浅い夜・薔薇編

善奈美

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Ⅸ 満ちる月に白き淡雪

08 十三夜月

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 シオンの言葉にトゥーイは言葉を失った。確かに、フィネイの前から消えようとしていた。フィネイには婚約者がおり、焦がれる想いが生まれたとしても、それは余りにも空しすぎたからだ。

「ルビィもそうだったし」

 シオンは思い出すように呟く。

「でも、トゥーイの場合、お兄さんは凄い執着をしてるじゃない」

 ルビィは首を傾げる。

「確かにそうなんだけど、少し不自然に感じない」

 シオンが投げかけた疑問に二人は顔を見合わせた。執着しているのは確かだろう。

「エンヴィもそうだったけど、凄く不自然なんだ」

 必要以上に荒んでいたエンヴィ。諭され、正気に戻るとごく普通の青年に戻った。それは、己の中の何かに気が付いたからだろう。

「アレンがお兄さんはトゥーイが言っているようなことはしないって言っていたでしょう。でも、実際は縛り付けて、有り得ないことをしてるよね」
「それの何処がおかしいの」

 ルビィは全く判らなかった。トゥーイもまた同様に、シオンの言葉を理解出来なかった。シオンは何が言いたいのだろうか。

「極端なんだよ。まるで、違う人みたい」

 シオンは更に続ける。

「それに、エンヴィが言ったこと覚えてない」

 人差し指を唇に当て、シオンは問い掛けた。二人は考える。エンヴィは何を言っていただろうか。

「フィネイじゃない」

 シオンは一言簡潔に言った。

「お兄さんを連れてきたとき」

 ルビィは身を乗り出す。

「うん。ゼロスが大変なことになってるって言ったでしょう。多分だけど、お兄さんは乗っ取られてて、本来の姿じゃないのかも」

 トゥーイは呆然となった。

「此処で考えなきゃいけないのは、どうして乗っ取られちゃったのかってこと。カイファスが前の白薔薇の夫は狂ってたって言って、長様が肯定したよね。つまり、お兄さんが本来優しい人だったのなら、同情して取り込まれたんじゃないかと思うんだ」

 シオンの言葉にトゥーイは必死で考えた。何時から変わったのか。

 フィネイは優しい兄だった。

 細かいことが苦手なトゥーイは、薬師の仕事の繊細さに苦戦することが多かった。父親に呆れられるほどの不器用さ。何時も微笑みながら助けてくれたのはフィネイだった。

 何時まで経っても上手く調合できないトゥーイに、父親が匙を投げるのは何時ものことだった。

 一言で言えば、全く向いていなかったのだ。それでも、根気よく付き合ってくれた。

 仕事をしているときだけ、普段と変わらないフィネイだったのだ。だから、安心できたし、安らかな気持ちになった。

「兄さんは仕事の時だけ、昔のままの兄さんだった……」

 トゥーイの呟きに二人は口を噤んだ。そして、シオンは目を細める。

「何時から、仕事のときと、そうじゃないときに変わるようになったの」

 それとなく、記憶を呼び覚ますように誘導する。

 トゥーイはその言葉に記憶を遡る。

 襲われたのは何時だったのかと、必死で考える。

「一年前……」

 シオンとルビィは顔を見合わせる。

「そうだ。一年くらい前だ。急に変わったんだ。俺の前でだけ」

 顔を上げトゥーイはシオンを見た。

「白薔薇は過去、アルビノだった。これは事実だと思う。君達は双子じゃないけど、双子として育ったでしょう。多少の違いはあっても、過去をなぞらえていたとしたら」

 シオンの言葉にルビィは目を見開いた。

「後、忘れちゃいけないことがもう一つ」

 シオンは真剣な眼差しをトゥーイに向けた。

「想い、だよ」
「想い……」

 シオンは頷く。

「いくら代わりとして生まれてきたとしても、心が伴っていないと意味がないんだ。つまり、取り込まれたのは同情もあるんだろうけど、付け入る何かがお兄さんの中にあったんだよ」

 シオンはそれが一番の理由ではないかと考えたのだ。同情だけでは説明出来ないことがある。完全に体を明け渡してしまった本当の理由がある筈なのだ。

 フィネイの表情が変わったのは何時からだっただろうか。元々穏やかで、物静かだった。どんな事をしてもそつなくこなし、微笑む姿。

 違和感が生まれたのは婚約後だった。基本的に女性からの申し出を断れないのが吸血族の男性だ。フィネイも同様に申し出を受け入れた。

 その後から、顔から何時もの微笑みは消えた。確かに笑っているのに、前と何かが違う。翳りを帯びた微笑みがおかしいと思いながらも、それに慣れてしまうと気にもならなくなったのだ。

 少しずつ、けれど確実に何かが崩れていく。

 少しずつ、フィネイが変わっていった。表と裏の顔が現れ、トゥーイと居るときに牙を剥いた。

「婚約後だ……はっきりと変わったのは……」

 シオンはいきなり視界が暗くなった。貧血かと思ったが、それは有り得なかった。

 今日もアレンから血の食事をした。妊娠してからの毎日の日課だ。貧血で目眩を起こす筈はない。

――ゴメンナサイ……体ヲ貸シテ……

 脳裏に浮かんだのは一つの姿。シオンと全く違う姿。独特の金の巻き髪が印象的だった。

『白薔薇は、フィネイは優しかったわ』

 シオンがそう言いながら目を細めた。幼さが残る顔に現れたのは何時もと違う表情。声も全く違う者だった。

「シオン」

 ルビィは訝しみ腰を浮かせる。静かに視線を向けたシオンにルビィは息をのんだ。

『出てくるつもりは無かったのだけど』

 少し寂し気な表情が胸を締め付けた。

「黄薔薇……」
『そう呼ばれていたわ』

 トゥーイは困惑した。そして、はっきりと認識した。この変わり方はフィネイと同じだったのだ。

『判ったかしら。貴方のお兄さんは今と同じよ。ただ、フィネイは狂ってしまったから。血に刻まれたのは狂気の想いだから』
「フィネイ……って」

 トゥーイは混乱した。

『長くは留まれないわ。この子は妊娠しているから。私が現れたら体力が保たないから。ただ、一言』

 シオンは一度、瞳を閉じた。小さく息を吐き出し、再び瞳を開く。

『貴方が愛したのは、どっちのフィネイなのかしら。見誤ると、大切な者は消えてしまうわよ』

 悲し気に微笑み、シオンの体が揺らいだ。

 ルビィは慌ててシオンに駆け寄り体を支えた。今、地面に体を叩き付けでもしたら大変なことになる。

 ルビィに体を預け、シオンは頭を押さえた。

「大丈夫」

 心配気に聞いてくるルビィに、シオンは顔を上げた。

「平気……判ってるから」
「判ってるって」

 ルビィはシオンの顔を覗き込む。

「体を貸してって言われたから」

 シオンは体の力を抜くように息を吐き出した。そして、アレンのことを思った。体が異常に怠い。それでも、意識を失わなかったのは、シオンを思い全てを奪わないでいてくれたおかげだ。

「アレンは……」

 シオンは呟くと顔を上げた。気が付くと、トゥーイも心配そうにシオンを覗き込んでいた。

「本当に平気なのか」

 トゥーイは自分がシオンに負担を強いと判っていた。悩んでいたトゥーイを見かねて出て来たのだろう。

 シオンと表情や雰囲気が全く違っていた。憂いを身に纏い、それでも、優しい印象をトゥーイは受けた。

「平気だよ」

 シオンは何時もの調子で口を開くと、二人を交互に見、微笑んだ。

「無理しないでよ」

 ルビィの言葉に小さく頷く。

 少し青冷めた顔を見せたくなくて、シオンは俯く。

 体の力がごっそり、削ぎ取られたような感じがした。ほんの数分でこれなのだ。しかも、シオンは抵抗ぜずに受け入れたにも関わらず、半端ない疲労感が体を襲う。

 アレンが意識を失い倒れた理由。

 シオンは今、体験したことで理解した。アレンは何らかの理由で一時、意識が入れ替わったのかもしれない。

 シオンとは違い、長い時間、入れ替わっていたから意識を失ったのだ。体験したからこそ、はっきりと判る。

 もしかして、目覚めてる……。

 シオンはその考えに行き当たり、ルビィに視線を向けた。ルビィはシオンの顔色の悪さに慌てたが、どうすることも出来ないことに溜め息が漏れる。

 アレンでなければシオンを癒せない。

「ルビィ」

 シオンに名を呼ばれ、ルビィは小首を傾げた。

「夢を見るって言ってたよね」
「毎日じゃないけど、結構な頻度で見るよ。どうして」

 ルビィの答えにシオンは目を細めた。

 シオンが夢を見始めたのはアレンと結婚してからだが、正確には一年ほど前からだ。

 フィネイがはっきり変化したのが一年ほど前だとすると辻褄が合う。

 本来なら目覚めていたとしても表に現れる筈がなかった。だが、白薔薇が覚醒を始めた一年前、事態が予想外の方向に流れたのかもしれない。

 予想していなかった訳ではないだろう。狂ってしまった白薔薇の夫に、危惧を抱いていた筈なのだ。

「夢って一年前くらいから見始めなかった」

 シオンの問いに、ルビィは目を見開く。言われてみればそんな気がした。エンヴィも一年前くらいから、不機嫌な様子で目覚めることが多くなっていた。

 フィネイの中で少しずつ力を増していったもう一人のフィネイ。

 入れ替わるようになったのが一年前。そして、おそらく、婚約したのがその時期だったのではないだろうか。

「お兄さんが婚約したのって、もしかして一年前かな」

 シオンはルビィに体を預けたままトゥーイに顔を向けた。

「そうだけど」
「僕の仮説になっちゃうけど、お兄さんはトゥーイが好きだったんだ」

 否、とシオンは小さく首を振った。

「好きだったんじゃないね。愛していたんだ」

 トゥーイは動きが止まった。息をするのも忘れた。

「多分、婚約を受けたのは吸血族の事情が大きいんだろうけど、それだけじゃなかったんだ」
「どう言うこと」

 ルビィは訝しんだ。首を傾げ怪訝な表情を見せる。

「もし、他人だと知っていたら、想いを告げたかもしれない。でも、婚約したときは知らなくて、隠し通すつもりで受けたのだとしたら、乗っ取られた理由が判るよ」

 もう一人のフィネイは囁いたのだ。体の内から、狂った想いのまま、深淵に引きずり込むように。

「告げないと決めていたとしたら、兄として居続ける決心をしていたとしたら、諦めていた心に付け入ったのかもしれない」

 トゥーイはシオンの言葉に体が小刻みに震え出す。

 シオンは改めてトゥーイをしっかりと見据えた。トゥーイの気持ち一つで、フィネイの今後は決まってしまうだろう。

 体は確かに残るかもしれない。問題は中身だ。シオンと入れ替わり、告げた内容がそれを知らしめていた。

「どっちのフィネイが好きなの。優しい方、それとも、強引な方」

 シオンは青冷めた顔で、きっぱりと訊いてきた。その強い意志を宿す声音に、トゥーイは息をのむ。

「君の気持ちで消える方が決まるよ」

 ルビィは驚き、弾かれたようにトゥーイに視線を向けた。

「……俺は……」

 トゥーイは完全に困惑した。頭の中で話しの内容を整理出来ない。一気に与えられた情報に付いていけなかった。

「……考えて、君だけじゃなく、お兄さんの今後も決まるんだ」

 まさか、フィネイを放置したまま眠る訳じゃないよね、とシオンはきつい口調で言葉を投げつける。

「……考えが……」

 トゥーイは纏まらないと、途方に暮れる。

「判るよ。どうすればいいか考えが纏まらないんでしょ。でも、早く答えを出さないと手遅れになるかもしれない」

 シオンは目を細め、諭すように言った。

 ルビィは不意に呼ばれたように感じ、館の方に視線を向けた。此方に歩いてくる数人の人影が見える。

「みんな来たみたいだよ」

 ルビィの言葉にシオンは見上げた後、顔を視線の先に向けた。確かに誰かが近付いてくる。

 シオンが顔を向けたことで、一人、凄い速さで近付いて来た。

「カイファスだ。って……っ」

 ルビィは思わずシオンを抱き締め、身を引いた。カイファスが凄い形相で走り込んでくる。シオンも気が付いたのか、ルビィにしがみついた。

「顔色が悪いっ」

 息を切らし、カイファスが言ったのはシオンの顔色だった。

「アレンが居ないと思って無茶したなっ」

 凄い剣幕で言い放つ。

「……僕、無茶してないよ……」

 シオンは更にルビィにしがみつき、困ったように眉を下げて小さな声で反論する。

「じゃあ、その顔色は何っ」

 ルビィは小さく溜め息を吐いた。シオンは意識して無茶をしたわけではない。

「そこまでにしてあげて。シオンは体を貸しただけなんだ」

 ルビィは困ったように言葉を吐き出した。

 ルビィの言葉にカイファスは目を見開いた。

「何だって……」

 カイファスの表情にルビィが感じた素直な感想は、怖いだった。綺麗な顔立ちの者が睨むと、ここまで怖いのかと実感出来る。

「シオンは本当に無茶はしてないんだ」
「体を貸す行為は無茶になるんじゃないか」

 カイファスが唸るように紡いだ言葉に二人は口を噤んだ。

「アレンがどういう状態だったか判っているよな」

 二人の顔を覗き込み、カイファスは目を細める。その言葉にシオンは素直に反応した。

「やっぱり、そうなのっ」

 シオンはカイファスを見詰め、慌てたように訊いてきた。カイファスはシオンの様子に、目の前の三人がその事実を知らないことに気が付いた。

「そうか。知らないんだったな。お祖父様が教えてくれたから」
「うん……」

 シオンは心配そうにカイファスを見上げる。

「今は旦那の心配じゃなく、自分だろう」

 いきなり鼻を摘まれ、シオンはきつく両目を瞑り、顔をしかめる。

 振り返ったカイファスの目に映ったのは、盛大に溜め息を吐くファジールの姿だった。

 ファジールはルビィからシオンを抱き上げる。

「あれほど無茶は駄目だと言ってあっただろう。安定期に入っても安心は出来ないんだぞ」

 義父に窘められ、シオンは肩を落とした。

「……ごめんなさい」

 呆れたようにシオンを見詰め、次いでルビィに視線を向けた。

「手間をかけたな」
「僕は支えただけだから」

 大丈夫なのかと問うルビィにファジールは微笑んだ。

「詳しくは判らないが、大丈夫だろう」

 再びシオンに視線を向け、有無を言わせないようにきっぱりと言い切る。

「今日はアレンと休むんだ」
「でも……っ」

 ファジールの目が細められ、シオンは口を噤む。

「すまないな」

 ファジールはそこに居る者達に一言言いおき館に消えていった。

 それを見送り、盛大に溜め息を吐き、腕を組んだのはカイファスだった。

「で、入れ替わってシオンが言ったことは何だったんだ」

 ルビィに視線を向け、カイファスは問い掛けた。ルビィは立ち上がるとトゥーイを見下ろす。

「トゥーイに愛しているのはどっちのフィネイか、って」

 カイファスだけじゃなく、一緒に来ていたゼロス、エンヴィ、黒の長は目を見開いた。

 ルビィはシオンが言っていたことを、思い出せる限り話した。

 フィネイがはっきり変わった時期と、夢を見始めた時期が重なること。トゥーイの気持ち一つで、フィネイの今後が決まってしまうこと。

「……シオンって凄いなぁって思った。僕なんて何も気が付かなかったもの」

 ルビィは俯き、ぽつりと呟く。

「ルビィ」

 黒の長は穏やかに名前を呼んだ。ルビィは躊躇いがちに顔を上げ、黒の長を見る。

「シオンは他の者と育ち方が違うのですよ」

 判っている筈ですね、と黒の長は諭すように言った。

「シオンは察知することで自身を守っていました。だからこそ、誰も気が付かないことに気が付くのですよ」

 黒の長は居たたまれない思いに溜め息を吐く。

「凄いのではなく、シオンにとっては生きる術だったのです。身に付けたくて身に付いたのではありませんよ」

 今のシオンは幸せそうに笑っている。幼いときに受けた傷を抱えたまま、それでも、泣き言一つ言わない。

「だからこそ、アレンもファジールもジゼルも、必要以上に干渉するのですよ」

 黒の長はただ、笑みを浮かべる。

「トゥーイ」

 黒の長はトゥーイに視線を向けた。トゥーイは体を硬くさせた。

「はい……」

 ただ返事を返し、見返す。

「お前達を双子として育てたのは苦しめるためではありませんよ。ただ、幸せになってもらいたかったのです。お前が生まれたとき、周りは大騒ぎしました」

 アルビノは滅多に現れない。それは月華と割合的には変わらない。だからこそ、神経質になった。

 一番影響を受け、負担を強いるのは母体だ。しかも、誕生するまで判らず、出産後、気が付いたときは手遅れだ。

「本当の両親のことは聞きましたね」

 トゥーイは小さく頷き、俯いた。

「アルビノであったお前は、その中でも例がないほど色素がない状態で生まれました。その意味が判りますか」

 その問い掛けに、素直に首を横に振る。

「完全なる色素欠乏は体の機能が著しく低い。そのために、強い魔力を宿して生まれてくる」

 カイファスは事実を淡々と語った。

「母親の体内で育まれている時点で、赤子は生きるために魔力を無意識に使い体を保持しようとするんだ」

 カイファスはトゥーイを見詰める。

「普通なら、母体が保たない。それでも、お前は生まれてきた。つまり、母親だけではなく、父親も負担を担ったんだ」

 トゥーイは驚いたように顔を上げた。カイファスはゼロスに視線を向けた。

「俺はアルビノのことはよく判らないが、仮にそうだとすると、父親もお前の魔力を半分引き受けたんだろう」

 黒の長は驚いたようにゼロスを見詰めた。

「で、母親はどうなったんだ」

 ゼロスはカイファスに問い掛けた。

「眠りについたんだろうな。父親も一緒だろう」

 カイファスは知識として答えた。

「無意識であったとしても、父親は母親の負担を軽減したんだ。そうなれば、当然、母親だけでなく父親も同じ症状になっていた筈だ」
「でもっ……父さんはそんなことは言ってなかったっ」

 トゥーイは驚きに立ち上がった。

「普通、母親に目を向けても、父親にまでその症状が現れると認識されていない。一緒に眠りについたのは、迷惑を掛けないためだったんだろう」

 黒の長は小さく横に首を振った。いくら訊いても答えてくれない、その内容に意味があるのだろう。薔薇と夫達が口を噤む内容。

 訊いても答えを得られない以上、諦めるしかない。

「シオンがお前に告げた言はお前自身が決めなければいけません。確かにお前達の今後で他の薔薇達のことも決まってしまいますが、一番考えなければいけないのは自身ですよ」

 偽りを課したところで、結局はしわ寄せがくるのだ。

「素直になってごらんなさい。家族として育っただとか、兄であったとかではなく、素直に自分の気持ちに向き合うことです」

 黒の長は空を見上げた。空に月を残したまま、東の空が白み始めている。

「館に戻った方が良さそうですね。夜が明けます」

 カイファスは黒の長に視線を向け、目を細めた。

「結界は大丈夫なの」

 カイファスの問いに、黒の長は微笑んだ。

「お前達のおかげで、多少の自由がきくようになりました」
「カルヴァスか」

 ゼロスの言葉に黒の長は頷いた。

「アリスもいますし、大丈夫ですよ」

 黒の長は全員を促し、館に足を向けた。

 トゥーイは最後尾を歩きながら、シオンに投げ掛けられた言葉を考えていた。その事実に、混乱よりも納得している部分が大きかった。

 フィネイから穏やかな微笑みを奪ったのは婚約だったのかもしれない。だが、真に奪ったのはトゥーイの存在だ。

 今まで何一つ気が付かなかった。襲われ、囁かれ、与えられた言葉。あれは、告げずにいるつもりの想いだったのかもしれない。

 全てをひた隠し、受け入れ、諦めを抱いたまま結婚するつもりでいたのだ。だから、婚約を受け入れ、憂いを秘めた表情を見せるようになったのだ。

 トゥーイは唇を噛み締める。何時も、気が付くのが遅すぎる。鈍感だと言われればそうなのかもしれない。

 知らず、目頭が熱くなった。泣きたいのだと、体が要求している。

 前方に視線を向けると、ジゼルが立っていた。

「すみませんが、部屋を借りますよ」

 黒の長の言葉にジゼルは頷いた。

「用意してあります」

 そう言うと、黒の長の後ろに居るカイファス達に視線を向けた。

「貴方達は自分達の部屋を使ってね。使えるようにしてあるわ」

 微笑みを浮かべる。

「トゥーイの部屋はアレン達の部屋の隣に用意してあるわ」

 案内してあげて、と言われ四人は頷いた。

 エントランス正面の階段を上がり、黒の長とジゼルは二階で目的の部屋に向かおうとしていた。

「アレンから伝言を聞いているのか」

 不意にゼロスが黒の長を呼び止めた。振り返った黒の長は訝しみながら首を振る。

「誰からのですか」
「白の長だ。明日来ると伝えるように言われた」

 黒の長は何を考えているのか判らない表情を浮かべる。

「そうですか。判りました」

 それだけ言うと、ジゼルと共に歩き出す。その姿を見送り、三階へ上がると目的の場所まで歩を進めた。

「アレン達の部屋はそこだ」

 ゼロスは言うなり、一つの扉を指差した。

「正面の扉が俺達が何時も使っている部屋で、隣がエンヴィ達だ」

 カイファスはゼロスの説明を聞きながら、一つの部屋の扉を開いた。そして、苦笑を漏らす。

「どうしたの」

 ルビィはカイファスの表情を見、次いで室内に視線を向けた。見るなりルビィは声を漏らす。

「僕達の部屋も凄いけど、此処も凄いね」

 ルビィの呟きにゼロスとエンヴィも部屋を覗き込む。二人も苦笑いを浮かべた。

 何も判っていないトゥーイは困惑した。

 カイファスに促され室内を見ると、はっきりと判るほど体が硬直した。

 室内を飾る全てに薔薇があしらわれていた。家具などは備え付けの物なので落ち着いた色合いなのだが、カーテンやカーペットといった品はセピアの色に乳白色の薔薇を刺繍した物が使われている。

 明らかに、トゥーイをイメージしたものだろう。

「ジゼルさんって、凝り性だよね」

 ルビィは不意にトゥーイを見た。完全に動きが止まり、驚きを通り越えてしまった表情をしていた。

 固まったままの表情でカイファスを見る。

「みんなの部屋もこうなのか」

 確認するように問うて来た。

「そうだ。私は黒薔薇だから、黒薔薇。ルビィは赤薔薇。この部屋はトゥーイ専用って事だな」

 その言葉に完全に思考が停止した。

「寝室も凄いよ」

 ルビィは言うなり隣接している観音扉を開く。目に飛び込んでくるベッドに更に苦笑する。

 思っていた通りだったからだ。よく、一日で揃えたものだと感心する。もしかしたら、事前に用意でもしていたのだろうか。

「一人部屋じゃないよな」

 トゥーイは呆然と呟いた。

「二人部屋だ」

 ゼロスがトゥーイの頭上で答えた。トゥーイはどう感情を出して良いか判らなかった。ジゼルは何を思い、この部屋を用意したのだろうか。

 そのトゥーイの様子にカイファスは小さく息を吐き出した。明らかに戸惑い、感情の捌け口を失ってしまったトゥーイを見やり、ゼロスに視線を向けた。

「今日は一人で寝てくれるか」

 カイファスの確認の言葉にゼロスはトゥーイを見下ろす。

「今回は仕方ないか」

 溜め息のような言葉を吐き出す。そして、ルビィはエンヴィを見詰めていた。エンヴィも小さく息を吐き出した。

「好きにしろ」

 エンヴィの言葉にルビィは嬉しそうに頷いた。

「カイファス」

 ゼロスは思い出したようにカイファスを呼んだ。

「何だ」
「俺はこのまま銀狼のコロニーに向かう」

 カイファスは息をのみ、ゼロスに何かを言おうと口を開こうとした。それを、ゼロスが遮る。

「判っている。安心しろ」

 カイファスは自分を落ち着けるように息を吐き出した。

「確認するのか」

 エンヴィは視線をゼロスに向けた。

「ああ。はっきり覚えていないんだが、始祖を目覚めさせるのに条件があった筈なんだよ。俺が族長になれば判っただろうが、剥奪されたからな」

 その言葉にカイファスは動揺した。自分とのことがなければ、ゼロスは今頃、族長の座にいたのだ。

「おいっ」

 沈んだ表情のカイファスにゼロスは不機嫌な顔を向けた。

「俺は自分の意志でお前を選んだんだ。気に病むのはよせ」

 ゼロスはきっぱりと言い切った。
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