浅い夜・薔薇編

善奈美

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Ⅸ 満ちる月に白き淡雪

03 三日月

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 いきなり掴まれた腕に驚き見上げた。何時もと違う表情を見せるその姿に、自然と体が震えた。

「何……」

 トゥーイは背が頭一つ分大きい顔を見上げた。

 急に腕を引っ張られ、唇に触れた柔らかい感触に目を見開いた。良く知った顔が目の前にある。

「……はなっ」

 何とか体を少し離し、口を開いたのだがそれが不味かった。少し開いた唇から、温かく柔らかいものが入り込む。

 さっきよりも深く唇が合わさり、口内を何かが這い回る。眉間に皺を寄せ、必死で離れようとした。

 今まで味わったことがない感覚。自分以外のものが体内に侵入した感触に素直に反応した。

 最初こそ違和感があり体が拒絶したのだが、無理矢理続けられる行為を体が受け入れ始める。

 きつく目を瞑り、体の震えに必死で耐えた。

 やっと離れた唇に安堵の息を吐き出したのだが、後頭部に手の平の感触を感じたときには既に遅すぎた。

 更に触れ合った唇は、さっきよりも深く合わさり息をするのも難しかった。何とかして離れようと試みるも、力の差がそれを許してはくれなかった。
 

      †††


 トゥーイは自分に注がれる視線に居心地の悪い思いをしていた。

「血の摂取がなければ女性にはならない。女の姿で現れたってことは、好意を持っている者の血に触れた証拠だ」

 頭上から容赦なく降ってきた言葉に、トゥーイは唇を噛み締める。

「逃げてきたんだってことも判ってるよ」

 黒髪の女性、カイファスが落ち着いた声音で言った。

「普通、混乱するからな」

 カイファスは腕を組み、溜め息を吐く。だが、カイファスはトゥーイの様子に疑問を持っていた。

 最初に変化するときの激痛は計り知れない。三人の中で一番の痛みを体験しているのはルビィだ。

 だが、トゥーイは普通と変わらない。つまり、変化した後も血に触れている可能性があった。

「訊きたいんだが」

 静かにしていたファジールが口を開く。トゥーイは声の主に視線を向けた。

「知ってしまったのか」

 トゥーイは目を見開く。その訊き方では普通なら理解出来ないだろう。だが、トゥーイは違った。体が小刻みに震え、みるみるうちに青冷めていく。

 アレン以外の五人は驚いたようにファジールを見た。ファジールは真剣な眼差しをトゥーイに向け、次いで、アレンを見た。

「お父さん」

 シオンは不思議そうに見上げる。

「トゥーイは双子なんだよ」

 アレンが静かな声音で告げた。だが、トゥーイの様子がおかしい。アレンとファジールは確信した。

「表向きはな」

 アレンは目を細めトゥーイを見下ろした。

「どう言うことだ」

 ゼロスは眉を顰めた。アレンとファジールの言っていることが理解出来なかった。

「おそらく、此奴の兄貴を見たら判る筈だ。血族ならば似ているところが必ずあるからな」

 トゥーイは両手を握り締め、震えることしか出来なかった。

「……他人、なのか」

 エンヴィは意外な言葉を聞いたように問い掛ける。

「そうなる。生まれた日は同じだ。兄貴は此奴と正反対の色をしている」

 白髪のトゥーイの兄は黒髪だった。

「どうして、知った」

 アレンは知っていた。他人同士を双子の兄弟として育てるため、本人達の気持ちを考慮し、事実を知る者は口を噤んだ。

 トゥーイは体をびくつかせた。知らなければ、あの場所に居られた。知ってしまったから、何かが変わった。

「お前等の誕生に関わった者と関係者しか知らない情報だ。余程でない限り噂にすらならなかった筈だ」

 トゥーイはきつく目を瞑った。情報源は、一番近い存在だったのだ。

「アレン、トゥーイは口を割りませんよ」

 おっとりとした口調が耳に入り、皆が一斉に扉に視線を向けた。そこにいたのは黒の長とその妻。

「言える筈がありませんからね」

 その言葉に皆、目を見開く。

 アリスの存在に皆は固まった。普段は出歩くことがない。その存在が現れた理由。

「大丈夫なのか」

 ゼロスがカイファスの耳元で囁いた。

「お祖父様も一緒だから、でも……」

 カイファスは目を細めた。

「結界を解いて貰えるかしら」

 アリスは黒の長を仰ぎ見ると、微笑んだ。

「無茶はしませんね」
「多少はするけど、此処にいる子達は私に害をもたらさないわ」

 アリスはしっかりと前を見据えた。トゥーイは絶対に口を割らない。黒薔薇の結界に触れた瞬間、アリスは理解した。

 二つの結界内にいるアリスは他部族を視ることは出来ない。だが、黒薔薇の結界内に入ってしまえば話しは別だ。

 黒の長はアリスに貼っていた結界を解いた。瞬間、沢山の情報がアリスの中に流れ込む。だが、アリスは微笑んだ。不快なものは殆ど無い。

 ゆっくりと歩を進め、アレンの前で立ち止まる。アレンはすっと体を横に移動させた。

「視せて貰うわ」

 アリスは言うなりトゥーイの両頬を包み込んだ。トゥーイは目を見開き、判らない恐怖に体が震えた。

 アリスの瞳が金の色に染まる。現在を視た後、過去が脳裏を掠めていく。

「貴方は双子だと疑わずに育った。けれど、兄は違った」

 アリスは静かに語り出した。

 トゥーイは疑うことなく幼少期を終え、兄に婚約者が出来たことを素直に喜んだ。吸血族が同族と結婚出来るのは幸運だからだ。

 だが、兄は違った。

「兄は貴方に執着した。無理矢理貴方を手込めにした」

 トゥーイはアリスの口から放たれる声に恐怖した。視るとは何であるのかを、はっきりと理解した。

「嫌がる貴方を組み敷き、そして……」
「……やめて……」

 トゥーイは震える声で哀願した。両親すら知らない事実。兄との関係を知っている者は居ない。それが、白日の下に曝される恐怖は計り知れなかった。

「事実は受け入れなければ。何故なら貴方は薔薇だから」

 アリスは落ち着いた口調で呟くように言った。

「薔薇は不幸になってはいけないのよ。吸血族のために」

 トゥーイはジゼルが言っていたことを思い出す。けれど、口にして貰いたくなかった。
「兄は貴方を自分のものにし、そして、縛り付けた」

 トゥーイは血の気が引いていくのを感じた。体が異常に冷たく感じる。

「行為の後、意識すらはっきりしない貴方に血を飲ませた」

 アリスの口にした事実にそこに居た者達は凍り付いた。

「口移しで。気が付いた貴方は動かない体で洗面所に向かい血を吐き出したわ。水で口を濯いで。でも、完全じゃなかった」

 トゥーイは兄が狂っているように見えた。婚約者が居るにも関わらず、全く関心を見せなかった。

 トゥーイに対する独占欲は異常だった。トゥーイは確かに家族として兄を愛していた。それ以上の感情はその時点では全くなかったのだ。

「家族として愛していた貴方の中で、ある事実が知らされたとき変化したわ。双子ではなく、両親だと思っていた者達は本当の両親ではなかったと」

 トゥーイは両目が熱を持ち始めていた。瞳が潤み、視界がぼやけ始める。

「貴方にその事実を教えたのは彼」

 アレンとファジールは目を見開き、互いを見詰めた。二人にとってその事実は有り得なかったからだ。

「そして、貴方の全てが変わった。兄を見る目も、両親に対しても。無理矢理与え続けられた血はその情報と気持ちの変化に反応を始めた。満月の光で性別が変わった」

 トゥーイは耐えられなかった。大抵のことならば耐えられた。今までも生まれの特殊さで特別視されていた。だから、余程でない限り動揺はしない。

 そのトゥーイをもってしても性別の変化は耐えられなかった。今まで満月の日に逃げたことはなかったが、誰にも会えない状況に必死で他人から逃げた。

 涙が頬を伝う。

「泣く必要はないのよ。此処にいる三人も貴方同様に傷付いた。一人で抱える必要も、苦しむ必要もない」

 アリスは優しい声音で宥める。だが、トゥーイは首を横に振った。

「……兄さんには婚約者がいる。だから、俺は必要ない……波風を立てるくらいなら、消えた方がましだ……っ」

 トゥーイはごたごたが起こることだけは耐えられなかった。今までだってアルビノと言うだけで、育ててくれていた者達に迷惑を懸けていた。

 これ以上の面倒事に巻き込みたくない。

「死なれては困る」

 その声にトゥーイは息をのんだ。

「早かったですね」
「使い魔を寄越してくれたからな」

 黒の長は声の主の後ろに視線を向けた。

「連れてきたのですね」

 のんびりと黒の長は確認した。

「ああ。本人の目を盗んでな。さっき言っていたことは本当なのか」

 黒の長は声の主、白の長を見詰めた。

「信じられないかもしれませんが、アリスの力は本物です。事実でしょうね」

 黒の長はトゥーイを見詰めた。驚きに目を見開き、固まったまま凝視していた。

 白の長と一緒に来たのは育ての両親。兄であるフィネイの両親だった。

「……長様……」

 トゥーイは唇を戦慄かせた。どんなに逃げたくとも、逃げ道はなかった。

 ゆっくりと歩を進め、白の長は室内に足を踏み入れる。アリスはトゥーイから離れ、体を横に移動させた。

 そうすると、トゥーイの姿がはっきりと視界に入る。雪のように真っ白い髪。血の色を宿した瞳。だが、その姿は男ではなく女の体だった。

「トゥーイ」

 名を呼ばれトゥーイは混乱した。両手で頭を抱える。

「死ぬことは認めない。勿論、《永遠の眠り》もだ」

 白の長はトゥーイに近付き、右手に持っていた物を見えるように差し出した。手の中にあった物。それは透明な薔薇。吸血族が眠りにつくときに胸に抱く。

「《眠りの薔薇》」

 ファジールは愕然としたように呟いた。長達の元に届けられる薔薇は、眠りにつくことを望んだ者が現れたときに届けられる。

 アレンは目を細めた。死ぬのではなく、姿を消す唯一の方法。《血の狂気》を避け、眠ることが出来る。トゥーイは無意識に望んだに違いなかった。

「黒の預言者の言葉は絶対だ。言われたことに間違いは無いな」

 白の長の問い掛けに、トゥーイは力無く頷くしかなかった。

「迷惑を掛けた」

 白の長は横にいるアレンに視線を向けた。アレンは気になっていることがあった。

「婚約者がいると言っていたな」

 アレンだけでなく、その場に集まった者も気になっていた。

「どうするつもりだ。言っておくが、女性化した者は変化を担った者以外の血は受け付けない。毒だと言っているからな」

 アレンが口にした言葉に息をのんだのは両親だった。

「消えることも、眠ることも認めないなら、其奴と一緒にさせなきゃならない」
「そのつもりだが」

 今まで口を噤んでいたゼロスが眉を顰めた。

「問題はそれだけじゃあないだろうがっ」

 我慢出来ずに口を開いた。白の長は振り返る。

「無理矢理血を飲ませたんだ。親の前で言うのもなんだと思うが、其奴は狂ってる。二人を一緒にさせても、トゥーイが幸せになれる保証はない」

 エンヴィも頷いた。

「独占欲だけではどちらも不幸になるんじゃねぇか」

 エンヴィは静かに言った。

 アレンは腕を組んだ。問題は血を摂取した時期だ。その時期にフィネイは事実を知った。

「トゥーイ」

 アレンは前を見据えたまま名前を呼んだ。

「兄貴が変わったのは何時頃だ」

 アレンはトゥーイに視線を向けた。トゥーイは問われたことに困惑する。

「どう言うことだ」

 意味が理解出来なかった。

「つまり、強い執着をみせるようになったのは何時頃なんだ」

 トゥーイは目を見開いた。小さく息をのみ考える。昔からではない。幼いときは違ったような気がした。

「生まれたときから一緒だった。まあ、少なからず執着してただろう。いきなりは有り得ないからな。それに拍車をかけたのは双子じゃなかった事実だ。他人だと知ったとき、何かが変わったんだよ」

 一番驚いたのは両親だった。近くにいながら全く気付いていなかったのだ。

「吸血族は同性の恋愛感情は一般的だからな。不思議な事じゃないし、禁止もされていない。だが、兄弟の場合大抵躊躇する。そのたがが外れれば暴走するだろう」

 アレンはきっぱりと言い切った。

「血で縛り付けるほどの独占欲、ですか」

 黒の長は目を細めアリスを見た。アリスは小さく頷く。

「薔薇は元々、女性として誕生する筈だった。ただ、吸血族はある時、全てが狂ってしまったのよ」

 アリスは静かに語り始める。皆は口を噤んだ。

「始まりは吸血族に蔓延した病。女性のみを襲い、種としての存続が危うくなった。捻れた理由は五人の薔薇と五人の夫を苦しめたことと、吸血族以外の種族が関わったこと」

 アリスは目を閉じた。此処にいるのは過去を清算するために必要な者達。

「薔薇は過去を繰り返す」

 再び目を開き、トゥーイを見詰めた。

「五人の薔薇の中で一番苦しみ、歪んだのは白薔薇だったのよ。貴方達とは違い、本当に双子だった。同じ時に母の中に生まれ、同じ色で誕生した。けれど二人に肉体関係は無かったわ。つまり、吸血族を救うため、愛しい者に愛されたことのない白薔薇は最後まで苦しみ、最終的に怨みを育ててしまった」

 トゥーイは目を見開いた。吸血族を救うためという名目で陵辱され続け、散っていった薔薇と夫達。

「歪み苦しみ、その全てを貴方の兄は背負う形になってしまった。愛情が歪んでしまったのも、縛り付けてしまうのも、過去のもう一人の自分が感じた渇きのため」

 トゥーイは息をするのも忘れた。ただ、体が小刻みに震え、冷や汗が背を流れていく。

「そして、貴方が苦しむのは過去愛した者を裏切ったという後悔のため。薔薇達に非はなかったのに、理不尽に踏みにじられただけなのに、感じてしまった思い」

 再び生まれ、他人として出会った二人は形だけとは言え双子という境遇だった。

 繰り返される悲劇。

「全てを知らせ歪みを正すために私はいる。だから、貴方は兄として側にいた者と幸せにならなければならない」

 アリスは小さく笑った。黒薔薇も黄薔薇も紅薔薇もあるべき姿になった。此処で駄目にするわけにはいかなかった。

「でも、このままでは駄目。歪んだままの思いは悲劇と不幸を生む」

 アリスは三人の夫達を見詰めた。アレンとゼロスはあからさまに溜め息を吐いた。エンヴィはただ二人の姿に戸惑いを浮かべる。

 アリスの瞳は語っていた。

 アリスはどうあっても薔薇の夫達に関わらせたいらしかった。

「で、何をさせたいんだ」

 ゼロスは諦めたように問い掛けた。

「煽って」

 アリスは満面の笑みを浮かべ、さらりと言った。

「何だと」

 三人は完全に困惑した。

「執着と愛情は違うわ。自覚させて頂戴」

 アリスは胸の前で両手を合わせ、困難なことを何でもないようなことのように言う。アレンはこめかみに痛みが走った。

 アリスが関わると、本当にろくな事がなかった。ルビィとエンヴィのことで認識はしていたが、改めて思い知る。

      †††


 トゥーイは椅子に座ったまま唇を噛み締めた。目の前には育ての両親がいる。

「トゥーイ」

 名を呼ばれ体が竦んだ。怖くて顔を上げることが出来ない。

「……相談して欲しかったわ」

 母親は寂しそうに呟いた。だが、トゥーイは強く首を横に振った。本当の両親なら相談したかもしれない。

「フィネイは我々の前では普通だった。だが、お前の前では違ったんだな」

 父親の声は沈んでいた。トゥーイにとって大切な二人だ。

 煩わせたくなかったのに、それが叶わなかった。不甲斐なさで消えてしまいたかった。

「長様のお言葉通り、私達の元に帰ってきて頂戴」

 母親は涙声で訴え、トゥーイの頭を抱き締めた。しかし、トゥーイは首を振る。フィネイには婚約者がいる。どう考えても不可能なのだ。

「……俺は眠りにつく……一番、良い方法だよ」

 トゥーイは小さく呟いた。おそらく、トゥーイは本来の両親と同じ地下廟で眠ることになる。

「お願いだから、そんなことは言わないで」

 母親は嗚咽混じりに呟いた。

「お前の両親はお前の幸せを望み、眠りについたんだぞ」

 父親の言葉に息をのんだ。両親と言われ、母親の腕の中で身動ぎする。

「大切な親友の子供。貴方は私の友人の子よ。二人で同じ時期に妊娠し、出産した。けれど、彼女は耐えられなかった。命を懸けて貴方を産み、夫と共に眠ったの」

 トゥーイは顔を上げた。どうして、眠りについたのだろうか。

「どうして、眠りについたんだ」

 二人は顔を見合わせた。言いにくいのか、口を噤む。

「俺には聞く権利がある筈だろっ」

 トゥーイは思わず叫んでいた。

 父親は顔を上げたトゥーイを見詰めた。

「聞いて、後悔しないと約束出来るか」

 そう問われ、トゥーイは頷いた。

「貴方っ」

 母親は悲痛な叫び声を上げる。

「何時かは知ることになるんだ」

 母親はトゥーイを離す。トゥーイは二人を見上げた。

「お前の母親は体内でお前を育んでいる時から、拒絶反応を示していた」

 父親の言葉にトゥーイは目を見開いた。

「勘違いするな。お前の誕生を誰よりも楽しみにしていたのは彼女だ」

 トゥーイの母親は妊娠と同時に体が拒絶反応を示した。吸血族の女性ではよくある症状だ。

 だが、その反応が半端ではなかったのだ。妊娠しているので薬の服用は出来なかった。

 誕生するまでの長い期間耐え続け、無事に生まれた赤子に立ち会った者は息をのんだ。真っ白い髪はアルビノだと知らしめていた。

「自分が特殊である自覚はあるな」

 父親の問い掛けにトゥーイは頷いた。

「お前は体が我々より弱い。そのために魔力がそれを補おうとする」

 つまり、赤子の防衛本能が母親を蝕んでいたのだ。常時発揮される魔力は通常では有り得ない現象だった。

「最初こそ平気だったのよ」

 出産後、日を追う事におかしくなり始めていることに気が付いた。少しずつ行動と言動がおかしくなり、正常な時間が少なくなっていった。

「お前を無事に産み落とすだけで精一杯だったんだ。治療も受けた。有りとあらゆる方法を試した。だが、精神の破綻はどうやっても修復出来なかったんだ」

 トゥーイの母親は正気であった短い時間、我が子を抱き締め、そして、決断した。このままの状態では自分だけではなく周りにも累が及ぶ。

 何より、我が子と夫に迷惑を掛け続けることになる。其れだけは、耐えられなかった。

「《永遠の眠り》につくことを選択したんだ」

 本当は一人で眠りにつくつもりでいた。相手がいなくなれば、新たな相手を探せばよいと考えていた。だが、夫は一緒に眠る選択をし、生まれたばかりの赤子を親友の手に委ねた。

 同じ日に出産した親友に願いと思いを託して。

「お前の名前を考えたのは二人だ。我々ではない」

 トゥーイは自然と涙が溢れた。名前は体内で育んでいるときに、辛さに耐えながら二人で考えたものだった。

 何一つ与えられず、育てることも出来ない状況に涙し、唯一、与えられるものは名前だけだったのだ。

「最後までお前の幸せを望み、二人は深い眠りについた」

 白の長に託されたのだと説明し、育てる許可を貰った。ただ、二人は誕生日が一緒だった。そのため、皆で相談し双子の兄弟として育てることにしたのだ。

 何時かは知ることになる。そうであったとしても、二人の幼子を兄弟として育てる決断をした。

 だが、今の状況は望んだものではなかった。黒の預言者の言葉に凍り付くような思いを二人は味わった。

「フィネイが嫌いか」

 父親の言葉にトゥーイは強く首を振った。それだけは有り得なかった。

 アレンが言っていた。想っている者の血に触れなければ女性にならない。だが、トゥーイは正直に怖かったのだ。

「……怖いんだ」

 自分自身を抱き締め、トゥーイはフィネイを思い出す。何時の頃からか、トゥーイを見る目が変わっていることに気が付いた。

 二人は顔を見合わせた。トゥーイの顔色は明らかに悪かったからだ。父親は目を細める。

「何が怖いんだ」

 静かに問い掛ける。

 トゥーイは気持ちを落ち着けようと息を吐き出した。だが、体の震えが止まらない。

「二人になると急に態度が変わるんだ。力でねじ伏せようとしている感じで」

 二人になることに恐怖を感じるようになってしまった。なるべく一人にならないようにし、何時も誰かの側にいるように努めた。

 しかし、フィネイはそんなトゥーイの行動などお見通しだったのだ。目覚めと同時に襲われることも度々だった。

 フィネイの方が明らかに上手だったのだ。
 

      †††


「どうする」

 ゼロスはそう問い掛けた。

 トゥーイと両親に話しをさせるため、三人を残し隣の部屋に移動した。何をするにせよ、親子で話しをしなければ話しにならないからだ。

「自覚させろって言われてもな」

 アレンは深く溜め息を吐く。

「俺みたいに諭すとか」

 エンヴィは困惑していた。

「お前の時とは状況が違いすぎるんだ」
「あの時はお前自身が病んでるだけだったし、ルビィは変化する前だ」

 アレンとゼロスはきっぱり言い切った。

「トゥーイの兄貴はフィネイと言うんだが、表向きは人当たりがいいんだ」

 アレンは腕を組んだ。

 トゥーイが有名人ならフィネイもある意味有名人だった。双子の兄弟だと、周りは認識しているからだ。

「どう言うことだ」

 ゼロスも困惑した。

「簡単に考えるなら、トゥーイの前でだけ豹変するってことだろう」
「じゃあ、いくら俺達が言ったところで、自覚しないって事じゃねぇか」

 つまり、正攻法で接触しても意味はない。アリスが煽るように言ったのはあながち間違いではないのだ。

 アレンは少し考え、話しに耳を傾けていた薔薇達を見た。

 いきなり顔を向けたアレンに三人は首を傾げる。

「トゥーイに足枷を付けとく必要があるな」

 ゼロスも三人に視線を向け頷いた。

「そうだな」
「大人しくしといて貰った方が動きやすいか」

 エンヴィも理解したようだった。

「シオン」

 アレンは手招きする。シオンは困惑しながらも三人の目の前まで移動した。

「何」

 疑問を顔に貼り付け、首を傾げる。

「僕、大人しくしてるよ」

 言われる前にシオンは告げた。
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