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Ⅸ 満ちる月に白き淡雪
02 二日月
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「お前等、俺の仕事を増やすなっ」
憤った声はかなりの不機嫌を伝えていた。睨みつけられているのは三人。
「他部族の異性を襲ったら、極刑だっ。何度言えば判るっ」
三人は青冷めた顔を、見下ろしている者に向ける。
「今回は見逃してやる。さっさと行けっ」
苛立たしげに嘆息したのは、アレンだった。驚いたように見上げる、淡雪の髪と淡い紅の瞳。アレンはその姿に記憶が疼き出す。
「お前、トゥーイじゃないか」
吸血族で雪の髪を持つ者は一人だけだ。そこでアレンは盛大な溜め息を吐く。
「またかよ」
明らかに面倒がっていた。今日は満月だ。
「立てるな」
差し出された手に少し躊躇い、それでも手を取って立たせてもらった。
「誰の血だ」
単刀直入な質問に、トゥーイは怯えた。
「あのな。責める気はない」
来い、と言われ、トゥーイはアレンについて行くしかなかった。
「シオンっ」
アレンは館に着くなりシオンを呼んだ。シオンは何事かと、お腹を押さえながら歩いてくる。
「どうしたの」
首を傾げながら、シオンはアレンを見上げ、次いで横にいるトゥーイに視線を向けた。
「お客さんなの」
「違う。厄介事だ」
腰に両手を当て、シオンの顔を覗き込む。
「お前なら判るだろ」
シオンは目を瞬かせる。そして、改めてトゥーイを見た。
トゥーイはシオンの姿に見入った。独特の金の巻き髪。琥珀の大きな瞳。愛らしい姿をした可憐な少女に見えるが、お腹が大きい。
「薔薇の香りが微かにする」
いきなりシオンの可憐な唇から、そんな言葉が飛び出す。
「白薔薇かな」
アレンは頷いた。
「此奴は医者仲間では有名なんだ」
「どうしてさ」
アレンは目を細めた。
「アルビノのトゥーイは吸血族で唯一の存在だからだ」
トゥーイはアレンの医者の言葉に絶句した。
「アルビノって」
シオンは困惑した。幾ら医者の妻になったとはいえ、知識があるわけではない。
「先天的に色素が無い者のことだ。髪と肌が白いし、瞳も紅いだろ」
シオンは更にトゥーイを観察する。長く伸びた白い髪は泡のように雪のように白く澄んだ色をしていた。瞳の紅い色が不思議な感じだった。
「瞳が紅いのは何で」
「あれは血の色だ」
漫才のように見える二人に、トゥーイは困惑した。夫婦なのか友人なのか、関係が見えなかったからだ。
「ふぅん」
納得しているようには見えないが、無理に納得したように見えた。
「カイファス達にも知らせるんでしょ」
「当たり前だ。一人で対応するなんて真っ平だ。ゼロスとエンヴィも巻き込んでやる」
アレンの言い種に、シオンは破顔した。
「本人達聞いたら怒るよ」
「知るか。何で、厄介事が羽根生えてやってくるんだ」
やっていられるかと、溜め息を吐く。
「とりあえず、親父の所に行ってくるわ」
アレンは仕方なく、そう呟いた。
アレンは忘れていたのか、トゥーイに視線を向けた。
「シオン、此奴のこと頼むわ」
「うん。カイファス達には誰が連絡するの」
「親父の所にレイスがいるだろうから、レイスに頼むわ」
アレンは言いながら、館の奥に消えていった。
「行こう」
シオンがいきなりトゥーイの手を取った。見上げてきた琥珀の瞳に息をのむ。
「……あの」
シオンに案内されながら廊下を歩く。トゥーイはどうしても気になった。二人はどういった関係なのか。
「僕達」
シオンはトゥーイを見ると、訊き返してきた。トゥーイは頷く。
「夫婦だよ。ちょっと、変わってるけど娘もいるし。今、お腹にもいるから」
変わってる、の言葉に首を傾げる。
「妊娠中は女性なんだけど、普段は男性だよ。満月の光で女性になるんだけどね」
シオンは何でもないことのように言ったが、トゥーイは固まった。いきなり立ち止まったトゥーイにシオンは訝しむ。
「男なの」
「生まれたときはね」
シオンは可笑しそうに笑った。
「君だって、満月以外は男性でしょう」
シオンは当たり前のように言った。
「後でもう二人来るから」
「どう言うことだ」
シオンは首を傾げる。
「薔薇はね。黒薔薇の部族に僕も含めて三人居るんだよ」
トゥーイは更に固まった。
「結婚してるし、子供も居るよ」
シオンがあまりに自然に言うので違和感はないが、普通に考えたらおかしすぎる。
「薔薇はね、五人居るんだって。君は四人目ってことになるかな」
シオンはある部屋の前で立ち止まった。
「お母さん」
シオンはノックもぜす当たり前のように扉を開き部屋に入っていく。トゥーイは固まったまま部屋を覗き込んだ。
「なんて言っていたの」
「お客さんだよ」
シオンは動こうとしないトゥーイの腕を取ると、ずんずん歩く。
「あら、綺麗だわ」
波打つ黒髪の女性、ジゼルは目を見開く。
「白薔薇だよ」
シオンはジゼルの前まで来ると満面の笑みを見せた。ジゼルは愛しい者を包み込むように抱き締める。
トゥーイはその光景に涙が溢れそうになった。
ジゼルはシオンの体を離すと、トゥーイの前まで来る。そして、顔を覗き込んだ。
「逃げてきたんでしょう」
微笑みを浮かべ、単刀直入に言った。トゥーイは体が震えた。怯えたように顔を歪ませる。
「何処の部族の出身なのかしら」
トゥーイは小さく息をのむ。
「……白薔薇の」
ジゼルは納得したように頷いた。
「何故、長様に相談しなかったの。もしかして、知らなかったのかしら」
ジゼルは両手を腰に当て、溜め息を吐く。トゥーイは更に体を硬くする。
「長様達は知っているのよ。満月で女性になる者を」
ジゼルの言葉にトゥーイは目を見開いた。そんな事実は知らない。
「まあ、公に話してはいないかもしれないわね。混乱を招くだけだし」
ジゼルは諦めたように、首を傾げた。
「用意出来たよ」
シオンはテーブルの上にお茶の用意をしていた。
「ありがとう。あら」
三つあるカップには紅茶が注がれていたが、シオンは妊娠中だ。
「シオン、紅茶は駄目よ」
アレンとファジールに大目玉を喰らうとジゼルは首を振る。
「これ、紅茶じゃないよ」
「嘘は駄目よ」
「これ、林檎の果汁だよ」
グラスでも良かったのだが、何となく同じカップを使いたかったのだとシオンは笑った。
「夫と息子が医者だと、面倒よね」
「うん。五月蠅いしね」
トゥーイは目の前の二人が親子であることは判った。自然に笑い合う姿が羨ましかった。
「どうしたの。いらっしゃいな」
ジゼルに促され、椅子に腰を下ろす。
「でも、白薔薇って居るのかしらって思ったけど、居たのね」
ジゼルは心底驚いているようだった。
「髪の色だもんね。カイファスは黒だし、ルビィは赤だし」
「まあ、ルビィの赤い髪も珍しいわよね」
トゥーイは二人の話しを大人しく聞いていた。
「誰の血を口にしたのかしら」
アレンと同じ質問をされ、トゥーイは俯いた。何故、そんなことを訊いてくるのか。
「何を恐れているのかしら。血に触れなければ女性になれないのよ」
トゥーイは弾かれたように顔を上げ二人を見た。
「公にしない理由よ」
ジゼルは目を細め、驚きを顔に貼り付けたトゥーイを見詰める。
トゥーイは唇を噛み締める。こうなった理由は決して自分の落ち度ではなかった。そう信じたかった。
「事故、かな」
シオンは小首を傾げた。だが、トゥーイは首を横に振った。あれは事故などではない。朦朧とした意識で不意に入り込んできた生温かく甘い味。
「自分で」
疑問を投げかけられ、強く拳を握り締めた。
「違うっ」
悲鳴のように叫び、両手で顔を覆った。吸血族なら、血に対して神経質になるのは当たり前だ。逆に考えれば、縛り付けようと思えば容易に出来る。
「どういうことかしら」
ジゼルは嫌な予感がした。トゥーイは女性に変化しているため、血の主に好意を持っていると認識出来る。シオンとカイファス、ルビィの例でそれははっきりしていた。
だが、血を取り込んだ経緯が本人が望んだ状態でなかった場合は問題になってくる。
「事故でもなく、自分の意志でもないのなら、無理矢理ってことになるわ」
ジゼルが低く呟いた。シオンは驚きを隠そうともせずトゥーイを見詰めた。
「相手は誰」
ジゼルは少しきつい口調で詰問した。
しかし、トゥーイは強く首を横に振った。言える筈がなかったからだ。
「はっきり言うわ。貴方が口を噤んでも、三人は見つけ出すわよ」
ジゼルが言う三人とは、アレンとゼロス、エンヴィのことだ。
「薔薇の夫達は自分達のために、貴方の相手を探し出す」
トゥーイは強い口調で告げられたことに息をのんだ。
「アレンは面倒がらなかったかしら」
ジゼルの問い掛けに頷いた。助けて貰ったとき、トゥーイを見るなり何者か言い当て、不機嫌が更に強く顔に刻まれた。
言葉を吐き捨て、付いて来るように言ったのだ。命令ではなかったが、強い意志を宿した声に逆らえなかった。
「何時かは知ることになるし言ってしまうけど、貴方が現れたことは吸血族にとって必要なことなのよ」
トゥーイは怪訝な表情で二人を見た。
「吸血族の過去に問題があったんだよ。僕達薔薇は、その清算のために現れるんだって」
シオンは思い出すように言葉を紡いだ。
「……清算」
「そう。私の口からは言いたくないから、アレンかゼロスに聞くと良いわ」
ジゼルは小さく微笑んだ。
「お母さん」
シオンはジゼルに視線を向ける。
「何かしら」
「二人共、嫌がると思うよ。ルビィのときに大変だったみたいで、もう、絶対関わりたくないって、口を揃えて言っていたもの」
確かにルビィとエンヴィはすんなりいかなかった。実質、貧乏くじを引いたのは四人だったのだ。
「でも、アレンが連れてきたんだから、最後まで付き合うのが筋何じゃないかしら」
ジゼルは当たり前と言わんばかりの表情をした。
「僕も手伝いたいけど、こんな状態だし」
自分のお腹に手を当て、困ったような顔をした。
「アレンが大騒ぎするから、シオンは大人しくしてなきゃ駄目ね」
ジゼルは頬杖をついた。大切にしてもらっていることに文句は無いのだが、シオンは少しだけ不満だった。医者であるアレンとファジールは妊娠に対して神経質だった。
「私のときと違って二人ですものね」
ジゼルもファジールからかなり過保護な扱いを受けたので判るのだが、シオンの場合は二倍なのだ。アレンとファジールの二人から過保護な扱いを受けていた。
「今回は諦めた方がいいと思うわ」
シオンの様子に苦笑を浮かべ、ジゼルは諭すように言った。
「あの……」
トゥーイは俯きながら口を開いた。
「何かしら」
ジゼルは首を傾げる。
「……どうして、俺が女になったって判るんだ」
シオンは右手の人差し指を口に持ってくる。確かになにも知らなければ疑問を持つ筈だ。
「どうして薔薇って言われてるか判る」
シオンはトゥーイに質問した。トゥーイは顔を上げるとシオンを見詰め、小さく首を振った。
「僕達の体臭って薔薇の香りなんだよ」
トゥーイは目を見開いた。そう言えば、最初にシオンに会ったとき、そんなことを言われた記憶があった。
「でも、普段は判らないみたい。薔薇同士なら判るんだけど」
「でも、アレンさんっだっけ、俺が男だって判ってた」
「それは、アルビノっだっけ、その知識でしょ。男だって知ってて、目の前に現れた知っていた特徴と性別が違ってて気が付いただけじゃない」
シオンは当たり前と言わんばかりに言ってのけた。
「医者の間では有名なんでしょ」
シオンは首を傾げる。トゥーイは両手を握り締め、唇を噛んだ。
「アルビノって」
ジゼルはシオンに問い掛けた。
「トゥーイの姿だよ。アレンが教えてくれたけど、よく判んなかった」
「トゥーイという名前なのね」
ジゼルは改めて名前を聞いていないことに気が付いた。
「で、相手は」
ジゼルは鋭い視線をトゥーイに向けた。
トゥーイは言えなかった。言える筈がなかった。口にした血の主には婚約者がいる。それ以前に、言えない理由もあった。
「言ってしまった方が楽になるのよ」
それでも、首を振り続けた。トゥーイはジゼルに言われたように逃げてきたのだ。
†††
アレンは不機嫌を隠そうともせず、父親の元に向かった。今は弟のベンジャミンに医者としての勉強をさせている筈だ。本来なら邪魔をしないのだが、そんなことは言っていられなかった。
ある部屋の前に来るとノックもせずに扉を開いた。扉が開いた音にファジールとベンジャミンが顔を上げた。
険しい表情のアレンに二人は首を捻る。
「どうかしたのか」
ファジールはアレンの様子がおかしいことに気が付いた。ただ、機嫌が悪いわけではなさそうだ。
「厄介事が羽根生えてやって来やがった」
ファジールは眉間に皺を寄せ立ち上がる。アレンは今日、結界番だった筈だ。
「何があった」
「アルビノのトゥーイが女になって来やがったんだよ」
吐き捨てるように言われ、ファジールは困惑した。
「トゥーイは男だろ」
「あぁ。でも、今日は女だ。シオンに確認して貰ったら、薔薇の香りがするって言っていた」
ファジールは目を見開く。
「四人目か」
アレンは目を細めた。薔薇が現れることが嫌なのではない。
何故、集まってくるのかと言うことだ。
「白薔薇か。考えてみれば、白薔薇だけは誰か特定出来たわけだな」
ファジールの言っていることは確かだった。白薔薇は髪が白い者のことだろう。だが、アレンは銀の髪を持つ者だと思っていた。
白髪は吸血族では珍しいのだ。体の時を止めるため、人間のように年をとる課程で白髪にはならない。
「レイスは」
「隣の部屋にいる」
ファジールはアレンがしようとしていることが手に取るように理解出来た。二人を巻き込むつもりなのだ。
アレンは隣の部屋に行き、数分で戻ってきた。
「やっぱり関わり合うのか」
ファジールが笑いを含みながら言った。
「拒絶したところで長にうまく誘導されるに決まってる。だったら、最初から関わった方がましだ」
父親を睨み付け、アレンは唸った。
「ちょうど良いから、ベンジャミンにトゥーイを見せてやる」
アレンは弟に視線を向けた。
「言葉で説明するより判りやすい」
来い、と言われベンジャミンは立ち上がった。ファジールは笑いながら二人の後について行く。
「兄さん。トゥーイって」
足早に歩くアレンに必死でついて行きながら、ベンジャミンは問い掛けた。
「親父。アルビノの話しはしたのか」
アレンの問いにファジールは、していないと、一言言った。
「トゥーイは吸血族で唯一のアルビノ体だ。差別的な言い方で好きじゃないんだが」
アレンは眉間に皺を寄せた。
「アルビノ体って」
「体に色素がない。吸血族は基本的に太陽に対して耐性がないから関係ないが、人間の場合、紫外線に対して耐性がない」
ベンジャミンは頷く。
「視力もあまりよくないな。まあ、魔族は魔力があるからそこも問題ない」
「じゃあ……」
「一言で言えば、ただ、色のない者だ。そのせいで瞳は血の色を宿している」
取り敢えず見た方が早いと口を噤んだ。
ファジールは胸騒ぎがした。それはジゼルが感じているものだ。
「アレン」
ファジールは真剣な表情を見せた。父親に視線を向けたアレンは訝しむ。
「相手は判っているのか」
その問いにアレンは目を細める。判っているなら苦労はしないだろう。
「彼奴は逃げてきたんだ。簡単に口を割るわけ無いだろう」
アレンは居間まで来ると、無造作に扉を開く。三人は窓際にある椅子に座っていたのだが、様子がおかしかった。
「何かあったようだな」
ファジールは三人の様子にそう判断した。
「兄さん」
不安気にベンジャミンがアレンを見上げる。アレンは安心させるように頭に手を乗せると、強めに撫でた。
ベンジャミンは驚いたように目を見開く。
「アレン」
アレンの姿を確認したシオンが小走りで近付いてきた。
「走るな」
近くまで来たシオンの顔を覗き込み、強い語尾で告げた。
「ちょっとくらい大丈夫だよ」
シオンは不満気に頬を膨らませた。
「それより、大変だよ」
「どうかしたのか」
ファジールの問いにシオンは顔を向けた。
「お母さんが相手を訊いたんだけど、もしかしたら無理矢理血を口にしたのかもしれない」
アレンとファジールは目を見開き固まった。
「どういうことだ」
「事故でもなくって、自分の意思でもないって、それって、無理矢理でしょ」
ファジールはジゼルが動揺した意味が判った。
だが、変化をしている。無理矢理であったとしても、その相手に好意を持っている証拠だ。
「あれ。ベンジャミン」
シオンはやっと気が付いたのか、ベンジャミンを見た。
「勉強をしに来たんだ」
アレンは言うなり大股で歩き出す。ベンジャミンは後を追って行った。
「勉強って」
シオンは首を傾げる。ファジールは表情を引き締めると、目を細めた。どうやら薔薇はすんなり事を運べない者達がなるようだ。
おそらく、カイファスとゼロスだけがすんなり事が運んだのだ。
「行くぞ」
ファジールはシオンを促す。トゥーイの側まで来ると、アレンがベンジャミンに何かを説明しているようだった。
トゥーイは慣れているのか、ベンジャミンを見詰めている。ベンジャミンは説明を真剣な眼差しで聞いていた。
「勉強って、アルビノのこと」
シオンは呟く。
「そうだ。見る方が早いって言ってな。しかし、トゥーイは慣れてるみたいだな」
ファジールは頭を掻いた。
「お父さん」
シオンはトゥーイを見詰めながら目を細めた。
「僕、嫌な予感がする。ルビィのときと似たような感じの」
ファジールはシオンの言葉に小さく頷いた。
「ああ。一つ、気になることがあるんだ」
シオンは弾かれたようにファジールを見上げた。
「トゥーイが知ってしまったのだとしたら、ややこしいことになる」
「知るって……」
「秘密にされていた事実だ。それを知ってしまったとしたら……」
ファジールはアレンを見詰めた。アレンは気が付き、顔を上げる。ファジールと目が合い、互いに同じことを考えていることに気が付いた。
「有り難う御座いました」
ベンジャミンは礼儀正しくトゥーイに礼を述べた。普通なら苦痛な筈だ。まだ幼くともきちんと理解し判っていた。
トゥーイは驚いていた。見せ物になるのは何時ものことだ。今回もそうだろうと思っていた。
「見せて貰ったんだ。理解したな」
「はい。兄さん」
ベンジャミンはアレンに笑みを見せる。
「苦痛を与えてすまない。此奴は勉強中だから、丁度良かったんだ」
アレンは少し申し訳無さそうに言った。トゥーイは首を横に振る。
最初に迷惑をかけたのはトゥーイなのだ。
「子供なのか」
トゥーイは遠慮がちにアレンに問い掛ける。ベンジャミンは兄と言っていたが、そうは見えなかったからだ。
「年の離れた弟だ。まあ、疑いたいのは判るが」
アレンは苦笑する。
「私の息子達よ」
ジゼルは頬杖をついたまま微笑んだ。トゥーイは目を瞬かせる。吸血族は子供が少ない。だが、シオンは娘がいると言っていた。
「あの……」
トゥーイは戸惑っていた。この場所はトゥーイが知るどの場所よりも幸せそうだった。
ファジールはトゥーイが戸惑っている理由が判っていた。吸血族の家族の人数は基本的に少ないからだ。
「ベンジャミンっ」
いきなり勢い良く扉が開き、ベンジャミンの胸にタックルをしてきた者がいた。
赤い髪の小さな子供だ。
ベンジャミンは咄嗟に対応出来なかった。倒れていこうとした体をアレンが受け止める。
「ごめんっ」
慌てて走り込んできたのは、綺麗な赤い髪の女性だった。
「ルー、粗相は駄目だよ」
ベンジャミンから引き離し、軽く叱りつける。
「ルビィ、早かったね」
シオンは見慣れているのか、平然としていた。
「両親が早く行きなさいって」
「エンヴィは」
「すぐ来るよ。僕はルーを追ってきたから」
トゥーイは固まった。更に子供が増えたからだ。
「珍しいのか」
アレンがトゥーイの様子に笑いながら訊いた。トゥーイは驚きを顔に貼り付け頷く。
「ルビィ。ルーに振り回されてるな」
アレンは面白そうに言った。
「言わないでよ。判ってるんだから」
娘を抱き締めルビィは情けない表情を見せた。
ルビィとエンヴィの娘のルーチェンはかなり活発だった。しかも、ベンジャミンが誰よりも好きなのだ。
「連れてくる気は無かったんだけど、急だったから誤魔化せなかったんだ」
ルビィは申し訳無さそうに呟く。そこにエンヴィ、カイファスとゼロスが顔を出す。エンヴィは真っ直ぐにルーチェンの元に歩を進めた。
「約束を忘れたのか」
ルーチェンを覗き込む。父親の言葉にルーチェンは口を噤んだ。頬を膨らませ不満顔だ。
「大人しくしてないと、連れて帰ると言っただろ」
エンヴィは嘆息する。
「賑やかなのは何時ものことだから気にしなくていい」
アレンは笑いながら言った後、シオンが騒がしいからと付け足した。勿論、シオンは面白くない。
「どういう意味」
「そのまんまだ」
エンヴィは笑みを漏らす。
「カイファス達とそこで会ったんで一緒に来た。此奴か」
エンヴィはトゥーイに視線を向けた。
「ああ。トゥーイだよ」
「よく面倒事が集まってくるな」
エンヴィの言い種にアレンはこめかみがひくついた。面倒を起こした本人に言われたくない。
「人のことは言えないだろうが」
確かにとエンヴィは更に笑う。
ジゼルはその光景を見ていたが、徐に腰を上げる。そして、ルビィの元まで歩を進めるとルーチェンを抱き上げた。
「私が預かっているわ。ベンジャミンもいらっしゃい」
そう言うなり、部屋から出て行く。ファジールは視線だけジゼルに向け、直ぐに表情を引き締めた。
トゥーイは体が固まったように動かなかった。新たに現れた四人に息をのむ。
「白い髪。アルビノのトゥーイだな」
カイファスの言葉にアレンは頷いた。
薬師であったカイファスもトゥーイのことを知っていた。
「さっき、言ってた二人だよ」
シオンは首を傾げトゥーイを見た。トゥーイは思い出す。
黒髪と赤髪の女性。雰囲気がシオンに近い。女性のようで女性でない感じがした。
「面子も揃ったし、白状してもらうぞ」
アレンはトゥーイを見下ろす。その口調ははっきりとした意志の強いものだった。トゥーイは息をのむ。
何故だか判らないが、体が自然と震えた。何を訊き出そうとしているのかは判っているが、言うつもりはなかった。
憤った声はかなりの不機嫌を伝えていた。睨みつけられているのは三人。
「他部族の異性を襲ったら、極刑だっ。何度言えば判るっ」
三人は青冷めた顔を、見下ろしている者に向ける。
「今回は見逃してやる。さっさと行けっ」
苛立たしげに嘆息したのは、アレンだった。驚いたように見上げる、淡雪の髪と淡い紅の瞳。アレンはその姿に記憶が疼き出す。
「お前、トゥーイじゃないか」
吸血族で雪の髪を持つ者は一人だけだ。そこでアレンは盛大な溜め息を吐く。
「またかよ」
明らかに面倒がっていた。今日は満月だ。
「立てるな」
差し出された手に少し躊躇い、それでも手を取って立たせてもらった。
「誰の血だ」
単刀直入な質問に、トゥーイは怯えた。
「あのな。責める気はない」
来い、と言われ、トゥーイはアレンについて行くしかなかった。
「シオンっ」
アレンは館に着くなりシオンを呼んだ。シオンは何事かと、お腹を押さえながら歩いてくる。
「どうしたの」
首を傾げながら、シオンはアレンを見上げ、次いで横にいるトゥーイに視線を向けた。
「お客さんなの」
「違う。厄介事だ」
腰に両手を当て、シオンの顔を覗き込む。
「お前なら判るだろ」
シオンは目を瞬かせる。そして、改めてトゥーイを見た。
トゥーイはシオンの姿に見入った。独特の金の巻き髪。琥珀の大きな瞳。愛らしい姿をした可憐な少女に見えるが、お腹が大きい。
「薔薇の香りが微かにする」
いきなりシオンの可憐な唇から、そんな言葉が飛び出す。
「白薔薇かな」
アレンは頷いた。
「此奴は医者仲間では有名なんだ」
「どうしてさ」
アレンは目を細めた。
「アルビノのトゥーイは吸血族で唯一の存在だからだ」
トゥーイはアレンの医者の言葉に絶句した。
「アルビノって」
シオンは困惑した。幾ら医者の妻になったとはいえ、知識があるわけではない。
「先天的に色素が無い者のことだ。髪と肌が白いし、瞳も紅いだろ」
シオンは更にトゥーイを観察する。長く伸びた白い髪は泡のように雪のように白く澄んだ色をしていた。瞳の紅い色が不思議な感じだった。
「瞳が紅いのは何で」
「あれは血の色だ」
漫才のように見える二人に、トゥーイは困惑した。夫婦なのか友人なのか、関係が見えなかったからだ。
「ふぅん」
納得しているようには見えないが、無理に納得したように見えた。
「カイファス達にも知らせるんでしょ」
「当たり前だ。一人で対応するなんて真っ平だ。ゼロスとエンヴィも巻き込んでやる」
アレンの言い種に、シオンは破顔した。
「本人達聞いたら怒るよ」
「知るか。何で、厄介事が羽根生えてやってくるんだ」
やっていられるかと、溜め息を吐く。
「とりあえず、親父の所に行ってくるわ」
アレンは仕方なく、そう呟いた。
アレンは忘れていたのか、トゥーイに視線を向けた。
「シオン、此奴のこと頼むわ」
「うん。カイファス達には誰が連絡するの」
「親父の所にレイスがいるだろうから、レイスに頼むわ」
アレンは言いながら、館の奥に消えていった。
「行こう」
シオンがいきなりトゥーイの手を取った。見上げてきた琥珀の瞳に息をのむ。
「……あの」
シオンに案内されながら廊下を歩く。トゥーイはどうしても気になった。二人はどういった関係なのか。
「僕達」
シオンはトゥーイを見ると、訊き返してきた。トゥーイは頷く。
「夫婦だよ。ちょっと、変わってるけど娘もいるし。今、お腹にもいるから」
変わってる、の言葉に首を傾げる。
「妊娠中は女性なんだけど、普段は男性だよ。満月の光で女性になるんだけどね」
シオンは何でもないことのように言ったが、トゥーイは固まった。いきなり立ち止まったトゥーイにシオンは訝しむ。
「男なの」
「生まれたときはね」
シオンは可笑しそうに笑った。
「君だって、満月以外は男性でしょう」
シオンは当たり前のように言った。
「後でもう二人来るから」
「どう言うことだ」
シオンは首を傾げる。
「薔薇はね。黒薔薇の部族に僕も含めて三人居るんだよ」
トゥーイは更に固まった。
「結婚してるし、子供も居るよ」
シオンがあまりに自然に言うので違和感はないが、普通に考えたらおかしすぎる。
「薔薇はね、五人居るんだって。君は四人目ってことになるかな」
シオンはある部屋の前で立ち止まった。
「お母さん」
シオンはノックもぜす当たり前のように扉を開き部屋に入っていく。トゥーイは固まったまま部屋を覗き込んだ。
「なんて言っていたの」
「お客さんだよ」
シオンは動こうとしないトゥーイの腕を取ると、ずんずん歩く。
「あら、綺麗だわ」
波打つ黒髪の女性、ジゼルは目を見開く。
「白薔薇だよ」
シオンはジゼルの前まで来ると満面の笑みを見せた。ジゼルは愛しい者を包み込むように抱き締める。
トゥーイはその光景に涙が溢れそうになった。
ジゼルはシオンの体を離すと、トゥーイの前まで来る。そして、顔を覗き込んだ。
「逃げてきたんでしょう」
微笑みを浮かべ、単刀直入に言った。トゥーイは体が震えた。怯えたように顔を歪ませる。
「何処の部族の出身なのかしら」
トゥーイは小さく息をのむ。
「……白薔薇の」
ジゼルは納得したように頷いた。
「何故、長様に相談しなかったの。もしかして、知らなかったのかしら」
ジゼルは両手を腰に当て、溜め息を吐く。トゥーイは更に体を硬くする。
「長様達は知っているのよ。満月で女性になる者を」
ジゼルの言葉にトゥーイは目を見開いた。そんな事実は知らない。
「まあ、公に話してはいないかもしれないわね。混乱を招くだけだし」
ジゼルは諦めたように、首を傾げた。
「用意出来たよ」
シオンはテーブルの上にお茶の用意をしていた。
「ありがとう。あら」
三つあるカップには紅茶が注がれていたが、シオンは妊娠中だ。
「シオン、紅茶は駄目よ」
アレンとファジールに大目玉を喰らうとジゼルは首を振る。
「これ、紅茶じゃないよ」
「嘘は駄目よ」
「これ、林檎の果汁だよ」
グラスでも良かったのだが、何となく同じカップを使いたかったのだとシオンは笑った。
「夫と息子が医者だと、面倒よね」
「うん。五月蠅いしね」
トゥーイは目の前の二人が親子であることは判った。自然に笑い合う姿が羨ましかった。
「どうしたの。いらっしゃいな」
ジゼルに促され、椅子に腰を下ろす。
「でも、白薔薇って居るのかしらって思ったけど、居たのね」
ジゼルは心底驚いているようだった。
「髪の色だもんね。カイファスは黒だし、ルビィは赤だし」
「まあ、ルビィの赤い髪も珍しいわよね」
トゥーイは二人の話しを大人しく聞いていた。
「誰の血を口にしたのかしら」
アレンと同じ質問をされ、トゥーイは俯いた。何故、そんなことを訊いてくるのか。
「何を恐れているのかしら。血に触れなければ女性になれないのよ」
トゥーイは弾かれたように顔を上げ二人を見た。
「公にしない理由よ」
ジゼルは目を細め、驚きを顔に貼り付けたトゥーイを見詰める。
トゥーイは唇を噛み締める。こうなった理由は決して自分の落ち度ではなかった。そう信じたかった。
「事故、かな」
シオンは小首を傾げた。だが、トゥーイは首を横に振った。あれは事故などではない。朦朧とした意識で不意に入り込んできた生温かく甘い味。
「自分で」
疑問を投げかけられ、強く拳を握り締めた。
「違うっ」
悲鳴のように叫び、両手で顔を覆った。吸血族なら、血に対して神経質になるのは当たり前だ。逆に考えれば、縛り付けようと思えば容易に出来る。
「どういうことかしら」
ジゼルは嫌な予感がした。トゥーイは女性に変化しているため、血の主に好意を持っていると認識出来る。シオンとカイファス、ルビィの例でそれははっきりしていた。
だが、血を取り込んだ経緯が本人が望んだ状態でなかった場合は問題になってくる。
「事故でもなく、自分の意志でもないのなら、無理矢理ってことになるわ」
ジゼルが低く呟いた。シオンは驚きを隠そうともせずトゥーイを見詰めた。
「相手は誰」
ジゼルは少しきつい口調で詰問した。
しかし、トゥーイは強く首を横に振った。言える筈がなかったからだ。
「はっきり言うわ。貴方が口を噤んでも、三人は見つけ出すわよ」
ジゼルが言う三人とは、アレンとゼロス、エンヴィのことだ。
「薔薇の夫達は自分達のために、貴方の相手を探し出す」
トゥーイは強い口調で告げられたことに息をのんだ。
「アレンは面倒がらなかったかしら」
ジゼルの問い掛けに頷いた。助けて貰ったとき、トゥーイを見るなり何者か言い当て、不機嫌が更に強く顔に刻まれた。
言葉を吐き捨て、付いて来るように言ったのだ。命令ではなかったが、強い意志を宿した声に逆らえなかった。
「何時かは知ることになるし言ってしまうけど、貴方が現れたことは吸血族にとって必要なことなのよ」
トゥーイは怪訝な表情で二人を見た。
「吸血族の過去に問題があったんだよ。僕達薔薇は、その清算のために現れるんだって」
シオンは思い出すように言葉を紡いだ。
「……清算」
「そう。私の口からは言いたくないから、アレンかゼロスに聞くと良いわ」
ジゼルは小さく微笑んだ。
「お母さん」
シオンはジゼルに視線を向ける。
「何かしら」
「二人共、嫌がると思うよ。ルビィのときに大変だったみたいで、もう、絶対関わりたくないって、口を揃えて言っていたもの」
確かにルビィとエンヴィはすんなりいかなかった。実質、貧乏くじを引いたのは四人だったのだ。
「でも、アレンが連れてきたんだから、最後まで付き合うのが筋何じゃないかしら」
ジゼルは当たり前と言わんばかりの表情をした。
「僕も手伝いたいけど、こんな状態だし」
自分のお腹に手を当て、困ったような顔をした。
「アレンが大騒ぎするから、シオンは大人しくしてなきゃ駄目ね」
ジゼルは頬杖をついた。大切にしてもらっていることに文句は無いのだが、シオンは少しだけ不満だった。医者であるアレンとファジールは妊娠に対して神経質だった。
「私のときと違って二人ですものね」
ジゼルもファジールからかなり過保護な扱いを受けたので判るのだが、シオンの場合は二倍なのだ。アレンとファジールの二人から過保護な扱いを受けていた。
「今回は諦めた方がいいと思うわ」
シオンの様子に苦笑を浮かべ、ジゼルは諭すように言った。
「あの……」
トゥーイは俯きながら口を開いた。
「何かしら」
ジゼルは首を傾げる。
「……どうして、俺が女になったって判るんだ」
シオンは右手の人差し指を口に持ってくる。確かになにも知らなければ疑問を持つ筈だ。
「どうして薔薇って言われてるか判る」
シオンはトゥーイに質問した。トゥーイは顔を上げるとシオンを見詰め、小さく首を振った。
「僕達の体臭って薔薇の香りなんだよ」
トゥーイは目を見開いた。そう言えば、最初にシオンに会ったとき、そんなことを言われた記憶があった。
「でも、普段は判らないみたい。薔薇同士なら判るんだけど」
「でも、アレンさんっだっけ、俺が男だって判ってた」
「それは、アルビノっだっけ、その知識でしょ。男だって知ってて、目の前に現れた知っていた特徴と性別が違ってて気が付いただけじゃない」
シオンは当たり前と言わんばかりに言ってのけた。
「医者の間では有名なんでしょ」
シオンは首を傾げる。トゥーイは両手を握り締め、唇を噛んだ。
「アルビノって」
ジゼルはシオンに問い掛けた。
「トゥーイの姿だよ。アレンが教えてくれたけど、よく判んなかった」
「トゥーイという名前なのね」
ジゼルは改めて名前を聞いていないことに気が付いた。
「で、相手は」
ジゼルは鋭い視線をトゥーイに向けた。
トゥーイは言えなかった。言える筈がなかった。口にした血の主には婚約者がいる。それ以前に、言えない理由もあった。
「言ってしまった方が楽になるのよ」
それでも、首を振り続けた。トゥーイはジゼルに言われたように逃げてきたのだ。
†††
アレンは不機嫌を隠そうともせず、父親の元に向かった。今は弟のベンジャミンに医者としての勉強をさせている筈だ。本来なら邪魔をしないのだが、そんなことは言っていられなかった。
ある部屋の前に来るとノックもせずに扉を開いた。扉が開いた音にファジールとベンジャミンが顔を上げた。
険しい表情のアレンに二人は首を捻る。
「どうかしたのか」
ファジールはアレンの様子がおかしいことに気が付いた。ただ、機嫌が悪いわけではなさそうだ。
「厄介事が羽根生えてやって来やがった」
ファジールは眉間に皺を寄せ立ち上がる。アレンは今日、結界番だった筈だ。
「何があった」
「アルビノのトゥーイが女になって来やがったんだよ」
吐き捨てるように言われ、ファジールは困惑した。
「トゥーイは男だろ」
「あぁ。でも、今日は女だ。シオンに確認して貰ったら、薔薇の香りがするって言っていた」
ファジールは目を見開く。
「四人目か」
アレンは目を細めた。薔薇が現れることが嫌なのではない。
何故、集まってくるのかと言うことだ。
「白薔薇か。考えてみれば、白薔薇だけは誰か特定出来たわけだな」
ファジールの言っていることは確かだった。白薔薇は髪が白い者のことだろう。だが、アレンは銀の髪を持つ者だと思っていた。
白髪は吸血族では珍しいのだ。体の時を止めるため、人間のように年をとる課程で白髪にはならない。
「レイスは」
「隣の部屋にいる」
ファジールはアレンがしようとしていることが手に取るように理解出来た。二人を巻き込むつもりなのだ。
アレンは隣の部屋に行き、数分で戻ってきた。
「やっぱり関わり合うのか」
ファジールが笑いを含みながら言った。
「拒絶したところで長にうまく誘導されるに決まってる。だったら、最初から関わった方がましだ」
父親を睨み付け、アレンは唸った。
「ちょうど良いから、ベンジャミンにトゥーイを見せてやる」
アレンは弟に視線を向けた。
「言葉で説明するより判りやすい」
来い、と言われベンジャミンは立ち上がった。ファジールは笑いながら二人の後について行く。
「兄さん。トゥーイって」
足早に歩くアレンに必死でついて行きながら、ベンジャミンは問い掛けた。
「親父。アルビノの話しはしたのか」
アレンの問いにファジールは、していないと、一言言った。
「トゥーイは吸血族で唯一のアルビノ体だ。差別的な言い方で好きじゃないんだが」
アレンは眉間に皺を寄せた。
「アルビノ体って」
「体に色素がない。吸血族は基本的に太陽に対して耐性がないから関係ないが、人間の場合、紫外線に対して耐性がない」
ベンジャミンは頷く。
「視力もあまりよくないな。まあ、魔族は魔力があるからそこも問題ない」
「じゃあ……」
「一言で言えば、ただ、色のない者だ。そのせいで瞳は血の色を宿している」
取り敢えず見た方が早いと口を噤んだ。
ファジールは胸騒ぎがした。それはジゼルが感じているものだ。
「アレン」
ファジールは真剣な表情を見せた。父親に視線を向けたアレンは訝しむ。
「相手は判っているのか」
その問いにアレンは目を細める。判っているなら苦労はしないだろう。
「彼奴は逃げてきたんだ。簡単に口を割るわけ無いだろう」
アレンは居間まで来ると、無造作に扉を開く。三人は窓際にある椅子に座っていたのだが、様子がおかしかった。
「何かあったようだな」
ファジールは三人の様子にそう判断した。
「兄さん」
不安気にベンジャミンがアレンを見上げる。アレンは安心させるように頭に手を乗せると、強めに撫でた。
ベンジャミンは驚いたように目を見開く。
「アレン」
アレンの姿を確認したシオンが小走りで近付いてきた。
「走るな」
近くまで来たシオンの顔を覗き込み、強い語尾で告げた。
「ちょっとくらい大丈夫だよ」
シオンは不満気に頬を膨らませた。
「それより、大変だよ」
「どうかしたのか」
ファジールの問いにシオンは顔を向けた。
「お母さんが相手を訊いたんだけど、もしかしたら無理矢理血を口にしたのかもしれない」
アレンとファジールは目を見開き固まった。
「どういうことだ」
「事故でもなくって、自分の意思でもないって、それって、無理矢理でしょ」
ファジールはジゼルが動揺した意味が判った。
だが、変化をしている。無理矢理であったとしても、その相手に好意を持っている証拠だ。
「あれ。ベンジャミン」
シオンはやっと気が付いたのか、ベンジャミンを見た。
「勉強をしに来たんだ」
アレンは言うなり大股で歩き出す。ベンジャミンは後を追って行った。
「勉強って」
シオンは首を傾げる。ファジールは表情を引き締めると、目を細めた。どうやら薔薇はすんなり事を運べない者達がなるようだ。
おそらく、カイファスとゼロスだけがすんなり事が運んだのだ。
「行くぞ」
ファジールはシオンを促す。トゥーイの側まで来ると、アレンがベンジャミンに何かを説明しているようだった。
トゥーイは慣れているのか、ベンジャミンを見詰めている。ベンジャミンは説明を真剣な眼差しで聞いていた。
「勉強って、アルビノのこと」
シオンは呟く。
「そうだ。見る方が早いって言ってな。しかし、トゥーイは慣れてるみたいだな」
ファジールは頭を掻いた。
「お父さん」
シオンはトゥーイを見詰めながら目を細めた。
「僕、嫌な予感がする。ルビィのときと似たような感じの」
ファジールはシオンの言葉に小さく頷いた。
「ああ。一つ、気になることがあるんだ」
シオンは弾かれたようにファジールを見上げた。
「トゥーイが知ってしまったのだとしたら、ややこしいことになる」
「知るって……」
「秘密にされていた事実だ。それを知ってしまったとしたら……」
ファジールはアレンを見詰めた。アレンは気が付き、顔を上げる。ファジールと目が合い、互いに同じことを考えていることに気が付いた。
「有り難う御座いました」
ベンジャミンは礼儀正しくトゥーイに礼を述べた。普通なら苦痛な筈だ。まだ幼くともきちんと理解し判っていた。
トゥーイは驚いていた。見せ物になるのは何時ものことだ。今回もそうだろうと思っていた。
「見せて貰ったんだ。理解したな」
「はい。兄さん」
ベンジャミンはアレンに笑みを見せる。
「苦痛を与えてすまない。此奴は勉強中だから、丁度良かったんだ」
アレンは少し申し訳無さそうに言った。トゥーイは首を横に振る。
最初に迷惑をかけたのはトゥーイなのだ。
「子供なのか」
トゥーイは遠慮がちにアレンに問い掛ける。ベンジャミンは兄と言っていたが、そうは見えなかったからだ。
「年の離れた弟だ。まあ、疑いたいのは判るが」
アレンは苦笑する。
「私の息子達よ」
ジゼルは頬杖をついたまま微笑んだ。トゥーイは目を瞬かせる。吸血族は子供が少ない。だが、シオンは娘がいると言っていた。
「あの……」
トゥーイは戸惑っていた。この場所はトゥーイが知るどの場所よりも幸せそうだった。
ファジールはトゥーイが戸惑っている理由が判っていた。吸血族の家族の人数は基本的に少ないからだ。
「ベンジャミンっ」
いきなり勢い良く扉が開き、ベンジャミンの胸にタックルをしてきた者がいた。
赤い髪の小さな子供だ。
ベンジャミンは咄嗟に対応出来なかった。倒れていこうとした体をアレンが受け止める。
「ごめんっ」
慌てて走り込んできたのは、綺麗な赤い髪の女性だった。
「ルー、粗相は駄目だよ」
ベンジャミンから引き離し、軽く叱りつける。
「ルビィ、早かったね」
シオンは見慣れているのか、平然としていた。
「両親が早く行きなさいって」
「エンヴィは」
「すぐ来るよ。僕はルーを追ってきたから」
トゥーイは固まった。更に子供が増えたからだ。
「珍しいのか」
アレンがトゥーイの様子に笑いながら訊いた。トゥーイは驚きを顔に貼り付け頷く。
「ルビィ。ルーに振り回されてるな」
アレンは面白そうに言った。
「言わないでよ。判ってるんだから」
娘を抱き締めルビィは情けない表情を見せた。
ルビィとエンヴィの娘のルーチェンはかなり活発だった。しかも、ベンジャミンが誰よりも好きなのだ。
「連れてくる気は無かったんだけど、急だったから誤魔化せなかったんだ」
ルビィは申し訳無さそうに呟く。そこにエンヴィ、カイファスとゼロスが顔を出す。エンヴィは真っ直ぐにルーチェンの元に歩を進めた。
「約束を忘れたのか」
ルーチェンを覗き込む。父親の言葉にルーチェンは口を噤んだ。頬を膨らませ不満顔だ。
「大人しくしてないと、連れて帰ると言っただろ」
エンヴィは嘆息する。
「賑やかなのは何時ものことだから気にしなくていい」
アレンは笑いながら言った後、シオンが騒がしいからと付け足した。勿論、シオンは面白くない。
「どういう意味」
「そのまんまだ」
エンヴィは笑みを漏らす。
「カイファス達とそこで会ったんで一緒に来た。此奴か」
エンヴィはトゥーイに視線を向けた。
「ああ。トゥーイだよ」
「よく面倒事が集まってくるな」
エンヴィの言い種にアレンはこめかみがひくついた。面倒を起こした本人に言われたくない。
「人のことは言えないだろうが」
確かにとエンヴィは更に笑う。
ジゼルはその光景を見ていたが、徐に腰を上げる。そして、ルビィの元まで歩を進めるとルーチェンを抱き上げた。
「私が預かっているわ。ベンジャミンもいらっしゃい」
そう言うなり、部屋から出て行く。ファジールは視線だけジゼルに向け、直ぐに表情を引き締めた。
トゥーイは体が固まったように動かなかった。新たに現れた四人に息をのむ。
「白い髪。アルビノのトゥーイだな」
カイファスの言葉にアレンは頷いた。
薬師であったカイファスもトゥーイのことを知っていた。
「さっき、言ってた二人だよ」
シオンは首を傾げトゥーイを見た。トゥーイは思い出す。
黒髪と赤髪の女性。雰囲気がシオンに近い。女性のようで女性でない感じがした。
「面子も揃ったし、白状してもらうぞ」
アレンはトゥーイを見下ろす。その口調ははっきりとした意志の強いものだった。トゥーイは息をのむ。
何故だか判らないが、体が自然と震えた。何を訊き出そうとしているのかは判っているが、言うつもりはなかった。
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