浅い夜・薔薇編

善奈美

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Ⅷ 月夜の小夜曲

03 甘美なる媚毒

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 元々、夜型の生活であったアリスは直ぐに吸血族の生活に慣れていった。

 日が高いうちは眠り、月の支配下のときに目覚める。今までと違い、頭の中は静かで穏やかな日々を送っていたが、気になることもあった。

 リムリスからなるべく部屋から出ないようにと言われていたからだ。最初は疎ましいからだと思っていたのだが、違うことが判った。

「この部屋には貴女専用の結界が張ってあるのよ」

 リムリスの母親にそう言われたからだ。聞いたとき、驚きに目を見開いた。

「正直、驚いたのよ。あの子は何に対しても無関心だったのだから」

 そう言われ、更に驚いた。

 出会ったときのリムリスは正直に怖かった。体に無理矢理力を押し込め、目の前に立っているのが判ったからだ。

 口を開けばからかわれていると直ぐに気が付いた。何が面白かったのか判らないが、最初の笑みは嘲笑ったような莫迦にしたような感じだった。

「まあ、そのせいで、今まで避けていたことをさせられる羽目になったのだけどね」

 食事をしているアリスの前で母親は面白がっているのか、笑いながら呟く。

 目を見開き見詰められていることに気が付き、母親は更に微笑んだ。

「何をさせられているんですか」

 アリスは好奇心に勝てなかった。今まで押し込めていたのだ。自由を与えられたら、本来の彼女が顔を出す。

「お見合い」

 母親は面白そうに言った。

「正確には、断られるために会うが正しいかしら」

 リムリスには沢山の婚約者がいた。結婚したくないと女性達に言われていたが、正式に破棄されていたわけではない。正式に破棄されなければ、女性達は新たな相手を探せないのだ。

「一人くらいは花嫁になってくれるかと思ったのだけど、腹黒さに耐えられる女性がいなくてね」

 頬に手を当て溜め息を吐く。母親が息子に対して腹黒いと言うあたり、リムリスの人となりが判る。

 だが、アリスからしてみれば、決して腹黒く感じなかった。それよりも、アリスを利用しようとした領主や、血に濡れた兵達の方が何倍も恐ろしかった。

 リムリスが腹黒いと言うのなら間違い無いのだろうが、それには理由がある筈だ。

 アリスの表情に母親は首を傾げた。

「貴女は違うのかしら」

 いきなり言われたことに、アリスは固まった。

「でも、人間の貴女ではどうしようもないわ」

 ぽつりと言われた言葉に胸が疼いた。鋭い痛みが走り、息をのむ。

「あの子が普通の吸血族なら、貴女を花嫁に出来たのにね」

 少し寂しそうに息を吐き出す。

「どういう……」
「吸血族はね、人間と結婚した者もいるのよ。でもね、人間のまま一生を終え、相手であった者は大抵、眠りにつくのよ」

 アリスは息をのむ。この部落に入り、一瞬見えた過去は信じられないものだった。

 女性のみに蔓延した病。どんなに手を尽くしても息絶えていく。吸血族でありながら、血の摂取を制限し命を繋いでいた。

 人と心を通わせ愛し合ったとしても、命に限りがある人は相手を残してこの世を去った。去った後、残された者に残された道は新しい相手を見つけ出すか、《永遠の眠り》につくこと。

「貴女は過去や未来を視るのよね」

 その問いに素直に頷いた。

「ならば、人間が吸血族になる唯一の方法は視えたのかしら」

 アリスはただ固まる。

 何故、そんなことを訊くのか。

「このままでは、私達は眠りにつけないわ。育てた私達のせいもあるけれど、あの子は期待以上に育ってしまったのよ」

 母親は肩を竦める。

「部族長は人が良くては務まらないのよ。でも、元婚約者達はそれが判っていなかったのね」
「あの……」

 アリスは完全に困惑した。母親は何が言いたいのか。

「部族長は結界の要そのものなの。後継者はそれを継ぐ者。だから、妻は同族でなくては駄目なのよ」

 アリスは血の気が引くような思いがした。

「吸血族の時は永いわ。貴女の年は幾つかしら」
「十六歳です」

 母親は優し気に微笑んだ。

「人間なら成人になるのかしら。でも、吸血族の成人年齢は二百歳よ」

 アリスは正直に驚いた。ゆっくりと時を刻んでいることは判っていた。だが、目の前に突き付けられ、はっきりと認識した。

 人と吸血族の時の流れは違いすぎる。固まるように動かなくなったアリスに母親は苦笑した。

「リムリスは四百歳を越えているのよ」

 母親は頬杖を付き架空を見詰めた。

「まあ、女性が少ないのだから、仕方ないのだけど」

 アリスはここに来て初めて力を使うことにした。少しくらい役にたちたい。

 ゆっくりと瞳を閉じる。確かに部屋には結界が張られていたが、力を使うときに妨げにならないように配慮されているようだった。

 ゆっくりと息を吐き出す。神経を研ぎ澄まし、リムリスを思う。脳裏に浮かぶ姿。隣に部族長である父親の姿が見える。

 リムリスは明らかに不機嫌だった。不機嫌の理由にアリスは驚き目を見開いた。荒い息を吐き出しているアリスに母親は訝しむ。

「吸血族は同性の結婚は認められているんですか」

 アリスのいきなりの質問に母親は目をしばたいた。

「恋愛は認められているけれど、結婚は無理よ」

 アリスはゆっくりと息を吐き出し脱力する。人と同じで良かったと、変に安心した。

「どうしたの」
「リムリスがお見合いしている方、男性です」

 アリスの言葉に母親は腰を浮かせた。

「力を使ったの」

 アリスは疲れた表情で頷いた。リムリスが怒るのは尤もだった。いくら、花嫁を求めていたとしても同性は論外だ。

 だが、アリスが視たいのは今じゃない。意識がすうっと落ちていく。何時も味わうあの、深淵に沈んでいく感じが堪らなく不快だった。

 本人を媒介に過去と未来が交差する。

 暗闇の中にいきなり現れたのは幼い命。それを抱き上げているのは栗色の髪の良く知った顔。

「視える」

 アリスは捕まえた。リムリスの未来と、その先の未来を。

「アリス……」
「リムリスは結婚する。相手は判らない。でも、近い将来、結婚して子供が生まれる」

 アリスのこめかみに痛みが走る。

「もう、止めなさい」

 母親は明らかに顔色が悪くなったアリスに気が付いた。

 元々、栄養状態が悪かったのか華奢で顔色が悪かった。此処に来てから、栄養価の高い食品を摂取させていたが成長期の栄養不足のせいか体が小柄だった。

 力のせいもあるのか、丈夫でないのはその命の色で判った。

「もう、ちょっと……」
「やめなさいっ」

 いきなり叱られ、アリスは驚きのあまり繋がりが切れてしまった。慌てて母親に視線を向ける。そこにある顔は明らかに怒っていた。

「力を使うのは止めなさい」
「でも、私が出来るのはこれだけ……」

 アリスが何故、力を使ったのかは理解している。安心を与えたかったからだろう。少しでも役に立ちたいと考えたからだろう。

 だが、その行為は確実に命を削っている。魔族にも予知を行う一族はいるが、その力は命を削ると言っていた。自分の幸せを削って、他の者の未来と過去と現在を知るのだ。

「その力は無闇に使っては駄目よ。自分の意思で視るのは、全てを削る行為よ」

 母親の真剣な眼差しにアリスは息をのむ。

 言われなくとも知っていた。ニーナから嫌と言うほど聞かされた。

 アリスの母親が言っていたと、幼いときから言い聞かせられていた。無理矢理侵入するものは避けようがない。だから、自分の意思で使わないように、そう、言われていた。

「……判ってます」

 アリスは俯く。アリスの母は娘のために命を懸けた。それは、無事誕生させるためだ。

「母の命を喰らった私は、誰かの役にたっていかないと駄目だと思うから」

 アリスは唇を噛み締める。母親は目を見開いた。

 誕生前から強い力を宿していたアリスに、誕生時力が暴走しないよう保てる力全てで娘の力を押さえつけた。

 その行為は当然、命を削っていく。胎内にいる間、母は娘のために全てを投げ出していた。

「力なんていらない……ただ、普通に生まれたかった……っ」

 アリスの瞳に涙が溢れ出す。いくら否定したとしても、力が無くなるわけではない。強くなり続けている力が何を意味しているのか、アリスは知らなかった。

 アリスの母同様、彼女も自分の未来を視ることが出来なかったからだ。

      †††


「ふざけるのも大概にして下さい」

 リムリスは憮然と言い放ち、父親を睨み付けた。確かに、女性達に否定されたのだから、別の道を探るのは理解出来る。

「部族長に妻が必要なのは知っていますが、男性は論外でしょうっ」

 父親も流石に今回は不味いと思っていた。しかも、その相手はリムリスを気に入ったのだから質が悪い。別の意味で早く相手を見付けないと大変なことになりかねない。

「私も知らなかったからな」

 溜め息混じりにそう言った。

「吸血族に女性が少ないのは判りますが、男性が女性に変わるという話しは聞いたことがありませんよ。いくら華奢で女性的でも、私にその嗜好はありません」

 きっぱりと言い切り、廊下を歩いて行く。

「最後の相手が男性だなんて、ふざけているとしか思えませんよ」

 父親も確かにと脱力する。恋愛と結婚は別だ。吸血族が男女普通に誕生する種族なら、結婚も可能だろう。

 だが、女性の数が絶対的に少なく、しかもリムリスは部族長の後継者でどう考えても、男性を相手にするのは論外だった。

 吸血族の絶対的義務は子孫を残すことだ。

「しかし、誰が紹介したんだ」

 父親は首を捻る。ふざけているにしては質が悪すぎた。

「私がそう言う嗜好だと思われていたら心外です」

 リムリスは父親を見ず、ずんずんと歩いていく。

「所で何時まで付いてくるつもりです」

 リムリスの棘のある言葉に父親は苦笑しつつ、それでも付いて来た。

「アリスに会いに行くんだろう」

 笑いを押さえ、父親はからかうように言う。確かにその通りなのだが、不快感があった。

「女の子は可愛いな」

 父親は腕を組み、しみじみとしている。リムリスは驚き振り返った。

「何ですって」
「お前を見てると、誰でも可愛いと思うが、アリスは特に可愛い」

 振り返り見た父親の姿に脱力する。迷惑がっているかと思いきや、孫娘に甘い祖父のような表情をしていた。

「何時かは帰ってしまうかと思うと、寂しいな」
「全く、何を言ってるんです」

 リムリスは盛大に溜め息を吐き、歩き始めた。何時も母親が居てくれていることは知っていた。だが、近付くにつれ、何かがあったことに気が付いた。

 躊躇うことなく扉を開く。そこに居る筈の二人の姿はなく、気配のする方に足を向ける。

 二間続きの部屋は隣が寝室になっていた。リムリスは隣の部屋に足を向けた。静かに扉を開くと、母親が振り返る。

 リムリスを確認すると唇に指を当てた。静かにしろと言っているようだ。静かに歩を進め、ベッドを覗き込む。

 ベッドでアリスは眠っていた。両の瞼がほんのり赤味を帯びていた。直ぐに泣いたのだと判った。リムリスは母親に顔を向ける。母親は小さく首を振った。

 リムリスと後ろにいた父親を促し、寝室を出る。扉をきちんと閉め、リムリスを見上げた。

「何故、力を使えるように結界を張ったのかしら」
「伯母さんが気になるかと思ったからですよ」

 リムリスは直ぐに答える。母親は納得したように息を吐き出した。

「何がありました」
「私達があまりに貴方の嫁がいないと嘆くから、力を使ってしまったのよ」

 リムリスと父親は目を見開いた。

「何ですって」
「あの力は諸刃の剣よ。命と幸福を犠牲に発揮されるわ。使えば使うだけ失われていく」

 母親は真剣な面持ちで前方に視線を向けた。

「私達魔族なら命に限りがないのだから問題ないでしょうが、人であるあの娘は別よ。母親の命を喰らったと言っていたけど、多分、違うわ」

 アリスは母親が自分を守るために、命を失ったと思っているのかもしれない。間違ってはいないだろうが、微妙に違うのではないか。

「母親も同じ力を保っていたの」

 その問いにリムリスは頷いた。

「保っていたと言っていましたね」
「つまり、母親が亡くなった直接の原因は力だわ」

 おそらく、胎内の赤子の未来を視続けたに違いない。

 同種の力を保っていれば判る筈だ。日を追うごとに強くなっていく力。

 基本的にその力を保つ者は自分を視ることは出来ない。だから、力を使い続けることで流れていく命に気が付かない。気が付いたときにはすでに遅いと言うことになる。

「アリスの母親は赤子の未来を視続け、出産時に力を抑えつけたのだと思うわ」

 二人は顔を見合わせる。

「一時的だとしても、生まれた子に安心を与えたかったのでしょう」

 同じ能力なら何時かはその力に振り回されることになる。

 実際、アリスは力に振り回され、姿を隠すように息を潜めるように生きていた。

 普通に力のない人として生まれていれば幸せであったのかもしれない。体が弱いのも力のせいだ。力が命を喰らい、体を弱らせる。

「リムリスと出会ったのはある意味幸運であったのかもしれないわね。人ではあの娘の力を抑えるのは不可能だわ。強すぎるのよ」

 確かにリムリスの結界は力を妨げないかもしれない。だが、妨げられていなくても、使おうとしなければ発揮されない。

 アリスがリムリスを視たとき、すんなり入り込んでいた。

 魔族であるリムリスを人であるアリスが簡単に覗ける筈がない。それをアリスはいとも簡単にしてのけたのだ。

「強くなっているのかもしれないわ。年を重ねる度に」

 一体、何のために強くなっているのだろうか。今でも十分強すぎるのだ。今のままではアリスの体から力は溢れ出す。

 お構いなしに頭にありとあらゆるものが流れ込み、命だけではなく精神も呑み込み始める。

 最終的に待つのは、ただ、ありとあらゆるものを視るだけの人形のような存在になるだけだ。

「ところで、お見合い相手が男性だったのですって」

 母親は父親に恐ろしく黒い笑みを見せた。

「アリスが教えてくれたのよ」

 二人は息をのんだ。父親に至っては顔が引きつった。

「同性では子孫は望めないのではないかしら」

 リムリスは脱力する。アリスの力は本物なのかもしれない。ある意味、厄介な力だ。

「私にその嗜好はありませんよ。会おうとしなかったために誤解されたのなら仕方ないですが」

 溜め息混じりにリムリスは告げた。そんなことは言われなくても判っている。

「気に入られたわけではないでしょうね」

 腕を組み、二人に極上の笑みを向けた。その笑顔は危険だった。特に父親は明らかに顔色が変わった。

「冗談じゃないわよ。何のために、ここまでにしたと思ってるの。本人の趣味ならまだしも、付き纏われでもしたら面倒なことになるのよ」

 きっぱりと言われ、しかし、二人は口を噤んだ。

「答えないと言う事は気に入られたのね」

 睨まれ、後ずさるが意味はない。

「相手はいない、男に付き纏われる。どうするつもりかしら」

 半眼になり、明らかに機嫌を損ねたようだった。

 リムリスは盛大に溜め息を吐いた。はっきりと断ったので次来たときは容赦しない。

「今日は大人しくしていましたが、邪な気持ちで近付いてきたら容赦しませんよ。大体、紹介者は誰だったんです」

 父親を睨み付ける。

「判らん」

 簡潔な答えに二人は絶句した。

「お前が逃げ回っていたのが悪かったんだ」

 確かにその通りなのだが、納得出来なかった。

「言っておくが、もう、相手は居ないんだぞ。部族内に未婚女性は居ないからな」

 両親は嘆くしかない。

「諦めて、もう一人産んだらどうです」

 息子の言葉に母親の顔付きが変わった。

「産めるのならとっくに産んでるわよっ」

 吸血族は子供に恵まれない。一人授かっただけでも奇跡なのだ。

「しかし、参ったな」

 父親は頭を掻いた。八方塞がりな上に、本人はどこ吹く風だ。これでまだ、危機感を持ってくれればいいのだが、その素振りもない。

 同族が望ましいのだが、他種族から探さなくては駄目な状況に陥ったことに、頭が痛くなった。命に限りがないのが、仇になってることが嫌でも判った。

      †††


 アリスはリムリスの気配が無くなると、そっと扉を開けた。

「他種族からと言ってもなぁ」

 父親は頭を掻いていた。

「すこぶる評判が悪いですものね」

 母親も右頬に手を当て嘆息した。

 リムリスは基本的に何もしてはいない。つまり、噂が一人歩きしたのだ。気が付けば、とんでもなく腹黒いことになっていた。

 何を考えているのか判らないというのが一番の理由だった。表情で読み取れないのだ。無表情だと言うわけではない。

 表情はあるのだが、それが恐ろしいと女性達は言うのだ。

「このままでは、眠れないわ」

 母親は本当に困っているのか、表情が暗い。

「参ったな」

 アリスは二人の会話に耳を傾ける。そして、一つの思いが生まれる。

 一緒にいたいと。

 確かにリムリスは奥が深いかもしれない。たかが十六年生きただけのアリスでは測れないこともあるだろう。それでも、側にいたいと自然に思った。

 だが、アリスは人間だ。人では駄目なのだと母親は言っていた。

 静かに扉を閉め、ゆっくりと歩を進める。

 母親との会話で零した言葉に縋るしかなかった。人が吸血族になる唯一の方法。

 結界内に入ったときには見えなかった。見えなかったということは、かなり古い過去か、結界が張られた後に行われていないことを示唆していた。

 いきなり後ろに立っていたアリスに二人は息をのむ。全く気配がなかったからだ。魔族は人と違い気配には敏感だ。

 話し込んでいたことは確かだが、アリスは空気に溶け込んでいるように自然だった。

 俯き、両手を強く握り締める。手のひらが汗ばみ、喉が異常に渇く。

「あの……」

 小さく声を出す。

「落ち着いたのかしら」

 母親の問い掛けに勢い良く顔を上げた。

「私じゃ駄目ですかっ」

 両手を胸の前で組み、訴えるように言った。二人は困惑する。

「……人間では駄目なのは聞きました。でも……っ」

 母親は目を見開く。

「アリス」

 穏やかに名を呼ばれ、アリスは小さく息をのむ。母親は複雑な表情をしていた。父親は驚いているのか固まっている。

「貴女はそれがどういう意味か判っているのかしら」

 アリスは頷いた。もし、此方側に来ることになれば、今までの常識も生活も失うことになる。伯母であるニーナとも離れなければならない。

 それでも、気持ちに正直でありたかった。今まで我慢していたのだ。一度くらい、我が儘を言ってみたかった。

「命を懸けなくてはならないのよ。それでも、今の言葉に偽りはないのかしら」

 命を懸けるの言葉に、アリスは固まった。意味が判らなかったからだ。

「……いの……ち……」
「そう。リムリスの相手は魔族でなくてはいけない。結界を護るために。貴女がリムリスを望なら、魔族に近い存在にならなくては駄目なのよ」

 母親の厳しい言葉にアリスは考えた。命を懸け、望めば手に入るのだろうか。

「おいっ」

 父親は顔色を変え、明らかに動揺していた。

「貴方は黙っていて下さいな」

 ぴしゃりと言い切られ、口を噤むしかなかった。

 母親はアリスを見据える。幼さの残る顔を、痛まし気に見詰めた。

「魔族の血は人にとっては猛毒よ。それを取り込む覚悟があるかしら」

 アリスは躊躇うことなく頷いた。人が魔になる。それを課すなら命懸けなのは当たり前だった。

「耐えられなければ、死ぬのよ」

 念を押すように聞いてきた。それでもアリスは頷いた。

「判ったわ」

 溜め息を吐くように言葉を吐き出す。

「聞いていたわね」
「本人には言わないのか」
「訊いて、うんと言うと思っているの」

 確かにリムリスは承知しないだろう。アリスを伯母の元に帰すと、言い切っているのだ。

「しかし……」
「しかしもへったくれもないのよ」

 アリスは呆然と二人を見ていた。

「死ぬかもしれないんだぞ」

 父親は情け無いくらい眉を下げていた。

「人の世界に戻っても、死ぬことに変わりはないと思います」

 アリスは二人の会話に割って入る。今か少し先かの違いでしかない。自分を視ることは出来なくても、何となく予感があった。

 制御が難しいほど強くなっていく力。抑えつけることも、消すことも出来ない。結界を張られた部屋だから、安心して居られる。

 もし、元の場所に戻ったら正気を失うかもしれない。この場所に来てから、無闇に頭に情報が流れては来なかった。

 部屋を出ても、それほど強い思念は触れてこなかった。人とは違い、魔族は心を閉ざす術を持っているからなのかもしれない。

 リムリスに力を制御出来るようにならなければいけないと言われたが、徐々に強まる力に付いていくだけでやっとだった。

 無防備なアリスが人の世に戻れば無事では済まない。その自覚がアリスにはあった。結局命懸けなら、心に忠実でありたい。

「同じ命を懸けるなら、私は猛毒を呷る方を選びます。少しでも可能性がある方に」

 二人はアリスを見詰めた。揺るがない空色の瞳に、父親は小さく溜め息を吐いた。

「苦しむかもしれないぞ」
「必要なことなら、耐えます」

 たとえそれで命が消えても、後悔はしないだろう。リムリスにしてみれば迷惑かもしれない。最初から迷惑をかけ、更に厄介事を増やす結果になる。

 アリスは納得して行うことでも、リムリスは納得しない筈だ。それでも、可能性に懸けてみたかった。

 命に固執しているわけではない。どちらかと言えば希薄だった。それでも、与えられた命なら精一杯生きるのが当たる前であることぐらいは理解している。

 たとえ無謀な賭であったとしても、試してみたかった。自分を過信しているわけではない。

 強くなり続けている力が、もしかしたら、猛毒だという魔族の血に打ち勝つ力になもしれない。

「判った」

 父親は諦めたように呟いた。

「そのかわり、力を使うな。体力をつけるんだ」

 強い口調で言われ、アリスは素直に頷いた。
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