。
「血の記憶もあるんだろうが、それだけじゃない」
アレンはゼロスに視線を戻す。
「それに、何故、俺達二人だけ現れたんだ」
「俺に訊かれてもな」
ゼロスは頭を掻いた。
「幸せか、と訊かれた。勿論、幸せだ。不幸を感じる要素はないからな」
きっぱりと言い切ったアレンに、ゼロスは破顔した。
「よどみがないな」
「当たり前だろ。まあ、幸せ云々以前の心配事なら沢山あるけどな」
アレンは腕を組んだ。ゼロスはすっと、真顔になる。
「仮に記憶でなかったとしたら、俺の立場は微妙になるな」
ゼロスの言葉にアレンは首を傾げる。
「お前達の前任者は体が存在していない。仮に魂が残っていたとしても器がない」
アレンは頷く。
「俺の場合、確実に存在しているんだ。今も《永遠の眠り》の中にある」
アレンは目を見開いた。
「カイファス……」
「そうだ。彼奴はどっちを取るだろうな。血に縛られているから俺から離れるのは無理だろう」
だが、心はどうだろうか。カイファスが出した結論に納得出来るだろうか。
「お前、嫉妬深いだろう」
アレンが呆れたように訊いてきた。
「彼奴に関して言えば、間違えない。かといって、無理強いするほど縛り付けたいとは思わないさ」
ゼロスは言ってはみたものの、目の前に突き付けられ冷静に判断出来るかは疑問だった。カイファスに向けていた想いは半端なものではない。
「はっきり言っていいか」
アレンは小さく溜め息を吐く。
「カイファスが向こうを取ったら、お前が獣化するような気がするが」
アレンは真顔で言ってのけた。
「それ、真顔で言うことか」
「言うことだな。って言うか、薔薇の夫って嫉妬深いんじゃないか」
アレンは自分を振り返ってみる。もし、シオンが別の誰かを選んだら嫉妬で狂ってしまうかもしれない。
「その言い方だと自分も入るんだぞ」
「自分も込みで言ってるんだよ」
ゼロスは苦笑する。アレンの言う通り、頭と感情は別問題だ。頭で納得していても、心は悲鳴を上げるかもしれない。
「そうかもしれないな……」
ゼロスは息を吐き出すように、言葉を吐き出した。
「……此処で話すような内容か……」
二人の背後でぽつりと呟く声が聞こえる。振り返ると、其処にいたのはエンヴィだった。
「さっきから、使用人達が回れ右しては迂回してる」
言われたことに二人は顔を見合わせた。
「見てたのか」
アレンの問いに首を振った。二人の姿を見付け近付いて行くと、使用人達が踵を返しては廊下を戻っていくのを見たからだ。
「話すなら部屋でしたらどうだ」
迷惑だし、とエンヴィは呟く。確かにエントランスでする話しではない。
「この時間に帰ってきたなら、寝てないんじゃないか」
エンヴィの疑問の声に、アレンはゼロスを見た。
「確かに寝てないな」
ゼロスは苦笑を漏らす。だが、仕事のときは当たり前のように寝ずに行動することが多い。慣れなのか、二、三日くらいなら寝なくとも平気になっていた。
「何があるか判らないし、休んどいた方がいいんじゃねぇか」
エンヴィが当たり前のことを言った。それを聞いた二人は目を見開く。
「まともになったな」
「前とは大違いだ」
ゼロスとアレンが口を揃えて言った。
エンヴィは二人の物言いに笑っただけで何も言わなかった。
「そうだな。寝るか」
ゼロスは体を大きく伸ばした。
「そうした方がいい」
アレンもエンヴィの意見に同意した。階段に向かうゼロスを見送っていたのだが、アレンはフィネイのことを不意に思い出す。
「ゼロス」
呼び止めたアレンにゼロスは振り返った。
「フィネイのことなんだが」
「何かあったのか」
アレンは頷いた。
「意識と体を切り離した。どうなるかは判らない」
ゼロスは眉間に皺を寄せる。
「トゥーイは」
「拒絶されたと思ったのか気絶した。今はシオンが側に付いている」
ゼロスは架空を見詰め、目を細めた。
「とりあえず休む。何かあったら叩き起こしてくれ」
「言われなくても、叩き起こすさ」
アレンは口の端を上げ笑う。ゼロスは肩を竦めながら、何時も使っている部屋に向かって歩いていった。
エンヴィは問いた気な視線をアレンに向ける。それに気が付いたアレンが付いて来るよう、顎で促した。
無言で歩きながら、仮眠室に向かう。
「……俺の香水のせいか」
エンヴィは沈黙に耐えられず、アレンに問い掛けた。アレンは立ち止まり振り返る。
「直接は関係ないな。ただ、考えることが出来るようになったんだろう」
エンヴィは顔をしかめた。
「元々、冷静に判断出来るタイプだった筈だ。瞬時に整理して結論を出したんだろう」
ただ、問題だったのが、トゥーイ本人を無視してしまったことだ。ちゃんとトゥーイのことを考えて出した結論だろう。しかし、その結論はあくまでトゥーイが変化する前の状態での判断基準だ。
「敢えて言えば、お前達の二の舞だな。お互いを見ていない」
きっぱり言い切り、アレンは再び歩き出す。
「トゥーイが意識を手放したことを考えると、結論を出したんだろうな」
「どちらのフィネイを好きかって事か」
アレンは頷く。普通に考えるなら、トゥーイが想いを寄せているのは、兄として育ったフィネイの方だ。もう一人の方ではないだろう。
「エンヴィ」
アレンは不意に訊いてみたくなった。ゼロス以外の薔薇と夫達には、自身の中に確実にもう一人が存在している。
アレンだけではく、シオンも表にもう一人が現れた。では、エンヴィとルビィはどうなのだろうか。再び立ち止まり、振り返った。
エンヴィはアレンが立ち止まったことに首を捻る。
「お前の中の存在はどうしてる」
エンヴィは軽く目を見開いた。
「どうして、俺達だけ現れたんだ」
ゼロスにしたのと同じ質問をした。するとエンヴィは呆れたように少し笑った。
「簡単だろう。お前達並みにお節介だからじゃねぇか」
エンヴィは当たり前だと言わんばかりに言ってのけた。
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